はてなキーワード: 肥だめとは
個人的には高橋さんとお話しするのは楽しそうだけど、北村さんは無理だなあ、という印象。高橋さんは、言葉を信頼して人と人とを繋ごうとしている人、北村さんは言葉で人を殴ってくタイプの人。味方にするなら北村さん、て思う人が多いのかな。でも私はこういう、始終自ら争いを呼ぶようなマッチョな人とはできれば距離を置きたい。だから増田で言及する。
大本のツイ
「フェミニストのイメージってどうしたらよくなるの?(1)」に対する
「一部の過激派を自浄したらええんやで。昔のフェミニズムはもう少しマシやった(2)」というツッコミツイに対して
北村(saebou)「昔のフェミニストに比べたら今の人はマシやで?(3)今のフェミニストはサフラジェット(昔の過激なフェミニスト)より平和的(4)」とコメントした。これに対して
高橋(Shogo_tkhs)「いや、サフラジェットは一部の過激派です。それをもって当時のフェミニズムを過激とするのは誤解を招くでしょう。(5)」と突っ込んだ。で、議論ならぬ言い合いがスタート。
まず注意なんやけど、北村は(3)で昔の「フェミニスト」と言ってる。これは(4)を見れば「サフラジェット」のことを指していることは分かるけど(3)だけを切り離してみれば、当時のフェミニストは今のフェミニストより過激だと主張しているように見える。そもそも(4)でも、サフラジェットといまのフェミニスト全体とを比べているように読めるわけだから、「北村の主張は、サフラジェットを当時の一般的フェミニストのように誤読させかねない」という批判は確かに成立する。従って、高橋(5)の主張自体は特におかしくない。
これに対して北村は「一部と切り捨てられてきた過激派を再評価するのが現在の研究の流れ(6)」と返した。ここまでは実は比較的真っ当な会話ではある。「それは一部の過激派でしょ?」というツッコミに対して「一部の過激派だけど重要な存在」と返したわけだから。まだ会話が成立する余地があった。ここでたとえば高橋が「なるほど、そういう流れもあるんですね」としていれば、おそらく終わってた。
ただ、ここで両者には想定外のそれぞれの文脈が存在した。これがここから両者の会話を泥沼化させていく。
そもそも北村は現代の過激に切り込むフェミニストたちのポジションを守るという趣旨の下に、(2)の発言を、先鋭的な人たちと「穏当な」フェミニストたちを政治的に切り離すタイプの発言と取って、両者が一体であることを印象づけたいという意図があっただろう。いわば政治的な発言である。(2)の発言者にそういう意図があるかないかはともかく、ああいう発言はそういう結果をもたらす可能性がないわけではない。ただし、「フェミニズム」がただの「女権(しかも一部の)獲得運動」になるならそれは反発を招くよ、という指摘自体はおかしくないし、どちらかと言えば「昔の方が過激やったで?(3)、(4)」というのはただの感想であって、元の指摘に対する何らの反論でもない。そういう粗雑な反応をしたことが北村のミス。
一方、高橋の側で言うと、まさにその「フェミニズム」をより広範な運動にするべき、という意図があって、「現在の研究の流れ」がどうであれ「一部過激派をもってフェミニズム正統であるかのように発言すること」自体が容認しがたい。そういう立場からみれば、(2)に対する雑な(3)(4)の発言は、まさに「先鋭化して穏健派との溝を深める悪しき現代フェミニスト過激派の自己正当化」と感じられただろう。(5)の後で高橋が、当時の過激派以外の人たちへの目配りはあるか、と指摘しているのは、そういう文脈。
これに対して上のような意図をもつ北村は、「そういうふうに」一部の過激派と切り離すのがダメ、と切って捨てる。ここで、北村も研究者なら、相手のツッコミをみて「ああ、またそういう人が絡んできたわー」みたいな受け答え(これも粗雑だ)をするのでなく、きちんと「確かに一部ですが…」と返せばよかった。だが、「そういう人」扱いしたせいで、雑に「現在の研究」を振りかざしてマウントしてしまう。これが最初の間違い。まず、北村がマウントを取った。この件、マンスプレイニングとか揶揄してる人は、都合良くこの部分を読み飛ばしている。
そこで高橋は(相手が研究者とは知らないので)、ちゃんと穏健派(サフラジスト)の名前もあげて、過激派(サフラジェット)は一部ですよ、と指摘したのにこの人に無視されたぞ? あれ? この人、本当にフェミニズムの歴史を知ってるの? と素朴に考えてしまった。そのため「ご存じないのでしょうか?」とやってしまった(このこと自体は仕方ない)。まあ、いちいち相手のプロフィールを見るいわれはないし、フェミニズムを語るからといっていちいち研究者のIDを知っておかなくてはいけないわけでもない。この「ご存じない?」は、「ぼくの言ったこと、ちゃんと聞いてる?」くらいの意味に過ぎない。素朴な発言だ。
