はてなキーワード: 計算ドリルとは
人間はいくつもの社会的属性を掛け持ちしていて、そのうちの一つとしてたとえば私は女性という属性を持っている。ときとして女性という属性は不利に働くことがあり、私はそういった意味で被害者となることがあった。たとえば小学校のときクラスで一番に計算ドリルが終わったときに「女子のくせにかわいげがないね」と先生に言われたこと、高校通学時に電車で男性に痴漢にあったこと、大学2年のときに4年の男の先輩に「2女はババア」とからかわれていたこと、就職を頑張ったので男性の平均年収より稼ぐのに、男性から家事スキルのレベルでジャッジされること。それらについて当然被害者意識を持っているし、よりよく生きていきたいのでその被害を主張し、加害者に改善を要求したいとも思う。
ところがその一方で、私が持つ属性は他の属性に対して加害者となることもある。たとえば性別という観点では女性という属性が有利に働いて、男性、○○(ここに男性、女性以外のたくさんの性別を書きたかったのに知識不足でなんと書いていいか分からなかった、それ自体がもう私が無知ゆえのの加害者であることを示している)という属性に被害を与えることもあるし、他の観点であれば私はいわゆる健常者であり、いわゆる障がい者という属性に対していまだ無知であるし、また人種という観点で言えば日本では圧倒的マジョリティである日本人という属性上で、人種差別にも鈍感であったと思う。
上記の自分が受けた被害も与えた加害も、大部分が倫理観の欠如というより、無知、その属性とのつながりの無さからくる想像力の欠如から発生していることに気づいた。同性愛者の友達ができて初めて、「君オネエなんじゃないの?」というテレビでの“イジリ”に笑えなくなった。在日の友達がなぜ泣きながら自分のルーツを話したのか、後にその事実を知った別の友達が彼女と縁切りしたと聞くまで分からなかった。聴力の弱い人にとって、エスカレーターの右側を駆け下りられることがどんなに怖いことなのか、ネットで見るまで知らなかった。彼氏に理由を聞くまで、満員電車でつり革2つ使ってる男の人って迷惑だなと思っていた。知っていたらそんなことはしなかった、そんな風に思わなかったというのは他の属性の人から見ると言い訳であり、私はその人たちにとって加害者だ。
ここまでが前提で、そして私が言いたいのは「加害者であったことを反省、謝罪するし、これから誰かにとっての加害者となることのないよう、他の属性についてたくさん勉強する。だから自分の受けた被害も知ってほしい。」ということなのだ。
倫理観の欠如ゆえの加害(上記で言えば痴漢行為)を起こした状態でこんなことを言うのはもちろん間違っていると思うけれど、無知ゆえの加害って誰もが受けうる、起こしうることで、そして謝罪と反省と改善ができるものだと思うのだ。だから過去/現在において無知ゆえの加害者であった人が被害者として被害を主張することが許されていいと思うのだ。
「アホの子」についてブコメ等で宜しくない旨ご指摘をいただきましてありがとうございます。そして申し訳ありません。
言い訳をしますが、彼ら彼女らと私との間に、愛と信頼できる(と、こちらが一方的に思っているだけかもしれないが)人間関係がある前提で使ったのでした。読み返してみたら確かに気分の良くなる言葉ではないですね…。増田は聖人君子でもなければ天才でもないので言葉のTPOを間違える。申し訳ありません。
現在の仕事は教育関係ではありません。ごく一般の会社員。教員や教育関係に就こうとは思ったことはないです。あの仕事こそ増田なんかよりも聖人君子に近い人がなるべき仕事で、更に言えばもっと報酬と人手を割くべき仕事だと思っています。私にはとても無理。
あまり広くない世界で働いているので詳細はぼかしますが、口悪く言えば大人に対して同じようなこと「一緒に何が原因でこういう事態に陥ったのか考えましょう」という感じの仕事をしています。かなりダメ社員で成績は悪いし出世も遅いです。小さい細かい、そして金にならない仕事ばかりをやっています。その代わり長期間のお付き合いになる案件が多くて楽しくやりがいがありますが、それは会社にとっては更に宜しくない(割の悪い仕事をずーっとやっている)、というお荷物要員です。が、天職だと思っています。会社よ申し訳ない…
蛇足の手本のような追記を、元増田が思い立ったのは、この方法は、増田が開発したものでも、独自に気付きを得たものでもなく、増田の恩師から増田がしてもらったことを子供たちに返しただけなのだということを言わなくてはと思ったからです。ごく一部のブコメに天才とか良い先生だとか、大変気持ちが良く調子に乗ってしまう言葉もいただきましたが、ぜんぜん違います。重ねて申し訳ない。
そういう意味では、増田は凡人ですが、増田の恩師、K先生が天才なのかもしれません。
増田自身がまさに「アホの子」の元祖で、小5~6年の担任を持ってくれた恩師K先生との出会いがなかったら超ヤバかったのです。
増田は、小学校5年生の秋まで、掛け算九九を暗記しないまま素知らぬ顔でいました。
学校の勉強は良くできた方だったと思います。ペーパーテストなどでは基本的には98/100点などがずらっと並ぶ感じ、授業を聞いていれば大体頭に入り理解できる、先生の説明の途中で勝手に教科書の「応用問題」を解き始める感じの子供でした。そして、多動&注意欠陥の傾向が強い子供でもありました。今思えば先生からしてみたら割と厄介だったかもしれません。100点は取れないんですよ注意欠陥っ子なので。歴代の先生全てに「見直しをしなさい」「あとちょっと集中しましょう」と通知表に書かれ続けてきたタイプです。
で、小2で掛け算を習う時に「×の記号はその回数足すという意味です」と先生が言ったのを真に受けて、その回数足せばいいなら九九覚える必要なくね?と何故か曲解して思いこんだ。それから先は、分かりやすい2の段とか5の段とか以外は記憶せず「○回足す」で乗り切った。いや乗り切れるわけがないから、他の教科のテストは相変わらず95点とか98点とかだけど、算数だけ85点ぐらい。馬鹿だったわけじゃないのが災いして中途半端に平均的に点は取れていたから、当時のそれぞれの担任の先生も「増田さんは算数が苦手なのね」程度に判断されていたのだと思います。
