はてなキーワード: 退職とは
高知に転勤する人がことごとく病んだりして休職ないしは退職、ギブアップを申し出るものだから今まで割とどこにでも適応できた自分に白羽の矢が立った
そんな青森でもあるまいし皆繊細すぎだろうって思ったけど来てみて納得
最初は風俗ではなく、見学店というところで働いていた。見学店というのは、マジックミラー越しにお客さんが女の子をオナニーするのを見るというどの層に需要があるのか分からない店である。詳しくは調べてほしい。
自分で言うのもだが、わりと可愛いほうだったので楽に稼ぎたいなと思い働き始めた。
しかし完全歩合制だったから、パフォーマンスの指名が取れないとその日の給料が0円で帰宅するときもあった。
給料が安定しないのにモヤモヤして、次はオナクラで働き始めた。ここはバック率が他店より良かった。でも、ここの客がいちばん気持ち悪かったかも。学園系のオナクラだったので、若い子が好きな本強クソ客ばっかりだった。そこではなんとか本指名のお客さんや良い同僚に恵まれたので、楽しいのは楽しかった。待機室も賑やかだったし、出勤するのが楽しみになるくらい。ここで頑張りたいと思ったが、風俗業界の閑散期に病み、他店へ移籍して新人として売り出してもらいこの閑散期を乗り越えることを決意。どんなに客入りが悪い時期でも、新人というだけで客がつくというマジックにあやかるため、オナクラから性感エステ店へ移籍。
性感マッサージはもちろん、前立腺マッサージまでみっちり講習を受けて堂々デビュー。しかし、こういう性感エステ店では、私のような若い女は売れにくいらしかった。少し成熟した女性の方がテクニックがありそうという理由で選ばれやすいためである。なので入店〜数ヶ月は本指名がとれなくて本当に苦戦した。たかが風俗されど風俗、本指名をとるためにテクニックを磨くため新たに講習を受けたり、ブログ更新を頑張ったりした結果、ちらほらと本指名がつきはじめ、出勤したら必ず1人はだれか本指名からの予約が入るくらいには持っていけるようになった。太客もついた。太客には本当にお世話になりました。多分月に50万は使ってもらってたと思う。風俗、それも1人の風俗嬢に月50万使うってすごいなぁと俯瞰的に思っていた。
お金がほしいというより楽して稼ぎたいから風俗していた私だったが、メイドさんになりたいという密かな夢があった。ちょうど性感エステ店に飽き始めていた時に行ったメイドカフェに感銘を受けて、すぐキャスト募集に応募した。
さすがに風俗とメイドカフェの掛け持ちをするのは勇気がなかった。バレが怖い。それにダブルワークは体力的に向いていない。性感エステ店を卒業することになった。
性感エステ店にラスト出勤したとき、最後の枠に人気もテクニックもない新人の頃から毎月かかさず指名してくれたサラリーマンの人が来てくれた。
嫌な仕事じゃなかったし、むしろ楽しかったから辞めるのは少し寂しかった。
そして今、念願のメイドカフェで働いている。とても楽しい。働けて良かった。働き始めた当初心配していた、「風俗時代の客がメイドカフェに来店する」という懸念事項は今のところ杞憂で済んでいる。
ここ数年の自分の経歴を振り返りたくなったのは、このコロナ禍の中ではあるが、就職が決まり、メイドカフェを退職する運びになったからだ。
風俗で出会ったお客さんもメイドカフェの常連さんもみんな等しく私は愛している。みんなに今まで楽しい時間をありがとうと言いたい。魔法が解けるという物言いはロマンティック過ぎるかもしれないけど、そんな感じがしている。
何社か関わってきたけど、人事、採用が下手すぎて組織崩壊してる会社多すぎるなぁと思ったので命令口調でメモ。
「どこの会社も設定してるから...」と形式的にミッション、ビジョン、バリューを定義している会社は100%失敗してる。
”ミッション、ビジョン、バリューが必要”というムードを誰が作り出したのかは知らないが、流されるな。
組織の状況や今後の運営から考えて必要なら定義すればいいし、そうでなければ別に定義しなくても構わない。
いずれにせよ、口に出すのが恥ずかしいイキった横文字をミッション、ビジョン、バリューにするのはやめとけ。
シリーズBとかCらへんの調達目処がたってくると、こういう目標を立てちゃうCEOがいるが愚の骨頂。
とりあえず落ち着け。
ビジネスが100%伸びる保証はどこにもないんだから、舞い上がるな。浮かれるな。
状況に応じて必要になったタイミングで必要なポジションの人を採用すればいい。目標数とか決めるな。
VCから「もっとドライブさせろ」とか言われても気にするな。人増やしてもドライブするわけじゃあない。
