はてなキーワード: スタンスとは
女性とコミニケーションするときは性欲解消を目的としたコミニケーションしかできない。
セックスのしたい女性としか会話しないしメッセージを送ったりして仲良くなろうとしない。
仲良くなる=セックスだし、それ以外はありえない。
会社では同期ともセックスしたし、先輩ともしたし、バイトもしたし、クライアントともした。
もちろん、誰とも付き合っていないし、最初からチャライキャラを演出して、セックスがしたいだけなんですよって言うスタンスで接している。
とにかくセックスがしたいだけ。ただしたいだけ。ずっと自分のことを女性が好きだと思っていたけれど、ひょっとしたら違うのかもしれない。
人生で1番好きだった人にとっては、自分に好意を向けていてくれるから友達にしてあげるのやぶさかではない。
自分への好意は既に失われて、他の人(OKしてくれた人)に好意が向けられたのだと悟ったら、
それに、
OKしてくれた人「この人誰?」
OKしてくれた人「なんでLINEで繋がってるの?」
第8回シンデレラガールズ総選挙中間発表で夢見りあむが3位だった。私は、シンデレラガールズ総選挙は私が考えていたルールで動いてはいなかったんだと本当に思わされた。
夢見りあむは人間の弱さ、悪く言えばクズさを全部持ったままアイドルになり、「やむ」や「ぼくをすこれ!」や「ちやほやされたい」や「オタクちょろいな」など強烈なインパクトとともに常に話題になり続けた。炎上をも辞さない愛され欲求が、何をやらかしてもそれを燃料にして自分の存在をアピールする。すこられたい、ほめられたい、でも努力は嫌だ……正直アイドルを舐めてるような言動だ。でもりあむは、その言動が話題にされることで、知名度という養分を得て、さらにでかくなる。ついでに言うと、乳もでかい。それも人気のひとつの理由だと思う。
第7回シンデレラガールズ総選挙で、私は安部菜々に投票した。そして、安部菜々がシンデレラガールの称号を勝ち取った。安部菜々は下積み時代が長く、挫折すれすれになりながらも努力と自分の夢を信じてアイドルを続け、ついにトップに上りつめたのだ。私は安部菜々の勝利を、平成の最後に人々からもっとも支持された物語の勝利なのだと思っていた。世界は努力と誠実が報われるべきものだという人々の無意識がこの結果を生んだのだと思い込んでいた。
でも、違ったのだ。私が一人、報われるべきアイドルとして安部菜々に投票していた裏に、全然違うルールで投票している人たちがいて、彼らが圧倒的大多数なのだ。
菜々Pの選挙戦術は、別に彼女のシンデレラストーリーを積極的に広めるものではなかった。ニコニコ動画発のBMBBの勢いを基礎に持ちながら、ウサミン豆腐やドデカミンをモンダミンなど、奇抜だが楽しそうな言動でひたすら注目を集め続けた。そして、あわよくば彼女のストーリーにも触れてくださいねというスタンスだった。私は彼らと親しくなかったし、選挙戦術として邪道だとずっと思っていたので、無視して黙々と投票し、一人で上記のような安部菜々のシンデレラストーリーの勝利を信じていた。でも、そんなわけなかったのだ。
関Pが楽園で泣く話をよく目にする。でも、そのくらい1人のアイドルに思い入れを持つ濃いPは、本当はどれくらいいるのだろう。ツイッターでまでアイドルの話をするのは、それだけで濃いということを普段私達は忘れがちだ。実のところ100人に1人もいれば、多いくらいなのではないのだろうか。大多数はきっと、総選挙と言われても、この子もあの子も可愛くて、誰に投票しようか迷っている。
人間は利用可能性ヒューリスティックというものを持っていると、最近知った。これはざっくりいうと、人間は考慮する要素が多すぎて決められない選択を前にすると、頭にすぐ浮かぶ選択肢を選んでしまうように出来ている、というものだ。総選挙の投票先なんて、どの子もみんな可愛くて、好きな性格、好きな容姿、好きな曲、好きなイベント、好きなCP、アイドルになるまでの物語……と考えるべき要素が多すぎる。しかし真剣に考えれば考えるほど、投票先が決められなくなり、とうとう訪れた投票すべき最後のタイミングで、利用可能性ヒューリスティックによって頭に浮かんだアイドルに投票することになる。利用可能性ヒューリスティックはまさに、決められないものを決めるために存在する無意識の働きなのだから。
夢見りあむの票は、りあむの性格から生まれる炎上的拡散によって、すさまじい量の人の頭に利用可能性ヒューリスティックが働くことによって得られたものだと思う。そうとしか考えられない。彼女がシンデレラガールになることで生まれる尊い物語はどこにも存在しないのだから。あるとしたら、ぽっと出のアイドルなめたような女の子がいきなりシンデレラガールになって、努力とか誠実とかの美しい物語がまさに馬鹿馬鹿しいおとぎ話に成り下がってしまうという、負のカタルシスだけだ。そしてこのカタルシスは、いままさにシンデレラガールズに実現しようとしている危機なのだと真剣に思い、それを強く危惧する方々もたくさんいることと思う。しかし、私は気づいてしまったのだ。そんなことは去年のシンデレラガールが選ばれた時点で、とっくの昔に実現していたのだと。夢見りあむは、それをあからさまにしてしまっただけなのだ。
ウサミン豆腐もドデカミンもBE MY BABYも、ひたすらアイドルをを面白いネタにして不特定多数に提供し、記憶に残させ、利用可能性ヒューリスティックによって投票へ導く、それだけの戦術だ。アイドルの物語も担当P一人一人の努力も関係ない、必要なのは多数に広がること、面白いネタであることだけ。利用可能性ヒューリスティックが働く人の頭数を増やせばいいだけなのだ。ウサミンが地下劇場でいろいろ悩んだりしながら長年苦労して苦労してアイドルを続けた話なんて、ネタにならないならいらない。そもそも大多数の人間は、長い文章を読むのが嫌いなのだ(ついでに言うと、利用可能性ヒューリスティックは、複雑な情報処理を避けるためにあるのだ)。
