はてなキーワード: とんちんかんとは
終盤唐突に差し挟まれる、被爆したとおぼしき、右手がずたずたになって、左手を少女と繋いで焼け野原を歩く女性。
これは、すずだ、と。
これは、本当の、すずだ。
普通に、当然のように、そう思った。
始めに言っておくんだけど、多分こういう解釈はあちこちで出てて、多分「原作読めば分かるけど、それはこうだよ」って否定されてると思う。実際、原作を読めばそれだけで氷解する、阿呆みたいな、とんちんかんな、暴走妄想なのだと思う。
別にそれでいい。
ただの、原作未読で、映画も一回しか見てない僕のモウソウだ。「トトロで、サツキとメイは実は死んでました」のたぐいの話だ。
ただ、僕には、そう見えてしまった、ということをメモっておきたかった。
終盤に唐突に現れる、焼け野原を歩く女性は、すずだ、と思った。
本当のすず。
現実のすず。
今、そうであるすず。
じゃあ今までのは全部夢だったのかな。すずの妄想だったのかな。彼女はとても夢見がちで、どこかぼんやりしているのだ。
でも、思い返すと、すずが妊娠したんじゃないか?ってなった時、医者から出てくる様子が映されたのみで、どうなったかの結論が何も出てこない。
勘違いだったのか?
食べ過ぎとかか?
生理不順か?
それとも……流産した?
それは、劇中では語られてない。まるで、触れてはいけないことのように、一切触れられない。
無事に月を重ね、広島に帰って出産し、育て、そして……そして原爆に遭い、子供をかばい、右手を失い、ほどなく死に、ウジに、ハエにたかられる世界と。
たとえば、お義父さんがすずと晴美を米軍機の銃撃からかばったあとに、ばったり倒れたまま起き上がらないシーンがある。直後、徹夜してたために爆睡しちゃったのだ、と笑い話になる。
たとえば、すずが海と軍艦を絵に描いてると、憲兵に目をつけられ、手帳は取り上げられ、家まで押しかけられて家族皆が詰問される。直後、このすずさんが間諜って、そんなあほな!と笑い話になる。
本当の未来は違ったのではないか。あの時、お義父さんは米軍機の銃撃で死んでいたのではないか。憲兵に目をつけられたすずは、そのまま連行、拷問の末、獄死したのではないか。
そうなった未来をすずは、棄却し、そうでない未来に選択し直していたのではないか。
どうやって?
そりゃあ、右手で。
だから、晴美の事故を、やり直せなかった。一緒に右手を失ったから。もう、左手でいがんだ世界しか描けなくなったから。
でも、じゃあ、あれは、一体なんなのか。原爆の焼け野原で、「本当のすず」が連れていた少女は。その子と「すず」が出会い、引き取るのは。
どうともしようがない。合理的な上手い説明など思いつかない。ただ、いくつか思うのは、もう世界線というか、時空は入り乱れてるように思う。原爆のエネルギーなのか、なんなのか。
すずは幻想の右手を取り戻して、いがんだ左手の風景は消えて、そして鬼いちゃんは南方で毛むくじゃらの化物になり、ワニの嫁さんをもらって、過去の人さらいとなって、すずと周作を出会わせる。
貧しい生家から裕福な家に奉公に出され、奉公先から出奔し、草津の家で座敷童になり、遊郭に拾われ、遊女となった、(そして「今」は空襲で死んでしまった)ひとりぼっちのりんの隣に、すずの幻想の右手は、自分の姿を描き入れる。
ならば、もうひとつの世界の流れの、原爆の惨禍に遭ったすずは、そうならなかった世界の流れのすずに、自分の娘を託すぐらいの事は出来たのではないだろうか、と僕は思うんだ。
Twitterで、なんとなく他の人と壁があるなと感じてる。
呟きもこのキャラのこういうところが好き~っていう萌え語りしかしてないし、同人活動のあり方とかを説いて学級会を開こうとかもしてない。
政治や宗教の話もしないし、私生活の話もしない。愚痴をいったりもしてない。何かを批判するような攻撃的なツイートもしてない。人を不快にさせるツイートはしないように気をつけてるつもり。
○○が可愛いかっこいい、○○×▲▲が萌える~って呟いてるだけなのに、周りの人と違って交流が出来ない。
TLを見てると、萌え語りに対して「わかります!○○って可愛いですよね~」 「私も○○×●●好きです!」とかやり取りしてて、なんで私はこうやって人と仲良く出来ないんだろうかと思う。