ただ、九九を覚えていないと、3ケタ÷2ケタの割り算なんかを解くのが地獄なんですよ。あと倍数とか約数の概念が苦手というか、概念「しか」分かってなくて実践が全然できないという状態。正解できないから面白くない、面白くないから興味がわかない、という状態のまま、分数を学び、少数を学び、速度や割合を学び…、ちっとも理解できてないまま小5になっていました。完全にアホの子のできあがりです。
図形問題や証明問題のようなものや鶴亀算的な文章問題なんかは、式を作るところまでは合っている、が計算を間違う。それも理解できない間違え方をしている。割り算は勘を頼りに予想を立てた数パターンを足し算検証して合ったやつを正解としてみよう(足し算だけで最小公倍数や最大公約数をあてずっぽうで探す要領だったと思います。あんまり思い出せないし再現できる気がしない…)という超絶燃費の悪い解き方をしていたので、その時にイージーな計算ミスをしているだけなんだけど。そして間違わないときもあるので、先生からしたら何で算数だけ点数が悪いのか分かりにくかっただろうと思います。
ところが、K先生はなぜか(後に大人になってから種明かしをしてもらうのですが)、私が九九を覚えていないことを見破ったのですね。
ある日、放課後に一人で残りなさいと言われて、超絶びくびくしながら教室で待っていたら、教科書を山ほど抱えたK先生が、増田の算数嫌いを一緒に克服しよう、と言ってきました。クラスでも勉強ができる方の子供だったし、私より他に勉強を見てやった方が良い(失礼な言い草だな)子がいるのに!と、驚いて、そして腹が立ったのと同時に、凄く怖くなりました。
ばれたくなかったんです、アホだってことを。
ずーっとズルをしてきて、九九を覚えてないズルい生徒だとばれたくなかったし、分かってないのに何となくやり過ごしてただけで本当は何にも分かってないアホだってことも、絶対にばれたくないと思ったんです。K先生は生徒思いで自由なタイプの教師で私はとても好きでしたから、なおさらばれるわけにはいかなかった。なので家で計算ドリルやればいいでしょ!とか、じゃあ塾に通う!とか、お父さんに教わるからだいじょぶ!とか、忘れたけど色んな事を言って逃げようと思った。でも誤魔化されてくれずに、「ひょっとして九九を覚えてないだろう?」と当てられてしまい、号泣したんですね。恥ずかしいのと悔しいのと腹が立つのと色んな悪い感情が渦巻いたのを覚えています。凄く辛かったし恥ずかしかった。
そこから多分数回、K先生は放課後付きっきりで相手をしてくれました。まずは九九を覚えてきなさいと、絶対に役に立つんだから先生を信じてくれ、と言われました。K先生を信頼していたのでその言葉も信じることにしたんです。結果的に信じて大正解、あんなに苦労した計算がこんなに簡単に!と思いました。アホの子丸出しです。
まぁ勘で割り算解いてたわけで、7の段とか8の段とかの九九の深いところがあいまいな程度でうすらぼんやりとは覚えていたのだとは思います。母親に白状したら本屋さんで九九の表のを買ってきてくれたのでトイレと風呂に貼った、小5なのに。でも小5だから本気だせばすぐ覚えられる。
その後は、取りこぼしていた分数(九九が分からないと約分が厄介)、少数(分数が飲み込めてなかったので少数と割合の概念が全く理解できてなかった)、速度(以下同)などなど躓いていた個所を一通り先生と一緒におさらいをしたら、算数でも98点取れるようになった。100点はめったに取れません注意欠陥っ子なので。
一度、放課後に残されている私を同級生の男の子が数人からかいに来たことがありました。優等生と思われていた増田が!と面白かったんだろうと思う。ただでさえ劣等感に苛まれてべそをかきながら(実際に分からなくなるたびにべそべそ泣いていました)教わっているのにクラスメートにからかわれて死にたい気持ちでしたが、K先生が、勉強ができるようになりたいと頑張っているものを笑うな、と怒ってくれたことを鮮明に覚えています。
その後は、からかいに来た生徒たちも一緒に「K先生と算数をおさらいする会」がしばらく続いたように覚えています。最後はかなり大所帯になっていた記憶。ほとんどの生徒から慕われていたのです、K先生は。
大人になってもこのクラスの同窓会は続いています。高校卒業した年の同窓会で、ふと思い出してK先生にどうして九九が分かってないことがバレたんですか?と聞いたら、テスト用紙の隅っこにいつも消しゴムで消した計算跡があって気になっていたこと、ある日消しが甘い時があって見てみたらひたすら関係ない足し算をしている跡のように見えるが何故???というところから、観察をしてみたらひょっとして、と思ったということでした。掛け算を何度も足してたのを気付かれたくなかったし恥ずかしかったのか、証拠は隠滅していたんですね姑息なことに。筆算はそのまま解答用紙に書いてあるのになぜ別の計算が必要?そして何故消す?、というところから類推されていたらしい。本当に些細なことからだったし、それ気付かれてなかったら、下手したら高校にも行けなかったよ私…。
私自身がアホの子であり、アホであることを許して丁寧に付き合ってくれて、気持ちも分かってくれた(九九の概念を理解してたのは増田の良いところだと褒めてくれた、そしてそのあとを面倒がるのは増田のダメなところだと怒られた)K先生から教わったから、私が人を教えるときにそれを使うことができたんです。私が成したことではなくK先生の教えがあったから。
成人式の後に、K先生の家に同級生たちと一緒に押しかけ酒を飲んでいた時、私たちは酔ってゴキゲンで、先生をべた褒め(先生がいなかったら私ヤバかったとか云々)してたら、K先生は、親や教師や目上の者から恩恵を受けたと感じてくれたなら、それを俺に返そうと思わなくていいから下に渡してやりなさい、とおっしゃったんですね。で、それを実践しただけ。
K先生はとても個性的で自由で、保護者の中には批判的に見る人もいたような型破りなタイプの先生で、教わったことはこれだけではなく抱えきれないほどあります。K先生のそのクラスは良い年をした今でも同窓会をするほどのつながりが深くありますが、その中で小学校の先生になった人が二桁いる。割合で言うとクラスメートの2割弱が小学校の教師になりました。私のようなボンクラがならなくても、K先生に感銘を受けた優秀な先生が頑張っていてくれるので、学校の先生は大丈夫。
