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思いわずらうことなく愉しく生きよを読んだ。女って怖い、結婚って地国だ、って思わせる一方で、生きていくことの困難さについて前向きに語っている小説だなって思った。
作家には独特の文体というか呼吸法みたいなのがあって、個人的に江國香織の小説はそれが顕著だと思う。漢字の開き方とか句読点の位置、文章構造とか好き嫌いがはっきり出そうなタイプ。
句読点の位置は好きな方の作家なんだけど、今作は主に序盤から中盤にかけて文章構造で首をひねる箇所があった。同じ台詞を二度三度、会話外の文章で繰り返したり、心理描写を深化させていく雰囲気を醸し出しながらも唐突に周囲の様子に視点が向かったりしてたのが気になった。もちろん二つとも狙っている効果が想像できなくはないのだけれど、流れるように読むことは難しくなるデメリットがあると思う。
内容に関して。一癖も二癖もある姉妹が描かれていて、辟易したり多少なりとも共感したりしながら読み進むことができた。個人的に三女がまだましかなって思う。依存気質じゃないビッチなんだけど、思考回路が一番理解しやすかった。次女はすっごい出来る女なんだけど、こと恋愛関係においては糞としか言いようが無い。熊木さんが本当に気の毒。この二人はどちらも手痛い失恋を経験するわけだけど、どこか清々しいラストになるのが面白いなって思った。長女は一番根はまともなのかもしれないけど、全体的に怖かった。モラハラ家庭って何もかも歪めてしまうのねって感じ。どっちもどっちなんて言葉じゃ片付けられないんだろうけど、結果的に夫婦双方でがっちり噛み合ってしまったモラルハラスメントって外部から精神構造を覗き見ると異常としか思えない状況なんだと思った。次女じゃないけど、心の底から長女と結婚相手の理屈に反吐が出そうになったもの。この作品に描かれているモラハラが全てではないんだろうけどさ。
三姉妹はそれぞれ生き方に信念のようなものを持っているんだけど、それがために生きることが難しくなっているってのが一つのキーワードとして設けられているような気がした。信念を持っていないために過酷な状況下に陥ってしまった人物として雪枝さんが描かれていたようにも読めたんだけど、信念持っていような持っていまいが、簡単にはいかないのが人生なんだって感じさせてくれる。何かしらの生きる指針を外部に求めるか内部に求めるかって話になるんだろうけど、どんなコンパスがどの方角を指していても、海原は荒れることもあるし穏やかなこともあるんだって。だからこそ、『思いわずらうことなく愉しく生きよ』なのかなって思うんだけど、そうするがために振り回される人も周囲にはいるわけで、なかなか上手くいかないもんだなあって読後感を持った。
作中では何とか順調に階段を登っている三女のカップルだけど、姉二人の失敗が表しているようにこれから先どんな未来が待っているかは不明なんだよね。そればかりか、ちょっと用意が周到すぎるような描写もあって不穏な影もちらちらしてる。それでも生きていくのだし、長女の先が見えない結婚生活も、次女の相手に甘えきった恋愛も、いろいろ変化しながら続いていくのだと思う。大変だけど、愉しく生きることができたらいいなあって、それが理想だよなあって思った。
タイトルのようなことを感じたきっかけとなった記事を3つ、順番に紹介していきます。書き手はロリコン、もっといえばペドフィリアです。
民族差別煽動デマツイートをしている同好の士に言いたいこと - ちらしのうら。
オタク趣味者である私は、民族差別煽動デマツイートをしている同好の士に言いたいことがあります。
もしも「犯罪者予備軍であるロリコンキモオタクが女子児童を襲いますので、ご用心ください」などというデマを流されたら、貴方はどう思いますか?
そんなデマは、もちろん許せないと思いますよね。
「軽い冗談だろ」とか「ネタにきまってるじゃん」とか言われて、軽く流せますか?
