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2021-08-01

知的障害者は健常者よりも犯罪加害者になりやすい?

https://anond.hatelabo.jp/20210731183707

データがない」というコメントが多いので、横からだが俺が2014年10月投稿した増田再利用させてもらう。

当時は「ケーキの切れない非行少年たち」も出版されておらず、ブコメ等でも全く反応がなかった。

今でも「知的障害者 犯罪率」で検索すると上位に表示されてしまう。間違い等があれば訂正したいので、指摘してほしい。

以下本文。

———————

反応あれば適宜追記

当座の結論

療育手帳を持たない中度・軽度の知的障害者は、健常者に比べて犯罪加害者となりやすい。

理路:

IQ70未満の知的障害者人口の2.5%ぐらい

・にも関わらず、新受刑者のうち、IQ70未満の知的障害者が占める割合は22.8%

・「測定不能」の人間を加えると、3割以上がIQ70未満。

知的障害者は、健常者の10倍以上、『受刑者』になりやす

・新受刑者のうち、IQ70未満の知的障害者が占める割合を22.8%とした場合11.5倍受刑者になりやす

・30%として16.7倍

・その大半が療育手帳を持たない、軽度・中度の知的障害者である

 ・受刑者総数に占める療育手帳所持率は0.7%にすぎない

療育手帳を持たない知的障害者犯罪率は、健常者よりもかなり高いのではないか??

反論

・「受刑者の中に知的障害者が多い理由」は

知的障害者説明が苦手

→ 自身境遇説明したり、反省の弁を述べられない

→ 情状酌量を得られない

→ 微罪でも実刑を受けてしま

ことが原因

知的障害者犯罪を犯しやすいというわけではない

反論に対する反論

知的障害者は「健常者が執行猶予を得られるような微罪での実刑が多い」ならば、

「健常者でも執行猶予の付かないような殺人等の重犯罪割合」は、「健常者よりも低くなる」はずである

しかし、知的障害者の犯したその内訳をみると重犯罪の占める割合は健常者よりも高い。

知的障害者(初入者)の犯罪の中に占める

 ・殺人割合は、健常者の2.3倍。

 ・放火割合は、健常者の5倍。

 ・強制わいせつ強姦(含む致死傷)の割合は、健常者の1.8倍。

 ・窃盗割合は、健常者の1.5倍にすぎない

仮に

知的障害者窃盗を行う割合は健常者と同程度であり

・増加分は本来執行猶予のつく微罪である

と考えたとしても、

知的障害者新規受刑者数は18%の減少にとどまる

・依然、新規受刑者の19.5%をIQ70未満の知的障害者が占める

 ・知的障害者再犯率が高く、資料によっては、前受刑者の5割近くが知的障害という記述も有り

 ・事実調査対象となった全受刑者の平均IQは80である

 ・男性でいうと、小・中卒の入所率(219.0)は,大卒(6.9)の31.8倍

(再び)当座の結論

療育手帳を持たない中度・軽度の知的障害者は、健常者に比べて犯罪加害者となりやすい。

・大半が療育手帳を所有しておらず、本来受けるべき福祉支援の手からこぼれ落ちている

療育手帳を所有しており、福祉に捕捉されている知的障害者犯罪率は低い

平成24年刑法犯の検挙件数は、約28万人(除く、自動車過失運転致死等)

平成24年推定知的障害者」数は、約320万人(1億2751万*2.5)

受刑者に占める「知的障害者」の割合と、検挙者に占める知的障害者割合が同一水準と考えるならば、

毎年約50人に1人程度の割合で、「知的障害者」が刑法犯として検挙されていることになる。(28*0.228/320)

今後の課題

療育手帳を所有し、福祉庇護下にある知的障害者犯罪率は、健常者と比べて高いわけではない

刑務所内において、受刑者療育手帳の取得と施設への入居や、支援者との接続を後押しすべきではないか

支援者の手が足りない、予算が足りない、周辺住民無理解等が今後の課題

累犯障害者が必ずしも従順ではなく、むしろ「可愛げがなく、面倒くさく、社会的能力に欠け、反社会的であることがままあるため、継続的支援を行うことが難しい

自分にできること:

現場支援者に対する有形無形の後押し

現状していること:

貧困家庭への支援を行っている団体への寄付(少額)

 ・毎月数千円程度、自動引き落とし

今後行いたいこと:

自身の専門領域における力添え(数年先になりそう)

参考資料

山本譲司累犯障害者

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AF%E7%8A%AF%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85

法務省研究部報告52「知的障害を有する犯罪者の実態処遇

http://www.moj.go.jp/content/000121755.pdf

障害福祉情報システム平成20年度厚生労働科学研究 障害保健福祉総合研究成果発表会報告書」

http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/kousei/crime/index.html

犯罪白書 平成24年

http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/59/nfm/mokuji.html

法務省矯正統計

http://www.moj.go.jp/housei/toukei/toukei_ichiran_kousei.html

データえっせい「学歴別の刑務所入所率」

http://tmaita77.blogspot.jp/2012/02/blog-post_29.html

本項の数値や結論に直接的に影響はないが、関連する書籍

新井直之「チャイルド・プア~社会を蝕む子ども貧困~」

鈴木大介「最貧困女子

鈴木大介「家のない少年たち」

杉山 登志郎「発達障害の子どもたち」

杉山 登志郎「発達障害のいま」

あれば結論が変わる資料

検挙者に占めるIQ70未満の知的障害者実数

・健常者と知的障害者の間における犯罪認知-検挙件数における差異

・健常者と知的障害者の間における検挙-実刑率の差異

2021-07-29

焦げたカレーで逆転ホームラン打ったら優勝した

カレーが焦げた。

正確に言えば火を止め忘れたのはわたしなので”焦がした”が正解だ。

カレーといえば料理界では最も焦げたら終わり料理で知られている。

あれだけのスパイスを使っているにも関わらず、焦げの匂いだけは別物のようにカレー全体に広がり、焦げの苦味もスパイスの味とは全く異なる不快しかさない。

終わった。

目の前の鍋にはなみなみに作られたカレーがある。

この暑い中、そうそキッチンなんかに立ってられるかと家族で3日分をまとめて作ったカレーが、一口も口にすることなく終わった。

いや、そんなことはない。

まだ焦げの味が広がっていない部分は無事なはずだ。

そう思って、少しでも無事なカレーを、焦げを刺激しないように別の鍋に移す。

幸い少し焦げ臭さは感じるものの、2/3程度は無事だった。

ほっと胸をなでおろす。

問題は残りの1/3だ。

このまま捨ててしまえば証拠隠滅

後ろめたささえ我慢してしまえば何事もなかったかのように日常は帰ってくる。

どうにかならないものかとネット検索してみるも、並ぶのは修復不能言葉ばかり。

焦げた部分を刺激しないように無事な部分だけを移すのはどうやら正解のようだった。

もったいないけど捨てるしかいか

そう思ったときに、突然ひらめきがあった。あれ?これならいけるんじゃね?

