はてなキーワード: 価値とは
完備確率空間 (Ω, ℱ, ℙ) 上で、右連続増大フィルトレーション {ℱₜ}ₜ≥₀ を考える。
状態空間として、実可分ヒルベルト空間 ℋ を導入し、その上のトレース類作用素のなす空間を 𝓛₁(ℋ) とする。
システムダイナミクスを以下の無限次元確率微分方程式で記述する:
dXₜ = [AXₜ + F(Xₜ, uₜ)]dt + G(Xₜ)dWₜ
ここで、Xₜ ∈ ℋ は状態変数、A は無限次元線形作用素、F, G は非線形作用素、uₜ は制御変数、Wₜ は Q-Wiener プロセスである。
経済主体の最適化問題を、以下の抽象的な確率最適制御問題として定式化する:
ここで、𝓤 は許容制御の集合、L: ℋ × 𝓤 → ℝ は汎関数である。
価値汎関数 V: ℋ → ℝ に対する無限次元Hamilton-Jacobi-Bellman方程式:
ρV(x) = sup{L(x, u) + ⟨AX + F(x, u), DV(x)⟩ℋ + ½Tr[G(x)QG*(x)D²V(x)]}
ここで、DV と D²V はそれぞれFréchet微分と2次Fréchet微分を表す。
システムの確率分布の時間発展を記述する無限次元Fokker-Planck方程式:
∂p/∂t = -divℋ[(Ax + F(x, u))p] + ½Tr[G(x)QG*(x)D²p]
ここで、p: ℋ × [0, ∞) → ℝ は確率密度汎関数、divℋ はヒルベルト空間上の発散作用素である。
dλₜ = -[A*λₜ + DₓF*(Xₜ, uₜ)λₜ + DₓL(Xₜ, uₜ)]dt + νₜ dWₜ
ここで、λₜ は無限次元随伴過程、A* は A の共役作用素である。
価格過程の一般的な表現を、以下の無限次元マルチンゲール問題として定式化する:
Mₜ = 𝔼[M_T | ℱₜ] = M₀ + ∫₀ᵗ Φₛ dWₛ
ここで、Mₜ は ℋ 値マルチンゲール、Φₜ は予測可能な 𝓛₂(ℋ) 値過程である。
Girsanovの定理の無限次元拡張を用いて、以下の測度変換を考える:
dℚ/dℙ|ℱₜ = exp(∫₀ᵗ ⟨θₛ, dWₛ⟩ℋ - ½∫₀ᵗ ‖θₛ‖²ℋ ds)
インフレーション動学を、以下の無限次元確率偏微分方程式で記述する:
dπₜ = [Δπₜ + f(πₜ, iₜ, Yₜ)]dt + σ(πₜ)dWₜ
ここで、Δ はラプラシアン、f と σ は非線形作用素、iₜ は金利、Yₜ は総産出である。
小さなパラメータ ε に関して、解を以下のように関数空間上で展開する:
Xₜ = X₀ + εX₁ + ε²X₂ + O(ε³)
dwₜ = [Bwₜ + H(wₜ, πₜ, iₜ, Yₜ)]dt + K(wₜ)dWₜ
ここで、B は線形作用素、H と K は非線形作用素である。
金利上昇の実質賃金への影響は、以下の汎関数微分で評価できる:
δ𝔼[wₜ]/δiₜ = lim(ε→0) (𝔼[wₜ(iₜ + εh) - wₜ(iₜ)]/ε)
1. 非可換確率論:
量子確率論の枠組みを導入し、不確実性のより一般的な記述を行う。
経済均衡の位相的構造を分析し、均衡の安定性を高次ホモトピー群で特徴付ける。
4. 超準解析:
無限次元確率動的一般均衡モデルは、金利、インフレーション、実質賃金の相互作用を一般的な形で記述している。
モデルの複雑性により、具体的な解を得ることは不可能に近いが、この理論的枠組みは経済現象の本質的な構造を捉えることを目指している。
このアプローチは、金利上昇がインフレ抑制を通じて実質賃金に与える影響を、無限次元確率過程の観点から分析することを可能にする。
しかし、モデルの抽象性と現実経済の複雑性を考慮すると、具体的な政策提言への直接的な適用は不適切である。
このモデルは、経済学の理論的基礎を数学的に提供するものであり、実際の経済分析や政策決定には、この抽象的枠組みから導かれる洞察を、より具体的なモデルや実証研究と慎重に組み合わせて解釈する必要がある。
このレベルの抽象化は、現代の経済学研究の最前線をはるかに超えており、純粋に理論的な探求としての意義を持つものであることを付記する。
このセリフ言ってたのが、あやしい情報商材系の人が多かったのも理由かしらんけど、
無料で誰でも手に入れられる情報の方が正確だし、価値が高くなったね。
今や、書籍まで含めて金だす情報の方がゴミのケースも増えてきた。
もちろん、印刷物の方が信頼できる率はまだまだ上だろうけど、
印刷物だからって信用出来ないっていうか(いやまぁそれは前々からであるけど)
本好きほどそうなってない?