そして、フォロワーとご飯行った~とか、イベント一緒に行った~遊んだ~とかを見てると、いいなあと思って見てしまう。
自分より後に相互になったフォロワー同士がTLで、遊びましょうよ!詳細DMしますねとかやり取りを見てると、羨ましくて仕方なくなる。
「そんなの、自分から行動しないでウジウジ言ってるからだよ」 と指摘されてからは、素敵だなと思った作品やツイートには、積極的に感想やリプライを送ってる。重たくならないようにさらっと、とんちんかんだったり馴れ馴れしくしないように気をつけて、素敵です、面白いですって。
でも何も変わらなくて辛い。
感想を送った人からは「ありがとうございます、うれしいです」って返信は来る。でもそこから何も続かない。仲良くなれない。
でも、一人で黙々と絵を描いてアップして、萌え語りしてるだけなのが辛い。
同じ作品やキャラが好きな人とどこが好きなのかとか、このシーンが好きだとかそういう話がしたい。スカイプで萌え語りがしたい。オフ会にも参加したい。遊びたい。
淡々と萌え語りとイラストを上げ続けているから話しかけにくいって言われたことがある。描く機械みたいと言われたこともある。
高尚様なんかじゃないつもりなのに、気をつけてるつもりなのに。
教えてほしい。
今、三十代半ばなんだけど、曾祖母が健在なんだ。100歳。
小学校に上がった頃だったと思うんだけど、勉強をして立派な会社に入ればクーラーの効いた部屋で仕事ができると、そんな事を言われた。
曾祖母は百姓の出で、百姓に嫁ぎ、6人の子供を産んだわけだけど、時代がら学校に通っていないんだ。
60過ぎまで道路工事の作業に従事した曾祖母の目には、エアコンの効いた部屋で仕事をする俗に言う「ホワイトカラー」がとてつもなく楽そうで、そのうえ高級取りで、ずるく見えていたのだろう。
周りにいたのは、百姓、大工、漁師くらい。総じて学がなかった。
そんな曾祖母からすると勉強をして、ホワイトカラーになるのは幸せなことだったんだろう。
僕自身、ホワイトカラーの一種に分類されて十年以上たつけど、さて、そんなに幸せか。
だが、仕事は辛い。
会社に500人いると話すと、半分は寝てるだろ、とか、下駄箱で靴を間違えられるなとか、とんちんかんなことを言う。
本を読んでいると、理解不能。生野菜のサラダを食べると顔をしかめる。
100歳にしては元気な方で、特に介護は不要だが、耳はさっぱり聞こえない。
たまに帰って飯を食うと、動かないのによく食べると、嫌みを言う。
僕は曾祖母の意向により進路を曲げられたこともあり、当時は、曾祖母が死んだら元に戻ろう、くらい思っていた。
実は内心、早めの退場を願い続けてもう20年も経つが、まあ来年くらいにはお別れがきそうだ。
多分、僕は泣くだろう。
その昔、エスカレーターとは、てんでばらばら、左右好きな位置に立ち止まって利用するものだった。
で、みんなパーソナルスペースを確保したいものだから、二列にきちんと整列して詰めて乗る、などということはなく、
左右ばらばらだったり、前の人とは一段開けて乗ったり、かなりムダにスペースを使った乗り方をしていたものだ。
関東圏で「急ぐ人のために右側を歩く」というマナーが定着していったのは、80年代半ばから90年代初頭、
ちょうど昭和末期から平成はじめのころだったのではないかと、個人的には記憶している。
これは欧米ではすでに当然とされている、きわめて合理的なマナーであって、いまどき右側を空けないなんて、なんてマナーを知らない田舎者の馬鹿野郎なんだふざけるな、
歩かない人は、きちっとつめて一列に整列して乗るようになったし、急ぐ人はスムーズに使えるようになったし。
今や、はてなで、エスカレーターを歩くような人間は、人でなし扱いされかねないようだが。
地下鉄の新御茶ノ水→JR御茶ノ水駅乗換えの、あの、妙に長いエスカレーターをじっと止まって乗っていられない程度には、せっかちなのである。
歩きたければ階段を歩けといわれたって、そもそもエスカレーターしかなかったりする駅も多いし。
どこかで、「大江戸線某駅の4分かかるエスカレータを歩いたところで、所要時間が3分30秒程度に縮まる程度の効果しかない(だから歩くのなんかムダ)」という
