はてなキーワード: 門前払いとは
勤務先の電話番号とかLINEまでチェックしてきて上司の連絡先を この男誰?消せよ って言ってきた時は本気で馬鹿かこいつって思った。
知らない間にSNS類全部漁られてて(高校時代の投稿まで探られてた)、俺以前に付き合ってた奴らにプレゼント貰った時の投稿全部写真撮ってるからまだ使ってるもの全部捨てろって言われた事もある。
好きなバンドの限定グッズ、服、ゲーセンでとってもらったフィギュア、マンガとかCDですら全部ダメ。とにかく元彼に貰ったものは全部捨てて欲しい! 一個一個チェックして全部わかってるから! って言われた。うざすぎる。
昔の投稿掘ってスクショまで撮るってストーカーじゃないの?彼氏だったら許されんの?気持ち悪すぎた。
一緒に買い物行って、店員に何か相談したり談笑したりしてたら勝手に機嫌悪くなって遮ってくるのもマジで鬱陶しい。お店の人まで"知らない男"にカウントして勝手に嫉妬するって流石にアホすぎでしょ。
あと欲しいもの(40万ぐらいのギター)があってずっと節約してお金貯めてたから出費きついときはデート断ったりしてたんだけど、やっと買えてインスタに載せたら 金欠だって言って俺とのデート断ってきたのにギター買う金はあるんだね って言い出して 俺と趣味どっちが大事なの? とかLINEで説教してきたのも無理すぎた。
あとそのとき片方に全額負担させてデートするの対等じゃなくて嫌いだから奢ってもらってまで行きたくないってはっきり言ったのに 俺がお金出すよって言っても断ったじゃん それって俺のことその程度にしか思ってくれてないからだよね って勝手に解釈してキレたのが本当に謎。話聞いてた?日本語理解出来ないのかな?
ていうか、むしろ何で私の中で趣味より自分の方が優先されて当たり前だと思ってるんだろう?趣味も大事に決まってるし比較すること自体不毛なんですけど。
それと後輩のバンドのライブ行くなってキレられたのも何回思い出してもムカつく。私からしたら大学時代のサークル仲間の方が付き合い長いし、別にジャニーズオタクとかみたいに追っかけで見に行くんじゃなくて、普通に後輩応援したいだけだし。
結局行ったけど、飲み誘われても絶対参加するなとかこれからは必要以上にその後輩と会うなとか束縛してきたり、今後そっち方面の友達に会う時用の門限本気で決めようとしてきたのが本当にうざすぎた。
挙句 バンドマンなんか皆クズな男ばっかり、その後輩だって同じかも知れないじゃん 俺は心配だから厳しくしてるんだよ? だそうです 何様だよばかかよ。何故彼女の友達や後輩を目の前で遠回しにクズ呼ばわり出来るんでしょうね?頭大丈夫?
心底うざいし呆れてたけど付き合う前は普通に面白くていい奴だったし、お互いの為にも別れてもう一回友達としてつきあって行きたい気持ちが最初はまだあったからそのことを伝えて話し合おうと思ったら、そこからがまた地獄。
俺のことその程度にしか見てなかったって事!? とキレられ どうせ俺なんて消えた方がいいとか思ってる? とか誰もそこまで言ってないのにネチネチ病まれ あとから夜中3時過ぎまで延々とLINE送られ 面倒くさいってレベルじゃなかった。
その後も何度か別れ話に持っていこうとしたけど都度、冷静に話し合える状況じゃないぐらい病まれて話にならない。自殺ほのめかされた事すらある。
さっさと別れたいけど もし本当に脅しじゃなくてガチで自殺したらって考えたら別れられなくて本当クソ。最近のニュース観てたらどうせストーカーに発展しても警察は助けてくれないの分かりきってるし。痴話喧嘩のもつれか何かで片付けられて門前払いされそう。間違ってはないけど。
なんでたかが彼氏のことで仕事以上に気遣って理不尽我慢して 仕事の何倍も疲れないといけないんだろう?病みたいのはこっちだよクソが。
早く別れたい。
せめてインソールをオーダーすれば良いのに、そうしない
何らかの疾患があったり、経済的な困難を抱えているなら、
医療機関/公的機関(門前払いにならないようによくよく制度を調べた上で)に相談すれば良いのに(物によっては高額医療扱いに出来る)
その結果、上級(主に公務員) 無罪
L 様々な制度をわかりやすく説明する義務を果たしていないが何ら責を負わない
顧客の様々なニーズを掘り起こすのは、経営者 や 経営企画 や 商品企画 のお仕事ですし、
様々な公的機関の人たちは、何らかの疾患や経済的な困難を抱えている人、検索やお勉強があまり得意ではない人にも、わかりやすく説明/公開することがお仕事ですが、
それらのお仕事をしない人たちに対して非常にお優しいです
では、この非常にお優しい人たちは誰に対してもお優しいのでしょうか?
