はてなキーワード: アンタッチャブルとは
ちょっとだけ、だけど
スパイファミリーが一時期いきなり過去編やってたの、たぶんウクライナ侵攻はじまったせいだと思うんだけど
スパイファミリーにしても、プリンセス・プリンシパルにしても、東西冷戦終結から30年経過して、
もう関係者不在扱いでファンタジーで遊んでもクレームつかないだろ、っていう感覚で始めたと思うんだよね
なのに東西冷戦復活のようにして絶対悪ロシアが出現してしまった
それまでもロシアはクリミア占領してたり、さんざ悪行やってるだろってのはそうなんだけど、
弄っていいネタかの判断の分かれ目が去年で変わってしまったんだと思う
結果、プーチンがネタ枠からアンタッチャブル枠になったのは興味深かった
プーチンだろうとヒトラー並みの扱いはできないんだ。どんだけヒトラー便利なキャラなんだ、という意味で
一方でイスラエル政権のパレスチナ人ジェノサイドって、日本のそっち方面の対応は何も変わらないんだろうなってのも
今までもずっと見ないフリしかできなかったし、そこは変わらないから、そりゃそうだなと
「キエフの幽霊」みたいな自主製作マンガもアメリカとイスラエルとクレジット会社に怒られるから作られないんだろうなー、と想像つくし
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210810181919
https://web.archive.org/web/20210810225700/https://anond.hatelabo.jp/20210810181919
原著の刊行は71年、当時の部落解放同盟書記長の中山氏とともに長野県内の被差別部落の古老たちを訪れて聞きとり調査したもので、現代よりずっと差別が苛烈で激しかった時代や大正デモクラシーの波にのった解放運動の記憶もまだ生々しく覚えている人が多く、本当に大変貴重な証言ばかりだった。
(まず基礎知識ですけど、部落をよく知らない人はなんとなくイメージで、関西にしか無い、関東は関係ないと漠然と思っている人が多いみたいですが(私もそうでした)葬儀や処刑人、農村で使ってる牛馬の解体処理など死に関わる仕事(ケガレの仕事)全般を請け負っているので、基本的にどこにでもある(最北端は旧松前藩あたり、最南端は奄美大島らしい)。私も北海道には存在しないと思っていたが間違いのようです)(被差別部落の中でも同和事業を適用される同和指定地区をうけなかった地区も多いのがこのような認識を生んだ理由でしょうか)
この本はまず信仰の話から始まるんだけど極貧の生活のためか日頃より信仰心が篤いのに死んだら畜生と同じ埋葬方法で墓が作られても墓地の北側の日のあたんねえ所とか、雑で差別的な戒名つけられたり、それでも檀代は一般(部落外)より高い額ふんだくられてたりもうさんざんで、序盤からひどい話ばっかりなんだけどこのあともひどすぎてこれがジャブ程度に思えてくる。長野といえば教育県を掲げているけど部落民は一般と同じ学校に行かせてもらえない、行かせてもらえても徹底的なイジメが待っている、教師すら[チョオリッポをチョオリッポと呼んで何が悪い]と差別に荷担する。さらに生活苦ゆえに家の仕事を手伝わなくてはいけないといった理由も加わってまともに学校通った人の方が珍しくて、聞き取り対象の老人のなかにはいまだに文盲の者も少なくない。それから公衆浴場も別々で回り風呂といって運搬が可能なお風呂が部落じゅうを回ったりしてたらしい。ケガレの仕事だけでなく、今でいう巡査や牢屋の見張りのような危険な仕事を押し付けられたり、農家の手が足りないときだけ日雇い従事したり季節労働をやったり等収入が安定しない..
もう要するに公権力が徹底的にそうやって差をつけている。また、同じ人間であると思わせないためか、部落民は睾丸が四つある、あばらが足りない、血の色が違うなどいわれのない身体的特徴をでっちあげられてそれを理由に侮蔑される。今でこそ誰もが馬鹿馬鹿しいとわかるけどこんなことが真剣に信じられていたんである。
それから今でこそ同和事業で部落のインフラが整備されて、見かけは一般と変わらない町並みになり、住民の流出・流入が容易になり、その結果元々部落だったと知らずに引っ越してきてずっと知らない人などたくさんいるけど、明治の末ごろの話だけど比較的裕福だった部落の老人が一般の大通りに家を建てたら村じゅう大騒ぎになって、
村役場が主導して執拗な嫌がらせを開始。果ては物理的に家ぶっ壊されて(!)老人は訴訟をするけど村役場が殺し屋を差し向けてきたり費用の問題などで訴訟断念するしか無かったらしい。役人が殺し屋を雇う???????????????? ???????