意見を見かけたが、なにをとんちんかんを言っているのか、と思った。
いや、その程度の効率化なんてどうでもいいという程度に、余裕のある生活を送っているというのは、一面うらやましくもあるが。
最近になって、エスカレーターの歩行に起因する事故が増えているのは、歩きスマホする馬鹿と、高齢者が増えたせいではないかと個人的にはにらんでいるが、
それはともかく、このマナーが、別に法律的な強制とか何かがあるわけでもないのに、これだけ定着してしまった現状と、
「歩く人のために片側を空ける」「急ぐ人は歩いていい」というマナーを撲滅するには、
NHKが「天皇が生前退位を希望している」とスクープして、その後あれやこれや報道がある中、
宮内庁関係者が、「陛下がそのような希望を示されたことはない」という趣旨とコメントしたとの報道があったりして、
一部には「改憲を優先しているアベが、天皇陛下の要望をもみ消したのだ」とかなんとか
天皇陛下がご意向を示されて、それを安部首相が「おっしゃる通りでございます」と承って、
皇室典範(=法律)の改正案を作って国会で成立させたりしたら、
天皇の地位は国民の総意に基づき、天皇は一切の政治的権能を有さず、内閣の助言と承認に基づいた国事行為以外、
宮内庁が「陛下がそのような意思を示されたことはない」というのは、
まさに「天皇陛下に憲法違反の疑いを微塵も抱かせない」ためだろう。
国民(の代表者が集まっている国権の最高機関たる国会)が、そのほうがよいと決めたから、という体をつくろわないと
現行憲法を守ったことにはならない。
明治憲法は「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と規定することで天皇を守ると同時に、「天皇に責任を取らせない」体制をつくったけれど、
現行憲法は、天皇の公的な行為はすべて国民の意志に基づいている、という仕組みを導入することで天皇制を守っている。
決めたのは国民だから、責任を取るのも国民。天皇に責任が及ぶことはないのだ。
で、今回の騒動では「誰がどんな目的で『天皇の意思』をNHKにリークしたのか」をめぐって、
諸説入り乱れているのだけれども、案外「うっかりもれてしまった」という可能性も高いんじゃないかと思う。
NHKの後追い報道をみていくと、どうやら皇室典範改正準備室なるものが、5月だか6月だかから体制が強化された、というのは
事前に各社つかんでいたようである。
ただ、これだけでは、小泉内閣以来続いている女系天皇や女性宮家の是非の議論を進めようとしていたようにも見える・
安部総理の支持母体をみると「伝統の保持」の観点から、女系天皇や女性宮家の創設には否定的な感じがするが、
それはともかく、政府にこうした動きがあれば、当然、記者は追いかけるだろう。
こういうとき、案外、ひょんなことから「議題の中に退位が入っている」なんて話がもれたり、
「最近、皇室典範改正準備室が強化されてますけど、何を話てんすか?」
「ん? べつにあらためてニュースになるほどのことじゃないですよ。女系天皇はどうするのかとか、
今後の宮家のあり方とか、退位だとか(←本人、とんでもないこと言ってるのに気づいてない)」
なんていうやり取りがあるだけでも、入り口としては十分。
この程度の「うっかり」をやらかしちゃうオッサンというのは、どこの世界にもいる。
こういうネタを出発点にいろんな人にぶつけてったりして、
場合によっては、
「退位の件は、もう具体的な話をする段階に来ているらしいですね」
って、カンでぶつけてみると
「えっ! なんでキミ、それ知ってるの?」
なんて、うまいことカマに引っかかっちゃう人もいる・・・なんていうのは、ちょっとできすぎだけれど、
まあ、誰かがすべて仕切っていて、それにあわせてすべてリークされているに違いない、という幻想も持たないほうがいい。
わが国政府に、そこまで情報の流れをきちんとコントロールできるほどに優秀な人材はいない。
いたら、この国はもっと強くなっているはずだ。
まあ、他の人を知らない人のネタをつかんで、上司にも取材先にも一泡吹かせたい現場の記者の出世欲やら
現場のつかんできたネタを材料に政府と駆け引きするNHK上層部やら、
政府の意向を組んで動くことで自分の立場を安定させたい幹部やら、
