はてなキーワード: 存在意義とは
スタンスとしてはもう1つあるよ。
5.そもそも二次元創作に対する「性的搾取」理論なるもの自体が無用の長物であり恣意的攻撃の手段でしかないので語るに値しない
仮に性的搾取論とやらに意義があってこの意識を広めよう、高めようと宣伝しているのであれば、
性的搾取論の意識を高めた人たちがその人たちの定義によるところの性的加害を行わなくなる、という程度のプラスの効果が最低限あるはずである。
けれども実際には性的消費論者さんたちは、男オタクの美少女ものを叩くばかりでその人たちはBLやイケメン動物園を消費しまくっている。
そしてBLは性的搾取には該当しないのではないかという我田引水的なスタンスを取り続けているようで、「性的搾取」の定義すらガタガタな姿が散見される。
そうだとすると、結局(少なくとも二次元対象の)性的搾取論なるものには性的搾取なる害悪を止める能力はなく、また理論として傾聴する価値もなく、
単に自分らだけ甘い汁を吸いながら他人の趣味を叩いて気持ちよくなるための唾棄すべき詭弁であることが明らかになる。
その中で、気になりながらもうまく進められず止まっていた案件があった。
先輩(管理職ではないが、実質的に当部署の支配者)がそのことに気づいてくれて、「明日からやろう」と言ってくれたから、やり方を教えてくれるものだとばかり思っていた。
しかし、翌朝に出勤した途端、目の前に突き出されたのは「成果品」だった。
前日の夜にやったらしい。定時後、他部署から応援(横のつながりで個人的に頼んだらしい)まで呼んで仕上げたと。
私がやっていた業務のすべては、誰かの片手間で短時間のうちに片づけられることが実証された瞬間だった。
私は存在意義を失った。
その後も、先輩は私の途中経過に誤りがあったことを静かに責め立て、仕上がりが遅いことを遠回しに批判し、それは組織全体や大勢の客の迷惑になると延々なじり続けた。
甘かったんだよな、何もかもが。よく考えてみれば、先輩が簡単に教えてくれるわけがない。
今まで散々いざこざがあって、部署内の関係性は非常に険悪だった。そこに優しい言葉が降り注ぎ、安心してしまったのが悪かった。安心できる状況ではないはずなのに。
私にはできそうにない。
100点なところと0点なところがあって平均30点ぐらい。ハードルを高くしすぎたかもしれない。
私はまず前提として旧劇大好きマンだから新劇は結構にわか。最近やっと考察とか見てほーーんなるほどねってなったレベル。だけどシンエヴァめちゃ楽しみだったからこそ辛口評価になるけどほんとクソだと思う。
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最初にケンスケの声した時はうぉぉ!?ってなったしトウジ出てきた時も生きてたんかワレェ!なった。トウジ結婚した聞いて絶対委員長だろうな!って思ったらまさにで笑った。
赤ちゃんもいて最初は気にならなかったけど、これが一つ目の0点ポイント。ニアサー、サードを経験してる上に、現状コア化で地獄みたいな世の中に新たな生命生み出すなボケ。
黒波がいろんなことを知って街に馴染んでいく様子は日常シーンを沸騰とさせて語彙力ないけどいいっ!ってなった。そこで赤ちゃんとの絡みが必要だったんだろうけど、やっぱりナタ要素無理……。
アスカが激おこでシンジに飯食わせるシーンは印象的だった。シンジの気持ちもアスカの気持ちもわからんでもないからあのシーンは心にきた。アスカが使徒化してて飯がいらないから、ご飯を食べれるだけ幸せに思え!みたいなこと言ってて、おう…ってなった。
黒波がLCLになったのは衝撃だった。あれがシンジが覚悟を決めるのに必要なんだろうけど、これまで人間味を持ち始めてた黒波を簡単にパシャらせるの酷いなってなった。
シンジが立ち直ったあと色々なことをしていく上ででR.KAJI出てきて、は?何コナン的な?若返り??って思ったら息子でびっくりした。ミサトとリョウジの子供て。ここまた、は?ポイント。
ヴンダー合流してからはいつものエヴァって感じだった。あまり覚えてないけど。
ここでリョウジが死んだのが分かったのかな?その時すでに身籠ってたのほんと気持ち悪い。14の子供が使徒と死に物狂いで戦ってる時子作りしてたってことやろ?気持ち悪すぎる。
でも破の最後の「行きなさいシンジくんry」を後悔してたっていうのはわかってよかった。
戦い始まってからはもうロボットアニメよね。よくわからんけどなんか壮大なことが起こってた。冬月先生強いなってくらい。
マリがアスカのことを姫って呼んでるのにアスカがガチのピンチになると、アスカ!って呼んでるのはいい演出だなって思った。
アスカが眼帯外して目の中から呪詛柱出した時はびっくりして口あんぐりした。アスカが使徒化してまで止めようとしてたのに呆気なく負けてたのほんとアスカいじめるの好きだな監督ムカつく!ってなりましたね。このシーンは何度も見たい。
そのあとなんか色々あったけどもう覚えてない
後半旧作オマージュあったのは良いなって思った。
あとゲンドウの過去語り、何言ってるかよくわからなかった。とりあえずユイちゅきちゅきユイしか勝たん!って感じかなぁ。ゲンドウはずっと未熟なのにユイと子作りしてるのがまたキモいよね。
アスカが実は綾波と一緒で式波シリーズだったのはよくわからん。名前からしてそういう系かなって思ってたけど、そうである必要性がわからなかった。オリジナルが誰なのかもわからないし。アスカが親を欲してる中でケンスケに父という役割を担わせつついい関係になってるの気持ち悪すぎ。1人で生きていけるアスカが好きだった。
マリがゲンドウやユイと同じゼミってのは予想通り。冬月先生がLCL化したのは驚いた…。
マリがなんか無双してたけど何してたか全くわからない。マリがシンジを必ず迎えに行くってあんなに執着する意味がわからない。マリの存在意義となぜあんなに人気なのかがわからない。マリは庵野の配偶者を意味してるって考えを見て存在意義についてはああ察しって感じ。
結局1人で拗らせてた庵野に、家族ができて、自分を理解してくれる人がいるからもういいや、配偶者、子供、家族愛はいいぞぉ!みたいな押し付けを感じた。