いいえ、ちょっとした、サービス業での 不手際/不満足 にネットで文句を言いますし、
同僚の仕事のしなさも 愚痴愚痴 文句を言いますし、文句が言いやすいとこには言います
ハーバード卒業式(2007年)でのスピーチ https://youtu.be/AP5VIhbJwFs
同じ、自称XX や 中二病 なら、「言いやすい」「やりやすい」ではなく、
よくわからんけど、精神保健福祉士が在籍するカウンセリングサービス使うと良いと思う
門前払いや、傷つく事こと言われるのは、困るね
上記エントリを書いた増田である。チラ裏のつもりで書いたのに反響が多くて驚いた。しかし己の気持ちを文章で伝えることがいかに難しいかということも実感した。何点か補足・追記したい。
何人かの方が、昔VS今という文脈で文章を読まれたようだ。それは少々違う。昔に戻るかと聞かれれば私は否と応える。豊富なコンテンツが溢れる現在のオタク生活は最高だ。十分に楽しんでいる。しかしコンテンツ方面に問題はなくてもコミュニケーションの方面では多少齟齬があるという話だ。タイトルに書いたように"少しだけがっかり"であって"大いに絶望"ではない。あまり二元論的に捉えずに頂けると有り難い。
ライトオタクに対するディスだ、と反応された方もいる。私は思う。ライト層をディスって気持ちよくなれるならとっくにそうしている。ライト層を見下し異物として切り離すことが上手くできなかったからこそここで長文を書き散らしているのだ、と。
私が「今のオタクのほとんどはオタクコンテンツを嗜むだけの一般人である」と書いたのは、オタク気質のある人だけがオタクだとアピールするためではない。大げさに言えばそのように認識しないと精神を安定させられなかったためだ。ただの苦肉の策だ。
異国の地で日本人に会うとなぜか親近感や安堵を覚える。同じ日本人という共通の言語、文化、常識などの背景の文脈を共有できると思うからだ(その文脈がどの程度共通しているのかはさておき)。オタクという言葉にもそれと似たような作用があると思う。相手が自分はオタクだと紹介してきた場合、オタクという言葉に含まれる文脈を背景として共有できるものだと思っていた。それは研究熱心さ、多少変わった人であること、後ろ指を指されがちであること、また劣等感であったり、周囲に馴染みにくいことなど、ネガティブな側面とポジティブな側面を雑多に含めたイメージだ。オタクであることを隠して生きてきた私にとって、相手の属性のひとつにオタクがあるということは安堵を感じさせる要素だった。同じオタクの前では自分を過度に虚飾しなくてもいい、劣等感を感じることなく己のコンテンツへの造詣を語っても構わないという安心感だった。
その感覚を抱いてSNSを始めたのが良くなかったのだろう。相手がオタクだと名乗ると、オタクとしてのもろもろの背景を相手も共有しているだろうと勝手に期待してしまった。そこから先はお察しである。もはやオタクにネガティブなニュアンスなどなく、皆パリピだった。
私は自分のオタクに対する認識をアップデートする必要に迫られた。彼らをオタクである、と認識すると勝手に同一視して期待してしまう。期待することをやめられない。ならば彼らはオタクでない、オタク趣味を嗜む一般人であると定義したほうが勝手な期待をせずに済む。しかしその定義には副作用もあった。同じ文脈をひとり共有できていないという孤独感をもたらしたのである。なので一抹の寂しさを感じていると書いた次第だ。
これはオタク論のような大きな話ではない。パリピになれない陰キャの悲哀とでも述べた方が正しいだろう。そしてオタ気質の人間/そうでない人間のすれ違いもそれと並列に存在している。この話にオタクは関係ないと看破したブクマカがいたが、素晴らしい洞察力だ。ネガティブな気質を文脈として共有しないと他者に対して自由に振る舞えないというコミュ障の話でもあるのだ。そしてオタク文化が大衆化する前は文脈の共有が容易かった。
何人かの方からは、気の合う人間とだけ付き合えばいいというアドバイスを頂いた。正論だ。しかし私の場合、絵を通じて人と関わることも多いのでなかなか難しい。私の絵が好きだと言ってくれる人を気質が違うから関わるなと門前払いすることはどうにもできそうにない。私は彼らのことが嫌いではないのだ。ただ寂しさを感じるだけだ。しかし昔オタ趣味に耽っていたころは一人が当たり前で寂しさなど感じなかった。SNSを始めた途端に寂しさを感じ出したというのはなんとも皮肉なものだ。
世の中クリスマスですよね。
この時期、街のイルミネーションを見たり、ネットで非モテ男女の孤独な慟哭を見るものいとをかしという感じだが、みなさん一つの文化に振り回され過ぎじゃないですかね。
