はてなキーワード: 土地とは
現状でもすでに都心に土地持ちの中間層は相続税が払えきれないから祖先から受け継いだ土地を売ってそれで相続税はらってるの。
んでそういった土地を不動産デベロッパーとかが買い占めてマンションとか商業施設つくってるの。
これで仮に相続税100%とかになったら、職につけなかったけどなんとか祖全からの土地で住居だけはあるって貧困層も親が死んだら一気にホームレスになるのよ。。。
誘導員は基本的に、勤務前日に会社からもらう勤務指示に従って現場に派遣されて来ている土地勘も何もない人なので、工事の迂回路以外の道を聞かれても基本的に分からない(そもそもイベントの警備でも限り道案内は業務に入ってないので道聞かれて素直に答えるのは給料関係ないただの善意)
意識の高い誘導員は事前に現場周辺の地図をグーグルマップ等で調べて道を聞かれたときに備えているらしいが、正直サービス過剰だと思うしそれが基準になったら嫌なので止めて欲しい
工事の影響で狭くなったり視界が悪くなったりしてしまった歩道に立ち、自転車が歩行者や対向車とごっつんこしそうになる前に誘導する現場がいくつかあるが、そういう現場でよく見るのが、歩行者の背後に無音でぴったりついた自転車だ。たぶん眼前の歩行者を轢き殺したくて仕方がないが誘導員の目があるのでぎりぎりで抑えているのであろう。もしくは死ぬ程シャイか。
いや誘導員が「後ろから自転車来てますよ」と声をかければいいのだけれども、運転しているのはお前なのだから、もし轢く気がないなら自分が後ろにいることを前の人間に知らせてくれ。轢くなら俺の仕事とは関係のない場所で轢いてくれ
キッズでも偉そうな中年男性でもジジババでもなく若い女性が運転する自転車が大型の工事車両より遥かに怖いのこのバイトで初めて知ったのだけど、マジで何で?
総じて、世の中にイノセントなタイプのバカがこれほど多いと知らずにイノセントを相手にするバイトを始めた自分が悪いのだが、それにしたって誘導棒振れば素直に止まってくれるDQNカーより自転車の方が危ないなんて普通に生活してたら気付かないだろ…
要は当人にとってコンプレックスになってたり、無駄に追い打ちかけて笑ってるやつ。
当たり前のように存在してて、今も多少トーンは抑え気味だったりTPOをわきまえる風潮出てきたけど存在してる。
あれって、結局、優位に立つ、下には下が居るというのを共有するって感じで自尊心保つのとか、ストレス発散するのに最適なツールで笑いと繋がったのが最悪だったと思ってる。
他人に向けるか自分に向けるかで自虐ネタも似たようなジャンルだと思う。
小学校時代過ごした街は、元々畑だったのが駅が出来て、先祖代々住んでる土地持ちと、公営の団地の家族と、結構高いマンションやら畑つぶして立てた分譲住宅に移り住んできた家族とでごちゃ混ぜになってた。
当然のようにいじめもあったし、いじめとは違って、無視したりいじめ続けたりするほどではないけど、最底辺の友達としていじられたおしてるキャラも居た。
ヤンキーの元みたいな暴力的な奴もいたし、20人の男子が、上位集団(ポジティブでハイスペックなやつか明るい暴力的なやつ)、中位集団(人付き合いの上手いお坊ちゃまやスペックそこそこの中流家庭の子)、下位集団(それ以外の中でも友達付き合いが可能なレベルの人間、顔が不細工だったり、頭悪かったり、家が貧乏だったり、運動できなかったり色々問題は抱えてる)、ほとんど誰とも絡まないやつ数人、いじめられっこ、みたいに分かれてた。
上位中位はそれなりに仲良く、中位と下位も時には一緒に遊んだりするんだが、上位と下位となると明らかに接し方が変わってくる、お前らよりも上だってのを隠すつもりもない。
もちろん中位は下位をある程度は見下してるんだけど、まだ距離が近い分上位に対する時ほど卑屈にならずに済む。そう、小生は下位グループに属していた。
下位グループは今でいう陰キャっぽいやつらが、でも俺たちそれなりに楽しんでるんだぜって仲間内だけで支え合ってるツイッター民みたいなもんだから、そんで関西人だったから自然と、面白さが評価基準になっていく。下位の中でも上位をキープするために、上位や中位とうまく付き合うために。その他諸々の理由で。
そんときに、もっとも容易に笑いっぽいなにかを得られるのは、いじり、不謹慎ネタだった。不謹慎に関しては中学ぐらいから流行りだしたか。
さて、そもそもはいじりや不謹慎のお手本としてテレビでそういうお笑いをやってるのが悪く、どんどん排除されてってるが、じゃあその穴は誰が埋めてくれるんだろう。
今の小学生もお笑い好きだったりコロコロ読んだりはしてるだろうけど、小学生にとってオリジナルネタを開発するのはハードルが高い。
テレビのモノマネになってしまう。いじりや不謹慎の便利なところは学校の先生モノマネと一緒で、洗練されたフォーマットを身内で置き換えることでさも自分が作り出したネタとして披露できるところにある。
当時はそういう目の付け所、いじり要素を発見したり(モノマネでいう先生の口癖とか特徴的な動きとかか)、新たに街で発見したおかしなおじさん、地元にはまだまだ沢山出没しているが、そういう明らかに地域の大人たちからもはみ出している存在にあだ名をつけたりする能力を磨き合っていた。