明治といえばその初頭に四民平等令、部落解放令がやっと出た時代なのに..この解放令ってやつもうほっとんど意味なくて、差別は続いて、でも以前は免除されていた税金が一般と同じように徴収されるようになっていっそう生活が苦しくなっただけらしい..てかまじ、体制側が一市民に殺し屋を差し向けてくるとかまるでフィクションの話みたいであまりに信じがたくてここ読んだとき一日くらいずっとポカーンとしてた。殺し屋て…殺し屋て..明治の末とかって歴史上からみたらほとんど最近じゃん 最近の話じゃねえか ひでえやばすぎる。どーなってんのよ
どこそこの地域が部落みたいな程度の浅い知識ならネットでちょこっと調べれば出てくるけど、こういう具体的な差別事例ってこんなふうに本でも読んで能動的に調べないとわからないんだよね、、まぁこういう時代からは随分ましになったとはいえいまだに部落の人にたいして暴言吐く人、差別する人はゼロにはなってなくて、全然過去の問題じゃないんですけど、同じ部落の人のなかでも[部落問題を知ってほしい][寝た子を起こさないでほしい、学校なんかで教えるから差別が再生産されるんだ][もう差別なんかないんだからほっとくべきだ]とさまざまに意見が分かれていて人間だから当然と思う。
でも悲惨な歴史にふたをして忘却してしまうと過去の人々の苦しみまで無かったことになってしまわないか?というのと、現代の人間が過去から教訓を得られなくなってしまう、それと苦しみだけでなく部落にも豊かな文化と生活があり、(著者は部落の文化遺産と呼んでいたが)文化そのものも葬られてしまう。そういう理由から、現在の、部落の[ぶ]の字すら言ってはいけないようなタブーの空気はいやだなと思うので積極的に気軽に部落の話をするようにしてる。
でも後述するけどこのタブー化が差別の緩和に繋がったわけで、でもそれを加味してもやはりもうそろそろタブ一の段階は終わっていいだろうと思う。
私は部落民ではない女性なんで女性差別にしか興味がありません。主にどうして被差別部落がここまで差別を打破できたかの部分に興味があって調べておりその歴史に女性が差別に対抗するすべを学べないかとそう思い何年も前からあれこれ勉強しています。
はっきり申し上げておきますと部落差別より女性差別のほうがひどい。上記にあげたような苛烈な差別事例を知った上で言うことです。その理由のひとつに無徴の存在である部落民に対して女性は有徴の存在であり、部落差別から逃げるために素性を知られてない遠方に引っ越すという手段もあり実際多くの人がそうしていたようですが、女性が女性であることから逃げる手段は自殺しかありません。
(当然、無徴ゆえにだれも[被差別部落][部落民]とはなんなのかをはっきりと定義できないゆえに権力側に恣意的に身分を決められていた歴史もあるでしょう。それも知っています。でも、なお..なのです。ちなみに、部落民とは一般と先祖やルーツが違う別人種なのではと思う人もいるでしょうが、一般人でも部落民になったりするし、どうもそのへんあいまいというかはっきりしていないようです。本書には、とある部落民にむかって自分たちは先祖が同じだ]と言った一般民がいたという証言もあります。差別の根拠など全くないのです。さらに言うなら死にまつわる仕事がケガレというのも恐らく権力が恣意的に決めたことがし、ケガレの仕事ではない、たとえば内職などしかしない部落民も沢山あってケガレともイコールで結びつかないのです。)現在進行形でさ女は毎日女ってだけでなぐられ殺され犯されおとしめられてんだよ
家から一歩出るだけで醜いおっさんがジーロジロ品定めここから逃げる手段ないんすよ
女性の参政権だってGHQの鶴の一声であって日本の男はんなもん女に与えてくれたこと無いんですわ
すいません話それました!
