2020-06-24

父の日フェアの売れ残りを横目に退勤する

私はショッピングモールの中に入っている店のひとつに勤めている。

勤めているといっても1日5、6時間程度しか勤務しないパートだけれど。

大型から地域住民しか来ないような小型まで、いくつかショッピングモールに勤めたことがあるが

大体そういうところの従業員従業員通用口を通ってバックヤードを通り出退勤しなければならない。

自分の勤めている店の目の前に外へ繋がる出入り口があったとしても。今まさに私はそういう状況。

とはいえ店の商品のんびり見ながら従業員通用口に向かうのも私は中々好きだった。

化粧品を見ながら帰ったり、贈答用のお菓子を見ながらおいしそうなんて思いながら帰ったり。

しかしここ半月は気が重かった。6月初め頃、もっと前だったかもしれない。母の日が終わったあたりから始まった父の日フェアのせいだ。

私の父は「いい父」だと思う。

よく気が利き、男らしく、力持ちで。

九州男児のような所謂言わぬが花」のような分かりづらいが気付けばじーんとくるような優しさもある。

こう書くと厳格な父親想像されてしまうかもしれないが、おどけてみせたり、お茶目な一面もある。

マイルド九州男児?「九州男児」と聞いてイメージするいい所と、現代若い男性に多い柔らかくて優しいところをどちらも持ち合わせている。

そして背も高く脚が長くて目鼻立ちもはっきりしているし顔もカッコいい。身だしなみのセンスもある。

運転も上手で、人付き合いもそつなくこなす

若くして結婚し、母がすぐに出産。その後から今までずっと家族責任を持って養っている。

とはいえ浮気をしたり、多額の借金を作ったりと母にとって「いい夫」であったかは分からないが。

しかし、子供の頃それらのことには気付かなかったし(上記のことは母から聞いたので)