いじりもはじめは容姿や能力から親の仕事とか家のにおいとか、まあ陰湿だし、なにも褒められたことではないのだけれども、新たな要素を発見しては飽きるまでいじるという行為。
完全無欠によろしくないことなんだけれど、そういった行為を通して、空気を読んだり、人との距離を測ったりという経験値も明らかに積まれてただろう。
そして、ネタが受け入れられたことや他者より優位に立ってるという思い込みを通じて、精神的な平穏を保っていられた。
勉強も運動もできず、家が裕福でなく、ルックスにも恵まれていない、でもクラスの一員としてはみ出さずに居場所を作るにはそういう能力が必須だった。
そしてそういう子供が成長した今、場末の飲み屋ではいまだにいじって笑いを取るおっさん、不謹慎ネタをぶっこむおっさんが多数生息している。
もちろん、社会に出て、限度をわきまえたり、相手を選んだり、笑いに変える(付き合いでのお愛想も含め)能力は多少成長している。
が、そもそもオリジナリティなど皆無で、他人のフォーマットをアレンジする以上の能力がないので、それ以外のネタとしてはせいぜい漫画のセリフを引用ぐらいしか引き出しは増えていない。
現時点でのおっさんは、それ以外の武器を持ち合わせていないのだ。
そして、それ以外のコミュニケーションで己の居場所を作ることができなくなっているのだ。
なんとか己の自尊心を見たそうと軽はずみな発言などしようものならマウンティングおじさんと呼ばれてしまう。
そして人をいじることしかできないおっさんや、不謹慎なネタを平気で口にするおっさんは若者から煙たがられるようになってしまった。
狭い範囲の観測で恐縮だが、50代以上は過度ないじり世代、それ以下は不謹慎ネタの比率が高いと思う。
年配にいじりが多いのは、年上なのをいいことに十数年、あるいはそれ以上の期間、いじりネタ一本で生きてきてしまった上の弊害でもあろう。
そして、今の40代はひょっとすると年下が増えて、いじりのダークサイドに堕ちてしまうのかもしれない。
あと30代は自虐が多い。
20代は引用ネタが多いような気がするし、そこそこ自虐も使う。もちろんそういう傾向が見えることもあるってだけで、きっぱり割り切れるものでもない。
とにかく、40代の小生からしても50代のいじりは見てて辛いものがあるし、なんなら年下から我々も同じように思われているのだろう。
時代が変わってしまったんだから、新しい能力を手に入れて適応すべきだが、今更困難だ。
それでも、いじりと不謹慎は排除すべきだとも思う。人を貶めることで結局自分に跳ね返ってくるからとか綺麗ごとを言いたいわけではない。
単に、それが時代に合わなくなり、取り残されたおっさんが集う呑み屋以外に居場所がなくなってしまうからだ。
もちろんこのまま同様の人種だけが集まってなれ合って終わりを迎えることも簡単だ。
急に気になったので戯言シリーズを10年振りくらいに本棚から引っ張り出してきた。
近年の関連作は全然追えてないし、うろ覚えで本名当てに関連ありそうな部分を拾い読みしただけだから、半可通の与太話だとは先に明言しておくよ。
それでも構わない人だけ付き合ってくれ。
結論から言うと、戯言遣いこといーちゃんの本名はこんな名前じゃないかと思ってる。
「一青」
ローマ字表記にすると「Yi Qing」、カタカナ読みで「イー・チャン」。
ネットで調べたプロフィールによるといーちゃんは神戸出身とのこと。
神戸には中華街があるから、在日中国人もたくさん住んでいるんじゃないかな。
国籍について触れた情報はざっと探した限りでは見当たらなかった。
つまりいーちゃんが中国人だという証拠も、ましてや日本人だという証拠もぼくの目では見つけられなかったということになるけど、ぼく自身はこの名前を推したいので少々強引ではあるものの字面のイメージ通りに中国人だと仮定して進めさせてもらおう。
(一応言っておくとぼくの手元にあるのは講談社ノベルス版なので、頁数もその前提で受け取ってほしい)
「プログラム課程は十年で構成されている。ぼくはその六年目、今年の一月に中退した。
それで日本に戻ってきて玖渚と再会し、」
打つの面倒になったので以下省略。
「日本に戻ってきた」ということは「日本で暮らしていたが外国(この場合はERプログラムで留学したアメリカ)に渡り、辞めた後で日本に戻ってきた」ということになる。
だからぼくもいーちゃんは当然日本人だとばかり思っていたんだけど、日本生まれ日本育ちの在日中国人もこういう表現をする可能性はあるよね。物心ついた時からずっと暮らしている土地は、国籍の有無に関わらず心の母国といって差し支えないだろう。
しかし14歳にしてアメリカ留学なんてできちゃう行動力のある少年だから中国に一度も足を踏み入れたことがない、縁もゆかりもないっていうのも少し考えにくいことではある。
でも彼曰くERプログラムで挫折して日本に戻ってきたってことなんだろう?
旅行程度にしか行ったことのない母国と国籍はなくとも住み慣れた心の故郷。
傷心の状態で「戻る」先に後者の日本を選ぶというのは、そこまで不自然な選択でも表現でもないんじゃないかな?