ボイス付き新アイドルは、デレステを炎上させた。その理由としてたくさん見られたのは、自分達の担当アイドルは報われてないのに彼女らだけ総選挙抜きにしてボイスに楽曲に恵まれているというものだった。でも、ここまで読んでもらえば分かる通り、この批判は的外れなのだ。ただの担当の努力は、総選挙では絶対報われない。順位にならない。ボイスなんてつくわけない。報われるのは、大衆受けする面白いネタ、単純で頭に残るキャッチフレーズだけ。あなたが作った長文ぎっしりエモさ満載のダイマは読まれず無視されて、アーティストの顔をアイドルにすげ替えただけのクソコラ画像が何千リツイートされる。総選挙は、担当を自分達の努力で人気にする、アイドルにシンデレラの魔法をかける場なんかでは全くない。アイドルをネタとして料理して大衆に差し出し、美味しく食べてもらう場だ。安部菜々が私に残していた幻想は、夢見りあむが完全に破壊した。シンデレラガールズは、担当の地道な努力が報われるコンテンツなんかじゃ全くない。このことを無視した批判は、読むに値しない。
第8回シンデレラガールズ総選挙の中間発表で、安部菜々の名はなかった。私は最初ショックだったけど、でも本当は当たり前で、ただ私が事実を直視していないだけだった。ネタの賞味期限が切れたし、そもそもネタが提供されていない以上、投票なんてされるはずがない。安部菜々のストーリーに感極まって投票している人間なんて、本当はごくわずかしかいないのだ。そもそもアイドルそれぞれのシンデレラストーリーに、優劣なんてない。
本田未央が勝とうが北条加蓮が勝とうが、もう別に興味がなくなった。未央がアニメで経た成長も、チャンネルで見せた人に寄り添う優しさも、加蓮が病弱で人生に希望を持てていなかったことも、あなたが育てたアイドルであっても、そんなことは総選挙には無関係だ。未央はシンデレラガールズを支えてきたニュージェネ最後の1人ってだけの圧倒的知名度で第8回シンデレラガールを取り、加蓮はライブでアガる人気曲複数持ちに恵まれた容姿、ポテトキャラによる親しみなんかで上位を維持し、あるなら第9回の総選挙でシンデレラガールをとるだろう。彼女らが上位なのは知名度がりあむより上というだけのことで、それ以上の理由はない。
ナターリアPはスネークで票を伸ばした。浅利七海は過去に合作もあって、今はアーロンにも助けを借りているようだ。工藤忍Pは名探偵コナンをネタにしながら進めている。私はこの戦略が結果を出すものとして正しいと思う。今年駄目でも、来年も同じように続ければきっと報われる。的場梨沙が伸びていないのは、担当をネタにできていないからだと心底思う。面白いことをして大量に拡散すること。圧倒的量だけが正義だ。
最後に繰り返すが、シンデレラガールズ総選挙は担当の良さを担当Pがいかに広めるかを競うものなんかじゃ、ましてアイドルのエモさや美しい物語を人々に知ってもらい、その優劣で勝利が決まるイベントなんかじゃ断じてない。最初からそんなイベントじゃなかった。アイドルにふさわしいだのなんだのそんな一人一人の設定への言及には意味がない。ただいかに爆発力のある拡散ができるか、面白いネタになるか、それだけだ。夢見りあむは許すも許さないもなくて、総選挙の真実を直視させるだけの、評判通りの炎上アイドルだ。彼女は、努力が報われるみたいな美しい世界は人々の妄想の中にしか存在しないことを私達に教えてくれる、素晴らしいアイドルなのだ。
追記:ブログにほぼ同じ文章を書きましたが、こっちにも載せておきます。
va1111
そもそも社会は万人に向けて作られているため、誰もがある程度居心地よく過ごせるが、同時に我慢せざるをえない不満もついてくる。
だから、社会に不満のない人間なんて、リア充でもオタクでも政治家でも、ほぼいない。
その上で、たぶん社会適応しやすい人間は、社会に何の不満も持たない人間ではない。それは存在しないから。
向いているのは、社会にある程度の不満を感じるので、そこから抜け出そう、いっそ自分たちで変えていこうと思えて、そして志を共にする仲間もいる、みたいな人間だと思われる。
親や先生の言うことに従順に頭を下げて生きてきましたというタイプは義務教育レベルでは褒められるが、就活ではあまり求められないというのはよく知られている。
就活では、ある程度の礼儀は保ちつつ、変えていきたい若さや情熱、チャレンジ精神のあるものが評価される。だから海外経験などが評価される……いわばそれは「冒険」の経験なわけだ。
そして、ワンピースの善玉の海賊は、反社会的略奪者というより冒険者に近い。
夢や理想に向けて、仲間を集め、強い絆で結ばれ、仁義を通し、苦難に立ち向かい世界を変えていく。
これはまるでベンチャー企業だ。
だからワンピの仲間コマ好き達は、起業して社会を生きていく、またはベンチャー的な積極的人材をとりたい企業に採用されて、社会でやっていける。
あるいは普通のサラリーマンや無職になってしまっても、密な仲間関係があるから、支え合ったり気晴らしをしたりして、腐らず社会とわたりあっていける。
だがワンピ好き達は、「厳しい社会の荒波をこえていく俺ら気の合う仲間たち」というスタンスで戦っていけるし、それがうまく社会に適応するということだ。
陰気なオタクは、荒波に立ち向かう気力もなく、陰口をたたきあえる程度の友達はいても極限状態で信頼しあえるわけでもなく、社会や人生と正面から対峙することに半笑いを浮かべてしまうわけで、これは適応できていない。
起業したり勉強会したり冠婚葬祭とか出産祝いとかやってるような集団と、シェアハウスに引きこもってるような集団では、同じ集団でも違う。
ちなみに、完全に社会に馴染めず、反社会的な方向に行って犯罪とか犯罪まがいの行為で生き延びてる若者もいるし、
その層もあの仲間のコマが好きな人たちも結構いるかもしれないが、それは陰気オタクとは接点が薄くて、彼らが「ワンピの仲間のコマ好きだわ」と言ってる姿が目に付くことは少ないのでこの場合は問題としない。
「ご恵贈頂きました」という類いの呟きに寄せた郡さんの「呟き」は、書物を出版するという行為を人脈作りのように扱うことへの反感をこめたものだ。その底流にあるのは、書物という存在に対する畏れ、敬意、尊重するという「しぐさ」であり、それが彼の出版人としてのスタンスの根本に関わる問題であることが伺える。
一方で「その呟きを批判することが自由な言論の流通を阻害する」と批判する小林さんの意見は、これも書物を狭い公共圏の所属物にしてしまうことへの嫌悪や彼女なりの書物の未来への希望に基づく批判だと考えられる。書物はもっと自由で開かれたものであるべきだ、という思想もまた、彼女の出版人としての根本に関わるテーゼなのだろう。