年々国際化する日本で、ここに住む人々が年末のこの時期をどのように過ごすのかに興味があって、神社、教会、寺などを写真に収めてみたかった(別に上手くはない。思い通りの光を撮る方法も知らない)。
なのでクリスマスイブ前日の23日に、前から興味はあったが、なんか門前払いされるんじゃないかと思っていけなかったモスクにいってみた。
予報は曇りだったので傘をもたずに出たが、小雨が降ってきて、肌寒かった。
東京ジャーミーは1階がトルコ文化の交流会館、2階がモスクだった。
写真撮影OKとのネット情報を得ていたが、「商業撮影、美術などで撮影する方はひと声かけて欲しい」との注意書きがある。
気になったものを気になったタイミングで写真を撮っていくつもりだったが、ここは宗教施設であって、信徒にとって神聖な場所であるので、指示に従う事にした。
1階の交流会館でヒジャブをかけた女性に「美術の興味があるので写真が撮りたい」旨をつたえると、すこし逡巡した様な感じで、責任者っぽい人を呼びにいった。
しばらくしてヒゲを蓄えた壮年のムスリムの日本人男性が現れて「写真を撮るなら、イスラムの正しい知識を得てからにしてほしい。しばらくすると、館内を案内するツアーが始まるので、それに参加するのを期待する。」という様なことをいわれた。
美術に興味があって写真が撮りたい、というところが引っかかったようで、広告や美術でイスラムの文脈を無視してイスラム的なビジュアルを使われるケースを懸念しているようだった。
なるほど、その懸念は分かるし、もし自分がイスラム的な美的要素で何かを作ろうとしたときに、精神と関係なくビジュアルだけを抽出するのも「志が低い話だ」と思ったので、館内のイスラム解説の書籍を読みながら待つ事にした。
サラッと読むと
・ムハンマドは元々商業をいそしんでいた時期があるので、商業取り引きの話が結構出てくる
・ムハンマドは既婚者で、姉さん女房、もともとムハンマドを雇用していたが、彼の機智に感じ入る所があり結婚した
・非ムスリムは地獄に堕ちるとはっきり書いており「イスラムが正しいのは自明」という前提だが、同時にムスリムへの改宗は決して強制してはならないとも明言している
という感じだった。
しばらくすると、ツアーが始まった。
会館にあつまった見学者の前でイスラムやトルコについて熱弁する先ほどの先生。
日本でイスラムやムスリムについてあまりにも知られていないという事で、とにかく「知ってもらおう」という熱意がこもっており、しばしば時間をオーバーした。
・貧しい人との分かちあいを大切にしており、食事の振る舞いはイスラムにとって大切な行為である
・イスラムの世界では神と人(その他)には明確な上下関係があるが、それ以外は全て平等
との事だった。
しばらくして礼拝の始まりをしめす館内放送がながれ(言葉は分からない)、2階のモスクに上がる事にした。
モスクは土足厳禁。
靴を脱いで館内に入り、見上げると、白亜のドームの頂点にアラビア文字のシンボルがあり、その周囲を赤やシアンの繊細な文様が踊っていた。
館内は白、赤、シアン、紺、黒、ゴールド、緑で、文様やアラビア文字があしらわれた色鮮やかな空間を形作っていた。
教会におけるマリア象のような人間の様を象徴したシンボルはなく、偶像崇拝への禁忌をかなりストレートに守っている。
そういった具体的、象徴的なものがないので、装飾はアラビア文字であったり、植物を単純化したパターンであったり、幾何学文様であったりする。
モスクの中は照明が押さえられて薄明るい程の感じで、正面のゴールドの燭台が輝いていた。
先生がモスクについて解説している最中にも、在日のトルコ人や、たぶんアジアのムスリムが礼拝をしている。
・イエス・キリストもイスラムにとっては予言者の一人ではあるが、クリスマスはムスリムにとって大きな意味はもたない
・基本的に太陰暦なので、生活習慣としての1年の区切りがちがう
・幾何学文様はイスラムの宇宙の姿を表したものということであり、つまりはユダヤ教のカバラや密教の曼荼羅のような方向性のモノ(この例えは自分の解釈)。当初先生が懸念を示したように、たしかにこういったモノを文脈無視で使うと変な表現にはなるように思う
ということだった。
これから日本にマレーシアやインドネシアの人も来るだろうし、年末のお休みにモスク見学をして、多様な日本社会に思いを馳せるのもいいのではないでしょうか。
ちなみにモスクを出る時に、脱いだ靴にくしゃくしゃのペーパータオルを捨てられていて、「宗教施設に来てるのに志が低いのがいるなあ」とはちょっと思った。
これは昔作ったau walletカードを再び使おうとふと思った一年くらい前の話。
