はてなキーワード: ちらしとは
女性のホームレスは路上ではなくネカフェなんかに居るから実態が見えにくい、と言う話がちょい前にあったが。
http://b.hatena.ne.jp/entry/zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150516-00851952-sspa-soci
あとホームレスにも縄張りがあり、女性ホームレスは男性ホームレスに迫害されてより条件の悪い場所に追いやられがちらしいね。
そういう事がなくても、普通に考えて女だとバレバレの状態で路上でホームレスやってたら犯罪被害に遭う事間違いなしなので
男装するなり隠れてるなりするだろうな。
私は対人恐怖症をこじらせてうつ病を発症、ひきこもりの後、一人で動きまわって仕事(長期ブランクがあるので時間的にはほぼフルタイムだがもちろん正社員として就職などできなかった)をするまで何とか社会復帰するも統合失調症になって障害者手帳持ちに。
先日、兄弟の一人がうつ病で休職して実家へ戻るも、結局うつというよりもアルコール依存症であることがわかる。本人は未だ止める気がない。
毎日のように酒瓶一本空けてはコンビニへゴミを捨てつつ買い物に。
私についてもそうだったが、なかなか一人ではどうしようもない。都会であれば色々と支援もあるが地方には無い。
お金がないのを恨みはしないが、家族が病気になっているのに、本人が解決するものだといって、その家族の病気について本も読まず、テレビなどのチェックもせず、何も調べないというのはどういうことなのだろうか?
私については子供の頃から色々とストレスから来る精神疾患のようなものはあった。しかし、一度も病院へは行くことはなかった。
病院へ行くことで私がショックを受けることがあるかもわからないが、自分ではどうしようもない症状を「止める努力をしろ」と言われてもどうしようもなかった。
世間体を私は親以上に気にするが、他の町の病院へかかっても良かったと思う。
子供の頃からの問題でもそれは「心配だったが様子を見た」と言い、大人になってそれをさらにこじらせれば「大人なんだから自分でどうにかしろ」でここまで来てしまった。
私だけが特別おかしいので病気になったと思いたかった親の願望は、兄弟のアルコール依存症で脆くも崩れた。
しかし、それでもやっぱりうちの親は何もしない。そもそも酒を昼間から飲んでいることに気が付かなかったらしい。
お金もないのに人が動かず、変化に気がつけないのに様子を見るだけ。
依存症の場合、家族が酒を飲ませないようにしてすら、行動に不都合を感じない依存症者が隙を見ては酒を買いに行ったり、勢いで衝動的に散財したり、暴力沙汰を起こすなどトラブルを起こすというのに、そもそも家族が酒を飲むのを認めているとかそもそも気がついていないという有様。
ひきこもりが長期化したり、それでも支援団体に繋がらない親とか、サリン事件の実行犯の親を含めた信者の家族の話をメディアで見ると、やっぱり共通する問題があるのだと思う。
そういうものを見る人はそれだけで全然違う人なのだが、そういう人たちほど、それを見て自分にも反省するところがあるという。
そういう人の子供は問題が起こっても、少しずつ必ず変わるものだと思う。
実際、こじらせ続けている人と、図書館へ出かけられるようになった、買い物をできるようになった、バイトを始めたと徐々にではあってもあるいは生きつ戻りつしても、ステップアップする人の両方を見た。
こじらせ続けている人は、私の家族と同じで支援団体につながることも何の情報を得ようとすることもせずに、「真人間になってくれ」と事あるごとに言われていたらしい。
私はその人を見て自分の将来が見えるようだった。
アダルト・チルドレンというのはアルコール依存症の親を持つ子供に共通して見られる性格傾向から来ているようだが、今ではアルコール依存症でなくともアダルト・チルドレンを生む機能不全家族はいることは認められるだろう。
親や家族自体が、当人の症状を悪化させるので、生活保護を受給させて自活させた話も以前、新聞で読んだ記憶がある。
その人は確か女子高生だった気がするが「あのままだったら家に火をつけていたかも知れない」と当時を振り返った言葉が印象に残った。
今の生活保護受給者に対する風当たりを考えるとそれも難しくなってきているとは思う。
それなりに順調な人生を歩んでいる人は誤解していることだが、障害者年金だけで生活出来ている人はほとんどいない。
精神障害では国民年金では2級でないと障害者年金は受給できない。厚生年金に入っていれば3級でも受給できるそうだ。
さらにバイトをしてその収入と年金を合わせれば生活していけるという人でも、継続して働いていることを持って等級を下げられて年金が受給できなくこともあるそうだ。
自治体によって対応がまちまちらしく、東京では障害者枠で就職し年金と合わせた収入で自立できている人もいるそうだ。
生まれた家や地域によって、生きる困難さも病気になった後の生き方も随分差があると思う。
問題から病気になって薬を飲むが、そうするとぼんやりしてしまって何もできなくなり、家族の問題に対応できなくなる。
ただクリアになればその分、元の苦しさが蘇ってくる。当然だ。
そろそろ本当に医者の言われた通りの薬を飲んで、ぼんやりぐったりして障害者としてふさわしくなり、施設へ行きたい。
向こうもそう思っているだろうが、こちらも家族を捨てたい。
薬を完全に抜いて文章が書けるくらい頭を幾分かクリアな状態に戻しても、することが愚痴を書いて匿名ダイアリーを汚すくらいなのが情けない。
2011年にこの増田を書いた。姉が出産したが、娘は生後1ヶ月で亡くなり、翌年生まれた長男も生まれて一週間で亡くなったって話。
http://anond.hatelabo.jp/20111005234524
この話はいまも続きがあって今は私の話にもなってる。
姉はその後、大きな病院で先天性ミオパチーという病気を疑われ遺伝子検査をした。このとき、いつか子供を生むかもしれない私には、遺伝の病気じゃないから大丈夫だよと説明をしてくれた。
それから4年が経っても姉は病気について調べたり、東京の大きな病院で検査をしたりしていたが詳しいことは聞いてなかった。問題ない遺伝子だったらお腹に戻して妊娠出産するための審査に通ったとか順番待ちだとかを軽く耳にしていた。