両者の意見を踏まえた上で、その対立について、それから、切り取られた「クッキーでも焼いて…」という言葉について意見を述べたい。
まず、両者の意見はまさに「意見表明すること」に対する価値観を異にしているため、おそらく折り合う点がない。郡さんは「世界に向けて意見を述べるとは、反論・批判を受けて立つ覚悟に基づくべきものであり、それは神聖な行為だ」と考えているのだろう。そういう覚悟のないおしゃべりによる人と人の繋がりを一段低いものと見て、Twitterなどの道具を使ってそれをすることを否定するほど狭量ではないものの、自分が心を込めて関わっているものをそんなことの道具に使う行為に対しては嫌悪感を覚える、というスタンスだ。たとえて言うなら、陶芸家が「いまプレゼントに最適なカップ」特集とか見て、苦虫をかみつぶしているような感覚だろう。
一方の小林さんは、おそらくそういうスタンスをもつ世代の「本」作りには未来がないと踏んでいる。彼女は彼女なりに出版の未来、書物の未来を憂えていて、むしろ前世代の人が気軽な交流の場に本を持ち出すことに苦言を呈すること自体が、書物の未来を奪うものとして気に入らないのだろう。たとえて言うなら、その陶芸家の息子が、自ブランドの社長として上手にブランディング戦略をして「プレゼントに最適なカップ」特集に○○印のカップを掲載してもらっているようなものだ。
……とまとめれば分かってもらえると思うが、こんな二人の話が折れ合う地点など最初からない。
私が問題だと思うのは、こんな折れ合わない二人が触れ合い対立してしまうことを、いまのTwitterの仕組みはプラスにできず(論争が深まる余地がないので)、足を引っ張り合うこと(炎上)にしか繋げられない点だ。SNSは人と人の距離をぐっと近づけたが、ブログvsブログならまだ存在した対話の余地を、Twitterは残さない。そしてそれを煽るのがtogetterのようなまとめサイトで、まさに郡さんの思うような「編集」という行為の恣意性や恐ろしさに気付かないまま、面白おかしく「炎上しやすそうなポイント」に絞ってページ作成者は対立を煽り、社会全体の生産性を下げている。私は、この二人はそれぞれのポジションで自己のお仕事に邁進していただいたい方が、なんぼか日本と世界の、そして書物の未来のためになると思う。
今回の対立は「クッキーでも焼いてフリマで売ってろ」という郡さんの売り言葉に対して「性差別的な発言が感情的な口調」と小林さんが受けたところから本筋を逸脱した。郡さんの文脈でこの売り言葉を読めば、それはつまり「(書物の怖さを尊重せず交流の価値だけに可能性を見出すなら、書物という作るのも受け取るのも恐ろしいものに手を出さず、安全な)クッキーを焼いてフリマで売って(好きなだけ「素敵ー」とか言い合ってぬるい交流をす)ればいい」という意味であるのは明白だし、ブラック気味のジョークとして受け取れる範疇の揶揄であったと考えるが、小林さんはその文脈を外して「(自分が女性だからクッキー焼け、つまり社会に出てくるなという話になるのか、つまり)性差別」でありかつ「(性差別的な発言を不用意に侮辱的に投げかけるほどあなたは)感情的だ」というレッテル貼りを行って、話を泥沼化させた。あとは、Twitterに住む蝿がよってたかってブンブン言わせて、事態は無事小学校の学級会へと堕していった。
郡さんのそのブラック口調が不用意だったのか、あるいは(かねてから似たような目に遭ってきたと想像される)小林さんの受け取り方がよくなかったのか、そこは今更問うまい。両者がその間の事情をそれぞれ忖度すべきだったというほど、両者に重い責任を負わせようとも思わない。ただ、いずれにせよ、両者はTwitterなどという軽い軽い場で議論じみた交流をすべきでなく、ただお互いの仕事に努めた方がずっとよい。陶芸家とその息子、ハッキリ言えば話すだけ無駄だと思う。
これまで何度も繰り返されたこういう出来事(出会うべきでない二人をお節介にも出会わせて無益な対立を生み、あまつさえそれを見世物にする!)をシステム上で防ぐ仕組みができない限り、いずれTwitterは信頼も人心も失っていくだろうと思う。
私はオタクだ。
推しを応援している。好きだ。推しは顔がいい。そしてもはや存在自体が尊い。
オタクの私はその存在にお金を払い、推しは素敵なパフォーマンスを提供してくれる。それだけ。推しは私だけを見てないし、私の彼氏は推しじゃない。
だから付き合いたい繋がりたいとか、まったく考えたことがない。いわゆるリアコ・夢女子ではなくて、同担拒否というのも無い。 google:同担拒否
百人のオタクがいれば当然、百通りの推し方があると思っている。それは法を犯さない限り自由だ。
当たり前に、色々いるだろう。
それはわかったうえで、同担が本当に無理。ここでいう同担は特定個人のことじゃないです。
いわゆるオタ垢は持ってなくても(Twitterのオタクって強い言葉の声デカイもん勝ち感ないですか?それが苦手で。まあTwitterに限った話じゃないね)、オタやってるとなんとなく推し界隈の傾向は掴めてくるものだ。
Aくんのオタクは過激派が多いけど、落とすお金が桁違い。Bくんのオタクはミーハーですぐ次の推しに流れちゃう。とか。
私の推しCくん界隈は珍しいことに割と穏やかだ。
平和だけど、
「来世はCくんの靴下になりたい♥」
「見下して!踏んで!」
なんか終始こんなノリなのである。
……まあ、私とはスタンスが違うけど、うん、オタクは千差万別、十人十色だからね、
「Cくんのことそんなふうに見ないでくれます?」って謎の人格が出てくる。
最初に書いたけど私は推しにとって何でもない。恋人でも親戚のおばさんでもなければペットでもない。推しは推しだし私はただの匿名オタクだ。
じゃあこの感情、何---。
独占欲ではない。どちらかというと、推しの良さを、この世にもっと広めたい。
人と違う自分に酔ってるのでもない。推し側から見れば我々オタクは等しく金づるである。等しくキモオタである。
AくんやBくんが同じふうに言われてても「まあキモいけど人それぞれだもんな。思想の自由だな」とか余裕で思えるんですが、
冷静なオタクでいたいはずなのに推しに必死じゃん私。一気に視野が狭え!