国を動かしての解放令発布でもやむことがなかった差別が現在ここまで緩和されもはや部落問題を全く知らない人も多くなった、その主たる理由はやはり水平社(のちの部落解放同盟)の強硬な、時には暴力的な闘争姿勢によるものだったのではと思います。著者の柴田いわく、長野のなかでも東信地方は寒風が吹きつけてひどく底冷えがする地域で、昔から気骨のある男、気性の荒い男が多く、それが東信で水平運動がさかんだった理由ではないかと分析しています。逆に寒さがゆるやかな地域では[寝た子を起こすな]の論調が強かったり水平社よりも穏健だった同仁会がさかんだったらしい。でも同仁会も交渉の場では「水平社の連中よぶぞ]が殺し文句だったらしく虎の威を借りてたとか..そして水平社と同仁会、歴史に名を残したのはどちらかというともうこれは言うまでもありません。ふだんから竹槍の戦闘訓練も行い、武力闘争も召さなかった水平運動こそ歴史を変えた。彼らが起こした暴力事件の仔細はネットでも簡単に読めます。部落民は乱暴だ、奴らは犯罪者だといった風評も辞さない徹底的な闘争で、部落は怒らせると怖いと、部落がなんなのかよく知らない人すら何となく感じて、アンタッチャブルな話題だと感じる。タブーだと思う。その空気を牽引したのがテレビ等マスメディアの徹底的な自主規制でしょう。部落解放同盟ににらまれたら厄介だという理由で前述のように部落のぶの字も出さない、触らぬ神にたたりなし。先日もエタヒニンと発音しただけのアイドルが活動自粛に追い込まれたけどそういう過剰なまでの自主規制が、差別の存在そのものを透明化した。長い間メディアは頼まれてもないのに四本指の表現すら自主規制していた。
そのような、暴力や脅迫で勝ち取った自由の歴史を勉強していると、心底彼らがうらやましく、やっぱり権力もなにもあてにならずとにかく徹底的に相手に恐怖という根源的感情を植え付けて支配するしか対抗の方法は無いのかなと思ってしまう。なんだかわからないけど女性差別問題は怖いから少しでもセクハラと誤解される表現は自主規制しよう、万が一表に出てしまったら即座に責任者の首とばそう、そんなふうになってくれたらいいのにと夢見て泣きそうになります。
しかしながら水平運動に加わった男たちがそこまで暴れることができたのも男という性別ゆえかなと、同時に諦念を抱きます。
女はやさしさや思いやりといった(あえて言いますが)宿病をかかえています。それは先天的なものか、それとも後天的なものか、両方だろうか?とにかくフェミニストを自称する人たちすら、女性は優しくなければ、人の気持ちが分からなくてはという教条に縛られているので、そういう人たちと肩を並べて武力闘争が可能かどうかはあやしいものです。ねえ、やりすぎは良くないよやめよう、とお目目ウルウルのいい子ちゃんが必ずまざってしまい男たちはそのすきをついてくる気しかしません..
この本書のなかにはある村の一般の村長が出てきます。彼は比較的リベラルで、部落の子でも学校に入学できるようはからったとのこと。そのせいで彼は妻の実家の敷居をまたぐことを拒否されるなど反発され、水平社の者も彼のそのような行いを知っててもそれでもダメな所は徹底的に糾弾したので、「両方から突き上げ食らってもうさんざんだ]といったことを自嘲してるんですけど女性たちも同じように全く糾弾の手を緩めないってことが可能かと考えると難しい。
痴漢の手に安全ピンぶっさそうという(本来痴漢は殺されてもいいくらいなのだから穏当すぎるくらいなのに)呼び掛けにすらいい子ぶりっこがそういうのよくないよとたしなめるしまつ。
繰り返すけど殺されてもいいのに。
やさしさというのは女たちが生まれつき体に埋め込まれた起爆装置なのだろうか?差別に抗戦しようとした瞬間、それは作動し、女の体は爆発四散するのでしょうか?