いや大丈夫じゃないよね…もっとお金と人を割いてほしい。教師になった友人たちもストレートで職に就けた子はいません。みんな1~3年程度、補助教員の仕事にありついてそこからなんとかポストを見つけて、という感じ。ホント酷いよね…。
増田が友人たちを観察している限りでは、学校の先生は「勉強を教える能力」だけじゃなくて、「クラスという集団を統率するリーダーシップ」「学校のスケジュールを考える企画力」「それをこなす運営力」「ケースワーカー」などのスキルが必要で、かれらはこれを一人か二人だけでマルチタスクでで行っています。
あくまでも口と性格と知能に若干の問題がある増田の私見ですが、今の日本はホントに馬鹿だと思います。何で教育予算増やさないでしょうね…。1クラスは40人でも良いけど(ある程度の人数がいた方がクラス内で多様性を許容しやすいと教師の友人が言っていました。少人数だと浮いた子の居場所を作りにくいそうです)、その代わり担任は3、4人居ても全然いいし(そうすれば学校内で個別指導塾的な役割も持てる)、何なら学校行事の企画運営なんかは更に専属で別の担当教師がいるべきだと思います。名古屋市だったかが小学校のクラブ活動を廃止というニュースがありましたが大英断だと思う。課外活動は地域SCなどで吸収できるとしたら理想の形なんですけどね…。
今の学校は、子供も少ないからポストも少なく教師になりたくて夢と強い意志を持って教師になったという人がほとんどだと思います。増田が報告した塾での出来事なんて、彼らにもう少し余裕があれば増田の15倍ぐらいは良い結果を出すと思う。それなのに。
それはともかくとして、増田は、社会人になって初めて下に付いた先輩から「お前はアホで手に負えないが、唯一の取り柄は教わり上手なことだ」と言われました。K先生が小5の秋の夕方の教室で、私を壊してくれなかったら教わり上手に変化することはできなかっただろうと思います。
その他、耳に心地よかったお褒めの言葉などは、心の栄養にさせていただきます、ありがとう!。一方で、疑問や批判的なご意見で、増田にとって都合よく答えられそうなものにいくつか。
そうですね、増田にとって話しやすいことだけを、それもかなりボカして書きましたので仕方ないです。ごめんなさい。実際は大変でした。
adbが分からなかった子は初めて私が「開眼」した生徒なので思い入れも記憶も多いのですが、躓いた場所に気がついた後は、塾が用意しているカリキュラムや教材をほとんど使わずに、まずはアルファベット用の罫線が引かれたノートを拡大コピーして(形状の見分けがついてない疑惑があったので思いっきり拡大コピーして使った)、アルファベットをaから順番に10回ずつ、声を出しながら書き取り練習!をしました。
何よりも、大手のフランチャイズ塾だったのにもかかわらずカリキュラムを無視した指導をしてもいい、と許容してくれた教室長の懐の深さと"寺子屋愛"に甘えられたことと、先生バイト仲間の優しさ(教えるのが大変な子を私が見る代わりに、担当生徒数を減らしてくれたり、私の受け持ちの子を共有で見てくれたりのフォローをしてくれた)があったからというのはとてもとても大きいです。
あと、当然すぎるほど当然ですが、成績を上げてあげることができなかった子供もいました。元増田にも書きましたが、私は成績が普通の子の指導は得意ではなかったです。勉強にアレルギーがある子供の方が、悪い言い方になりますが、つけ入る隙が見えやすいと感じていました。なので、主に「すごく良くできる子」と「すごくできない子」の担当をしていました。あと、すごくできない子で、一人だけ、どうやっても引き上げられない子がいました。詳細は書けないですが、これは今でも思い出すと胸が痛くなる。
■そんなの誰にだって出来るだろー
増田もそう思います。なのでホテントってビックリしています。そして前段に長々と書きましたが、増田の手柄ではなくK先生のおかげだと思っています。
■生徒のプライバシーは?傷つくんじゃねーの?
浅慮だったでしょうか…アホです。問題が起こったら消すかもしれません。ただ連絡を取り合える子供もいるので耳に入って傷ついたと知ったら直接彼らに謝ります。一応最低限はぼかしているつもりです、ホテルはもちろんフェイクです。あとブクマのご指摘にもありますがabdが区別つかない子というのはそれほど珍しいことではないので…。
■学習障害があったんじゃない?
増田は現在でも専門ではありませんし、当時はアホの大学生だったので判断はできません。増田個人に関しては前記の通り「傾向」は確実にあるだろうなーと思っています。調べてはいませんが。苦労もとても多いがそれなりに個性的で愉快な性質だなと受け入れられています。長くなりすぎるので書きませんが、それを受け入れられたのも恩師K先生のおかげだったりします。
■なんでx=数学なのに英語出てきたむかつく!が察知できたのか
前段の通り、増田こそが元祖アホの子だったからだと思います。掛け算は足し算、なら覚える必要なくない?!という思考停止とその後の悔しさと恥ずかしさがヒントになりました。思いこんだことから一歩先に進むことの大変さ。
長くなってしまっていますが、あと一つだけ、とても興味を惹かれたので。
id:sarensongjing さん、ブログ拝見しました→http://xn--9ckk0f4c7781a7r3b.com/taihen.html
mustの意味と使い方が理解できなかった、とかすごい分かります!
増田の経験ですが、英語の理解には段階があったように思います。
私の教えた子はみんなこの辺からスタートでした。まずはアルファベットが呪文じゃなくなるようにしなきゃ、だった
第二段階:意味は分かってないながらも、音読は出来るようになる
音になる=過去に耳から得ていた情報を、英語の勉強に使っていいんだよと理解してもらった。呪文から、普段自分が使っている言葉と地続きの「情報」になるだけで、かなり気持ちが楽になるようでした
第三段階:たまたま知ってた和製英語から類推して、薄ら何を言いたいのか分かるような気がしてくる(気がするだけ)
夜やってるからナイター、でnightは夜!みたいなこと。既に持っている情報を使って新しい知的好奇心が湧いてきたということでもあるかなと思っていました。ただしほとんどの子が、頻繁に間違ったことを言ってくるので可愛くてしょうがなかったです。ダジャレか!