というわけでまたもや強引だけれど「いーちゃんは日本生まれ日本育ちの在日中国人」という前提で話を進めることにする。
いーちゃんの本名考察といったら外せない最重要事項、クビツリハイスクールにおける萩原子荻ちゃんとの「名前当てクイズ」だ。
情報の整理がてら、改めて子荻ちゃんがいーちゃんから情報を引き出した三つの質問を書き出してみよう。
「名前をローマ字で表記した場合の、母音の数と子音の数を教えてください」
「《あ》を《1》、《い》を《2》、《う》を《3》……そして《ん》を《46》として、あなたの名前を数字に置き換えます。その総和は?」
それに対する回答についても順番に整理していこう。いちいち引用するのもいいかげん面倒なので、可能な人は原作の該当シーンを参照しながら読んでもらえると話が早いと思う。
まず一つ目。
いーちゃんが挙げる「現在誰かに呼ばれることがある呼称」の中に肝心の《いーちゃん》が入ってない。
《いーちゃん》って呼ぶのはこの時点では玖渚一人だから(井伊遥奈と想影真心はいーちゃん視点では死んだことになってる)、「玖渚友の情報を漏らさない」っていう玖渚直の言いつけを頑なに守ってるのかと思ってた。
……と思ってたんだけどこの情報ソースどこだっけ……見つからないぞ……どっかの考察サイトでも見かけた気がするし、ぼくより熱心なファンが言ってるならたぶん原作でもちゃんと明言されてることだと思うんだけど……とはいえ間違っていた時に責任転嫁するのもカッコ悪いし、あとでゆっくり確認することにするか。
ともかく《いーちゃん》があだ名として挙げられなかった理由はもうひとつ考えられる。
それがあだ名でなく本名だから。答えを途中で言ってしまってはクイズにならない。
二つ目のローマ字は一旦後回しにして、先に三つ目、数字の置き換え総和についての話から切り込んでいきたい。
「イー・チャン」の名を《あ》を《1》、《い》を《2》……の法則で置き換えると「2+2or0+17+36+46」ということになる。
「2or0」ってのは伸ばし棒がどういう扱いになるか不明だからそうしておいた。
「イイ」として「2+2」になるかもしれないし「イー」として「2+0」になるかもしれない。
クイズとしては最初に厳密にルールを定めておくのが望ましいんだろうけど、何せ即興・口頭で行われたものだし。
それにこの問いはいーちゃんから情報を引き出すために子荻ちゃんが仕掛けたもの。
「伸ばし棒の扱いはどうするの?」なんていーちゃんから確認したら「答えには伸ばし棒が含まれています」って自白するようなものだよね。
もしかしたら稀代の策師・子荻ちゃんは伸ばし棒や濁音半濁音といったイレギュラーに対する反応を見るためにあえて曖昧な問いにしたのかもしれないんだし。
さておまちかね、「2+2or0+17+36+46」の総和はというと……
……にはまだちょっと早い。
ぼくはどうしても「イー・チャン」の名をゴリ押ししたくてたまらないので、もうちょっと悪足掻きしてみることにする。
作中世界には二つ名とか偽名とか色々あるけど名前を複数持ってる人物も珍しくないので、いーちゃんにも本名以外の名前がある可能性を考えてみよう。
19歳まで自分の本名を一度しか他人に教えたことのない人生なんて、本名を偽っているか誰も知りたがらないぼっちかくらいしか考えられないもんな。
とはいえいーちゃんの出自は不明。どんな理由でどんな名前の使い分け方をするかなんて全く見当がつかない。
きみはジャッキー・チェンとかブルース・リーとか「中国人なのになんでそんな名前なの?ジャッキーやブルースって漢字でどう書くの?」って思ったことない?
ウィキペディアによるとジャッキー・チェンの本名は成龍と書いてセイ・ロン。
「ジャッキーもブルースもどこから来たんだよ!西洋かぶれしてねーで自国の文化に誇りを持てよ!」って思うだろ?ところが意外や意外、これには実用的な理由があるそうだ。
聞いた話によると中国人の名前は欧米人には発音しづらいんだと。
名前っていうのは個人識別における最重要記号。だから欧米で生活する中国人は現地住民が発音しやすい響きの英名ニックネームを付けるんだって。お互いに円滑なコミュニケーションができるように、郷に入っては郷に合わせてるというわけらしい。
となると、「イー・チャン」……どこからどう見てもバリバリに中国人の響きの名を持つ少年も、アメリカ留学に際して英名ニックネームを付ける可能性はあるだろう。
ブルース・リーに習うと「ほにゃらら・イー」って風になるかな。
ちなみに英名の名付けには特に決まりとかあるわけじゃなくて、各々好きなニックネームを自称してるみたい。
当時14歳の少年、自分の名前を好きに決めていいとしたら、どんな名前にするだろうか。
どんなことを考えて名前を決めるだろうか。いーちゃんのつもりになって考えてみよう。
(とはいえぼくはいーちゃんではないので、あくまで自分目線での想像しかできないわけだが)
親の仕事の都合とかでなく14歳の若さで留学目的で渡米するなんて、きっと才気溢れる少年だったんだろうね。6年後に道半ばで挫折するなんて知るよしもない彼は、これから始まる新生活に胸を膨らませてワクワクしていたに違いない。
新しい学校はどんなところかな。向こうでは友達たくさんできるかな。
アメリカの女の子は積極的だっていうから、彼女だってできちゃうかも!?
恥ずかしい話ではあるが、この文章を書いているぼく自身は中学時代「モテたい」が一番強いモチベーションだった。
もちろん口に出したりはしないよ。でも何をするにも常に女子の目を意識していた。
「これができるようになったらモテるかもしれない」「意中のあの子も振り向くかもしれない」なんて浅はかな動機でなんにだって挑戦できた。実際はそんなこと全然ないんだけど。
いーちゃんとは違って留学のチャンスにこそ恵まれはしなかったけど、声がかかることがあれば絶対行ってた。
だって日本の女子は内気だから彼女作りたいならぼくから声かけなきゃいけないけど、アメリカの女子は積極的だから向こうから来てくれるかもしれないじゃん。
愛されるより愛したい、なんてクサい台詞を言えるのは愛されたことがある奴だけだ。
なんでもいいから彼女が欲しい。贅沢を言っていいならできれば向こうから言い寄られたい。
ぼくは何もしてないのに好かれて困っちゃうなーって気分を一度でいいから味わいたい!!