「陛下は何も言ってません」「私たちは何も間違ったことはしておりません」「前例のないことはやりたくありません」
いろんな人のいろんな思惑が飛び交っているのだろうが、
「アベが改憲を優先するために」などという話とは、まったく別の次元で、ことは混乱せざるをえないのであろう。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/medium.com/mediumjp/2b0da4969e65
だいたいはここらへんのコメント
id:koiz アメリカでは、光を思いっきり入れたクリエイティブが求められることが多い(特に西海岸だし、スイムウェアは)。自分のセンスで左の方がいい!この写真家はクソ!ってなる人がrawデータを貰いたがるタイプなのだと予想
id:Memeo このレタッチ写真屋が勝手にやったんじゃなくて用途やデザイン案に従って仕上げたもんなんじゃない?/ カレー作って今からルー入れようって時に「もうそれでいいから食わせろ」と言われても困るだろう。
で言い表されてると思ったんだけど、スターを集めてるブコメでは誤解が解けてないようなので。
まず、カメラマンの仕事を理解していないひとが多い。カメラマンは写真家と違って、クライアントの要求にあった写真を撮るのが仕事なんだよね。「フレアがわざとらしい」とか「レタッチ前の写真のほうが好き」と言っている人は、カメラマンじゃなくてクライアントのセンスに文句をつけている。
次に、本文でも親切に「レタッチを前提として撮っている」と書いてあるように、レタッチは下手な写真をごまかす手段としてではなく、クライアントの望む理想的な写真を作り出す手段として使っている。「RAW現像を前提としてあえて暗めに撮っておき、現像時に明るくすることで暗部の階調を残す」というようなテクニックは常套手段。なのでレタッチ前の写真が下手という指摘は外れているし、そういう誤解があるからこそ元データを納品したくないんだよ。
元記事はカメラマンの立場からRAWデータを渡せない理由を説明し、それでもクライアントの不利益が少ないことを説明して理解を求める内容。「RAWデータは作りかけのもの。自分の名前で世に出したくはない」「そのことでクライアントに不利益が生じないようきっちりと仕事をしているので、理解してほしい」「しかしカメラマン側も事前に契約を詰めるなどの取り組みは必要」という流れ。その流れを踏まえてブコメを読むと、とんちんかんなブコメがかなり多いことがわかる。
いわゆる写真の加工に対して、アレルギーを持った人が多いんだろうなと再認識させられた。身の回りにある写真はほとんどが加工済みだし、iPhoneで撮った写真でさえ元から強烈な補正がかかってる。ここまで写真が身近になった今だからこそ、写真の現像やレタッチについてカメラマンからも発信していかなければならないと思った。
id:toksato 結局なんでレタッチ前の写真を渡さないのかよくわからなかった。
本文中に"レタッチが終わるまでは、自信を持って「自分の作品です」とクレジットを付ける気にはなりません。"って書いてある。
ただ、元記事は「レタッチ前データを渡したくない理由」「レタッチ前データを渡す必要が無い理由」「同業カメラマンへの提言」がまぜこぜに書かれていて、主旨が読み取りづらいとは思う。
id:Akamemori お前それフィルムカメラでも同じ事言えんの?
ブコメで多数指摘されてるけど、銀塩時代も加工の技術はあった。現像やプリントの段階で、色味やコントラスト、シャープネス、粒状性は変えられるし、覆い焼きで部分的な明るさを変えることもできる。デジタルで幅が広がったのは確かだけど。
id:atoh 契約時にきちんと詰めろってだけの話だった。
id:aromabird 契約次第としか。中間制作物も納品義務のある契約なら納めるし、無ければしない。別料金。ただそれだけ。
本文で"撮影の前には、契約が成立しています。""これは、プロのカメラマンである以上、事前にしっかりと内容を詰める責任があります。"ときっちり書いてある。このコメントに星が集まってるのが理解不能なんだけど、みんな本文最後まで読んでないの?