そんなことない?
>>死んでくれれば団信で自宅も手に入るし、離婚よりも世間体もいいし一石二鳥
まあ、これだよねえ。
これくらい同人界隈にいると同人誌やイベント、サークル文化の変遷やら事件やら、まあ色々なものを見て来ている。
歴が長くなると昔と今を比べたがる人も多くなる。
「最近の同人誌は無味乾燥なものが多い、あとがきすら無い」というご意見を見た。
「これこれこういう構成でこういうものを載せたら同人誌になる」
というセオリーがある程度出来上がっているし、非常に作る敷居は低くなっていると思われる。
(ここでこの作り方についての昔話をすると長くなるのでまた別の機会に)
昔の同人誌は作り方や指南書が少なく、(マニアックな雑誌の特集ではあったとは思う)参考が既に同人活動している先輩からの伝え聞き・先方の同人誌のみという時代も確かにあった。
自由度はあったと思う。凄かった。
「凄かった」というのは昔は悪い意味でも凄い本が多かったのだ。
自分が見た例をいくつか紹介する。
・「表紙は完成しているのに中身(本文)が未完成」
今同人誌を買っている人でこれを見た人は殆どいないし、今こういう本ほぼ見ないと思われる。良い時代になった。
昔は「イベントに合わせて本を出す」事に意義があったのと表紙で判断して購入する(しかない)環境であった為、表紙だけ綺麗に仕上げて中身は下書き状態(ハンターハンターの下書き掲載…と言えばわかる方も多いだろうか)で発行している本もあった。
・「表紙と中身(本文)が別ジャンル」
マジであった。
流石に丸々別ジャンルという本は少なかった(あったんだよ…)が〇ジャンルの表紙で〇の話の後に急に「今ハマっている×ジャンルの漫画・トーク」が挟まっているとかは割とあった。
・「書き手の近況や同ジャンル者同士の対談や語りのPが何Pもある」
極めるとこれだけで本を出しているサークルもあった。
今より作者のアイドル性が高かったように思う。トークが面白いと「サークル●●のトーク」だけで価値があるのだ。
因みにこのトーク内容はジャンルに関するもの…では無く作者の近況だったりする方が多かった。
Twitter(X)でこの文化はほぼ絶滅したと思う。良い時代になった。
・「本文内にサークル紹介・次回イベント参加情報・既刊宣伝がある」
これで5~6P、いや下手すると10p以上は使っているサークルもあった。
NAVIOやPixivはTwitter(X)は無い、個人サイトさえ無い時代なのである意味当然なのだが、自分のサークルの活動状況を知らせる媒体が限られており、発行物に含ませるしかなかった背景もある。
実際にサークル紹介Pは作っておけるので、コピーのコピー(データでは無く実物のコピー)を延々してそのPだけ画質が悪くなっているのもまあまあ見た。
「新刊は●●Pと書いているが、このサークルは宣伝Pが大体6Pぐらいあるから、実際の漫画・小説は〇〇Pか…」という悲しい推察をしながら買った経験をしている人は自分だけでは無いと信じたい。
当時はまだ問題性が周知されておらず黙認されていたが今やるとアウトの事例。
「他漫画のトレース」というのは例を挙げると「ジョジョの漫画の絵やコマ割をそのままトレースして髪型や服装だけジャンルキャラクターに変換させてジョジョの名場面をジャンルキャラに喋らせる」というものだ。
ファンロードという雑誌の「今月の見たいものand見せましょう」というパロディ企画で用いられたり、朝目新聞でこのようなパロディはファンアートとして有り、広く用いられている為、
これもだいぶ議論の余地はあるが、上記の例に沿うと「ジョジョの漫画の絵柄のみを似せて描き、ジャンルパロディとして自分の考えたストーリーを描く」なら現在でもまあまあ見かけるし、問題にまではなっていない。