鍋に残るカレーを丼にうつす。

ルゥがどうしようもなく焦げた部分は仕方ないとして、焦げ付いた具材はお玉でこそいで鍋から取り出す。

ルゥが真っ黒に焦げた部分だけが鍋に残った。

焦げたカレーの入った丼を冷蔵庫に入れると、何食わぬ顔で無事だったカレーで晩ごはんの準備を始める。


カレーを焦がしてから3日目。

無事だったカレーは昨日で食べ尽くした。

今日は、焦がしてしまったカレーを使ってアレンジカレー料理を作りたいと思います

・中くらいの耐熱容器にご飯を敷きます。(お好みでバターライスケチャップライスなど)

・その上に焦げたカレーをかけます

・表面を覆うくらいとろけるチーズをのせます

・お好みでハムベーコン一口サイズカットしてのせます。(チーズの上に載せたほうが肉の焼けてる感じがあって好きです。)

オーブン、もしくはトースターに突っ込んで、表面が少し”焦げる”程度に焼き上げます

焼きカレードリアのできあがり!!

わたしカレーを焦がしたことなんぞつゆ知らぬ夫/息子「ナイスアレンジ!焦げた感じがたまらねー!!」

どう見ても優勝でした。本当にありがとうございました

2021-07-27

anond:20210727213845

死ななければ良いのか?コロナ罹患して、禿げたり、精子ができなくなったり、神経系に異常が残ったり、肺の痛みが慢性的に続いてスポーツもできない体になったりするのも問題だと思うが。その補償ってスガや増田がしてくれんの?

都内では中等症、重症の受け入れ先が飽和に近付いている。受け入れ不能になれば、あぶれた患者治療を受けられず、それによって、症状の悪化する者、死ぬ者、回復しても後遺症が残る者が増える。

デルタ株は若者への感染力も高く、ワクチンを接種していない本邦の若者リスクさらされている。

それからファクトを見ろだの言っているが、

東京都の今年7月感染者数と死者数は27日間で

感染者数26786人

死者数43人(増田の言う"30人"ではない!)

感染者数と比較した死者数の割合は約0.1605%

・第三波の感染者数と死者数については、例えば感染者数ピークが1月7日だったこから1月の1ヶ月(31日間)分をカウントした場合で、

感染者数40367人

死者数255人

感染者数と比較した死者数の割合は約0.6317%

なので、増田の言っている↓これは死者数もデタラメだし、比較の仕方もおかしいし、当然結論も間違っている。ファクトとは言い難い。

一番酷かった第3波の死者が月500人弱。

感染急拡大中7月の死者、たった30人。

致死率が10分の1以下まで下がってるわけ。



都内の中等症受け入れ病院ほぼ満床 陽性率も急速な高まり 07月27日】

新型コロナウイルスの中等症の患者を中心に受け入れている都内病院では専用病床がほぼ満床で、PC検査の陽性率も急速に高まっているということで危機感を強めています

https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20210727/1000067922.html

【埋まる東京重症病床 変異株「急速な重症化の要因?」 2021年7月21日】

新型コロナウイルス感染が急拡大している東京都で、重症病床の使用率が20日時点で52%に達し、最も深刻な「ステージ4」(感染爆発段階、50%以上)となった。今後も感染者は増えるとみられており、五輪間中に病床が逼迫(ひっぱく)する恐れも出てきた。

https://www.asahi.com/articles/ASP7P6RL4P7PULBJ006.html

英国コロナ感染が約10倍に再拡大 ワクチン接種遅れの若者中心に「デルタ株」流行 7月2日】

 イングランド公衆衛生庁(PHE)によると、デルタ株の感染力は、昨年冬から英国で猛威を振るった「アルファ株」の1・6倍。旧植民地インドと人の往来が活発な英国では、3月下旬国内確認された。

 1月上旬ピーク時には6万8000人を超えた英国の1日当たりの新規感染者数は、5月中旬には2500人前後にまで減少していた。しかしこの時期に飲食店の屋内営業解禁や娯楽施設営業再開といった規制緩和とともに感染者数は反転、6月末には2万6000人余を記録した。

 デルタ株の脅威にさらされているのは主に若者層で、英政府の6月下旬統計では新規感染者の約7割を35歳未満が占める。英国では18歳以上の成人の6割超が2回を完了したが、順番が遅い35歳未満は未接種の人が多い。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/114241

anond:20210726195557

2週前には9453人と予想していた今週分(~8月01日)の感染予測数が今回は18008人。流石に恥ずかしすぎたのか、過去予測併記を止めたね。たった二週で倍近い誤差は弁解不能だわ。

もう手書きはやめるべき

今日ガソスタで車の半年点検を受けたんだが

整備士が「次回の車検時、なんとかの部品交換しないと車検通らないけど、メーカーから取り寄せ必要から予約時一言言ってください」と言われたんだが

なんとかの部分はどうせ紙にも書いてあるだろと適当に聞き流してたんだが

家に帰ってきて紙を見てみたら、カーボンの控え用紙でかすれた文字な上に文字が汚すぎて部品名が判読不能

まあ車検予約時に「なんか部品交換必要って言われたんですけど」と言ってみるつもりだけど

もう手書きじゃなくて端末入力プリントアウトにしてほしいね

2021-07-26

anond:20210725225651

だよなあ

けっきょくコロナって震災とかと違って人間には制御不能なことだから自民が悪いって解釈になりようがないよ

冷静になってしまえばまた支持率が戻る

2021-07-25

anond:20210725204842

今、ここ日本に、そんじょそこらスポーツ万能さんが束になっても敵わないような才能と、部活動で有名な学校の生徒全員を合わせても足りないような努力量と、周囲にどんな誘惑や雑音があろうとひたむきに目標に向かって命を削る勢いで取り組むような精神力の持ち主が世界中から集まって、現時点での(下手したら歴史上の)実力世界ナンバーワンを決めようとしているわけだ。

これが興味の対象になるというのが分かんないんだよな。個人的には。

しか努力量は割と人それぞれなんじゃねって思う。なんか話題になってる数学ポスドク金メダル取った人なんて、努力量はどう考えてもその競技だけに全力を注ぎ込んだ人よりは少ないわけだし(努力密度かいう測定不能な謎概念の話をするのかもしれないが)。

あと「周囲にどんな誘惑や雑音があろうとひたむきに目標に向かって命を削る勢いで取り組む」みたいなこともよく言われるけど、その割にオリンピック選手村では大量のコンドームを配ることが慣例になってるという事実との整合性がよく分かんないんだよね。

2021-07-24

実際のところキマった状態統合失調症人間てまさにあんな感じじゃん?

あの状態モンスターが襲い掛かってきたら「全力で逃げる」か「相手が動かなくなるまで殴打し続ける」以外に助かる道ないじゃん?

それでいて相手をケガさせたり殺したりしてしまっても、健常者と同等の罪に問われない事もあるわけじゃん?