私は私で結婚が決まり、30歳までに子供も産みたいなぁとキャリアの計画を立てはじめていた。そんなとき姉からきたラインは、お祝いの言葉と念のため遺伝子検査を受けてほしいというものだった。あれ?たしか遺伝は関係ないっていってたのに、、?と思ってすぐさま詳しく聞くと、何年も前に疑いがあった先天性ミオパチーではなかったとのこと。遺伝子検査は血液検査とは違い一つの病気に絞って検査して、違ったらまた何かの病気に絞って検査しかできないらしい。当時はまた一から調べ直しになり、原因不明のまま数年が過ぎていた。
その後母がたまたま大腸ガンになって入院していた病院で遺伝子外来をみつけ、再度カウンセリングを受けた。そこの先生が筋緊張性ジストロフィーという病気を疑い、再度遺伝子検査をしたところ確定したそうだ。姉から子供に遺伝していたのか、姉の旦那から遺伝しているのかは医師のアドバイスもあって今は明らかにしなかったらしい。(あとあとお前のせいだ!とかでもめがちらしい)
でも姉は私だと思うと話していた。母の白内障と、女から遺伝した方が子に遺伝するにつれ重症化するという話からでた姉の予想。ちなみに私や姉には一切症状はない。
まず最初にもった感想は、でき婚とか狙ってなくて本当によかった。
こどもができてから、子供に筋ジストロフィーが遺伝してるかもなんてなったら耐えられない。
いまは姉と姉の息子の遺伝子検査結果を持って都内の病院に通い出した。
遺伝子検査をするにはいろいろな条件が必要で、道のりは長い。実費で一回1時間2万円のカウンセリングを最低二回以上受けた上で初めて検査できるかどうか決めてもらえるらしい。
検査の前に保険に入らないといけないだとか、もし遺伝していた場合の未来予想図を提出するだとか、いろんなことがたくさんある。
カウンセラーは、知らなかっただけで遺伝してることは他にもあるかもしれないし、全てを知ることはないんだから調べないという手もあるのよ。と話してくれたが、そんなの考えられない。
遺伝してたらどうしよう、という考えても結果が変わらないことを考えるのは一番嫌いだ。
はっきりさせたい。姉の辛い姿を見たうえで、遺伝してるかわかんないけどこどもつくろっかな!なんてのも絶対無理。生まれてすぐこどもが死ぬなんてあんな悲しいことはない。生きていたとしても障害を持っていたら養う甲斐性も覚悟もない。遺伝していたら子供はつくらないと、夫になる人とは決めている。
50%って高いよね?
はやく、結果を知りたい。
そして、できれば私もお母さんになってみたい。
逆を返すと、テレビや雑誌などで美人ともてはやされる女性に心がときめいたことがない。
当然大切なのは性格だ。しかし、見た目の好みがメジャー志向じゃなくて良かったと思っている。
まず何より競合が少ない。
同性と異性の好みについて話をしても、かぶることがまずない。
例えば合コンをしたとしても、狙っている相手がかぶったという経験をした試しがないのだ。
それに比べてメジャー志向が強い友人たちはいつも奪い合いをしていたし、時に略奪愛などの醜い争いを見せることすらあった。
そうして一時”ブス専”というレッテルをはられたことがあり、過去に一度だけ彼女と呼べる女性に「あなたがブス専って本当?」と聞かれたことがあって返答に困った。
そのことが原因かその女性とは長くは続かなかったが、今であれば「見た目より中身を大切にしてるんだよね」とかうまく答えられたかもしれない。
結婚をした相手の顔は正直あまり好みではなかった。それ以上に性格や生活習慣、生い立ちの文化が似ていたことが決め手となって結婚に踏み切ったのだ。
世間では美人と言われる顔立ちらしく、ぼくをブス専と呼んでいた友人たちは一様に裏切られたと文句を口にしていた。
相手にしてみると今までは美人だとちやほやされてきた自覚があるらしいのだが、見た目にはほとんど触れずに性格や背景などに興味をもってくれたぼくを信用できると感じてくれたそうだ。
だとすればなおさらに申し訳ない。あなたの見た目には興味がなかっただけなのだ。
喜ぶべきことは、男女一人ずつ授かった子供たちは可愛らしい顔をしていることだ。
ただ嫁に似ただけならつまらないと感じただろう。思えば自分という要素が加わってより不完全さをましたことが可愛らしさと感じられているのかもしれない。
思い返すと、過去に好んだ女性の顔立ちについてもどこか不完全でアンバランスだった。
おもちゃだって完成したものを手に入れるよりも作り上げる楽しさが残っていたほうが魅力的だ。じつに単純な話だったのだ。
おかげさまでここまでつまらない女性問題に巻き込まれたことがない。
世にあふれる美女たちと見比べてパートナーが劣っているだのと感じたことはないし、そもそも好みと思える女性に出会う機会も少なかったからだ。
メジャー志向の顔立ちを好む男性は苦労をしていると思う。倍率が高い上に手に入れてからも競争を強いられるのだ。
嫁には申し訳ない話かも知れないが、嫁が美人と言われる理由が理解できないままに女性の好みがメジャー志向ではなくてよかったとすごす今日このごろである。
キレる原因は、まあ普通に口喧嘩がだんだんヒートアップしてという場合もあるけど
皿が片付いてないとかイスを引いてないとか、そういうささいな理由で
前ぶれなく怒り狂うことがある。
同じようにだらしなくしていても怒るときと怒らないときがあるのが何よりしんどい。
お願いだからせめて一貫してほしいのだが、指摘(「皿を片付けろ」とか)自体は
自分や母が
「そっちだって片付けてないこともある」「そういう攻撃的な言い方をするな」
なんて言うと、
皿が割れんばかりのでかい音を立てながら「皿を片付けてるだけだけど何か!?」
「お前らのクソみたいな話は聞きたくない。話したくない。黙れクソが」
とスネて解決を放棄する。
こんなガキみたいなクソ親父こっちだって無視してやる、と言いたいところだが
障害もちで自立困難な弟の面倒を家族全員で見る必要があるからだ。
弟は一日中家にいると体力をもて余して眠れなくなるので、休日も外出させないといけない。
風呂やトイレは一人でできるものの、盛んにイタズラをするので監視が必要だ。
弟を見てる間、その人間は他のことができなくなる。
ヘルパー等を頼めない時間には、家事役と弟のお守り役の二人がいなきゃ家が回らない。