コンサル出身とか元リクルートとかだけで判断して採用をするな。
アク●ンチュアとか、デ●イト出身でマトモな人間なんて一握りだ。経歴なんて全く当てにならない。
実務能力があるか、組織にフィットするかの2つが全てなんだからこの2つを見抜くことだけに全力を注げ。
ちなみに経歴だけ立派で実務能力のない評論家みたいな人間を採用してしまうと、他の社員に悪影響が出て、優秀な社員はどんどん離脱する。
それでもいいなら好きにしろ。
求職者側が玉石混交だとかそういう話はおいておいて、会社側がノリで採用しようとしてないか胸に手を当てて考えてほしい。
社内で受け入れ準備、覚悟を決めていないのに「若手ほしいよね」みたいなノリで採用するのだけは本当にやめておけ。
入社後に教育する体制はあるのか、新規案件で逼迫してもそこにリソースはあてられるのか、その覚悟をしてから未経験採用を考えろ。
採用が下手な会社は人を見る目がないのに加えて、採用要件がお粗末だったりするから手に負えない。
前にいた会社はシリーズBの調達後に営業を増やすことになったのだが、「営業にITリテラシーいらないでしょ」という方針で採用活動をした結果、ゴリラみたいな営業が立て続けに入社することになった。
入社したゴリラ達は当然ながらSlackの使い方にも慣れず、スプレッドシート関数も使えず、Misocaで請求書をつくることもおぼつかず、何度説明してもHubSpot使えない、みたいな始末。
リテラシーの高い別の営業マンがゴリラ達の代わりに入力業務を引き受けることになり、嫌になって退職。
あとには大量のゴリラと人件費だけが残ったという地獄みたいなことが発生していた。
実際の業務から採用要件を定義してればこんなことにはならない。
めちゃくちゃ簡単なことなのに、世の企業のほとんどはこれができていない。マジで理解に苦しむ。
更には、昔からいたメンバーが大量離職して経営陣への信頼が揺らいでる残りのメンバーの前で
「30人、50人、100人の組織の壁ってあるから。どこも同じ問題起きてるよ。」
「これは成長痛です。つまり伸び代があるってこと。」
とか言っちゃったりする。
この発言をしたスタートアップから、その後に人材流出が止まったケースを見たことがない。
シリーズB、Cあたりの会社で、優秀な人がどんどん抜けて、優秀じゃない人をどんどん補充して、人数は変わらないけど組織としての戦闘力は半分以下になってるみたいなケースはかなり多い。
私はショッピングモールの中に入っている店のひとつに勤めている。
勤めているといっても1日5、6時間程度しか勤務しないパートだけれど。
大型から地域住民しか来ないような小型まで、いくつかショッピングモールに勤めたことがあるが
大体そういうところの従業員は従業員通用口を通ってバックヤードを通り出退勤しなければならない。
自分の勤めている店の目の前に外へ繋がる出入り口があったとしても。今まさに私はそういう状況。
とはいえ店の商品をのんびり見ながら従業員通用口に向かうのも私は中々好きだった。
化粧品を見ながら帰ったり、贈答用のお菓子を見ながらおいしそうなんて思いながら帰ったり。
しかしここ半月は気が重かった。6月初め頃、もっと前だったかもしれない。母の日が終わったあたりから始まった父の日フェアのせいだ。
私の父は「いい父」だと思う。
よく気が利き、男らしく、力持ちで。
九州男児のような所謂「言わぬが花」のような分かりづらいが気付けばじーんとくるような優しさもある。
こう書くと厳格な父親を想像されてしまうかもしれないが、おどけてみせたり、お茶目な一面もある。
マイルド九州男児?「九州男児」と聞いてイメージするいい所と、現代の若い男性に多い柔らかくて優しいところをどちらも持ち合わせている。
そして背も高く脚が長くて目鼻立ちもはっきりしているし顔もカッコいい。身だしなみのセンスもある。
若くして結婚し、母がすぐに出産。その後から今までずっと家族を責任を持って養っている。
とはいえ、浮気をしたり、多額の借金を作ったりと母にとって「いい夫」であったかは分からないが。
しかし、子供の頃それらのことには気付かなかったし(上記のことは母から聞いたので)
私は兄弟が多く、どちらかといえば貧乏な家庭で育ったが、今日食べるものにも苦労したり
仕事の愚痴を父の口からきいたことはないし、立派な父親だと思う。
渡しに行こうと思えば1時間あれば渡しに行ける距離に住んでいる。
気持ちについては「罪悪感」7割「やってやった」3割といったところだろうか。