au walletはauが提供しているデビットカード。デビットカードはざっくり言えばクレジットカードの読み取り機で使えるキャッシュカードみたいなもので、au walletはじぶん銀行というKDDIと三菱UFJ銀行が提携するサービス上に口座から引き落とされる仕組みになっている。
僕は学生時代に父と一緒にauとキャリア契約を結んでおり、電子決済に興味もあったためau walletはサービス開始直後から使い始めた。
しかし大学卒業後いろいろありauのキャリア契約を解除し、プライベート用にmineoのドコモ回線を契約して使っている。
じぶん銀行やau walletのIDはキャリア契約を解除しても利用可能なためmineoと契約してからもしばらくは使ってはいたが、ポイントサービスの使い勝手の良いLine payやクレジットカードの楽天カードを使うことが次第に増えて、au walletの存在は忘れかけていた。
auとの契約解除から2年近くたったころ、家計簿アプリのZaimとau walletカードが同期できることに気がついた。日々Zaimへの書き込みに疲れていた僕はその機能を活用しようと財布の隅からau walletカードを取り出した。(今ではLine payカードもZaimで同期可能だが、当時Zaimが対応しているデビットカードはau walletだけだった。)
しかし困ったことにパスワードを忘れてしまっていたためにZaimと連携できなかった。
パスワードの再設定はauユーザーのキャリアメールアドレスから行う仕様になっているが当然僕はもつそんなものを持っていない。再設定の質問も答えが思い出せなかった。
「『パスワードを忘れた場合』から申請を送ってキャリアメールから再設定しろ」という風なことが書かれた凡庸なFAQを読み落としがないか舐め回すように読み、Google先生に様々なキーワードを打ち込んだのち、考えあぐねた僕はauのカスタマーセンターを電話をかけた。カスタマーセンターにおられるプロフェッショナル様はFAQを代読なされたのち言葉尻は丁寧に「そういった話はキャリアショップでやれ」ということを仰った。
この時点で僕はもう諦めモードであったのだが、ものは試しとショップに駆け込んでのだ。
そこでの対応は案の定というべきか、「auユーザーでないのならログインは行えません。」の一点張り。こちらの話を聞いていたかも怪しい。auのキャンペーンで鬼ちゃんに扮する菅田将暉そっくりの髪型をきめた、そんなちょけた若い男の店員に軽蔑の眼差しを向けられつつ僕は諦めて逃げ帰るように店を出た。
でもねau walletはキャリア変更しても使えるってアナウンスしているわけじゃないですか。(https://www.au.com/support/faq/view.k1451327106/)
これってau walletの利用を認めているってことでしょ?だったらユーザーページ見れるように手配してくれると考えてもおかしくはないでしょ?それでショップに足を運ぶのってそんな非常識なことなんだろうか。
そりゃキャリアを辞めた以上カードに機能制限がかかるのはわかるけど、ユーザーページであるMy auがau walletを閲覧できないまま何の補償もせず門前払いして放置するってどうなの?デビットカードって金融商品だよね?
パスワードを忘れたらもうMy auにはログインできないというならはっきりアナウンスしておいてほしいし、こんな朴訥な運営をしているならauキャリアを解約した時点でau walletも使えないようにした方がいいのではないだろうか。
そして僕が一番気がかりだったのは店員の態度だ。僕がその時点でauと契約していないことから彼らは「auとキャリア契約を結んでないなら俺の客ではないし」という態度だった。でもau walletを所有している限り僕はau walletというサービスを使うことを許されたれっきとしたauユーザーだ。FAQに書いてあるような根本的なことをなぜ彼らは理解していない?キャリア契約解除済みのユーザーがMy auにログインするにはIDの代わりに「(使用していた電話番号)_(解約した日の年月日)」を用いるのだが、そのことも把握していない様子で、何度もIDを聞かれて参ってしまった。
今振り返っても彼らは僕に「auユーザーでもないのに乗り込んできた情弱」とレッテルを貼り、自身のau walletへの勉強不足を棚に上げて検討違いの回答を繰り返していたように思えてならない。
これって僕が悪かったのか?何が悪かったんだろう。
大した買い物もしない癖によく考えもせずau walletカードなんかこしらえたこと?
情強ぶってコスパがどうとか言って天下の3大キャリアからMVNOに乗り換えたこと?