これをしばらく単語覚えゲームとしてやってたら、自然と、接尾語の存在に気付いてくれました。言語は、それぞれ意味を持つ小さなクラスターの集合であるという「概念」が体に沁み込んできたという感じ。理解は、もちろんしていないんですが笑 こうなるともう呪文ではなくなる。
そういえば、nightをナイトと読むというのは、なかなか難しいとこではあるんですが、英語は比較的素直に音とつづりが連関しているので
無理やり読んでごらん?ニグフト!、なんか似てる言葉あるでしょ、えーとえーと………ナイト?!とか、そういう風に付き合いました。
アルファベットを音読できるようになりさえすれば、割とやりようがある。文法もシンプルですしね。
第四段階:文章はどうやら並び順が決まっているらしいと薄ら思い始める
おもしろかったのは、文法の発見よりも、接尾語の発見の方が全員早かったんですよ。単語同士の共通点を探したくなるのかもしれない。-fulとかね。fullがくっ付いたんだよー、だから○○がいっぱい!って意味になる、と言ったら目を見開いてた。
単語も、あるクラスタの集合体である、という理解ができたら比較的早く、文章もあるクラスタの集合体である=文法を発見してくれました。並び順って日本語だって決まってるジャン、と言ったらそれからはすごく教えるのが楽になった。
ここまで理解が飲み込めていないと、助動詞の大切さや意味や力が分からないだろうし、mustを覚えるのはイヤだなと思ってしまったのかもしれないですね…。
増田は、牛よりもゆるやかなスピードで付き合っていました。ある子供は、第三段階で中3の冬だった記憶があります。教室長はハラハラだったと思う…。受験校を決めなきゃいけない時期だったのですが、お母様に、担任の先生の説得をお願いしました。お母様はもっとハラハラだっただろう…、お願いだからあと1回次のテストの結果まで見てくれと。あとちょっとなんだよー!という気持ち
12/23にマクドナルドひめゆり通り店で計算ドリルをしてた若者に伝えたい。
読んでくれるといいんだけどなー。春休み前までに書こうと思ってた。
結論を先に言っておくと、「計算ドリルやってる場合じゃねぇ!!もっと先に進めて、そんで大学進学を目指せ!沖縄の将来は君にかかっている!!」
ってことを言いたかった。
10年ぶり??くらいに沖縄行ったんだけどね。
飲み屋がよかった。。地元の人たちが「一緒に飲もうよ~」なんて手招きしてくるのね。
帰ってきてからも泡盛にハマってしまった(笑)。いまの時季お湯割りがいいねぇ。。
正直僕は南国とかリゾートとかあんまり興味なくて、青い海ウエーイみたいのには無縁なんだけど、
だからこそなのか気になったのだけど、、、沖縄の新聞めちゃくちゃ偏ってるね(笑)。驚いた。
ひょっと旅で行った他所の人(僕ね)が感じることだから間違いないかなと。地元のひとはあれが普通になってるのかもしれんけど。
某掲示板もよく見るんだけど、沖縄のマスコミ叩きがもはや沖縄叩きになってないか?
あれは一体誰がやってるんだ??暖かい沖縄にいて、妙な違和感を感じたわ。
そして、いろいろ見て思ったんだけど沖縄はたぶん仕事探すの大変だろーなーと感じた。
もしも日々の生活にいっぱいいっぱいになったら、バランスのとれたモノの考え方はできないと思うのね。
今回の旅でがんばってる業界も見れたけどね。
あと、やちむん通り?はすげー賑わってたな。焼き物職人で食ってこうってのはなかなかにステキだ。
あまり仕事の数はなさそうだね。。(そもそもフリーペーパーにはそんなにいい仕事載ってないかもだけど。)
今回見たので多く目についたのは、オンラインゲームやらブログの監視。
ゲームやブログで暴言吐いてるやつがいねーか監視する仕事だねきっと。
最低賃金が安い地域に拠点を置いて、安く済ませようってことだろうね。
仕事少ない地域に雇用が生まれるのはいいことだけど、将来より高い給与は望めないよねきっと。
安く済ませようってのは経営判断としては当然だよね。
でもこれって結果的には、沖縄はいいように使われてないか?東京で雇うより安価な労働力として。
その一方で、スーパーやコンビニの物価なんかは東京と変わらないのな。離島ってのもあるかもだけど。
安い賃金に、都会と変わらない物価、、となれば生活は厳しくなるよな。。
昔来た時にはたぶんなかった、外国人観光客向け高級ブランド物屋が死ぬほど入ったハコモノなんかができてたけど、
アレも沖縄の雇用の創出にはそこまで貢献してねーだろーなー。店員さん中国人だったしな。
でも、経営する側は地域の利益より会社の利益を優先するからこれも当然だよね。自分たちでなんとかするしかない。
人気の就職先は、公務員、電力、銀行、、あとはホテル産業も強いみたいだね。
他の人たちはどうしているのだろう??
自分が神の手で「来週から沖縄移住!!」ってなったら何しようって考えたけど、いまの給与を維持するのは多分無理だ。
僕の給料が高いんだぞって意味じゃなくて、たぶん、仕事がない。さくっと行って見つけられる気がしない。
そのくらい厳しいってことね。先輩や友達も仕事を探すのに苦労してたりしないか?どうだろう。
自分が政治家だったらどう雇用を創出しよう??なんて考えてみたけど、これはなかなかに難題だと思うわ。
国が見捨ててるとかじゃなくて、そのくらい難しいんだと思うわ。たぶん。
IT企業の誘致ってのもあるそうだが、補助金なくなるあたりで沖縄からは撤退するんだってね。笑
ここでもいいように使われてるよなー。。
そもそも沖縄にIT人材がいねーーんだよ!!てのが経営者に言わせるとそうらしいんだけど。
特定の種類の人材がいない、(から)企業がこない、(その結果)産業が少なくなるって流れだよね。
だから働く意思あっても、、失業者増、賃金ダウンにつながるのかと。
この状況を抜け出すには、高い教育を受けるのがイイんだ。
親御さんや先生、周りの大人で「そうだぞ」って言ってくれる人がいるといいのだけど。
ヒルビリーエレジーって本を読んでみてくれ。アマゾンで中古で売ってると思うたぶん。
都会の金持ちにいいように使われるようになってはイカン。君自身の市場価値を高めるんだ。
それで表題に戻るんだけど、計算ドリルしてる場合じゃねぇ!!早く終わらせて、次の課題に君はどんどん進んでいくべきだ!
「将来はー、センパイの店手伝って、、ヨメはオンゲの監視のパートさー。」
では経済的余裕は生まれん可能性が高い。都会の金持ちの思惑に乗ってはイカン。
そして可能なら、沖縄から出て進学して、しばらく県外で働くのもいいかもしれん。
仕事のレベルを上げて独立して沖縄で働いたらいい。沖縄の外の空気を吸うんだ。キッタネーけど!
経済的に余裕がないことには、他のことを考える余裕はなくなると思うわ。基地問題とかな!
