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はてなキーワード: 屋上とは

2021-01-09

ブルーパルス飛ばさないの?

今度はブルーパルス飛ばして、医療従事者を応援だっけ?しないの?

自民支持者は「ありがとうブルーインパルス!」と欣喜雀躍するんでしょ?

流石に今の御時世だと、自衛隊病院医者等を屋上に集めるわけにもいかないのかな?

2021-01-07

anond:20210107161901

ずっと屋上に住めばいいんじゃね?(鼻ほじ

2020-12-29

ビル屋上で 男が 桜井玲香と タバコを吸っているシーンが有った場合

 

問1 その男のいるビルで ある事件が起きている場合 どんな事件が ビルで起きていればよいか

問2 男がすっているタバコ銘柄は?

2020-12-26

今年見た夢リスト

2020-12-16

アニメヒプノシスマイク」第11話を見た感想

今回はディビジョンラップバトルの決勝…の前にFling Posseの話。

1人で逃げようとする乱数脳裏に幻太郎と帝統のセリフが…そして3人で池袋に帰ろうと提案する乱数

この3人の絆好き過ぎる。

それぞれ隠し事のある3人…乱数の明るい言動とは真逆の迫り来る死期…本当にFling Posseは最高すぎるチームだ…。

そんなわけで決勝…の前に左馬刻様と寂雷先生お話

チームメイトだけあってバチバチではない。

お互い強さが大事絆が大事というが、それぞれ自分もっと絆があれば絆があれば…と思う2人。

そう考えるとThe Dirty Dawgってめっちゃ凄いチームだったんですな…。

そんなわけでようやく決勝!

相変わらずの大火力でオラワクワクすっぞ!

一二三と独歩は左馬刻様のスキル?で持ち上げられてそこそこ高いところから受け身も取れずに落ちてるけど本当に大丈夫なんか…。

物理的に骨折くらいしてもおかしくない気が…。

決勝は本当に凄かった。

凄すぎて上手く言語化出来ねぇ…。

そして波動球を食らった河村先輩のようなぶっ飛び方をする左馬刻様には笑っちゃいました…すいません。

なんやかんやで優勝は麻天狼!わー!!!

独歩ちんを応援してたのでめちゃんこ嬉しい!

11話も最高だった!来週は麻天狼が釣りに行く話かなそれにもしかしたら来週ナゴヤやオオサカもちょろっと出てきたりするのかな?楽しみ!また来週!!!

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…今更ながら漫画版では一二三スキルとして敵の催眠状態?にして同士討ちをさせるってのがあったけどどうなったんだろう…。

ヒプノシスマイクって色々展開してる割にセリフやらなんやらにズレがある気がするんだけど…

せめて「3人まとめてアンタの病院にぶち込んでやるよ」に対する「笑わすな君如きでは私には届かない」ってセリフは印象深いからそのままにして欲しかったな…。

漫画版で寂雷先生と左馬刻様が屋上で話す話とか好きだったんだよね。

チームメイトあんたを叩き潰すなんてことは…と悩む左馬刻様に対して、全力でかかって来てください。それとも全力を出せば私なんて楽勝ですか?的なことを寂雷先生が言って、それに対してまさか…と言いながらニヤリとする左馬刻様の話めっちゃ好き。

2020-12-11

おれの母校は動物園だった。

ある日転校生がやってくると聞かされて、隣の席のカピバラらと「かわいいリス系の女子だといいな」と盛り上がっていたが実際来たのは図体ばかりデカアフリカゾウだった。

当時、クラスシメていたのはアジアゾウで、彼女自分よりデカいゾウの存在が気に入らなかったらしく、クラスに「おい、あのアフリカ野郎にヤキいれるぞ」と号令をかけた。

インキャ(インドネシア原産の生徒の総称。おれはスマトラトラ)だったおれは当然調子こいているアジアゾウの策謀には乗らない。回ってきたメッセージつきりんごはすべて無視した。

そしてある日、下校しようとしていると屋上への階段の陰でアフリカゾウがめそめそ泣いているのにでくわした。

泣いている理由は訊かずともわかった。

彼女の自慢の牙が折られていたのだ。

あいつら……”アタシらがおまえの象牙をぴかぴかのハンコに加工してやるよ”って言って……無理やり……」

なんという無法だろう。まさに動物園だ。いや、動物園よりひどい。数百カ国が批准するワシントン条約などこの学校には無に等しいのだ。

最初アジアゾウにもアフリカゾウにも与する気のなかったおれだったが、アジアゾウの悪行に怒りが湧いた。

あいつらをステゴドン(ゾウの先祖更新世絶滅)の時代に戻してやる! 

それからだ。おれとやつらの戦いが始まったのはーー。

2020-12-09

疲れてるせいかTVerバラエティ見てると煩くて堪らない。アニメも気力が要るので見られない。

そんな中、今まで全く見ていなかったヒロシぼっちキャンプ何となく視聴してみた。

これは…

静かでいい。

私も焚き火囲みたい(キャンプはしたくない)

裏庭で焚き火するかな…隣人に奇異の目で見られるな…。カーポートで七輪が精一杯だな。網の上に何も乗っていない七輪(怖)

つーか、なんで(全部用意されてて出向いて焼くだけで食べられる)BBQって夏場しかやらんのだよ。冬もやれよ。ダウン着てやるよ。

まあ、夏場に海辺のユースの屋上に登ってやるBBQの開放感は最高だけどな。冬にやったら物悲しい荒波を眺めるだけになるけどな。

そんでやっぱりメタクソ寒いから、火に手を翳してみんなで背中丸めるというダウンタウン路地状態になってしまうだろうけどな。

寒いのは本当に嫌だねえ。年中夏ならいいのになあ。

秋や冬にメリットを感じない。秋の果物豊富ってことくらいか?魚とか旬のもの食べないし。コメも食べないし。

紅葉とか見る余裕無いし(というか無残に枯れ果てた木々が余計陰鬱な気分にさせてくれるわ)