フィクションとしてのエヴァが好きなのに、それは虚構だよって作る側が提示してたのが意味がわからない。虚構ってわかってエヴァが好きだったんだが。
マリアス、カヲシンをあんなに押しといて最終的にシンマリって…ケンアスって…何でもかんでもヘテロにするな。
旧劇の方がいいなって思う私はまだ厨二病なのかもしれない。けどおっさんたちがこれで感動してるのは意味がわからない。
俺は厨二病卒業して家族をもって愛を知ったぞ。お前らも卒業しろって突き放されて、エヴァは全部虚構だよって言われて納得するか?俺たちの25年なんだったんだよ‥ってなるでしょ。
個人的なよかった点と悪かった点
良かった点
・宇多田ヒカルさんの歌。最高。
悪かった点
・渚司令などまだまだ謎なことが多い
・結局空白の14年間が謎のまま
まあ端的にいうと、ナタ要素きもい!です。
100点なところと0点なところがあって平均30点ぐらい。ハードルを高くしすぎたかもしれない。
私はまず前提として旧劇大好きマンだから新劇は結構にわか。最近やっと考察とか見てほーーんなるほどねってなったレベル。だけどシンエヴァめちゃ楽しみだったからこそ辛口評価になるけどほんとクソだと思う。
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最初にケンスケの声した時はうぉぉ!?ってなったしトウジ出てきた時も生きてたんかワレェ!なった。トウジ結婚した聞いて絶対委員長だろうな!って思ったらまさにで笑った。
赤ちゃんもいて最初は気にならなかったけど、これが一つ目の0点ポイント。ニアサー、サードを経験してる上に、現状コア化で地獄みたいな世の中に新たな生命生み出すなボケ。
黒波がいろんなことを知って街に馴染んでいく様子は日常シーンを沸騰とさせて語彙力ないけどいいっ!ってなった。そこで赤ちゃんとの絡みが必要だったんだろうけど、やっぱりナタ要素無理……。
アスカが激おこでシンジに飯食わせるシーンは印象的だった。シンジの気持ちもアスカの気持ちもわからんでもないからあのシーンは心にきた。アスカが使徒化してて飯がいらないから、ご飯を食べれるだけ幸せに思え!みたいなこと言ってて、おう…ってなった。
黒波がLCLになったのは衝撃だった。あれがシンジが覚悟を決めるのに必要なんだろうけど、これまで人間味を持ち始めてた黒波を簡単にパシャらせるの酷いなってなった。
シンジが立ち直ったあと色々なことをしていく上ででR.KAJI出てきて、は?何コナン的な?若返り??って思ったら息子でびっくりした。ミサトとリョウジの子供て。ここまた、は?ポイント。
ヴンダー合流してからはいつものエヴァって感じだった。あまり覚えてないけど。
ここでリョウジが死んだのが分かったのかな?その時すでに身籠ってたのほんと気持ち悪い。14の子供が使徒と死に物狂いで戦ってる時子作りしてたってことやろ?気持ち悪すぎる。
でも破の最後の「行きなさいシンジくんry」を後悔してたっていうのはわかってよかった。
戦い始まってからはもうロボットアニメよね。よくわからんけどなんか壮大なことが起こってた。冬月先生強いなってくらい。
マリがアスカのことを姫って呼んでるのにアスカがガチのピンチになると、アスカ!って呼んでるのはいい演出だなって思った。
アスカが眼帯外して目の中から呪詛柱出した時はびっくりして口あんぐりした。アスカが使徒化してまで止めようとしてたのに呆気なく負けてたのほんとアスカいじめるの好きだな監督ムカつく!ってなりましたね。このシーンは何度も見たい。
そのあとなんか色々あったけどもう覚えてない
後半旧作オマージュあったのは良いなって思った。
あとゲンドウの過去語り、何言ってるかよくわからなかった。とりあえずユイちゅきちゅきユイしか勝たん!って感じかなぁ。ゲンドウはずっと未熟なのにユイと子作りしてるのがまたキモいよね。
アスカが実は綾波と一緒で式波シリーズだったのはよくわからん。名前からしてそういう系かなって思ってたけど、そうである必要性がわからなかった。オリジナルが誰なのかもわからないし。アスカが親を欲してる中でケンスケに父という役割を担わせつついい関係になってるの気持ち悪すぎ。1人で生きていけるアスカが好きだった。
マリがゲンドウやユイと同じゼミってのは予想通り。冬月先生がLCL化したのは驚いた…。
マリがなんか無双してたけど何してたか全くわからない。マリがシンジを必ず迎えに行くってあんなに執着する意味がわからない。マリの存在意義となぜあんなに人気なのかがわからない。マリは庵野の配偶者を意味してるって考えを見て存在意義についてはああ察しって感じ。
結局1人で拗らせてた庵野に、家族ができて、自分を理解してくれる人がいるからもういいや、配偶者、子供、家族愛はいいぞぉ!みたいな押し付けを感じた。
フィクションとしてのエヴァが好きなのに、それは虚構だよって作る側が提示してたのが意味がわからない。虚構ってわかってエヴァが好きだったんだが。
マリアス、カヲシンをあんなに押しといて最終的にシンマリって…ケンアスって…何でもかんでもヘテロにするな。
旧劇の方がいいなって思う私はまだ厨二病なのかもしれない。けどおっさんたちがこれで感動してるのは意味がわからない。
俺は厨二病卒業して家族をもって愛を知ったぞ。お前らも卒業しろって突き放されて、エヴァは全部虚構だよって言われて納得するか?俺たちの25年なんだったんだよ‥ってなるでしょ。
個人的なよかった点と悪かった点
良かった点
・宇多田ヒカルさんの歌。最高。
悪かった点
・渚司令などまだまだ謎なことが多い
・結局空白の14年間が謎のまま
まあ端的にいうと、ナタ要素きもい!です。
そりゃスマホに夢中になりっ放しで育児や子供と遊ぶのを放棄してたら勿論問題だろうし、またスマホ弄りながらベビーカー押すのはそもそもネグレクトとか言う以前に歩きスマホと同じで安全上の問題もあるだろうけど、ぶっちゃけ授乳中に片手でスマホ観るとかぐらいだったら別に良くねーか?何も授乳そのものを怠ってるわけじゃないんだし、まあいつもスマホの方ばかり見てるってのならともかく、親だって時には授乳中にスマホ使いたくなることだってあるだろうよ。