ワケのワカランIT業者に補助金出すくらいなら、彼のような勉強する意思のある若者が「県外」の大学で高い教育を受けられるようサポートしてあげてほしい。
沖縄と東京の間に溝、わだかまりがあるような事態はヨロシクナイ。沖縄を日本から分断させようとする意志がある者がいるようだ。
経済的に余裕がなく他のことを考える余裕がない人たちに、一方的な論調のマスコミの力が働けば、ものの考え方は一方向になる恐れがある。
中高生の読解力がうんぬんかんぬん、という記事を読んで思い出した。
何年か前、中学2年生の女の子に、週に1回、2ヶ月ほど家庭教師をした。
結論から言うと、私には彼女の成績を上げることができなかった。
以下に続く文章は、上手くいかなかった言い訳と、「では、どうすれば良かったのか?」という問いかけ、になる予定である。
私が受け持つことになった女の子の成績は、あまり良くなかった。
分かりやすく数学(算数)を例に取ると、九九はなんとか分かるが、2桁の加減算、1桁の除算等、小3〜小4以降で習うような計算がほとんど理解できていなかった。
中2春の実力テストは、5教科100点いくかどうかといったところ。
週1で5教科すべて教えて成績を上げるのはかなり難しいと判断した当時の私は、勉強を見るのはメインの数学と、息抜きの英語に限定して、後の科目はひとまず学校の授業を受けるときのアドバイス(人に見せることを想定して板書を取るとか)に留めた。
数学では、100マス算を一日1回やってもらい、そのとき時間を測ってもらうようにした。同時に、小3と小4の計算ドリルを買って来て、一日一ページやってもらうことにした。
彼女は自分の計算に自信がなかった。また人見知りで、なかなか「ここが分からない」というのを聞き出すことができなかった。そこで、自信を持ってもらうために、まず簡単な問題を反復してもらった。
英語では、彼女がワンオクを好きだったので、ワンフレーズずつ歌詞の和訳をして、覚えてもらった。これは食いつきが良かったように思う。
2ヶ月くらい、そのようなことを続けたが、満足な結果が得られないまま、私が全く別の理由で体調を崩してしまったので、家庭教師も済し崩し的になくなってしまった。
今にして思えば、もしあのまま続けていたら成績が上がっていたか、どうも怪しい。
問題は少なくとも2つある。
まず、週1ではモチベーションを保つのがそもそも難しい、ということ。もう一つは、とかく中学生は早く大人になりたがる生き物である、ということである。
直接聞いたわけではないので確かめようもないのだが、「中学生が、小学生のドリルをこなしている」という自分の置かれた状況に、彼女自身があまり納得していなかった気がするのである。教える立場から見れば合理的のように見えても、彼女にとってそうではなかったのではないか。
(もちろん、正負の違いを数直線で教えるなど、中1の内容もフォローしていたつもりだが、ボリュームとして小さかったのは事実である)
では、私は、どうすべきだったのだろう?
「中高生の読解力が低下している」という話は昨今よく見かけるが、私はそれを嘆くより前に、教える立場から、足がすくんでしまう。
あいつらは「批判」をすっごい悪いことって意味で使ってるの。
「批判」は和を乱すとか喧嘩を売るって意味でしかない。ケチをつける。因縁をつける。人の気分を悪くする。
批判は、すごくネガティブな、ピースフルでない、縁起の悪い行いなわけ。喧嘩とかケチ付けってことなわけ。
と、ここのコメントの1つ
研究者の頭脳と時間を、違うことに使いすぎている - 日経テクノロジーオンライン → ブコメ
基礎研究と応用研究、政治家はアカデミズムと算数ドリルがまだ区別できておらず「基礎なんかすっ飛ばして最初から応用問題が解けた方が効率よいし偉くね?」って本気で思ってそうなくらい、基礎研究軽視だからなー
2017/06/24 17:10
なんで歴代ノーベル賞受賞者の面々が口を揃えて異口同音に「日本は基礎研究に予算かけなさすぎ」って叫んでるのに、政治が一向に基礎研究への予算配分増に対して及び腰なのか、
一方で金欠だ振興費はもう頭打ちだと言う割に「チョコレートで脳が若返る」とかいう、明治のPRにノせられスライドだけ無駄に立派なトンデモ似非研究に内閣府が飛び付いて、予算がすんなりタンマリ通るのか、自分の中で勝手に謎が氷解した。
いつもなら「選ぶ側の政治家が科学や研究学問に対して無知無理解だから」「真偽を判断するだけの科学リテラシーと知識が無いから」で済まされて、最終的に「日本の政治家がバカばかりなのが悪い」と結論づけられるが、
多分それだけじゃない。使ってる言語体系と価値観の相違も勘定に入れるべきだったんだ。
つまり、内閣府の皆さんや現行の政治家の皆さんの多くが「基礎研究」「応用研究」の頭に付く「基礎/応用」という修飾語を、我々と違うニュアンスで捉えてるかもしれない、ってことだ。
・「基礎研究」と「応用研究」(大学や研究機関)
・「基礎問題」と「応用問題」(数学の問題集)
似てるようで全く異なる両者を、同じ意味でイメージしていらっしゃる可能性が非常に高いかもしれない…ってことだ。
つまり
「基礎研究というものは、延々と3+(-4)=-1… みたいな、計算ドリル初歩の練習問題を繰り返してつまづいている段階であり、それすらすぐ正答できないという事は無知で後進的で恥ずべきこと。
基礎なんかはもうとっくに出来てる前提で、応用研究(問題)がスラスラ解けるようになる事が到達目標であり良いこと。だから限られた研究予算は、基礎研究(問題)なんかをいつまでもダラダラやってる子(大学)よりも、
成果がすぐ見える応用研究(問題)をいっぱい手がけてる優秀な子(大学)に優先して配分するよ!」…という盛大な勘違い価値観のまま、表彰対象を選んでる可能性がある。
…いやそれも「連中が無知なのには変わりないだろ」と突っ込まれるかもしれないが、純粋に知らないのと、知ったつもりで誤解したままなのでは話が別だ。
もし「基礎<応用」という上記のニュアンスで捉えている人が多かったら、科学者の"基礎研究を大事にしろ"の声が政治家に届かない理由も分かる。
"基礎研究なんて膨大な無駄の中からほんの少し凄いものが出てくるって世界(id:k_oniisan)"っていう正論も、「基礎の段でつまづいてるような出来の悪い子が、こづかい減らされるのを恐れて出来ない理由と言い訳を並べている」
としか受け取られていないかもしれんわけだ。たまーに偉いノーベル賞受賞者の先生が擁護して同じことを言っても、「出来の悪い子を、自分の身内やお友達や生徒だからって庇い立てしてるだけだ」と見做されているわけだ。
他方、基礎を終わらせて、もしくは基礎を飛び級して、成果の出る研究、金になる研究、応用研究に軸足を移し、先駆けて沢山手がけている子こそが優秀であり、高効率であり、限られた科研費の優先投資先として
相応しいのだと。そういうロジックで選んでるのだとしたら、民間企業協力のキャッチーな予備実験や仮説もどきの方が最先端研究だと持て囃されるのも実に納得だ。
そりゃ平行線にもなるわ。
書いてて絶望的になってきた。自分だけの思い込みかもしれないけど、これで科学立国とかマジで無理ゲーじゃね?
