はてなキーワード: 目的意識とは
ツイッターで話題になっていたので、新卒採用の就職活動に失敗した人たちの思いの丈が綴られた文章を読んだ。正直腹が立ったので、私も気持ちをぶつけようと思う。
私も今年就活だった。腹が立った、と書いたことから推察できる通り、就活は成功した。会社の人間の話を聞いて、見学会やインターンに参加して可能な限りその発言が本当か調べ、自分が認めた企業を受け、合格した。結果的に3社受けて全部合格をもらったので、就職活動については特に不満な点はない。私は推薦を使わなかったし、受かった側がいうと嫌味に聞こえるのかもしれないが、特にズルをして手に入れた結果だとも思っておらず、就活の制度は平等だったと感じている。
就職活動の話は黙っていても相手が語りたがるので、人付き合いが苦手な私でも結構たくさんのエピソードを聞いた。当然その中には成功した人も失敗した人もいた。ただ、どの人に聞いても共通して言えると思ったのは「就活は就活だけの独立しているイベントではない」ということだと思う。何か目的意識を持ってずっと頑張ってきた先輩はみんな当たり前のように就活に成功していたし、そうでないひとーー少し言葉が悪いかもしれないが、行き当たりばったりに生きてきていたり、何か信念を持っていてもその方向性とは合致しない企業を受けたりしているひとは、軒並み残念な結果になっていた。
何が言いたいかというと、就職活動は「今までどれだけ真剣に自分と向き合い、自分は何をしたいのか、あるいは、どうすれば自分はこの社会で生きて行けるか」を考えて、行動に移してきたかが問われているんじゃないかと、私は考えている。
私は、「こんなにも頑張ってきたのに私だけが運悪く認められない。他の人たちはあんなに楽そうに就活を終わらせているのに、何故私だけが。それは制度が悪いんじゃないか」というようなスタンスで物事が語られている事に腹を立てている。私から言わせれば、ありとキリギリスのような話に感じられている。あなた方は今までの生活の中で自分にある問題と向き合う事もせず(あるいは気づきもせず)、対策をとらないまま生きてきた。今までの人生ではなあなあな態度でもやってこられたのかもしれないが、その事がわかりやすく評価される就活の場で、ついにあなた方は抜き差しならない現状から逃げられない立場に追い込まれた。それだけの話だと思う。今まで無視してきた事に対して、なんの準備もされていないのは当然で、準備されていないくせに空回りだけはしっかり繰り返すのだから、徒労を積み重ねるばかりで結果に結びつかないというのは自然な流れだと思う。だから、自殺をほのめかす事で自分の命を人質にして、制度の側を批判するのはお門違いだ。
それに、せっかく自分自身の抱える問題を直視するいい機会と出会えたのに、また問題の本質から目をそらす結果になってしまうと思うので、そういうリアクションは慎んだほうがいい。そもそもの話をするなら、就職活動というシステムを通過しないといけない事は大学に入る頃にはみんな分かっている事なのだから、そんな自殺したくなるほどそのシステムを通過しないといけないと思っているなら、何故周到に準備しておくという事ができないんだろう。よくわからない。
同様に、高学歴で自分の望んだ進路を勝ち取った人間に対する僻みにも腹が立つ。
就職活動では学歴ではなく人柄を見られている、とか、逆に学歴フィルターとか企業偏差値とか、好き勝手語るひとも多いけれど、それはすごく実態を捉えられていないものの見方だと思う。高学歴だからどう、という相関があるわけではなくて、高学歴になるためには自分の中に確固たる信念が必要な人間が多かった、というだけの問題だと思う。勉強は簡単にできることじゃない。たとえ好きな分野であってもそれなりにしんどいし、しんどいことを続けるためには理由が要る。そうやって自分の怠心をなだめて、自分の目的達成のための行動を起こすことができるようになるためには、それなりの苦労と段階を踏んできている。私たちにだってこれまでの人生の中でそれなりの失敗や挫折があり、それを直視して対策を立て、乗り越える努力を積み重ねてきた。
私は別に、今就活を失敗している人たちに成功して欲しくないと言っている訳ではない。自分自信の慢心を認め、これから具体的にどういう方針で行動してゆくか考え直し、決定した方針を元に予定を立て、行動に移してゆく作業を開始すべきなのではないか、と言っているんだ。今やるべきは愚痴を書く事や、社会を呪う事、ましてや自殺する事じゃない筈だ。確かに認められない事は辛いと思う。でもそれは現実だ。人間は、いつだって自分自身の力で助かるしかない。社会の側ではなく、今自分自身に何ができるのか考えて行動を起こすべきだと思う。
好かれる、気に入られる事は大事だと思う。
でも、目的ではないはずだよね。
好かれる為にやってるわけじゃないんじゃない?
気に入られる為にやってるわけじゃないんじゃない?
だから、気に入らなければ仕方ないよね。
好きじゃなければ仕方ないよね。
媚を売ってまでやりたくはないっ!
ようは何の為に今、ここでやってるかじゃない?