この本の巻末、作者の生前の夫だった人による復刊によせての解説で言及されてた2014年の長野県連続差別事件がやばい。部落民の女性に対して、真ん前に引っ越してきた男が差別語連発で罵倒するのをやめない。裁判所から禁止令が出てもやめない。逮捕されても執行猶予で、けっきょく彼が万引きという別件で再逮捕され収監されるまでの2年間なにも解決しなかったそうです。
昔も今も権力なんてなんのあてにもならないどころか被差別階級にとっては敵でしかないんじゃないのとますます不信感がつのります。2014年とか最近じゃん昨日じゃんか
みんな本気で、ハッシュタグ(笑)だのツイッターデモ(笑)なんかで女の現状が救われるとおもってんのかな..こんなのなんにもならんってうすうす気づいてるんじゃないかな。男に殺される女が一人でも減るかそんなんでって思う。やってる感だけ得られたらいいんすか? けっきょくレベルを上げて物理で殴るしか無いんじゃないのか。それもわたし一人がやったところで社会的にインパクトないから組織だってやるしかないけど、以下ループ
水平運動の男たちは献身的に支えてくれる妻がいてそれで運動なりたってた部分でかいと思うけど女には妻おらんのですよな~
暴力ができないならせめて男がみんな自分に正直にホモ願望を解放してホモセックスし、抑圧している内的女性を現実の女性に投影するのをやめればミソジニー無くなって平和になると思うんですけど、でこう書けばホモは差別語だから差別はいけませんとかほざくぶりっこがフェミニズムの邪魔をしてくるのでもうどうしようも無いです! バーカ!ちんこ—
それで思い出したけど水平社=部落解放同盟は徹底したシングルイシューで在日朝鮮人を差別して反省しなかったり、男と女で日当に差をつけて差別してたという話も聞きます。イシューを抱え込まないことがやはり運動の成功の秘訣のひとつであったのかと感じますが女性は女性というだけでやはりシングルイシューではいけないといった脅迫をされます。色々な差別問題に敏感ではなければいけないような圧力にかかって、あらゆる差別に眉をひそめなきゃなんないあの感じ、全ての弱者のために涙しなきゃいけないような義務感、女だから聖母を求められてるんですよね。それもバーカ死ねでございます。女性差別以外知ったこっちゃねーでいいんだお
ところでこの本の作者柴田道子は童話作家で部落民じゃない一般です。長野市に引っ越してきて被差別部落と接触し、興味を持ち、この本を上梓したあとは狭山事件の被告のサポートに尽力、当該事件の本を執筆中わずか41歳の若さで急死したとか。
解説文でだんなさんが男社会のなかで女性としてうけていた差別があったから部落問題に熱心だったのでは的なことかいとるけどんじゃー女性差別問題に集中すればよかったのでは、女なら自分が当事者である女性差別問題に注力すればいいのに、しろよと思ったし、そうすべきだろがいすら思うんだが、そういった、正しくない女柴田の正しくない思いで発刊された、正しくない存在である力作のこの本によって後世の人間である私が歴史を知ることができたわけで、そしてこれは間違いなく後世に保存し読みつがれるべき大名著なんです!!!何が正しいか間違っているのか、どう思うべきか、どう行動すべきかって本当は一切なにもないのかもしれない。なのでフェミニストならこうすべきだ、こう思うべきだ、こう感じるべきだみたいな考えに固執している人はちょっと考え直したほうがいいな、正しいか間違ってるかなんて時代によって基準がぐにゃんぐにゃんで明日にでも真逆になるけど、なんか結果だけ見て、他人がジャッジしてもシャーナイつか、結局ね、なにかに汗かいて真剣にがんばったりさえして、懸命に生きさえすれば、それはもう…だれにも、文句は..まあいいや
ジャニーズの会見が終わって、この問題の闇の深さが想像以上のものだと思って怖くなってる。ほかの国のことはわからないが、この国の人たちは怖い。麻薬で捕まった人の出演作品は配信停止になるのに、あんなにやばい事務所の所属タレントが毎日普通にテレビに出てるのに違和感ない人が多すぎる。小さな問題にだけ対処して仕事したふりをして、本当に重大な問題は放置できるのはなぜだろう。
大手のスポンサーのいくつかが事務所に所属するタレントの起用をやめると表明したのに対して、ジャニーズのファンの一部が批判したのは予想どおりだったけど、「グローバル企業なら当然」といった反応がちらほら見られたのもきつかった。だってそれってローカルな企業には人権意識が期待されてないってことだろ。
でもジャニーズのスポンサーになれるような企業ってそれなりの規模だし程度の差はあってもCSRとかESGとか、そういう名目の綺麗事を一応は掲げてるはずだよな。今回の件で何も動かないってことは、それが本当に虚飾に過ぎないと宣言してるようなものだ。