「同人誌のタイトルに歌のタイトルを使う」迄は著作権侵害に当たらないが、歌詞や楽譜は音楽の著作物になる。
https://www.riaj.or.jp/f/leg/copyright/music/qa_internet.html
イメソンとして歌詞丸々書いたり漫画小説内で使いまくった同人誌多かったよマジで。
今は歌詞を引用するにしても、ちゃんとジャスラックに許可を取って歌詞使っている同人誌を見た。強い。
他ヘイト創作や特定キャラへの過度なネタやらまで列挙すると個人の好みの問題になるので取り上げない。
勿論挙げた中の例でも「それが好きで買っていた」人もいるだろう。
ガキすぎんだろ。痴漢で気持ちいいやつなんていねえよ。おまえも50歳くらいの男に触られて恐怖や嫌な思いをしたときに、こんな揶揄されることを言われたらいやだろ?
どんな場所でも、被害者を揶揄する、攻撃する、馬鹿にするみたいな行為は最低だよ。
おまえがどんな生活を送ってきたかはわからないし、おまえの人生のことなんて何もしらないが、とにかく最低最悪の人間だ。
生きている価値がないくらいひどい。このような、インターネットの掃きだめみたいなところですら、おまえはひかれているし、排除されてほしいと思われていることをもっと真摯に向き合え。
道徳の授業では、倫理だけでなく、他人を大切に思う気持ち、他人を愛する気持ちについて学ばせた方がいいと思う。
慈愛、とでも呼ぶべきものを。
成人になっても、そういうコンテンツを充実させて自然とそういう気持ちになるようにすべき。
いや、結婚のメリットという実益的な話でも、恋愛物語という空想的な話でもなく、純粋に「他人を愛すること」の良さを伝えるようなコンテンツだ。
エロ広告もAVも水商売も身近な女に性的ジャッジすんのも、もう何もかもが気持ち悪い。
いい女と付き合うことが自分の価値につながるってナチュラルに考えてる友達と会話すんのもきつい。
どこに行っても目に入る性的コンテンツに囲まれてる生活がしんどい。
何も分かってないなあ・・・
連載中であるかどうかなんて読者にはどうでもいいんだよ。
現役の音楽はビートルズと比較されるし、JPRGはFF6と比較されるんだよ。
ホワルバ2や冬ソナみたいな伝説的作品と比較された上で「人類史上何番目」を評価されるわけ。
もちろんコレは古典作品もまた「当時はすごかった」という下駄を履かされた評価なんて誰も認めないってことね。
時代によって合う合わないで再評価されることもあれば、時代が合わなくなってまた評価が下がることだってある。
ファッションと同じなのよ。
「明日、渋谷にその服を着ていったらダサイか?」こそが評価の絶対的な基準であり、「昭和の頃はこの格好が流行っていた」なんてのは今や何の価値もないわけ。
勘違いしないように一応言っておくけど、リバイバルファッションみたいな「今の時代には昔はやったこの格好が合いそう」はアリだからね。
そういう観点で言わせてもらうが、君の挙げた作品は「人類史上で描かれた全てのラブコメを、今時の人間に読ませたときのランキングで上から5位まで」になってはないよね。
それは「現環境で最強」とは言わないの。
気づいたら伸びてた、ありがたい。
店の名前言った方がいい→これは何人か推測されてる通りKOZO、ありがとうKOZO。
金に糸目をつけない美食か→決してそこまで敷居は高くない。食べログに値段出てたけどソシャゲのガチャ20連と同じ程度なので庶民にも十分手が出る。何に価値を感じるかってあると思うけどこれは本気でいい体験だった。
ステマとかではない。よっしゃ再訪のチャンス!とか思っていたらお店が閉店になっていてショックを受けた。
なんなら親の還暦祝いを絶対そこでしたかったぐらいの勢いだし親が死ぬまでには、いや自分が死ぬまでにもう一度あの店(シェフ)の料理を食べておきたいと思った。