思った以上に賛否色々とブコメ、トラバを頂き、話題をすぐ畳むのが勿体なくなったので折角もう少し風呂敷広げてみよう(広げた後に収拾する気があるとは言ってない)
・id:outalaw 「予算」という言葉がすれ違っていそう。科学者たちは恒久的な人件費を含めているが、行政は一時的な雇用費や物品費こそ予算と捉えており、行政のいう予算は横ばいだが科学者のいう予算は減り研究時間も減っている。
・id:death6coin トランプアメリカはもっと低い次元にいそう/http://www.nistep.go.jp/archives/32530によれば予算的には減っていないが出どころが変化しており、研究者に成果へのプレッシャーがあるのではないかとの分析がされていた。
確かにその可能性も高そう。年度毎に補助金申請書を書き直さなくてもよい永続的フローが保障される事を要求する研究者サイドと、◯期活動分のキャッシュを確保することに奔走し、科研費増なんて出来るわけがない現実を見据えてる政治家サイド。
かたや「基礎研究への予算が増えない」と嘆き、かたや「予算は水準維持してる」と主張するのも、どちらかが嘘付きって事ではないはず。おなじ「金」のことを話してるんだからすれ違うはずがないと思いきや、両者の中で定義が違うままと。
で、河野太郎の研究者の皆様シリーズもまた、ブクマ上位によく来る人気エントリだが、結局できる事は"成果を生まない大型プロジェクトをつぶしてほかのことに振り替えるか、または成果を生まない研究者の予算をほかに振り替えるか"
実際上記の通りプレッシャーかかってますね
*id:kaeuta 馬鹿にしたい気持ちはわかるが、今の政権は経済産業寄りという点に尽きる気が。国民感情的に「膨大な無駄」が許される状況ではなく、基礎研究がすぐに金を生まない以上、金になりやすい応用研究が推進されるのだろう
*id:mainasuplus 増田にもあるけど、短期的に金になると想定される分野にしか研究費を突っ込みたくないのだろう。基礎研究や文系学問に研究費が落ちてこないのはほぼこれに尽きると思う。
予算は限られてて、社会保障費並の伸び率で野放図に増やすわけにはいかない。じゃけんせめて、振り分ける対象の厳選仕分けと優先順位付けくらいきちんとしましょうね~ という大筋は正しい。
が、それでも「基礎研究に割り振る比率はもう十分与えたから、与えられた枠内で工夫するか減らすかしてね」には強く反対する。
また抽象的な例え話に飛ぶが、国民も政府も喉が渇いてて、収穫すればすぐ生食できて喉が潤う万能フルーツ『成果』の大規模栽培を皆が渇望しているわけで。
収量予想や収穫期限コミットまで厳しくガン詰めされているので、使える湯水(金)も限られ、なおさら『成果』を優先栽培する以外に選択肢はないわけで。
でも、その『成果』を栽培するにあたって必須となる土づくりと肥料、その名も『基礎研究』…これは今すぐ食えるモノじゃないし成功の保障も低いから、金かけるのは後回しにしてね。そう言ってるわけだ。
もしこれから科学事業を再び仕分けていくにしろ、まかり間違って奇跡が起き科学振興予算が倍増するにしろ、上記の思想ベースである限り、どれだけ湯水の如き金があっても、きっと土壌と肥料は最後まで後回しで、
皆こぞって効率良い『成果』の密植技術開発に明け暮れるのだろうね。やがてサイエンスという土壌は、キャパを超えて過剰密植された『成果』に養分を吸われて徐々に痩せてゆき、追肥もされないので
最期は何も生えない不毛の大地だけが残りましたとさ。めでたしめでたし。
これには強く同意する。事業仕分けとかで管轄範囲の権益を侵さない限りは、知った上で正しく確信犯として野放しにしてる感
「ボケ、痴呆→認知症」っていう事例もあることだし、たかが言葉遊されど言葉遊び、形からでも変えてみる意味はあるかもね。
但し、「障がい者、子ども、メクラチビゴミムシダマシ」のように、無理に言葉狩りして理念が追い付いてない、仏像彫って魂入れずだと反感を買うおそれもあるね
無料で選べたはず。終盤になると負けはしないが勝てない敵が出てくる。
ブレイブリーデフォルトの改訂版やセカンドでは
設定で敵が出てこないようにできる。
セカンドは三段階で真ん中のモードで多分三分の一くらいやったが、
かなり上になるくらい経験値を多めに得られる。
ファイアーエムブレムでもフェニックスモードとかあるし。
俺はコンピューターRPGでは戦闘も重要だと思っていて、
ウィザードリィとかマッピングと戦闘による経験値稼ぎとアイテム集めが
主な楽しみだったことから、
コンピューターRPGではストーリーめいたもののほうが後からついてきたものだと思う。
コンピューターRPGでの経験値稼ぎってのは、
若い頃に計算ドリルとか漢字や外国語の綴りの練習とかを繰り返しやると
いつの間にか身についているって喜びを、
息子の担任は板書をしない。
どうしても何か手書きする必要がある場合は、ペンタブのようなものを使う。書いたものは電子教材が映るスクリーンに表示される。
「できるだけメモはPCでとってください」とは言うものの、紙と鉛筆を使うことも認めている。
もっとも、ほとんどの児童は授業でノートパソコンを使っている。
支給品でも5万円で買わされた端末でもない。児童というか親兄弟の私物だ。
「古いPCでもお下がりでも良いです」、「キーボードと液晶とマウス(トラックパッド)がついているものにしてください」、「購入する場合は『新品で一番安いノーパソ』を買ってください」と、学期始めの保護者会でアナウンスがあった。
それに新品を買っても3万円程度で済む。
塾代よりは安いし、学校で使わなくなったら他の用途に回せば良い。ノーパソは潰しがきく。
一応OAタップが教室の各コンセントから伸びており、随時充電できるようになっているが、利用する児童は少ないという。
プロセッサに負荷のかかる作業をしないからだろう。また、替えのバッテリーを持ってきている子もいる。それに体育や音楽の時間は使わないから、勉強中にバッテリーが切れることはまずない。
電子教材は授業前日までに担任の自宅サーバーからダウンロードしておくきまりになっている。忘れた子は当日に友達からUSBメモリーなどを介して"借りて"いる。
教室にネットワーク設備は無いが、授業中のネット利用は認められている。
モバイルWi-Fiルーターやスマホのテザリングで分からない言葉を調べたりしているようだ。
シャイな子はメールで担任に質問し、随時メーラーをチェックしている担任はその場で回答するらしい。
担任の話が面白いから、授業中ネットやゲームで遊ぶ子供はいないそうだ。
しかし話す内容の密度が濃く、ついつい聞き入ってしまう。スクリーンに映し出される教材も目を引く。
聞くところによると、担任は職にあぶれた博士出だという。文科省の大学院重点化政策も悪いことばかりではない。
また、計算ドリルや漢字の書き取りといった反復学習を授業中にすることはない(宿題には出す)
計算問題の解き方は授業中教えるが、「単純作業を学校でやるのは税金の無駄」というのが担任の言である。
閲覧するだけの教材はすべて電子データだ。他方、書き込みが必要な問題集やテストはペーパーである。
本当はすべて電子化したいらしいが、使い勝手の良いサービスがまだないらしい。
しかし子供というものは面白いもので、担任が言わずとも紙の教材をスキャンして電子化している子がいるという。紙のドキュメントの管理がいかに煩雑か、子供でも分かるのだ。
ところで私が「電子黒板やタブレットを導入する予定はないのですか?」と担任に伺ったところ、「公共事業をするつもりはありません」との言葉が返ってきた。
絶望にすすり泣く子供の代わりに土日で計算ドリルをする父母諸姉諸兄に置かれては、いかがお過ごしだろうか?