3割の「やってやった」についてここまでの父のことを褒めちぎった文章だけだと私は超絶親不孝娘だろう。
虐待というのだろうか。被害はもう私が成人してからの話だから。
実は小学生高学年のあたりから高校生くらいまで兄からも性的な虐待を受けていた。
それが原因となって私は中高生の頃から精神が不安定で、人を心から信頼できず
表面上友人と仲良くすることはできても常に周囲に気を張って生活し、学校に行けば毎朝熱が出た状態で授業を受け
とはいえ、中高生の頃の不安定さについて性虐待が原因だと分かったのはほんのここ数年の話だ。
というより、ここ数年まで自分が性虐待されていたという自覚すらなかった。
それまでは私の個人的な性質や、容姿、性格が暗いから、悪いから、協調性がないから、空気が読めないから、最低な人間だから
そういうのが原因で上手に友人が作れなかったり、本来なら喜ばしいはずの友人付き合いがストレスになるような出来損ないなんだと思っていた。
まあもちろん冷静に考えてそういう原因がゼロではないと言えないのですべてを性虐待のせいにするつもりはないが。
少しでもこういった分野に興味のある人は知っていると思うし、興味があれば調べると思うから
所謂「自己肯定力の低さ」と「性被害」や「虐待」の因果関係については長々とした説明は控える。
私がそういった専門のカウンセラーに言われて一番腑に落ちたことを簡単に説明すると
「性格形成の時期に一番信頼できる身近の存在であるはず(あるべき)家族から酷い扱いを受けたのに外で出会った人間を信頼できるはずがない」
ということらしい。まあ確かに。
大人になった今思うと、家族など偶然で協同生活をしている集団でしかないので
家族なんかよりよっぽど信頼できる存在は外の世界にいるはずなのだが
私は強く家族に執着していたからなおの事家族については「一番信頼できる身近な存在であるべき」だったのだ。
というのも、父と私たち兄弟については生まれた時から親の方針で入信していただけだが。
母は父と結婚のタイミングでその宗教の存在を知り、今では父よりも熱心な信仰者だ。地域の幹部らしい。
「家族は何よりの宝だ」といったような、要は家族を大切にしなさいねというメッセージが
繰り返し、繰り返し出てくる。
特に母親は熱心に宗教活動をしていたため、信仰者の会合に連れていかれたり
母も私が冒頭で書いた文章のように過剰なほど父を褒め、「うちはいい家族だよね」と繰り返す。
今思えばこのとき、父の浮気や借金で苦労し、そう自分に言い聞かせたり子供に悟られない様にしてたためかもしれない。
私は、家族を大切にしなければいけない。家族はなにより大切なものだ。悪く思ってはいけない。そう思っていた。
思っていたというか、そう育った。
それなのに自分は人間としての権利を侵されたこと、そのことに対して怒りや憎しみを覚えることへの罪悪感。怒りや憎しみを抑え込むストレス。
そういったものでどんどんおかしくなっていた。高校生の後半の頃には毎日のように吐いていた。
ただ私は、その時原因が分からないもので学校という環境に自分が適応できないんだと思い大学への進学を希望しなかった。
家庭が貧乏だとか、まあそもそも勉強もそんなに好きじゃないとか色々な理由はあったが
一番は、もう「学校」という場で同年代の人間がたくさんいるところに身を置き、やっていく自信がなかった。
大学で勉強しないと叶えられない夢もあったが、私の夢なんてくだらないものと思ったし、その夢を自分が叶えられる自信もない。
私は幸い就職に力を入れている高校に通っていたので難なく就職できた。
めっちゃくちゃ長くなるので割愛するが、やはり前述した人を信頼できないという部分が大きくストレスになったと思う。
人を信頼できないというのは、具体的に言うと私の場合は
「嫌われているんじゃないか」「使えないやつだと思われている」「いない方がいいと思われている」
と思ってしまう。こういう思いを中学生のころから人と関りを持つたびに感じていた。
学生だったころはまだいいが、仕事となるとこうした不安に支配され
頭が混乱し周囲が気になって仕事に集中できなくなり仕事を続けることが難しくなる。
ちなみに、今でもこれはある。
しかし私はこの時社会生活に適応できず精神を病んだと思っているので、もちろん病院で家庭の話などしない。
この頃は実家暮らしで昼夜逆転生活をしたり、早朝の三時から五時くらいまで近所の公園でぼーっとしたり
突然意味の分からない理由で家族にキレたり、両親に過剰に甘えたり、暴食したり、めちゃくちゃストイックに会社員時代に契約したジムに通ったり
この「過剰に甘えたり」の部分。