もちろん、軽く流すことなんてできませんよね。
でも、まさしく貴方は、そのようなデマの流布と同じことをしているのです。
否、「同じ」というのは語弊があります。
というのも、たとえオタク趣味を否定されたとしても、貴方の民族的アイデンティティーは損なわれないでしょうから、貴方は民族的アイデンティティーという「実存の拠り所」まで失うことはありません。
しかし、民族差別煽動デマは、民族的アイデンティティーという「実存の拠り所」を奪うものであって、いわば「人格を殺害する行為」であり、さらには現実の殺人をも惹き起こす危険さえもあるものです。ですから、それは決して「軽い冗談」の一言で済まされるようなものではありません。
私はオタク趣味のことはわからないので、オタク趣味をお持ちの方が「オタク趣味の否定は(民族的アイデンティティーの否定とは違い)実存の拠り所の否定ではない」とおっしゃるのならそれはいいんですけど、ロリコンを巻き込まないでもらえますか?というのがいちロリコンとしての感想ですね。
ふつう、性的指向による差別というのは、民族差別と同程度に「実存の拠り所」に対する攻撃であるとされているはずです。もっとも、よく知られている通り、指向か嗜好か、マイノリティーか否か、権力勾配があるかどうか——色々な論点があって、「ロリコン」に対する差別というものが、たとえばLGBTに対する差別と同等に捉えられるべきかというのは、議論がありますし、別に私も同等に捉えられるべきであると主張するつもりはありません(べきでないとも主張しませんが)。それでも、ロリコンが「ただの趣味」(とid:yukito_ashibe氏が主張しているところのオタク趣味)と同等に扱われるのは、看過できません。同等どころか同等未満にも見えます。「犯罪者予備軍であるロリコンキモオタクが女子児童を襲いますので、ご用心ください」って文を例示として示しておいて、その文の中で「ロリコン」(・「キモ」)が攻撃されていたことはすっかり忘れられているのですから。
(なお、私の主張は「もしオタクがただの趣味であるというのなら、オタク趣味とロリコンを同等に扱うな」というものであり、「オタクはただの趣味か」についてはここでは検討しません。悪しからず。)
【キモヲタ】と【BL愛好家】を英語ではどう表現するのか?NYで活躍中の日本人通訳者が語る - Togetterまとめ
変態は世界中どこにでもいるんで、童顔の女の子にメイド服を着せたがるキモヲタを根絶するのもまあ不可能だとは思う。だけどああいうのを見て何の抵抗もなく「可愛い」と言える20歳以上の人は、ちょっと真剣にアブナイよ。なんか多種多様な性倒錯が基本設定になってきてないか日本。— NYの会議通訳者が教える英語 (@YukoOhnaka) 2015年8月27日
続き。私が高校生の頃は既にそうだったんだけど、日本人の価値観として、若いというより幼いことが女としての魅力だという、すごく根強い意識があるのね。だから10代の女の子たちも、自分の幼さを自分の女としての価値だと思って自己愛の対象にしちゃってる。大人がそういう風に教えてるんだもん。— NYの会議通訳者が教える英語 (@YukoOhnaka) 2015年8月27日
また続き。ちなみに英語で表現するとこうなります。
キモヲタ: pedophile
BL愛好家: voyeur
最後のツイートは現在は削除されていますが、このツイートがとりわけ話題になりました。私がこの件でもっとも腹立たしく思ったのが、若林宣(@t_wak)氏の擁護です。
ペドフィリア云々に関して、Yuko Ohnaka さんの一連のツイートを読んでみた。これでなぜ叩かれるのか理解できない。「本物のペドフィリアではないんですよ、空想の世界で遊んでいるだけです」ですむ筈じゃないか。あれをオタクバッシングと捉えたら、ペドフィリアだって認めたも同然だよ。— 若林 宣 (@t_wak) 2015年8月29日
「本物のペドフィリアではないんですよ、空想の世界で遊んでいるだけです」ですむって、そんな訳がないでしょう。いいですか、Yuko Ohnaka氏のツイートは、あきらかにオタクを貶める目的で「キモヲタ: pedophile」と書いてるわけです。でも、そもそもpedophileという言葉が悪口になってしまうのがおかしいのに、それに対して「オタクは本物のペドフィリアではない」と返すべきだというのは、「ペドフィリアを悪口として使うのは全然オッケーだと思ってます」ってことですよね。それは最悪の切断処理です。(若林氏は左派だし、左派ならこういうことは当然に理解できるはずだと思うのですが。)なにが「ペドフィリアだって認めたも同然だよ。」ですか。認めると問題があるんですか?単純にペドフィリアという単語をチャイルドマレスターの意味と勘違いしてるならまだわかりますけど。