芯がブレちゃいけないと思う。
何でもありなわけでもないし・・・
オレらはシッカリと
当然、オレらは売れる為にやってる。
続けられればいいわけじゃない。
売れなければ何の意味もない。
オレらはそういう意識の中でやってる。
売れなければそりゃ終わるよね。
売れるという目的。
終わるという覚悟。
常に頭の中にはそれがある。
変わらない変化をし続ける。
変わらない変化が大事になると俺は思う。 <h3>o- *</h3>
ケミカリが凄いとは思はない。 <h3>o- ***が売れてるとは思わない。</h3>
あとは運だと思う。
運を掴んだ時にその運を活かす為の今なんだ。
努力せずに掴んだ運は
その運を活かす事はできない。 <h3>o- *</h3>
努力は裏切らない。
努力もしてない奴が、悔しがるなっ!
そして・・・
今も鮮明にある。
笑ってた俺が・・・
今はきっと笑われる方になってるんだろうな。
最近の僕は20年とちょっと生きてきて、仕事もしなければ一日中生きてるか死んでるかわからん生活を続けて、まだこんなショーモナイことで悩んでいる。しんどい。
欲望が無い。
エネルギーが無い。
生きる意味も無い。
目的意識も無い。
なぜみんな、平気な顔して生きていられるんだ。
夕日は綺麗だ。
空は青い。
「素敵な瞬間」はありふれているように思える。
そして、その「素敵な瞬間」以外の面倒なことが多すぎる。
なぜこんなにも面倒なことばかりなんだ。なぜあれもこれも考え続けなきゃいけないんだ。
阪神を応援していても、ゲームをしていても、恋愛していても、勉強していても、みんなと飲んでいても、いつも僕を襲ったあの感覚。
「なにしてんだろ、俺。」
結婚しても、子供をもっても、なにしてもこの感覚が付きまとうであろうことを考えると、生きるのが億劫になる。やれやれだぜ。
大半の人はいま目の前にあることだけに集中して、人生の意味なんてテキトウにでっちあげて折り合いをつけてるだろう。
おそらくそれが大人になるってことなんだろうし、生きるってことなんだろう。
何も自分は特別ではない。こんな風に思ってる人は少なくないはずだ。おそらく全体の2割ぐらいは悩まされてるのではないか。
だから教えてほしい。
1.私に新しいシキシマ成分を与えるため
以上です。
3つもあるはずがない。
とりあえず前編の本編時間の90分とレンタル代の500円を無駄にする代わりに10分くらい無駄にしてこのエントリを読んでくれ。
最初にシキシマの説明だけしておくと、シキシマとは実写進撃の巨人に登場するオリジナルキャラクターであり、大体はリヴァイの立ち位置であるが、どうやらエレンの兄(伏線はあるが説明はない)で最後に自分のオンナにしたはずだったのに結局初恋の男であるエレンに奪い返されてしまったミカサに「あなたの壁は?」とくそぺらっぺらな言葉を投げかけられることによりラスボスと無理心中を図ったもっさりヘアにダサいヒゲを生やした埃っぽい長谷川博己のことです。
去る2015年9月1日、見えてる地雷でお馴染みの実写映画「進撃の巨人(前編)」を私はわざわざ一人で見に行った。
そして、開始10分で「クソ映画だとわかっていながらファーストデーの映画料金である1100円と上映時間の90分をわざと無駄にした」ことで神の怒りを買い、その罰として拷問を受けていることを理解した。
なんとこの映画、「文明の廃れた地球っぽいとこで壁に囲まれて暮らしているバイトの続かないどう見ても20代半ばの三浦春馬が不発弾の上で飛び跳ねながら『俺が活躍する場所はここじゃねえ。東京でヒップホップで食ってく』旨の発言をしているのを水原希子が惚れてる目で見てる」という絵に描いたような大学生の恋物語を見せられるところから始まる。
開始10分ですでにクソ映画。求めてたものとまったく違うじゃないか。
確実にこの先80分クソ映画を見せられるという気付きをどうしたって得るでしょこれ。
ああ、無念、私は拷問を受けることになったのだ。
なぜ見に行ったのかというと、進撃の巨人の原作が好きな友達が映画を見た上で「メディアミックスにおいてストーリー面のみで批判されるのは納得がいかない」と言っており、「じゃあ原作のストーリーを知らない人間(私)が見れば原作とは関係なしに映画として面白いのではないだろうか?」という気持ちが起こったからである。
とりあえず先に結論から言うと、めっちゃクソ映画なんで「大切な家族を人質に取られその解放条件としてこの映画を見せられている」くらいの気持ちで見ないと死にます。絶対です。純粋な面白さに対する期待はすべてその手で殺してください。よろしくお願いします。
話を続けます。
かくして、1100円に対する貧乏性と事前になんとなくこの事態を予測していたために逃げられないように自分に課した「その直後に上映されるジュラシックワールドの映画の席を取ることにより今出て行ったらどうにか時間を潰さなければもう1100円を無駄にする」という枷と罰だというなら受けるしかないという決意のために、私はその後80分の拷問を受け入れることにしたのだった。
その後、
「『壁外に巨人なんていないことを証明してやるぜ』と自分に惚れてる女にいいところを見せるためというアホなヤンキー青春映画文法により水原希子とオマケの本郷奏多を連れて壁の近くに行く三浦春馬。
すると壁を守ってる兵隊に見つかって捕まりそうになったので反撃するアホなヤンキー青春映画文法そのままの三浦春馬。
兵隊のお偉いさんであるピエール滝が知り合いだったというアホなヤンキー青春映画文法で助かる三浦春馬。