健常者が30人殺したら間違いなく吊るされるけど、統合失調症患者だと死刑にならない可能あるじゃん

そういう長年降り積もったフラストレーションがあの漫画への共感という形で噴出したわけだよ。

今後も当分の間は「対話不能無差別人間を襲撃する実在するモンスター」という、デウスエクスマキナ的なキャラクターとして統合失調症患者は便利に使われ続けるだろうね。

でもしょうがいね。これは彼らへの恐怖や忌避のものを頭ごなしに否定して封殺してきた反動からね。

2021-07-23

anond:20210723164421

一丸とならねばならない理由のほうがむしろないじゃん

すでに中止不能だろ

2021-07-22

マルクス資本論』は何を間違えた?~商品価値を決めるのは労働

 この2018年は、共産主義の父といわれる哲学者経済学者カール・マルクスの生誕200年にあたります。出生地であるドイツトリーアで記念式典が開かれ、青年時代を描いた映画が各国で公開されるなど、話題を集めています

 先月創刊した、古典・名著をマンガ化する新シリーズ講談社まんが学術文庫」の初回刊行分にも、マルクスの主著『資本論』が入りました。近代資本主義興隆する19世紀英国舞台物語が展開し、『資本論』のエッセンス解説します。若い登場人物たちのドラマは楽しめます

 けれども、原作である資本論』が不朽の古典として扱われることには抵抗を感じます。今からみれば、経済について完全に誤った考えに基づいているからです。

 たとえば「等価交換」という考えです。マンガ版ではパン屋八百屋が売れ残ったパン野菜を交換し、その交換が成り立つのは互いの商品が同等の価値を持つからだと解説されます

 何となく納得してしまうかもしれません。しかし人が物を交換するのは、相手の物が自分の物と同じ価値を持つからではありません。もしそうなら、多くの買い物客がスーパーコンビニを出たとたん店に引き返し、不良品でもないのに、買ったばかりの商品を返し、お金を取り戻そうとするはずです。同等の価値を持つことが交換の理由なら、商品お金の交換を何度繰り返しても、人は満足するはずだからです。

 しか現実にはそんなことをする人はいません。買い物客は、払ったお金よりも買った商品価値が大きいと思うからです。一方、店の主が商品を手放すのは、逆に商品よりもお金価値が大きいと思うからです。

 つまり交換が成り立つのは、同じ物(お金も物の一種です)でも人によって価値の大小が違って見えるからなのです。

 ここからわかるのは、物の価値とは、それを作るためにかかった労働量などの客観的基準で決まるのではなく、人それぞれの主観によって決まるということです。この事実1870年代、オーストリア経済学者メンガーらによって明らかにされました。経済学の歴史上、革命的な発見といわれます

 しかし、それ以前の世代に属するマルクスは旧来の考えにとらわれたままでした。1867年に全3巻のうち第1巻が出版された『資本論』は誤った古い考えによって書かれたため、つじつまの合わないおかしな主張が多いのです。「等価交換」はその一つです。

もっとおかしな主張は「剰余価値」です。マルクスは『資本論』第1巻でこう述べます商品価値はすべて労働によって生み出され、その価値どおりに市場で売買される。ところが資本家商品を売って得た代金のうち、労働者には一部を賃金として支払うだけで、原材料費などを除いた残りは利潤として自分の懐に入れてしまう。いいかえれば、労働者が生んだ価値の一部には対価を払うが、残りの価値剰余価値)には払わない。これは実質的な不払い労働であり、不当な搾取である、と。

 これは商品価値労働によって決まるという、誤った考えから出発しています。実際には、商品市場価値を決めるのは労働者の働いた量ではありません。消費者の心に基づく選択です。私たちは買い物をするとき商品製造にかかった労働量を調べたりしません。

 もしマルクスのいうように商品価値労働量で決まるなら、大規模な設備を使い人手を省く資本集約産業よりも、サービス業など人手を要する労働集約型産業のほうが利益率は高くなるはずです。しかし実際にはそのようなことはなく、長期ではあらゆる産業利益率は均一化に向かいます。ある産業利益率が他より高ければ、その産業に参入する企業が増え、価格競争が広がって利益率が低下するからです。

 マルクス自身、『資本論』第1巻でこの矛盾を認め、あとの巻で解決を示すと約束しました。ところが第1巻を出版した後、なかなか続きを出さないまま、16年後の1883年に死んでしまます

 あとを引き継いだのは盟友フリードリヒ・エンゲルスです。エンゲルスマルクスの遺した草稿をもとに、第2巻を1885年出版します。しか矛盾解決は示されませんでした。読者が不審に感じることを警戒してか、エンゲルス序文で、解決は次の第3巻で示されると予告し、経済学者たちにこんな「挑戦状」を叩きつけます。この矛盾をどう解決するかわかる者がいたら、第3巻が出版されるまでに見せてもらいたい、と。

 そこから9年後の1894年、残りの草稿やメモを取りまとめ、ついに第3巻が出版されますエンゲルスはまた序文を書き、前巻での「挑戦状」に応えて多数の論者が矛盾について論考を発表したが、どれも的外れだった――と勝ち誇ります。それでは第1巻の刊行から27年もたってようやく出版された最終巻で、マルクス矛盾をどのように解決したのでしょうか。実は、解決できなかったのです。

 第3巻でマルクスは、商品価値は投じられた労働で決まるという理論と、異なる産業利益率は均一化するという現実は「一致しないかのように見える」と改めて述べますが、その矛盾解決は示しません。その代わり、資本主義が発達した国ほど利益率の均等化が迅速に進むという現実を認めるだけです。これは結局、商品価値労働で決まるという第1巻の理論放棄したものです。

 メンガーと同じオーストリア経済学者ベームバベルクは1896年出版した著書『マルクス体系の終結』で「マルクスの第3巻は、その第1巻を否認している」と指摘し、マルクス解決でなくごまかしを示したという他の経済学者の厳しい意見同意します。第1巻で述べた剰余価値理論が間違っているなら、それに基づき展開された、資本家労働者を搾取するという主張は根拠を失いますベームバベルクは『資本論』を「カルタ札で組み立てられた家」、すなわち砂上の楼閣だと切り捨てました。

 マルクスが第2巻以降を生前出版しなかったのは、この破綻が修復不能だと気づいたからともいわれます。そうだとすれば、学者としてかろうじて誠実だったといえるでしょう。

 今の世界ではこうした経緯を無視し、マルクスを見直そうと無責任な声が高まっています欧州連合EU)のユンケル欧州委員長は記念式典に出席し「平等の実現のために力を尽くした」と功績をたたえました。

 しか20世紀社会主義諸国崩壊が示すように、破綻した論理を土台に未来を築くことはできません。マルクス話題となる今、それこそがかみしめるべき教訓のはずです。

https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXMZO3064412017052018000000

すばらしいまとめ。エンゲルス隠蔽手法は百家争鳴論を思い出す。矛盾ばかりで骨格ができていない思想だったから、虐殺国家が生まれしまったのだろう。

2021-07-21

勤行

爾時世尊從三昧安詳而起。告舍利弗。諸佛智慧甚深無量。其智慧門難解難入。一切聲聞辟支佛所不能知。所以者何。佛曾親近百千萬億無數諸佛。盡行諸佛無量道法。勇猛精進名稱普聞。成就甚深未曾有法。隨宜所説意趣難解。舍利弗。吾從成佛已來。種種因縁。種種譬喩。廣演言教。無數方便引導衆生。令離諸著。所以者何。如來方便知見波羅蜜。皆已具足。舍利弗。如來知見廣大深遠。無量無礙力無所畏。禪定解脱三昧。深入無際。成就一切未曾有法。舍利弗。如來能種種分別巧説諸法。言辭柔軟悦可衆心。舍利弗。取要言之。無量無邊未曾有法。佛悉成就。止舍利弗。不須復説。所以者何。佛所成就第一希有難解之法。唯佛與佛乃能究盡諸法實相。所謂諸法如是相。如是性。如是體。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。