リビングで寝転がってテレビを見ている父の隣で寝転んで一緒にテレビを見ている内に寝てしまった。
その時に性的被害を受けた。私が途中で起きたこと、そしてそれを父も気づき何なら乗り気と思いエスカレートした。
成人しているわけだし嫌なら嫌だといえばいいと思う人もいるだろうし、若い女が自分から異性にべたべたするから悪いと思う人もいるかもしれない。
私ですら今でもそう思う時はある。(娘にとって父親は異性ではないのは確かだが)
まあ、この時なぜすぐに拒絶できなかったのかということや、その後の感情については自分でも今明確でないので
悪いのは絶対に100パーセント相手だ。これは私の感情ではなくて事実。
この事実と私の感情はちぐはぐで、だからこその7割の「罪悪感」だ。
体調の問題で一日の勤務時間は制限され、パートという雇用形態だが、何とか社会復帰もできた。
治療については心療内科への通院と、性暴力の被害支援センターでのカウンセリングを受けている。
(ちなみに、初めて病院に行ってから性被害を自覚するまで1年半ほどかかった)
穏やかな日常で少しずつ自分のことを大事に思える様になり始めた。
しかし、母は兄や父の性虐待を知らないし「家族がなによりも大切」「うちっていい家族だよね」と
思っているので、頻繁に交流を求めてくる。
母についてだが、上記のような思想持ち主でヒステリックで自分が一番で負けず嫌い
自分の功績というのは「いい母」であり「いい妻」であったことだ。
口が裂けてもあなたの息子と旦那に性被害に遭いましたなどとは言えない。
私は実家に帰ったり両親と食事をしたりするたびにちぐはぐな気持ちを抱えて家に帰ると何もできない時間がおとずれる。
父の稼ぎや教育で私が育ったのは事実で、今でも車を出してもらったり困った時に父を頼ってしまう自分もいる。
しかしこんなにお世話になっているのに、被害の部分だけで恨むのは都合がいいんじゃないかとか。そういうことだ。
か
だったらどっちが魅力的だろう
おれは断然不労所得だな
一日中寝てたい…
リアルなのでマウントする意図は全くない。というか読んでもらえれば分かるが、自慢にはならない。
52才男。京大卒。
年収は1100万円、会社から900万円とそれ以外のブログ収入等で200万円。
家族は、妻、高校生の男子、女子の4人。子供は2人とも偏差値70台のトップ高校。
中学まではクラスで3番目ぐらいの成績、まぁ「頭いい子だね」ぐらい。
大学4年時に大学院に行く人も多い中、怠惰な大学生活を終えようと思い、誰でも知ってそうな外資系のIT企業に内定。
就活は苦労しなかった。行きたいと言えば内定がもらえた。学部卒でそのまま就職。
最初に入った外資系のIT企業は12年で退職した。最後の方の年収は34才で800万円ぐらいかな。
辞めてから、知人数名と会社を興すがあまりうまくいかなかった。
8年ほどもがいたけど、結局辞めた。
3年ぐらいたって転職した外資系企業が日本から撤退することになって、行くところが無くなった。
この頃が一番きつかったか。
何しろ45才で京大卒、IT知識やマネジャー経験はあるとは言え、変にプライド高そうなおっさんが行くところはあまりない。
LinkedIn経由で外資系のプロジェクトマネージャーには誘われるけど、面接行っても連敗した。
そうこうしているうちに、先輩の会社のところに引き取ってもらった。
年収は減ったが、あまり変な人間関係に悩まされずに、のんびりと仕事をしたかった。
管理業務が主体だけど、プログラミング自体もすることあるし、小さな会社なので基本、なんでもやる。
年齢と立場もあって、誰かから怒られることはないし、プレッシャーとかストレスはあまり感じない。
そういった奴は部長か子会社の社長とかになっている。年収も多分1500万円から2000万円ぐらいはあるだろう。
住んでいる3LDKのマンションは4000万円で買って、ローンの残りは1500万円ほど。貯金は800万円ほど。
貯金から借金を引いたら借金の方が多いが、毎年200万円ぐらい減っている。
多分、借金が120万円ぐらい減って、貯金が80万円ぐらい貯まっているんだろう。
お小遣い制とかではないので、毎日に食べたいものに好きなだけ買っている。
朝はコンビニのパン、昼もお惣菜屋さんのお弁当が多い。夜は家で食べる。
スタバとかも毎日行く。ほとんど気にしたことないが、平日は毎日平均2000円は使っているか。
酒やたばこ、ギャンブル、風俗には興味がないのでそういったところでお金は使わない。
車は普通の国産乗用車250万円で買って8年になる。駐車場、保険、車検とかで年間40万円ぐらいか。