子守りに育児アプリを使うのは子供の成長を歪ませるみたいな声もさぁ…そりゃアプリに頼りっ放しなのは宜しくないってのはまだわかるけど何で頼ること自体が悪いみたいな物言いなの?それじゃあ育児アプリは一体何の意味があるんだよ。そういうこと言ったらそもそもそういうアプリの存在意義自体無くなるじゃん。作る意味ないじゃん。
↓これらの記事の様に育児にスマホを使う事、若しくは親が育児中にスマホを使うこと自体が必ずしも悪いわけでは無いと言っている声だってあるし。
https://toyokeizai.net/articles/-/272170
https://news.yahoo.co.jp/feature/515
まあ正確に言えば潰れるというより凹むんだが。中央付近は薄いから横置き縦積みだと凹んでくる
所謂抜きゲーに分類されるのはサクッと終わらせることもできるが
ストーリーが評価されてるADVタイプなんかはのんびり遊ぶから時間かかるな。俺はエロゲ以外にCS、PCゲームに手を出してるから余計に積みゲーが増える
あと、そんなに抱えてどうすんの?と聞かれても、遊ぶために買ってるとしか言えない
俺は去年、6年前の発売日に買ったゲーム(サントラも発売日買いした)を開封して100時間遊んだ。普通に楽しかったよ
積みゲーの存在意義を聞かれてもプラモデル好きなやつに「プラモデルって何に使うの?金の無駄じゃね?」って聞いてるようなものなので、理解できない人間には理解できない
Vtuber系で度々問題が起きるのは、金儲けしか考えていない運営と注目を浴びて調子に乗りすぎたアホチューバーのせいだと感じる。
まずクソ運営は、自分らの儲けを減らしたくがないためにとにかく経費を減らそうとする。例えばイメージイラストみたいな感じの作品を絵師や漫画家に依頼するが、最初に提示した依頼料ではなく、あれこれ理由をつけて依頼料を減らしてくる。
散々描かせたあとにだ。
依頼の時はニコニコヘコヘコと頼み込んでおいて、出来上がった途端にいちゃもんをつけ始める。だからトラブルが尽きない。
描く前ならまだしも、描いた後にやるから論外。
描いたものを渡さなければ良いと考える人もいるだろうが、すでにデータを渡してしまっているので遅い。
いくら依頼のやりとりを記録していても、クソ運営は頭がとてつもなく悪いので、訴えられても負ける気がしないと思い込んでいるせいか強気な姿勢を崩さない。
運営自体の精神年齢が極端に低いので、悪い事をしているという認識がない。人として終わっている。
次にVtuber。
もともと子供のまま図体だけ無駄に成長している中のバカはモラルもマナーも何一つ学んでないために小学生だってわかるような事すら理解できないまま注目を浴びる喜びを知ってしまい、クソな事を当たり前のように配信で喋ってしまう。
ろくすっぽ常識を学んでないのにネット環境を与えると問題にしかならないという典型的な例である。
この問題で何が一番いかんかというと、その辺の姿をさらけ出している迷惑YouTuberと違って、3次元キャラの皮を被っているので素顔を見せずにやらかすという事。
バカに半匿名の場を与えるのは本当に愚かな行為で、そのバカのやる事を楽しんだりスパチャで貢ぐ阿呆は死んでも治らないだろうのは間違いないだろう。
これらが揃っているから、起こさないで良い炎上が起こる。そしてあいつらはバカなので何故炎上したかも理解できていないし、自分が悪い事に気づかない。
何か炎上でもしようものならば、適当にVtuberの契約を切れば良いし、Vtuber自身も適当に精神的問題がどうのこうのと理由をつけて、一時雲隠れするだけで反省なんぞ、どこにもしていないで厚顔無恥で戻ってくる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/blog.tatsuru.com/2010/11/22_1626.html
まあはてなー概ね絶賛って感じだけど、この800オーバーのidの誰も指摘していない疑問がひとつ
これで言ったらさ、「大学もあえてアホを入れて、みんなでそいつの面倒見ましょう。そんなアホにも存在意義があります」ってことになるはずじゃん?
……あり得ないよね?
ジャニーズJr.とか、AKBとかハロプロの小中学生とかローカルアイドルとか。イメビに使われるジュニアアイドルも。
「大人が未成年のアイドルを推す」という文化はなんの公益性もない。むしろ、子供の人生の決定権を破壊し、搾取する害悪ビジネスだ。
アイドルなんか18歳になって、成人してから始めればいい。18歳以下のアイドルが居なきゃならない理由は一つもない。
未成年アイドルなんてのは、未成年を使って稼ぎたい大人のために存在しているに過ぎない。それと、未成年の性を消費したい消費者のため。どちらにせよ大人の都合で子供を働かせる行為である。
アイドルになりたい子もいる!というが、人前で歌って踊りたい子供がいるなら歌って踊る場を作ってやりゃいい。公民館で発表会でも開かせてやりゃいい。歌って踊りたい子供がそんなに沢山いるのなら、全国大会だって開けるだろう。
サッカー選手になりたい子どもは、金をもらって選手になったりしない。サッカークラブに入ってサッカーをして、ときどき大会にでる。将来的にはプロになるにしても、それは高校を卒業してからのことだ。アイドルになりたい子どもそうすればいい。
プログラマーになりたい子どももいる!夢を叶えてあげたい!と言って子どもを大人社会で働かせたらなんかしないだろう。別にアイドルになりたい子どもの夢を叶えてやる必要もない。子どもは守られるべき存在で、そのためには多少の制限が付き纏うのだ。それは仕方のないことで、大人はその理不尽の必要性を子どもに説明してやらなくてはならない。理不尽を解消するのは大人の役目ではない。理不尽の存在意義を説明するのが大人の役目だ。
アイドル志望の子どももいるなどという輩は「子どもの夢」を口実に自分が得しようとしているだけだ。
「アイドルは夢を与える」などと未成年の労働を援護する輩もいるが、このような抽象的な物言いで誤魔化すことを軽蔑せずにはいられない。「夢を与える」などと綺麗な言葉で飾っても、所詮それは自己の利益(夢を与えられる)のために利用しているだけだ。「未成年アイドルはヌける」というのと何が違うのかという話でもあるし、そもそも夢を与えるものならなんでも肯定されるのかという話でもある。