っていうか、大変ですね。つうか親でもないのにオジサン勘弁して欲しいッス。
で、読書感想文みたいなクソな宿題が全国で阿鼻叫喚の地獄絵図を巻き起こしているのを見るに見かねて、
ここに簡単なコツを書いておくから、是非参考にして欲しい。
アメリカンなお坊ちゃんお嬢ちゃんは、リポートってのは結構しっかり叩き込まれる。
これは、文法から始まって事実と意見の分別だの論理構成だのをみっちり仕込まれる。
日本じゃ大学生が卒論書くときに学ぶようなことを、エレメンタリースクール時代にシゴカれる。
そもそもな、「感想文」なんだよ。
自由に感想を書きゃいいはずなんだよ。
だが、日本じゃ良くある話だがホンネとタテマエは別で、
「クソみたいな話でした。作者は一回サラリーマンとして働いたら良いと思います」とか書くと悪い評価になったりするんだよ。
まあ得意な子もいる。本を読んで感想を言うのが好きだとか、ポエム書くと恍惚とするとかそういう子な。
だが、本を読むのも感想書くのも苦痛な奴に、何の技術も教えないまま読んで書かせるとか、ちょっとした虐待だよ。
水泳の授業で、突如船の上から叩き落として、「時間までに泳いで帰ってこなかったらメシヌキな」ってやるのと同じなんだよ。
だから、原稿用紙を埋められない我が子にガッカリした顔は絶対に見せるな。それが普通だ。子供結構簡単に傷つくぞ。
さて、さらっと触れたが、「日本の読書感想文」ってのは、技術で出来る。
アクションに落とせない精神論で子供を追い詰める教育者は消えてなくなればいいのにな。
まあエレクチオン後に解放されたリビドーを子供らしい感性の発露として紙面に叩きつけられる天然さんも居る。
が、そんなギフテッドばかりじゃないわけで、ここはテクニカルに解決しよう。
何でもそうだが、ゴールの見えないマラソンほどキツイものはない。
だからまず、ゴールを設定しよう。
基本的には、この「意見」「感想」「理由」「場面」で原稿用紙を埋めれば良い。
これがゴールだ。
取り敢えず、イオンに買い物に行くついででも、あの例の鼻に棒を突っ込んだシールが貼られた本の中から、
我が子に「一番読みたい本/マシだと思うヤツ選べ」と指令を出して、選んだ本を買ってこよう。
で、読ませる。まあ時間がかかっても半日あれば読めるだろ。何としてでも一回読ませるんだ。
まあ、最後に別に読まないでもなんとかなる方法も書くから絶望はするな。
読み終わったら、次のステップになる。
5ステップだな。
ま、取り敢えずここでは低学年でも中学年でも高学年でも行ける
「ちきゅうがウンチだらけにならないわけ」を課題図書として取り上げよう。福音館だしな。
「読んでどうだった?」とかな。
「難しい」とか「面白くなかった」とか言うかもしれない。
こっからは各家庭の教育方針になるからネガティブコメントでも我が家の天使の言葉は天啓である!とか言うなら止めない。
が、「笑ったとことか、悩んだところは、どこだった?」とか「面白かったところとか、どこか気になったところは?」とか聞こう。
「ウンチが役に立つって言っても、そういう特別なバッチイ虫とか植物じゃないの?」とか言うかもしれないな。
ま、それで良しにしよう。
「このページの虫は、フンコロガシって言うんだよね。他の虫に取られちゃわないように持っていくために転がすんだよ」とか
まあ、そういう親らしいふれあいとかが合っても良いかもしれないな。
閑話休題。
「なんで、特別なバッチイ虫や植物だと思ったの?」と聞くわけだ。
「え、だって普段からママが犬のウンチとか汚いし、虫とか嫌いだって言うし……」とかなるかもしれないな。
「そうね、ウンチは汚いし、ご飯の前には手を洗ったりするもんね。偉いね」みたいな、何年生想定だコレ。
まあ、「特別なバッチイ虫」だと思った理由は「ママが普段から汚いって言ってた」からだ。
「汚くないものが、普通」「汚いものは、特別」という視点だな。
課題図書っていうのは、基本的に意見を言いやすい本が選ばれる。
「レットはスカーレットの愛を受け入れるべきだったと思います」とか評価する方も判断に困るわけだ。
だから、「汚くないのが普通で、汚いものが特別」というのは、別に特殊な考え方じゃないと言える。
「でも、ママやタッ君には汚いしばっちいウンチも、虫にはごちそうになるわけよね」
「でも、そういう虫が特別なら、ウンチはその虫だけしか食べないから、ちきゅうがウンチだらけになっちゃうよね?」
「ん?ってことは、ウンチの数だけ、虫がいて、食べてるってこと?」
みたいな流れだな。
結構誘導してるが「バッチイ虫は特別だと思ったけど、特別じゃなくて、いっぱいいるのかもしれない」というのは、立派な意見だ。
結論として地球がウンチだらけになってないなら、多分いるだろう、と。
さて、ここで振り返りだ。
フンコロガシがウンチを転がしてる「場面」に対して、
「汚くないのが普通で、汚いものが特別」だからという「理由」で、
「役に立つって言っても、そういう特別なバッチイ虫とか植物じゃないの?」という「感想」になった。
ソレに対して、「地球がウンチだらけになってないなら、ウンチの数だけ虫がいるのかも?」と考えて
「バッチイ虫は特別だと思ったけど、特別じゃなくて、いっぱいいるのかもしれない」と「意見」を出した。
この辺で自分の身近な経験とか会話を入れるのがコツになるが、まあ無理な場合はその場で会話すれば良い。
「ママが昔は肥溜めがあって、人間のうんちも野菜の栄養になってたと言っていました。
うんちを食べる虫と僕たちは、同じで、特別じゃないのかもしれないと思いました」
とかだな。
まあ、あんまり道徳的な結論にもポジティブな感想にもなっていないが、
「子供が引っかかったポイント」を広げて「場面→理由→感想→意見」となったわけだ。
これを、「場面→理由→感想→考え→意見→シメ」に直して書くわけだ。
フンコロガシがウンチを転がしてるところを読みました。
「汚くないのが普通で、汚いものが特別」だと僕は思っていました。
だから、「役に立つって言っても、そういう特別なバッチイ虫とか植物じゃないの?」と考えました、
でも、良く考えたら「地球がウンチだらけになってないなら、ウンチの数だけ虫がいるのかも?」と思いつきました。
「バッチイ虫は特別だと思ったけど、特別じゃなくて、いっぱいいるのかもしれない」と思いました。