そしたら壁よりめっちゃおっきい巨人が現れてドーンって爪先蹴りで壁が破壊されて3メートルくらいの穴が開いたのでそこから『量産型どう見ても人間が演じている設定上知能のないはずなのに人間っぽい動きしかしない巨人』がいっぱい入ってきて人間を食い散らかす」流れを
監督による『俺が考えた最強にかっこいい巨人による殺戮グロシーン』というぺらっぺらの演出で見せられる拷問を受け、
神様に「違うんです。無駄にするつもりはなかったんです。面白いかもって思ったんです。本当です」と何度も心の中で謝罪をする。
この映画、原作とストーリーがかけ離れているうんぬんはとりあえず置いておいて(私が原作のストーリー知らないし)、
予算以外すべて『映画を撮ったことがないくせに自分のおつむの中でだけ一流だと思い込んでる高校生』レベルで本当につらい。
んで、「水原希子が巨人に食われて死んで(当然死んでない)、守れなかった女の仇を取るためにもう一つ壁の内側で兵隊になるというアホなヤンキー青春映画文法を辿る三浦春馬と本郷奏多、あといっぱい」が出てくる。
作中ではさくっと2年が経ち、ようやくヒップホップ信者の三浦春馬がきちんとした目的意識を持って動き始めたかと思いきや、
「素人の寄せ集め兵隊集団の同じ班である無意味に好戦的な三浦貴大と煽り合いで喧嘩をする」という統制の取れてなさを猛烈アピール。
このことにより、アホなヤンキー青春映画文法が永遠に終わらない気配を見せつけられ、絶望がより明確に。
この辺りで大きな声で「乳首」とか「性器」とか「こんなの初めて」とか言ってくれる石原さとみが現れてほんの少しの救済が図られるが、焼け石に水とはまさにこのこと。
「巨人から一番外の壁を奪取するために内側の壁から出た三浦春馬たち
(この辺りでモブキャラが巨人つえー演出のための使い捨てとして登場するがほとんど全員が無能なのでサンナギくんという作中唯一の良心だけ覚えておいてくれると私が喜ぶ)
(この際食料がない設定なのにサンナギくんがデブとか非常に些細な問題)
が当然のように兵隊とは思えないクソみたいな働きにより巨人に殺戮されまくる」辺りで場面転換。
突如、「よくわからない地下のような空間(今後もう一度出てくるが説明はない)で全身を逆光で陰を作り、めちゃくちゃ日本人体系のおっさんがめちゃくちゃもた…もた…と装備を確認する」シーンが挿入される。
監督の『俺が考えた最強にかっこいい最強の男の映画内登場シーン』という意図は察せられるものの、
どう見てもダサい。
まじでダサい。
「地上で三浦春馬たちが死にそうなのにのんびりと自分かっこいいアピールをする日本人体系のおっさん」という演出の下手さにより生み出されたスベリ要員。
もうね。光明よ光明。わかる?わかるよね?当然わかるよね?私は神によって天罰を受けていて、その天罰がまだ半分もあるのかと絶望を味わってた時にね、現れたわけよ救世主が。私を拷問から救ってくれる男が。もうね。するよね入信。するよね信仰。当然だよね。この男により私の1100円と90分が救われるんだって思ったらね。感謝するよね。当然ね。
つまり、その瞬間、シキシマは私の神になった。私が無駄にした1100円と90分を救ってくれた神に。
カルトに入信させる時、相手を極限状態に追い込んで判断能力を鈍らせるって手法があるって聞いたことがあるんだけど、まさにそれだったってわけ。
ついでに本当に監督が演出下手なので、たぶん監督の中でキムタク役であろうシキシマの初セリフは巨人を倒した後の
総スルーされた上に大して誰にも称賛されず、さらにその後続いて出てきた巨人を前にその場にいたモブキャラたちに今しがたの功績を完全に無視されて「もう終わりだあ」とか言われます。
最高。
スベリ要員確定。
その後「シキシマが三浦春馬を見初めてさっきの地下空間に連れていき、婚活パーティーよろしく三浦春馬にかっこいい俺を猛烈アピール。
シキシマは巨人を倒せてなおかつ死んだはずの水原希子を連れていただけでなく巨人を倒せるほどに成長させていたために三浦春馬は猛烈に心酔」し、
こうして私は三浦春馬と一緒にシキシマ教徒になったのであった。めでたい。
それから「リンゴ大好きシキシマくんによるリンゴ食べさせタイム」を経て、
まあその後はわりとどうでもいいんだけど
「三浦春馬と既成事実作ろうとしたシングルマザーがホラー映画のえろいことした奴から死ぬ法則に基づき巨人に食われて死に、
ついでにそこで先にセックスしてたいちゃつき方が電車内のうざいカップルであるモブ二人もその法則に則って死に、
他にもいっぱいモブが死に、
三浦春馬がビルの上で巨人が出てきてるのに自分は一切戦わずに指示してくるシキシマに従ってなんとか巨人を倒すものの多勢に無勢で死にかけたところ巨人に覚醒して暴れて残りの巨人をぶち殺す」
というのが大体の前編のストーリー。
でもクソ映画にしか私の教組であるシキシマが出てないんだから、みんなにシキシマを認知してもらうにはこのクソ映画を見てもらうしかなくない!?
しかも今日ついさっき後編のブルーレイが届いてそこに豪華版だからついてる絵コンテ集を読んでしまえば私は新しいシキシマ成分を得ることができなくなるんだよ!?だったらこの世のありとあらゆる人間にシキシマを認知してもらうために映画を見てもらって、まあうんもう称賛されないことは理解してるから称賛しろなんて贅沢は言わないので批判でもコキおろしでも何でもいいから私に新しいシキシマを見せてよ!あなたの目から見たシキシマは私にとって新しいシキシマだからそれを感じさせてよ!お願い!