父親は家事やお守り自体はとてもよくやってくれる。そこについては感謝している。
キレて弟に怒鳴りちらし、どつき倒すことさえしなければ完璧と言っていい。
キレてるときの父親は家にとってはむしろマイナスで、いないほうがありがたい。
加えて最近、父親が十年以上前に水商売の女にそこそこの大金を貸して愛人にしていたことが発覚し
(それがバレたことをおそらく父親は知らない)、母の情緒も不安定になっているので
自分が母と弟を置いて一人で家を出ていくのは嫌だし
URLまで張らないけど、さっき読んだ結婚のメリットとかいう記事うそくせえ。嫁と結婚した当時は脳内お花畑だったけで半年もしたら白けるわ。1年前に子どもが出来たけど全然可愛くない。独り身だった頃は色んな女と付き合えたし風俗も月2~3回行けた。今は性的に無能になった感じ。正直つらい。痴漢系のAVでオナニーして寝るの毎日。この前、嫁にAV見てるのバレたけど別に怒られなかった。子ども産んだら不倫でもしない限り勝手に精液まきちらしてろってことだろう。もう子ども産んで体形が劣化しまくった嫁とはセクロスする気が起きない。もうどうでもいいよ。でも出来たら嫁にJK制服着せて痴漢プレイしてみたい。お堅い人だから無理だけど。あーあ。
後の二人はお金を払わずに済んだタフな人たちらしい。俺はザコなので4万5千円払ってしまった。「騙された!」と怒る気持ちはもとよりなく、自分の愚鈍を情けなく思うばかりだ。この損失は勉強代としてこの先の人生で減価償却していこうと思う。あとこの記事で一人でも被害から守ることができたらその人の損失を肩代わりできたという気休めにもなる。
感想については、最初にリンクした記事と全く同じなので、そのまま引用しよう:
男性のお茶の解説のうまいことうまいこと。あれは熟練の技だった。日本で茶道の解説員として店をたてれば、お茶の試しのみ&解説で一回6,000円でも結構需要がありそうな気がするほどの見事さ。もし、男性がアフターフォロー役だったら、彼のトークで別のものを買わされていた可能性があるほどのうまさ。風貌は荒俣宏風だったので(女性曰く27歳とのこと。30代中盤~後半の風貌だった)、まさかこの人が騙すとはとという感じだった。
あんなに英語ができて、あんなに会話がうまい人たちなのに詐欺まがいの仕事しないといけないとは、二人組の女性が言っていたセリフ「中国は貧富の差がすっごく激しい。上海は本当の中国じゃない。お金持ちの街だ。」「中国は不公平だ。大都市で働きたくても働くためのIDが取れない」というのがそのとおりなのだなぁと思った。
うん、騙されたのにあの二人がそれほど悪く思えない。彼らはプロで私はまごうことなきカモだったという感じ。私は今後も騙されそうだ。気を付けよう。
皆も気をつけてね。はぁ。
父と母がもう3ヶ月以上口をきいていない、正確に言えば父が母と口をきかなくなった。
最初は些細な喧嘩だった、母が飲みかけにしていた小さなパックのジュースを父が捨てた。
それを母が怒ったら、父が謝りもせず逆ギレして怒鳴りちらして、時間が経って母が話し掛けても父が答えなくなった。
それが始まりだった。
私は知らなかったが、実は去年も同じようなことかあったらしい。
その時は父の実家に夫婦で帰省した際に母が祖母に軽く笑いながら父と会話していないことを伝えて、祖母が軽くたしなめたらしくその帰りの車中で喋るようになったようだった。
今回喧嘩する前は父と母は週に一度は2人で買い物に行っていた。
おしどり夫婦というわけではないが、毒を吐き合うような、なんともいえない友人のような2人だった。
父は昔から突然キレるところがあり、(母はわかっていたかもしれないが)子供の私は父のキレるタイミングが理解できず、父が嫌いだった。
しかし私が高校2年になったあたりから丸くなり、特に私と弟には優しくなった。
今回の喧嘩の原因のジュースを捨てたことも、私が怒ったなら父は逆ギレして怒鳴りちらしたりしなかったと思う。
謝りこそしないが、同じジュースを買って冷蔵庫に入れておいたかもしれない。
この態度の差が私には理解できない、父には21年間養ってもらって本当に感謝しているが、今また父が嫌いになりそうだ。嫌いだ。
なんでいつまでも子供みたいにごめんなさいが言えないんだろう?なんで「その言い方が気に入らない」なんて逆ギレするんだろう?なんで私と弟には優しくて母には厳しいんだろう?
父は母とは口をきかないが私と弟とは以前と同じように話す。
私は表面上は以前と同じように話すが、父が突然キレるんじゃないかと内心怯えている。
だってわからないじゃないか、もしかしたら私の言い方が気に入らないとあの恐ろしく大きく怖い声で怒鳴りつけられるかもしれないんだから。
私がまだ幼稚園に入るより前、遊ぶのをやめない私を父が怒っておもちゃを床に叩きつけて壊した。
そのとき電気カーペットについた傷を見る度に思い出して怯えた。
家族旅行に行ったとき握りっぺをされたから怒って父の枕を踏みつけたら強く叩かれた、成人男性の力に強く恐怖を抱いた。
小4のとき肩で抱えられて股をワシャワシャと気持ち悪くくすぐられた、既に性的知識があったので本当に嫌で暴れたらまた叩かれた。
どれも父にしたらなんでもないことだろう、読んだ人も?と思うだろう。でも私は今回の事件でそんなことを思いだして、やはり父は怖いと思った。
母はストレスが溜まってきているようだ。
私が泣いて縋りついて頼めば父は絶対仲直りするだろう。
そこまでわかっていてできない。
それは母を想う気持ちよりもし怒鳴られたらという恐怖と、父に頭を下げたくないという小さなプライドのようなものの方が大きいからだろう。
やらないといつか後悔する
それもわかっている
それでもやらない私はどうしようもない親不孝で自分のことが一番大事なお子様で最低の人間だと思う。
ごめんねお母さん。
私はずっと前から友人と年越しすることにしていた、
逃げたんだ、私は、と今更気付いた。
これで祖母がまた父をたしなめればもと通りになるのかもしれない。
でも私はまた一つ父に本音を話す機会を逃した。
あの時怖かったとか、母とは仲良くして欲しいとか、そういう話しをするチャンスなのかもしれない。
けど、きっと私はそれをできない、このまま一生できない。
ごめんなさいが言えない父と同じ、ずっと言えないだろう。