スマホのアプリとカードを紐付けしたいなんて些細な理由で電話問い合わせやショップのカウンターに相談しにいったこと?
自分の欲求をこれ以上なくわかりやすく単刀直入に説明するだけのコミュ力が僕に備わっていなかったこと?
「au解約してもmy au使えるっていってるけど、パスワード忘れたら本人確認できないしもうログインできません再発行の対応も致しかねます。」なんつう変な状況作り出したのはauの落ち度だし、客がそういう問題抱えているということを理解できなかったのは店員の落ち度だよね。まあ店員はどうせバイトとか派遣とかで、ろくにauの商品なんて使ったこともないだろうから責めるのは酷だろうけどね。
でもこれってauが自分の落ち度を認めなきゃ客は納得できない状況ではあると思うんだよね…それを客を馬鹿にして追い返すってさあ…誠心誠意謝れってわけじゃないけど「すみません」の一言くらい言えないもんなのか?今更何言っても仕方ないけどさ。
元増田のもとに意味わからんことおっしゃるお客様が連日訪れるのは想像に難くないけど、実のところ増田もそんな詳しくないんでしょ?せいぜい「iPhoneはアップルが作ってること知らないなんてありえねー」っめマウント取るのが関の山なんじゃないの?中にはそういう店員が取りこぼしてる人もいるかもしれないってことを少しくらいは考えてあげればいいのにと思った土曜の朝。
日本のIT業界は一部のエリートマネージャもしくはソフト開発者以外の技術者は何故か人権が軽くなる
客が業務している間は徹夜してでも待機しろとか夜勤は段ボール布団で十分とか、環境を整えたんだから年収300万程度でも十分だろとか
最近だとセキュリティーの関係上、トイレ行く時間が1日2回で行けなかったり我慢できない人はペットボトルにするとか当然のような顔で言われた
官公庁の中にはセキュリティー漏洩を防ぐ目的で委託業者に向けた監視カメラが多数設置されていてあくびをしたりすると苦情が本社に入りあくび禁止になった技術者もいた
中国のような人の管理が「セキュリティーの都合」と言う理由で当然のように行われている
外部に繋がる通信機器の持ち込みと操作も禁止されていたり5分置きにフリーズするパソコンをなんとか頑張って使っていたエンジニアもいた
設備の更新を要求すると契約外の事は知らんと聞く耳を持ってくれない客と会社がいたりした、残業前提の業務を当たり前のように要求し受け入れる会社もいた
「環境を整えたんだから年収300万程度でも十分だろ」と言い出したのはベンチャーを自称する会社だった
会社は学校じゃねーんだよと言い、自社の社員以上に出来る人以外は門前払いする自称ベンチャーもいた
設備は真新しくパソコンも一時期話題になったビズリーチ並だが一般社員の給与がめちゃくちゃ低い(下手したらコンビニバイトより低い)web企業もいた
なぜ日本のIT業界は一部のエリート以外の技術者の人権を軽く扱うのだろう?人として生きていけない所か人格攻撃まで当たり前だ
人手不足ではなく「低賃金でどんな仕事も出来る人が不足」しているだけではないだろうか?とにかく日本のIT業界の一部のエリート以外の技術者の人権は金よりも軽い
今社会の変革期だし良くも悪くも日本の景気が停滞から抜け出そうとしているので、釧路で出来るビジネスってのはあると思うんだよ。でも、問題はそんなところじゃなくて、その釧路で出来るビジネスってのは、釧路じゃなきゃできないのか? って点にあるんだよね。水産でも恒常でも避暑でも観光でも、釧路以外でもできちゃうってのが、おそらく最大の問題。
日本の行政は制度的にも同調圧力的にも機動力が低く、官僚的で、悪い意味で民間にたいして他人事でしょ。釧路で何かビジネスをしようとしても、地方行政からの援護はお定まりの書類書いて受け取る補助金以外には期待できないし、それってほとんど全国どこの自治体でも同じ補助を受け取れる。地方行政が何か相談に乗ってくれたり、調整してくれたり、一緒に汗をかいてくれるってことはない。
夕張があのざまになった現在においても、役所は危機感がないし、持ち込まれたビジネスがあまりにも新規である場合、門前払いをしたり、邪魔をしたりしてくることすらありえる。つまりその意味でも釧路でなきゃいけない理由がない。
逆に言えば、腰を据えて協力してくれる行政の人間や地元商工会だの商店街の人間がいれば、それだけで差別化の原資になるということでもあるんだけどね。新聞でニュースになるような地方活性化の事例は、ほぼ例外なく、要するにやる気のあるその個人がその場所にたまたまいたってことにすぎない。