繰り返すけど、推しにとっての特別になりたいとか願ったことすらないんですよ。
まあ私にとってはある種の特別ではあるけど(三次元の推しは彼ただひとりなので)
なんなら推しには配偶者と子供がいる(既婚者推してて楽しいの~?とか笑われるけど、ステージ上ではそんなこと関係ないと私は思います)。話が反れましたね。
じゃあお前は同担にどうしてほしいの?って聞かれても全然わからない。
まあオタクは推しのすべて知れるわけじゃないし(推しが見せたい部分だけ見せてくれればいいし全部知りたいとも思わないけど)、生身の人間に向かって解釈というのは失礼な話だから、違うかな……
ネーミングセンス無いので諦めました。誰かこの感情に名前をください。
名付けは可視化・顕在化。新たに病名がつくことで救わてきた人たちがいるだろう?
助けてくれ。
思い返せば学校生活から、人とうまくやるのが苦手だった。育った環境は特に劣悪でもなく、23区のあまり裕福ではないほうで、いじめを受けながらも、それなりに義務教育を終えた。ただし、いじめを受けると、それなりに人付き合いが苦手になるが、現在そのことが影響を深く与えているとは考えにくい。
その後勉強のできる都立高校に進んだ。校則が一つもない学校で、当然服装やら髪型の規則もない。しいて言えば、ちゃんと学校にある程度来ることと、補導されないこと、それと校内では下履きに履き替えることくらい。友達とさぼって映画を見に行ったり、年齢制限をゆるく見てくれるお好み焼き屋に行ったり、近所の公園で浪人生に逆ナンパされたりと、人生初のリフレッシュができた。図書館で山ほど本を読んで、週3回剣道をして、ようやく人生が軌道に乗り始めた。
それほど頭は悪くなかったようで、そこそこの大学の英文科に入ることができた。映画サークルに入り、何本か映画を撮ったり出演したり、地味だったがそれなりに楽しく生活できていた。
兄弟が4人もいたので、アルバイトも高校生のころからちょくちょくしていた。多少を家計の足しに、それと自分の物欲のために。高校生のころコンビニで2年弱、大学生からはファミレスで1年、塾講師で3年。
多分、今に至るきっかけはファミレスのころにうまくいかなかったことに起因している。そして大学生活にも一因がある。
ファミレスでは、厨房でドリンクやデザートを出す仕事をしていた。厨房内では仲良く働いていたが、何となくウエイター/ウエイトレスの人とうまく話ができないまま1年が経ち、そこから人と話すのが苦手になっていた。同じくらいの女性とどんな話題を共有すればよいのか、向こうも話しかけてはくれないし、こちらも話すきっかけがない。
厨房の人がとても優しかったのは今でもいい思い出だ。一緒にワカサギ釣りに旅行に行ったのが懐かしい。釣ったワカサギを持って、お店で揚げて食べたのもいい思い出。
大学1年生の性欲やらが多感な時期に、自分の口下手と話題のなさが鬱屈を与えたのだろうか。
カート・ヴォネガットの短編小説やチャールズ・ブコウスキー、初めて英語で読めた小説の「クール・ミリオン」、高校生から好きで読み漁っていたアメリカ文学、自分やサークルで作った映画、鉄男や小沢健二やNumber Girlやマイケルジャクソン、クラブでかかっていたNirvanaやStrokes、軽自動車で行ったフジロック、そんなものは誰の興味にもならないと決め込んでしまった自分がよくなかったのだろう。
1年経って結局そのファミレスが潰れてしまったが、「あの人の日とか失敗、つまんないし」といったようなことをぼそっと聞こえるように言われたのが今でもフラッシュバックする。
その後、3年弱塾講師のアルバイトをした。個人指導塾で、入って3日目に、「この研修に行くと5000円がもらえる」と言われて行った研修。一言も発言できなかったことを思い出す。
自分が抱える生徒の多くは、本指名から外れてきた子が多かった。成績もみんなそれほど良くなく、自分にも人を教えるスキルが足りなかった。結局浪人させてしまった生徒のことを時々思い出す。本当に悪いことをした。一人で赤本を解いて、わからないことを聞きに来るというスタンスを取らせればよかったのに、自分が無駄に介入してしまったことが悔やまれる。
そのバイト先で覚えたのが、お酒に頼ることだった。安い居酒屋で終電まで飲んで、げらげら時間を共有できる。それが社会人になってもコミュニケーションの核となってしまう。
文学部ながらも、BBSや簡単なアプリを作ることができたので、ソフトハウスに就職できた。2年半いたが、デスマーチで体調を崩してうつになり、結局辞める。
新人研修のころやその後の付き合いもお酒が基本だった。キックオフ、とりあえずリリース、最終FIX、とかのタイミングでようやっと胸襟を開いた話ができる。それまでは、ほうれんそう以外の会話もなく、とにかくメールに頼るようになっていた。
時々生意気な意見を言ったり、人のプログラムを勝手にリファクタリングしたこともあった。
記憶がないなか、帰巣本能で家に帰るのもよくあった。タクシー代を貯めていれば相当の金額になっていたのではないかと思う。
少し休んで、プログラマとして別会社に復帰した。総務と経理以外はほぼ男性の会社で、よく飲んだ。
その会社でようやっとまともな生活を取り戻すことができ、結婚もできた。
3年ほどプログラマをしていたが、目の前に座っているおじさんプログラマの1/10しか生産性がないことがわかり、社内異動で説明書のライターに転職する。