握手券付きCDを3枚買った。なぜ3枚かというと、CDが3種類あり、収録されているカップリング曲とがそれぞれ若干違うのと、おまけDVDがそれぞれ異なるからである。
会場は京都パルスプラザというところ。最寄駅は近鉄奈良線、もしくは地下鉄烏丸線の竹田駅。
13時頃会場到着。AKB48での握手会襲撃事件を受け、入口でボディチェックがある。手荷物確認、飲み物の試飲、金属探知など。空港の保安検査をざっくりやってるような感じ。チェックのレーンが5~6か所程度あるので、特に待ちはない。
入場してまず驚いたのが、床にビニールシートを敷いているファンが多数いること。どうも乃木坂46トレーディングカード(そういうのがある)の交換待ちらしい。なんとかいうカードを持ってるのでなんとかいうカードと交換しましょう、みたいな手書きの札を立てている。あと、卒業が決まっている市來玲奈さんへの寄せ書きを募っているファンのコーナーもあった。この辺、主催者側とどういう折り合いになっているのかよく分からないが、随分自由なんだなと感心した。
真夏だし暑さを心配していたけれど、場内は一応空調が効いていた。ファンの男女比は9:1くらい。
さて、握手ゾーンへ入る。ゾーンの入口で最低1枚の握手券持っていることを示す。中に入ったあとは自分でレーンを選び、並ぶことになる。レーンは原則二人のメンバーで一組になっており、必然的に推しメン以外のメンバーとも握手することになる。また、レーンの序数は(推定だが)その前に行われた「個別握手会」(「全国握手会」と別に、メンバー指定握手券付きCDを買って参加する握手会)での売上順になっており、第1レーンが最も売上の大きい西野七瀬さん(と川村真洋さん)、第2レーンが2番目に売上のある白石麻衣さん(と伊藤寧々さん)、第3レーンが秋元真夏さん(と斉藤優里さんと大和里菜さん)と続く。これは随分嫌味な配置だなと思った。
自分は第11レーン(川後陽菜×高山一実)へ並ぶ。13時開始の予定だが、まだ列は動いていない。自分の前には30~40人ほど並んでいる。じきにアナウンスがあり、握手が始まる。列が進む間に隣の第12レーンの握手ブースから堀未央奈さんがちらっと見え、「えー、なんだこの美少女は!」と度肝を抜かれた。特に推しというわけではなかったが、衝撃を受けた。
握手ブースからは握手を終えた人が次々と出てくる。老若男女みな実に満足げな表情である。
いよいよ順番がやって来る。ブースの手前で、スーパーの買い物かごみたいなのに手荷物を入れ、手ぶらになる。さらに女性のもぎりに握手券を1枚渡し、さらに両手の表裏を見せる。握手ブースに入る。ブースには、メンバー一人につき剥がしの人が一人待機している。剥がしの人はストップウォッチを持っており、律儀に5秒をカウントし、肩を掴んで移動させる。高山一実さん、川後陽菜さんと握手し、出てくる。一瞬である。一瞬であるが、なるほど、みなが満足げな表情をして出て来るのが分かった。
その要因は、
です。
ちょっと腰が砕けそうになったので一息つく。しかし、メンバーの手のひらはみんなさらさらしていたけれど、ベビーパウダーでも使ってるんでしょうかね……
引き続き、第6レーンの斎藤ちはる×深川麻衣へ並ぶ。これもやはり隣のブースから見える橋本奈々未さんがめちゃくちゃ可愛い。喉を痛めて声を出せないらしいのだけど、「ありがとう」と吹き出しを書いた札を持っており、握手のたびにそれを顔の脇に持っていくのも可愛らしい。10分ほど待って、斎藤ちはるさん、深川麻衣さんと握手する。
3番目は第7レーン(樋口日奈×松村沙友理)へ並ぶ。このレーンはこれまでで一番待って20分ほど。待っている間に左隣の第6レーン(斎藤ちはる×深川麻衣)が一回捌けてしまっていた。これ、メンバーは悔しいだろうなと思う。なぜ隣のレーンであんなに行列ができているのに(しかも売上的には一歩下なのに)、自分のところは誰も並ばないのか……順番が来て、樋口日奈さん、松村沙友理さんと握手する。
持ってきた握手券を使い切った。が、やっぱり握手を続けていく内にテンションが上がるし、ちらっと見える他のブースの子も可愛いし、自分ももう大人なんだし、10枚くらい握手券を用意しておけばよかったと思った。会場内でも握手券つきCDを販売しており、ふらふらと向かったのだけど、通常価格約\1,400に対し、約\1,700で販売しており、手間賃かもしれないけど阿漕だなーと思い、我に返った。
メンバーもいったん休憩に入るとのことで、残っていてもすることないし、十四時頃に会場をあとにした。帰りに京都の錦市場へ寄り、麩嘉という店で麩まんじゅうをお土産に買った。あとでまとめブログなどを見ると、その後もちょっとしたイベントがいくつかあったようで、少々残念。
感想だけど、それぞれの握手の時間が短すぎて、ほとんど記憶には残らない。ただ、どのメンバーも顔が小さくて、からだが細っこい。太ったと時々揶揄される松村さんですら、驚くほど顔が小さかった。会場内には女性ファンもおり、その中には結構可愛い顔をした子も多かったけれど、メンバーは一つ次元が違う。なんというか、妖精さんみたい。
AKB48握手会襲撃事件後、AKBのメンバーや乃木坂のメンバーが節々で握手会を再開したいと漏らしていたのだけれど、その理由も少し分かったような気がした。我々が普段仕事をしていて「これが本当に社会の役に立っているのだろうか、単なる歯車に過ぎないのではないだろうか」とふと考えるように、勝手な想像だけど、アイドルもまたCDの売上やテレビの視聴率だけではなかなか仕事の実感が湧かないのではないだろうか。それに比べ、握手会は自分の仕事がファンに喜びを与えている、というのを文字通り肌で実感することができる(同時に、自分に握手したいという人々が門前市を為しているのは、自尊心を強烈に満たすことだろう)。ただ、我々の仕事が、社会に役立っているという実感を得るためにやっているのではないのと同様、アイドルもまた握手会だけに没入してはいけないのだろうけれど。
「topisyu にセクハラを糾弾する資格はないでしょ? 」http://anond.hatelabo.jp/20140704234040
を書いた増田にひとつ聞きたいんだけど、【「topisyu」が「糾弾」した「セクハラ」】って、具体的には何の件??