って思ってこのエントリを書きました。
ついでに前編を凌ぐクソ映画の後編では
「国のお偉いである国村隼が芋女が落とした芋をわざとらしく踏んで悪役アピールをしたのでミスリードかと思ったらまじで悪役でなおかつ最初に壁壊した巨人でラスボス」で、
「その国村隼にレジスタンス扱いされてたシキシマがミスリードかと思ったらまじでレジスタンスで実は巨人になれ」たり、
私がシキシマ教徒の先輩だと思ってた「水原希子が全然シキシマのこと好きじゃない」のに
そんな「水原希子に三浦春馬に敗れたシキシマがぺらっぺらの言葉をかけられて国村隼に最初の不発弾を抱えて突っ込んで無理心中」をしたり、
カップリング厨の監督による先の電車内カップルと同レベルのアルサシャのいちゃいちゃを見せられたりするけど、
後編のシキシマははっきり言ってただのDV男なので見なくて大丈夫です。
とりあえず前編を見てくれ。
1時間毎に5~10分程度の離席・休憩を「生産性が低い」と宣うのって明らかにブラック企業のマインドだと思う。
ぶっ続けで仕事し続けるよりも、定期的に休憩した方が集中力が高まり生産性が上がる。
目的意識をもって臨んだ仕事に関しては、「100%集中理論」ということが言われています。何をするにしても、全力でそれに取り組むという考え方です。 そのため、52分の仕事時間は課題をこなし、物事を片付け、業務を進めることに集中するのです。一方、17分の休憩時間の間は完全に仕事から離れます。それは5分ごとに電子メールを確認したり「ちょっとFacebookを覗いたり」する時間ではなく、休息を取るための時間です。
http://www.lifehacker.jp/2015/03/150306_5217rule.html
自己管理のためにつけてる日記を貼り付ける。人に見せるための文章でないので雑に書いてある。
脇見恐怖症に対する注意は大分取れるようになってきた。これからも注意して治していくべきである。脇見恐怖症で見つめてしまうことを事前に防ぐことを習慣化させる鍵となる行動は何であったか。脇見恐怖症によって、相手は自分の肌感覚で想定できるストレスよりも大きなストレスを被ってるのではないか、言い換えると、「相手が傷ついてしまうケースも有るのではないか。」と仮定した。自分の常識を否定したと言っても良い。今までの自分の常識では、じっと見つめられると、「何あいつこっち見てくるキモい」というふうに自分が非難を受ける程度のことだと思っていた。そこを否定する仮定を立てた。その仮定から、ボーッと見られることで深い傷を負ってしまった人がいるのではないだろうか。という推測ができる。仮定が正しければ、実際に傷ついたという事例がいくつも見つかるはずである。ここまで深く仮説を立てた後に初めて、事例をネットで探してみる。案の定、ただ一人の脇見恐怖症マンのおかげで、他人の目がいつも怖くなってしまった人の事例とか、PTSDになったとかいう人の事例をいくつも見つけることが出来た。
脇見恐怖症の人間で、ネットで「ボーッと見てくる奴」について漠然と検索する行為をしている人間は多くいる。しかし、何のために検索しているかを明確にしていない状況、検索の行為が本当に役立つのかわからない状況(So what?の質問が足りていない)では、何となく「ボーッと見てくる奴はムカつく奴なんだ!そういう意見を読んで自分を懲らしめて、戒めなければ!」というような気持ちではじめてしまう。実際は「みんな、私の脇見恐怖症でストレスためてるよね?私、やっぱりこのせいで嫌われてるよね?」と防御線をはったり悲劇のヒーロー気分に浸る程度の行動でしかしていない。だから、そういう人たちは「電車の中でずっと見てくる奴マジなんなの、死ね!」というような、具体性のない感情的な意見を重視する。実質的被害の内容より自分が同思われているかの意見を尊重してしまう。だから、余計脇見恐怖症を冗長させる。
前々からウォーキングという行為とこれを勧める人間を軽蔑しているのだが、
ではウォーキングと水泳という二つにおいてこの心象を分け隔てる要因はなにか。
それはウォーキングに比べて水泳は、目的意識を保持しやすい行動だからだ。
まるっきり経験のない状態から初めたなら、100mどころか5m泳げるかどうかも定かでなく、
時間をかけてそれなりの距離を泳ぐというだけでも、技術や経験値が必要になる。
そして人間の欲深さからなのか、練習してようやく泳げるようになれば新たな目標が生まれる。
なのでだと思うが、マロリーから「そこに山があるから」という名言を引き出した問いのような
無粋な雑念が頭から離れなくてもあまりぶれることなく僕は続けられている。
うまくおだてられさえすれば4〜5歳の子どもでも完遂できるウォーキングとはそこが違う。
ウォーキングは手軽さから、僕からすればどうしても慣例的なものになっていくような気がしてならないのだ。
その感覚は速く読むことにこだわる故に、
小説を読む時でさえ持ち前の速読術を駆使してしまう人を見た時と似ている。
とりあえず何にでもこれを当てはめようとしているような大味さとでもいうのか。
何も僕はウォーキングという行為自体が嫌いなわけではないのかもしれない。
歩くという行為に魅力を感じて楽しんでやっているならいいが、
「健康に良さそう」だとか「頭がすっきりする」という効果に期待を寄せるばかりで
内実ウォーキングという行動そのものにはさして興味がないのではないかと思わせる態度に
どうしても違和感を感じざるえないということなのかもしれない。
これまでものの勢いで何回か