雪が降ってわー!なんてあるわけねえし。光熱費爆上がりだし。体調も崩しやすいし。

今年はそうでもないけど、秋になると冬季まっしぐらでほんっとうにキツイ

秋冬なんて観光地だけに来ればいいんだよ。

そんなこんなでヒロシyoutubeチャンネル登録して延々とキャンプ映像を見続けている。早く真夏キャンプシーンに到達したい。

2020-12-03

anond:20201203055543

親が目を離したすきに俺は車に二回轢かれたよ

兄貴屋上から風呂敷マントにして飛び降りようとした

死んだら面倒見てた親のせい

2020-11-30

渋谷区民の宮下公園

宮下公園媒介してNIKEがたたかれているみたいだね。ブクマカたちは安全からいつも通りいい子ちゃんぶって正論罵詈雑言を浴びせてくるけどもう慣れちゃった。

自分はもう何年も渋谷仕事して渋谷生活している。渋谷って一口に言ってもいろいろな区画があって、それぞれの区画治安が良かったり悪かったりする。道玄坂ホテル街は相変わらずラブホが立ち並んでてカップル風俗客と風俗嬢がうろうろしてるし、スクランブル交差点はいつも関ヶ原で、センター街リアルエクバ、宇田川町DJリアルGTAだし、宮益坂はいだって坂がきつく、マークシティは死相のあらわれたホームレスがベンチみたいなところで寝転がってたし、南平台はいだって渋谷と呼んでいいのか分からない。その中でも、宮下公園だけはあからさま近寄ってはいけないムードがただよっていた。それはホームレスがいっぱいいるからっていうのもあるけど、公園では何が行われてるか分からないし、犯罪の噂をしこたま聞くからだ。よく分からないけどなんかやばそうな空気宮下公園からはいつも感じていた。

実際のところ、ホームレスの母数は統計上減っている。ガチ貧困者がホームレスにならずにネカフェ難民などに移行してるそうだが、それでもジュリーみたいなルンペン体感で見てもここ数年で明らかに見なくなった。宮下のところや駅のところで高架下にはダンボールを毛布がわりにしたホームレスがいるけど、本当に見かけるのはそのくらいだ。マークシティからもいなくなった。あと、ホームレス一般市民と比べて結核持ちが多いから、公衆衛生的にもよろしくない。

ところで、Base Ball BearってバンドのSAYONARA-NOSTALGIAって曲にミュージックビデオがついてて、2004年渋谷舞台になっているんだけど、ナンバガに憧れた男女がビル屋上演奏してる裏で、ヒカリエができる前の治安の悪い宮下公園治安の悪そうなJK治安の悪そうなことをしてるなんだかよく分からないミュージックビデオだった。2004の頃からしてもそんなに治安の良い空間じゃあなかったのだろう。

そしていま、ちょくちょく宮下公園を通過している。あのあたりに限定すれば、本当に治安が良くなったと思う。安心して宮下を通過できるので治安が良くなったことを体感している。ホームレスの村よりはパリピインスタ映えを求めてウェイウェイしてる方が明らかに平和だ。

もちろん単にホームレスの母数が減ったからって貧困がなくなったわけでもないけど、行政ナイキが結託して弱者排除してるっていう単純なストーリーには区民の立場からノーと言いたい。

2020-11-18

anond:20201118003531

から誰も花火の見えるビル屋上で僕とキスなんてしないんだ あれはただの願望であり夢だ

2020-11-16

起業しろって言うのはおかしい話だって少し前は言うと

度胸がないとか日本人的とかマウントとってくる増田が大量にいたのに

コロナ不況になってからはむしろそう言う増田たちが殺意を向けるほど憎んでいる「起業なんかイグジッド狙ったってまともな人間のする選択肢ではないからやめるべきだ」って言う冷静な増田意見しか出なくなった

そう言う起業ばっかしか頭にない増田ってもう起業とか寝言ほざける余裕さえなくなってみんなステータスオープンとか叫んで屋上とかからなろう小説異世界にでも転生キメたんだろうなって思う

2020-11-14

AIITの力で戦う仮面ライダー増田

特技は嘘経歴マウンティングと低レイヤ技術語りと政治語り

発達障害プライドだけは高いので誰とも協調が取れずオタサーの姫に騙され発狂してステータスオープンとか叫んで屋上ライダーキックで飛び込んでなろう小説異世界へと転生キメるって感じの内容とかどうよ

2020-11-13

ニコニコ動画YouTubeで生き物を虐待している動画について


そういう投稿作品を目にすることがある。

数か月前、ニコニコ動画ネズミを罠にかけて殺す動画が数万再生を記録していた。コメント否定的ものは少なく、みんな興味津々に見ていた気がする。

あとは一昨日、これは当日記を上げようと思ったきっかけになるけど、YouTubeで虫を殺している投稿者を見つけた。その人は、ハリガネムシを自らの手で引き千切る、氷に詰めて凍死させる、カマキリに食べさせるなどして人気を集めていた。

かには、カメムシ数匹を瓶に閉じ込めてシェイクさせて自らの匂いで臭死させたり、蜘蛛に付いていた赤いダニをピンセットで半分わざと潰したりする。

共感できなかった。共感できないのは別にいい。それが面白いんだから人気が出る。抗議まではしたくない。

だって悪徳の栄え』や『隣の家の少女』や『冷たい熱帯魚』が好きだけど、私の好きを世間否定されるのは嫌だ。

それよりも気になったことがある。

虐待動画投稿にあたっての倫理基準だ。どこまでが視聴者に好まれて、どこまでが削除の対象になるんだろうか? 目下の疑問はそれだ。実例で考えてみたい。



実際の事例①

最初人間の例になる。

1年ほど前だったかな。とある女性高層ビルから飛び降り自殺したのがニュースになっていた。

ただ、その子飛び降りようとする現場で、直前まで自殺をやめるように説得を受けていた。それが災いしてか、彼女飛び降りた場面をやじ馬に撮られ、拡散されてしまった。

今でも覚えている。その子が地面に叩きつけられたと思ったら、凄まじい音が響いたのを。人間って、高いところから地面に落ちるとあんな音がするんだ!って思って、その動画を何度も何度も繰り返し視聴した。

蛇頭になった。本題に移る。

ニコ動で、その子が地面に落ちる場面を使ったMADをアップした投稿者がいた。確認できただけで2人いた。

星のカービィに出てくる音楽に乗せて、屋上から飛び降りて、逆再生でまた戻ってを繰り返す動画だった。

半日も経たないうちに運営が削除した。この例からもわかるように、人権侵害とみなされたコンテンツは削除される。

当然のことだ。自死を選んだ人を冒とくする動画は許されるべきじゃない。

できれば、淫夢動画も見つけ次第すべて削除してほしい。野獣先輩は確かにかわいいなって思うけど、あれもれっきとした人権侵害ひとつだ。元AV男優が声を上げにくいことを理由に、あの連中はやりたい放題やっている。

