はてなキーワード: ピアニカとは
ピアノはもちろん、ピアニカとか、リコーダーだって鍵盤じゃないけど、音が一列だけに並んじゃってる
ギターは普通6本の弦があり、それぞれがピアノの鍵盤のようなものでもある
ピアノの鍵盤が6段並んでいると思っていい
その6本の張力が絶妙にズレている、チューニングされていることで、ピアノでは見えなかった音の法則が見えるようになるのである
しかし、GIGAスクールとか称して、一人一台Surfaceとか、一人一台iPadとかあるらしい
しかも、それを子供は安易に叩き壊し、企業もあれら端末を修理できるように設計していないため、すべて買い換えているらしい
そんな金があるならギターをやれ
若くてイケメンだったらギターをやってれば三割増しぐらいにはモテるようになる
ゲームあんま興味ないし、本文もあまり精査して読まずに書くんだけど、
どこかのアニメ監督さんだったかな?インタビュー記事だったかで読んだ記憶がある、うろ覚えなんだけど、
劇伴やらせるなら、音大とか出てないと駄目、独学から出てきたような人は採用しない、って言ってたんだけど、
それって、もっともなことだと思ったんだよね
劇伴、要はアニメとかドラマのBGM、効果音的にも使われたりすることもあるわけだけど、
ああいう仕事をするのに、それこそバンド活動から音楽理論独学してはい上がって来たような人がいたとしても、まあ駄目だと思うんだよね
あらゆる楽器に精通してないといけないし、オケの知識とか必要だし、厚い音楽理論や経験に裏打ちされてないとならない
そこに、突飛さは求められてなくて、監督さんが、というか、シナリオ上こう悲しいんだ、こう嬉しいんだ、こう絶体絶命で、こう快進撃で、
みたいなあらゆる要求に、それに適した楽器とか編成とか、もちろん楽曲を用意しなければならない、あらゆる手配もしなければならない
すごく失礼なこと書くけど、自分は最近は八十八ヶ所巡礼みたいなの好きだし、古くはたまみたいな日本のプログレだって好きだし、
あぶらだこみたいなのも好きだし、ヒカシューみたいなのも好きになっちゃったし(みんなオーガス2のせいだ)、
なんか既存の音楽のセオリー、テンポ、楽器編成、何かを壊してほしいと思ってる
でも、そういう人たちは、劇伴の世界では求められてないと思うんだよね
ギターだけが上手い人、タンバリンやカスタネットだってとんでもないほど奥が深い楽器だということを承知で書くけど、
パーカッションだけ特化した人、一点豪華主義、ギターベースドラムボーカルできますみたいなバンド世界だけの人、
劇伴はそれじゃ駄目だと思うんだよね
もっと、あらゆる楽器に精通してて、音楽理論とかの正規の教育に裏打ちされてて、
だって、最終目標は監督の要求に応えること、というか、音楽は主役ではなくて、あくまでその物語を盛り上げる道具にすぎないわけで、
だから、道具に突飛さを求めるなら、それこそ独学だったり、ちょっと頭おかしい狂ってる(誉め言葉)人を採用するべきなんだろう
そういう人を音大や芸大に求めるのは間違っているんじゃないかな?
端的に言えば、彼らは指示通りに動くわけだから、指示を出してる人、監督さんとかゲーム本体を作ってる側に問題があるのでは?