自我得佛來 所經諸劫數    

    無量百千萬 億載阿僧祇    

    常説法教化 無數億衆生    

    令入於佛道 爾來無量劫    

    爲度衆生故 方便涅槃    

    而實不滅度 常住此説法    

    我常住於此 以諸神通力    

    令顛倒衆生 雖近而不見    

    衆見我滅度 廣供養舍利    

    咸皆懷戀慕 而生渇仰心    

    衆生既信伏 質直意柔軟    

    一心欲見佛 不自惜身命    

    時我及衆僧 倶出靈鷲山    

    我時語衆生 常在此不滅    

    以方便力故 現有滅不滅    

    餘國有衆生 恭敬信樂者    

    我復於彼中 爲説無上法    

    汝等不聞此 但謂我滅度    

    我見諸衆生 沒在於苦惱    

    故不爲現身 令其生渇仰    

    因其心戀慕 乃出爲説法    

    神通力如是 於阿僧祇劫    

    常在靈鷲山 及餘諸住處    

    衆生見劫盡 大火所燒時    

    我此土安隱 天人常充滿    

    園林諸堂閣 種種寶莊嚴    

    寶樹多花菓 衆生所遊樂    

    諸天撃天鼓 常作衆伎樂    

    雨曼陀羅花 散佛及大衆    

    我淨土不毀 而衆見燒盡    

    憂怖諸苦惱 如是悉充滿    

    是諸罪衆生 以惡業因縁    

    過阿僧祇劫 不聞三寶名    

    諸有修功徳 柔和質直者    

    則皆見我身 在此而説法    

    或時爲此衆 説佛壽無量    

    久乃見佛者 爲説佛難値    

    我智力如是 慧光照無量    

    壽命無數劫 久修業所得    

    汝等有智者 勿於此生疑    

    當斷令永盡 佛語實不虚    

    如醫善方便 爲治狂子故    

    實在而言死 無能虚妄    

    我亦爲世父 救諸苦患者    

    爲凡夫顛倒 實在而言滅    

    以常見我故 而生憍恣心    

    放逸著五欲 墮於惡道中    

    我常知衆生 行道不行道    

    隨應所可度 爲説種種法    

    毎自作是念 以何令衆生    

    得入無上道 速成就佛身

anond:20210721192211

原作者が「統合失調症だ」と明言しない限りは断定しないなら、主人公ハゲ理屈だって明言されてないし

医学的にも因果関係証明不能

anond:20210721103350

これは対処不能。逃げるしかない。

ていうか、増田質問に答えていないばかりか、全く見当違いで求められていないことをドヤ顔で書いてるブクマカめちゃくちゃいるのな。

anond:20210719195613

荻上です。ラジオOPで、2、3分ほどのフリートーク時間があります。僕はそこで、『ルックバック』現象について簡単に触れました。

https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496401369355

内容は、「『ルックバック』というすごく良い漫画話題になっていた。漫画クラスターなどを含めてさまざまな反響があった。「過去を振り返る」「前を向く」ことについて読み手に考えさせる作品であるが、打ちのめされたようなツイートをしている人も。詳細は、社会的出来事に関わる漫画でもあり、触れるとネタバレになりそうなため、ひとまず読んでいない方は是非」というものです。

受け止め難い理不尽出来事を前に自分を責め、「あり得たかもしれない別の世界」あるいは「イマジナリーな救済」に一時避難するが、それでもなお「自分の席」に座り直すというストーリー主人公たちが過ごした時間サイレント手法リズミカルに描くことで、読者を、他者感情解釈理解へと誘う力強い漫画だと思い、紹介しました。

ここで割愛した評の一つが、加害者キャラクター描写についてでした。サイレントでも感情が豊かに表現される主人公描写に対し、加害者悪魔化・患者化された記号として登場し、その背景は描かれません。もちろん、加害者実相主人公理解可能かどうか、あるいは物語時間の中で必要情報が取得できるかなど、物語の制約上の限界がそこにはあります。それでも、悪魔化・患者化された記号としての加害者描写は、本作がモデル漫画であるか否かに関わらず、幻聴に関連する特定の疾病群に対する偏見助長する可能性は気になりました。同様の指摘は、複数精神福祉関係者が行っています

作中では犯人像について詳しく語られておらず、あくまメディア上に提供された定型的な警察発表のみが紹介されています主人公の浸る仮想or空想世界での犯行シーンは、実際におきた風景再現にあたるものなのか、あくま警察発表などの断片情報から作られた主人公想像のものなのかは、解釈に委ねられています個人的には後者であるという理解です。そのため、作品のものが「特定の病名について断定的な描写を行なっている」というより、「定型的なメディア事件報道を描き、またそれを元にイマジナリー加害者像を作り上げる主人公を描いた」という構図だと捉えています

このような描写が、特定精神疾患群に対して、「対話不能凶悪犯罪者」であるというステレオタイプ的な読解を生み、補強しうるというのは、その通りだと思います。作中の描写が、「従来の事件報道が各種疾患へのステレオタイプ拡散してきたことの再現」であり、主人公もそのイメージトレースしているからこそです。

そのことについての批評注釈割愛し、「ひとまず読む」ことを推奨するだけでよしとした判断の背景に、疾患に対する無理解や鈍感さ、語り手としての怠慢があるのではないかと言われれば、そうなのだと思います。僕のラジオ経由で漫画を知り、漫画を読んだということは、僕の発言一定の信頼をおいてくださっていたのでしょう。それが不意打ち的に、当事者性ゆえの脅威を強く味わうことになったのは、僕の言論責任だと思います

なお一部のブクマやツリーでは、元増田氏の投稿に対して、疾病名に絡めて嘲笑するものも多くありました。そのような非難には賛同できません。また、面白い作品、読むことが強く勧められる作品であると感じたからといって(実際、「ルックバック」は優れた作品であると思います)、その作品への懸念批判を一括して否定する必要はないでしょう。優れた作品も、推敲可能性が常に検討できますし、読者との応答を通じて描写が変化することもあります。「このようなレスポンスが確かにある」ということが読み手間で交わされることもまた、作品に対する同時代的な注釈にもなります

ところで、同趣旨荻上(および杉田俊介氏)を名指しする投稿は、ツイッター上の @YANA1952 ( https://twitter.com/YANA1952 )氏のアカウントでも行われていました。追記部分では、元増田氏とツイート主は同一人物であるように読めます。実際に @YANA1952 氏は、最初増田投稿17分後に、追記とされる増田については、投稿1分後に、ツイッターでそのURLリンクしています

@YANA1952 というアカウント名には見覚えがあります。以前は「矢那やな夫」( @YANA1945 )と名乗っておられたのですが、その後「障害者雇用の働き方」という名前に変わっていました。昨夜までも同アカウント名だったのですが、今日になって、IDを @CHL1952 ( https://twitter.com/CHL1952 )に、名前を「障害者雇用で働く人」に変えられました。