なんでこんなこと聞くかっていうと、自分(topisyuっていう人とは無関係の別人)、以前にセクハラ野郎と増田でやりとりしたことがあって、「もしかしたらこの増田、あの時のセクハラ野郎なんじゃ??」と思ったから。
よくわかんないけど、もしも、もしもだよ、この「topisyu にセクハラを糾弾する資格はないでしょ? 」を書いた増田があのときのセクハラ野郎だとしたら……いっとくけど、topisyuっていう人はまったくの人違いだよ。「あのとき(仮)」あんたのセクハラを糾弾(?)したのはtopisyuっていう人じゃない。自分だ。
topisyuっていう人を、私怨(しかも人違い)で難癖つけて誤爆してないか??
(「わが国は核兵器を保有しています」と表明している相手に対して「こいつ核兵器保有してやがるー!!」とわめきちらしながら自前の核爆弾を暴発させてるようにみえるが……)
というのも、大元記事の「狂気」(http://anond.hatelabo.jp/20140703034518)はパーソナリティ障害・ボダの話で「ハラスメント」全般の話なのに、唐突に「セクハラ」って限定して斬り込んでるからさ……ムリクリ難癖系の私怨かな?と。
(みんなでブラック企業に関するテーマを話し合ってるときに、「あの上司は本物のスケベだと思う」って話が唐突に出てきたような違和感…)
http://anond.hatelabo.jp/20130901220935
のポストを見て書く気になった。
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うちは両親が高卒で、親戚には中卒も多い。
貧しいくせに父方も母方も兄弟が多く、受け継ぐ畑がなかったとかで、
県内どころか隣接県にまで跨って親戚一同散り散りになっている。
みんな鳶職、土方、ライン工、その他低学歴っぽい職業の見本市。
同じ仕事でも大都市に出ればもうちょっと収入良いと思うんだけど、そういう発想はないらしい。
通ってた小学校では援助交際で子供を作った女子もぽつぽついたし、
親にネグレクトされててパン泥棒で糊口をしのいでる同級生もいた。
酒やタバコが悪いことだという発想なんてそもそもなく、
不良グループっていうのは女子を輪姦して新聞沙汰になったとかそういうレベルの話。
授業なんて半分以上成立してなかった。
僕はそんな場所に馴染めず孤立し、図書館で本ばかり読んでいた。
ネットもなかったし。
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歳の離れた従兄を東京の大学にやって、有名な電機メーカーに内定した。
みんな名の通った大学に進学していった。
僕は好きだった文学を楽しむためとある国立大の文学部に入った。
親も満足気だった。
親たちはみんな低収入だったけど、おかげで国公立なら学費免除も寮住まい余裕だった。
物価は高いけど、実家から野菜の仕送り+バイトで人並みの生活は送れてた。
だいたい都市のバイト代は高くて、頑張ったら親父の月収を抜きそうだった。
バイトとサークルの掛け持ちをしながらだったけど、そんな苦労をしたと思ったことはない。
幼稚舎から有名私立に通ってて月何十万も仕送りされてるのに「親から自立した」と豪語するボンボン、
親が教師で勉強一筋で鍛えられたという秀才君、17歳で酒を飲んだと悪ぶってる自称不良。
地元にいた「本物の不良」みたいな人も一人いた。
どいつもこいつもが馬鹿に見えた。
漢字を知らない、ことわざを知らない、日本の観光名所を知らない、ヨーロッパの国の位置を知らない。
なんで昭和初期の文豪の一人も読まずにこいつらは大学に来てるんだ。
なんだ、高い金払って塾でお勉強してきた連中ってのはこの程度なのか。
僕の中でどんどん歪んだ自尊心が形成されていった。
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ちょうどその頃、日本経済はリーマンショックの後遺症を抱えていた。
そして言われた。「君が学んできた文学とやらは我が社で何の役に立ちますか」
青天の霹靂だった。
成績も優秀だったし、表彰もされた。
「君が受けてるところは総合職じゃなくて、工場のラインじゃないか?」
それすら受からなかった。
工学部なら大学院まで行くのが「普通」なんだけど、もう勉強するのは嫌らしい。
秀才君は大学院からアメリカに留学した。数百万円の留学費は親がポンと出したらしい。
自称不良は大学院に進学した。後から聞いた話ではこれまた有名なメーカーの研究部門に入ったそうだ。
本物の不良は保険の営業に決まった。体当たり営業出来るタフさが受けたらしい。
「秀」の字が並ぶ成績表を見ながら僕は頭を抱えた。
年が明け、僕は卒論を提出するか悩んでいた。
新卒でないと就活は厳しい。しかし留年すると学費免除は厳しい。
卒論は我ながら酷い出来だった。もっと資料を読んでいれば、もっと深く有意義な考察が出来たはずだった。
しかし就活に忙殺され、一時は精神科にも通っていた僕に、そんな時間も体力もなかった。
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大都市にある、名前だけはどこかで聞いたことのあるような企業の事務所だ。
そこで見たのはよく見知った光景だった。
管理といえば聞こえは良いが、要するにサポート、補助、下働きだ。
大卒も高卒も関係なく採用されているポジションで、実際同期の過半数は高卒。
職場で交わされるのは、地元の祭で親父たちが交わしていた、パチンコと競馬と風俗の話。
僕は一度壁を超えて、そしてここに帰ってきた。
僕は壁のこちら側で生まれ、あちら側に行き、そして帰ってきたんだ。
いったいあの四年間は何だったのだろう。
夢だったのか、幻だったのか。
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地元の連中の中には地元で教師になり、警察官になった人間だっていた。
彼らは僕より学歴が低いけど、僕よりよっぽど良い地位と収入を得ている。
着の身着のまま上京して劇団に入って、苦労しながら生活してる奴のちらしももらった。
もう僕には彼らも壁の向こうの住人のように見える。
僕は、僕の親たちは、壁が学歴の間にあると思っていた。