ドワンゴ経営陣に対しては、淫夢動画積極的な削除を求める。

実際の事例②

ニコ動で、ネズミを殺す動画流行っていたのは上に述べたとおりだ。

野生のネズミのこともあれば、白いラット場合もあったけど、罠にかけて殺すのは一緒だ。

その中で、一匹のネズミを数多のピラニアがいる水槽に落とすというのがあった。

ピラニアネズミを齧りにいく。ネズミは水面を泳いで逃げるんだけど、水槽の端に追い詰められ、ついに流血する。

血の匂いを察したピラニアは、どんどんネズミの方に群がって――あとはもう、ぐちゃぐちゃだった。

監視のために、この動画をとりあえずマイリストに入れた翌日。私はニコ動運営見直した。

削除されていた。ネズミピラニアに食べさせる動画が。

ニコニコ動画運営は、血も涙もないオタクの集まりだと思っていた。サイトが盛り上がればそれでよく、人がどれだけ不幸になろうと知らぬ存ぜぬ!だと思っていた。

そうではなかった。人権意識があった。それを確かめることができただけで嬉しかった。

蛇足になるが、私の経験上、生き物を虐待する動画の削除基準でわかっていることがある。

アウト 人権侵害にあたるもの(直接に人を傷つける、または死者が映っている)

    性的いかがわしすぎるもの(見えてはいけないものが映っている)

    動物無意味に殺すもの(犬や猫など、人間比較的近い生き物)

    ※最近の例だと、カニを生きたままミキサーにかけた投稿者がバッシングされた例あり

セーフ 動物を傷つけるとまではいえないもの(犬や猫に対し、皿の上にエサを載せないまま出すなど)

    人間とは明らかに違う種を傷つけるもの昆虫植物微生物など)

    動物がほかの生き物を捕食しているもの

実際の事例③

それでは、ハリガネムシを引き千切る動画はセーフなんだろうか。人間に近くないので虐殺してもいいんだろうか?

ここでその投稿者を晒すことはできないけど、私の見立てでは賢い人のように思えた。サイコパス実例だ。

その人の動画には、生き物がいろいろと出てくる。出てくるのは主に昆虫だけど、カエルネズミが登場することもある。

でも、虫以外は殺さない。わかっているのだ。哺乳類を殺したらどうなるか。

例えば、ハリガネムシと同じ感覚カエルを氷漬けにしたり、ネズミをお湯につけたりすると、コメント欄が大荒れになって、運営通報されて、動画が削除されて、運が悪いとアカウントも凍結される。

それをわかっているから虫以外は殺さない。

この人の投稿する動画では、毎回のように虫が虐待される。視聴者はそれを喜んで視聴している。

実際に需要がある。普通の人は、虫を虐待しようとは思わない。そもそも触ることができない人も多い。私も最初は、怖い物見たさで再生ボタンを押した。

確認したところ、この人がようつべに上げた動画運営から削除されたものはない(自分で消したものはあるかもしれない)。ようつべ的に昆虫虐待はセーフなのだ



こんなエッセイを綴ったのには理由がある。

動画サイト運営者は、削除に関する基準ガイドライン公表すべきである」という意見を伝えたかった。

ニコニコ動画公表しているみたいだが、ようつべはしていないようだ。

ガイドラインを作ること自体が困難を極めるし、一般公表したら裏を突かれる可能性もある。仕方がないのかもしれない。

犬だろうと、猫だろうと、カマキリだろうと、ダニだろうと、命を無駄に殺す作品面白くない。

2020-11-05

最近ようやく家の中の灯りをいくつか人感センサーのに変えたんだけど、これってかなりいいな

もっと早くからやってたらよかった

何もしなくても俺が来たことを察知して照らしてくれる感じが大富豪になったような錯覚させてくれる

まず玄関前で灯りがお出迎え

入ったら靴置き場の灯りがそっとついて、リビングに入るとまた灯りがお出迎え

ちょうどアイアンマン屋上に降りてきて歩きながらアーマーを脱いでく感じのような高級感がある

ワンルームとかだとあまり実感ないかもだけど一軒家くらいのサイズだとガチマジでおすすめ

人感センサーの灯りはいいよホント

2020-11-03

anond:20201103073032

嘘松認定なんて野暮なことはしたくはないが、

屋上シーツを干す病院」なんていうのは映画の中だけにしかないぞ。

雨降ったらどうすんだ。

屋上には誰もいませんでした。洗濯されたシーツがはためく耳障りな音と、

心象風景

今日の帰り道、長い塀とその中にある高い木々に囲まれ屋敷を見かけました。随分昔からあるような雰囲気でした。大きな門のところにはぴかぴかの監視カメラがあって、そこだけちぐはぐな感じがしました。

私は散歩が好きで、気がつくと三時間くらい歩いていたりします。この街はくまなく歩き回ったと思っていたのですが、まだ知らない場所があったみたいです。こういうことがあると、物語の中に入ったようで少し楽しい気分になります。ここはそんなに大きな街ではないので、もう何ヶ月かしたらきっと、本当に行ったことがない場所などなくなってしまうでしょう。そう思うと少し残念でした。その時が訪れたら、人に迷惑にならない程度に少しばかり酒に酔って散歩するのも良いなと思いました。そうして、意識がはっきりしていない状態で歩き回ると、「猫町」に出てくるような遊びができるかもしれないと考えました。

小説といえば、昔に村上春樹小説を夢中になって読んでいたことがありました。近頃はあまり読まなくなってしまったのだけど、日常から日常へとシームレスに暗転していく感じが好きで、今でも地下鉄に乗っている時や、古いホテルの長い廊下を歩いている時などに小説の情景を思い出します。

どうして村上春樹のことが頭に浮かんだかというと、今横を歩いているこの立派な屋敷は「1Q84」に出てくる篤志家の老婦人が住む家の描写に似ていたからだと思います塀の中にはほうれん草が好きなドーベルマンや、隙なく鍛え上げられた肉体を持つガードマンタマル氏がいそうでした。思わず空を見上げましたが、月は一つしかありませんでした。