多分に私情が入っているのは承知の上だが、いーちゃんも同じように考えていたと仮定して話を進めよう。
だってこんなこと考えてたのが自分ひとりだけだったなんて、与太話にしても悲しすぎるじゃん。
というわけで「ほにゃらら・イー」のほにゃらら部分は女子受けを狙って考えることになりました。イエー。
初対面の印象は大事だ。自己紹介の時点から話が弾む相手とはその後も良い関係を築ける可能性が高い。
となるとこんな会話を狙っていくのがいいかもしれない。
「あなたの名前、聞いたことのない響きだけど、どんな意味なの?」
となるとジャッキーとかブルースみたいな、石を投げれば当たるようなアメリカにありふれた名前では駄目だ。確実にその会話に持ち込むためには、いっそ通常は人名に使われない単語も視野に入れていくべきかもしれない。
考え方が中二病めいてきたけど仕方ないよね。本当に14歳なんだもん。
というわけで電卓を叩き続けて編み出した条件に合致するそれっぽい名前、ぼくの考えた最強の女子受けネーミングを発表します。
「イチズ・イー・チャン」です!イチズは一途の意です!
モテ求めて名前考えるような奴がどのツラ下げて一途なんて名乗ってんだ、どんだけ恥知らずなんだ、と思わないこともないけど異国の人はいーちゃんのそれまでの人生なんて知らないわけだから。生まれつき一途です、名前の通りの人間ですって顔してれば嘘もバレないわけ。
「イチズ・イーです」「変わった名前ね、どんな意味なの?」「ぼくの故郷の言葉で、一度夢中になったら脇目も振らずそれしか見ないっていう意味です」……いい会話じゃない?一途な男子、女子はみんな大好きでしょ。
異国の特殊教育機関への参加が認められるくらい実績と才能のある、見た目も悪くない少年(これはぼくじゃなくていーちゃんの話ね。念のため)がじっと自分の目を見てそんなこと言うわけ。どんな女子もイチコロでしょ。
そんで特にいい感じになった女の子にだけ「ぼくの本当の名前はイー・チャンっていうんだ。君にだけ教えてあげる」っていくとすると、内気で一途なキャラの演出としては悪くないと思わない?
だから「他人に本名を教えたことが一度しかない」んじゃないかな。
それまでの少年時代は本当に誰も名前を聞いてくれないぼっちだったのかもしれないけど過去の話はどうでもいい。未来を見よう。
ともかく「アイアム・イチズ・イー」はアメリカ在住時代にあちこちで言っていたけど、「イー・チャン」という本名まで打ち明けたのは本当に仲良くなった女の子だけ。
その相手は玖渚友や想影真心だったかもしれないし、もしかしたら実妹の井伊遥奈だったかもしれない。
ウィキペディアによるといーちゃんは長いこと彼女が実の妹だって知らなかったみたいだし、その頃に教えたとしたら本人の認識は「他人に教えた」で間違いはないよな。少なくとも嘘とは言えない。
閑話休題。
「イチズ・イー・チャン」の総和は「2+17+13+2+2or0+17+36+46=133or135」と出ました!
そういえばさ、いーちゃんはこの問いへの答えを言う直前に「詰まされた」って考えてるんだよね。
でも、この三つの質問と回答から唯一無二の答えを導き出せるような内容ではとてもないんだよ。
それはこれまで熱心に考察を重ねてきたファンほどよく分かっているだろう。
けれど確実に答えを知っているはずのいーちゃんは「詰まされた」……逃げ場はないって敗北を認めた。
ぼくだったらこの状況、だいぶ焦るね。
たった三問ぽっちで当てられるとは思わないから余裕ぶっこいてたけど、相手の女の子は自分の想像を遥かに越える頭脳で答えにたどり着いた。
負けを認めるのは構わない、けれど子荻ちゃんに自分の名前を呼ばせるわけには絶対にいかない。
なぜかって?なぜだか知らないけど、《ぼく》の本名を呼んだ女の子は、みんな死ぬか死んだにも等しい状態になってしまうんだ。
後に想影真心が生きて登場したことにより覆された法則ではあるが、この時点のいーちゃんは本心からそう思い込んでいる可能性がある。
髪が綺麗で胸の大きい女子、敵とはいっても死なすのはあまりにも惜しいでしょ。少なくともぼくはそう思う。
だから絶対に真実にたどり着けないように、答えをごまかしたんじゃないかなあ?