ウォーキングを推奨する輩は間抜けくさいという趣旨のめちゃくちゃな投稿を行い
その大体は「ケチをつけるな」、
「御託を並べず自らもやってみたらどうか」というものばかりで
どうもウォーキングという行為自体の楽しさをそこから読み取ることはできなかった。
兎に角やってみてその魅力に気がつくことはあるかもしれない、
しかしウォーキング自体の魅力を発見することを無視した動機のうえでやれというのなら、
俺もわからんが、色んなところで意見を聞いた結果を大きく類別するとこんな感じ。
他にあれば追加よろしく。
嫌な、事件だったね
狭い世界で我が物顔するヤツほんと嫌いhttps://t.co/IrnMJltQMi— TARA@Appism (@TARAM0L) 2016, 1月 10
このツイートの意図は青二才への批判ではなく、青二才が叩いているはてな老害たちへの批判。
これを誤読して自分が叩かれていると勘違いした青二才、高校生相手にマウンティング開始。
参考までに高校生のブログのPVは月15万で大学生時代の青二才の数倍であり数字だけ見れば青二才より数倍優秀。
スプラトゥーンの記事以外はニュースの後追いでみたいな記事しか書いてないブログじゃ、狭い所でさえ我が物顔できないからね…。おまけにスプラトゥーンの記事も何周目っすか?出すのが遅いし、同じような記事を書く奴が多いから安定しなそう…
若い芽を摘み取る気はないが、どっかで学んだブログ論の教科書通りの運用をする高校生を見つけて「この人は何のためにブログ書いてるんだろう?」とは思えてしょうがない気持ちになった。
個性が育つ前にテクニックとツールだけを覚えてしまうと没個性的になるのを見て「最終的には人間。最初の魅力も人間。」だと思えてしょうがない
ブログでマネタイズできてない青二才、なぜかマネタイズを目的としているわけでもない高校生相手にマネタイズのアドバイス
さっき批判気味に返信した高校生ブロガーへのツイートが本人からふぁぼられてたからもう一言付け加えとこう。マネタイズしたいならもっとジャンル絞るべき。オピニオン重視なら中途半端にニュースを追いかけるのを止めるべき。ニュースサイトにしたいならもっと細かいニュースをキュレーションすべき
ブログなんだから何を何のために書こうが自由ですよ?でも、目的意識に見合ったサイト作りをしなきゃ、ぼやけますよ。文体やお題を見ながら「この人はきっとこういうことが(ジャンルレベルではなく、人柄や理念のレベルで)やりたいのだろう」と思われるようなものを作らなきゃなんもないっすよ
最後、興味も見込みもない人間には何も言う気はないです。教科書通りとはいえ、手堅くスプラトゥーンの記事をヒットさせてた子だから「もっと解像度を上げて、自分のブログのイメージを作れたら、この子は化ける」と思ったので、アレコレツイートしました。辛辣だけど、悪口ではないのであしからず
炎上記事ばかりとはいえはてなでそこそこ力を持っていると自称できるまでにヒットさせてた個だから
「他人にマウンティングをするのをやめて、もっと好かれるイメージを作れたらこの子は化ける」と思ったのでアレコレ書きました。
おけおめ!
今年はじめての増田だよ!
みんな今年の目標は立てた?
いつでも目標達成出来てしまう人には全く役にたたない内容だよ!
どうしても途中でくじてけしまう人にはもしかしたら役に立つかと思ってまとめてみたよ!
お役に立てれば何よりだよ!!
・週三回のウォーキング
・性格マネジメント(アンガーマネジメント、傾聴、ポジティブシンキング)
・習慣化
コツは簡単。たったのこれだけ。
だけど目標達成できない人のほとんどはこれができてないというのが事実。
目標達成を阻む最大の原因を考えてみよう。
自分の弱さ、周囲の誘惑、目的意識の喪失、、、こんなところだろうか。
ただ、これらに共通して言えることが一つある。
それは「現在の習慣」だ
今の自分というのは、今の自分を取り巻く「現在の習慣」で構成されている。
例えば朝起きてから夜眠るまで、真剣に選択していることっていくつくらいあるだろう。
もしそれが数えるほどしかないとしたら、残りの行動は全てが習慣だと言っていい。
自分というのは、数々の習慣によって成り立っている。
言い換えれば、多くの習慣に支配されている状況とも言える。
もし新しいことを始めたいのであれば、この「現在の習慣」という支配から抜けださなくてはいけないんだ。
とくに現代の人は、手のひらにスマートフォンを握りこんでいることでかなり多くのタスクを抱えている状況と言える。
分刻みで通知を上げてくるアプリ。
欲求は解決しないとストレスになり得るために、どうしても欲求を伴わない習慣よりもプライオリティが上がってしまう。
その中に新しい習慣を取り込むということはとてもハードルが高い。
だからこそ大切なことは、ステップを細分化するということなんだ。
想像してみて欲しい。
今自分の生活の中で、30分というまとまった時間を何かのために使うことができるだろうか。
もしそれができる人にはこの話はあまり意味がないかもしれない。
しかし、先ほど書いたとおり、様々な習慣に取り囲まれている人なら30分は愚か5分ですら難しいって人がほとんどじゃないだろうか。
だから提案したいのは3分トレーニングだ。なんだったら1分でも30秒でもいい。
達成したい目標を思い描いたら、そのために必要なトレーニングをこの時間単位に細分化することから始めるんだ。
当然トレーニングの時間を小さくすれば、達成までの期間は長くなる。
もし、達成までに期限が必要な目標だったならば、当然逆算してトレーニングの時間を増やさないといけない。