マスメディアもやばいな。あいつら本当にやばい。番組でジャニーズ問題の取り上げ方の方針を決めてるのは結局、末端じゃなくて上層部、経営陣だろ。マスメディアの動きを見てるとそいつらかいかに腐ってるかがよくわかる。天上人のつもりなんだろうな。いや、本当にそうなのかも。ほぼアンタッチャブルだし。
あと、テレビ局の大株主に怒られたら少しは変わるかと思って調べてみたけど、難しそうだな。主なところで朝日新聞、三菱フィナンシャルグループ、NTTドコモ、三井不動産、日本生命が目についた。この並びだと、あんまり期待できそうにないかな。勝手なイメージだけど。ヘリテージアラート上等!みたいな。まあ、何があってもこれからも変わらず仲良くやっていくよっておじさん達がヘラヘラ笑ってるんだろうな。時間が経ったら、みんな忘れて多分このまま何も変わらない気がする。おじさん達はそれを待ってる。例えば、吉本興業の闇営業のこと、覚えてる人ってどれくらいいるんだろう。あれから何か変わったんかな。何も変わってないんじゃないかな。
ジャニーズの件は、もしかしたら週刊誌にすら書かれてない、想像もつかないような闇が広がってるのかもな、とも思う。それとは別に、俺たち日本人のメンタルっていうか、気性みたいなものがいつまでたっても何も変わらないことの根本的な原因のようにも思う。俺たちは弱者に冷たく、事なかれ主義で、長いものに巻かれていたいだけの怠け者だ。
まず、仁藤夢乃は女性性を利用する男性向けコンテンツに対する憎悪や敵愾心がある。これは、彼女の生い立ちや、現在の社会的な位置、支持者や周辺の人物の意向などさまざまな要因があると思われる。
実在の女性をモデルに用いた性的コンテンツはもとより、イラストやアニメなど架空の女性を性的に扱うような表現について、明らかに敵対的に振舞っており、そのようなコンテンツの製造、流通、消費全ての段階において公的ないし私的な規制がされることを歓迎し、あるいは規制を行うように働きかけると予想できる。
重要な点は、仁藤夢乃はこれらの表現、コンテンツが一掃され、その作者、著作権者、消費者、流通や広告などの関係者が損失を被ることについて、一切考慮する必要が無いということである。少なくとも、そのような配慮、妥協そういった姿勢を見せたことは無く、現実的に温泉むすめのスポーツ文化ツーリズムアワードの受賞辞退という事態を招き、そのことに対し一切の後悔も配慮もしていない。
したがって、仁藤夢乃が、将来にわたって、その社会的影響力に応じて、そのような男性向けコンテンツに対して一切の限度なく攻撃し、最終的にはこれの完全な社会的排除を目指し続けることは間違いない。
したがって、そのような男性向けコンテンツに対して愛着のある者は、必然的に仁藤夢乃とは同じ社会で共存することが不可能な、実存的な異質者として対峙することになる。
仁藤夢乃は、都から委託事業を受けており、その中で都からの指導に対して不満があるという姿勢を何度も示している。
これは逆に言ってしまえば、都からの指導に対して適切に対応できていない可能性が高いということを示唆している。
これは、明らかな弱点である。
行政の無謬性という法的な擬制がある。これは、行政行為(いわゆる行政処分、つまり許認可や行政罰、補助金の交付決定など)は裁判で覆されない限り、法的に正しいと見なすという仕組みである。
この、行政の無謬性を担保するために、役所は間違ないように慎重に仕事をし、自分たちが悪くないと証明するために膨大な文書という証拠を積み上げている。そして、万が一間違ってしまったときは大問題になり、間違いを起こした事業は改廃を余儀なくされたりする。
しかし、現実的に間違いは存在する。ただ、多くの間違いは些細なもので、そんなものを細かく指摘することは、手間や金がかかる割に意味が無く、自分の利害にも悪影響を及ぼすから、誰にも気づかれず無かったことになる。
稀にオンブズマンが重箱の隅つつきをするが、これは、政党や労働組合、市民団体といった人的・金銭的なバックアップがあるから、政治的目的のために手間がかかることができるだけである。
そして、役所はこのような事態が起きることを徹底的に避けようとする。
実は、私も開示請求で精査しようと思ったが(元地方公務員なので文書は読める)、金と時間の問題で諦めた。
しかし、金と暇があり、最高裁まで戦った実績のある男が現れたのである。
実質的に監査委員会が認容した段階で、戦略的には勝利している。
役人の立場から言えば、舛添以来の認容であり、それが出た時点で本事業や受託者はアンタッチャブルな存在になった。
「桜を見る会」は今後開かれることは無いし、「温泉むすめ」が今後何かの公的な賞を取ることも無いだろう。それと同じである。
ソフトウエア・ウェア開発者で、こんなことを言うとアンタッチャブルにされるような発言を教えてください。個人的には、以下の感じかな?