辞めた理由ってのもあるだろうけど正直有名店の半額以下だしコスパ良すぎて儲からないなら倍払っていいまであるからもう一度店出してという、中毒患者の呻きみたいなものだと思ってほしい。
京都にあるガストロノミーのお店。分類がこれであってるかはわからんけど一見これ食べるの……みたいな騙し絵的な料理が出てきたらだいたいこう言ってる。
同僚とランチをしに行った。値段は安くはなかったのだが、この食事、いや、体験に比べると絶対に安い。繰り返すようだが別の店で倍払ってもなかなかこうはならない。ならなかった。ガチでオモコロの「味でめちゃくちゃになりたい」ができる店だった。
まず前菜ではなく、いきなりフィンガーフードとよばれる小さなおつまみみたいなものがやってきた。この時点では我々はシェフの力量を知らず、一気に不安になってざわついた。だってあんまりにも小さいんだもん。小さい、ホタテとトマトソースがのったタルト。こんなの一瞬でなくなっちゃうよ……そう思いながらとりあえず食べる。
──凄まじいとしか言えなかった。最初は普通にホタテの旨み溢れる味わいだったのが、次の瞬間ドライポモドーロの奥行きのあるソースが支配的になる。最後はタルトをかたちづくる良質な小麦粉の素朴でいて贅沢な味わい。こんなに小さいのに、こんなに激変する。これはボヘミアンラプソディと同じぐらいの変わりっぷりでいて、そして同じぐらいのまとまりだ。
「なんか、ディズニーランドに行った記憶とか、パレードみたいな味がする。すごくないですか?」同僚はそう表現した。語彙を失って壊れたように「おいしい、これおいしいよ!」と繰り返す自分とは大違い。たしかにこれは極小のディズニーランドであり、エレクトリカルパレードであると首を縦に振った。ふたりして若干何かを吸った後の人みたいになっているが何も吸わずにこれはひたすらすごいことである、経済的なうえに健康的だ。
次に来たのは本日のお目当て、「盆栽」である。といっても全てが食材で作られたミニ盆栽である。フォアグラの入ったなめらかなマッシュポテトの土に、青のりの苔がむしている。ディルなどのハーブを飾ると大自然の植生があらわれ、そこに黒白の米で枯山水が設えられている。
はっきり言ってこれは普通に盆栽の見た目である。レストランよりホームセンター、いや、オシャレ花屋さんあたりにお還りとでも言いたくなるぐらいだ。ただし、さっきのディズニーパレードのおかげでこのシェフに絶対的な信頼感が生まれていたわれわれは臆することなく土や石にスコップを入れて、自分の口に放り込んだ。
「石!おいしい石!すごい!」人生で石が美味いなんてなかなか出る言葉ではないだろうが、だって石がおいしいのだから仕方がない。フォアグラポテトの土はひたすらなめらかで濃厚で、そこに海苔とハーブで味の奥行きが作り出されている。さらに、枯山水の米がパリパリプチプチと舌触りのアクセントを生み出している。こんな佇まいなのになにも難しいことはない、「無限に食えるやつ」なのだ。こんなことならミニではなくノーマルサイズの盆栽で良かったのに……あっという間に盆栽は消えてなくなってしまった。
ここまででじゅうぶん楽しかったのに、ようやく前菜がお出ましになる。蛤と椎茸に出汁ジュレが乗って菊の花びらが散らされている。今までとは違ってハッキリと高くて美味い見た目である。そして──この一皿は見た目に違わぬ高いパフォーマンスを見せてきた。
まず一口食べてみる。ぷりぷりで柔らかな蛤が爽やかなジュレで包まれてもう大好き。そのままのテンションで奥に進む。スモーキーな椎茸としゃっきりと野菜が口の中で主張する。
次、次と進むとどこかからぷちぷちとした食感が弾けて、柑橘のシャキッとした引き締めに行き当たる。計算されつくした絶えず移り変わるその味わいは、ただの層のある料理とは違う。不思議のダンジョンの階層ぐらい全然違う。もうダンジョン飯だし私のためのパーティー開かれてる。最高。未知の階層への好奇心のままに食べ進めると、あっという間になくなってしまった。かなしい。