ただ、これに北村は相当カチンと来たようで、ここから暴走する。そして相手の言ってないことに絡み始めて咎められ、しまいに
みたいな肥だめ同然の罵り合いになって、無事沼化した。
この話の滑稽な点は、おそらく、登場人物が全て「フェミニズムをどうしたらいいか」真剣に考えてる、フェミニズム寄りの人々ばかりってことなのね。最初の(1)(2)も、そして北村も高橋も。それが、相手の話も聞かず自分の立場に固執して煽り合い罵り合い……。とりあえず、運動が先鋭化して大衆から離反し、挙げ句の果てに内ゲバを始めるという、わが国の運動史の悪しき伝統を見事に引き継いでくれていますね。100年経っても何も進歩していないこの現状に、労働運動史をかじった人間としては涙を禁じ得ないよ。
はあ…。
昭和生まれの35歳だが、先日人生で初めて彼女ができた。これまで恋愛とはずっと無縁で、結婚して子供が出来てくる周囲を見つつ、心の穴をアルコールやキャバクラ、風俗で埋めるだけの人生だった。
でも彼女ができたことで、こんな肥だめみたいな生活から抜け出す機会が得られた。もし今の彼女とさようならしても、どうやって恋愛関係に進めていくかというのが35歳にしてようやく分かったから、後がないと焦ることもないし、キャバクラや風俗と言ったものに全く興味が湧かなくなった。やっぱりエッチの後に彼女が自分の手を握って隣で寝ている姿はプライスレスだし、この達成感と幸福感は風俗やキャバクラでは決して得られないものだ。
これまで心の穴を埋めるために、泥水の果てにキャバクラや風俗と言った生活をしていて、おかげで借金も作ってしまったが、彼女と会える時をより楽しくするために、少しずつまともな生活にしていこうと思う。近頃のオナニーも、彼女とのエッチを思い出してのものばかりだ。
特にオチもない増田で恐縮だが、恋人のいる生活がこんなにいいものとは思わなかったので、書かせてもらった。俺と同年代で彼女いない歴=年齢の人もたくさんいるとは思うが、あきらめないでほしい。
絶望にすすり泣く子供の代わりに土日で計算ドリルをする父母諸姉諸兄に置かれては、いかがお過ごしだろうか?
っていうか、大変ですね。つうか親でもないのにオジサン勘弁して欲しいッス。
で、読書感想文みたいなクソな宿題が全国で阿鼻叫喚の地獄絵図を巻き起こしているのを見るに見かねて、
ここに簡単なコツを書いておくから、是非参考にして欲しい。
アメリカンなお坊ちゃんお嬢ちゃんは、リポートってのは結構しっかり叩き込まれる。
これは、文法から始まって事実と意見の分別だの論理構成だのをみっちり仕込まれる。
日本じゃ大学生が卒論書くときに学ぶようなことを、エレメンタリースクール時代にシゴカれる。
そもそもな、「感想文」なんだよ。
自由に感想を書きゃいいはずなんだよ。
だが、日本じゃ良くある話だがホンネとタテマエは別で、
「クソみたいな話でした。作者は一回サラリーマンとして働いたら良いと思います」とか書くと悪い評価になったりするんだよ。
まあ得意な子もいる。本を読んで感想を言うのが好きだとか、ポエム書くと恍惚とするとかそういう子な。
だが、本を読むのも感想書くのも苦痛な奴に、何の技術も教えないまま読んで書かせるとか、ちょっとした虐待だよ。
水泳の授業で、突如船の上から叩き落として、「時間までに泳いで帰ってこなかったらメシヌキな」ってやるのと同じなんだよ。
だから、原稿用紙を埋められない我が子にガッカリした顔は絶対に見せるな。それが普通だ。子供結構簡単に傷つくぞ。
さて、さらっと触れたが、「日本の読書感想文」ってのは、技術で出来る。
アクションに落とせない精神論で子供を追い詰める教育者は消えてなくなればいいのにな。
まあエレクチオン後に解放されたリビドーを子供らしい感性の発露として紙面に叩きつけられる天然さんも居る。
が、そんなギフテッドばかりじゃないわけで、ここはテクニカルに解決しよう。
何でもそうだが、ゴールの見えないマラソンほどキツイものはない。
だからまず、ゴールを設定しよう。
基本的には、この「意見」「感想」「理由」「場面」で原稿用紙を埋めれば良い。
これがゴールだ。
取り敢えず、イオンに買い物に行くついででも、あの例の鼻に棒を突っ込んだシールが貼られた本の中から、
我が子に「一番読みたい本/マシだと思うヤツ選べ」と指令を出して、選んだ本を買ってこよう。
で、読ませる。まあ時間がかかっても半日あれば読めるだろ。何としてでも一回読ませるんだ。
まあ、最後に別に読まないでもなんとかなる方法も書くから絶望はするな。
読み終わったら、次のステップになる。
5ステップだな。
ま、取り敢えずここでは低学年でも中学年でも高学年でも行ける
「ちきゅうがウンチだらけにならないわけ」を課題図書として取り上げよう。福音館だしな。
「読んでどうだった?」とかな。
「難しい」とか「面白くなかった」とか言うかもしれない。
こっからは各家庭の教育方針になるからネガティブコメントでも我が家の天使の言葉は天啓である!とか言うなら止めない。