「ママが昔は肥溜めがあって、人間のうんちも野菜の栄養になってたと言っていました。
うんちを食べる虫と僕たちは、同じで、特別じゃないのかもしれないと思いました」
ちなみに、題名と名前を書くと、ぴったり400字詰め原稿用紙1枚になる。
青少年読書感想文全国コンクール応募要項によると、小学校低学年(1,2年)が 800字以内、中高学年(3,4,5,6)が1,200字以内だ。
400字詰め原稿用紙2枚半を埋めればおおよそ対応できるということになる。
例えば、「僕はこの本を最初に読んだ時には、難しいし、あまり面白くないなあと思いました。」これで37マスだ。
「パパは「肥だめを知ってるなんてママは実は歳を誤魔化してるのかもな」と笑いましたが、ウンチみたいになるまで殴られてました。」これで60マスだ。
こうやって、途中途中で我が子が考えたり、自問したことを全て原稿用紙に書かせると、結構簡単に埋まる。
ポイントは、骨子の部分である「場面」「理由」「感想」「意見」がキチンと揃っていることだ。
読書感想文は、その名に反して、単に感想を書いたのでは良しとされない。
我が子の素直な感想を、「そう思った場面」「そう思った理由」「そこから考えた意見」にすることは、難しくない。
そしてそれらが定まっていれば、原稿用紙を埋めることはそんなに難しくない。
だから、読書感想文は、実は結構簡単にやっつけられるタイプの宿題になる。
(俺はあらすじ反対派だ。なぜなら、適切な要約は大人でも難しく、結構そこで詰まる子がいるからだ)
これが発達障害(ADDじゃないかと思う)のせいなのか、単に俺が怠惰なだけでみんな(俺からすれば)血を吐くような努力をしてやっているのかを知りたいので診断を受けたいが、超混み合ってるみたいでなんとも…。
細かいことが昔から大の苦手で、細かいチェック項目を埋めていく作業とか整理整頓とか段取りとかが苦痛で仕方が無かった。
最近、細かいチェック的な仕事が凄く多くて、ケアレスミスを頻発してる。何度見直しても大体何かしら見落とす。
そもそも細かい見直し自体が苦痛で仕方が無いし、一字一句正確な仕様書を作る作業とか、思わず発狂しそうになる。
人の話を聞いた傍から忘れたりするし、メモってもメモそのものを無くしたりするのが日常茶飯事。
思えば昔から空気の読めない子供で色々問題があったらしいし、計算ドリルとかをまともにやりきった試しがなかった。
(面倒臭すぎて途中で投げ出してしまう)
細かい書類を用意するような事務手続き系も発狂しそうなほど苦手だ。
そういうわけでどうもADなんじゃないかと疑い始めたんだけど、診断ってかなり面倒なもんなのかな。
数式を扱うのは言語を扱うのと一緒だから女性的な脳でも大丈夫と思うが、図形を扱うには空間把握の力が要るので、男性的な脳の方が上手くやると思う。
でも世の中(というか日本)に数学が苦手な人が多いのは、中学レベルでの学校教育が下手くそだから。
小学校までの数学を習得するには、ゴリゴリ計算問題を解いて、反射的に解けるまで暗記するやり方が向いていて、そういう教え方は日本ではすごく発達してる。公文式とか計算ドリルとか教材も充実してるし、それを使って教える教師の能力も充分。だから日本人の小学生の数学力は高い。
中学以降の数学を習得するにはただがむしゃらに問題を解こうとしても上手くいかなくて、その前に、なぜそういう解き方をするのかという理屈を丁寧に学ぶこと、あるいは、自分がなぜそういう答えを導き出したのか、理屈を丁寧に説明すること、そういう学習が重要になってくる。けれど、日本の学校はこれを軽視した授業をするので脱落者が続出する。学校は数学の理屈をきちんと説明しないので、学校にあまり頼らない人、つまり、説明が適当でも自分の頭の中で補完して理解できる人や、数学がなぜか好きで自分から進んで自習するような人、塾などに通ってフォローできた人は数学力が伸びる。
処方箋は数学教師の教え方の質を上げること、脱落した生徒をきっちり留年させてリトライさせること。教育給付金を一律にばら撒くより、数学教師の給与をアップして良質な教師を確保するとか、留年する生徒の学費に回すとか、そういうピンポイントな使い方のほうが日本人の学力の底上げに効果を生むと思う。
文系の私大でなので大学でプログラミングっぽいことは一切勉強してません。
この業界を目指すようになってから独学でVBAを始めて、最近始めて自分でプログラミングをしたというレベルです。
やっと変数の初歩を覚えて、ランダムで生成される計算ドリルみたいなのを作りました。
自分で書いたプログラミングが動くというのは楽しい!もっと早くからやれば良かったです。
さて、ここからが本題です。
今やりたい仕事の優先順位は
こんな感じです。
なんでWEB系かというと、広告に興味がある、BtoCであることの楽しさ、
常に新しい技術に触れられる。こんなところです。
正直言えば、楽しそうだからです。ソーシャルとかクラウドに触れてると
なんかの液が分泌されてる感じがするからです。たまらんのです。
しかし現実として求人の多くはSierやITコンサル、組み込み系の会社です。
もちろんこいいった企業の仕事も魅力に感じている部分もあります。
しかしやはりWEBへの興味が勝ります。
又、就職活動をすすめていって
・ある程度以上の規模のSierは安定している
新人の教育という意味でもSierの方が安定しているように感じます。
そこで、以下の質問があります。
1 やはり最初からねばってねばってWEB系を目指すべきか?
電子工学科に入ったんだ
毎回演習問題をやらされたんだ。
複素数の
とおもったけど
半年ガリガリと計算問題を解いているうちに
虚数単位i(電子工学だと電流と紛らわしいから本当はjを使う)
がルートやπみたいに当たり前になってきた。
2年になったら交流理論を習った。
複素数を使うと
解の公式からsinコサインと加法定理やら三角関数が消えてしまった。
コイルやコンデンサは虚数の抵抗値を持つ抵抗器ってことになた。
3年でラプラス変換を習った。
1,2年であんなに苦労させられた微分方程式がなぜか
連立方程式が行列で一般化されて「ハイ簡単に解けますね?」って
いわれても「計算量ぜんぜん減ってないじゃん」っていまいち納得できなかったけど
複素数はマジすげえと思った。
結局何が言いたかったかというと
わからなきゃ損
(あと指数もな)