車好きやキャンプ好き、バイク好き、元ミュージシャンが異様に多い会社で、よく泊まりで出かけていた。自分よりも年上が多いから、みんな自分の事を話してくれる。お酒どうこうもなくその人を知ることができる、いい機会だった。ある人が定期購読していた、日経ソフトウェア数年分を借りてJava以外のスクリプト言語(自分はPython)を学ぶBoot Strapとして使わせてもらったり、ほんとうに幸せな日々を送ることができた。
その会社は、株式公開に伴う人員削減で、半数以上人がいなくなった。自分も窮屈なライターを続けるのが辛くなって辞めて、割増の退職金をもらった。以降半年近く、妻以外の人と話すことなく、引きこもりながら割増退職金に付随する給料をもらっていた。働かずに給料をもらえるのがこんなに苦痛だったのか。
いい加減引きこもりにも飽きて大会社に転職するチャンスをもらった。その間に障碍者手帳をもらい、障碍者枠での就職活動をすることにした。
大会社は大会社だった。エリートはエリートで、二級以下の低級労働者の自分は、その程度の扱いしか受けない。大学のランキングを引きずる社内で、
自分はまず
・学歴劣る
・それまでの成果は劣る
・白髪ばっかり目立つ
・とにかくあいつは劣る
という状態になった。
新卒の指導をしても、まるで彼が改善しない。自分を責め続け、ぎっくり腰になった。みんなが、「彼はそうだから」と言ったが、彼をある程度に育てることができず、結局リリースした。リリースしたらとたんにぎっくり腰がよくなった自分の無責任さにびっくりした。
あと、それほど多く飲み会がない。飲んでも自分のような飲み方は誰もしない。場をわきまえ、何となく優しくやっている。
なんで、しらふで天気の話ができないんだろうとか、自分の好きなことを少しでも話せないんだろうとか、毎日悲しくなる。
行動をしないと、周囲も変わらない。一か月以上、挨拶と仕事の最低限のやりとり以外はしていない。たかだか席替えでこんなに弱ってしまうとは。派遣の期限がきてしまう子がいなくなってしまうことにこんなに心が揺さぶられてしまうとは。
ごめん。こんな人間は、やまゆり園の加害者の気持ちでは必要のない人間だったんだろうね。でも、家族と過ごす時々の時間を過ごしてもいいのかな。
母から怒られることに対して、私は「怒られると安心する」という共依存的な感情を抱いていた。私が怒られてしょんぼりしているのを見れば、母親は『安心』するのだ、そして私も母が安心してくれたことに対して『安心』するのだ、そういうものだ、母が怒るのは私の言動を正すことが目的ではなく、お互いがお互いを貶めあって、被害者同士になることを目指すための儀式のようなものだ。これが長い間、私と母との関係性だった。
私と母の関係性は、敵意を持ち、相手を傷つけるという感情や行動とは遠くかけ離れたものでありながら、お互いがお互いが損ないあうことにより保たれていた。毎日、うんざりしすぎてうんざりしなくなる程度に繰り返される儀式めいたコミュニケーションだった。母は驚くべき執着心と体力、精神力をもって加害者をこねくり回して嫌味を言い続け、「おまえは私の言うとおりにすべき存在である」というしくみを行動レベルから浸透させ、被害者と加害者の関係性を強化し続けた。
そういう状況であったから、私は何も考えないでいることが許され、私もそれに甘んじた。自分の行動のものさしは「母に決めてもらえばよかった」。自分が着るものも、ぬぐものも、髪の毛の形もあいさつの内容も、左右どちらの足を先に上げて歩き始めるかも全て「パターン学習」すれば良かったのだ。私は自分のものさしを放棄して親に自分の根幹となる主体性を差し出し、従順な態度を取り続けた。
一方で、親は私が主体的で明朗快活な人間になるべきだと考えていたし、私が何かを自分で考え、動き、生み出すことができるような人間になることを願っていた。矛盾、という一言で片付けるには語弊がありすぎるほど、そこらじゅうに爆弾が埋まっていた。
反面、私は何を言われても自分の判断を母に渡すべきではなかったと思う。私が母に甘えて自分の判断を渡すことを、自分に対して許してしまったことが、SADになった大きな要因のひとつだ。
自分で何かを決定せず、他人にすべてを任せておこぼれの結果を期待するというスタンスは、他人と接しているという点でコミュニケーションをしているに見えるが、実際には完全に他人と断絶している。コミュニケーションの基本は等価交換であり、貰ったものと等価の何かを返還できない場合に、尊敬や恩情、遠慮などが生じる。ただし、自分の意思という荷物を持っていない者は、価値を計ることができないので、他人から何かを貰っても適切な対価を返還することができない。よって、他人の思いやりようがないし、気遣うこともできない。相手としても、自分で何かを持っていない人間に対して、適切な手助けやアドバイスすることができない。よって、誰かに依存しがちな人間は他人とのコミュニケーションを断絶し、独りよがりの世界にこもるようになり、孤立する。口を動かして何かしゃべっていても、相手には何も伝わらない。考えることをやめるということは、人とのコミュニケーションをやめるということだ。私の場合、精神的に引きこもった時点でSADの元となる「他人とのコミュニケーションを苦手として断絶するが、他人からの評価を自分への報酬とし拠りどころとする性質」の下地はできていた。
タバコが嫌われているのは
それを利用する人以外にも悪臭を撒き散らすところだろう。
健康被害の疑いのない残り香のような匂いについて論じているから
もちろんニンニクに代表されるように強烈な臭いが忌避されることはあって、
シュールストレミングを人が集まる屋内で開けたらそれなりに怒られる。
「されるだろう」じゃなくて、
だからその違いはなに?