小説の内容は断片的にしか思い出せませんでした。ただ、タマル氏が語った木彫りのネズミを作る少年の話ははっきりと記憶しています。その少年タマル氏が育った児童養護施設にいて、ネズミを彫ることの他に何もしませんでした。少年ネズミを彫る情景は、何故かわからないが心に残っていて、それは自分にとって大切なもののように思える、というようなことをタマル氏は言っていました。それが彼の心象風景なのだと。

1Q84を初めて読んだときのことはよく覚えていますお金がなかったので本は買えず、図書館はずっと予約待ちでいつ読めるかわからず、でもどうしても読みたかったので、きっと責められるのでしょうが、隣町の図書館に行った帰りに本屋立ち読みをして少しずつ読み進めたものでした。

その当時の私は、失意のどん底にいました。大学受験に2回も失敗したのです。高校卒業して就職し、少し経って色々なことが見えてきて、大学に行きたくなって、仕事をしながら受験勉強しました。そして失敗しました。頑張って溜めたお金もどんどんなくなって、やっぱり自分馬鹿なんだ、甘かった、叶わない夢を見ていたのだと思い知らされて、本当に惨めでした。それでも諦められなくて、図書館自習室に通って勉強を続けていました。

そんな折にウッカリ病気になり、入院して手術を受けなくてはならなくなりました。高額医療なんとかという制度でかなりの額が戻ってきたのですが、それでもやはりお金は減るし、大部屋だったので周りの病人なんやかんや干渉されるし、古い病院なので暑くて臭いし、とにかく最悪でした。

私の心象風景は、そんな時期に起こったある一日の出来事です。

その日も最悪な気分でした。手術で受けた傷が痛みました。術後から数日間しか経っておらず、しばらくは風呂に入れないでいたので、自分臭いのがわかって辛かったものです。

気分転換でもと思って院内散歩しているうちに、見知らぬ病棟に入り込んでしまったようでした。エレベーターで一番上まで上がると、屋上に続くドアを見つけました。

屋上には誰もいませんでした。洗濯されたシーツがはためく耳障りな音と、やかましい蝉の声だけが聴こえました。季節は夏で、真っ青な空と真っ白な雲のコントラストが憎たらしいと思いました。しかしながら病院屋上というのはなかなか絵になるもので、まるで自分小説の中に入り込んだような心持ちがして少し気が晴れました。ですが、そんな雰囲気で柵に凭れたら、熱された金属が肌を焼いて飛び上がり、格好が付きませんでした。ため息をついてふと見下ろすと、ある病棟の窓から内部が見えて、目をこらすと病室から廊下に棺が運び出されているのが目に飛び込んできました。

私はますます憂鬱になりました。それで、とぼとぼと病室に戻ると、点滴を引きずりながら歩いたせいで血が逆流してしまったらしく、看護師さんに怒られました。

落ち込みながら、歩き回って汗をかいたので着替えて、脱いだTシャツを流しで洗濯していると、明らかに大掛かりな手術をしたと思われる包帯ぐるぐる巻きの人がやって来ました。その人は壺のようなものを重たそうに持ってよろよろと歩いていて、とても怪しい人物のように見えました。それを流し台に置いて居なくなったかと思うと、しばらくして綺麗な花束を持って戻ってきました。壺ではなく花瓶だったのかと私は思いました。

その人にとって、かがみこんで花を花瓶に入れることも、蛇口をひねることも、そしてその後に運ぶことも難しい状態に思えました。普段は、困っている人に親切な行為をするのに随分勇気が要るのですが、その時は反射的に声をかけることができました。

病室のテーブルに花瓶を置くと、その人は小さな板(何回でも書いて消すことができる子供用のお絵かきボードがありますが、それに似ているものです)のようなものを取り出し「ありがとう、とても助かりました」と書きました。そして、手術をしてもう喋ることができないのだと続けました。私はその時初めて、その人が今まで一言も発していなかったことに気が付きました。

私は何故かその瞬間、自分を恥じました。しかし、そう思ったこ自体もその人に失礼で、恥ずかしく思いました。

視線を落とすと美しい紫色の花が目に飛び込んできて、見たことがない花でした。とても綺麗な花ですねと私は言いました。

その人は花の名前を教えてくれました。名前は聞いたことがありましたが、こういう見た目の花ということは知りませんでした。

そう言うと、好きな花なんです。母が持ってきてくれた。と答えました。

それからもう10年が経ちました。あの夏を過ごした翌年に、私は何とか滑り止めの大学合格しました。その後、機会にめぐまれて、大学院にまで進学することもできました。いわゆるロンダリングです。恥を忍んで正直に言うと、大学に入るまで大学院を存在することを知らなかったので、それを初めて知った時はなんだか謎めいた機関のように思えました。周りに院を出ている人などいなかったし、そもそも大学を出ている人も多くはありませんでした。今では、本の奥付に書かれた著者のプロフィールにX大学大学院X課程修了などと書いているのが目に入るようになりました。昔から色々な本をたくさん読んでいたはずなのに、きっと見えていなかったのでしょう。

20代前半で初めて東京に出てきて、育った環境の違いに打ちのめされたものでした。中高一貫学校出身の人々に囲まれて、私が初めからこういう場所で育ったならどうなっていたかなと考えましたし、今でも考えます奨学金の残りの返済額に憂鬱になることもしょっちゅうで、そういう心配がない人はいいなと思います。進学してから変な経歴を笑われたこともありましたし、ロンダだと陰口を言われたこともあって、そうした時は悲しくなりました。

でも、いつからか、自分自分人生をある程度コントロールできているのだという充足感があって、これは昔にはなかったものでした。ただ、これは、大学受験を乗り越えて「分断」を渡った(かもしれない)ことだけが原因ではないように思えます

何かがあって落ち込んだり、何かなくてもふと悲しくなったとき、あるいはただ呆けているだけのときに、あの夏の病院出会った包帯の人との出来事が、鮮やかな紫色の美しい花のイメージとともに浮かび上がることがあります普段は忘れていて、そのとき見たもの匂いや状況などがトリガーになって出てくるのでしょう。この情景はとても印象的ではあるのですが、別に感動的ではないし、大きく感情を動かされることもなく、さして貴重な体験だったという訳でもないように思えます

ただ、思い出したとき何となく心が凪いで、これは私だけが持っているものだと言う気持ちになります。多分ですが、自分にとって大事ものであるような気がするのです。そう思うと、タマル氏が言っていたことが理解できるような気がしました。

「俺が言いたいことのひとつは、今でもよくそつのことを思い出すってことだよ」とタマルは言った。「もう一度会いたいとかそういうんじゃない。べつに会いたくなんかないさ。今さら会っても話すことなんてないしな。ただね、そいつが脇目わきめもふらずネズミを木の塊の中から『取り出している』光景は、俺の頭の中にまだとても鮮やかに残っていて、それは俺にとっての大事風景ひとつになっている。それは俺に何かを教えてくれる。あるいは何かを教えようとしてくれる。人が生きていくためにはそういうもの必要なんだ。言葉ではうまく説明はつかないが意味を持つ風景俺たちはその何かにうまく説明をつけるために生きているという節がある。俺はそう考える」

2020-10-25

anond:20201025132909

からからないのが便所飯をする人。臭くて食えなくない?ネタなの?