ここまで搾取という単語を使わずに進めてきたが、やはり未成年アイドルは大人の子どもへの搾取行為だと思う。子供の頃のアイドル活動の全てが全て悪い影響を与える訳ではないだろうが、それでも学習や心身の健康への悪影響を与えた例が多すぎる。
「有名グループのセンターという重圧と多忙さで心身に不調をきたし、ステージ上で倒れるアイドル」「ストレスから過呼吸発作を起こすようになったアイドル」ようなストーリーを「真剣に取り組んできた証」などと美化する姿勢は、あまりにも醜悪である。ブラック企業のそれと何が違うのかわからない。特に公共放送であるNHKが紅白というNHKにとっても顔である番組内で『雇用した未成年を倒れるまで追い込んだ』AKSを批判しないのが信じ難い。
書きたくもないが、ジャニーの少年への性暴力やジュニアアイドルと呼ばれる子どもたちなんかは紛うことなき搾取だろう。
ヘビーローテーションの下着MVなど、10年前当時未成年の自分は昼のニュースで知って正気を疑ったものだったが
柏木はMV撮影当時について「知らなかったんで…下着で撮影って」とまさかの回答。撮影場所に行って初めて内容を聞かされ、「え、下着?」と戸惑いを隠せなかったという。状況は他のメンバーも同じで、「(全員忙しかったので、何も知らないまま)ギリギリで(撮影場所に)行って(対応した)」そうだ。
だそうだ。柏木由紀は当時19歳もしくは18歳だったろうが、もちろんもっと年下のメンバーもいた。未成年に事前説明もなしに下着で撮影など異常ではないか。撮影の準備を済ませて、拒否すれば大勢に迷惑がかかると脅すような手口、近年問題視されるAV撮影のそれである。下着を撮影することがあることがあると契約時に説明があったとしても、相手は未成年、断る権利を与えるべきであるし、考える時間を与えるべきである。それぐらい事前に通告すべきことではないのか。
そこら辺の人たちって
『人が国に合わせろ』みたいなこと真面目な顔で言うのな。ビビったわ。
国ってのは法とか制度とかそういうのね。でも、普通?っていうか民主主義的にはさ『法律や制度が人に合わせる』のが当たり前じゃないの?
法学を勉強した人とかに、聞きたいんだけど、法律って人々の考え方の変化や時代に合わせて変えるべきものなんじゃないの?
それとも法律が変えられるのは、”間違い”を見つけた時に正すためだけであってーーつまりは、「絶対的に正しい法律」みたいなのが概念的にあって、それに近づけていくために法律は変えられるってことなの?
自民党の四コマでさ、もやウィンが「進化論でいわれている通り、変化し続けるものが生き残れる」みたいな間違った進化論の解釈して炎上してたけどさ
自民党的にも、「時代に合わせてときに変化が必要」ってのはコンセンサスとれてるってことじゃん。
旧態依然の制度や法律を維持するために人間側が合わせ続けるってアホじゃない?単純にクソコストがかかるだけじゃん。
まだ「少数派は多数派にあわせろ」とかは意見としてわかるんだよ。最大多数の最大幸福を目指す功利主義でしょ。
「制度に人間が合わせろ」っていうのがもうわかんないんだよ。人間のための制度じゃないの?って。国民のための国じゃないの?って。
こんなの深読みしすぎかもしれないけど、亀田静香は「みんな天皇の子」って言ったけどあれってさ、「国民じゃなくて臣民」って言う意味で言ったんじゃないか。だとしたら意味が通るよね。国家は国民のためにあるけどさ、臣民は日本のためにあるわけじゃん。日本文化・日本の伝統・大和民族・天皇とかの総体としての、『日本🇯🇵』があってそれを守るために臣民が生きてる?みたいな世界観なんでしょ。
そりゃあ「制度に人が合わせろ」ってなるよね。強制夫婦同性の制度自体が『日本🇯🇵』なんだから、変えるなんて許せないよね。まあその不可侵の日本🇯🇵が大して古くもないのがお笑い種なんだけどさ。
これはまあ願望だけど、宮内庁には亀井静香の例の発言は否定して欲しいわ。天皇なんかただの象徴だろ。理念じゃねえだろ。俺たち国民を象徴するのが天皇であって、天皇🇯🇵を象徴するために国民が生きてる訳じゃねえもん。天皇って概念は取り扱い注意だと思うのよ。だから、そこは民主主義国家としてはっきりさせて欲しいよ。
で、まあ子供の頃からずっと疑問だったけど、あの制度を不可侵なものとして崇め奉る人たちはなんなんだろね。存在意義が不明の校則とかその手の人のせいでずっとあるよね。変わらないことがアイデンティティみたいなさ。信仰なのかね。無宗教と見せかけて案外信心深いね。
昔からこうやってたから、って古いやり方に固執し続ける老人が実権握ってたら国際競争にはついていけないよね。激動の時代だもん。運良く時代が合わせてくれたらいいけどさ(まさに神風だな)。そんなことしてたら負けるーーとか思ったけどすでに負けてんのか。あー考えるのもアホらしい。
もしも総選挙が一人一票という決まりだったなら、三年ぐらいで企画が終了していたのではないかと思わせる出来事がごく最近二つあった。
まずはアイマス15周年企画の一環として行われた、ポップカルチャー/ライフスタイル情報誌「BRUTUS」とのコラボである「アンバサダーアイドル推薦企画」だ。
https://asobistore.jp/content/title/Idolmaster/Idolmaster_ambassador/
すでに結果は出ているのでこちらを見てもらったほうが早い。
https://twitter.com/BRUTUS_mag/status/1360529192132235266
一位・高垣楓。雑誌では二位と三位も公表されていて、今後の話のために必要なので書くが、二位・北条加蓮、三位・一ノ瀬志希となっている。
つまらない。つまらなすぎる。シンデレラガール総選挙の上位常連と一切代わり映えのしない面子だ。
自分から日記タイトルに異を唱えることになってしまうが、これは企画自体が悪いせいもある。
「推薦文」を要求しておきながら、内実は一人一票の定例外総選挙であり、そうなると自身の担当を推薦したくなるのが人情というものであろう。
それは仕方のないことなのかもしれない。だがここで、先述したBRUTUSのツイートに掲載されている高垣楓のトップにある推薦文を見てみよう。