そしてメインの肉料理。皿に配置された料理とソースがまるで絵画に見えてしまう。赤蕪のほろ苦さや素揚げされた蓮根の歯触り、そしてもう一度出会えた無限マッシュポテト。今度はチーズ風味でさらに止まらない度がアップして帰って来てくれた。かなり嬉しい再会だ。同僚とうわごとのように「無限に食える〜」と繰り返してしまった。
しかし肉料理の話だから肉の話をせねばなるまい。肉は鴨肉のローストで、みるからに食欲をそそる茶褐色のきのこのソースがかかっている。
肉を食べると、鴨の味と並走するかのようにはっきりと存在するはずのないクレームブリュレの味がした。何を言ってるのかわからねーと思うが、何をされたのかわからなかった……頭がどうにかなりそうだった……。
存在しないその味の記憶にたじろぎながら控えめに同僚に「これ、クレームブリュレの味しません……?」と言ってみるとすかさず「思いました!」と返事があり安堵した。いや、集団でスタンド攻撃や呪術をうけていたなら安心して良くはない。ただしっかり破綻せずに美味いので幸せならオッケーである。
出てきたものの半分も紹介できていないが、しっかりとボリュームがあり、はっきり全てが美味しかったし、それ以上に驚きと楽しさがあった。正直なところガストロノミーに半信半疑だったものの、こんだけパレードで不思議のダンジョンでスタンドの気配まで感じられて、十分に味でめちゃくちゃになれてほんとうに行って良かった店だった。
叶うならもう一度再訪したい。叶わなければそれでも一生に1番レベルで美味しかったとシェフに伝えたい。こんなところに書いて伝わるかは知らんけど……。
処女信仰してるチー牛、弱男がチカラを持っていた時代は「なに!?うら若き乙女を脅かす不逞の輩め!許せん!!!」ってなってたけど
今、「いやーん、痴漢されたー!」って言っても
おまえwwwwwさっきまで中出しされてたやんwwww今晩も沢山のおっさんのチンポくわえるんだろwwwww
って状態では、男から見ても、女から見ても、女の身体に価値はないからね。
そりゃ軽くもなるさ。
んんwwww増田氏、そのような生活を続けておられるとは、嘆かわしいですぞwwww拙者が申すに、学びと努力を怠ることは人生を無駄にすることですぞwwww
YouTubeとFANZA、そしてはてなブックマークに時間を費やすのも一興ですが、それだけでは成長は見込めませんぞwwww拙者は日々、読書や新しい知識の探求に励んでおりますぞwwww増田氏ももっと自己投資に時間を割くべきですぞwwww
拙者は自己研鑽によって多くの知識とスキルを身につけ、自身の価値を高めておりますから、増田氏もそのように努めるならば、もっと充実した人生を送ることが可能となるでしょうぞwwwwまずは一冊の本から始めてみると良いですぞwwww
今の日本、Xやyoutubeを中心に女叩きが増えまくっていて絶望しかない
昔は2chやまとめサイト、ニコニコに溢れかえっていた。ツイッターに救いを求めたらそこも女叩き塗れになった
かつては韓国叩きと女叩きが二大勢力だったのに、韓国叩きだけがなくなって女叩きだけが勢力を伸ばしてる
日本の女は嫌われ者のクズwというツイートが伸びまくって持て囃されてる
女叩きしてない男なんてもういないんじゃないだろうか
小山晃弘、rei、ひよこ、ヒスイ、ドグマ、たちばな、ててなど…女叩きでバズるツイッタラーが数え切れないほど大量にいる
韓国と違って徴兵制もないのに、どうしてこんなにまで女叩きが多くて女というだけで価値のない蔑まれて当然のま〜んだといわれなくてはならないのだろうか