こんな感じかな。
馬の眼🐴
@ishtarist
子どもに性的なコンテンツを強制的に見せたら虐待にあたるかもしれんけど、自分で調べて見る分には虐待じゃないだろ。
そんなに気になるなら、携帯なりパソコンなりにコンテンツブロッカー入れとけよ。
馬の眼🐴
@ishtarist
それとも何か?
https://twitter.com/ishtarist/status/1673015764977352704?s=20
こういう基本的なことを理解できないのだから、ネット民はだいたいフェミに毒されて頭がパーになっているわけです。
めいろまといえど間違っているわけです。
masamichi@ふふふ〜♬
@masamichi001
ちょっと思ったんだけど、AV女優がいけないんじゃなくて、周囲の大人達の“AV女優に対する偏見”が児童に有害となり得るんじゃないかな。
善悪の判断基準の根拠なんて「一定数の人間の総意」か「個人の人生経験の集積」でしかないやろ。
馬の眼🐴
@ishtarist
性的コンテンツを子どもに見せることより、セックスワークをしてる人に対する偏見や暴言を見せることの方が、よほど子どもの教育に悪いと思うよ。
子供のためには虐待と詭弁の両方
@mankodaisuki58
13時間
単に子供を盾にした同情論証でしょ。さすがにフェミニストも法的規制を主張するのは無理筋だとわかっているから。
https://twitter.com/mankodaisuki58/status/1673196008665407488?s=20
頭が悪い人は子供のためにとか馬鹿なことばっかり。あんたの差別を植え付けているだけじゃないか。死ね。人権侵害だし、お前のような退化した脳は生産性が低く、日本には不要なんです。
解同あたりはわかっているのかな?
@m_nsc
AV出演者がバレエの先生をやることを差別するツイートが流れてきたけど、「子供が調べて知るとショックを受ける」っていう差別理由は肉屋を差別してた大昔と全く同じでしょう。「それ」を社会がアンタッチャブルにしているからショックを受けるんでしょうよ
異常な差別主義者、だいたいネット民の全員、だから日本人は人権後進国の馬鹿ばっかりなんだわな
@sakuratsukisima
どうして18禁、エロについてこんなにも否定的な人が多いのだろう。
@sakuratsukisima
作品のゾーニングは必要。だけど、それに携わる人たちまで排除する流れには納得いかない。
作っている、出演している人たちの存在までセンシティブ扱いしないでほしい。
@bananahammock_l
良いんですよ大人はそう言うコンテンツとして面白いと納得できるし、棲み分けができるから。
でも小さな子供には難しいかも知れないのが分かりませんか?それが全てです。
ショックを受ける可能性があるのが分かりませんか?
Kei💉💉💉💉(維新より革新:リベラルだからこそ脱コロナ・反ツイフェミ)
@Kay_pivo
それはおかしいでしょう。バレエ教室は別。同じ名前で出ているわけでさえない。作品が18禁であることは、その人自身が18禁であることを意味しません。単なる差別です。全面的に月島さんを擁護したいと思います。
@bananahammock_l
16時間
めいろまさんと言う方のツイート見てほしいです。名前が変われば絶対に目に触れないと言い切れる確証は逆に何ですか?
もし自分のバレエの先生が持つAV女優としての一面を何らかの理由で子供が知ってしまった時、それを正しくジャッジすることまで求めるのは不可能だという話です
Kei💉💉💉💉(維新より革新:リベラルだからこそ脱コロナ・反ツイフェミ)
@Kay_pivo
16時間
めいろまさんのツイート読みましたが、職業差別的発想だと私は考えます。「汚いものを排除する」発想が見え隠れしませんか。「万が一」のリスクはそう大きなものですか?作品が18禁であってもその人自体は18禁ではなく、またそういう行為を伴わない別名義の通常の仕事で子供に触れても問題ありません。
@bananahammock_l
16時間
これについてはちょっと納得できました。AV女優やってるからって子供に関わっちゃいけないって世間が決めつけて引っ込んでろ!っていうのも確かにおかしな話だなと。
一方で教育者であったり所謂芸能人と言う方達はかなり難しい職業的な立ち位置でもあるのではないかなと思います
@sakuratsukisima
16時間
子供に関わるな
って
@bananahammock_l
·
16時間
いや、貴女が自分の子供とどう関わるべきか、どう教育すべきかは貴女の自由ですよ
同様に貴女以外の親が自分の子供をどのように教育すべきかも自由です
だから貴女以外の子供の親が「そういった職業についてまだ知ってほしくないから、まだ関わらないでほしい」と思う事も自由では?
@sakuratsukisima
·
15時間
あー
違いますよ。
子供がいるってことは、その子供の同級生とも関わるってことです。
子供いないですか?