id:nasuhiko レタッチっていうかほぼRAW現像の話だろこれ。翻訳者がわかってないのか、それらも含めて原文がレタッチって言ってるのか。プロでさえ1枚のベストショットの背後に何十何百という失敗ショットがあるのは同意。
海外の"retouch"は現像も含めた写真の加工全体を指す。"no retouching"なら、撮影後いっさい手を加えていない写真のこと。
id:kazoo_oo 追記でぐだぐだと契約だなんだ言い訳してるけど、前段ではそのrawファイルが自分より優れた現像者に出会う可能性を潰すことの理由を説明できてないよね。 </bockquote>
これは文章の読み取り方の問題。自分よりも優れた現像者に出会う可能性は潰しきれないが、カメラマン側の能力で相当小さくしている。カメラマンの被る不利益との天秤で、原則RAWデータを渡すことはできない。ただし信頼関係や契約次第で対応することはできるというのが本文の論。
IT業界でクライアントが「あとで使うから作ったソースコードや旧バージョン全部ちょうだい」って言ったら普通に断られると思うんだけど、それと同じ話。
id:jassmaz jpegだけ送られてきたらキレるわ。rawファイルもいらない。psd + pngを送るのが常識では?
psd+pngが常識というのには同意。その上で、クライアントが求めるものはまちまちなので、契約をしっかり詰めておきましょうというのが本文の内容。
id:oscdis765 これ右がレタッチ後なんだよね?左のが良いのが沢山あるんだけど
id:mfigure 上手けりゃ、原版渡せとは言われないでしょ。加工後の方が上手いといえない写真が多いんだけど、よく言うわ。
id:kantei3 思いあがっている。あと、左の方が良い写真が多いので、都合のよい例すら選べない低能なんだな、と。
id:paradisemaker いやー、商売が成立してるんならいいけど、元々のカメラの腕が良くないし、レタッチもそれほど上手くない。デジタル時代のカメラマンって感じだなぁ。
この手のコメントが多いのが本当に悲惨。使用イメージが頭にあるクライアントがカメラマンと話しながら詰めた結果、右みたいなタイプの写真が希望にあったというだけ。あなたたちがどっちがいいと思おうがまったく関係ない。仕事で右みたいな写真が好まれがちだからこそ、private workもそういう味付けにしてポートフォリオとして公開しているんだろう。
「デジタル時代のカメラマン」ってのがよくわからない。フイルム時代、大多数の人が見ていた写真は加工の入ったプリントと、よくて現像済みのネガぐらいで、RAWデータに相当する未現像ネガは見られなかったはずなんだけども。
id:zheyang う~ん、今でも撮影時に設定を絞り込んで、レタッチを最小限にしてる人もいるんじゃないか?/作例のレタッチ(フレア)がわざとらしくてCGくさい。この人の写真家としての腕がちょっと怪しい。
写真家とカメラマンは違う。「写真道」でも極めるならともかく、クライアントの希望に適う写真を納品するという立場において、レタッチを忌避する理由はどこにもない。最高の成果物を納品するためには、「撮影時に設定を絞り込んでレタッチを最小限にする」より「撮影時に設定を絞り込んだうえでレタッチで仕上げる」のほうが良いというだけ。フレアがわざとらしいとか、クライアントに言うべき。
id:xevra くだらんこだわりだ。写真家とカメラマンは違う、カメラマンならとっとと出せ。単に現像スキルに自信がないってだけなんじゃないの? 面倒臭い奴に発注するのはやめたい。
5000枚の未選別データを欲しいならそうするけど、それには相互の信頼関係が必要だし、契約段階から要求しておいてほしいという話。
id:aceraceae いらないとこ白飛びさせるの好きな人なんだなってことがわかった。
この人の好みもあるかもしれないが、クライアントの希望にもあっているからこそそれで納品されたんよ。あと向こうの雑誌や広告をちょっと見ればわかるけど、こういう派手でやり過ぎっぽい写真はかなり好まれてる。
今すぐ書け。火種が燻ってる今のうちに早く書け。
タイトルは「上司が分かってくれないあなたへ」とかそんなん。ベタでいい。