彼らに求められるのはクライアントのあらゆる要求に応えることであって、突飛なアイディアを出せとか、客の目を引き付ける変なものを作れとか、そういうことじゃないんじゃないかな
音大や芸大を出ている彼らはプロフェッショナルではあるのだろうから、プロにはちゃんとプロに適した指示を出さないと、クライアントは望んだものが得られないと思うよ
つまり、ここから木の枝にタイヤがぶら下げられてるとか、ジェットコースター🎢とか、顧客が本当に必要だったのはガンダムでもジムでもなくてボールだったとか、
バンドが好きでギター始めてTAB譜(ギター専用の楽譜みたいなもん)を買って引いてみると、ギターって全然主旋律じゃないから「あれ?なんか俺が思ってた楽器引いてる感と違うな」ってなりがち。
普通に生きてきてたら見かけたり経験したりする楽器って「ピアノ(ピアニカ)」「リコーダー」とかだと思うんだけど、どっちも主旋律(メロディー)を演奏するので単体で成り立つんだけど、バンドサウンドのギターって割とそうじゃない部分が多いので「なんか、思ったより地味やな……」ってなる。
もろちん、ギターソロが多い曲とかイントロパートとかは「楽器演奏してるぜい!」って気持ちになるんだけど、Aメロ、Bメロあたりはジャーン、ジャカジャカみたいな感じになって「地味やな……」ってなる。
最近の例が上手いこと思いつかんけど、太古のオタク課題曲だと「God knows...」とかさイントロはめちゃくちゃカッコよくてそこはすげー練習するんだけど、Aメロはじまると急にジャーンってなるの若干のテンションの落差がある。
同じく太古の昔、けいおんとかいうアニメが流行ってその中でベースの女の子がめちゃくちゃ人気があってベースが爆売れしてその後メルカリで爆売りされたんだけど、まぁ、アニオタなんかやってるボッチメンがベースなんかやっても全然面白くないだろうしそりゃそうだろと思って見てたわ。
自分の意志で独身あるいは子無し夫婦を選択してる人のエントリを読むと、
好きなことに時間とお金を費やしてきらびやかな生活を送っておられて大変に羨ましく感じる。
結婚して、特に子供がいると確かに自分の都合なんてものは皆無で、子供の世話だけで持てるエネルギーの全てが消費されてしまう。
これはうちの子供がまだ小さいからではあるのだが、子供の世話の何がだるいかって、作業量が膨大かつとことん自分のペースでは進んでいかないのである。
例えば「風呂に入れる」といえば一言で済むが実際の行動を羅列すると、
・逃げ回ったり泣いている子供をなだめすかして捕まえて脱衣所に連れていく
・服を上下脱がせる
・自分が脱いでる間に子供がリビングに逃げるのでまた捕まえに行く
・おもちゃで遊びたいとか言って泣く
・泣き止むまで遊ばせたりご機嫌をとる
・拭いてるそばからお湯とかシャワー触って身体を濡らすのでその都度拭き続ける
・保湿とか塗り薬とかする
・服を着せて髪を乾かす
・ようやく自分の服を着て髪を乾かす
といったように、ちょっと酷い時の例ではあるのだが、とにかく自分一人の作業量と比較すると何倍もの労力が必要になるのだ。
生活において万事この調子であり加えて毎日仕事は行かなきゃなので、「キィィィィアアアアヤァアァァ!!!」と喚き散らしたい気持ちを常に内包している。
パートナーも同様に心身共にくたびれているのでお互いにピリピリしている時間が増え、
教育観や生活観のすれ違いによるいさかいも発生し関係性は間違いなく子無し時代とは異なっている。
良かった記憶よりしんどい記憶の方がポンポンと出てくるし当然職場での話題も苦労話が中心となる。
でも、子供がいない時代に戻りたいか?と言われたら、絶対にそんなことはない。
今の私はオシャレもできないし好きな時に飲みに行けないし旅行も制限が多くて行きづらいが、
自分の服を選ぶより子供の服を選ぶほうが楽しいし飲みに行った時何を話したかは記憶に残らないが家族で行ったファミレスは記憶に残ってるし
しんどいと感じることは具体的に挙げられるのに対し幸せだと感じることは漠然としている。
子供が急にぎゅっと抱き着いてきて何だ?と思っていたら「いいにおいがする」と言ってくれたり、