でも思い返して欲しい。
3年前に立てた目標は達成できただろうか。
もし、それが今達成できてたとしたら、それは喜ばしいことなんじゃないだろうか。
三日坊主とはよく言ったものだけど、個人的な経験則からいうと大切なのは7日間だ。
7日続けると、8日目にはそれをしないとなんとなく気持ち悪くなるように感じることを経験で学んだ。
つまり、人間が習慣化するにはどうやら1週間程度の継続が必要だということがわかった。
だからまず3分でも1分でも30秒でも、とにかく1週間続けることが大切だ。
そのトレーニング自体にどれだけの意味があるかなんて考えるだけ無駄だ。
逆を返すと、3日もすると習慣は忘れられていくものでもある。
例えばこのお正月が終わって会社や学校に行こうとしたとき、洗顔、歯磨き、食事、着替えの順番に少し戸惑ったはずだ。
それこそが習慣が失われ始めている証拠といえる。
つまりは、習慣は環境によってコントロールすることができるという証拠なのだ。
習慣化していくと、習慣を消化したこと自体に安堵感や達成感が生まれ始めてくる。
そうなればしめたものだ。
そうすれば一日に30分というまとまった時間を作れなくとも、3分×10回程度のことであれば簡単にできるようになる。
現代人のいう時間のなさというのは、「まとまった時間」がないだけなのだ。
隙間を狙って沢山挟み込めば良いのだ。
最後に、そうしたトレーニングを効果的に挟みこむ方法を一つ伝授する。
ところが、仕事が変わってからというもの今は年に1冊も読んでいない。
読書が好きだったはずなのにどうしてだろうと考えてみたが、その一番の原因は、通勤が無くなったことだとわかった。
そうした制限される中で自分なりにもっとも楽しめるものが読書だったのだ。
ところが通勤が無くなったことで不自由な時間は無くなってしまった。
その分家にいる時間が増えたのだが、家の中は自由すぎて読書という選択肢のプライオリティはとても低くなってしまったのだ。
とくに最近ではスマホが様々な不自由な環境を乗り越えてくるのでやっかいだ。(防水機能、地下鉄内アンテナ、電池持ち改善、オフライン機能など)
例えばトイレ内はスマホの持ち込みを禁止するなど、自らを不自由な環境に持っていくことで目標達成に必要なトレーニングをより身近にすることができる。
もしなかなかトレーニングのプライオリティが上がらない場合は、自らが不自由な環境にトレーニングを持ち込んでみてはどうだろうか。
だから目標達成にはその時間スケールにあわせたトレーニングが必要なんだ。
そして、人間は習慣で生きているということを忘れてはいけない。
あたらしい習慣を身につけるには、古い習慣を棚卸ししなくてはならないんだ。
だけど習慣は身に付けることができれば長く続けることができる。
大切なことは、続けてさえいればいつかは達成できるということだ。
目標に合わせて環境をデザインすること。それこそがこの内容通して言いたいことであり、なりたい自分になるための最短ルートなのだ。
だから今年も増田を書くよ。それが自分の財産になるって知っているからね!
今年もよろしくっ!
テロリストがゲーム機(PS4)のゲーム内チャット機能を使ってるかも、っていう報道が出ている。
この件でPS4を叩いても仕方が無い。というのはPS4に限らずゲーム内のチャットはテロリストが会話を行うのに適した理由がこんなにも多いからだ
会話経路がゲームの数だけ、星の数ほどある。NW的にはPSNを利用していても、プロトコルや暗号化方法はゲーム毎に異なるのでPSNの根っこで監視をしても結局各ゲーム毎に解析方法を作らなければならない。『釣天使』とかかわり合いたいと思うほど諜報機関は暇では無いだろう。
そして、ゲームの数はアーキテクチャの数であり、それぞれ異なる方式で情報が伝達されている。あるゲームではメッセージサーバ集中管理でも、また別のゲームではP2P通信だったりする。それらを複合的に扱っている場合もあるだろう。テロリストとは無関係な第三者のゲーム機をホストとして会話が行われ、運営者側では会話ログを一切持っていない、こんなケースはいくらでもあるだろう。
サイバー犯罪対策法はログ保存を事業者に義務づけているが、P2Pアーキテクチャではそもそも事業者との通信自体が行われていない。
オンラインゲームの運営は常にチーターとの戦いだ。ゲーム運営者はゲーム機とサーバの間の通信が解読されないように暗号化を当然のように行っているし、鍵割れ対策として鍵交換も頻繁に行われている。また、暗号化アルゴリズム自体もカスタマイズしていることが多い。
平文でへろへろとメッセージが飛んで行くEmailとは根本的に設計・運用レベルが異なる。
ゲームの世界はコミュニケーションに使える手段が豊富だ。プレイヤー同士でコミュニケーションが取りやすいようにチャット機能の他にも各種のアクションやメッセージ伝達手段が豊富に用意されているし、符号化の方法さえ決めておけばあらゆるゲーム内のオブジェクトが通信に使える。
ポケモンを繰り出す順番でメッセージを伝えることもできるだろうし、ゲーム内のインクで床に書いても良い。そこから第三者が意味を感知するのはほぼ不可能だ。これらはもちろんログにも残らない。ゲーム内の全行動・全会話(音声含む)を保存しておけるようなリソースはどこの会社も持っていないし、そんなことに浪費しようとすれば株主が黙っては居ないだろう。
ゲーマーは攻略のために「強い目的意識」を持った「物騒な会話」を日常的に行っている。