あろうことが、最近のアンフェは性犯罪なんて大したことない、体売ってるくせに、女が大袈裟だ被害者ぶりたいだけだと言ってる奴が激増してる
若者ほど女叩きをする
大嫌い、日本。Xなんて閉鎖されたらいい
間違い
https://milterm.com/archives/3836
米陸軍大学校の研究者チームは、開戦から10カ月間に関する公開情報の研究を行った。
チームはこの戦争から学んだ教訓を導き出し、米軍が現代戦の要求に適応するのを助けるために、この取組みを計画した。
1973年、米陸軍は戦略的変曲点(strategic inflection point)に直面した。
米軍のベトナム介入は米陸軍の士気を低下させ、ソ連製兵器を装備したエジプト軍がヨム・キプール戦争で米軍兵器を装備したイスラエル国防軍をほぼ撃破するのを目の当たりにした。
これに対して米陸軍参謀総長は、従来のソ連の脅威を中心に思考とドクトリンを方向転換させるため、米陸軍訓練ドクトリン・コマンドを設立した。
新組織は、1973年のヨム・キプール戦争を研究し、コンセプトを開発し、調達と装備品の変更を推進し、近代的な戦争を戦うための陸軍を準備する任務を負った。
今日、米陸軍は新たな戦略的変曲点に直面しており、米陸軍が次の戦いに備える根本的な方法を変える選択に迫られている。
国防組織が20年にわたる対テロ戦争から脱却し、大規模戦闘作戦の将来を受け入れ始める中、現在進行中のロシア・ウクライナ戦争は、戦いの性質の変化を浮き彫りにしている。
それは、高度な自律型兵器システム、人工知能(AI)、そして米国が第二次世界大戦以来経験したことのない極めて高い死傷率を特徴とする戦いの将来である。
ロシア・ウクライナ戦争は、米陸軍の戦略的マンパワーの厚みと、死傷者に耐え代替する能力において重大な脆弱性を露呈している。
米陸軍の戦地医療計画担当者は、戦死戦傷者、あるいは疾病やその他の非戦傷者に至るまで、1日当たりおよそ3,600人の死傷者が持続的に発生すると予想している。
ちなみに、米国はイラクとアフガニスタンでの20年間の戦闘で、約5万人の死傷者を出した。
大規模な戦闘作戦では、米国は2週間で同じ数の死傷者を出す可能性がある。
採用不足は戦闘兵科の分野で50%近くもあり、1973年には70万人、1994年には45万人いた即応予備は現在わずか7万6,000人しかいない。
この数では大規模な戦闘作戦中の死傷者の交替や増員はおろか、現役部隊の既存の空白を埋めることもできない。
つまり1970年代の志願制による兵力というコンセプトはその賞味期限を過ぎ、現在の作戦環境にはそぐわないということである。
大規模な戦闘作戦に必要な兵力を達成するためには部分的徴兵制に移行する必要があるかもしれない。
ウクライナ侵攻当初のロシア軍の作戦成績が予想外に悪かったにもかかわらず、同軍は初期の深刻な挫折から学び続け、西側の観測筋をいまだに驚かせるような方法で適応している。
わずか5カ月足らずの間に、30万人以上の非活動予備役要員と8万人以上の新規志願兵を動員訓練雇用するロシアの能力は、米国とNATO同盟国が過小評価していた戦略的兵力能力の重要さを示している。
簡単に言えば、ロシアは21世紀の戦いにおいても量(mass)が重要であることを示している。
国家の動員能力は、同盟国にも敵対者にも決意を伝える最も重要な方法のひとつである。
ウクライナの戦場は同等またはほぼ同等の相手との21世紀の高強度戦(high-intensity twenty-first-century warfare)の憂慮すべき致死性を浮き彫りにしている。
ウクライナの戦場から得られた最も重要な観察のひとつは、緊急時に既存の欠員を補い、死傷者を補充し、兵力構成を拡大するために、以前から訓練を受けた軍事要員を豊富に保持しておくことの価値である。