(そしてここでは健康に害のある副流煙は除いて匂いの話をしているとツリーの最初から明示されてる)
自動車は排ガスによる大気汚染というデメリットを上回る利便性があるから許容されているし、
法律の話であればタバコは現状条例による歩きタバコ規制などはあるものの
匂いについて取り締まる法はないので
何事もバランス。
このやりとりで明らかになってきているのは
バランスだのナンセンスだの非論理的な言葉に逃げていくあたりは
てめえの頭で考えろコンプライアンス。
自分の主張の論拠を人に考えてもらえるわけないだろ。
「広い世界にはこんなユートピアもあるんやで!」「ほぇーすっごーい!」
具体的には17~18世紀頃のことで、この時期は植民地開拓ブームだったため、読者も異国情緒あふれる明るい世界を求めていたのだろうと思われる(だから探検家による見聞録みたいな体裁をとっている作品が多い)
今は手に入りにくいが『ユートピア旅行記叢書』っていう翻訳シリーズがあるので図書館に行けば読めるかもしれない
「ユートピアって言うほど理想社会か?」という疑問が投じられるようになったのは19世紀以降のことだが、この時期はマルクス主義の勃興の時期でもあるので
「ワイは未来のユートピアを見てきた!やはり共産主義は正しかったんや…!」というスタンスで理想の管理社会を描いた小説も多数書かれており、「管理社会はディストピア」派との間で論争が起きている
ほらな
こういうアホ男は元増田みたいな私フェミとは意見合わないんですよーってスタンスの媚び女の肩持つんだよ
性格ブスのブリッコ女に振り回されてるだけなのも気づかない馬鹿
元増田だって本当はメイクめんどくせー、ヒール履くのだりーって絶対思った事あるに決まってんのに私はダサい女と違いますよアピールしてさ
採用やってるものから言うと、以下二点だけは守っておいたほうがいいと思う。
Twitterって気軽に投稿できるものだから、どうしたって採用担当者から見れば、
眉をひそめる内容の方が多い。バカッター騒ぎで警戒度をあげている昨今、
3次面接に来るからには、なぜこの会社に入りたいかぐらいは説明できるようになろうな。
色々聞いていくと、「あの会社もこの会社も目移りしてて」だの、「最終的にどの会社にしようか決め手がなくて」だの、
そんなのキャリアセンターの職員に聞けよ、という受け答えをする学生が多すぎる。
基本面接担当は「どのくらい本気で自分の会社を志望しているのか」を見極めようとしているのに、
「まだまだいっぱい受けたいです!」みたいな結論を述べて、合格出すわけないじゃない。
後、「そこの会社の雰囲気」・「社員さんの人柄」っていう判断基準を持ち出す学生がいるけど、
「あ、またきちんと会社研究していないやつが、逃げ口上言ってるぞ」としか思わないんだよね。
どうやって、所属したことない組織の実際の雰囲気なんて、数時間の接触で判断できるんだよ。
二次で評価高いのに、あるいはそつなくこなしたのに、三次で連敗続きの学生は、
君も今後は席に座らないことを心がけるように。いいね?
応援しているVtuberユニットが無事誰も抜けず1周年を迎えそうだ。
とても嬉しい。Vtuberは油断してもしなくてもすぐ死んでしまうので誰も抜けず1周年を迎えられのはとても凄いことだし、本当に良かったと思う。
状況を鑑みるに1年続いたことは奇跡だと思っているし、本当に1年でここまで行けるなんて夢見させてもらってありがとうという感謝の気持ちしかない。
本当にありがとうございます。関係者含め関わった方すべてに感謝していますし、次の1年も違う夢を見せて欲しいと思っています。
で、1周年記念に東京で大きな箱でライブをするということが発表された。
とても嬉しかったと同時にああ、分かっちゃいたけど東京かーって気分と日曜日の夜に東京なんて最初から無理だなってさらっと流したんだけど、
朝起きてこれ関西で同じイベントを土曜日の夜にやったとして行くか?本当に??って疑問に苛まれて考えていた。
で、一日考えた結果。多分行かないって結論に達した。
メモ程度にその理由を列挙する。完全に個人の意見なので意見は反論は受け付けない。
→まず人気イベントでチケットの争奪戦を勝ち抜かないといけない。
クッソめんどくさい。
なぜそんなめんどくさいことに僕の時間を割かないといけないのか分からない。
北海道行フェリーの争奪戦すらめんどくさいのにそれより倍率が高い争奪戦なんてめんどくさすぎる。
→人が多い所に金払って長時間いるなんて耐えられない。
疲れ果てて次の日動けなくなるのが分かっている。考えただけで吐きそうになる。
人間が嫌いなのに金と時間を浪費してそんな大規模で人がぎゅうぎゅうな場所に行くなんて嫌だ。
3.歌動画が一つもない状態なのに長時間歌メインのコンテンツを見て楽しめると思えない
→歌動画の一つもなく、普段聞いている音楽でもない音楽を演者が好きって気持ちだけで長時間聞く気になって心底楽しめると思えない。
4.そもそも僕が好きななのは各々が好きな事をやっている姿と仲良しの様子であって歌が聞きたいわけではない。
→日ごろから歌動画とかすごすごMV出してるアーティスト路線のVtuberなら音楽聞きたいし、
見たいけどそういう活動がなくて唯一アカペラで歌ってる活動しか知らない子の
リアルガチ歌唱に特に現状興味ない。後、きっちり歌メインでやるなら仲良しで和気あいあいとした姿ではなくリハーサルきっちり入った姿だと思うのでそこもあまり興味が沸かない。
5.なんとなく苦手なコンテンツ臭がする
→あまり好きじゃないラブライブとかアイマス臭がする。アニメのまんまのライブが見れるってあのコンテンツ正直嫌い。
アニメはアニメで完結して欲しい。リアルイベントまで参加しないとファンじゃないとか言われるとはいそうですか。じゃあ、どうでもいいですってなる。
6.そもそも値段が高すぎる。
→他の1周年のVtuberさんと比べてあまりにも値段が高すぎると感じる。もちろん箱の大きさ、人気度それらすべて合わせての価格であることは分かるが、