いや自分もボッチではあるけど、さすがに便所で食ったことがないし、食べようとも思ったことないし、食堂とか教室とかで普通に一人でメシくってたけど・・・

あーでも休み時間に一人になれるところを探して屋上に出られる階段の踊り場に居たことはたまにあるかも、あの心理なんだろうか。(屋上には出られない)

あとは自分想像する以上にひどいイジメを受けてた、とかなのか

2020-10-24

賠償金を払えない遺族も屋上から飛び降りたら面白いのに

次の請求先は遠い親戚かな

2020-10-14

anond:20201014204457

やっぱり 死ぬしかなくて 死に方は選ばせてやる

ビル屋上からでも

包丁でもいいよって

あーあ

でもよ

おばけ騒ぎを起こしたやつがいたら お前のせいだ

2020-10-11

精神障害者精神科で働く時

僕は、精神障害を持ちながら、精神科仕事に関わろうとしている人間だ。メンヘラがそんな仕事をするなとか、そもそも精神障害者は害悪だとか、逆にそういう人だから患者さんの気持ちを汲めるとか、いろいろな意見があるが、取り敢えずそういうのは一旦置いておくとして、僕が仕事に関わる時に心がけていることをここに書き記していこうと思う。後で読み返してまた気付きが得られるようにという目的も含めて。

一番注意していることは、患者さんの前では僕は医療職の一人であるということだ。僕がいくら手首が傷でズタズタで、パニック発作抗不安薬OD気味に飲んでなんとか抑え、今にも道に飛び出してトラックに轢かれるか目の前にあるビル屋上から飛び降りようかしそうな希死念慮どん底の鬱がある身体を引きずって歩いているとしても、患者さんの前では僕は一人の医療職であって病者ではない。僕の具合が悪いからって医療提供の質を下げることは許されない。僕の状態がどうであろうとその事実は変わらないのでそこは忘れてはならない。最近抗不安薬を飲み足し飲み足し行っていて、自分のことで精いっぱいでこれを忘れそうになる。自戒

注意していること2つ目、自分の苦しみと患者さんの苦しみが同義である勘違いしないようにすること。患者さんが僕と同じ病気にかかっていたり僕と似たような逆境(虐待いじめ不登校無職など)を体験していたりすると、安易に「あ~それわかります、つらいですよね」と共感してしまうことがある。いやもちろん患者さんの苦しみに共感的傾聴をすることはとても大事なのだが、安易共感は危ない。なぜなら同じ病気の人が同じ苦しみを抱えているとは限らないし、似たような逆境体験からといって全く同じ体験をしてきたわけではないからだ。僕の生い立ち、家族関係、友人関係問題の背景、経過は患者さんのそれとは違う。患者さんの話をしっかり聞かないと、僕の体験を元にその人に介入してしまうなんてことになりかねない。簡単共感できてしま患者さんのケースこそ、自分との距離意識的において扱わないといけないのかもしれない。

そして注意していること3つ目は、自分のことをよく理解しておくことだ。自分患者さんとの境界曖昧だとたいてい良くないことが起きる。まず、僕が患者さんの感情に引きずり込まれる。自殺未遂して入院してきた患者さんを診た時、ああ僕もああやって自殺したいなという思いが頭から離れなくなり、かなり調子を崩した。患者さんとの間には必要十分の距離をとらないといけないのだ。そして、自分のことをよく理解しておかないといけないのは、お互いの間に望ましくない感情が生起した時に最善の対処をできるようにする必要があるからという理由もある。患者さん→医療者に生じる感情としては、いつも優しい言葉をかけてくれる医療者を患者が好きになってしまったり、逆に患者さんが医療者にトラウマティックな人(虐待してきた親、DVしてきた恋人など)の像を投影して医療者を攻撃してしまったりというものがある。まあこれはよくあることなので医療者側も容易に気が付くし、やんわりと「恋人関係にはなれないことになっているんです、ごめんなさい」と諭したり、時間を要するが医療者は敵ではないことを伝え続けたりできる。厄介なのが医療者→患者さんに生じる感情であるとある患者さんの言動が僕に不快感を与えるものだったりすると、たとえそれが精神疾患によるもの/生い立ちからどうしようもないこと等をわかっていつつも患者さんの言動が嫌いになってしまうことがある。しかもこの感情自分ではなかなか気付きにくいときている。医療者側からあなたのことは嫌いです」「あなたのやっていることは悪いことです」という姿勢患者さんに伝わると、治療信頼関係は崩落する。だからこの気持ち自分でもしっかり気付いていないといけない。僕は患者さんと向き合うと同時に、自分自身とも向き合う必要があるのだ。

でも、精神疾患を持った精神科領域医療者ってどうなんでしょうね。許されないことなんですかね。迷惑なんですかね。僕にはわかりません…

2020-10-06

ライブハウス特製の餃子増田酢魔座うょ着の伊勢鳥栖はぶ苛(回文

おはようございます

ライブハウス特製の餃子シャンパンセット。

熱々の餃子で口の中が火傷しそうでした。

と言うか火傷しました。

こ、こんなにも肉汁がー!

あ、あふれちゃうー!って感じで

ちょっと肉汁スパーキングしちゃいました。

以前の反省点としては

瓶系のお酒を頼むとおかわりしたら、

テーブルの上に空き瓶がたまって、

ちょっとカッコ悪いというかこの人ここで本気飲みするんかい!って思われちゃうかのよ。

スマートじゃないわね。

こういう時は中華屋さんで助走してからライブハウスに行った方がいいわね。

ライブハウスカレー食ってる場合じゃないのよ、

私の場合

助走って言っても、

中華屋さんのあるビル屋上から

ライブハウスのあるビル屋上へ助走してジャンプして渡るとかって言う意味じゃなくて、

ある程度ご機嫌さんになってから行くって意味からね。

まあそんなわけで、

今日も夜な夜な幌馬車に揺られてツアーライブを追っかける次第よ。

羽田の北ウイングに向かうわ!

