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2020-08-04

anond:20200803185603

山口瞳エッセイが出典ではね。新渡戸稲造は『武士道』でこう書いている。

I have noticed a rather superficial notion prevailing among half-informed foreigners, that because the common Japanese expression for one's wife is "my rustic wife" and the like, she is despised and held in little esteem. When it is told that such phrases as "my foolish father," "my swinish son," "my awkward self," etc., are in current use, is not the answer clear enough?

To me it seems that our idea of marital union goes in some ways further than the so-called Christian. "Man and woman shall be one flesh." The individualism of the Anglo-Saxon cannot let go of the idea that husband and wife are two persons;—hence when they disagree, their separate rights are recognized, and when they agree, they exhaust their vocabulary in all sorts of silly pet-names and—nonsensical blandishments. It sounds highly irrational to our ears, when a husband or wife speaks to a third party of his other half—better or worse—as being lovely, bright, kind, and what not. Is it good taste to speak of one's self as "my bright self," "my lovely disposition," and so forth? We think praising one's own wife or one's own husband is praising a part of one's own self, and self-praise is regarded, to say the least, as bad taste among us,—and I hope, among Christian nations too! I have diverged at some length because the polite debasement of one's consort was a usage most in vogue among the samurai.

http://www.gutenberg.org/files/12096/12096-h/12096-h.htm

これは有名な一節である。「武士や多くの日本人は、自慢や傲慢を嫌い忠義信条したことに触れ、家族や身内のことでさえも愚妻や愚弟と呼ぶが、これらは自分自身と同一の存在として相手に対する謙譲の心の現れであって、この機微外国人には理解できないものであろう」といった意味

なお『武士道』の初版1899年。「戦後あたりから間違った意味で使われるようになった」というおまえの説と矛盾する。新渡戸稲造によるとWe think praising one's own wife or one's own husband is praising a part of one's own self(おのれの妻や夫を褒めるのはおのれ自身の一部を褒めることだと、我々は考える)というのだ。だからmy rustic wife(愚妻)のような表現を使うのだ、と新渡戸は言っている。したがって─

高島俊男さんの「お言葉ですが…2」では、「愚」はわたし意味だと説明した上で、実はこのような一人称二人称という発想は西洋人の発想だとことわり、日本人の発想は、「こちら側」と「あちら側」に分けるのだという。

http://takusen2.seesaa.net/category/1656458-1.html

これも「こちら側」にいる私と妻をまとめて「愚」と呼んでいる、と読むのが正確だろう。

もっとも、高島説でも新渡戸説でも「どうして自分師匠を『愚師』とは呼ばないのか」という問題説明がつかない。門弟から見れば師匠は「こちら側」だ。

2019-08-08

横須賀

実家があるんだけれども、

市の中心部分は、軍都の文化精神構造を今も引きずっていて、

まり明るい土地柄ではない。

山口瞳『血族』の舞台になるようなところだよ。

小泉家も、色々あるわけだし、

大きなお世話だが、滝川クリステルは苦労するんではないかと思う。

まれてくる子供も、政治家にするわけだろう。

雅子様みたいなことになりはしないか

2013-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20130812222200

あんなあ、山口瞳の往年のサラリーマン小説なんか読んでみなよ。

今のゆとりとは考え方が信じられんほど違うから1960年代リーマン像だけど。だいたい祖父ちゃんと孫くらいの違い。

昔はあの手の熱い男が「真面目でやる気がある」ってすごいウケたの。

でも、今は違うというか、よりクールでより無表情で見苦しくないタイプがイカしてるわけだ。

そりゃ、モノの売り方だって変わってくるさあな。

2011-10-13

http://anond.hatelabo.jp/20111013153859

山口瞳『血族』がそういう話だよ。

でも、どこの家も、似たようなことあるよ。話さないだけ。

深く考えなくていいよ、それ、自分がしっかりしてれば。

2011-01-05

http://anond.hatelabo.jp/20110105182119

そのとおり自衛隊を解散させて海保警察を増強、でいいんじゃないの。

それだと、軍事組織(自衛隊)の戦力が準軍事組織(海保警察・航空警察(仮))に移行し、それらが軍事組織に格上げされるだけじゃん。

領海・領空侵犯に武力で対処するんならわざわざ看板の挿げ替えして予算消費するより、自衛隊の存続で十分でしょ。

軍隊」と「強化された警察」の差

自衛隊」と「自衛隊並みの武装をしている国境警備隊」に何の違いがあるんだ?

極端な話、海保警察増強分のマイナスよりも、自衛隊解散分のプラスが大きければいいわけだ、予算的な意味で。

監理とかリスクとか脆弱性とかコストが莫大になるから、巨大組織作るよりは、そこそこのサイズ組織で分けたほうが良いよ。予算的な意味で。

これは「戦力放棄という思想」ではなく「丸腰戦略という政治」の問題なんだから完璧な戦力放棄にこだわる必要は全く無い。

森永氏の日本丸戦略

軍事力をすべて破棄して、非暴力主義を貫くんです。仮に日本中国に侵略されて国がなくなっても、後世の教科書に『昔、日本という心の美しい民族いました』と書かれればそれはそれでいいんじゃないかと