いたらわかりそうなもんですけどね。
@bananahammock_l
いや、ぜんっぜん言ってる事違います。誰もそんな極端な話してないです。そのシチュエーションに合わせて私の意見を例えるのであれば、貴女の子供が生まれて教育施設に通った際に、同級生の親が自分の子に貴女の子供と仲良くするなとか貴女の家に行くなだとか言う可能性もあるって事ですよ
子供とかかわるなとか言っているやつ、早く死ぬといいのでは?老害以前に頭おかしいわ。
そもそも見せないとか発狂すること自体が虐待なので、フェミとネット民は頭がおかしい
馬の眼🐴
@ishtarist
子どもが性的コンテンツに触れることそのものが虐待だという論調が、正直あまりよく理解できないのだけど、これって具体的にどういう状況のことを指してるの?
むしろ、子どもに性に目覚めさせたくないというパターナリズムの方便でしかないように思えるのだけど、間違ってる?
kei@bluepoint
@KBluepoint
19時間
私もそう思います。
必要なのは触れさせない事ではなく、相手を尊重する姿勢を育む性教育です。
尊重しない事がその子の性癖であるなら、それはファンタジーにとどめておくとか、合意のプレイ相手を探すとか、でもたぶんそこまで突っ込んだ教育できる人は難しいでしょうね
kei@bluepoint
@KBluepoint
19時間
そこを全く無視して綺麗事だけをやっても、欲望の本音と建前がズレてしまうだけだし。
しかし、重要なのは、全く触れさせないという方針で育てられた人は、むしろ望まない相手に寄って来られやすいんですよ。
性的なコンテンツに触れさせない、タブー視を刷り込むというのは、
kei@bluepoint
@KBluepoint
自分の欲望も自覚できない、否認する人間を作り出すという事で、それは他者からすると、あんたはお呼びでないと自分側は否定されずに、一方的な加害がしやすい相手という事になるからです。
性的な事にオープンで自由な環境で育った子より、性的なコンテンツに一切触れさせず、
kei@bluepoint
@KBluepoint
19時間
自分に自信がない馬鹿が多い(その反動で正義面する)のはエロから遠ざけられているから。あなた方は虐待されて頭がパーになっているわけです。
・ランボー2
敵兵から泥の壁にピントが移ってぎょろりと目玉が現れるとこ
・スターウォーズ ep6
粛清シーンで警官に扮した殺し屋が膝立ちで狙いをつけて撃ち殺すとこ
箸でハエ捕るとこ
ロメロだよそんくらい観とけ
・ソナチネ
雀荘の店主沈めるとこ
高橋の乗った車に手榴弾投げ込んで「車燃やしちゃってどうすんだよ」ってどやされるとこ
昔服を交換した浮浪者に"nice coat"って声かけるとこ
オープニングの出所で抱き合うとこ
逃げ回ってる内にGTAみたいになってくるとこ
川北後光でパワーローダーが出てくるとこ
ジョー・ペシの"Funny how?"でヒエッヒエになるとこ
お出迎えの人形が発火して溶けたのをねっとり映すとこ
ヒッチコックみたいなとこ
・妹が死んだ後青ざめまくった兄貴が取り敢えず寝るとこ
ドイツのおばちゃんが勝手に掃除して主人のおばちゃんにブチギレられるとこ
ジムキャリーが華爛漫踏むとこ
弾避け
避けきれなかった後にトリニティがエージェントの脳天にゼロ距離でぶっ放すとこ
手荷物検査でコートをガバッと開いた時に警備員が驚きすぎてすぐに反応できないとこ
feed me
・千と千尋
・BTTF
栓抜きの使い方をパパに教わるとこ
平日の、午後6時を過ぎたくらいだったと思う。
そのおじさんは横断歩道を渡ってきて、俺の1メートル前くらいを歩いていた。割と早足で、自分の前を歩いている人を、追い越し様に肩をぶつけて去っていく。
スーツじゃないけど身なりはこざっぱりとしていて、制服があるか、カジュアルな服装が許される職場で仕事をした帰りといった感じ。少し痩せ型。ショルダーバッグを肩からかけていた。
最初は偶然かと思ったが、わざわざ人がいる方向に向かって歩いていって、片足に重心をかけて肩からドンとやってるところを見ると明らかにぶつかる意図をもっている。
次の交差点では信号待ちしている数人を、ジグザグに歩きながら全員の背中を肩でどついて去っていった。皆、近づいてくるおじさんに気づかず、ぶつけられてやっと何があったか把握する感じ。その頃には、おじさんはずっと先を歩いている。
俺はスマホのカメラを起動して動画を撮ってみたけど、微妙に暗くてあんまりはっきり映らなかった。