笑っちゃうよね。国会で総理大臣を始めお歴々が地方創生とか熱弁を振るっていても、結局、周囲の白けムードを無視してがむしゃらにマニュアル無しでも体当りしていく個人がその地域いなけりゃ、カタチにならないものを期待してるなんてね。でもそれがおそらく、多くの現場の現実だ。
スペックの欄に書いた通りうつ病を患っている。そのため仕事ができない。
原子力関係のシンクタンクで働いていたところ、ある日ストレスの多さから突然自殺未遂をし、以降休職している。
しかし先日、精神障害があるのでこれ以上雇えませんという宣告を勤務先から受けた。
ハローワークに行って障害者枠で仕事を探そうとしたが、「主治医から『仕事ができる』と言われないと仕事探しは出来ない」と門前払いされた。
大学の非常勤講師にでもなるかと思ってJrec-INを見てみても、能力的な面や専攻的な面、そもそも業績を上げていない(零細学会で一回発表しただけ)より、自分が出来そうな講師職はなかった。
理系の研究職ならまだあるだろうが、文系で「若者の『地元意識』を数理統計的アプローチから明らかにする」という謎研究を修士課程でしていた身としては、研究を生かせる職があるとは思えない。
SPSS(重回帰分析・二項ロジスティック解析)とかEXCEL太閤、KH CODERなら何とか使えるが、それらが使えても何の足しにもならない。
プログラミングや数学(高校時代文系クラスだったため数ⅢCは受けていない)、英語が出来ないため、プログラマーとして働くこともできない。
実家に帰って仕事を探すにしても、実家は熊本の山奥である。一件だけ工場のライン工があったが、体力がないので長続きはしないだろう。土木作業員や警備員も同様の理由から候補から外れる。
普通免許も持っていないため、できる仕事も限られてくる。外回りの営業職はまず無理だろう。
そもそもコミュニケーション能力が皆無だと医者から言われたため、高度なコミュニケーションや感情労働を要する仕事(コンビニやファミレス、居酒屋の店員、営業職)も向かないだろう。
結果できる仕事もほとんどないことになる。フリーターすら無理である。バイトすらできないなら詰みである。
しかし家賃(6万7000円)を払うのもやっとで、生活できるとは思えない。
親に金を無心するにしても、実家もお金がほとんどないとのことなので、お金を無心することは出来ない。
社会保障の緊縮化が叫ばれる中、生活保護を受給するのも難しいだろう。
貯金も尽きそうになる中、お金がないのは致命的である。東京の自宅を引き払って実家に戻るにした場合、恐らく二度と東京には戻れず、実家に軟禁され続けることだろう。
その場合仕事もないし一生ニートになるしかないが、その場合貧乏な実家にさらに迷惑をかけてしまうことになる。
宝くじ一等当たれば話は別だが、そうでないなら人生詰みである。
コミュニケーション能力がないためコンビニバイトすら務まらないということは先述したが、コミュニケーション能力の欠如は友達がいないという形でも顕在化する。
友達がいなければ自身が抱える孤独とかを吐き出せる相手もいないということになる。また、友達がいないことは社会から孤立していることを表している。
社会から孤立している人が人的資源を使って今の窮状から脱することは出来ない。詰みである。
大学時代、オタクコンテンツの消費者のインサイトを探るための参与観察の一環として漫画研究会に所属していた。そこで友人関係を築いておけばよかったと後悔することしきりである。
うつ病をり患しているという事情も勘案せねばならないが、それを差し引いても日々の生活の楽しみがまるでない。
戦隊モノや仮面ライダー、ウルトラマン、一部の深夜アニメ(日常系)が好きだったのだが、最近そういうのを見ても面白さとかを感じることはなくなった。ゲームも同様である。
成城石井に行くために秋葉原に行くことが結構あるのだが、そこでアニメや漫画、ラノベ、ゲームを楽しんでいる人を見ると嫉妬で頭がおかしくなりそうになる。
そのほかに楽しみがあればいいのだが、それもない。大学学部生の頃までは鉄道模型とかトンネル巡りとかしていたのだが、お金がないせいでそういった趣味にももはや手を出せない。
楽しみがなく生ける屍になっている。楽しみがなければ生きる希望もない。生きる希望がないことは人生詰みである。
自殺すれば楽になるとは思っている。他人に迷惑をかけ続けている以上、けじめとして自殺しなければならない思っている。しかし自殺すらできない状況である。
先日も神奈川県のダムで自殺未遂をして警察に保護され、父親が迎えに来たが、熊本から神奈川まで往復数万円かかった。そういった経済的支出が出来るほどの余裕は実家にはない。
今度自殺未遂したら一生実家に軟禁するぞと両親から言われた。実家に軟禁されれば仕事することも、金を稼ぐことも、鉄道模型やトンネル巡りもできなくなる。