何時に集合してなんとかを殺す、とか爆弾を仕掛けてXXが通ったら起爆するとか、普通の会話の中ではあんまり出てこないがゲーム内ではごく普通の会話だ。仮に傍受/平文に解読を出来たとしても、どれが善良な市民の会話でどれがテロリストの会話か識別するのは辛いことだろう。
大多数のITエンジニアが通信路暗号化の基盤として信頼していたOpenSSLに巨大な脆弱性"HeartBleed"が昨年発見され、その脆弱性をNSAが事前に把握していた、という昨年の事件はオープンな暗号化基盤さえも国家レベルの諜報機関に対しては大穴が空いている可能性を示唆するものだった。
このような背景の元では、テロリストが「通信の内容」よりも「通信の存在」の秘匿、そして事後の捜査のしづらさを重視したとしても不思議ではない。
ブコメやトラバでも指摘されているが、事後的に平文の会話ログや行動ログを運営会社に提出させることそれ自体は可能だろう。
しかし巨大IT企業や通信会社と比較して捜査慣れ(証拠提出慣れ)していない、しかも英語が十全に通じるか怪しい国にある運営会社からログを入手し、ゲームの仕様に依存するログを読み取る時間と手間を考えたとき、この夢と虚構と暴力の世界は秘密の謀りごとを埋める森として十分な広さがあるように思えるのだ。
都内20代半ば 正社員 学部の偏差値60くらいの大卒 容姿はまあ十人並み(根拠:美容室のカタログモデルやったことある) モテるでしょとよく言われるが、具体的に容姿を褒められたことはない。
とにかく、性的対象でないものとして出会ってしまった人とそれ以上の関係を築くことか気持ち悪くてたまらない。
たとえば趣味の集まりのなかで、自分以外の二人が付き合い始めたらすごく嫌だ。べつにどちらかに嫉妬しているわけではなく、この場がそういう性的な場だったのだと思って嫌なのです
社内恋愛とかも絶対無理 転職歴あるんだけど前の職場社内で結婚してる人が多かったのが一番の原因なくらい
それも遠因となって、そもそも友達としても人とあまり深い人付き合いをすることができない。
見た目ですぐ惚れてもらえるような美女じゃないんだから、それじゃ彼氏なんてできるはずがないのだ!!
でも上記と逆の感じで、相手は遊びに誘ってくれたりしたけどまた深い付き合いには持ち込めなかった。だってセックス目的の場だったわけじゃん。(お持ち帰りみたいな形でやったわけではなくそれなりに工程を踏んではみたんですが)
あと、相手を好きで魅力的なら魅力的なほど「友達として尊敬してしまう」のも問題。
要するに場の目的意識を一度設定してしまうとそれを動かせないから、婚活すればええのんか
でも一回くらいまともに告白しあってお付き合いみたいな甘酸っぱいやつやりたいッス先輩……。どうしたら……。
その人は香川真司が好きだった。
それまでサッカーなんて一ミリも興味のないキモヲタ自称できる僕が、香川真司を興味本意で色々調べて、少し知った。
香川真司って、すげぇかっこよくて、前向きで、愚直で、すげぇ嫌な気持ちになった。
香川真司が単身でドイツやらイングランドで戦ってるあいだ僕がやってたのはヲタっぽいことだけだ。なんて情けないんだ。
香川真司はかっこいい車に乗ってかっこいいことを話してなのに気さくで、もう辛い。
小汚ない営業車に乗って小汚ない取引先に行ってどうでもいい商談をする自分があまりにも不甲斐ない。
空しい。
仮に自分のフィールドでどれだけがんばったってなにをしたって、意味はない。
もう十数年働いているが、目的意識なんかない。空しい。
生きていることがこんなに空しいなんて初めて知った。
ただ、サッカーがおもしろいって初めて知ったしワールドカップ予選なんて知らなかったけど、明後日も見るよ。香川真司が活躍することを願って。
http://chaos2ch.com/archives/4474062.html
これを読んで
努力って「嫌なことを我慢してやる」って
意味で言うことが多いけどすごく弊害があると思う
1. 目的意識のある奴
こういうやつはまず得たい結果を定めて
それに辿り着くための戦略を考える
実行段階では個人的に得意なことも苦手なこともする必要があって
苦労するのが目的にはなってない
2. その分野が好きな奴
とか言い出す人間はそもそもその分野が好きではない
こちらも苦労するのが目的にはなっていない
どちらにせよ目的を達成するために
苦労するのは必要最小限だけでいいのに、
どうせ嫌なことをするなら結果につながることをしよう
嫌なことをしてればいいと安易に
考えているならそれはただの思考停止
努力は報われるなんて軽々しく言う奴は
本人が苦労するわけじゃないから簡単に
言えるのであって、真に受けるべきじゃない
苦労する本人は、その苦労がどんな結果に繋がるか
何を作るのかという質問の大半は 何のために作るのかと聞いている
作るものの内容によっては自分のためか 誰かのためか明確であるのか それともその需要はどこにといった展開に話をする
なので対話者の経験上判断ができるメニューか もしくはすっとばして目的から紹介してもらってもいい
例)
ナポリタン=>子供っぽいね=>子供すきなの?=>性格の誘導方向からの会話選択
子供とか動物とかすきなの?私もかわいいものがすき:目的意識方向性合致行動共有意図
わたしおいしいお店しってる:自己欲求
こんど食べさせて:有価特徴利用目的
子供といえば…:共有速度上位
男性はなぜ相談すると解決しようとしたり質問すると回答しようとしたりするのか
料理はなにをするのか どんなものをと聞いたのはそれをすることからの人格調査という導入だけだろ
どうせ男は
なんだろ?