大都市には夢があると思っていた。
夢はあった。でも掴み方を知らなかった。
今日も、「荒れる新成人」という毎年恒例の話が出てくる。しかし、新成人に文句を言って嘆く既成人たちは、「なにがなぜ悪いのか」を説明して叱れるのだろうか? 叱責が説得力をもつためには、なにがなぜ悪いのかを説明し、しかも叱る当人が己を律していなければならない。
「人を殺してはなぜいけないのか」という疑問が話題になったことがあったが、「そうした疑問をもってはならない」という社会気質が、この国にはある。何も考えずにただ「殺人=悪」だと言う。しかし、そんな思考停止では、真の倫理観は育つまい。究極的には、刺すか刺されるかの状況になれば他人を刺すものが必ず出るし、「死にたい」と思っている者には「他人を殺すまい」という抑止力はきわめて働きづらい。ただ単に「殺人=悪」だと言って洗脳するのでは、ものごとは解決しない。
この社会にあるのは、道徳倫理ではない。潔癖症なのだ。言い換えれば、怖いのだ。多くの者が、死を怖れると同時に、快適に暮らしたいと思っている。その、自分たちにとって心地の良いような潔癖な社会にしようとする理屈でできているのであって、真に「なにが悪いのか」は考えていない。
「なにが悪いのか」を考えずに杓子定規に順守して、「俺も守っているのだからお前も守れ」と言うのだろうが、そんな理屈ではよくわからない。ところが、いまの多くの人たちは、「俺はこんなに頑張っているのに」「私はこんなに苦しいのに」と言って他人に八つ当たりする。大流行中だ。
古くは、自分でも「悪い」とは思いもよらなかった行為を、偉い人に怒られたり、天変地異の原因になったと思ったりしたから、「しきたり」ができるようになり、いささか不合理な「しきたり」でも杓子定規に遵守するという社会気質ができた。それがそのまま江戸時代ころにはもう全国家的に流布されて、皆「お上」の言うことをきく「踏み絵社会」ができあがっていた。
さて、そもそも、社会的善悪というのは、真の善悪とは異なると思う。社会的善悪というのは、人間にとっての都合の良し悪しだ。自分たちの自我にとって「得だ」と思うことが善になり、「損だ」と思うことが悪になる。だから、死にたくなければ他の生物も殺すし、インフルエンザウイルスであれなんであれ、徹底的に殺すようにしているだろう。昔も今も、多くの生物を殺戮して、しばしば絶滅させてきた。
昔はもっと、「殺生は悪だ」ということが一般的に言われていた。いまは、平気で生物を殺すし、動物がたくさん殺されて食べられている。動物を殺すのを見たくないから食べない、というのではなく、見ずに食べる方法をつくりだして逃げている。ついには、魚肉や鶏肉に骨がないようにまでしている。もはや、生物っぽくなく、便利に食べられる。もちろん、骨抜き魚肉や骨抜きフライドチキンが出てくる以前に、チキンマックナゲットだろうがハンバーグだろうが、骨を意識することはないのだが。いまの欧米人はこの国の活造りを見ると「残虐だ」と言い出すが、我々はもともとは、生き物を殺して喰らっているという自覚をあえてもって、また、ピチピチしているのを見て「新鮮だ」と言って、喜びと有難みをもってきたのだ。反対に、たとえブロイラーにしようがハンバーグにしようが、動物を殺している残虐からは不可避なのだ。例えばマクドナルドなどにしても、全世界的に食肉を大量生産して流通させているが、膨大な殺生をしている。大量の飼料や水を消費して牛を飼い、また、深海魚まで獲っている。それはムダな消費なのではないか?
まあどうせ昔も、「殺生=悪」という「しきたり」でしかなかったのかもしれないが。だが、きっと、釈尊にしてもそうだし、「無益な殺生をしてはいけない」と言った多くの偉人たちのなかにも、「殺生ばかりをしていたら自分たち人間も生きていけないだろう」と直感していた者が少なくなかったのだろう。ただそれが、日本社会では、形式的にばかり順守される「法令さえ守っていればいい」的な実態になったのだ。それは結局のところが、日本社会のほとんどの人が無教養で思考停止をしているからなのだろう。つまりは洗脳されてきただけだ。
我々が生きていくためには、生物を少なからず殺す必要がある。そうしないと食べていくこともできないだろう。直接にも間接にも、殺生をしている。だが、際限なく殺しまくっていたら、無益な殺生になり、そして殺された生物種がしばしば絶滅する。
自我の屁理屈を超えれば、他の生物を殺しすぎるのは、生態系のつりあいを破ることになるから、我々自身も生きていくことが難しくなる。したがって、無益な殺生は、生きていくという観点でも明らかな悪だ。無益な殺生が悪だということは、合理的に説明可能だ。
いまのこの国では、「本当のこと」が言えない。例えば、政治的な発言が忌避されるのも異常だ。「それはおかしいと思う」と言える社会ではなくなっている。例えば原発にしたって殺生にしたって自殺率にしたって、さらには、インフルエンザだろうがHIVだろうがなにもかもを殺戮して存在を消し去ろうとすることの異様さにしても。
他人を叱れないし、叱る能力(冒頭に書いた通り)がそもそもない人が多いのだろう。なにがおかしいのかを言える雰囲気でもなければ、なぜおかしいのかも言えないからなのだろう。ひとりひとりが叱れない社会だから、マスコミが代弁することで憤懣の捌け口になっているのだろう。
我々は、完全には清廉潔白でいることはできない。殺生をしなければ生きていけないし、他人に迷惑をかけずには生きていけない。
だが、己の穢さを自覚しなければ、不潔であることに対する抑止力は働かないのではないか。
皆がまたぞろ、自分にとって都合のいいと思うことをやりたいから、例えばガソリンなどの資源エネルギーも多用するし、そうして地球温暖化も進んでいるのだろうし、有毒物質もまきちらしているし、将来の資源枯渇へと「ツケまわし」もしている。だが、「それは悪いことだ」とは、ほぼ誰一人として言わない。例えば、「自動車を抜本的に減らせ」とは、ほぼ誰も言わない。乗りたいからなのだろうし、自動車があることで産業があり雇用があるからなのだろう。同じように、「タバコは有害だから禁止すべきだ」どころか「増税すべきだ」と言うことすら、すぐさま自民党などから「葉タバコ農家が〜」という屁理屈が返ってくる。それではきっと、葉タバコ農家は死の商人だね。JTも、その大株主のこの国も、同じ国民から「血を吸って」「肉を喰らい」生きているのだ。