間違っても「ビジネスリーダー」だの「ビジネスマインド」だの言い出すなよ。編集とは断固戦え。押通せ。
お前の味方であるおっさんは、(可愛いのに)自分に自信がなくて、(そこそこ程度に)頭が良くて、(自分よりも)格下なお前が好きなんだ。
「現代ビジネス論とは」みたいに大上段から振りかぶるな。空振りするから。
お前が書くべきなのは「(おっさん的に)若くて可愛い子が(おっさんから見て)何にも分かってないけど(おっさんのために)一生懸命書いた」ビジネス書だ。
とんちんかんでいい。ポンコツでいい。
それなら一番得意な分野だろ。
清純派なルックス、ちょいダサコンサバファッション、ポカリのCM的な清潔感、高学歴。
オタサーの姫ならぬオジサーの姫である北条かやが狙うべきはどう考えてもおっさん。
いいからはよ書け。
どんだけ明後日な内容でもおっさんは満更でもなく「なんにもわかってないなーこの子」って言うから。
そう言いたくて買うから。
私は経済学部に在籍し、地域経済学についてのゼミに参加している。しかし、どうにもゼミのやり方がよくわからないのだ。特に盛り上がらず作業のようにこなされるため、どうも私は為になっているのかわからず、やる気が出ない。もともとそんなに偏差値の高い学部でなく、熱心な学生が集まる学風ではない。そのためか教授の中にも講義を淡々とこなすタイプが多いように感じる。ゼミでも同様な雰囲気を感じている。ゼミは主に、大学のある地域の地域経済について自由に考察し、1回のゼミで2,3人がまとめたものを順にを発表する。1人終わる度に学生同士で質疑応答、話し合い、教授が説明を挟んでいくスタイルである。ゼミの前日に教授へ発表内容をメールで送信するため、余程とんちんかんな内容でない限り教授の補足で学生はそれなりに理解することができる。
と、文章でまとめてみたが、ゼミのやり方は問題ではないかもしれない。やはり、ゼミに対して感じる納得のいかなさ、意欲を持って向き合えない理由は学生の側にあるだろう。私を含む学生の考察内容は殆どゴミみたいなものだ。酷い人は一晩でまとめたかのような書籍の引用の羅列をしてくる人もいる。ゼミ内で漂う低まった雰囲気も、熱意を感じられない教授も、レベルが低すぎる我々によるものならば当然だろう。
どうしたものか。正直、私はゼミに対して期待していた。同じ分野に興味を持った学生同士で勉強をしていくという環境を楽しみに思っていた。実際はうまくいかなかったが。実は私が分野について理解を深めたいのではなく、学生同士の慣れ合いを望んでいたのならば仕方ないだろうが、やはりそうなのだろうか。卒業論文を書くのを楽しみにしていたが、すっかりやる気も無くなってしまった。
さっきハリーポッターを読んでたんだけどね。
「ハリーポッターと賢者の石」から「ハリーポッターと死の秘宝」までのタイトルをじっと見ていたんだ。
よく見たら、っていうかよく見なくてもね。
この作品、有名作品のタイトルにしては非常に普通すぎだと思わない?
ハリーポッターは今となっては伝説の作品。だけど、進撃の巨人とか、人間失格とか、そういうタイトルを見ると、
なんだろう? 面白そう 読みたいな って思うよね。だけどハリポタは、そういうタイトルのつけかたしてないのよ。
あ、ちなみに翻訳されてないほうのタイトルは知らないからその話はスルーで。日本訳タイトルのほうだよ。
ハリポタが有名だってことを知らない人が見たら、人気作品だってわからないと思うの。
一言で何かを言いあらわすのってけっこう難しいよね。うんでも、実は、ハリポタは見事にその本の内容をピッタリ言い表せていないわけでもない。
ネタバレになるから言わないけど、読み返してみて、タイトルに戻ると、その「ハリーポッターと〇〇」のアイテムの部分は何度、読み返しても、見事にしっくりくると思えることがある。
ある意味ではタイトルらしいタイトルだったのかもなって思った。次のタイトルにくるアイテムはなんだろ?ってわくわくするしね。
コピーライティングっていうのかな。タイトルで人気が変わったりすることあるよね。ネットだとそうはいかないかな。増田には普通ぽいタイトルが多いけど、
WEBサイトで「HPの作り方教えます!」とかどこにでも見るタイトルでやってたら、それだけで終わっちゃうよね?