「ルールが曖昧だったので133とも135とも言える。じゃあ間をとって134でも間違いじゃないだろ」
……とでも理論武装してさ。
でもまぁ、そんな悪足掻きすらも子荻ちゃんには読まれていたかもしれないね。顔に出てたのかも。
一人称小説って、視点人物が気付いてないことはどうあがいても地の文には書けないもんだからなあ。
まあでもやむを得ない事情があるとはいえ、答えを平気でごまかすような奴とするクイズなんて楽しめるわけないよね。批難轟轟に決まってる。
もしかして都合が悪いこと(たとえば他人に簡単には明かしたくない本名とか)問い詰められるたびにこうやってクイズ形式にして煙に巻こうとしてたんじゃないの?そんなだからいーちゃんはクイズ嫌いになるんだよ。出題者も回答者も勝敗に関わらず答えを聞いて楽しめるようじゃなきゃ、お互いに楽しい時間は過ごせないでしょ。
(クイズ嫌いっていうのはクビツリハイスクール127頁上段の地の文からそう解釈したよ)
あまりにもいーちゃんが誤魔化してる前提で話を進めすぎてるとは思うけど普段の行いが悪いから仕方ない。
「ぼくは詐欺師だって自分から申告したし子荻ちゃんもぼくをそう呼んだ。
詐欺師だと分かっている人間の言動を真に受ける方が悪い」……なんて口八丁で言い逃れようとするのかも。
おっと、忘れるところだった。二つ目の質問についての検証がまだだったね。
「名前をローマ字で表記した場合の、母音の数と子音の数を教えてください」だったか。
「イチズ・イー・チャン」のローマ字表記というと「Ichizu Yi Qing」もしくは「Itizu Yi Qing」ってところかな。
「Yi」「Qing」は「一」「青」の中国語での発音をローマ字で表現したもの。いわゆるピンインってやつ。
指定は「ローマ字表記」だからね。「ヘボン式」とか言われたわけじゃあないもんね。じゃあ当然答えとしてはありうるよね。
一途は日本語から取ってるのでとりあえず日本語のローマ字表記で。
この表記だと母音が5、子音が7。もしくは母音が5、子音が6ということになる。
対していーちゃんの答えは「母音が八、子音が七」……足りない。少なくとも三文字は確実に足りてない。
だって軽い気持ちで書き始めたのにもう六千文字越えちゃってるんだぞ!?今更後に引けるわけないだろ!!
ぼくの個人的な経験からくる妄想なんかも増えてくと思うけど、まあ最初から与太話って言ってあるから問題ないでしょ。うん。きっと大丈夫。
知ってる人からすれば当たり前のことだが、知らない人は死ぬまで知らないであろう究極の節約方法をお前らに伝授する。
じゃあ早速だが結論を書く。
自分が所有するモノの種類と量をあらかじめ決め、本当に必要なモノ以外は捨てる。
以上。
ってこれだけじゃお前らみたいなポンコツ頭搭載してるボンクラにはわからないだろうから解説してやるぞ。
夏服で例えるなら、白とグレーのポケット付きTシャツを各3枚ずつ、グレーとボーダーのハーフパンツを各2枚ずつしか持たない・それ以外は着ないって決めるんだよ。
でルールを決めたら何が起こるかっていうと、服屋行って「あっ、この服いいなあ」と思ってもルール外だから買うの止めようってなるんだよ。
わかるか?ボンクラ!
ルールがなかったらこの時買ってるんだよ。まあ1枚くらいいいよね(今月ボーナス入ったし)みたいな感じで。
そんで1回着てクローゼットにずっと眠ってるんだよ。
これがめちゃくちゃ大事なんだよ。
服に限らず全てのモノをやってほしい。
そのときに「これは本当に必要なんだろうか?」って自分に問いかけてほしい。
これは時間かけてもいい。
正直オレはめちゃくちゃ時間かかった。
でもそれくらいの価値はある。
オレが保証する。
で次にやることはルール外のモノを全て捨てること。
容赦なく全てを捨てる!
「これは買ったばかりだから」とか思うんじゃねーぞ!
買ったばかりでもルール外ならすぐ捨てる。
オレは30Lのゴミ袋5つ分くらいの服捨てたぞ。すごいだろ。
で、モノが減ると何が起こると思う?
答えは所有コストが減る、だ。
これもかなりでかいぞ。
賃貸料、土地なら固定資産税、車なら駐車場代、トランクルーム、サマリーポケットetc
とにかくモノが多ければ多いほど所有コストはかさむ。それも毎月。死ぬまで。
モノを捨てることによってそれが大幅に減る。
モノが減ったら少し狭い部屋に引っ越すのもあり。
毎月の賃料が減るぞ。
ただこれには副作用がある。
あめえな。
いい副作用だ。
モノが減ると選択肢が減る。
オレはその日の服を決めるのは3秒で済む。
買い物の時、「これ買っちゃおうかな〜、でも今〜」なんて悩まなくなる。
オレからは以上。
今話題になっているあいちトリエンナーレについて個人的に思うことが色々あったので書こうと思う。細かいことを話して特定されると普通に死ぬのでぼかすが、一応運営ボランティアとして展示に参加している。
クソ長い。
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最初に断っておくと、今話題になっている「表現の不自由展・その後」についてだが、私はぶっちゃけ見ていない。今となっては炎上が勃発した時点で見に行っておくべきだったと後悔しているのだが、いやだってまさか3日で終わるとは思わねえもん。
と、いうのも事前のボランティア研修とかで「表現の不自由展・その後」に注目している人は私の知る限りほぼ皆無だったからだ。一応警備対応とかの事情で説明は受けたがそれについて「楽しみだ」とか「心配だ」とか言っている人は居なかった。別に目を逸らしていたとか重大性を認識していなかったとかではなく、ちゃんと理由もある。
他の人は知らないが、個人的には「表現の不自由展・その後」については「色んな理由で各地の展示会から撤去された作品を集めてみました」くらいの認識だった。面白そうな企画だ、地獄のデスマッチ感がある。しかし確かに面白そうだが、言ってしまえばそれだけなのだ。