旅行は夏にキャンプ、冬はスキー。家族で年間15万円ぐらい使っているか。
5万円ぐらいなら欲しいと思った物は普通に買う。
高級レストランとか高級ホテルには行ってみたいけれど、それほど興味がある訳でもない。
総じて貧乏性なので、お金を使うのは食べたいものを食べることぐらいか。
何かの機会でどこの大学を出ていますか?という話をしたときに「京大です」と言えることぐらいか。
それで「ええー。すごい。頭いいんですね。」となるけど、それ以上の話にはならない。
たまに新卒の面接をすることあるけど、自分よりはレベル低いんだろうなと思ってしまう。
今日、自分が勤めている会社がブラックかもしれないと感じてきた。
増田たちに判定してほしい。
文字にするとブラックっぽい慣習が多いが失敗には寛容な会社だ。
1.挨拶は大きな声で
挨拶しないのではない、声が小さなことは罪とばかりに指導という名の説教が始まる。
2.ラジオ体操に切れを求める
元気にラジオ体操することはもちろん、指先足先までびっちり伸ばさないとこれもまた、罪とばかりに指導という名の説教が始まる。
同様
自分は元々声が大きく、ラジオ体操もガテン系のバイトしてたときにやってたので違和感がないが、
先月、転職してきた新しい同僚が、インドア系で声が小さく会社の幹部からの悪評がひどい。勤務態度は悪くなく普通で努力家。
せっかく転職してきたのにもう退職を考えていると愚痴を聞いてしまった。
数年前から福祉に関心があって、ソーシャルワーカーの資格を取った。
地元で障害福祉サービス事業所を作りたいと思っていたが、総量規制という問題があり、新規で事業所を作るのに人口に対しての適正な事業所数というものがあり、自宅のある地域では設立するのが難しかった。
そこで2016年、会う人会う人にこんな事業をやりたいんだよねって話をしていたら、近隣地区の福祉施設経営者のご子息を紹介された。
その人と話をして、ふわっとした話をする人だなという認識ぐらいしかなかったけど、渡りに船とばかりに一緒に事業所を作りましょうという話になった。
それから週2~3日ぐらいその会社に行って、事業所設立のスタッフとして、設立準備を始めることになった。
地域の困り事を誰かと誰かがつながることで解決できることがある。
コミュニティデザインの手法やソーシャルデザインなどこれまでNPOで培ってきた経験が生かせると感じていた。
ただ少しずつ違和感を感じていたのも否めない。
管理職と話せば話すほど、実社会と会社との断絶を感じてしまった。
最初違和感なく働いていたけれども、最初に起きた出来事は外国人技能実習生の問題だった。
自社で技能実習生を雇用するという話になり、現地説明会があるのでPVを作ろうという話になった。
ムービーは別のスタッフが撮ったが、当職が編集し、英字字幕をつけることになった。
出来上がった会社案内はイメージビデオとしてはかなり良い線を行っていると感じた。
だが程なくしてフィリピンでの説明会のようすを聞いて愕然とした。
複数社で合同会社説明会を開き、当職の編集したPVでは会場から拍手が沸き起こったらしい。
そこまではよかった。
なんとじゃんけんで決まるという。
そして各雇用者側が順番に選んでいくと聞いて悲しくなってしまった。
更に極めつけは採用するときにどこに注目したのか当職の上司に尋ねると、子どもがいて仕送りが必要でばっくれない人という視点で選んだと言い放った。
そもそもなんで外国人実習生を雇うのか尋ねると、借金背負って来日するので、日本人を採用するより離職率が低そうだからと言う。
現に当職の会社にいた普通のおばさんが日本語学校とこねがあるという理由で、東北か北陸の日本語学校で研修しているカンボジア人を大量に旅館やホテルに就職させる人材派遣会社を立ち上げた。
フィリピンからの送り出し機関管理会社も当職の会社を退職した普通の人が立ち上げていた。
そしてその管理会社が斡旋する際に借金という手枷足枷をはめるわけだ。
そして雇用される側の実習生は技能実習という名の下に人員配置基準を満たすための駒として、シフトに組まれてしまう。
現場の日本人スタッフもどのようにして介護現場での微妙なニュアンスを実習生に伝えるかを悩まれていた。
もちろん法人内で英語ができるスタッフは1割もいない。タガログ語に至ってはなおさらだ。
この技能実習生は日本の介護技術を学んで本国で実践するという名目で、日本人と同じ雇用形態で仕送りたくさんできていいじゃないかという人がいるが、現実はそうではない。
どこに住まわせたとしても、実習生らは住居費として家賃や光熱費等を控除される。