実家の通信回線は貧弱なので、アニメや特撮をインターネットで見ることもできない。
つまり、今度自殺未遂をしたら仕事もお金も友達も楽しみもすべて親により永遠に奪われることになる。それだけは何としても避けたい。
今年末にスピリタスを一気飲みして自殺しようかと考えていたが、それもかなわぬ夢となりそうだ。
家族や周辺の人々に不幸をまき散らしている自分がいてよい道理などない。詰んでいる人生から離脱することすらできない。これを地獄と言わずに何と言おうか。
実家に戻ったら二度と東京には戻れないし、働けるような職もない。つまり一生ニートでいることが確定である。何としてもそれは避けたい。
だからと言って東京にい続けるにしてもランニングコストがかかりすぎて、お金を費消することになる。お金が無くなれば生活できなくなり詰みである。
次自殺するような真似をすれば実家に一生軟禁確定である。だからと言って無駄に生をむさぼっていても詰んだ状況から脱出する術は一向に見いだせない。
結局自分の人生は詰んでしまったのだ。自殺できないので、来世に期待すらできない。
クソみたいな人生なので皆さん嗤ってください。
9時ー5時だってさ。
超理想的な定時出勤定時退社かよ。
それに合わせられなかったら自殺について相談する資格もなしだってさ。
……アレだな。
生きるか死ぬかそれを問題にしたいんだったらまずは仕事ぐらい休んでからにしろってことだな。
なるほどね。
たしかにそのとおりだわ。
ちょっとでも仕事をやめたら死んじゃうっていうなら、それはもう本当にソイツの命の価値がギリギリまで下がっているってことだ。
救う価値もねーわな。
生かしておいたら国の役に立ちそうだから救う意味があるんであって、死んでも特に国として損害が無さそうなやつは信者って問題ねーわな。
分かるわ。分かるわ。
そのとおりだわ。
いやー逆にスッキリした。
仕事辞めるわ。
とりあえず実家や親戚に適当に連絡して、縁を切ってもらったらナマポ申請だな。
まあどうせ通らねーか。
通らねーだろうな。
じゃあ適当に別の仕事探して、まともな仕事がみつからなかったら犯罪行為にでも手を染めて生き延びますわ。
つーかね……今いる会社でやってることが談合バリバリですでに犯罪に手は染まってるんだよねwwwwww
会社ぐるみの犯罪者から個人的な犯罪者にクラスチェンジするだけっていうねwwwwwww
マジワロwwwwww
1年と3ヶ月前の父の日に、高校生の娘とカービィオーケストラを観に行くという幸運(https://anond.hatelabo.jp/20170619135108)に一生の運気を使い切ってしまったように思われた私こと娘の親父の内緒日記である。
昨年、カービィ生誕25周年の特別企画で開催されるに至ったと思われるカービィオーケストラだが、それも過ぎてしまい次の節目は30周年だろう。30周年と言えば2022年4月27日であり、すっかり娘は成人してしまっているので、さすがに親父と出かけるなんてことにはならないに決まってる。
もはやここまでか、と物寂しい思いにふけっていた私に朗報が舞い込んだ。東京限定であるものの「カービィカフェ」なる飲食イベントが開催されるとのことだ。もちろんこの情報は娘が先に察知していたのだが、なるべく全種類を食べたいものの、メニューの種類が半端なく、一回でのコンプリートは望むべくもない、というのが娘の抱いた率直な印象のよう。
かつ、この手のイベントの料理は、それがサイゼリアだったら399円で供していたであろうパスタに対し、ちょっとしたピンクい小物を添えるだけで1500円に化けてしまうという、例えればプラレーラーがNゲージに片足を突っ込んだときに抱く感情と同質のものとも言え、つまり端的に言えば胃袋の空き容量に比例して財力も必要なイベントなのである。
カービィオーケストラの争奪戦を経験しているので、事は理解した。連れて行ってやるから面倒な手続きをクリアしたうえで軍資金を手配せよって意味だ。
学校の友だちは、こぞって iPhone であるところ、同じものを欲しいとは言わないで、通話用の F801i に加えて 15000円弱の中華製のシムフリーな泥タブという二台持ち体制に満足してくれ、その泥タブに使う通信用シムだって、友だちらはキャリア謹製シムで「ギガが足りない」って声を揃えているところ、「メガが足りない」と愚痴をこぼしつつも殆ど 0sim の無料枠で賄ってくれているので、突発的なイベントに限って少々財布の紐を緩めるくらいは親として受忍すべきと認識している。
「分かった。。。」