が、「笑ったとことか、悩んだところは、どこだった?」とか「面白かったところとか、どこか気になったところは?」とか聞こう。
「ウンチが役に立つって言っても、そういう特別なバッチイ虫とか植物じゃないの?」とか言うかもしれないな。
ま、それで良しにしよう。
「このページの虫は、フンコロガシって言うんだよね。他の虫に取られちゃわないように持っていくために転がすんだよ」とか
まあ、そういう親らしいふれあいとかが合っても良いかもしれないな。
閑話休題。
「なんで、特別なバッチイ虫や植物だと思ったの?」と聞くわけだ。
「え、だって普段からママが犬のウンチとか汚いし、虫とか嫌いだって言うし……」とかなるかもしれないな。
「そうね、ウンチは汚いし、ご飯の前には手を洗ったりするもんね。偉いね」みたいな、何年生想定だコレ。
まあ、「特別なバッチイ虫」だと思った理由は「ママが普段から汚いって言ってた」からだ。
「汚くないものが、普通」「汚いものは、特別」という視点だな。
課題図書っていうのは、基本的に意見を言いやすい本が選ばれる。
「レットはスカーレットの愛を受け入れるべきだったと思います」とか評価する方も判断に困るわけだ。
だから、「汚くないのが普通で、汚いものが特別」というのは、別に特殊な考え方じゃないと言える。
「でも、ママやタッ君には汚いしばっちいウンチも、虫にはごちそうになるわけよね」
「でも、そういう虫が特別なら、ウンチはその虫だけしか食べないから、ちきゅうがウンチだらけになっちゃうよね?」
「ん?ってことは、ウンチの数だけ、虫がいて、食べてるってこと?」
みたいな流れだな。
結構誘導してるが「バッチイ虫は特別だと思ったけど、特別じゃなくて、いっぱいいるのかもしれない」というのは、立派な意見だ。
結論として地球がウンチだらけになってないなら、多分いるだろう、と。
さて、ここで振り返りだ。
フンコロガシがウンチを転がしてる「場面」に対して、
「汚くないのが普通で、汚いものが特別」だからという「理由」で、
「役に立つって言っても、そういう特別なバッチイ虫とか植物じゃないの?」という「感想」になった。
ソレに対して、「地球がウンチだらけになってないなら、ウンチの数だけ虫がいるのかも?」と考えて
「バッチイ虫は特別だと思ったけど、特別じゃなくて、いっぱいいるのかもしれない」と「意見」を出した。
この辺で自分の身近な経験とか会話を入れるのがコツになるが、まあ無理な場合はその場で会話すれば良い。
「ママが昔は肥溜めがあって、人間のうんちも野菜の栄養になってたと言っていました。
うんちを食べる虫と僕たちは、同じで、特別じゃないのかもしれないと思いました」
とかだな。
まあ、あんまり道徳的な結論にもポジティブな感想にもなっていないが、
「子供が引っかかったポイント」を広げて「場面→理由→感想→意見」となったわけだ。
これを、「場面→理由→感想→考え→意見→シメ」に直して書くわけだ。
フンコロガシがウンチを転がしてるところを読みました。
「汚くないのが普通で、汚いものが特別」だと僕は思っていました。
だから、「役に立つって言っても、そういう特別なバッチイ虫とか植物じゃないの?」と考えました、
でも、良く考えたら「地球がウンチだらけになってないなら、ウンチの数だけ虫がいるのかも?」と思いつきました。
「バッチイ虫は特別だと思ったけど、特別じゃなくて、いっぱいいるのかもしれない」と思いました。
「ママが昔は肥溜めがあって、人間のうんちも野菜の栄養になってたと言っていました。
うんちを食べる虫と僕たちは、同じで、特別じゃないのかもしれないと思いました」
ちなみに、題名と名前を書くと、ぴったり400字詰め原稿用紙1枚になる。
青少年読書感想文全国コンクール応募要項によると、小学校低学年(1,2年)が 800字以内、中高学年(3,4,5,6)が1,200字以内だ。
400字詰め原稿用紙2枚半を埋めればおおよそ対応できるということになる。
例えば、「僕はこの本を最初に読んだ時には、難しいし、あまり面白くないなあと思いました。」これで37マスだ。
「パパは「肥だめを知ってるなんてママは実は歳を誤魔化してるのかもな」と笑いましたが、ウンチみたいになるまで殴られてました。」これで60マスだ。
こうやって、途中途中で我が子が考えたり、自問したことを全て原稿用紙に書かせると、結構簡単に埋まる。
ポイントは、骨子の部分である「場面」「理由」「感想」「意見」がキチンと揃っていることだ。
読書感想文は、その名に反して、単に感想を書いたのでは良しとされない。
我が子の素直な感想を、「そう思った場面」「そう思った理由」「そこから考えた意見」にすることは、難しくない。
そしてそれらが定まっていれば、原稿用紙を埋めることはそんなに難しくない。
だから、読書感想文は、実は結構簡単にやっつけられるタイプの宿題になる。
(俺はあらすじ反対派だ。なぜなら、適切な要約は大人でも難しく、結構そこで詰まる子がいるからだ)