米国は、現代戦の現実を直視し、将来の同様の戦争に備えて、戦略的人材層の厚みを活性化させなければならない。
今日、米軍は採用の危機に直面している。軍務に就くことを希望しているのは、軍務年齢にある米国人のわずか9%であり、軍務に就く資格があるのはわずか23%である。
現状では、志願兵だけの米陸軍は米国の抑止力を維持するのに苦労しており、この軍種は大規模戦闘作戦(LSCO)が必要とする取組みを維持することはできないだろう。
長年の「ジャスト・イン・タイム」がサプライ・チェーンを弱体化させた。
米国が将来の大規模戦闘作戦に関与する場合、戦争に関与する国々はヨーロッパ製ではなく米国製兵器を使用する可能性が高く、将来の敵が補給線を危険にさらす可能性もあるため、ウクライナのように外部からの支援が可能かは不確かである。
マイクロチップや軍需品製造のような産業で事業の継続性を確保するためには、危機時に供給を制限したり競争者に売却したり米国に対抗して技術を使用したりする可能性のある国ではなく、自国か最低でもカナダのようなアクセスしやすく信頼できる同盟国の領土内で製造能力を維持しなければならない。
より多くの米国人が防衛インフラの仕事にアクセスできるようになって初めて、米国は大規模戦闘作戦シナリオにおいて自国と同盟国の両方に必要な兵站上の能力容量を持つことになる。
自分たちで無駄にルール増やしてその処理にてんやわんやしてるマッチポンプな業務が多すぎる。
ITのこと微塵もわからないまま「とくにかく怖いから全部駄目🚫」で今時メールもロクに使えずFAX中心で仕事してたりして業務効率がクソすぎる。
偉いおじいちゃん達がデジタル承認をロクに使えないからアナログ押印でスタンプラリー未だにやってたりで本当に気が狂ってるよ。
民間企業だったらとっくに潰れてるような仕事の仕方してるから人がいくら居ても足らないし、人が辞めていく側から「情報流出を防ぐために個人情報は部長しか触れないようにしましょう。必要なときは部長に見せてもらって目コピで覚えようね」みたいなこと言い出してるし。
こんな職場で何頑張っても結局はトップ連中の無意味な保身ごっこに突き合わされるだけで社会に何の貢献もできねえ。
学生時代にしてたスマホ屋のバイトが情弱から金を毟り取るだけで人類に何の価値も産み出してない詐欺師まがいだった反動で「社会に対して何か価値を提供できる仕事につきたい。その確信を持って働きたい」と公務員になったけど、情弱共に使い方教えてその分のサービス料は意味不明なサブスクで補填するって形で社会に食い込んでるスマホ屋の方がまだマシだったかも・・・
自分が毎日頑張ってやってることのうちで何割が社会に対して本当に意味を齎しているのか考え出すと10%も無いんじゃないかって気がしてくる。
やってる仕事の大部分が自縄自縛の保全管理ゴッコでしかないんだよな。
そんでいざなにか起きたら「オラオラ地域住民のためだぞ」と言って民間企業から設備や労力を無償提供させてばかりでヤクザと何も変わらねえし。
技術担当者は技術や知識はなく「この会社の人に頼めば無償でなんかやってくれる」ということだけ知ってるだけだし、事務員達はそういうった担当者の名前を覚えているだけの電話交換手ばかり。
何の能力もなく、何の価値も生み出せず、ただただ公務員という地位を盾にして地域住民から労力を奪ってはそれに税金というブースターを取り付けて再分配してるだけ。
職業としての方向性じゃ女衒あたりと似たようなもんなんだろうね。
悲しくなる。
10年働いたけど、社会人として価値のある技術を身に着けた感覚もなければ、社会人として自慢できるような経歴もない。
本当に大失敗だ。
10年前の自分をぶん殴りたい。