話が変わるが我々ボランティアが研修で何をやっているかと言うと、作品の知識を蓄えるのではなく、自身の感性に従って自由に鑑賞する、所謂対話型鑑賞とかVTS(定義は微妙に違うのだが)と呼ばれているものを実践している。具体的にどんな感じかというと、背景知識はほぼなしで作品を見て
「画面は綺麗だけど、人物の顔が悲しそう、破局を予兆しているのでは?」
などとそれぞれの感性や経験に基づいて解釈を語りあうのだ。これが結構楽しい。例えるなら深夜のファミレスでオタクが集まってエヴァ最終回について語り合っている状態に近い。割と何分でもやっていられる。
だがそういった観点から見ると、「表現の不自由展・その後」があまり魅力的でないことは分かってもらえると思う。「近代化」、「ジェンダー」、「作家自身の半生」、トリエンナーレには複雑なテーマを持った鑑賞しがいのある作品が沢山出品されている。「表現の不自由展・その後」は企画としては面白いがある意味「企画落ち」なのだ。事前に具体的な作品内容が分からなかったというのもあるが、それ以上掘り下げようがない。寧ろ中止になった今の方が色々語れる。
そんなわけで「表現の不自由展・その後」がここまでの話題になったのはかなり意外だったし、多くの人にとってあいちトリエンナーレの第一印象がそれになってしまったのは少し残念でもある。
さて「表現の不自由展・その後」の中でも特によく燃えていたのが慰安婦と昭和天皇絡みの展示だと思う。政治的にインパクト抜群だからだ。だがここまで千字くらい駄文を読まされて大分心と頭が冷え切っているところだと思うので、少し冷静に展示のコンテクストについても考えて欲しい。
「表現の不自由展・その後」は「あちこちの展示会で撤去されたやつを集めて展示する」というコンセプトで行われている。よってこの企画で展示されているのは慰安婦像それ自体ではなく、あくまで「どっかから撤去された慰安婦像」なのだ。
ソウルの日本大使館前に慰安婦像が設置されたとき、メディアはこぞって大使館と慰安婦像が一緒に映った映像を放送したと思うが、あの報道に対して「不快だから映すな」と怒った人は居ただろうか。まあ居なくはなかったかもしれないが、多分映さない方がもっと怒られるだろう。怒らないのはそれが「大使館の前に慰安婦像が設置されたという報道」だとコンテクストも含めて理解しているからだ(勿論どちらの場合も制作サイドの意図は別にあるのだが)。
今回の展示ではそこのコンテクストがおざなりにされたまま、日本に実物の慰安婦像が展示されているというインパクトと、SNS上の断片的な情報で事態が拡大してしまった感がある。
また若干話が大きくなるが、余裕があったら歴史的なコンテクストについても一度考えてみて欲しい。慰安婦像というと直ぐに反日というイメージに結びつけがちだが、何故そう思うのか。
そもそも慰安婦なんて居なかったと考えている人からすれば一応理屈は通っている、悪意のある捏造ということになるからだ。
しかし、詳細については諸説あるが、そういうものが存在したということだけについては歴史的資料も揃っているし、両国の見解も一致している。つまるところ歴史に認められているのだ。
負の歴史を展示し続けることは未来に生きるだれかにとっての悪意になるのか、日本を始め第二次世界大戦に関わった各国には慰霊碑やモニュメントがある、ドイツやカンボジアには国内の虐殺を記憶するモニュメントがある、それを見て不快になる人はいるだろうし、寧ろ不快になるべきなのかもしれないが、ならそれらは排除されるべき悪意なのか、そもそも悪意は無条件に「悪」なのか。
場所によって反応も変わる、オバマは広島の原爆資料館に行ったが、アメリカでスミソニアンがエノラ・ゲイ展示をやろうとしたときは退役軍人たちから大バッシングが来た。そういった反応の違いは展示の意味、ひいては歴史の意味に影響を与え得るのか、得ないのか。
そして誰の、誰に対する悪意なのか、人の属性は一つでないし必ずしもはっきり分類出来る訳でもない、あなたが引いた「味方」と「敵」の線など気にも留めず他人は好き勝手踏み越えて生きる。例えば、韓国人男性と日本人女性が慰安婦について議論しているとして、彼らは一体どの立場にいるのか、そこに存在する先入観は何か。
話が大分概念的になってしまったが、何が言いたかったかというと、コンテクストというのはそれだけ膨大で複雑なのだ。
勿論コンテクストには政治性だって含まれる。慰安婦像が純粋に歴史的なモニュメントというより政治的に使われているのは明らかだし、恐らくそれは大半の日本人のせいではないので、あんな一触即発なもの見たくも聞きたくもない、というのは分かるし別に普段はそれで構わないと思う。
ただ死ぬほど暇なときにでも少し考えてみて欲しい。メディアの報道を見ていると日韓で政治的な同意が得られれば慰安婦像は撤去されていると考えている人もいるようだが、その必然性はない、だって歴史に認められているから。というかそれで撤去されたらマジで純粋なプロパガンダだったって言っているようなものだからやめろ。
像はコンテクストの中で存在し続けるし、今回の展示もそのコンテクストの一部である。
批判するにせよ擁護するにせよそこに対する考察がなければそれはインパクトに押された感情任せでしかないだろう。
それでも慰安婦像許せないし完全に撤去したいんだけどっていう人はどうすればいいかって?そこも歴史に学ぼう。
アメリカでコロンブスとかリー将軍の像が次々撤去されているのはニュースで聞いた人もいるだろう。時代の変化とともに歴史観は書き換わる。虐殺や奴隷制擁護者としての側面が評価され、彼らは英雄ではなくなった。もはや歴史に認められていないから像だって撤去される。
