2019-04-23

SADを思い返す

から怒られることに対して、私は「怒られると安心する」という共依存的な感情を抱いていた。私が怒られてしょんぼりしているのを見れば、母親は『安心』するのだ、そして私も母が安心してくれたことに対して『安心』するのだ、そういうものだ、母が怒るのは私の言動を正すことが目的ではなく、お互いがお互いを貶めあって、被害者同士になることを目指すための儀式のようなものだ。これが長い間、私と母との関係性だった。

私と母の関係性は、敵意を持ち、相手を傷つけるという感情や行動とは遠くかけ離れたものでありながら、お互いがお互いが損ないあうことにより保たれていた。毎日うんざりしすぎてうんざりしなくなる程度に繰り返される儀式めいたコミュニケーションだった。母は驚くべき執着心と体力、精神力をもって加害者をこねくり回して嫌味を言い続け、「おまえは私の言うとおりにすべき存在である」というしくみを行動レベルから浸透させ、被害者加害者関係性を強化し続けた。

そういう状況であったから、私は何も考えないでいることが許され、私もそれに甘んじた。自分の行動のものさしは「母に決めてもらえばよかった」。自分が着るものも、ぬぐものも、髪の毛の形もあいつの内容も、左右どちらの足を先に上げて歩き始めるかも全て「パターン学習」すれば良かったのだ。私は自分のものさしを放棄して親に自分の根幹となる主体性差し出し、従順な態度を取り続けた。

一方で、親は私が主体的で明朗快活な人間になるべきだと考えていたし、私が何かを自分で考え、動き、生み出すことができるような人間になることを願っていた。矛盾、という一言で片付けるには語弊がありすぎるほど、そこらじゅうに爆弾が埋まっていた。

反面、私は何を言われても自分判断を母に渡すべきではなかったと思う。私が母に甘えて自分判断を渡すことを、自分に対して許してしまたことが、SADになった大きな要因のひとつだ。

自分で何かを決定せず、他人にすべてを任せておこぼれの結果を期待するというスタンスは、他人と接しているという点でコミュニケーションをしているに見えるが、実際には完全に他人と断絶している。コミュニケーションの基本は等価交換であり、貰ったもの等価の何かを返還できない場合に、尊敬恩情、遠慮などが生じる。ただし、自分意思という荷物を持っていない者は、価値を計ることができないので、他人から何かを貰っても適切な対価を返還することができない。よって、他人の思いやりようがないし、気遣うこともできない。相手としても、自分で何かを持っていない人間に対して、適切な手助けやアドバイスすることができない。よって、誰かに依存しがちな人間他人とのコミュニケーションを断絶し、独りよがり世界にこもるようになり、孤立する。口を動かして何かしゃべっていても、相手には何も伝わらない。考えることをやめるということは、人とのコミュニケーションをやめるということだ。私の場合精神的に引きこもった時点でSADの元となる「他人とのコミュニケーションを苦手として断絶するが、他人から評価自分への報酬とし拠りどころとする性質」の下地はできていた。

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