でもさ、

あんまり今回の個々のライブ会場周辺のビル地下行ったことなかったんだけど、

結構飲食店がたくさんあって、

半分以上はシャッター閉まってるにもかかわらず、

元気の良いお店は営業よろしく

お客さんもいっぱい入ってて賑わってるのよね。

ついついそんな赤提灯に誘われちゃいそうになるけど、

ここは、

ライブハウス特製の餃子シャンパンセットのために我慢よ!

私はあの時間が好きなのよね。

開場から開演までの1時間ぐらいある間、

あの間の早く始まらいかなって、

クワクしている1時間ぐらいのね。

始まっちゃったら始まっちゃったで

あっと言う間に楽しくて終わっちうから

始まってしまとある意味切なくもあるわね。

でも全部で255公演ぐらいあるんだけど、

直4回ぐらいみたら結構中身も一緒だし、

そりゃちょっとセットリストは変えてくれるけど、

飽きてきちゃうわねって言うのはここだけの話よ。

これも修行のうちだわ。

でもいいの。

この1曲のために!って思えるときがあるから

セットリストが1曲違うだけにそれ聞くのもコストが割高になるけど、

逆に言えば全公演行くなら、

そのコストは限りなくゼロになるはずなのよ。

まあエンターテインメントについて

コストとかどうとかって言うのは、

ナンセンスのすっとこどっこいだけどね。

とにかく!

今を楽しむわ。

うふふ。


今日朝ご飯

ハムタマサンドです。

いつも変わりない朝の風景っていいじゃない。

いつもの定番の私の朝ご飯

よく味わって食べてねって!思っちゃう

デトックスウォーター炭酸レモン水ウォーラー

レモン入れてお手軽追いレモンウォーラー簡単だし、

外出先でも炭酸レモンは手に入るから

もうこれでキメちゃうしかナイトよ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

アサイ

ベランダで(日常感とかを排して)キャンプする」ってテーマなのに、「屋上がある家買って、そこでキャンプしてます❤」とか言う空気読めない投稿

いるよな。「どのカニカマが一番ウマイ?」って話で盛り上がってるとこに、「本物が一番ウマイ」とか言ってくる奴。

2020-10-04

今日あった怖いというか不思議な話。

昔通っていた学校への道沿いに、小さい神社(祠?鳥居もセットなので神社っぽい)が屋上に建っているビルがある。学校はまあまあ辺鄙なところだったので学校以外にそこらへんに行く用事は無く、今では年に数えるほどしか通らない。

今日学校方面さらもっと向こうにできたというお店に行きたかったので久しぶりにその道を通ることになった。自分はただ車の後部座席に乗っているだけで道中暇だったこともあり、ふと気が向いて「写真に撮ってみようかな、ネットにあげれば詳しい人にどうしてここにこういうものがあるのかもしかしたら教えてもらえるかもしれないし」などと思い、もうそろそろ例のビルが見えるというところでスマホカメラを起動しようとした。

その瞬間母から電話がかかってきた。そのため写真を撮ることはできなかった。電話の内容は買い物に関するもので大した内容ではなかったが、何か不思議な力が働いたのでは…と感じずにはいられなかった。

偶然かはたまたそれ以外か…気になるのでまた撮影チャレンジしてみたいと思う。

2020-09-30

https://www.buzzfeed.com/jp/reonahisamatsu/zeni-yamete

こんな記事を読んだ。

このお母さんが言ってることは正しい。間違いなく。


ただ私はこの記事を見て、また、ここ最近芸能人自殺の件を見て、自分過去の事を鮮明に思い出した。

自分語りする場他に無いのでこちらで失礼します。長いから読まなくていいよ。

↑の記事とは全く関係ないので、あしからず


私は毒親からまれた。母が特にヤバい。どうヤバいかは読んでる内に分かると思う。

父親ヤバいけどマシ。父親は私が5歳の時に借金問題離婚した。借金の原因は母であり、父が母に耐えられなくなったというのも離婚理由の一つ。

あと他に父親ヤバい所は私が3歳の時に未成年淫行逮捕経験有り、今もたまに何かしらで逮捕されてるくらいでしょうか。



母は嘘しかつかない人だった。

自分いかにすごいか毎日私に語っていた。嘘じゃないかもしれないが運動が出来て頭が良くてとてもモテたらしい。

一番よく聞いたのは、母が子供の頃芸能オーディションに応募して最終選考まで残ったのに親に反対されて最終選考に出られなかった話だ。

から自分子供を決して縛ることなく何でも自由にさせてあげるんだと息巻いていた。

他には、身内や近所からこんな酷い事を言われた!と言って悲劇のヒロインを演じていた。そして、自分は正当だって話をセットで私や色んな人にしていた。


母は家事を一切しない人だった。

私は物心ついた時には包丁を握って、火を使って料理をしていた。何度も火傷したり指先を切り落とした覚えがある。ピーラー100%切ってしまうので使うのを止めたし今でも怖くて使えない。指先が無くなったことで病院に行ったことはない。幸い、今指の形が変とか火傷の跡が目立つとかは特にない。

洗濯や洗い物は一回分でも溜まるとその晩母は発狂して私は何度も殴られ首を絞められ怒鳴られ、学校へ行く時間(朝)になるまで逃げられなかった。

ちなみに寝不足なうえにわんわん泣いてから学校に行くから瞼は毎日一重。今は何もせずに二重だが、同級生からは整形を疑われることがある。

そういえば包丁を投げられたことも何度もある(シンクに置きっぱなしだったせいで)。運良く毎回避けられたが避けなければ刺さってた。

それは物心ついた時~成人後家出に成功するまでずっと続いた。

赤ちゃんの頃はどうしていたかホームビデオを見る限りでは父親家事をしていた。母は自分がしていたと言う。だから家事も何もかもを全て私にやらせておきながら「誰があんたを育ててあげたと思ってるの!」が口癖だった。