若林さんは、これよりも前に
これはかねてから感じていたことなのだけれども、何か言われるとヘイトだ差別だとブーたれるオタクって、もっと深刻な差別には無頓着だよね。— 若林 宣 (@t_wak) 2014年10月10日
こんな発言をしていますから、少なくとも「オタクに対する差別」というのをそこまで深刻なものとは捉えていないわけです。その上で、「オタク」と「ペドフィリア」を同一視するYuko Ohnaka氏のツイートを見て、その「オタク」に「ペドフィリアを切り離せ」と説こうと思う訳ですから、「ペドフィリア」はもっとどうでもいいと思ってるんですよね。ふーん。
1年前に、TVタックルにてアニメ規制に関する特集が行われたことをきっかけに、いろんな議論が沸き起こりました。そのときの記事がこちらです。
大炎上「TVタックル」アニメ規制特集、規制賛成派から見た「オタク」の姿
ここで説明するのは大変なので、ご存知ない方は記事を読んでください。ですが、青柳美帆子氏のこの記事にも私はひっかかったところがあります。
たとえば、ミッツがオタク3人に「あなたたちはロリータの趣味がある?」と聞くシーン。「あります!」と即答する20代男性に、阿川は目を見開いている。考えてみたら当たり前だ。
確かにインターネット上では、「ロリコン」という言葉が気軽に使われている。でも、実際は市民権を得ているものではなく、彼らはできるなら「幼い美少女二次元キャラクターは好きだけど、現実の幼女に対する感情はまた違ったものである」と言うべきだった。
やはり、若林氏と同様、「幼い美少女二次元キャラクターは好きだけど、現実の幼女に対する感情はまた違ったものである」という「オタクはロリコンは違うんですよ」論法を推奨している。ただ、この場合ミッツ氏が「ロリコン=悪」という前提で質問しているようには読み取れないので、「ロリコンではない」と答えたところでさっきのように即「ロリコンを悪口として使っていい」というようなことにはなりません。なので若林氏ほど酷い発言ではないと思いますが、それでも青柳氏の意見には賛成できません。
ロリコンである、ということを公言することは児童に恐怖を与えうるものであるから、場を選ぶ必要がある、という立場があります。この立場に立脚するならば、「あります!」という答えは批判されてしかるべきということになるかもしれません。(もっともその場合は「ロリータの趣味がある?」という質問自体の妥当性が先に問われるでしょうけどね。)ですが、そうだとして「幼い美少女二次元キャラクターは好き」ならセーフだと思う意味がわかりません。「どっちもアウト」や「どっちもセーフ」なら理解できるのですが、一方だけセーフとするところにやはり「切断処理」を感じてしまいます。
まあ、「オタクが世間に受け入れられること」を最優先にするならこうした切断処理はある程度有効なのかもしれませんけど、それはあくまで戦略上の話に過ぎません。彼らは別にオタクの立場を向上させる義務があってテレビに出た訳ではありませんから、「こう答えるべきだった」なんて青柳氏に指図される筋合いはありません。
以上、私が特に印象に残っている実例を挙げて批判しましたが、こういうケースはそこら中で見かけます。
「オタクは趣味であってオタクに対する差別というのは他の差別に比べて深刻なものではない」と主張しながら、ロリコンやペドフィリアという言葉をまるでオタクと同義のように扱う人とか。
「オタクは三次元に興味が無いことをアピールして二次元を守るべき」と、ペドフィリアを切捨てるような戦略をオタクに勧める人とか。
(コンテンツに思い入れがなければダメだという日本で商業的にもまかり通ってきた俗説を鑑みるに)、やっぱりひとつの創作にこだわりがあると全くダメで、こだわりがなければないほど商業性や一般性というクオリティに貢献できるので商業的には大変有意義な結果を出せるんじゃないかなと思う。GoogleとかAmazonも、多分自分のやってる「コンテンツ」に興味がなくて、プラットフォームとかどうすれば効率的かみたいなことに注力してるんじゃないかと思う。
日本の場合「自分で作ったもの」にこだわりすぎて身動きがとれない。また、プラットフォームを作ろうという人達も自分たちの作ったサービスの動き方にとらわれすぎている。自分の決めたことにとらわれすぎている。
そういうのは作家に任せておけばいいのであって、フォーマットだけ作ればいいんじゃないかなと。