IDの推移

https://idtwi.com/63462725

リネームが続いておられるので、 @YANA1952 宛、あるいは @CHL1952 宛にリプライした場合、再度リンク切れになってしま可能性があると思い、増田にてレスポンスすることにいたしました。ウェブ上のテキストのみのコミュニケーションであるため、元増田氏、ツイート主含めて、どこまでその内容が事実であるのか、その当事者性がどういうものなのか、僕にはわかりません。ただ、特定投稿の真偽や有無にかかわらず、補足・応答の必要は感じていたため、こちらに投稿したいと思います

↓本人証明のためにリンク貼っておきます

https://twitter.com/torakare/status/1417636459775811591?s=20

2021-07-20

anond:20210720165413

会話不能すぎて草

こういうやつらがVtuberとか生主とかのファンにたくさんいるから、いろんな人が引退してるんだろうな

小山田圭吾氏と「公正世界信念」と「防衛帰属」(7/19 Session #ss954)

荻上チキ・Session | TBSラジオ | 2021/07/19/月 15:30-17:50 https://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20210719160547

荻上チキ氏)

この小山田圭吾氏が過去に行っていた、いじめに関する露悪的なまぁ、発信。

1回のインタビューでぽろっと答えたということではなくて、複数回インタビューで詳細にそのいじめの中身を語って、しかも悪びれる様子がないというような様子というのは、Web上でも20年以上前からたびたび話題とはなっていたわけです。

そうしたようなことがずっと棚上げされたまま、今回オリンピックパラリンピック楽曲提供をするという風になった際に、この名前がでてきたことに対して、これは明らかにちょっとミスマッチだろうというような非難さらに盛り上がり、また今回の報道などによってその出来事、そういった発言過去にしていたということを初めて知ったという方も多くいると思うんですよね。

90年代音楽などに触れている人などにとっては、コーネリアス小山田圭吾氏というのはとてもあの馴染みのあるミュージシャンだと思うんですけれども、でも日本全体でどれだけの認知度かというと、そこはちょっと分からないところがあるので、むしろ今回の件で小山田氏を初めて知った人にしてみれば、オリンピックなどで楽曲提供しようとしていたけれども過去にとんでもない犯罪的な差別を行っていた人物だったっていう情報だけ与えられると、当然ながらそんな人物不適格でしょ、となるのはこれまた当然ということになりますよね。

この件っていうのは、過去にじゃあ行っていたいじめ加害が発覚した場合に、その人の仕事までキャンセルする必要があるのか?というような問題として理解される向きも一部あるんですけど、その問題とこの問題は別だと思うんですよね。

今回のは、過去いじめ加害というのが何かのきっかけで「発覚」した事案、ではないんです。

そうではなくて、小山田圭吾氏が繰り返し過去インタビューの中で攻撃的、露悪的な仕方でいじめ手法というものを赤裸々に語っていた、それを読んだ人たちに対して当然不快感を与えるかもしれないけれども、それを一つのエンターテイメントとして味わって欲しい、読んで欲しいという感覚文脈で内容を提供しているということになるわけですよね。

そうすると、いじめとか差別というものを軽視するような発信というものを、アーティストになってから行っていた問題ということが、ここに関わってくるわけです。

過去いじめ加害という点でいうと、国立教育政策研究所データなどだと、小学校から中学校の間にいじめ加害を行っていない児童というのは1割程度しかいないんですよね。

やはり誰かしら、何かしらのタイミングで、誰かに否定的あだ名を呼びかけたりとか、誰かを無視したりとか、誰かを叩いたりとか、そうしたようなことを一定期間行うということはしてしまうところがある。

ただそれが持続的にどこまで行うのか、何年間も行い続けるのか、ずっと行うポジションにいるのかということで見ると、どんどん数が絞られていって、継続的加害者になっていくという人はその中でもまた一部になっていくっていう状況があるわけですね。

ところがこの小山田氏の様々な発言というものは、そのいじめ文脈というものを超えた、性暴力でもあるし、障害者差別でもあるし、いろんな問題を含んでいるわけです。

インタビューの中でも紹介されている加害行為というのは(先程「たまむすび」の中でも少し紹介されたりしていましたけれども)たとえば人前でマスターベーションすることを強要するとか、あるいは女子達が見ている中でわざと服を脱がして人前を歩かせるであるとか、あるいはぐるぐる巻きにしてバックドロップをしたり、あるいはまた大便を食べさせたりとか、そうしたようなことを繰り返していたんだということを言ってるわけです。

他にも様々なダウン症児童などに対する侮蔑的発言というものを仲間内で繰り返していたことなど、いろいろなことを自ら発信されてるんですけど、インタビューの中だと(笑)とかそうしたような文言を用いて、非常に露悪的な仕方で発信されていたということになるわけですね。

こういったような事態というものは、このインタビューを読んだ人たちに対しては大変なストレスを与えることには当然なるわけですね。

なぜこれがストレスなのか、ということも改めて振り返っておきたいと思うんですけど、僕がたまに紹介している概念で「公正世界信念」という概念があります。「公正世界仮説」と呼ばれることもあります

これはどういうことかというと、「この社会というのは、正しいことをすれば報われるんだ」というような考え方、これが公正世界信念ですね。「この世界は公正にできていて、人々が適切に振る舞えば、世界はそれに応えてくれる」という一つの信念というのがあって、多くの人たちはこれを内面化しているんですね。

内面化するからこそ「努力は報われる、だから頑張ろう」というようにモチベーションを維持することができる、動機づけを保つことが出来るわけです。

逆に言えば「正しくないことをすれば懲罰を受けるよ」というような考え方でもあるので、これがまた社会から逸脱をするのではなくて適応しようというモチベーションに繋がるところがあるんですね。

良くも悪くもこういった信念を持っているという人はとても多いんだけれども、ただこういった信念が揺らぐような悪いニュースというのがしばしば飛び交ってくるわけですね。

そうすると「あれ?今起きた事件って公正世界信念を揺るがしてしまうじゃないか」誰かが例えばいじめられていた、誰かが性暴力を受けた、そうしたような、バッドニュースが入ってきた時に、人はとっても不安感を抱くわけです。

その不安感は、要は「もしかしたら自分努力しても報われないこともあるかもしれないし、気をつけていても被害に遭うかもしれない」っていうこと、ってなるとすごいストレスなんですよね。

その時に取られがちな手段が二つありまして、そのうちの一つというのが「被害非難被害者が悪いというんですね。

どういうことかというと「これは公正世界信念が揺らいだのではない、世界は変わらず公正だ、と。だけれどもあの被害者に落ち度があったから、あの被害者は適切に努力してなかったからそうした目に遭ったんだ、つまり過去に正しくない事をしていたからその懲罰として被害にあっただけなんですよ」っていうふうに矮小化をする。

こういったような仕方で、貧困当事者を叩いたり、被災した方を叩いたり、性暴力被害にあったことを叩いたりということで、むしろ弱者を叩くっていう方向で解消しようとしてしまうのも、公正世界信念のもたらす現象なんですね。

でも、同じく公正世界信念が揺らぎそうになった時に起きがちな方略のもう一つが「加害者に対するバッシング加害者に対する過剰な懲罰や"悪魔化"ということになるわけです。