会話は共有しようとしていると思えないのか
攻殻機動隊の戦車が会話で平滑化する情景を思い浮かべてみてくれ
会話を自分の視点だけで認識されている情報や論理や哲学を広域に当てはめ投げっぱなしにするあのクソ男性的な叙情が理解の断絶を産みその痛みで自分の輪郭を浮き彫りにしようとする夜店の型抜き屋台みたいな一人マゾプレイに美的感覚を刺激されるとかいいたげなアニメの情報共有を基礎から断絶するひとり会話描写ではないほうのな
先にはてなブログを登録していたものの鳴かず飛ばずで、なんとなくはてなブックマークも始めて、なんとなく匿名ダイアリーを覗くようになっていた。
アノニマスダイアリーだから増田と呼ぶのだということすら、当時はまだ知らずにいた。
好き勝手なことばかり書いてあるみたいで、なんとなく、自由がここにあるような気がした。
ブクマがついた。
嬉しかった。
それから、日常のどうということない思いつきや、過去のあんなことこんなことを少しばかり脚色して書き込んだ。
ブクマがつかないこともあるけれど、それなりにたくさんのブクマをつけてもらえることもあった。
調子に乗った。
実体験であること、日記であることを心掛けていたつもりだったけど、少しずつ箍が外れてきた。
できるだけおもしろくなるように、できるだけ共感してもらえるように。
時には煽るように。時には見下すように。
こういうエントリーはあの人なら好きなんじゃないかな。
こういう変化球はどうだろう。
自分の日記、記録として書き始めたはずが、いつしか、ブクマカの人たちにいかにしてブクマしてもらうか、という目的意識に変化していた。
怖くなった。
「はてな匿名ダイアリー」には、無数の、多様なエントリーが並んでいる。
私のエントリーもその中に溶け込んでいる。
もはや私が書いたものか、他の誰かが書いたのか、見分けがつかない。
私が書いたわけでもないのに自分が書いたように錯覚することもあれば、
自分が書いたエントリーでも自分が書いたという実感がないものもある。
私の日記の一覧を見ることもできるけれども、本当に私が書いたものなのかあやふやな文字列ばかりがずらずらと並んでいる。
時に夫であり、時に妻であり、時に上司であり、時に部下であり。
私が増田になってゆく。
27時間テレビなんかほっとけばいいのになぜ批判したがるのか。
いったい何様のつもりで批判してるのか。
批判することでフジテレビに対してなにか行動を起こさせたいのか。
同業他社なのか。
目に入るから斜め読みで見てしまうけど、どれもこれも気持ち悪い。
批判コンテンツは共感を得やすいしPVも稼ぎやすくアフィで生活している人にとっては美味しいコンテンツなんだろう。
ただそれ以上の目的意識はまったく見えない。
手っ取り早くPVを稼ぐために批判できるネタをさがしてるハイエナにしか見えない。
批評の後に「私はこういう番組を作っていて、あんなもんじゃない、ずっとすごく面白いです、だから見てください」っていう結末ならアリだと思う。
でもそんな人はまったくいなくて、横からふらっとやってきて批判記事をその人それぞれの手癖で書いて、俺すごいってやってるだけ。
批判記事で食ってる人って元ネタがないと生きてけないって気がついてる?
イジメのターゲットを見つけて面白おかしくいじめて、周りのシンパを増やし、イジメの対象者を作ることで仲間意識を作っちゃう。
なんかそんな感じ。
いやー皆さん景気はどないでっか儲かってまっか?
こっちはもう全然ですわ。
家系真っ赤で顔真っ赤ですわ。
真っ赤にしていのはスター欄やっちゅうねん。
景気といえば中国バブル弾けちゃいましたねぇ。
もう駄目になる時はあっという間ですよ。
実はですね私のプチバブルも弾けちゃったんですよ。
何のバブルかって?
ほんのちょっと前まで本当よく伸びてたんですよ。
打率打点は恥ずかしいから言いませんけど自分としてはかなりいい線行ってる時期でしたわ。
いやー辛いですわ。
皆さんはどないですか。
ブログでもツイッターでも良いですけどやっぱ自分以外の人のも伸びてて欲しいもんですわ。
どんな方向でもいいからモチベーションがカッカしてると毎日が違う!
くっだらないことでも目的意識があると日々が活き活きとするもんですよ。
空の色の鮮やかさが変わる変わる。
気分が落ち込んでる時とかモノクロとまではいかないでも気持ち16色ぐらいになりますからねえ。
いやー本当皆さん儲かって欲しいもんですわ。