また、6代目シンデレラガール(年に1度の「シンデレラガールズ」内総選挙1位)であり、過去の総選挙の平均順位も1位と、知名度もアイドルマスターの中で上位です。
そうじゃない。そうじゃないだろう。
自担を推すことについてはもう何も言わないが、「どうしてそのアイドルがポップカルチャー/ライフスタイル誌のアンバサダーに相応しいと思うのか」が推薦理由であるべきではないのか。
多少ごり押しであっても、担当のために悩み抜いてどうにか関連性を引き出して理屈をつけ推薦するのがプロデューサーの姿ではないのか。
こんな推薦文が掲載される時点で彼女に寄せられた(公開されていない)他の推薦文も同レベルだったのだろうと想像できてしまうし、これを選ぶ羽目になったBRUTUSの編集者もかわいそうである。
二位と三位に関しては、担当Pには悪いがBRUTUSへ送り出すアンバサダーとしてそこまで相応しいとも思えない。
つまるところだたの人気投票に堕してしまっているのは他のアイマス四ブランドでも傾向として見られるが、シンデレラガールズはとりわけ酷い。
自分はあまり詳しくないため恐縮だが、その次に酷いのはSideMだという声をちらほら聞いたし、なるほどと思わされた。ミリオンライブ!でロコが一位になったことは誇っていい。
シンデレラガールズが持つ他のブランドにはない強みは、百九十人もの個性豊かなアイドルたちによる多様性であり、幅広いニーズに応えられるという層の厚さである。
そして相手は「食・カルチャー・旅・ファッション・アート等を扱う、男のポップカルチャー誌」である。わざわざ名前を出さずとも、シンデレラガールズのPなら、
「特定の食べ物にこだわっている」「特定の文化に造詣が深い」「旅が好き」「アートに全力」で思い浮かぶアイドルが必ずいるはずである。
ブランドから適任者を送り出すのではなく、ただ自分の担当が目立てばそれでいいのだ、という考えは、自身の担当アイドルも、それ以外のシンデレラガールズのアイドルも馬鹿にしている。
(そういった流れを防止するために、得票数でなく推薦文を吟味してBRUTUSの編集者が独断と偏見でもって決定すべきだったのだが。一体推薦文の存在意義とは何だったのだろう)
次に、YouTubeのアイマスチャンネルで行われた「みんなで選んだ、もう一度見たい!TVアニメ『アイドルマスター シンデレラガールズ』セレクション」である。
https://twitter.com/imas_ch/status/1354763025224355841
シンデレラガールズのアニメから好きな話を三つ選んで投票し、その上位三話を配信するというものである。結果は以下の動画で発表された。
https://www.youtube.com/watch?v=f-Y6w_Hz5hE (アニメ本編が配信されているため、今後非公開になる可能性もある)
結果は二十三話・二十四話・二十五話。最終話とその手前の二話が選ばれただけである。
つまらない。つまらなすぎる。どうすればここまでつまらなくできるのかというぐらいの現代アート的つまらなさである。
「話数順に流します」と言われて最初に二十三話が流れた時の「え、もしかして23,24,25か?」というコメントが忘れられない。
あの唖然とした空気。白けた薄ら笑い。大学入試で九九が出題されたかのような間抜けさだ。
企画したAPも「まあまあまあそういうことなのかな、とはね、なるんですけど」と取り繕わざるを得ない状態。
最終話とその手前に投票して一体どうしようというのか。最終話が一番盛り上がるのは古今東西どのアニメでも同じである。
とは言え、二十三話に関しては投票するPの気持ちも分かる。主人公である島村卯月のクライマックスとも言えるシーンだからだ。泣かされたPも多いだろう。
だから問題は、二十四話と二十五話に投票したプロデューサーのセンスの無さに集約される。
人の感動にセンスの良し悪しでケチをつけるなという意見もあるだろうが、少しは企画内容を斟酌してやってはどうかと反論せずにはいられない。
アイマス五ブランドの中で唯一、毎年恒例で人気投票をやっているシンデレラガールズのPが、最も投票が下手で盛り下げ役にしかなれないというのは皮肉な話である。
あるいは、総選挙の存在が「何をおいても自担に投票しなければならない」という一種の強迫観念を植え付けてしまったのかもしれない。
総選挙もそうだが、シンデレラガールズのP(特に、上位常連や既にシンデレラガールに輝いた経歴のあるアイドルを担当しているP)はもっと余裕を持って、お祭りだと思って楽しむ気持ちが重要なのではないか。
特定の属性を褒めそやすと荒れる元になるのであまり言うべきでないのかも知れないが、パッションは比較的上位常連の固定がゆるく、
なるべく多くのアイドルにボイスをつけよう、出番を与えようという気持ちでやっているように見受けられる。
シンデレラガールズは担当のアイドルだけがすべてではない。百九十人全員でシンデレラガールズである。そのことをどうか忘れないで欲しい。
そのためにはひたすらキャッチーかひたすら精緻か。あとおもしろ半生記か。
増田の利点は匿名であることで、右翼の書き込みに左翼で反論を書いて煽ったりもできる。
これを楽しむかどうかだよな。
◯◯くらいやれよって言うやつは自分ができないわけでもなくそのタスク自体がすごく苦手とかでもない
ただ、部下とか自分が目下だと思ってる女とかに「やらせることができる」自分の権力を確認したくて、支配の確認というか試し行動みたいにやらせるんだよね あと周りへの示威行為ね、俺には権力があり女に言うとこを聞かせているという。
あと女に言うことを聞かせられない自分が受け入れられなくて自分の存在意義が揺らぐみたいにパニックを起こす。
男女逆だとよくあるのがたとえば男に高価なプレゼントをたかる鈴木紗里みたいな女も似たようなメンタリティで、男がこれだけ自分に金をかけるから自分には価値があるみたいな確認行動として金を払わせる。多分あの女も金自体は自分で好きなだけ使えるくらいあるんだろう、知らんけど。
『文學界』2021年3月号の新人小説月評に関して、評者の荒木優太氏が「末尾が勝手に削除された」とTwitterに訂正願いを投稿、ほどなくして『文學界』公式アカウントも反論のツイートをした。