個人的には英雄として評価されていた歴史も含め展示するのも面白いんじゃないかとも思うが、少なくとも公共の場のモニュメントとしてはふさわしくないと判断されているのだ。
つまり慰安婦像を撤去したいのなら何らかの方法で歴史観を書き換えれば良い。そして歴史学の徒は全力で戦って阻止すれば良い。
トリエンナーレ運営が「表現の不自由展・その後」の公開を取りやめたことについて、ネット上では様々な意見が飛び交っている。これについては「脅迫に屈した」とか「作家に許可をとっていなかった」とか確かに色々と問題がある気はするのだが、津田総監督や大村知事が会見で言っていた「安全管理上の問題」という観点からは正直仕方がないと思っている。
第一に展示施設自体の問題だ。あいちトリエンナーレには複数の会場があり、「表現の不自由展・その後」が展示されていたのは愛知県文化センターの8階、所謂「県美」だ。関係者の名誉のために言っておくが、日本は災害が多いだけあって美術館や博物館といった文化施設の安全管理にはそれなりに注意が払われている。耐震設備に水害対策、防火設備、さらには盗難や破壊防止のための監視員や監視カメラが多くの施設で導入されている。
しかしテロや大人数による襲撃までは対応出来ないというのが現実だろう。海外の博物館ではそういった事態も想定して手荷物検査などを実施しているところもあるが、日本でそれをやるのは割に合わないと言わざるを得ない。
第二に運営側の問題。最初に言っておくがあいちトリエンナーレのような文化事業というのは基本的にクソクソ&クソ金がない。
確かに税金から拠出の予算10億は大金だ、これだけあれば50回くらい安心して老後を過ごせる。しかしそれでアーティストを100人くらい呼んで75日間展示会をやれと言われたら難易度はルナティックだ(他に寄付金とかもあるので実際の予算規模はもっと大きいはずだが)。
よって私も含めた運営スタッフの多くはクオカード1枚で半日働くボランティアである。加えて事前に結構勉強もしないといけないし、当然交通費とかも出ない。
これだけ聞くと何が悲しくてそんな苦行をとか思われるかも知れないが、最初に言った通り美術館とか博物館とかも含めて文化事業は取り敢えず金がないので、もうそういう人たちがいないとほぼ成り立たないのだ。そこで講習会とかバックヤード体験を餌にこじらせ教養オタクたちをボランティアとして釣っている、というか釣られている(※個人の感想です)。言っていて悲しくなるし話が逸れるのでそこら辺は省くが、つまるところ何が言いたいかというと、テロとか起きると我々はタダ働きの挙句何も出来ずやられる。勘弁して欲しい。
最後に若干抽象的な話になるのだが、良くも悪くもあいちトリエンナーレは寄せ集めというのがある。
運営側の細かい事情は知らないが、直前までどんな作品が出るか分からなかったりしたので、少なくとも運営と作家が一体となって特定のテーマに沿った展示を作るという感じではないと思う。恐らく「情の時代」とかいうぼんやりしたコンセプトに基づいて作家を招待して展示スペースを用意している感じだ。
「表現の不自由展・その後」だって別に運営が企画した訳ではなく、かつて行われた「表現の不自由展」を招待しただけだ。
展示施設の職員に至ってはそれを公務員の業務として受け入れているだけである。
よって、運営の中心スタッフ、末端のボランティアスタッフ、施設や関連団体のスタッフ、さらに作家間で一人一人が一つ一つの作品に全て賛同しているとかそんなことはあり得ない。まあそれはある程度の規模の組織では当然のことだと思うし、そうでなければ大規模で多様性のある展示会なんて開けないだろう。なので断っておきたいが、会場とかSNSで関係者に絡んで「トリエンナーレの見解」とやらを聞き出そうとしてもそんなものはない、せめて総監督に聞いてくれ。
そんな緩い結束でつながっている人々を「脅迫に屈しない覚悟」に巻き込むのは正直言って無理がある。
それらを踏まえてトリエンナーレ運営の対応はある程度仕方なかったとは思うのだが、しかしそうせざるを得ない状況には大きな問題がある。
先述の通り、施設や組織の問題でテロや脅迫に対応することは出来ないし、安全上の問題を考えると「表現の不自由展・その後」の展示中止は仕方ない側面もあると思う。
しかし考えてもみて欲しい、そもそも武器とかガソリン持った奴相手に対抗できる団体・個人がこの国にどれだけいるのだ、極真空手の総本山とかか?結構な大企業だって本気で襲撃されたら対応出来ないことの方が多いだろう、必然的にそれを仄めかす脅迫の時点で相手側の要求を飲まざるを得なくなる。
暴力による権利への挑戦に対しては個人レベルでなく、社会全体として対抗しなければならないし、行政側には憲法に基づいてその義務がある。
最初に特定されたら困るから匿名で意見すると書いたが、そもそも身の危険を感じて発現を躊躇しなければならない状況自体がおかしいのだ(勿論それとは別に自衛はするが)。
また、津田総監督が会見によると脅迫と並んでまずかったのが「電話」らしい。
抗議の電話でまず事務局の回線がパンク、結果つながらなかった人たちが県美や文化センターに掛け、何の対策もしていない職員が罵声を浴びせられる、しかも公共施設なので切らずに対応しないといけないという事態になったらしい。所謂「電突」と呼ばれるものだ。
ネット炎上とともに話題になることの多い電突は、市民による集団的抗議の形態とも見做せるが、一方でインターネットという新興メディアによるメディアスクラムともとれる、特にやられる方からすればそうだろう。
確かに組織には説明責任がある、取材と報道の自由もある。けどそれが対象となる人々の生活を過度に制限するようになればそれは権利が守られている状態とは言えないし、何かしらの法にも触れそうなのだが、恐らく相手が不特定多数ということで対策が難しいのだろう。スクラムを仕掛けた側を罰しろとかではなく、対象となった側を守る為の社会整備は必要だと思う(と、ずっと前から言われている気はするのだが…)。