アメコミのヒーローは社会情勢によって変革できるフォーマットをとっている。だからとてつもない時間を生きながらえている。そういう作品って日本にあるかなと考えたら、多分ない。長く居続けているのはサザエさんとアンパンマンくらいで、前者は何も語りはしない。語るけど、せいぜい時代錯誤なことか持っている機器の変化くらい。アンパンマンは設定が普遍性がなく、大人向けに落としこむことが出来ないので(全身タイツの超人/一般人と、頭がアンパンの人造人間の、どちらが感情移入できるかは明白)いついかなる時代の空気を落とし込めることは出来ない。社会性のある、そしてなおかつエンタテイメント性のある作品は作れない。作ったとしても、アンパンマンでは世界全体に届かない。
ドラゴンボールは孫悟空という人格破綻した存在と、世界を脅かす悪役が魅力的だから日本以外の国にも受けている。しかし、ドラゴンボールを鳥山明以外が作ったら受けるかと言ったらそんなことはない。それはドラゴンボールエボリューションでも明らかなことだと思う。ファンが作ったものが最高だというけれど、それは商業には成り得ないし、社会性は得られない。ドラゴンボールという作品自体、社会性は得られない、鳥山明の個人的な世界を描いた作品でしかない。日本の作品はそういうものしかないと思われる。
どんなにクールジャパンだとか政策として日本の作品を世界に輸出しようといっても、作られる物自体が社会性の乏しいものだとしたら一般性は得られないだろう。進撃の巨人も、バットマンやスーパーマンのように80年近く愛されはしない。
日本人が世界に向けて「売れる」作品を安定供給しようとするなら、すべての自主規制的なものを取っ払い、個人的で、誰にも想像し得なく、そして少数の心に突き刺さるインディペンデントな作品を大量に押し出していくしかないだろうなと思う。それは太宰治や夏目漱石、それよりももっと前の作者にしてもそうだと思う。日本は今のところ個人的なものしか作れない。ライトノベルもそうだし、内需しか見えてない。ポリティカル・コレクトネスがどうこうではなくて、作る人間の数メートル先しか見えてない。それは宮﨑駿もそうだと思う。
クールジャパン、あり得るけれどもそれが全世界、普遍性のあるものなんて幻想だ。普遍性がないからこそ求められてる。新堂えるが、トレヴァー・ブラウンが国外脱出した意味を考えるべき。自分のありようを考えるべき。どうしても日本人は、自分から、自分の周辺から抜け出せない。あるいは自分を外部化出来ない。
そこは世代差だろうだけど、
ただ、0歳児に理性を求めることはだれにもできないだけ。
あんたも床におしっこ15回は垂れ流したしスプーンでほじくったゴハンをテーブルにまきちらした上で
手でにちゃにちゃになすりつけてあそんでは
親を泣かせてこんなにつらいなら実家に帰りたいって30回はいわせてたよ。
なのによく「自分で育てるべき」と大きな口をたたけるね。
ただ保育園にいけば、子供は子供らしく、親は親らしくいられるようになる、
純真な20代女性の前でそんな失態をサラすくらいなら生まれない方がよかったかい?
わたしは産んだよ。会社にいけば「部長はただいま席をはずしております」だの「弊社のプロジェクトは」だのとおしゃれな口を利くのに、
産婦人科医の前でガバーっと足をひろげてね。そりゃ恥ずかしかったよ。痛かったよ。
20代女性にこれ以上なんでも背負わせるのはやめたほうがいいよ。
えー
毎日色々悩んで泣いてる人に1日振り返りさせるとか余計落ち込むだけだよ…
とりあえず元増田に聞きたいのは充分睡眠時間取れてるか? ってこと
くよくよ考えすぎちゃって寝付けない場合、夜風呂入ってる時からその後は基本振り返りなどしなくてもいいよ
お風呂はいってる時って気持ちが落ち込んで後ろ向きな思考になりがちらしいよ
だから入浴中に今日もダメだった…とか考えるのではなくアロマやってみたりや音楽流すなどしてとりあえず気を逸らそう
あがった後は体があったまってるのでそのまま何かをしようとせずホットミルクでも飲んで寝よう
それでもねれないならお医者さんに眠れないっていうだけでいいと思う
薬に頼ってでもとにかく寝ようぜ
それ以上はあんま医者に期待しても合わなかったりすると悲惨だし全部伝えられなくってもいいと思うよ
寝れるようになるとまた違ってくると思う
状況が変わらなければまたその時に考えればいいさ
たまにヘルプに入る程度のわたしは大してできることもなく、お客さんと話すのがもっぱらの仕事だ。
おじさんと話すときは正直ガールズバーとかわらないと思うから、
時給950円ほどのお金でやるのはアホらしい・・・なんて思いもするのだけど、それはまた別の話。
わたしの目の前に座る男性も女性も、40台前半の方のようだけれど、
別のダイニングバーでバイトしていたこともあるのだけど、その時の常連さんたちも多くがバツイチであった。
これは偏見かもしれないけれど、わたしの経験から見えてきた傾向だ。