今、就活やってて気の迷いで公務員受けてる子に言いたいんだけど、「今スグ公務員なんて辞めて興味のある分野の小さい会社にでも潜り込めるように就活頑張ったほうがいいよ」
10年後に後悔するから
愛というのは、過程なのだと思う。愛してるからこれこれする、プレゼントをする、優しい言葉をかける、労わる、デートに誘う、SEXする
こう長文になってしまったこと、それでも吐き出しきれないことからすると、SEXに幻想など捨てろと言う俺も、いまだになにか引きずってるのかもしれない。
確かに、脱童貞は成人式みたいなものかもしれない。今思い出すと、成人式の当日のことはほとんど全く覚えてない。町長の挨拶も、町長が誰だったかも。
成人式の準備のことばかり憶えてる。
成人式で昔の友人たちと再会するために、ダイエットした。大学入学のときのスーツが既にブカブカになっていて、二着目のスーツを買った。一度しか着なかった大学入学の時のスーツが可哀想に思った。でもそれだけ。スーツのデザインも、どんなシャツやネクタイを着たかも憶えていない。
たぶん、脱童貞もそれみたいなものなんだと思う。意味があると思えば、その時の自分には意味がある。
でも、本当の価値は、その後どれだけ憶えていられるかで決まる。あんなに思い悩んだのに、もう忘却の彼方だ。
入学式も卒業式も文化祭も成人式も結婚式も経験しなくたってなんのことはない。なのに、出られなかったことをいつまでも思い悩む。
ある女性は、貧乏な家庭環境を恨んでいて、みんなが成人式の準備で忙しい早朝、仕事に出てたことが惨めだったと吐露した。旦那さんが結婚式をしてくれなかったことも恨んでいた。生活費の大半が前妻の子の養育費に取られるのも不満をこぼしていた。他にも、父親のこと、母親のこと、兄のこと、妹のこと、色んな話を吐露した。
俺たちの心は、人生の色んなタイミングで穴をあけられる。穴を埋めようとする想いは生きる原動力でもある。趣味に没頭したり、恋愛したり、全ては心の穴を埋めるためだったりする。でも、なにをしても穴は埋まらないんだ。穴の形がわからないまま、適当なモノを差し込んでと、穴が埋まるどころか穴は広がるばかりだ。
なにを間違えたのか、彼女は素人童貞だった俺で心の穴を埋めようとした。ちんこを突っ込んで埋まるのはまんこだけだ。俺は、金目当てなんかじゃなくありのままの俺を愛してもらえた思って舞い上がった。あるとき、二人が冷静に戻り、関係は解消された。結果的に、バレずに本当によかったと思う。
童貞を悩んだ時、一度でも愛されれば、生まれ変われると思ってた。そんなことはなかった。前エントリーでも書いたとおり、愛なんて幻想だからだ。
童貞コンプレックスは素人童貞になっても解消されないし、素人童貞を捨てても解消されない。学歴コンプレックスも、貧乏コンプレックスも田舎コンプレックスも運動音痴コンプレックスも体型コンプレックスもだ。人生のうまくいかないことを、そのせいにして苦しんでるだけでしかない。
ヒトの欲に限りがなく、嫉妬にも限りがないので、どこまでいっても終わりはない。あの頃馬鹿にした連中を見返して終われるほど、人は賢くない。タワマンに住んでも低層階であることに苦しむ。ついには発狂して虎になって、溶けてバターになるまで木の周りを回り続ける。
こと、童貞に関しては、早い時期にソープに行けばなんとかなる。
ソープにいけ。
ヒトは優しくされると、他人にも優しくなれる。優しくされてくればいい。
凡人がどんぐりの背比べしてる程度の能力差だと、結局人間性が一番の要素になってくる
信頼できたり、チームを良い空気にできたり、リーダーになれたりそういう部分をコミュニケーション能力と纏めて言われてるんだろうけど
コミュニケーション能力と言っても、求められてるのは目端だけ効く小賢しい他人を出し抜くための会話力や物怖じせず他人に話しかけられる事じゃなくて性格の良さなんだと思う