要は加害者に対して因果応報というものをもたらしたい、因果応報をもたらすことによって、このモヤモヤした感覚をなんとか治めたい、って感じるものなんですね。

この感覚のものはとても重要ではあるんだけれども、場合によっては「加害者がまだ謝ってないじゃないか加害者はきっともっと碌でもない奴だ」っていうことで、悪魔のような存在として描かれるようなことがあって、そうなるとどう対処してもこの信念が回復されないっていうことになってしまうわけです。加害者がどれだけ謝罪をしても、なかなか対処が困難だということにもなりうるわけですね。

一般的にこうした公正世界信念というものは、人々にとても重要動機づけを与えるし、社会適応しようという努力を与えるものではあるけども、しばしばそれがコントロール不能攻撃に向かうような側面というのも当然あるわけです。

ただ、こうしたような「被害非難」とか「加害者非難」が全部悪いのかというと、そう単純に語れないというところもあるんですね。

加害者非難」などに通じることによって、一定の抑止効果かいうのを社会拡散したいという人もいるでしょう。いろんな動機がそこにあるわけなんです。

今回の件についてはどうなのかというと、明らかにやっぱり小山田氏が発言していたことが明らかになったら、大変多くの人達不愉快に思うし、また非常にこの世界を不公正だという絶望感を味わうことになる。だから何かしらな仕方で公正さを回復したいと思う。ここまではもう多くの人たちの望むところだと思うんです。

ではその回復手段がどうすればいいのかというと、今回のようなケースって、回復手段ほとんど難しいんですね。

例えばすでに被害を受けていた当事者はいて、その人はその後いろんな後遺症とか様々なものを味わって生きてきたかもしれない、それを例えば今更謝罪たからといって回復できるとは限らない、つまり加害者被害者に謝罪をすればそれで治まるような案件ではどうも無さそうということも分かっている。

一方で社会に対して、多くのこの不公正があったことについて、あるいは不公正があるということをアーティストとして発信したことについて謝罪すればそれで治まるのかというと、なかなか治まらないでしょう。

少なくともパラスポーツとかオリンピックなどのテーマソングを書くという役割は適任ではないということは言えると思うんですね。

一方で別に小山田圭吾氏に今後ミュージシャンとして二度と活動をするな、みたいなことを言ってるわけではない。

そこはあの今後どういう風にやって行くのか、今後小山田氏の振る舞いとか応答責任を通じて、多くの人たちが「なるほど、まあそう言うんだったら」という風に安全感覚を取り戻せるかどうかにかかっています

から今回のペライチで出した謝罪文で多くの人達が納得できるというわけでは当然無いわけなので、今後の様々な発信において、その問題にどう取り組んでいくのか、どう向き合っていくのか、その姿勢を見せ続けることによって、人々の「加害者避難」でも「被害非難」でもない、ある種の「修復的公正」と言うんですけど、公正感覚修正されていくというか、取り戻されている感覚というものを、ひとりの発信者としてもたらすことができるかどうか、それが小山田氏に問われてるポイントひとつになるわけなんですよね。

で、これはとても難しいことではあるんだけれども、アーティストとしていじめ加害の手法などについて露悪的に語って、それが障害者差別などをさら助長して、なおかつ多くのいじめ被害者に対しても二次加害をインタビューを通じて行った、という点について、同じアーティストとしてどういう風にその後自分責任を取るのかということはこれからも出てくると思うんです。

から今回テーマソングを作るか作らないか、これは作らない方がいいと思います。そしてその仕事を降りた方がいいでしょう。

ただその後二度と活動するなという話ではなくて、それに対して活動者としてどういう風に向き合っていくのかということを多くの人たちが見ていきますよ、ということに応答責任というのが出てくるということになるわけですね。

これ、見ている側もやってはいけないのは、「防衛帰属」という言葉があるんですけど、何かの問題をどこに帰属させるか、どこに責任所在をおくかっていうのが、その人達の考える倫理観とか道徳観とは別に、その人の考える将来の損得で左右されるところがあるんです。

例えば今回小山田氏を擁護してる人がいるんですね。たとえば「そんな過去の話」とか「その当時はいじめを露悪的に語るのが当然だったんだ」みたいな仕方で擁護する人たちがいる。

それを見ると、結構典型的な「防衛帰属」だなって思うわけです。

どういうことかというと「彼が悪いことになると、自分も悪いことにさせられてしま可能性がある。だから『彼が悪くない』っていう風に言うことによって、自分が叩かれるリスクを下げたい」。つまり自分防衛するために、責任所在を「彼ではない」「ここではない」「そこではない」というふうに位置づけたがるということなんですね。

そういうふうに、どこに責任帰属させるのかっていうようなこと自体が、人々にとって損得を左右されるような問題になってるわけです。

からネット上などでも、実はその、小山田氏のあり方というもの擁護する声というのも、まちまちあって、しばしばあって、そうしたかたちを見ると、たぶんその自分の振る舞いとか、自分メディアの振る舞いとか、90年代表現かいものまで堀り返されると問題だなっていう風に思われると色々発表がしにくくなるとか、そうしたようなことが場合によっては関わってくる可能性もあるわけですね。

そういうような「防衛帰属」を繰り返していると、結局、今回どうすればいいのかっていう議論が前に進まないことになるんですよ。

そうして「自分が叩かれたくないから、この人は擁護しとこう」みたいな損得勘定議論されてしまうと、結局、「被害感情にはどうすればいいの?」とか「こういったものを再発しないためにはどうすればいいの?」っていう議論が出てこないことになるんですね

ちょっと遠回りした言い方になりましたけれども、今回インタビューによって多くの人たちが非常に不公平世界だっていう感覚を突きつけられた、それに対してなんとか回復したいっていう強烈な動機に突き動かされているという状況がある。

それをやったのは何かの暴露とかではなくてミュージシャン本人のインタビューの中での発言だったから、ミュージシャン本人として今後の発信などでどう応答するのかということは当然問われてくるだろうと。

それが行われてない現段階においては、このオリパラテーマソングを受けるというのは不適格だことに当然判断されることにはなるだろう、と思うわけですね。

ではその後どうするのか。

これ一朝一夕に本人が反省しましたって言って何とかする話ではないでしょうし、反省云々ということするためには基礎知識かいろんなことが必要になりますよね。

どう誤っていたのかを言語化できないと、応答はできないということになるので、今回の本人のメッセージ云々でおそらくなかなか納得しがたいようなところがある中で、どうそれに向き合っていくのかということが問われていくのかな、という風には思います

いろんなものを浮き彫りにした一件でもありますよね。

80年代90年代当時というのは、特にいじめ対策というものは今より脆弱でした。今は随分といじめ対策で、科学的に何が必要なのかということもわかってきました。

今回、多くのメディアがこのいじめ問題を取り扱うのであれば、いじめ対策として今どういった知見がより重要で、よりどういった教育こそが必要なのか、という話も、いろんな現場に広げてきてほしいなと思います

anond:20210720144414

あれ、不気味で対話不能で怖いと感じるか哀れ(ちょっと違う、なんだろ、同類、対岸、うまく言えない)と感じるかは、公私問わず創作で悩んだことがあるかに依存するのではないかちょっと思ってる

公言すると創作者偉い言説ととられてしまうので言えないのだが

小山田圭吾氏は息子米呂のSNS炎上から自分したことを学んでほしい

小山田圭吾の息子・小山田米呂さん、父のいじめ問題によりSNSコメント欄が大荒れに

https://quick-timez.com/2021/07/19/oyamadamusuko9202/

  