【訂正のお願い】今日発売の『文學界』3月号に寄稿した新人小説月評の末尾が編集部によって勝手に削除されました(左:本誌、右:最終ゲラ)。消された「岸政彦『大阪の西は全部海』(新潮)に関しては、そういうのは川上未映子に任せておけばいいでしょ、と思った。」の一文を追記してください。 pic.twitter.com/EeFtgele6Z— 荒木優太 (@arishima_takeo) February 5, 2021
文學界3月号「新人小説月評」の筆者・荒木優太氏が、編集部に月評の内容を編集段階で勝手に削除されたとしてTwitterで抗議していますが、編集部の認識はまったく異なります。ここに経緯を記し、荒木氏の投稿に反論します。— 文學界 (@Bungakukai) February 5, 2021
のちに荒木氏は『マガジン航』で「削除から考える文芸時評の倫理」と題する文章を発表し、背景を説明した。
https://magazine-k.jp/2021/02/06/ethics-in-literary-criticism/
最初に荒木氏の①【訂正のお願い】ツイートは2月5日19時半前、②『文學界』の反論ツイートは同日9時過ぎ、その後30分と間をおかず、荒木氏は「とりあえず」との留保付きで③追加説明のツイートを行なっている。
言及ありがとうございます。詳しくは長文にて説明しますが、とりあえず、①「批評の言葉」かどうかを編集部が判断するのがお門違いであり、私はメールにて「岸さんの箇所は現状ママでよろしくお願いします」という指示をちゃんと提出しています。— 荒木優太 (@arishima_takeo) February 5, 2021
では「削除」に至った経緯について、両者の主張を見てみよう。と言っても、経緯の主張については対立するところはない。
2. 『文學界』が「批評としてあまりに乱暴すぎるのでもう少し丁寧に書くか、それでなければ削除してほしい旨申し入れ」る。
3. 荒木氏が「では、末尾に『全体的におもしろくなかったです。』と付け加えてください」と伝える。
4. 『文學界』が「改稿していただけないのであればその3行は削除します」と申し入れる。
5. 荒木氏が「『お好きになさるとよいでしょう』、ただし『その事実をSNS等で吹聴する』」と返答する。
7. 「勝手に削除された」と荒木氏がTwitterで吹聴する。
以上である。
さて、ここからが本題である。『文學界』のツイートは一貫して、「勝手に削除された」という「認識」をめぐるものである。
先ほどの経緯を「削除」の一点に絞って書き直してみよう。
1. (略)
2. 『文學界』が「削除してほしい」旨申し入れる。
3. (略)
5. 荒木氏が「お好きになさるとよいでしょう」と返答する。
7. (略)
『文學界』の立場としては、まず削除してほしいと提案し、聞き入れられない(どころか批評たりえない(と彼らが判断する)改稿を提示された)ので削除を宣言し、荒木氏が認めたので実際に削除した=「勝手に削除したわけではない」、ということになる。すなわちここでの「勝手に削除する」は、A「著者に一切の了解を得ることなく不掲載とする」ことを指す。
荒木氏の立場としては、編集部の意向で、B「最終的な確認なく削除された」=「勝手に削除された」ということになる。
「勝手に削除してもよいという合意」の上で削除が行われた場合、それは「勝手に削除された」と表現できるのか?
一見して難問だが、前件と後件の「勝手に削除」は、指しうる範囲が異なる。Aの意味は「合意」とそもそも相容れないため、前件ではBのみを指しうる。一方で後件は問いの形式なのでAとB両方指しうる。しかし命題「〜場合、それは『勝手に削除された』」が真となるのは両件ともBを指す場合のみである。
では荒木氏のツイートと時系列に話を戻すと、最初の「勝手に削除された」という荒木氏の言葉は、ここでは後件に相当する。しかし前件はそもそも提示されていないために、AとB、どちらを意味するとも解釈できる状態である。それに対して『文學界』の経緯説明は前件を説明するものであり、ここでようやくBの意味での解釈のみが妥当であることがわかるようになる。
言い直すと、A「著者に一切の了解を得ることなく不掲載とされた」と荒木氏が主張しているように読めるため、そこに出てくる表現「勝手に削除された」は、B「最終的な確認なく削除された」のみを指しうるのだと、『文學界』は反論したのである。
これを踏まえると、「Bでしか解釈できないはずの表現を、Aとも解釈できる状態で公にした」荒木氏側には、『文學界』から反論されるだけの落ち度があると言えるだろう。
私には物理的に手出しできないのだから「お好きになさるとよいでしょう」と言うほかないではないですか。私の意志をちゃんと理解した上で、削除を強行するのは編集権の濫用だと思います。— 荒木優太 (@arishima_takeo) February 5, 2021
「物理的に手出しできない」という不均衡な関係ゆえに形式上同意せざるを得なかっただけで、本来的には一切了解していない、すなわち前件自体が間違っているのだから、Aと解釈すべきである、という主張である。なるほど、物理的に手を出せないのは明らかに真である。だが、「ならば同意せざるを得ない」と即座に結論づけられるのか。これは言わば「抗拒不能」を争うもので、論理から法の領域に踏み込んでしまうだろう。
ここで可能性として生まれるのは、「6. 『削除されなかった』状態で刊行された」パターンである。ではなぜそうならなかったのか。『文學界』側が「論理的に適当でないのだから削除するほかないではないですか」という論理的な抗拒不能に陥っていた場合である。
本論では『文學界』側にこの主張が成り立つかを『マガジン航』に掲載された「削除から考える文芸時評の倫理」から考えてみよう。
荒木氏は「削除されなかった」場合に作家が反応を示した場合を想定して、こう書いている。
そもそも、作家から「反応」があったからといって、なんだというのか。怒りたければ怒ればいいし、月評に不満なSF作家・樋口恭介がしたとおりウェブに反論文を書いてもいい。場合によっては私はそれで反省するだろうし、或いはやはり自分の正しさを確認するだけに終わるかもしれないが、その過程のなかで新たに発見できるものもあるだろう。