私は何言ってんだこいつと思っていたが、ふとした時に何故だか自分が悪いかのような気になった。言われたその時ではなく、あとから何もない時に急に罪悪感に襲われた。


母は働いたことが無い。

私が産まれから家出するまでの間は。

しかし、一度だけ、試食販売バイトをした。私が中学の時一度だけなんだけど、それを一生やってるかのように「私は働いている!」と言い続けた。


母は身内や近所に嫌われていた。

祖母や伯母は「母は昔からこういう性格で褒められたのは芸能人並みの容姿だけ、だから結婚してないと駄目なのに逃げられた」と口癖のように言っていた。(ちなみに私は父親似のブス)

母はその言葉に誇りを持っていたらしい。歳は40超えていたけどいつでも芸能人になる気満々だった。頼むからそうしてくれ、家にいないでくれと思って40超えてても応募できるオーディションを色々調べて教えたけど、行動に移されることは無かった。

近所からは、毎晩発狂してる事で心配言葉を掛けられた事がある。その時母は「うちの子癇癪持ちで、すみません」と言った。

母は、一度言葉したことはその場を取り繕うための嘘でも本気で本当だと思い込める。その晩、私が癇癪持ちなせいで近所から恥をかいたと朝まで怒鳴られた。

その晩だけでなく、機嫌が悪いと必ずその話を持ち出した。

繰り返していく内に私は自分記憶も信じられなくなっていった。

しかし、とある近所の人は私に「あなた普通だよ、お母さんがおかしいだけだから」と何度も言ってくれた。その一言けが支えになった。

母はその人の事をことさらに嫌っていた。こんな酷い事を言われた、という話は主にその人からだった。

最初に出した記事から思い出したのはここです。笑 マジで関係ないです。作者さんすみません


母には愛人がいた。

私が生まれてすぐの同窓会で会った既婚者。ダブル不倫。結果として父より長く付き合っていた。

私が成人後家出した後、「〇〇が家出した原因は愛人がいたせいなんでしょ?それがショックで家出したんでしょ?別れるから帰っておいで」とメールが来た。死ねと思った。

父は愛人存在最近まで知らなかった(さすがに知ってると思って私が言ってしまった)。

父とまだ離婚してない時もその愛人とは家で会ってて、私が3~5歳の時(覚えてないけど離婚前)「今、家に借金取りのヤクザが来るから猫のフリしてて」と母に言われ倉庫代わりだった部屋の扉にガムテープを貼って閉じ込められた。

私は言われた通り、にゃーにゃー鳴いて扉を引っ掻いたりしていた。

ヤクザが何かもわからない私はガムテープが張られてない隙間から覗いてみた。見えたのは知らない男の人。しかしそれはその後小学生になって初めて顔を合わす母の愛人の姿だった。


母は生活保護を受けていた。

まり私も受けていたことになるんだけど、暫くして不正があるってなって、全額返金を求められた。と、母は話していた。

私はここの詳細はわからないけど、心当たりあるとしたら祖母父親から充分な生活費を貰っていたことかなぁ……。生活保護費は母の夜遊び代だったので。

その時高校生だったので、アルバイトをしていた私のお金、それまでのお年玉貯金そもそもお年玉は母に取られてたので、内密に受け取っていた僅かな分しかない)や奨学金含めて、全て生活保護の返済に充てるという事で母に没収されました。

高校生の時のアルバイト代はその後も全て没収生活ものすごく困窮した。お昼ご飯はお弁当だったけど、時間的にも金銭的にも作れなくなって、何もない日があって友達から少しおかずを分けて貰っていた。

しかし母は相変わらず夜遊びしていた。私は夜遊びに行ってもらう方が都合が良いのでその事を問い詰めるような事はしなかった。どこに行ってたのかも知らない。

しかしたら、嘘をつかれて、私から取ったお金も遊びに充てていたかもしれない。


高校卒業する時、私は県外の専門学校に行かせてもらえるはずだった。

小学生の時から良いなと思っていて身内全員に勧められ、漠然とそこに行くんだって思っていて、大学勉強はしてなかった。

中学で1年半不登校して(この時は、完全に部屋に閉じこもって母とも誰とも顔を合わせない引きこもりをした)基礎が何も分からなくなってしまったのでその時点で勉強はだめだと思っていた。

けど、丁度進学を決めるタイミング祖父が亡くなり、遺産で揉めて学費が払えませんとなった。

私も貯金ゼロ、なら就職しかない、と思ったら担任に「もうさすがに遅くて無理です」と言われた。そして勧められたのが、高校系列専門学校だった。推薦できるし安く出来るからって。母は最初から最後まで可能不可能の話はせず「あんたの進路はあんたが決めなさい」とだけ言った。

私は"家から出られれば"どこでも良かった。その話を担任にこっそりとしたら、寮があるから大丈夫と言われて、じゃあそうしようと決めた。

しかし、実際は寮には入れなかった。

推薦入学の為面接があって、面接の部屋に学生は5人いたのだけど私にされた質問は一つ。

「寮に入りたいって希望してるけど何で?きみ、家近いよね?」

そんな事聞かれると全く思っていなかった(担任とのシミュレーションにも無かった)ので、とにかく本当の事は言えないから「自立する為です!」と答えた。

それに対して「親孝行した方が良いよ?」と鼻で笑われた。それで私のターンは終わった。最悪だった。

その後3年は、放課後から朝までアルバイト漬け、家には風呂に入る為だけに帰り学校で寝る、というような生活を繰り返した。帰る度に母が何か喚いていたけど黙らせた。

話していなかったけど、私は小学校高学年くらいから母の暴力暴力で返していた。私の方が力が強いので捻じ伏せることが可能だった。生きる為とはいえ今でも罪悪感しかない。それに暴力癖は今でも抜けない。普段生活していて手が出る事は無いが、彼氏喧嘩して手が出てしまった事がある。別れた。子供は勿論結婚なんかも無理だろう。

それで、もう卒業式さえ出れば良いって時に東京のクソボロネズミまくりシェアハウスを借りて、必要最低限の荷物を送って、何も言わず家出した。

あんなに働いたのに引っ越し後の残金(卒業式の為に一度故郷と往復する飛行機代を除いて)は2万円とちょっとだった。

慌てて就活を始めたが、最初に当たった企業が「きみ田舎から出てきたの?東京は甘くないよwでも仕方ないからうちが拾ってあげるよwうちの寮に住むならね。給料は14万もあげるよ、田舎だとこんなに貰えないでしょ?寮の家賃は6万。これは東京では物凄く安い方だからね。ほら、ここにサインして」逃げました。チェーンだから名前晒してやりたいくらいだ。