毎日お酒を飲むような人だから離婚する人が多いのか、離婚して寂しいから毎日飲みに出るのか、
因果関係のほどはわからないけど、どちらにせよ、ある程度年齢層の高い常連客が多い店の客はバツイチ率が高い。
痛手を負っている人もいるから、真剣な出会いを求めているかはわからないが、
とりあえず恋愛をしたがっている人は多いようだ。
イチ従業員として見てきた限りだと。
バツイチたちは、互いを慰め合い、励ましあう。
さぞ辛かったろう。よく決断した。
酔いが回るに連れて、会話は仕事や日常生活の話から離れ、離婚話や最近の恋愛の話になっていく。
こんなにみんな似たようなことを話すなら、そんな場所があったらいいんじゃないか。
なーーーーーんて思ったけど、そんな看板掲げたら女の人が来なくなっちゃいそうだね。
大村氏のノーベル賞、薬を開発したメルクが無償でアフリカに提供と聞き。
恥ずかしながらメルク社が初耳だったのと、ノーベル賞受賞となればさぞ誇らしかろうと、オフィシャルサイトをググってみる。
何も無い。冷めすぎじゃない?外資の日本語ページだしこんなもん?イベルメクチンも見当たらない。
さすがにおかしいと思いググり直すと
「ドイツのメルク」は「米国のメルク」とは違います メルクブランド - Merck Japan
http://www.merck.co.jp/ja/company/the_merck_group/the_brand_merck/the_brand_merck.html
ドイツ・ダルムシュタットに本社を置くMerck KGaA と米国の医薬品会社Merck & Co.(ニュージャージー州ホワイトハウス・ステーション)は
間違われることがよくありますが、この2つの企業の直接的な関係はかなり昔に終わっています。
ダルムシュタットのメルクは、世界で最も長い歴史のある医薬・化学品会社であり、現在も医薬と化学の両分野で成功を収めています。
Merck & Co. は、第一次世界大戦後に別会社になりました。
Merck KGaAの歴史的ルーツは、1668年にフリードリッヒ・ヤコブ・メルクがダルムシュタットのEngel-Apotheke (天使薬局)を取得した時に
遡ります。1827年には、ハインリッヒ・エマニュエル・メルクがアルカロイド類、植物抽出物、化学薬品の工業規模の生産を開始しました。
米国への輸出事業が成功したことにより、1887年にニューヨークに子会社を設立しました。
1891年には、ハインリッヒ・エマニュエル・メルクの孫にあたるジョージ・メルクがMerck & Co.を設立しました。
その後、第一次世界大戦中にMerck & Co.は米国政府に接収され、米国企業として独立しました。
今日、この2社は関連を持たない別々の企業です。唯一共通するのは、その名前「Merck」のみです。
Merck & Co.は、北米で「Merck」の社名を使用する権利を有していますが、それ以外の地域ではMerck Sharp and Dohme (MSD)或いは
MSD Sharp & Dohmeの名称を使用しています。
一方、私たちMerck KGaAは、北米を除く全ての地域で「Merck」の名前を使用しています。
北米ではEmanuel Merck, Darmstadt (エマニュエル・メルク、ダルムシュタット)の頭文字をとったEMDのブランドで事業を展開しています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%82%AF_(%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84)
だそうで。
http://www.msd.co.jp/newsroom/msd-archive/2015/chq_1006.xhtml
Merck & Co., Inc., Kenilworth, N.J., U.S.A.、
大村氏は「Merck」を呼称する米国でMSDと契約し研究したから、氏の認識は「メルク」であり「メルク」と口にするのは問題無い。
しかし、報道は上記の通り各国に於ける名称の使用権に従い「メルク社」でなく「MSD社」と表記すべきなのでは?
Merck JapanやMSDからメディアに要請は無いんだろうか?
折角の社名と行いを世に広く知られる機会なのに勿体無いなあと。
説法ありがとね。
ブコメの方見ると「穢れは神道だろ」ってコメだらけで。
常識なんだね。知らなかったよ。はずかし。
禊がフィルタリングってのもなるほどねって思った。
あなたの説法を読んでて思ったんだけど、
古代仏教の「不浄」「浄化」って概念も現代日本と同じものだったのかな?