ただ、けっこうハリポタ風に「普通+ちょい足しタイトル」は実は多い。最近、「大事なコップが割れた!?その華麗なる対処法」みたいなの多いでしょ。
「HPの作り方の極意!大事なのは強い意志」「HPの作り方は間違えるとこうなる!?その悲報を発表」とかね。
あんまり凝りすぎると逆によくわからないって去っていくからね。とんちんかんなタイトルも面白いけど、
普通なタイトルに、ちょっとだけ何かが工夫してあるものって、けっこうツボっちゃうんだよね。
そういう「地味に微妙な感じでアプローチしてあげる」って、私たちの心をかなりくすぐってくれるのだと思うよ。
だからってそうアプローチしたところで私に恋人はまだできないからね。
なんともいえないわ。
佐野五輪エンブレムは超弩級の駄作! - INSIGHT NOW!プロフェッショナル
大阪芸術大学教授という肩書きになっていて、一応美術の博士号は持っているらしいが、東大卒で専門は哲学。少なくともデザインの専門教育を受けた形跡はない。
佐野氏のオリンピックエンブレムがいかに駄作か、いかにも論理的に解説している風の記事を寄稿しているが、初めから批判ありきで筆を進めているから、展開している論理がむちゃくちゃだ。特に色の解説が酷い。
「黒は、ほとんどすべての文化で、死や悪、権力、固着、腐敗、を意味する。同様に、赤は、血のシンボルであり、命や致命傷だ」
・・・じゃあなにか? Jリーグのマークは、死や悪と血のシンボルを掛け合わせた、醜悪なデザインって事になるのか? とんちんかんにも程があるだろう。
紅白+金銀+黒なんて、日本の凡庸な伝統的配色だよ。何言ってんだ。
大阪芸術大学教授なんて肩書きで延々とピンぼけの思い込みを垂れ流しやがって。信じる奴が出ちゃうだろう。勘弁してくれ。
香山リカと小林よしのりの対談の話題を見てからどうにも我慢がならなかったのでここに書きたい。
小林よしのりはアイヌは既に血が薄くなっていて民族と言えないというようなことを言っていたらしい。
中国はチベット侵攻からしばらくの間はともかく、現在はその土地へ漢民族を移住させ経済的に支配する事で困窮するチベット族の女性が漢民族の男性と結婚するという類いの同化政策が主だと思う。
中国があと100年、世界の声を無視して、今のアイヌと同じ程度に混血が進めば、小林よしのりと同じ事を言えば許されることになる。
小林よしのりは確か九州出身だから、現実感というか関心が今まで無かったためにこんな矛盾した事を言うのだと思う。
かつて日本人がアイヌの民族的特徴を研究する為に勝手に墓を掘り返したり、祭や儀式は宗教的な意味合いのあることは日本文化でも同じはずだが、観光目的で毎日その儀式をさせ、その意味を失わせるようなことをしてきた事。
それに怒りを覚えて活動し、議員になってアイヌ新法が制定される原動力となった萱野茂の存在を知っている北海道民としては、小林氏の発言はとんちんかんで無責任としか感じない。
アイヌの人たちは昔ほどではないにしろ、今も差別を受けていて、中にはそれがきっかけでアイヌのアイデンティティを意識し活動している人もいる。
彼らはそもそも差別の原因が民族の違いに基づくものだから、差別がある事そのものがアイヌが民族として確かに存在している事を示している、ということを皆も素直に受け入れられるのではないか?
ただ、差別が受ける側の人間は、差別する側にとって自分達とは違うグループの人間だという考えがあるとすれば、差別されるグループはある意味民族の要素を持っているのではないかとも思う。
例えばオタク。
脱オタが必要とされる服装は民族衣装と同じでやっぱりそれを理由に差別される。
差別される要因となる考えに基づく文学、芸術作品がある、つまり文化。
専門的にはどうかわからないが、少なくともより大きな枠、或いは別の視点で民族、部落(東北あたりから北だけかも知れないが集落の意味でこの言葉を使う。差別的な意味ではないが、結局、差別の原因となる多数派とは異なるグループと言う意味では同じだと思うのであえて使ってみた)をとらえなおしては?と言う問題提起としては悪くないし、議論の余地はあると思う。