心折れてシェアハウスの近くでアルバイトする事にしました。給料の支払い日の都合が良くてラッキーだった。ギリ初回の家賃が払えた。







このかん、何度も自殺未遂した。物心ついた時から死にたかった。

幼稚園児の時も友達喧嘩ばかりして友達が悪いのにその子の顔が可愛いから擁護されて、私が悪いんだって周りに指さされて、でも幼稚園の近くに住んでいた大人変人)が「あんたは悪くないよ!この子が悪いんだ!」と急に怒鳴ってきて、ビックリしたし周りもあいつヤベーぞ不審者だ注意しろ!みたいな感じになったけど私はその言葉で救われた。その変人がいなかったら幼稚園屋上から飛び降りていた。

小学生の時担任に親の事相談したら「そんなわけないでしょ、いいお母さんじゃない、ちゃんと育ててくれた人に感謝しなきゃだめよ」と言われた。児相存在も知らないか最後の頼みの綱のつもりで相談したのに最悪だった。でも、私も当時は自分の状況をうまく説明できなかった。虐待されているとは思っていなかったし。でも、なんか説明できないけど不当な扱いを受けている、そしてそのせいで自分はとても苦しいという認識だった。だからその日死ぬつもりだった。放課後、当時好きな人と少し進展があった。嬉しかったけど私は今日死ぬんだぞ、今のが最後の会話だからな覚えておけよと思った。遺書にも書いた。その晩家のベランダの柵の上に身を乗り出して後は手を離すだけのタイミング好きな人の事思い出してしまった。泣きながらベランダをよじ登った。

中学に上がり私は引きこもりになった。理由はなんかもう狂ったから。友達が私の事褒めると、嘘だと思ってしまう。私の脳内勝手に誉め言葉に変換してるだけで本当はずっと貶されているんだ、私はキチガイなんだ、こうなったのは親のせいだ、そんな事を思いながら母が毎日扉前で「いい加減出て来い!」と怒鳴っているのを聞いていた。

ちなみに飲食は母が夜遊びに行ってる間にした。そういえば夜遊びも近所の人に色々言われてたけどそればかりは余計なお世話、私にとっては唯一の安息時間から正そうとするな。食料はちゃんと買っててくれた。と言っても、ほとんどツナ缶だった。育ちざかりにほぼツナ缶マヨネーズしか食べなかったせいか身体が成長しなかった。友達チビを弄られる。最悪。

引きこもってる間は元気にしてた。何故ならパソコンがあったから。2chに「死にたい人が書き込むスレ」みたいなのがあって、年齢など書きこむテンプレがあってその通り書き込んだら「まだ若いから大丈夫イキロ」みたいなレスをたくさん貰った。そうなのかあ、と他の書き込み見てみたら確かに50代とかが多くて、私若っ全然余裕じゃんと思った。

それでも一度だけ「そろそろ死なないとなあ~」と思ってまたベランダの柵の上に登ったけど、やる気になれずやめた。

引きこもることに飽き、死ねないし今のままじゃマジでやべえと思って2年の2学期からいきなり登校したらマジで誰?みたいな感じだったけど誰も何も聞いてこなかった。暫く過ごして、「転校生だと思ってた。自己紹介しないから変だなって」と言われた。物珍しさで人が集まり友達に恵まれた。小学生の時好きだった人はクソヤリチンになってて冷めたけどめちゃめちゃ楽しい中学時代を過ごせた。全国の引きこもりデビュー、意外といけるぞ!もし失敗しても気にすんな!

高校専門学校家出の為に働くことに必死自殺未遂はしなかった。何度も死のうとは思ったけど世間体も気になりだして、とりあえず、家を出てから考えようって思ってた。

家出後。家出直後は紆余曲折あったが、安定してきたのは3年後頃。それまでに2回転職した。1つ目、2つ目のアルバイトははっちゃめちゃのどったばったの学生の延長みたいなノリの職場だったので死にたくなってもすぐウェーーーーイwwみたいになれたのに、3つ目は無。職場環境も人間関係金銭面も何も不満が無かったのに、何をしても楽しくなくて、ご飯食べてるだけで悲しくなって死にたい……死にたい……とずっと唱えていた。ある日職場の先輩が死んだ顔をしていたので「死んでますね」って言ったら「うん、何もないのにね、死にたい」って突然言われた。わかる~!って返してそこから「何でかよくわかんないけど死にたいあるある」を言い合った。ちなみにその先輩は私みたいな人生は送ってない。自分で「人生順風満帆家族大好きだし最近大好きな彼と結婚したし最高に幸せ♡」と言っていた。最高に幸せ♡なのに何でかマジで死にたくなって死にたくなる意味が分からなくて解決法も無いから本当に死のうかな?でも死んだら旦那悲しむし……と思っていたそうだ。今思えばあの職場が何か呪われてたかもしれないが、私はそれを聞いて、あっ毒親育ちじゃなくても死にたくなるんだ~!って安心した。安心したらその意味不明の死にたいもどうでもよくなっていった。

でもその職場で、ある日上司が変わった。すると職場環境が一気に最悪になった。クレーマーが激増して日々殺意しかなかった。てかマジでここにいる人間全員殺して私も死ぬ!って所謂無敵の人思考になっていた。電車ホーム飛び降りようともしたけど、それよりもなによりも殺したくて仕方なかった。殺さないと死ねないと思った。でも殺しちゃいけない事は分かってるし犯罪したこといからやり方わからなくて、とりあえずその時から信号無視する車とかを避けることをやめた。あわや死ぬところだったみたいなタイミングちゃん死ねば悔いなく死ねる、失敗しても保険金貰えるだろと思って死を避ける反応をしないようにした。けど、運がいいのか悪いのか全部あわやで済んでしまった。

そうこうしてる内に仕事をなんとか辞められて、今。在宅ワークをしている。

リアルで誰とも触れ合わずにいるとぜーんぜん死のうとは思わない。けど、死ななきゃなあ……と思って過ごしている。あーいつになったら死ねるんだ。




嘘と思う人もいると思うけど、全部本当の話です。フェイクも無いから知ってる人が見たら私だって分かるかもしれない。

でも母、自殺したらしいし。私だとバレた所で恐れるものは何もないからヨシ!

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