ちょうど1年前の『文學界』新人小説月評に対し、作家の樋口恭介氏が反論した例(https://note.com/kyosukehiguchi/n/n54a493f4d4f4)を挙げ、自身の評言に対しても同様に振る舞えばよいではないかと述べている。
樋口氏の件では反論に遭った両評者とも、作品内容にある程度触れ、自らの解釈をある程度開陳した上で否定的な評価を下している。よって樋口氏は両者の解釈がそもそも成り立たないことを説得的に示し、古谷氏から不適切であったと謝罪・撤回を得ることに成功している。非常に健全な批評的やりとりだった。
ところが荒木氏の問題の3行には解釈がない。解釈が提示されていないのであれば、樋口氏のように「それは誤読だ」と反論することもできないだろう。荒木氏自らが提示したこの事例との比較から、「反論の余地を与えない表現は批評たりえない、単なる悪口である」という論理が――「論理的に適当でないのだから削除するほかないではないですか」――容易に導かれる。
荒木氏は「文学作品は作者による産物であると同時に、読者がもつ解釈格子次第でいかようにも姿を変えるものだ」とも述べている。なるほど、その解釈格子を通して得られた感動は「読者が固有の仕方で編み出した創造物」であるという論も含めて同意する。ところが荒木氏は続けて、「読者に伝えたいのは、私のもっているつまらなさや無感動も、いくぶんか自己に責任をもつところの私自身にとっての大切な創造物であるということだ」と述べる。結論はこうだ。
私の最大の、というより唯一の武器は、面白いものには面白いといい、つまらないものにはつまらない、という、正直であることのほかない。
荒木氏の論理では創造物なのは「(無)感動」である。解釈そのものはそれを生み出すためのフィルターである。そして荒木氏が月評に書こうとしたのは「全体的におもしろくなかったです。」の一言、すなわち「感動」である。
だが、樋口氏の事例との比較で明らかなように、批評文に求められるのは、評者の感動=感想などではなく、それを生み出すにいたったフィルターであるところの解釈である。解釈には確かに属人的な部分もあるが、ある程度規範的な部分もあり、さもなくば書き手自身からの反論も成り立たず、「過剰解釈」が氾濫する。なるべくその規範的な解釈をもって評価を下すのが評者の使命であろう。評者個人の正直な感想など、正直言って全く興味がない。文芸誌を買ってまで読書感想文を読みたくなどない。
月評の制限字数がわずかであるため十分に論が展開できないというのならば理解できる。ところが『マガジン航』には多少なり岸作の解釈が載るのかと思えば、ここでもやはり「簡単な紹介と個人的所感」にとどまる。「個人的所感」などどうでもよい。
解釈ができないのであれば、あるいはするまでもないと思ったのであれば、端的に書かなければよいだけの話であり、結果として「勝手に削除された」のは理の当然であろう。
ある意味で当事者となった川上未映子氏はこうツイートしている。
これは余談。批評の主体は愛や敬意、と言う人がいるが、必ずしもそうではない。それを必須条件にしたものは読み物としては心地よいが批評ではない。批評の主体は、テキストと論理と緊張感。対象作品の書き手の思いや反応や背景など気にする必要は一切ない。ちなみに小林秀雄は批評家ではなく評論家— 川上未映子 Mieko Kawakami (@mieko_kawakami) February 6, 2021
テキストも論理もなく書かれた感想に怒りで反応する皮相な「緊張感」だけが漂う場を、批評とは呼ぶまい。
まず公平性を期すためあえて本論執筆者自身の考えを明確にすれば、「『文學界』編集部の削除対応は、抗議ツイートまで含めて手続き上問題はないが、合理的ではなかった」というものです。
仮に削除せずに全文ママで掲載し、岸・川上両氏から編集部に対して抗議が来た場合、やりとりの履歴はあるのですから「改稿あるいは削除を提案したが聞き入れられなかった」と説明すればよいでしょう。改稿・削除を要求した理由が両氏への忖度だけなのであれば――「裏工作して保身に走る編集者」なのであれば、交渉をした時点ですでに保身は成立すると言えます。
あるいはもし仮に改稿・削除提案が荒木氏自身の体面を守るためというお節介だったとしても、誌面から削除したところで荒木氏自身がSNSで当該の評言を公開することは避けられないわけです。
それでもなお最終的に削除の決断をした。非合理的でしょう。「批評を載せるのだ」という編集部としての決意表明のようなものを感じます(これは解釈を経て創造した感想です)。
無論、コメントでいただいたように、「そもそも読者は批評を求めていない(批評を求めていない読者もいる)」可能性はあります。誌面にどのようなものを載せるか決めるのはまさしく編集の作業なので、この場合問題は「作者が作りたいものと受容者が求めているものが違う」ことです。
ただし荒木氏自身も批評を書こうとしているので(「「批評の言葉」かどうかを編集部が判断するのがお門違いであり」と主張している以上)、問題の3行を読んで「読者は批評を求めていないのだから問題ない」として荒木氏を擁護しようとすると、逆に氏を裏切ることになります。
よって、時評の存在意義や読者の需要はコメントでいただいたように「別の話」なわけですが、それはそれで議論されるべき問題なので取り上げました。
最後に、本論文末の「緊張感」は、わざと誤読のように用いています。コメントでおっしゃる通り、「テキストへの真摯さ」が本来の緊張感ですが、テキスト・論理がないので当然この本来の緊張感も不在です。それとは別の、感情的な応酬という緊張感しかないのだ、と表現するために括弧付きで「緊張感」としました。最後までお読みくださりありがとうございます。
コロナだけのせいではないと思うが、地震でもめっちゃびびるような母なので、毎日じんわり継続的に続くストレスが要因の一つだと思う。
あと、認知症で寝たきりになった祖母(101)が胃ろうを断った後も点滴だけで2年目の延命に突入したというのも関係があると思う。(担当医師の経験上、点滴での生存は平均1年と言っていた)
見舞いに行けない、もう会えないまま一人で亡くなるだろうという精神的苦痛のせいもあるだろうが、この件に関してはそれだけではない。
