今、三十代半ばなんだけど、曾祖母が健在なんだ。100歳。
小学校に上がった頃だったと思うんだけど、勉強をして立派な会社に入ればクーラーの効いた部屋で仕事ができると、そんな事を言われた。
曾祖母は百姓の出で、百姓に嫁ぎ、6人の子供を産んだわけだけど、時代がら学校に通っていないんだ。
60過ぎまで道路工事の作業に従事した曾祖母の目には、エアコンの効いた部屋で仕事をする俗に言う「ホワイトカラー」がとてつもなく楽そうで、そのうえ高級取りで、ずるく見えていたのだろう。
周りにいたのは、百姓、大工、漁師くらい。総じて学がなかった。
そんな曾祖母からすると勉強をして、ホワイトカラーになるのは幸せなことだったんだろう。
僕自身、ホワイトカラーの一種に分類されて十年以上たつけど、さて、そんなに幸せか。
だが、仕事は辛い。
会社に500人いると話すと、半分は寝てるだろ、とか、下駄箱で靴を間違えられるなとか、とんちんかんなことを言う。
本を読んでいると、理解不能。生野菜のサラダを食べると顔をしかめる。
100歳にしては元気な方で、特に介護は不要だが、耳はさっぱり聞こえない。
たまに帰って飯を食うと、動かないのによく食べると、嫌みを言う。
僕は曾祖母の意向により進路を曲げられたこともあり、当時は、曾祖母が死んだら元に戻ろう、くらい思っていた。
実は内心、早めの退場を願い続けてもう20年も経つが、まあ来年くらいにはお別れがきそうだ。
多分、僕は泣くだろう。
85歳の祖父もこんな認識だな。こういうのどれくらいの年代までなんだろう