九州へのフェリー往復で買えるなーとか計算してしまうと割高感を感じてしまう。
7.周りの温度差がひどそう
→もしそれで参加したら周りのファンの人達との温度感に耐えられなさそうな気がした。
正直毎日常にコメントもしくはtwitterで実況している人ばっかりの中にいれられると考えたら温度差で死にそう。
マジで無理。VRで人が見えないなら耐えれるというか気にならないけど、リアルにそんな人生ささげてそうな人達の中に入れられるなんて精神が持たない。
僕も一般人に比べれば遥かに詳しいと自負してるが、見てない配信かなりあるし、ながら作業で見てるから詳細覚えてないのとかも多い。
塩ふって焼いただけの肉より手間暇かけた料理の方が上だというのは当たり前だと思っているし、
でも、この考え方そのものがVtuber界隈ではマイナーっぽい。とにかく生至上主義が蔓延している。
別に僕もそれを否定する気もないし、それはそれで素晴らしいと思う。
けど、その考えの人とは分かり合えないとも思っている。
僕は生配信はファンサービスだと思っているし、月二回もやってくれたら十分すぎるというスタンスだったりする。
と、いうことを考えている僕がライブ配信信仰者の方々が多数派を占めるイベントに参加して同じノリで楽しめるだろうか?
仮定の話だからそうとう変な妄想入っているのは認める。きっと現実はそんなことないと思う。
でも、仮定だからこそ頭のリソースをこれ以上しょうもないことに取られたくない。
こんなどうでもいいこと考えてる時間があるならこの前公式で出してくれた夢の集大成をもう一回見る時間に充てたい。
やっぱり僕は画面外で本人に認知されない部外者で応援するっていうのが性に合ってると実感した。
応援しているVtuberユニットが無事誰も抜けず1周年を迎えそうだ。
とても嬉しい。Vtuberは油断してもしなくてもすぐ死んでしまうので誰も抜けず1周年を迎えられのはとても凄いことだし、本当に良かったと思う。
状況を鑑みるに1年続いたことは奇跡だと思っているし、本当に1年でここまで行けるなんて夢見させてもらってありがとうという感謝の気持ちしかない。
本当にありがとうございます。関係者含め関わった方すべてに感謝していますし、次の1年も違う夢を見せて欲しいと思っています。
で、1周年記念に東京で大きな箱でライブをするということが発表された。
とても嬉しかったと同時にああ、分かっちゃいたけど東京かーって気分と日曜日の夜に東京なんて最初から無理だなってさらっと流したんだけど、
朝起きてこれ関西で同じイベントを土曜日の夜にやったとして行くか?本当に??って疑問に苛まれて考えていた。
で、一日考えた結果。多分行かないって結論に達した。
メモ程度にその理由を列挙する。完全に個人の意見なので意見は反論は受け付けない。
→まず人気イベントでチケットの争奪戦を勝ち抜かないといけない。
クッソめんどくさい。
なぜそんなめんどくさいことに僕の時間を割かないといけないのか分からない。
北海道行フェリーの争奪戦すらめんどくさいのにそれより倍率が高い争奪戦なんてめんどくさすぎる。
→人が多い所に金払って長時間いるなんて耐えられない。
疲れ果てて次の日動けなくなるのが分かっている。考えただけで吐きそうになる。
人間が嫌いなのに金と時間を浪費してそんな大規模で人がぎゅうぎゅうな場所に行くなんて嫌だ。
3.歌動画が一つもない状態なのに長時間歌メインのコンテンツを見て楽しめると思えない
→歌動画の一つもなく、普段聞いている音楽でもない音楽を演者が好きって気持ちだけで長時間聞く気になって心底楽しめると思えない。
4.そもそも僕が好きななのは各々が好きな事をやっている姿と仲良しの様子であって歌が聞きたいわけではない。
→日ごろから歌動画とかすごすごMV出してるアーティスト路線のVtuberなら音楽聞きたいし、
見たいけどそういう活動がなくて唯一アカペラで歌ってる活動しか知らない子の
リアルガチ歌唱に特に現状興味ない。後、きっちり歌メインでやるなら仲良しで和気あいあいとした姿ではなくリハーサルきっちり入った姿だと思うのでそこもあまり興味が沸かない。
5.なんとなく苦手なコンテンツ臭がする
→あまり好きじゃないラブライブとかアイマス臭がする。アニメのまんまのライブが見れるってあのコンテンツ正直嫌い。
アニメはアニメで完結して欲しい。リアルイベントまで参加しないとファンじゃないとか言われるとはいそうですか。じゃあ、どうでもいいですってなる。
6.そもそも値段が高すぎる。
→他の1周年のVtuberさんと比べてあまりにも値段が高すぎると感じる。もちろん箱の大きさ、人気度それらすべて合わせての価格であることは分かるが、
九州へのフェリー往復で買えるなーとか計算してしまうと割高感を感じてしまう。
7.周りの温度差がひどそう
→もしそれで参加したら周りのファンの人達との温度感に耐えられなさそうな気がした。
正直毎日常にコメントもしくはtwitterで実況している人ばっかりの中にいれられると考えたら温度差で死にそう。
マジで無理。VRで人が見えないなら耐えれるというか気にならないけど、リアルにそんな人生ささげてそうな人達の中に入れられるなんて精神が持たない。
僕も一般人に比べれば遥かに詳しいと自負してるが、見てない配信かなりあるし、ながら作業で見てるから詳細覚えてないのとかも多い。
塩ふって焼いただけの肉より手間暇かけた料理の方が上だというのは当たり前だと思っているし、
でも、この考え方そのものがVtuber界隈ではマイナーっぽい。とにかく生至上主義が蔓延している。
別に僕もそれを否定する気もないし、それはそれで素晴らしいと思う。
けど、その考えの人とは分かり合えないとも思っている。
僕は生配信はファンサービスだと思っているし、月二回もやってくれたら十分すぎるというスタンスだったりする。
と、いうことを考えている僕がライブ配信信仰者の方々が多数派を占めるイベントに参加して同じノリで楽しめるだろうか?