子供を膝にのせてお風呂に浸かってる時に伝わる柔らかな肌のぬくもりと心地よい重みだったり、
人差し指でしか弾けなかったピアニカが片手で弾けるようになってるのを見た時だったり、
わざわざ人に伝えるような出来事は起きてないのだ。
繰り返しになるが、確かに飲みにも行きたいし一人の時間を誰にも邪魔されずに過ごしたい。
でも、それをしてる自分を想像してもやっぱり今の自分のほうが幸せだと思うのだ。
記憶を消して10億円貰える状態で過去に戻れるとしても私は絶対に戻らないと断言できるくらい
これを読んで「やっぱ子供いらないわ」と思う方もたくさんおられると思うし、
今後何かしらでめちゃめちゃモメてマジで後悔するような未来も全然可能性としてはあるから
あんま言いすぎると後で恥かく気もしているのだが、
1950年代生まれの親戚が、パソコンのキーボードやスマホの画面を「押してすぐ指を離すこと」が出来なくていつも長押しになるので、指を離さない理由を聞いてみたら、この動作をしたことがないと言われた。
そんなことある!? 楽器の鍵盤とかあるじゃん!? と思ってピアニカについてググってみたら普及は1960年代半ば以降ということなので、その人の小学生時代には触る機会が無かったようだ。(ピアノやオルガンも習っていない)
でも電卓やプッシュ式の固定電話使ってたよな……。あれって長押ししても1回の打鍵になるのか……?iPhoneのキーボードは指を離した時に判定されるけどそれと同じ? 手元にないから確認できなくてモヤモヤする。
あれは忘れもしない。5歳の頃に幼稚園でピアニカの発表会の練習をしていた時の事。
クソ寒い体育館?みたいなとこで練習してたんだけど、当時から陰キャ爆発してた俺はおしっこを漏らした。泣いた。周囲に気付いた人はあんまりいなかった。
この経験は人生初の壮絶な羞恥であり、今の俺の性癖の土台となった。
これも忘れはしない、広島の己〇小学校、四年生のとき、帰りの会でリコーダーで「パフ」という曲を全員で練習するのが当時の常だった。
俺は全力で演奏していたが、演奏中に隣の女子がリコーダーを置いて教卓の前に歩いていき、一人静かに出て行ったのを横目で見た。
全力の演奏が終わり、あとは挨拶して帰るだけ、なのに隣の女子は帰ってこないし先生も「待ってろ」と言い残して消えた。
ふと横を見ると水溜まりが広がっており、俺の机の足にもばっちり届いていた。おもらしだ。あの隣の内気な女の子が、おもらしをしたんだ。
もう9歳か10歳にもなるというのに、おもらしをした。それまでその子に興味を持ったことは一度も無かったのに、それからはその子の事を考えるだけで胸がはち切れんばかりだった。
5歳の頃でさえ、俺は死ぬほど恥ずかしく、泣きじゃくり、消えてしまいたいと絶望感が身を襲っていたのだから、倍の年齢である10歳でのおもらし、しかも教室中に知れ渡っている。
あの子の羞恥心と絶望感は筆舌に尽くし難いことを俺は知った。そして、酷く興奮した。
あの子は翌日普通の顔して登校した。いじめも起きず不登校もなく、みんな優しかった。俺はひとり「女の子はなんて強いんだろう」と感動し、また興奮した。
そして俺は今26歳になり、女の子が教室や体育館でおもらしする同人誌を買い漁っては抜いている。
放尿ではなく、着衣失禁で無いとダメだ。できれば人前が良い。大は範囲外。
漏らすまでずっと心の中の葛藤(「トイレ行きたい、でも手を上げたらみんなに『おしっこ我慢してるんだ』ってバレるし恥ずかしい」「あと〇分なら我慢できる…」)があるとなおよい。
そして葛藤とは裏腹にドンドンもじもじが強くなり、手はスカートの上から押さえてないともう漏れ出しそうな状況で、とにかく我慢するしかなくて、「おしっこしたい、おしっこしたい、おしっこしたい」以外の感情がなくなり、ふとした瞬間、押さえた手の隙間からおしっこが漏れ出し、何とか我慢するも止まらず、止められず、無力に自分の意志とは裏腹におしっこが溢れ出し、暖かさと微かなアンモニア臭が鼻孔をくすぐりながら、「もう〇歳なのに…」と不甲斐なさに絶望して泣きじゃくり、みんなに「漏らしてる…」と気付かれる終わり方。そういうので抜いている。