そして管理会社の管理費という名のピンハネや渡航費用の借金も引かれる。
それで残ったお金を本国で待つ子どもやその子どもを子守している両親宛に送金するのだ。
そして彼ら実習生が雇用されるということは日本人を高い給与で雇わなくてもよいので、今働いている人たちの給料も上がらない。
理念で洗脳されて働く現場スタッフと一部のボランティアや近所の善良な人たち頼みの地域包括ケアシステムの限界がすぐに予想できた。
福祉業界にいて困っている人ために働こうと思っていた矢先に、理念もへったくれもない企業に関わったのが私の運の尽きだったのかもしれない。
私も人を見る目がなかったんだろうな。
また書くと思う。
昨日の夜中に書いてこんなにブクマしていただけるとは思わなかったので、びっくりしています。コメントありがとうございます。
また自分自身が遭遇した問題を相談させてください。度重なる退職勧告を受けています。
当職も障がい者の日中支援をしていて、知的の方でお尻が拭けない方の排せつ介助をしていて、今まで教えてもらえなくて辛かったろうねと思いながら、どうやったら自分でできることが増やせるか常に考えています。
実習生無しに高齢者の下の世話を誰がするのかというブコメがありましたが、お年寄りが好きで働いている方も大勢いらっしゃいます。
給料が上がれば良いのです。
仰るとおり以前はシングルマザーに研修受けさせて、介護現場に放り込むというのが定番でした。
それでも低賃金重労働で人が離職するので、外国人をとなったわけですね。
農業の世界では農福連携というお題目の下に、障がい者の農業分野での参入が推奨されていますが、厚労省と農水省の足並みが揃わず、残念な制度になりそうな予感です。
とりくみとしては農福連携はとても面白くて、障害の種類によっては回復につながる制度だと思っています。
それを私はやりたかった。
知的の方で性教育を受けていない方はマスターベーションも自己流で、性器を傷つけるやり方で行っているし、支援していて辛いです。
でも福祉の世界では障がい者の性欲についての支援のノウハウは定まっていないし。会社はうちの業務じゃないからって問題と向き合おうとしません。
ここまで伸びるとは思わなかったので、関心の高さに少々驚いています。
コメント一つ一つに返信したいところですが、ネガティブなのを読むと今は辛いのでいくつかだけレスします。
高校生が福祉コースを選ばなくなったのは熊本地震以前から既にそうでした。地元の高校で唯一福祉科のあるところで5年前は2桁はいたんですけど、今は1クラスで1桁になってしまい、消滅の危機が訪れています。
地元の介護の求人はものすごく給与が安く、NPOが運営する障がい者施設などでは額面で13万スタートとか。
だから高校で福祉科しかなくて入学した子は卒業後にすぐ就職するのではなく、専門学校に進んでPT(理学療法士)など少しでも条件のよい仕事に就こうとしています。
もしくは働きながら看護師の資格が取れる夜間の学校とのダブルワークとか。
更にハロワに求人出すのに賞与なども記載しないと応募がありませんが、うちの会社は処遇改善加算という加算が付くのですが、その分だけを賞与で渡すので、求人票との相違があります。
初めてもらったときは0が1桁足りないんじゃないかって聞き返してしましました。
当職と書いたのはソーシャルワーカーは一応社会福祉士という国家資格なので、士業だから書いただけです。
弁護士・司法書士の先生しか使っちゃダメというのがあれば、ごめんなさい。不勉強でした。
この技能実習生は3年ぐらい前から準備されていたけど、2国間協定が結ばれなかったので延び延びになって、今年の来日になりました。
またなぜフィリピン人なのかは私も聞き漏らしましたが、語学ができる若い優秀な人材はもっと条件のよい欧米諸国に行くそうです。
そして日本だと監理団体経由で来日する必要があり、かなりの渡航費用がかかるので、飛行機を使う必要のない中国へ出稼ぎに行くのが主流になっており、それができない層が今回のように来日しているとのことでした。
ちなみに農業の方では、私の地方はベトナム・カンボジアの方が増えて、中国・フィリピンの方は見かけなくなりました。
直接上司から聞いた言葉は明言できますが、来日した当事者からはまだ話を聞いていませんので、推測の域を出ていないか所があるかもしれません。
でもそんなに推測で書いている場所はないです。というか私の書き方が自分の意見を言うときに「~と思います」と書くくせがあるようです。
まだ入職してきたフィリピン人の方々とお話しできていませんが、退職前に機会を作って地元にあるフィリピン人支援機関の連絡先だけは伝えようと思っています。