例えば米国人がやっていたら、この国でもやっていいことになる。迷惑駐車でもポイ捨てでもなんでも「他人たちがやっているから自分もやっていい」という言い訳は必ず出てくるだろう。互いに都合のいいことなのだから、みんなして「赤信号も渡る」のだろうし、「崖っぷちへと突撃する」チキンレースをやりもする。
ところで、自分たちにとって都合の悪いと思われる生物を徹底的に殺戮してきたから、HIVが出てきたり、新型インフルエンザが出てきたりしたのだと思う。少なくとも、薬物耐性病原体は、過度の殺菌をしてこなければ出てこなかっただろう。そうして、潔癖に潰しまくってきたから、いわば「テロ攻撃」が他の生物から、地球から、加えられているのだ。
それどころかさらに、いまの我々は、自己の心身にすら欺いて、自我が都合の良いと思うことばかりをしているから、心身の反乱をくらっているのだろう。癌にしても、アレルギーにしても、「精神疾患」にしても。人工的に潔癖な生活空間をつくってきたから、心身にとってかえって不健康なことになっている。
地球の生態系のつりあいも、自己の心身のつりあいも、壊しているからだ。だからかえって危機に陥る。不健康になる。
この国では少子化だと騒がれているが、世界人類はいまも増え続けている。はたして、「人口増=善」なのか? 人類が増えすぎたら、地球の生態系のつりあいは崩れる。すでに崩れている。しかし、自分が生きたいと思っている人たちは、「出産=悪」だとは決して言わないだろう。真実を言わないし、真実に気づきすらしないのかもしれない。
昔から、例えばクリスチャンは「人は原罪を負っている」と言う。また、この国では浄土真宗の檀信徒が最大多数だと言われているが、そもそもの浄土宗や浄土教は、悪の自覚から始まっている。つまり、「自分は悪人だ」と自覚しているからこそ、「地獄に堕ちる」と思い、「どうやったら救われるか」と考えるのである。それに比べると、いまの人間には、悪の自覚が足りない。
自分たちを律することができず、ゆがんでいく。ゆがんだことでトラブルが起こるごとに、対症療法をする。砂糖を入れすぎたから塩を足すかのように、余計なものをどんどんと付け足していき、だからますます錯乱していく。ぐにゃぐにゃにゆがんでいく。
究極的には、己の死に対して覚悟がないとはじまらないのだと思う。人類は、過剰な生存意欲があるからこそ絶滅せずに生きていられたのだろう。だが、だからこそ、生存意欲の過剰さに対する自覚をもたないと、欲望も執着も、いくらでも膨張して肥大化していく。そうして、人類も増えすぎるし、生物も殺戮するし、資源も食い尽くすし、自己の心身さえも傷つける。
異質な他者の存在に対して、多様性に対して、寛容に、しなやかに、ふわっと、受け入れないといけないと思う。究極には己の死に対して覚悟がないと、それはできない。だが、受け入れなければ、「テロ攻撃」が、他人からも、他の生物からも、さらには自分自身の細胞や潜在意識からも、加えられていくのだ。
いまのこの日本社会にしても、やっていることは正反対で、威圧して同調化させようとする傾向があり、それは近年ますます増している。それではきっと、ますます危険で不健康で暮らしづらい国になっていくのだろうと、私は思っている。
18時、19児、20児、 つながらない。
朝7~9時は少ないらしい。 金曜、土曜の相談も少ないらしいから、そこが狙い目かもしれない。
いのちの電話だっけ、あれにもかけたんだけど、即一発でつながったけど、俺みたいな奴の相談をしている時間は無駄かなと思って、相手が出た瞬間即切ってしまった。
だから、よりそいホットラインにかけてみたが、う~ん、火曜の午後ってつながりにくいものなんかね。
昼賭けた方がよかったのかもなあ。
いのちの電話の場合、メール相談もできるんだ。 だけど、一週間じゃ、ちょっとなあ。
病院は行きたくない(ガチで病気だったら生活に支障が出そうだから)ので、とりあえず、心理療法士?みたいな資格持ちらしいカウンセラーのところ行く。
そんな、ポット行ってやってくれるものでもないのか。
父になり、二年。
息子がすくすく育っている。
ワーキャー言いながらいろんなものを台無しにするけど、かわいい。
道行くおばさんにもかわいいと言われる。
「お父さんそっくりだね」
これをアホみたいな頻度で言われる。嫁さんにも、その他の親族にも、近所の小学生にさえ親子でそっくりだと言われる。幼少期の俺の写真と並べるとどっちがどっちやら。おかげで嫁さんの不貞を疑わなくて済むが……
俺の顔はかわいいのか。
もしかすると俺の顔立ちはかわいいのかもしれない。マスコット的に。
くまのプーさんをかわいいと言っていてもほとんどの女性が劣情を抱かないように、あんまりプラスではないな。
・
で、さらに思う。
ひょっとすると、自分の子って特別にかわいく見えるものなんだろうか。誕生の瞬間から、誕生の理由から携わっているので、情が湧いているのか。
いろいろあって、C県の酒蔵を廻って情報収集することになった。
C県には約50ちょいの酒蔵があってそれぞれの日本酒をリリースしている。
すると杜氏(とうじ)と呼ばれる人の手で作ってる酒蔵は2件しかなかった。
いわゆる「夏子の酒」みたいなノリでつくっている酒蔵はC県には50件中2件しかないのだ。他はどうやって作ってるかっていうと、工場のようにオートメ―ション化してる酒蔵と、OEMでやってる酒蔵である。
工場化してるところは、まだ自分のところで作ってるってことで、まぁしょうがないかなぁと思うが、OEMでは中身だけ関西の方から買って(タンクローリーが来て酒蔵のタンクに入れるだけ)瓶詰とラベルのデザインだけをがんばっちゃってるのはちょっと痛い。
もっと痛いのは、OEMで作られた日本酒を地場の米と水で作った日本酒だと思い込んでどや顔で日本酒のうんちくを語る初老のおっさんが一番痛い。
工場で作ってるとこは、機械で大量に作れるから他の酒蔵へOEM供給できちゃうわけで、ゴリゴリのもちつもたれつの関係。
「本当かよ!?」って思ってる人もいるだろうから、実際に酒蔵に見学に行くといい。
すごいとこは立ち入り禁止のロープが張ってあるよ。