山口瞳氏の提案は、

軍事費なんてなくていい。日本が持っている武力を全て放棄するればいい。その代わりにその軍事費を丸ごと世界のために使う。

なんだから、どちらにしても「丸腰」と呼ばれるぐらいには戦力放棄しないといけないと思うが。

そのためには、

少なくとも、警察の銃対と特殊部隊海保のしきしまみずほ型は放棄しないとダメだろ。

武装はセミオート拳銃までじゃないかね。ホローポイントを許可するとして。口径は10mm辺りがボーダーかね。

これ以上削ると、国内犯罪対処できない。

位はしておかないとダメだと思うよ。

http://anond.hatelabo.jp/20110102082753

とりあえず、新聞屋が端折ったのか、本人の知恵がそこまで回らなかったのかしらんが、

仮に日本中国に侵略されて国がなくなっても

現状で丸腰戦略を取った場合、真っ先に日本を占領するのはアメリカ合衆国だと言う事を失念している。

既に国内米軍は展開済みなんだから、そそくさと占領して、「丸腰戦略は間違いでした」という政権樹立させるだけ。

後世の教科書に『昔、日本という心の美しい民族いました』と書かれればそれはそれでいいんじゃないかと

基本的に歴史ってのは勝者しか書けない。

中国の歴史書なんて、それこそ過去為政者は徹底的に咎る伝統がある。

国際政治学者でもなんでもない庶民派経済学者が夢想するファンタジー面白いじゃないか

アーティストファンタジーを売るのは商売だが

学者ファンタジーを売るのは詐欺以外の何物でも無いんだよ。

山口瞳

作家から別に良いじゃないか

というか、作家学者を同列に考えてるお前さんのほうがおかしいだろ。

その代わりにその軍事費を丸ごと世界のために使う。

あえて突っ込むが、

その資金を安全に海外まで運んで、きちんと運用されているのか監視し、場合によっては提案をしなければならないのだが

それらを行うためのバックボーンはどうするのかね?

普通なら、軍事力をもってそれを行うんだけど。

ファンタジー突っ込みを入れるようなもんだ

アニメエロゲーでも、シナリオに不備があったり辻褄が合わなかったら突っ込むのは当然だろ。

SFとか、推理小説なら叩かれて潰されても文句は言えないだろ。

2011-01-03

http://anond.hatelabo.jp/20110103044327

時節上どこまで許されるか、は個人によって幅があるからなんとも。

「これだけキナくさいのに、非武装だなんて不謹慎だ」もあるだろうし、

正月なのだから、このくらいの冗談で丁度いい」もあるでしょ。

明らかな問題発言なら「森永の発言は誤りだ」と結論付ける意味はあるだろうけど、

こういう中途半端場合はどちらも、「こういう感じ方があると知って欲しい」程度じゃダメなの?

感性の問題なら結論は出せんでしょ。

 

元増田軍事費をなくして貧困国に支援云々は、2011年発表じゃないです。

山口瞳さんは95年に逝去されてました

2011年元旦に際して書かれたのは森永勝間の対談の方です

2011-01-02

http://anond.hatelabo.jp/20110102210719

心の中では、それが実現できたら中国からいくら貰えるかな、とか考えてますが。

から実現できないって分かってるからファンタジーって書いてるんじゃん。

世界から戦争がなくなったらステキだね、想像してごらん?」っていうのがイマジンでしょ?

で、「こういう国があったらステキだね、想像してごらん?」っていうのが森永山口瞳イマジンだって書いてあるだけだろうに、なぜか中国の陰とかみちゃうんだ(笑)

森永卓郎を叩く人の気が知れない

元日東スポに掲載された森永卓郎勝間和代の対談の内容が話題になっている。

森永「私は日本丸戦略というのを提唱しています。軍事力をすべて破棄して、非暴力主義を貫くんです。仮に日本中国に侵略されて国がなくなっても、後世の教科書に『昔、日本という心の美しい民族いました』と書かれればそれはそれでいいんじゃないかと」。

これに対して、いつものようにネット右翼と呼ばれるような人たちが噛み付いて、「中国に国を奪われるだけだ!」だのなんだのと騒いでると。

何がそんなに彼らを刺激したのか知らないけど、落ち着いて考えて欲しい

これって別にきちんとした政策提言でも何でもなく、東スポの対談だろ。

国際政治学者でもなんでもない庶民派経済学者が夢想するファンタジー面白いじゃないか

ネット右翼の方々は例えばジョン・レノンイマジンにも噛み付いたりするんだろうか?

さすがにそれはないだろうけど、仮にイマジンという曲が現代の日本人アーティストが作ったものなら、噛み付いているかも知れないね

正月東スポを飾った「日本丸戦略」。これは、森永卓郎による2011年日本イマジンたいなものだと思う。

なるほど、そういう平和な考えも素敵だねって正月くらいは受け止めてみたらと思う。

で、森永卓郎を擁護しておいてこんなこと言うのはなんだけど、こんな提案よりも洗練されたイマジンがある。

それは山口瞳の提案だ。手元に資料がないんで、うろ覚えの要約だけど、だいたいこんな感じだ。

軍事費なんてなくていい。日本が持っている武力を全て放棄するればいい。その代わりにその軍事費を丸ごと世界のために使う。

世界貧困の解決や平和のためにGDPの1%を毎年使う。これを言うと、必ず反発を受ける。

「そんな甘い考えでは通用しない」、「すぐに外国が攻めて来て日本は滅んでしまう」、「日本人は攻められて殺されてしまう」などなど……

それがどうしたと思う。他所が武力を整えるのに使っているお金を、こっちはそのまま世界のために使っているんだ。

そんな国を滅ぼそうとする国があるだろうか?

「あるに決まっている、世の中はそういうものだ」

と教えてくれる人がいる。だったらぼくは殺されても構わない。そういう国が滅ぼされるような世の中なら生きていたくない。

これを読んでも「自衛隊を止めたら失業者が……」とか「お前だけ勝手死ね」とかいうのはファンタジー突っ込みを入れるようなもんだということを分かって欲しい

 
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