あと私がこの業界を選ぶのが頭悪いと仰る方の意見はごもっともです。
お金だけで考えれば、もっと効率のよい稼ぎ方がありますからね。
ただ、私も40歳前後になってからアスペルガーの診断が付いた当事者なので、仕事があまり選べる環境にはありません。
今までの経験を活かしつつ。「当事者の視点でなんとかこの業界を地方から変えていきたい」と思ってスタートしました。
あまり自分自身のことを書くと私がどのブクマカか身バレしそうなので、ご容赦ください。
また事業立ち上げ時に当事者が主体となって新規事業を興そうとしているというのは聞こえが良いので、良い宣伝マンだったのでしょうね。
そして私自身が多くの支援者に支えられて生きていますので、その人脈も会社は欲しかったのだと思います。
いろんな方に支えられて引きこもりからここまでやってこられたので、他の誰かの役に立てればと思っていたのですが、自分の限界を知る良い機会でした。
もうそろそろ普通の仕事が良いかなって思い始めていますが、たくさんのコメントに励まされています。
ただ経営者が介護事業を「給付金ビジネス」と呼んでいる時点で終わってますよね。
このまま離職しても会社は何も変わらないし、今働いている人も不幸になるので、いわれのない退職勧告に負けず、会社からの謝罪を得ようと思っています。
小梨女30才です。
かつ住宅手当がフルに出ており、
夫婦二人暮しなら十分な額です。
貯蓄は1000くらいです。
そのためか幸いなことに夫は私のメンタルヘルスを第一に考えており、
復職も求められておりません。
私も働きたいと思っていません。
(何の儲けもなく、むしろ出費がかさむのに)。
メンタルが落ちて、それを支えてくれる家事も何でもするという夫に出会い、
うまくいっていると思います。
夫は残業や責任の重い仕事で理不尽な思いをたくさんしているようです。
私自身が抱えているのもあり、気持ちの落ち込みなどをチェックしますが、
幸い私と正反対のあまり考え込まない性格で、仕事も好きらしく、
心の健全は保ちつつ働けているようです。
年収を少し下げて転職を目指して動き始めたところでコロナがあり、
しばらく様子を見る予定です。
特にコロナで通勤がなくなった時期の夫が幸せそうにしてるのをみて。
家事も以前より丁寧になり、表情が柔らかくなりました。
6月から通勤が始まった後もリフレッシュになったのかそのままです。
ずっとそのままでいてほしいと思い始めました。
寛解したあとは、私が稼げるようになるべきだと思い始めました。
私が稼げるようになってから、夫はもっとゆとりのある仕事に移るか
何か今できることはあるのでしょうか。
そもそも前職でもうやってけないって思ったことがきっかけだワン…。
モノがほぼ完成していてクライアントとの合意が取れていても、なぜか最後に部長がしゃしゃり出てきて全部をひっくり返して最初からやり直しになることがたくさんあったんだワン…。
どんなに頑張っても成果を出させてもらえない、それが辛くて、退職を決意したんだワン。
フリーランスも考えたけど、受動的な自分にとって、自分で仕事を取りに行くなんてとてもじゃないけどできないんだワン。
言われたことをやるだけで衣食住が保証されればそれでいい、と思ったときに犬になるという選択肢がでてきたんだワン!
たまたま未経験可の求人を見つけたから、勇気を出して応募してみたらすぐに内定を貰えたワン。
こういう経緯があったワン。
まだ職場の人には言えないのでここに書く。職場の人にはSNSアカウントをオープンにしてるので、書けるところがここしかない。
去年の夏に初めて転職をした。
Web広告会社の事務職から訪問営業の会社へ行ったものの、そこはかなり古臭い体質のブラック企業。広告業界もブラックな面があったから平気だろうと思ってたけど、それとは質が違うタイプのブラックさだった。広告会社のほうは頭がいい人特有の嫌味っぽさが滲んでいたけれど、訪問営業の会社のほうはガキ臭さ、悪い意味での部活っぽさがあった。
土曜出勤も多く、彼とデートもできない。しばらくは我慢していたけれど、やっぱり無理だと思った。
はてブ経由で知り合った人にも転職相談に乗ってもらい、再び転職活動をして、今年の1月から新しい会社で働くことになった。Webコンサルティングの会社だ。
少数精鋭な会社で社風も良く、各種制度も充実している。社長の考え方も尊敬でき、同僚もインターン生も「デキる人」が多く、「本当にこの会社に入れてよかった」と思っている。
これならプライベートも充実させられそう、楽しみ!