ぶつかりおじさんはそのまま、地元でも人が近寄らないエリアにどんどん進んでいって、俺は追うのを諦めた。そこは所謂ドヤ街で、過去にもいろんな事件があった。カメラ持って歩くのは勇気がいる場所だしスラムが好きそうなYouTuberも何人か来てるようだけど、誰も本当にやばいところには触れないままだ。
山谷も西成といった他のドヤ街は否応なく浄化が進んでるけど、ここは変わらない。政治家も変えようとは言わないし触れないし、地元の誰も何とかしようとは絶対に言わない。どこもそうだが、団体がやってる炊き出しなどの支援はある。変化は求めずゆるゆると現状維持。
俺はぶつかりおじさんの話を近所の交番にスマホのカメラを見せながら説明したが、ドヤに入っていったとわかった途端にあーはいはいって感じで終わってしまった。さすがK県警クオリティ。
本物のぶつかりおじさんは、もう失うものもあんまりないおじさんで、おそらくかろうじて福祉と繋がってるようだけど、もう警察もアンタッチャブルな存在だった。
こういうとき、どうすればいいんだろうな。
某女児向け作品が男キャラしか出ない作品を発表し、割と燃えている。
近年子供向けターゲットだけでは成り立たないのか、いわゆる声優推しや過去の視聴者(大人)に向けたサービスが増えていたものの、流石にずっと女子キャラで続けてきた作品でその展開には少し言いたい人が多いのだろう。自分も懐疑派である。
男の影が嫌というオタクもいるにはいるにはいるだろうが、今回の問題は個人的に子供の方を向かない売り方に見えて気に入らないという考えだ。
自分は子供向け作品が好きだ。幼少期支えてくれたし、独自のポップでカラフルなデザインも好きである。また、子供の方を見て一生懸命作ってくれてたのが好きだったのだ。
当該シリーズも本当に大好きだったし、大きくなっても現役シリーズグッズを買っていた。しかし近年、子供というより大人を向いたマーケティングをしていることは正直否めない。
エログロ描写はない。あってはいけないと思う。しかしそこさえなければいいというものでもないのではないだろうか。
社会に向けた熱く激しいメッセージを放ち、放送後に「名言登場!」のようにニュースサイトに掲載される。新たな属性のキャラクターを出すごとに「史上初!」とやはりニュースサイトに載せる。ウン年出さなかったのは公式なのになんで自慢げなんだといつも思っている。そういう親宛なのか世間宛なのか分からないが、いい子とか進んでるアピールをするのがどうにも苦手だった。懐古で申し訳ないが、初期の暴れてるアンタッチャブル感に興奮したし、そっちの方が楽しかった。
しかも、そういった意識高いアピールをする割にアイテムが眩しすぎて怖いとか安全性はどうなのかという感想を載せられている。本末転倒としか思えない。意識高い作品を作るなら相当な覚悟と気を使うことが必要であろう。
……などとは常々感じていた(凄く好きな最近の作品もある)が、子供向けなら子供が楽しければいいかと堪えていた。しかし大人向けの新プロジェクトが始まってしまったのだ。子供向けシリーズの名前でやる必要あった?と言わざるを得ない。いくら話が良かったとしても、ターゲットの設定がどうにも気に入らない。(個人的に男キャラが沢山出てくる作品にも好きな物は多いが、なんでも組み合わせるものでは無いという立場だ)
だいいちアニメチックに可愛く活躍したい男の子に向けた男キャラをようやく最近出したのに、すぐさま大きな女のお友達向けな男キャラを大量に出してくるのは、男の子が可哀想である。そんな活躍の仕方しか出来ないのかとなりそうなものだ。
子供の気持ちだと、意識高くて難しい子供向け作品より作画もよくグッズも豊富で色々な人が活躍していて大人達も真剣に楽しんでいるような深夜アニメの方に興味を示すのが当然であろう。
具体例を出して申し訳ないが、セーラームーンが未だに多くの元女児達に熱狂的に愛されているのはうさぎの物語に終始し完結させ、その物語をずっと大切に扱った売り方をしているからであろう。未来のうさぎの姿も既に出ているしスケールが大きくファンタジックであることも大きい。元女児はいま社会で頑張っているだろうが、キャラまで大人になりリアルの社会で頑張る必要もない。
だからこの作品も大人向けにしたいなら1回子供向けの方に区切りを打つか、ひたすらメルヘンな大人向けに終始した方が良いと思う。
区切りが着いた方がいいなんて思いたくなかったが、公式にはもう少し過去のファンと今の子供を大切にして欲しい。した方がいい。