まず前提として小山田圭吾氏の過去いじめと、それに関する言及炎上している。

炎上小山田氏の息子米呂氏のSNSにも及んでいる。

  

イジメっ子「小山田圭吾」の謝罪に不可解な点 当時の学校運営に不満だったという証言

https://news.yahoo.co.jp/articles/2610688114c5564b44563778306c88002519ecc3?page=2

  

>「全裸にしてグルグルにひもを巻いてオナニーさしてさ。ウンコ喰わしたりさ。ウンコ喰わした上にバックドロップしたりさ」(「ロッキング・オン・ジャパン」)

  

イジメ内容については非難は仕方がないと思う。

特に障がい者に対してのイジメであり、私は弁護するつもりはない。

  

ここで私が述べたいのは被害者が「障がいという本人には責任がなく、改善不能なことを理由に、理不尽暴力」に晒されていた点である

本人にとって改善不能な障がいを理由に、理不尽暴力を与えたことは正当化されるべきではない。

しかしそれを小山田氏はそれを行い、さら過去ヤンチャ自慢の感覚で広く公言してしまった。

  

次に息子氏についてである

  

父親のしでかしたことが全国レベル炎上している。

彼にとって「小山田圭吾の息子」というラベルは本人の努力で外せるものではない。

今後は「「あの五輪小山田圭吾」の息子」というラベルになるかもしれないが。

そして息子米呂氏は現在進行形で「父親過去所業という、本人には責任がなく、改善不能なことを理由に、理不尽暴力」に晒されている。

彼は20歳の大学生で、将来もある存在である。いや存在「だった」。

もうすぐ就職活動シーズンのはずだが、世間が忘れるには時間が足りないだろう。

まあ米呂氏は米呂氏なりに、親のコネを活かして活躍するという選択肢もあるだろうが、とにかく選択肢は狭まってしまった。

心にももしかしたら傷を負っているかもしれない。

  

今の小山田圭吾氏は地位名誉金銭も持っている人間であり、「既に持っている人間であるから今更世間庶民に何を言われようと答えないかもしれない。

叩かれたところでしばらくおとなしくしていればいいと考えているかもしれない。

  

しか血縁関係にある息子が理不尽暴力さらされればまた別の心の痛みを感じるかもしれない。

ぜひその点から自分いじめ障がい者の親御さんの気持ちに立って考えてほしい。

学生時代のことで、52歳の小山田氏にとっては「とっくに終わったこと」だと思っていたかもしれないが、現在20歳の息子米呂氏のことならまた違う感覚で見られるかもしれない。

  

米呂氏への仕打ちのことも、米呂氏への加害者側がもしかしたら炎上して30年以上経った後に「直接会って謝罪したい」「謝罪して撤回する」と言ってくれるかもしれない。

30年経ったら小山田圭吾氏は87歳。米呂氏は50歳になるわけだが。

小山田圭吾氏は30年以上経ってから謝ってもセーフだと思っていたのだから自分がそうされてもきっと許してくれるだろう。でないと筋が通らないわけだし。

  

小山田圭吾氏は自分いじめ相手とその親御さんが今どういう思いでいるかを考えるいい機会なのではなかろうか。

小山田圭吾氏は息子米呂のSNS炎上から自分したことを学んでほしい

小山田圭吾の息子・小山田米呂さん、父のいじめ問題によりSNSコメント欄が大荒れに

https://quick-timez.com/2021/07/19/oyamadamusuko9202/

  

まず前提として小山田圭吾氏の過去いじめと、それに関する言及炎上している。

炎上小山田氏の息子米呂氏のSNSにも及んでいる。

  

イジメっ子「小山田圭吾」の謝罪に不可解な点 当時の学校運営に不満だったという証言

https://news.yahoo.co.jp/articles/2610688114c5564b44563778306c88002519ecc3?page=2

  

>「全裸にしてグルグルにひもを巻いてオナニーさしてさ。ウンコ喰わしたりさ。ウンコ喰わした上にバックドロップしたりさ」(「ロッキング・オン・ジャパン」)

  

イジメ内容については非難は仕方がないと思う。

特に障がい者に対してのイジメであり、私は弁護するつもりはない。

  

ここで私が述べたいのは被害者が「障がいという本人には責任がなく、改善不能なことを理由に、理不尽暴力」に晒されていた点である

本人にとって改善不能な障がいを理由に、理不尽暴力を与えたことは正当化されるべきではない。

しかしそれを小山田氏はそれを行い、さら過去ヤンチャ自慢の感覚で広く公言してしまった。

  

次に息子氏についてである

  

父親のしでかしたことが全国レベル炎上している。

彼にとって「小山田圭吾の息子」というラベルは本人の努力で外せるものではない。

今後は「「あの五輪小山田圭吾」の息子」というラベルになるかもしれないが。

そして息子米呂氏は現在進行形で「父親過去所業という、本人には責任がなく、改善不能なことを理由に、理不尽暴力」に晒されている。

彼は20歳の大学生で、将来もある存在である。いや存在「だった」。

もうすぐ就職活動シーズンのはずだが、世間が忘れるには時間が足りないだろう。

まあ米呂氏は米呂氏なりに、親のコネを活かして活躍するという選択肢もあるだろうが、とにかく選択肢は狭まってしまった。

心にももしかしたら傷を負っているかもしれない。

  

今の小山田圭吾氏は地位名誉金銭も持っている人間であり、「既に持っている人間であるから今更世間庶民に何を言われようと答えないかもしれない。

叩かれたところでしばらくおとなしくしていればいいと考えているかもしれない。

  

しか血縁関係にある息子が理不尽暴力さらされればまた別の心の痛みを感じるかもしれない。

ぜひその点から自分いじめ障がい者の親御さんの気持ちに立って考えてほしい。

学生時代のことで、52歳の小山田氏にとっては「とっくに終わったこと」だと思っていたかもしれないが、現在20歳の息子米呂氏のことならまた違う感覚で見られるかもしれない。

  

米呂氏への仕打ちのことも、米呂氏への加害者側がもしかしたら炎上して30年以上経った後に「直接会って謝罪したい」「謝罪して撤回する」と言ってくれるかもしれない。

30年経ったら小山田圭吾氏は87歳。米呂氏は50歳になるわけだが。

小山田圭吾氏は30年以上経ってから謝ってもセーフだと思っていたのだから自分がそうされてもきっと許してくれるだろう。でないと筋が通らないわけだし。

  