……と思ったのも束の間、この春から状況は一変した。
2年半付き合った彼氏とは別れることになり、私自身に重い病気の可能性が見つかった。
そして、私は仕事でまったく売り上げを出せていない。「申し訳ないけど、7月の試用期間で終えてもらうことになるかもしれない」と社長から言われてしまった。
おかしいな、これからの人生、ブラック企業から転職して順風満帆になるはずだったのに……。
病院での精密検査を繰り返した結果、重い病気ではないことがわかった。それは良かった。
逆に言えば、それしかいいことはなかった。
……先週末、私は試用期間で打ち切りになることを社長から伝えられた。7月20日で退職することになる。
この会社の人は、辞めたあとも業務委託など何らかの形で関わり続けている人が多いと聞く。なので、せめて辞めた後も何かの仕事でご一緒したいという旨を伝えた。
辞めることが決まってからも毎日粛々と仕事はこなすものの、チャットワークに「〇〇さん退職のやり取り」のスレッドができたり、退職後の機密保持契約書が送られてきたりすると、自分は辞めなくてはいけない人間なんだということを痛感させられる。
そもそも「実力以上のところに入ってしまった」という感覚はずっとあったから、こうなってしまうことは仕方ないという気持ちもある。でも、せっかく採用してもらったのに活躍できなかったことはとても心苦しかった。
「正社員のお給料をもらいながら、実力以上の素敵な会社で学べた」と解釈すれば良かったと言えるかもしれないが、いずれにせよ売り上げを出せなかった申し訳なさは残る。
コロナでなかなか友達にも会えない。そこそこ仲が良かった人たちとも微妙に疎遠になった。毎月毎月、異なるタイプの息苦しさがやってくる。
前彼とはじつは1年前にも一度別れたことがあったが、その2ヶ月後には復縁した。しかし今回は、彼は私のSNSも一部ブロックしているようであり、復縁も難しいかもしれない。
彼の投稿が流れなくなったSNSを見るのもしんどくて、一部のSNSはアプリを削除した。コロナでしんどい話や胡散臭い話が増えてたところなのでちょうどいいタイミングでもある。
初詣、引いたおみくじは大吉だったのに、やたらと悪いことばかり起こる。何故だ。
唯一良かったのは「重い病気ではなかったこと」だけど、そもそもそれだってマイナスがゼロになっただけで、プラスの要素というわけではない。なんでこんなことになっちゃったかなぁ。
わかったわかったセフレの話は俺が悪かった、別れるから。はい、これでセフレの件はおしまい。
妊娠できるか、で一つ壁だと思っているので、仮に妊娠した場合は産んでもらいたいという素直な意見だよ
最初から言ってるが、セフレが産む場合は「セフレの旦那の子供」として育てる約束になってるから、俺が手を出す余地はない
せいぜい出産祝い等で金出すくらい
おれは大丈夫と言ってるのに、ダメだダメだというから、「じゃあいくらならいいのか示せ」って話だ
ごまかすなよ
女性の出産後の再就職等に関して是非がどうのという話は当人の決めることだろうけど
「不可能ってほどじゃ無いと思ってる」このニュアンスでもし彼女が生活に必要な収入を得られなかったらどうするのか考えてるか疑問だし
出産に1年、産後3年間の育休、ここまでは会社の制度で保障されていて実績もある。
その後は彼女の体調などを考えながら、場合によっては退職もありえるし可能なら共働きに切り替えて俺が多めに家事すればどうにかならんか?
甘いか?
退職の手続きは退職自体が決まってからは思いのほかスムーズに進み、あとは国民年金の減免の審査待ちと失業給付の認定くらいになる。
昨今のコロナウイルスの騒動も落ち着きはじめそろそろ動かないとなと思いながら毎日遊びに来る甥っ子のお世話と気持ちばかりの運動だけで漫然と毎日が過ぎ去ってゆく。
仕事を辞めるまでは次はもっと自分が楽しめる少なくとも退屈しない仕事に付きたいと思い、勉強も少ししていたが今となっては実家暮らし様々でただのニートになってしまった。
退職前に応募していたプログラミングスクールの試験の開催が決まるのが怖くてたまらずもう少しだけ休ませてくれと願い続けている。今の自分には以前あったチャレンジングな気持ちは全くなくどうやって楽に人生を消費するかばかりに気持ちがいって、自分という人間の本質を二十代後半にして改めて認識させられる。
貯金が尽きるまでだらだら遊び続けてその後どうなるのか。