開きなおって、見学コース→なんて書いてあって行ってみると、昔使っていた古い木の大きな樽を見せてるだけで、もう博物館状態。
杜氏が本当に作ってるのならば、杜氏(おっさん)の生活臭がしたり、米を炊いた香り、湿気、なにより人の出入りが激しいわけで。
見学なんて大勢で行ったら、杜氏のおっさんにガン飛ばされてお邪魔しましたーって感じですから。
それでも昔はちゃんと作っていたらしく、ほとんどの酒蔵は東北の方から杜氏を呼んで(半年ぐらいかけて)酒を造ってもらっていたんだ。だけど日本酒がどんどん売れなくなったらしく、杜氏を呼ぶ人件費が捻出できなくなったんだと。んで追い詰められた酒蔵は、人の手で作る日本酒をあきらめて、工場化 or OEMという選択を迫られた結果の現状らしい。
自分たちで作ればいいじゃないか、と思うが、日本酒作るのは相当難しいってことと、昔から東北からの派遣を使っていたので、酒を造るノウハウがないってことと、(杜氏もリピートが欲しいから酒蔵にはノウハウはブラックボックスだろうし)地元に杜氏になりたいなんていう若者がいないってことらしい。
C県は特に、昔から大消費地である東京が近くにあったから、なんの努力もしないで日本酒は売れたわけで。これが大手日本酒メーカーが安くてそこそこうまい酒を全国に大量にまきちらしたもんだから、どんどん売れなくなるわな。マーケティングやら、ブランディングの概念すら持たない酒蔵のおっさん達は、自分で売る努力をせず(そもそもそんな発想すらない)勝手に工場化 or OEMの苦渋の選択を自ら課したんだろうなぁと。
まぁ結局、普段呑みの酒なんかは、金をだして呑んでる本人がおいしいと思って呑んでるならば、杜氏が作ろうが、工場で作ろうが、OEMだろうが関係ないっちゃぁ関係ないっていう人もいるだろうけど。
地酒って言われると、田舎のおっさんが一生懸命、人の手で作ってるんだろうなぁと勝手に自分で先入観を植え付けてるわけで、地酒のメーカーさんは一言もそんなこと言ってないわけで。悪いことはなんにもしてないわけで。
でも知らなくても幸せなことってあるんだなって思いました。
陸上でたとえると、次のようになる。
便衣兵がユニクロの服を着て近づいてきて、ふいに気を許したときに攻撃してきたら、ずるい感じがして困る。
兵隊さんは、軍服を着ているべきで、その威圧感で民間人をけちらして、統制する必要がある。
セールスマンは、背広をきて頭をポマードで固めてくるべきで、商売する気が満々なことを身なりで表現する必要がある。
広告も同じく、広告は広告であることがわかりやすく伝わるべきで、友達風の人の日記のようなものとして近づいてこられるととても困る。
今日見たブコメの中で、PR広告と書いてあるコンテンツに対してステマとコメントしている人を見かけたが、PR広告と書かれていれば、宣伝ですと宣言しているわけで、ステマではないと思う。
新聞や雑誌がwebよりも長い歴史の中で広告と記事を分離して表記するようになった経緯を考えるとwebも見習うべき点だと考える。
ルールが決まるまでのグレーゾーンは儲けの幅が大きいからチャレンジャーも多いのだろう。
遊んでいる一個人なのか、それなりの体をした会社なのか、それとも個人事業者なのかはっきりしないところが情報を発信しているのが、判断が面倒だ。
個人の意見なのか、はたまたお金をもらった上での発言なのかその区別はとてもジューヨーなのだ。
そんなことはどうでもよくて、楽しければいいのであれば、楽しいのかな。とも思った。
根拠はない。そーゆー生き方のほうがイージーで快楽的なのではないか。
注:このやり取りは実際にあったものと架空のものを織り交ぜていますです。
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店「レシートをお持ちであれば返金に応じます」
客「そんなもん取っておくかバカ。俺は女じゃないんだ。」
店「いつ頃お買い上げになりましたか?」
客「個人情報だ。お前の店は客が返金しろといっているのに応じないナメた店なんだな。覚えてろよ(ガチャ切り)」
客、すぐにかけ直す。その際に代表(庶務の人)に対して「使えないバカに回すな。責任者につなげ」と怒鳴りつける。
責任者とは上と同じやり取りをする。ただし責任者の最後の謝罪に対して「謝罪なんていらねーんだよ!金返せ!(ガチャ切り)」というやり取りが追加される。
客、他店に電話をかけ同じやり取りを何度も繰り返す。
しびれを切らしたのか、ついに客自ら店に出向き、レジの人に入店一番「責任者につなげ!」と怒鳴りつける。
このレジの人は近隣の某国立大学に留学している中国人。その日はアルバイト。他の仕事も任されていたが、今回たまたまレジに居合わせた。
責任者が来るまで当然時間差がある。客、相手が中国人だとわかるやいなや、「なんで中国人がこんなところでアルバイトしてるんだよ!」と怒鳴りつける。
「ここは日本だ!お前らが住んでいい所ではない!出て行け!出て行け!キチガイ中国人!」などとわめきちらし、他の客も「何あの人・・・」と見る。
責任者、来る。客、通路の奥からレジに早歩きで来る責任者に「遅い!」「ちんたら歩いてんじゃねーよ!」「走れ!人の時間を奪うな!」と連呼。
以降、返金のこと、中国人のこと、謝罪はいいから往復の交通費をよこせということ、などなど延々とまくしたてるも、一向に進展しないので「このクズ野郎が!お前ら全員クビにしてやるから覚悟しておけ!」と怒鳴り散らして退店。
とにかく買い上げの証拠がないなら返金には応じられないという主張には「なんで俺がお前らに合わせなきゃならねーんだよ!俺を誰だと思ってるんだ!客商売だろうが!」と平行線であったことは付け加えておきたい。
その後、客はその店で買った包丁を振り回し、従業員のみを刺傷する事件が発生。客は容疑者としてその場で取り押さえられ逮捕されたが、刺されたうちの従業員ひとりについてはのちに死亡した。中国人留学生はそこには居合わせなかった。
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ケースバイケースといってしまえばそれまでだが、最悪の事態を想定すれば、レシートがなくても返金に応じたほうがいい場合もある。
しかし、一般的にレシートがなければ返金は不能だ。
どこで線引すべきだったか。