誤解しないで欲しいが、ここでいいたいのは抗議をするなということではない。
表現の自由というのは反論されない権利などではない、ただやり方の問題だ。
話がまた大きくなるが、個人的にはどれだけ平和主義を語っても「戦い」なんてものはなくならないと思っている。政治も、経済も、受験も、スポーツも、婚活も、創作も、結局は「戦い」なのだ、ただそれをいかに物理的な暴力を伴わず決められたルールの範囲内でやるかが、人類が積み上げてきた理性とか法治とか文明の指標なのだと思う。
抗議は存分にやればいい、カウンターとなるアートを作成しても良いし、ネットに長文を書き込んでも良い、署名やデモでも良い。そして表現の自由と言っても万能ではない、脅迫罪、威力業務妨害罪、侮辱罪、名誉毀損罪、プライバシー権、著作権…憲法に定められた公共の福祉の概念に基づいてそれを規制する法律なんてごまんとある。そのうちの何かに抵触してそうなら訴訟という手もある。ただやるからには全て合法的にやれというだけの話だ。
pixivで気に食わねえ解釈を見つけたら自分の解釈を倍の質と量で投稿して相手の筆を折るのが仁義というものだろう。すまない今のは完全に個人の意見だから忘れてくれ。
じゃあこの場合どうしたらいいのか。
少し話が飛ぶが比較のため「コンビニエロ本問題」について話させて欲しい。「コンビニエロ本問題」とは女性客などからの抗議を受けてコンビニから18禁の本が撤去されている事態のことだ。あれを表現の自由と結び付けて語る人もいるが、私はそうではないと思っている。
何故ならあくまでコンビニは民間の営利団体だからだ。コンビニ業界に詳しい訳ではないので話半分に聞いて欲しいのだが、もしコンビニ側が「エロ本を撤去しないとタピオカを積んだトラックで突っ込む」とか脅迫を受けているならば、それは許すべからざる犯罪だ、しかし多分そうではないだろう。
抗議が原因と言われているが、恐らくより正確には「エロ本絡みの抗議や客足減退に対してエロ本の売り上げが割に合わない」が原因なのだと思う。
コンビニで18禁本を最後に買ったのはいつだろう、正直質はともかく量と利便性はネットの方が格段に上だと思う。正確な売り上げは知らないが、エロ本だけで月々1兆円くらい純利益が出ているなら、あの容赦のないコンビニ業界が Permalink | 記事への反応(15) | 22:16
こっちで出稼ぎするのもいいかな〜とか、軽い気持ちで火星に来たけど、最近は帰りたくて堪らない。じゃあ休みでもとって帰ればいいんだろうけど、やっぱり往復の航空券の値段で何回風俗いけるか考えるとどうにも…
5年前は火星労働も先進的でいいかな〜とか思ってたけど、結局やることは機械に任せるほどでもないような単純作業・肉体労働。
そりゃこっちには物資もないし、工場もないし、メンテ代も高いから、ロボットにさせるような仕事も人間に任せたほうが安くつくもんな。そんな当たり前にも気づかなかった馬鹿な俺が憎い。
風俗は安いが、それ以外何もない。娯楽施設もないし、ショッピングモールはリゾートにきてる金持ち向けで歩くのも憚れるし。同僚の殆どは酒に逃げてるが、肝臓の弱い俺はそんな気にもなれないし。公営ギャンブルも質が低くて、はじめこそ嵌ったが飽きてしまった。
月2回の風俗くらいしか楽しみがない。少し前は月1に減らして高級店に行ってみたりもしてたが、そもそも火星に残っている時点で嬢のレベルはお察し。地球のAVみたいな女が心底羨ましい。
歳のせいか、ともかく地球が懐かしい。人間は地球で生まれたのだから、地球の地面を踏んで歩くべきだったんだ。
もう少し若いうちに帰って嫁でも探しときゃ良かった。今更帰っても、仕事ないだろうしな。開拓も頭打ちであの頃のような希望に溢れた雰囲気はもうない。こんなつまらない土地につまらない人生とともに取り残されてしまった。
俺は都心のイベントに参加して、テレビで話題の飲食店に行って、森ビルで絵画見て〜、
みたいな東京ならではの余暇、文化資本?に一切の興味や価値を見出していない。
友人夫婦も同じ価値観を持っていて「温泉があって空気が美味しければ土地安い田舎に住みたいよ。仕事見つけるの大変だろうけどね」なんてよく言っていた。
それに同意しつつも「ふたりともパソコン?プログラミングの会社いるんだからその気になれば在宅ワークできねえの?」と思ってた。
世田谷に建てたら5億するぞみたいな、高級貸別荘と見紛うほどクソ綺麗で豪華な一軒家を2500万円で購入してた。
夫婦共働き在宅ワークで1000万円稼げる目処がたったから移住に踏み切ったらしい。
俺はド文系の中小勤めの昭和臭いことやらされてる営業マンだから会社勤め以外の稼ぎ方なんてできない。地方の低賃金なら会社勤めですら生きていける自信がない。
東京なんて都市に愛着も有り難みも感じていないのにただ、まともな待遇の企業の求人が集中しているというだけの理由でこの臭くて汚い土地にへばりついていないと生きられない。
在宅ワークで食えるスキルがないために友人夫婦のような生き方ができない。あの家に住めない。
東京から逃れて東京の平均年収以上の金を稼ぐスキルを持たないがためにとんでもない損をしている現実を突きつけられた。
友人夫婦の生活を東京で実現しようとしたら一体どれだけの金とどれほどのスキルや職歴が必要になるんだろう。
自家用車所有、あの豪邸、もっぱらの在宅ワークを認めてくれるほど進歩的な企業。
ユーザーベースとかメルカリみたいな会社でなおかつ年収3000万稼がないと実現できないだろ。
東京にブランドや愛情ない人間が東京に住むってこんだけコスト凄まじくてバカバカしいことなんだな。
汐留とか六本木とか神宮球場とかパンケーキ屋とかかき氷やとか近代美術館とか金もらっても土日に行きたくねえわ。死ね。
くだらねえよ東京。