祖母のボケて行った過程と、母のそれが似ている事に私は気付いていた。
母は今年68になる。
その発端を詳しくは覚えていないが、あれは私が退職して夜中起きている事が多くなった頃の事だったと思うので、3~4年前の事だと思う。寝言が半端じゃなくなった。
スマホで録音して聞かせ笑い話にしていたが、多分原因は子供が無職で家にいるストレスだとよく言っていたので、その通りだなとも思っていた。
祖母の場合は同居している従姉妹がお金を盗んだと言い始め、夜間譫妄が酷くなって毎晩階下から大声で呼びつけられ寝ていられなくなった伯父夫婦が施設入居を手配した。
母もいつかそうなるだろうと私は予感していた。65になったくらいから耳が遠くなってきた事もあり、若干話が噛み合わない事も増えた。
鼻が利かなくなってきていて(本人曰く鼻炎のせい)料理の味付けもやや安定しない事もあり、寝言が酷い点とも一致するので、もしかするとレビー小体型認知症の初期では?と自覚を促し認知症に詳しそうな病院も調べたが、老体に鞭打ちながらも家事を問題なくこなし、現役パートで働いている自負もありまだ通院する気にはなれないらしい。
なのでいつの日にか、どんな風に決定的に認知症の症状が現れるのか、私はよく身構えて想像していた。
家に帰る道が分からなくなるのか
財布を失くしまくるのか等々
しかしまさかこんなに時代に即したボケ方をかましてくるとは想像できなかった。
結論から言うと高知東生さんが嵌まりかけたやつにどっぷり嵌まっている。
母がスマホに変えたのは3年前くらいだと思う。ユーチューブとかSNSの何が面白いのかさっぱり分からんと言い、2年と半年の間は換気扇の下でメビウスをふかしながらのナンプレ専用機と化していたのだが、このコロナで暇&テレビ番組クソ化からの愛の不時着からのヒョンビンをYouTubeで検索からの嫌韓動画おすすめ表示からの米大統領選陰謀論フィーバーというコンボが華麗に決まってしまった。
最近また最高に面白いユーチューバーをリコメンド動画から見つけたらしく、その教えに従って近い将来中国から物が入って来なくなるのに備え、この週末は食糧備蓄のための買い出しに行くそうだ。
私や父などはまだ覚醒(まま)していないので、何を言っても信じられないだろうが、バイデン大統領はフェイスマスクを被った偽物。就任演説はイタリアで1日早く放送されていたので録画映像。ファッキンヒラリーの身長が昔と全然違うぜフーアーユー?
なんとか法というのを作って税金改革をしようとしたためケネディ大統領は消された。しかし暗殺されたはずの息子?が実は◯×州で保護され生きており、不正選挙に立ち向かうトランプ大統領を影で応援していた。
などなど。
大紀元エポック社?とか百田尚樹さん界隈のユーチューバーを毎日最高にエキサイティングだと言って聞いている。スマホの画面は小さいのでほぼ見てはいない。コメントにいいねの数が3桁ついた事があるらしい。
こんなにすごい事が起きてるのに日本のマスゴミは一切放送しない。麻耶ちゃんもバイデンをディスる様な事を言っただけですぐ下ろされた。テレビ局も新聞社も中国人が牛耳っているので嘘ばかり流している。CIAもFBIもくそオブくそ。ダークステイトに買収されている奴らは共産主義が嫌ではないのか。中国が佐渡島に学校を作ったらしい。◯◯大学もいつの間にか中国資本が入っていてやばい。中国人に北海道の土地が買い漁られている。
真実を知らない人達は可哀想。この大統領選挙は歴史的大事件であり絶対に映画化すると思う。小さな事からコツコツと!トラさんがんばれ!(まま)
つらい。
起き抜けにNHKしか見てないから不正選挙の事を何も知らないと笑われた父はぶちギレて1ヶ月くらい口を聞かなかった。
母は家族も信じてくれなくて辛い。的な事も言っていたが、陰謀論者が信じてもらえない理由の一つに。周りを無知だと見下している精神性があると思う。
他者より一歩も二歩も先見の明がある自分像というものが無料の動画で永久に提供され続けている。
今思うと母は自分の『人をみる目』という第六感にかなりの自信を持っていた。
多目的事件の数年前から某グルメ王の目の奥が嘘臭くて嫌いと言い続けていた。
特殊詐欺被害者でいう『自分は絶対に騙されないと思っている一番騙しやすいタイプ』の傾向があった。
それに小出恵介は好きだと言っていた。
私はターミネーター2のジョンコナーになった様な気分の日々を過ごしている。
母はテレビをほぼ見なくなったので、話題が大統領もしくは中共(界隈で言う中国共産党のことらしい)しかない。夕飯の献立の話を話していても、そういえば……で、絶対に大統領の話になった。
例え数年後日本が共産化している未来を知っているとしても、家庭でその悲惨な未来の話ばかり繰り返し聞かされる家族はたまったものではない。未成年だったら確実にグレている。
そういえば私が高校生の時、家のポストにイカした宗教画のぶっ飛んだ教えの冊子がポスティングされていたので、そういうの(ムーとか)が好きな友達に見せようと思って学校に持っていったら大変喜ばれたが、その場に居た一人が不自然に席を立った。別の友達の目配せで察したが、どうやら両親がその宗教の信者だった様だ。
その友人は当時から成績優秀で今では先生と呼ばれ、wikipediaで近況を確認できるまでになっている。
私も一時同じ様な人生を望んだが、手に入らなかった。スタート地点は同じだった気もするが、なにせ家で集中して取り組む時間が少なすぎた……と、突然回想するに至ったのは、母がこうなってから、まあ家での学習が捗る。驚くほど集中できるのだ。何か、怒りとか悲しみみたいなものが私を没頭させてくれる。
思えば私は不思議なことに、十年以上かかるにしろ望んだものは運よくその切れ端くらいはなんとか手に入れてきたのだった。
『その友人の様な人生』は手に入らなかったが、もしかするとこれからそうなるのかも知れない。母のこの認知症もある意味想像し、望んだものだったのだろうか。
だとしたら引き寄せの法則という本がおすすめなのでぜひ読んでみて欲しい。
望んで手に入らないものはないのだ。
私がハイヤーセルフから得た知識を公開してるライフミッションについてのYouTube動画のリンクも張りたいが、そういう場所ではないので割愛する。