釈迦が弟子に言った「お掃除して、心も綺麗にしなさい」の「お掃除」も「許可する行為のこと」だったんすか?
お寺さんと関わりがない生活なんで、「坊主は不浄をオーソライズするのが仕事」って言われてもピンとこないし、
「不浄」って概念が「認可されてないもの」って感覚もあんまり分かんない
(分かる部分もあるけど。ヘイトとか関係してると思う。その辺、昔と違ってお寺さんが機能してないから起こることもあるんだろうねえ)
あなたの説法の中にあった「浄財」って感覚も、明治期以降の新興宗教あたりのもんだと思ってたわ
じゃあ、托鉢とかは?あれもお米やお金を渡して、お願いして許可して貰う感じなの?
ならばお坊さんは「ありがと」ってお辞儀する必要ないよね。仕事でやってんだから。
それはまた別なの?
「いきものはうまれたときからけがれをまきちらしながらいきてるけがれたものだっておしえこむの?」
ってのは、
「そうなんじゃね?」って思うんだけど。
それも折込済みの「生」だと思ってるんだけど。
それもまた偏った見方だと思うから、(私が考える)仏教的には合致しないんだけども。
不垢不浄!
まあ、ルール在り来の「宗教」なんだから、勝手に考えちゃダメだよね。
ごめんなさい。
で、本来の話に戻るけど。
あなたが言うナマグサ坊主とやらは「お前等にとって分かり易い例を挙げてやんよ」ってことで「おしっこ」持ちだしたんじゃあないの?
仏教のルールから外れちゃうけど、「わかり易さ」を優先した結果じゃない?
仏教者からすると「排泄物は汚い」って感覚持ってないとしても、説法聞く側にしてみりゃ卑近な例なわけでさ。
とか言ってるけど、多分その坊さん自身が「排泄物なんて汚い」って思ってるから出てくる言葉なんだろうけど。
そんな段階で人に説法しちゃあいけないなとは思うね。
冗長で散漫な文章になってごめんね。
増田より10歳年上、テレ東系列無し(他民放4局はある)の地方民だけど、同じく4年生くらいまでは見てたかな?
いや自分はオタクだったから中学生になっても見てたんだが、周りはその頃は誰も見てなかったよ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/news.nicovideo.jp/watch/nw1745973
↑で5年生の夜7時の在宅率がーなんてあったが、そもそも5年生になったらアニメなんて見ないだろと思っていた。
今はもっと幼い子でも親共働きで夜遅くまで保育園や学童なんて子も多くて、ますますアニメ見てる暇なんてなさそうだけど。
うちの子は6歳にしてもうバラエティの方が好きらしい。5歳まではあまり興味なかったけど、突然目覚めた。これが成長か。
と言っても大人向けバラエティは基本土日しか見せてないんだが、日曜の鉄腕ダッシュ→イッテQが大好きだ(土曜はいまいちらしい)
あと天才テレビくんとかすイエんサーとかシャキーンとかのNHK子供向けバラエティ。
背伸びしているというより、純粋にアニメよりこっちの方が面白いんだと思う。
おかあさんといっしょなんかも未だに見る(テレビつけてやってれば見る、と言う程度ではあるけど)し、小さい子供向け番組は恥ずかしい、なんて感覚はまだないみたい。
映画館に行ったらミニオンズの大きなポップとラブライブの大きなポップが並んでいた。
ミニオンズ可愛いなーと思うと同時に、ラブライブの媚びた顔の判子美少女たちはキモいなーと思った。
ガールズパンツァーのちらしもあったが、やはりキモいなと思った。
これが熱狂的に可愛く感じる男もいるのだろうが、対象年齢の男の中の50人に1人もいたらいい方ではなかろうか。
海外になると数千人に一人もいないと思われる。
クールジャパンの代表格のように語られる可愛いだが、美少女アニメは海外で稼げる可愛いではないし、日本の可愛いのエースであるキティもユニバーサルスタジオジャパンで外国のキャラと並んでいるのをみると可愛さで劣る。
テレビアニメのリトルマーメイドを録画して見たら、作画が酷く汚かった。
しかしきっとこれは日本の神作画の美少女アニメより遥かに稼ぐのだろう。
海外で稼げず日本のなかでもごく限られた人が喜ぶだけのものに力を入れすぎて、狭い世界で窒息してしまいそうなものを、日本の代表クールジャパンみたいに言うのってなんかみっともない自画自賛だなー。