当時の印象からいって「いい父」であったことは確かだ。

私は兄弟が多く、どちらかといえば貧乏な家庭で育ったが、今日食べるものにも苦労したり

学校必要な経費が払えないなどということはなかった。

仕事愚痴を父の口からいたことはないし、立派な父親だと思う。

しかし私は、今年父の日に父へ何もプレゼントしなかった。

渡しに行こうと思えば1時間あれば渡しに行ける距離に住んでいる。

気持ちについては「罪悪感」7割「やってやった」3割といったところだろうか。

3割の「やってやった」についてここまでの父のことを褒めちぎった文章だけだと私は超絶親不孝娘だろう。

私は父から性的虐待を受けた。

虐待というのだろうか。被害はもう私が成人してからの話だから

実は小学生高学年のあたりから高校生くらいまで兄から性的虐待を受けていた。

それが原因となって私は中高生の頃から精神不安定で、人を心から信頼できず

表面上友人と仲良くすることはできても常に周囲に気を張って生活し、学校に行けば毎朝熱が出た状態で授業を受け

家に帰っても心からリラックスは出来ていなかった。

とはいえ中高生の頃の不安定さについて性虐待が原因だと分かったのはほんのここ数年の話だ。

というより、ここ数年まで自分が性虐待されていたという自覚すらなかった。

それまでは私の個人的性質や、容姿性格が暗いから、悪いから、協調性がないから、空気が読めないから、最低な人間から

そういうのが原因で上手に友人が作れなかったり、本来なら喜ばしいはずの友人付き合いがストレスになるような出来損ないなんだと思っていた。

まあもちろん冷静に考えてそういう原因がゼロではないと言えないのですべてを性虐待のせいにするつもりはないが。

少しでもこういった分野に興味のある人は知っていると思うし、興味があれば調べると思うから

所謂自己肯定力の低さ」と「性被害」や「虐待」の因果関係については長々とした説明は控える。

私がそういった専門のカウンセラーに言われて一番腑に落ちたことを簡単説明すると

性格形成の時期に一番信頼できる身近の存在であるはず(あるべき)家族から酷い扱いを受けたのに外で出会った人間を信頼できるはずがない」

ということらしい。まあ確かに

大人になった今思うと、家族など偶然で協同生活をしている集団しかないので

家族なんかよりよっぽど信頼できる存在は外の世界にいるはずなのだ

私は強く家族に執着していたからなおの事家族については「一番信頼できる身近な存在であるべき」だったのだ。

家族に強く執着していた理由だが「宗教」だ。

私の家族は全員同じ宗教信仰している。

というのも、父と私たち兄弟については生まれた時から親の方針で入信していただけだが。

母は父と結婚タイミングでその宗教存在を知り、今では父よりも熱心な信仰者だ。地域幹部らしい。

その宗教哲学ひとつにかみ砕いて言うと

家族は何よりの宝だ」といったような、要は家族を大切にしなさいねというメッセージ

繰り返し、繰り返し出てくる。

私が生まれた頃にはもう母も父も地域幹部

特に母親は熱心に宗教活動をしていたため、信仰者の会合に連れていかれたり

家で会合が開かれたりする場合もあった。

そして何度も「家族を大切にしなさい」という思想に触れる。

母も私が冒頭で書いた文章のように過剰なほど父を褒め、「うちはい家族だよね」と繰り返す。

今思えばこのとき、父の浮気借金で苦労し、そう自分に言い聞かせたり子供に悟られない様にしてたためかもしれない。

私は、家族を大切にしなければいけない。家族はなにより大切なものだ。悪く思ってはいけない。そう思っていた。

思っていたというか、そう育った。

それなのに自分人間としての権利を侵されたこと、そのことに対して怒りや憎しみを覚えることへの罪悪感。怒りや憎しみを抑え込むストレス

そういったものでどんどんおかしくなっていた。高校生の後半の頃には毎日のように吐いていた。

ただ私は、その時原因が分からないもの学校という環境自分適応できないんだと思い大学への進学を希望しなかった。

家庭が貧乏だとか、まあそもそも勉強もそんなに好きじゃないとか色々な理由はあったが

一番は、もう「学校」という場で同年代人間がたくさんいるところに身を置き、やっていく自信がなかった。

大学勉強しないと叶えられない夢もあったが、私の夢なんてくだらないものと思ったし、その夢を自分が叶えられる自信もない。

私は幸い就職に力を入れている高校に通っていたので難なく就職できた。

しかし、私はその職場を三年で退職した。

めっちゃくちゃ長くなるので割愛するが、やはり前述した人を信頼できないという部分が大きくストレスになったと思う。

他にも職場環境自体の悪さなど、いろいろとあったが。

人を信頼できないというのは、具体的に言うと私の場合

「嫌われているんじゃないか」「使えないやつだと思われている」「いない方がいいと思われている」

と思ってしまう。こういう思いを中学生のころから人と関りを持つたびに感じていた。

学生だったころはまだいいが、仕事となるとこうした不安支配され

頭が混乱し周囲が気になって仕事に集中できなくなり仕事を続けることが難しくなる。

ちなみに、今でもこれはある。

精神病み仕事を辞めて、初めて医療に繋がった。

しかし私はこの時社会生活適応できず精神を病んだと思っているので、もちろん病院で家庭の話などしない。

この頃は実家暮らし昼夜逆転生活をしたり、早朝の三時から五時くらいまで近所の公園でぼーっとしたり

突然意味の分からない理由家族にキレたり、両親に過剰に甘えたり、暴食したり、めちゃくちゃストイック会社員時代契約したジムに通ったり

自覚はなかったが本当に頭がおかしかった。

この「過剰に甘えたり」の部分。

リビングで寝転がってテレビを見ている父の隣で寝転んで一緒にテレビを見ている内に寝てしまった。

その時に性的被害を受けた。私が途中で起きたこと、そしてそれを父も気づき何なら乗り気と思いエスカレートした。

成人しているわけだし嫌なら嫌だといえばいいと思う人もいるだろうし、若い女が自分から異性にべたべたするから悪いと思う人もいるかもしれない。

私ですら今でもそう思う時はある。(娘にとって父親は異性ではないのは確かだが)

まあ、この時なぜすぐに拒絶できなかったのかということや、その後の感情については自分でも今明確でないので

書くのはやめる。薄くもやのかかった状態イメージだ。

ただ同じような被害に遭った人や未来自分のために言うが

悪いのは絶対に100パーセント相手だ。これは私の感情ではなくて事実

この事実と私の感情はちぐはぐで、だからこその7割の「罪悪感」だ。

今は一人暮らしをしていて、精神や身の安全は確保されている。

体調の問題で一日の勤務時間制限され、パートという雇用形態だが、何とか社会復帰もできた。

治療については心療内科への通院と、性暴力被害支援センターでのカウンセリングを受けている。

(ちなみに、初めて病院に行ってから被害自覚するまで1年半ほどかかった)

穏やかな日常で少しずつ自分のことを大事に思える様になり始めた。

しかし、母は兄や父の性虐待を知らないし「家族がなによりも大切」「うちっていい家族だよね」と

思っているので、頻繁に交流を求めてくる。

母についてだが、上記のような思想持ち主でヒステリック自分が一番で負けず嫌い

自分の功績に対するプライドが高く、精神的にも脆い面がある。

自分の功績というのは「いい母」であり「いい妻」であったことだ。

口が裂けてもあなたの息子と旦那に性被害に遭いましたなどとは言えない。

私は実家に帰ったり両親と食事をしたりするたびにちぐはぐな気持ちを抱えて家に帰ると何もできない時間がおとずれる。

父の稼ぎや教育で私が育ったのは事実で、今でも車を出してもらったり困った時に父を頼ってしま自分もいる。

でも、性被害事実なのだ

しかしこんなにお世話になっているのに、被害の部分だけで恨むのは都合がいいんじゃないかとか。そういうことだ。

父の日フェアの売れ残り商品自分が買ってしまいそうで怖い。

ごめん、過ぎちゃったけど~なんて笑いながらプレゼントを渡してしまいそうで怖い。

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