小山田圭吾氏は自分いじめ相手とその親御さんが今どういう思いでいるかを考えるいい機会なのではなかろうか。

2021-07-19

anond:20210719214131

あれを狂った対話不能モンスターとして描くのは、安易である可能性と、全部わかって一周回ってる可能性と、どっちもあるんだけど、一周回ってる説をおしたい

あの感情から派生した間違った認識)は、やはり理性とは別のモンスターだと思うなあ

あいつは俺のものを盗んだんだ、という思いは、話し合いではどうにも、ならない

anond:20210718190345

たぶん小山田圭吾関係ない

あれが何であってもそういう過去があれば不特定多数の直接的に支持者でないものまで支持に回らねばならない公の場にでると批判は出るのは当然

アイコンとして人物をだすためには必要な脚色と不必要過去隠蔽があるべきであれは人選がもともと間違ってる

ただ便利なのが人選の間違いを人事の間違いといわれずアイコン責任なすりつけることができるところ

顔がみえない運営よりも顔の見えてる代弁者を殴るのはクレーマーの当然の成り行き

店舗運営について現金で殴りつけるのが不満の解消としては実質実体効果があるにもかかわらずバイト店員土下座をさせる

当然の帰着である

見えている不満点についてみえていない原因を偏差射撃できるような人間はいない みえている的を一生懸命叩き続ける

本当に失敗したと思ったのならあれを一旦引き下げて代替品の押しも押されぬ謎バンドを出すべきだろう

なぜそうしないのか まともにオリパラの話をすると肯定できない人間が多すぎる

オリパラでもなんでも程度になにも情勢を理解しておらず失うものもとくにない音楽関係者にオファーを出すにしても

もとよりリサーチ対象外のそんなところにだれも伝手がない

この要素を理解している企画者がいれば乗り気な人間はまともな思考をしてないのでおかしなことをする

というかもとよりオリパラに名乗りをあげるアーティストアートとかまともな気がしないはず

ではそいつごり押しねじ込んでやってのけるか となると時間で押すしかない もう替えが効かないのでと言い訳をする

これは下の下で小学生でも思いつく方法だ とはいえ実際にそうなっているので如何ともしがたい

ただ小山田圭吾耐久性を信じるだけだ

もうすこしまともな神経があれば小山田圭吾を使うにしても あとから自分担当だったと自慢してもらってかまわないが

いまは覆面プロデューサーとして新規の使いつぶせる未完成開拓中のアイドルをつかってグループプロデュースしてもらう

そういう方法もあったはず

今後の活躍はその裏のネタがばれて崩壊する危険性をはらみつつ運用はできないのでワンオフでも出たいなにかになりたいという

アイドルたまごはたくさんいるだろう

すこし考えれば素人でも考え付くそんな方法選択せずにアイコン総叩きでねじこんでおわらせたら形だけはなんとかなるだろうという

企画にGOを出したのは相当に小山田圭吾を恨んでいる人間か もしくは人間のもの消しゴムかなにかとしかおもってない人間だろう

小山田圭吾自身がおこなった非道な行いは到底許されるものではない それは犯罪全般にもいえるだろう

それらの人間にはチャンスはないのか といわれるともちろんある ただそこではないだけだ

男子禁制女人禁制 関係者以外立ち入り禁止 免許がなければできない行為 それらは差別なのか もちろん差別ではない

性別身体的特徴は選んで生まれてきたわけではない それを区別するのは差別だ そういいたい気持ちもわかる

だが性別の特徴をどちらかにもっている人間は どちらかから回避不能攻撃を受けることがある それを守るためには敵を遠ざける必要がある

おまえがでていけということではない 敵をとおざけるという意味区別をするのだ

クスリをやって逮捕されたアーティスト交通事故で人をひき殺したことがある演出家舞台セットや美術プロモーションやその他もろもろ

犯罪をしてしまったものや巻き込まれものもいるだろう

それらはそれらを受け入れてもらえる環境を選ぶべきだ 自身攻撃され被害をうけないために

今回はそれが足りなった 小山田圭吾日光に弱いのに日の下にさらされたのと同じ だれがそこに引っ張り出したのかという事だ

小山田圭吾自体は日の光によわいとして それが日の光を克服するにはどうしたらいいか なんてことをどれだけ議論しても解決するわけがない

ただの人体実験をしているだけだ 本人と医学進歩のためにみたいなことを言いながら不死身の吸血鬼拷問にかけて研究と称しているようなもの

おわりはない

実際にこの問題解決するために必要なのはこの企画とともに死んでもいい音楽生命危機に陥る可能性があるこの大会

名乗りを上げてくれる実務関係者だろう

そんなアーティストがいない やるからにはやらせてもらうという音楽バカみたいな人間がいない

手札で一番名前がうれていたのが小山田圭吾だったのかもしれないし 普段から恨んでいて日の下で死ねと思われていたのかもしれない

しろそっちのほうがこの引き際の悪さを納得させる

最近ひろゆきの話もそうだが場違いな晴れ舞台デビューをしてなにもかも足りていないことを晒され恥をかいて退場というのは

企画力の低下かセルフプロデュース一般化 蔓延象徴のように感じる

とりあえず小山田圭吾の5文字が出ている全てについて 許容層以外のすべては攻撃的になることは確実なので

それを下げるのが一番のはず

なぜそれをしないのか できないのか

どの層から攻撃を受けても防げるアイコン大衆の目の前にかざして本体へのダメージを軽減させる

そんな企画必要なことくらいだれでもわかるはず それができない状況という組織体の内部は一体どうなっているのか

とりあえず小山田圭吾には自分の居場所に帰っていい感じにやっててもらったらと思う

オリパラに期待したりそういう場の質や気品を気にする連中がこない地下のそういう奴らのドレスコードがあるクラブにいれば

上品な連中はわざわざ下水に降りてきて指導したりしないもの

もしお上品な連中が現場に降りてきたら逆におなじしぐさを返してやればいいだけの話

小山田圭吾がどこまで といわれたらもう出てきませんと言うまでだろう

いつまでかといわれたら小山田圭吾降板するまでだろう

だれが彼をそこにずっと立たせているのか それが問題

2021-07-15

「このタスク、進捗率〇〇%」

ってのが苦手。自分仕事をどこまで進んだのかなんてわかるわけがない

全部できかけたと思いきや、数値が間違ってて全部やり直しとかになったら測定不能だし

2021-07-14

バスを用意しなくても児童らが安全に徒歩通学する方法がある

紐で車止めを引きずりながら登下校すればよい

車にしたってタイヤが車止めの上に乗っかって制御不能大事故になるかもと思ったら減速するだろ

2021-07-13

家の蛇口「ジョボボーボ・ジョーボボ

どうしたらいい?

まるで老人の尿もれのように、予測不能絶対不可避にジョボボビッチ

水を使った直後にジョボルのならば理解可能それはパッキンの死。

我が家の暴れん坊は一味違う。

やつに法則存在しない。

突然のジョボボはいだって大さじ5杯分でしか唐突

かれこれ1時間はひねっていないはずの蛇口から唐突にジョボボボ。

さっきまで一滴のお漏らしもなかったアイツが突然ジョボボをジョボらせる。

亡霊のジョボボ、どこに潜むのか。

水道屋を呼んで解決するのか?

パッキンの劣化で終わるのか。

はたまた浄水器が壊れたのか。

いやそれはない。

浄水器が壊れただけなら固く閉じられた蛇口から制限にジョボれるはずがない。

敵はたしか蛇口の奥に潜む。

何が起きている?

危険前触れか?

失明危機のごとく早めの119番が正解なのか。

だが待ってくれ水道屋を呼んでも結局何もなかったら俺の2万円は虚無へと消える。

逃げ切ろう。

どうせあと3年もいればまた転勤だ。

転勤のその日まで逃げ切るのだ。

1日にコップ1杯分ジョボボるのだとしてせいぜい一月で風呂一回分もないだろう。

となれば100円もしない。

年に1000円程度。

3年で3000円。

俺は負けない。

ジョボボよ、俺は絶対にお前に負けない。

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