仮定の話だからそうとう変な妄想入っているのは認める。きっと現実はそんなことないと思う。
でも、仮定だからこそ頭のリソースをこれ以上しょうもないことに取られたくない。
こんなどうでもいいこと考えてる時間があるならこの前公式で出してくれた夢の集大成をもう一回見る時間に充てたい。
やっぱり僕は画面外で本人に認知されない部外者で応援するっていうのが性に合ってると実感した。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190419-00000002-jij-pol
一昨日位総務省の海賊版サイト対策とか言うのをみてなんかそんな気はしたけどね。
文化庁の件で世間で大炎上して、自民が選挙対策で最近撤回したばかりじゃん。
本気で役人って賢いお馬鹿しかいないのか?とか思ってしまうよ。
どこまで空気読めていないんだよ。
自民党だけに限らず、その他野党の議員や候補とかもせめて参院後にしてくれとか思っているだろうよ。
それ位今回に関しては総務省は本気でタイミング自体読めていない。
タイミングで言えば最悪のタイミングでぶちまけてくれたと思っているだろうよ。
絶対誰も触れたくないだろうよ。
自民党なんか昨日観測気球で消費税凍結まで匂わせた程度には今選挙でできるだけ問題になる様な行動を避けたいと考えている節がある位なのは見ていてわかる事なのにな。
本気で何言ってくれているんだ?と空気読める議員や候補とかは思っているだろうよ。
何故文化庁が行おうとした著作権改悪案である、ブロッキングやダウンロード規制の世間的な大非難の末に文化庁で委員長判断で、強行しようとしたけども自民の選挙対策で今国会でお流れになり、文化庁政府共に責任の擦り付け合いと言う事態に発展した構図を見ているにも関わらず、総務省はこのタイミングで全力で自分から同じ愚を犯しに行こうとするのか。
最近EUでも著作権でネット規制したいと言うのはトレンドではあるけど、参院選が終わってない時期であり、文化庁すら建前的にも漫画家と慎重に決めていきたいと言う話し合いを持ったにも関わらず、総務省は過去の非難等一切気にしないで、自分から火の中に突っ込んでいったのは、本気である意味でアホだとしか思えない。
普通に文化庁がああいうスタンスを取った後ですぐやったら省庁の利権関係だと疑われるのは当然だし、世間的非難も下手したら文化庁以上に総務省に来る可能性すらあるんだが。
マジで1度目のやらかしよりも2度目の同じ問題のやらかしの方が世間的には冷淡な目で見るし、より非難がきつく悪化するのは当たり前の事なのにそれを総務省は理解していないらしい。
しかも時期的にも文化庁が延期してからすぐにやらかしたのは本気でまずいとしか言いようがないぞ。
よりにもよって自民が自民の良識を見せるとかの理由を言って、今国会の著作権法案を延期してまだ間もない時期にこれだからな。
総務省はまともにニュース等を見て情報収集しているのか?常識がないにも程があるぞと言われても仕方がない様な事を今回のこれでやらかしてしまった様にも思うぞ。
まだお互い責任の擦り付け合いをした文化庁や自民党の方が空気読めているレベルじゃないかこれ。
情報通信を扱う省庁がこれじゃ先が思いやられるね。
それを理解していないのかこいつら?
世間でも相変わらず、受信側ではなく、アップロード側を何とかすべきだろとか当然の事また言われまくっているぞ。
どうせこれを本気でやりたい音楽業界や映画業界のロビーの賜物だろうけどさ(民放連やらテレビ局の管轄と言う関係もあるかもしれんね。)
参院後を見据えての行動だろうけど、タイミング的には最悪で自民が流した後にこれをやったのだから、自民としても乗りにくいにも程があるだろうよ。
警告画面出すだけだから大丈夫大丈夫とか役人は安易に考えたんかねぇ?
頭が私なんざより遥かに良い連中だろうに余りにも浅はかだし、流石にこれは空気読めていないにも程があるぞ。
これブロッキングの問題点と何ら変わりないわけで、検閲やそれこそ言論の自由とかの問題に関わるし、そもそもそのブロッキング自体児童ポルノを理由に特例的に認められた経緯があるのにその後安倍や文化庁が当時、著作権まで広げるとかでやろうとしたものだから、幾らでも拡大解釈可能になってしまって、政府による言論弾圧の道具になってしまう点から当時でも突っ込みを受けまくったのにそれを全く理解していないとしか思えないんだが。
後、ツイッターで相変わらず騒いでいる連中はどうせツイッターで騒いで結局省庁とかに意見していないんだろうなといつもながら思う。
何せ騒ぐだけでまともにパブコメ出すのすら少ないだろうからな。
本当こんなニュース出た時点でこの辺に意見の一つでも出したらどうだとツイッターの連中を見ていていつも思うよ。
https://www.soumu.go.jp/common/opinions.html
https://www.kantei.go.jp/jp/iken.html
ツイッターで正論言ってどや顔してても何の意味もないぞと思う。
どうせこんなアホな事を総務省に言い出すように仕向けたの民放連や音楽映画業界だろうさ。