9月21日は17時50分からパソコンの前に張り付き、18時と同時にひたすら F5 を連打しまくる任務に従事するのだが、予約サイト側は Cloudflare を導入してるぽい割には全く繋がらない。チケピの客の9割がボットという話を聞いたことあるが、きっとボット達が動いてるに違いない・・・娘の誕生月は10月なので、10月分の予約争奪戦には決して負けるわけにはいかないのだ。
とっさに Visual Studio を起動させ、新しいプロジェクト → Windows フォームプロジェクト(C#)を選択した。
デフォルトで用意された Form1.cs に WebBrowser コントロールを貼り付けて、DocumentCompleted をフックし、WebBrowser にエラーぽいメッセージ(門前払い)が出力された時に Navigate し直すコードを書いた。たぶん10分かからず書けたと思うが、アプリはエラーなく直ちに起動した。
突貫で作った割にはそのアプリは非常に効率よく、おおよそ2~3分で門前払いを突破したのだが、「上記の内容を確認しました」にチェックを打って「予約する」のボタンを押しても反応がないではないか。相手(サイト側)がきっと(少なくとも) UserAgent を見て WebBrowser コントロール であることを識別しているに違いない。
UserAgent を偽装するコードを書く暇もないので、FireFox で F5 を連打する作業に戻った次第だが、平均2秒に1回は押していたと思うので、1分間に30回、つまりは計500~600回は押したであろう暁にようやく「予約する」のボタンが出現する画面に遭遇できた。門前払いを突破できたら後はスムーズで、人数「2人」と娘が指定した平日の日付を指定した。スカイツリーから都心の”カタワレどき”を眺めて下りてきてちょうどいい時間帯をチョイスし、無事に予約成立。
9月21日午後6時50分、私は無事にカービィカフェ10月分の予約争奪戦を制したのだ。
※当初は嫁の予定も考慮したのだが、どうにも合わない上に「勝手に行ってきたら?」だったことを書き添えておく
カービィオーケストラ・大阪へは距離が近いこともあって日帰りで行ったのだけど今回は華の大東京である。前日が日曜日なので無理に日帰りに拘る必要もない。娘に聞けば、土曜日は部活があるが日曜日は用事がないとのことだったので「せっかくなので前泊して観光しようか」と打診してみる。
この際、嫁の許可なんてものはどうだっていい。娘が行きたいと言えば、それが総てなのだ。
みなとみらい、山下公園、中華街、そんなアーバンな地帯へは嫁と行ったことがあるが、それが結婚前だったのか結婚後だったのか、更にはどこを回ったのか、昔のことすぎて全く記憶にないので、横浜は娘のみならず私にとっても新鮮であるに違いない。
休前日はどこも予約で一杯だったが日曜の夜は空いていて、中華街に程近いロケーションでツインを取れた。
あとは、20年ぶりくらいに横浜のガイドマップを調べてコースを選定するのみ。当時はガイドブックだったが、今はインターネットがある。
媒体が変わって、ページを開くかわりにマウスをクリックするような時代にはなったけれど、ワクワク・ドキドキした感覚は20年前と何ら変わっていない。
藤子不二雄はあまり好きじゃないようだから、川崎のミュージアムは喜ばないよな
八景島までなら何とかなるかな。
夜は中華だよな、だけどボッタが多いって聞くし、よくよく調べないと
もういつから生まれた文化なのかわからない頒布者による即売会会場限定オマケ本ペーパーコピー誌
会場に来た人に頒布物を購入した人に対する感謝としてのオマケ。
作家同士は横のつながり、その関係を築いた友好の印として頒布物のやりとり。
十分に理解出来る、頒布する側にとって当然の感情、表現であろう。
宣伝目的で過去絵として当時のサンプル掲載するのも一向にかまわんッッ。
だがしかし、それをたまたま見た人初めて見た人が「読んでみたい」となった時に
「会場限定です」「公開してないです」は門前払いもいいところだ。
その"会場限定"によって格差を被ってる人がいることをわかってもらいたい。
見れないのならヤ○オク、中古ショップ、果ては違法ダウンロードサイト、そうやってでも見ようとすることになるが。
意に沿わない行為に対してお顔真っ赤になる気持はわからなくもないが果たしていかがかなものか。
「見たい読みたい」という気持を持った会場入りできない人に対して、
作家に対して挑発的な発言ではあったが、頒布する側にはあぐらをかかずに考えてもらいたいものである。
閑話。同人誌、紙とデジタルのよもやまが話題になった。二次創作では性質上、やましいところもあるので仕方ないかもしれない。
がだったらTwitterでキャラ名作品堂々掲げてる様子には疑問を呈したいものだ。それができるのなら臆面もなくデジタルも取り扱ってもらいたいものだ。