はてなキーワード: 筋ジストロフィーとは
当事者が今この瞬間に側にいたらいろいろ配慮しなければときっと思う。間違いない。
が、性別の変更がどうとか銭湯の女湯がどうとかトイレがどうとか、空中戦の議論を眺めていると、だから何?と思ってしまう。
欠けている本人にはまったくわからない。
自分の子供がもし当事者だったら同じことを言えるのか? と言われたら、子供はいないのでどうでもよい、くだらない仮定はやめろというしかない。
LGBTQになんか配慮することが文明人の証拠だ、現代人の証だ、みたいな空気になっているが、その手の当事者に何かを譲ったところでなんの利益もないので、まったくどうでもよいのだ。
それにもかかわらず、配慮しないと人非人のような扱いをされる風潮に世の中がなっているので、正直息苦しい。これは新しい形の暴力だと思う。
いままでLGBTQ当事者はそういう暴力を耐え忍んできたんだ! といわれたら、ああそうですか、というほかない。
ひたすら面倒くさい。生きにくい社会になった。
ダイバーシティということは、これまで「標準」から外れた扱いをされてきた人にとって「やさしい」社会になったほうが、全員にとって生きやすい社会になる、ということだとしたら、それはそうだと思う。
例えば今自分が筋ジストロフィーの当事者になったら、さまざまな人の助けをいまよりもっと借りて生きていくことになると思う(生きていくのであれば)。その時、自分に手が差し伸べられるような社会であってほしいと心から思う。そう思うから、病と生きる人にとって扶助の厚い社会であってほしいと思う。そのために税金も払おうと思う。
だが性自認の話になると、どうしてもそういうふうに考えることができない。
たぶん、もう自分の性自認はこれ以上変わりようがないので、関心を持ちようがないし、当事者に共感もしようがないと思っているからだ。
だからひたすら面倒くさいのだ。
この面倒くささを、それまで自分が「普通」だと思ってきた人間が感じること自体が社会の進歩(成熟)なのだ、とかいう議論をされたら、ああそうですかとしか言いようがない。
まったく同意できない。
みんなが「やさしく」なることを強制してくる社会はべつに「やさしく」はない。
この手の社会観に欠けているのは、生きることは権力闘争にほかならないという視点だ。
生きることは畢竟、殺すか殺されるかのどちらかだとすれば、こちらを殺そうと迫ってくるものは殺さなければならない。
「やさしく」しろ、と迫ってくる人間はそうした自己の暴力性に無自覚なため、苛立たしく感じられるのだ。
当事者に配慮しろ、ダイバーシティを意識しろ、「やさしい」社会を作れ、と迫ってこられたら、こちらはやることをやるまでだ。
そうはならずに、せめて関わらずに生きていくのがいい。
くり返しいうが、LGBTQの当事者が自分の隣りにいたら、配慮するだろう。人として付き合おうとするだろう。こちらも人だと自分のことを思っているから。
それ以上でもそれ以下でもない。
過剰にギスギスして、世の中の生きづらさを感じさせるようなLGBTQ言説が飛び交っている状況が悪い。理屈で相手をやり込めようとする暇人が悪い。
くだらない空中戦はもうやめよう。
ザマァネタのストレスかかるパートがザマァのスッキリ感よりもストレスが溜まり、度々流れてくるザマァ漫画や、もう遅い系のタイトルや、旦那が好きでみるスッキリ番組とか全く良さが解らなかった。
https://www.techno-edge.net/article/2023/03/09/987.html
でもイーロンに解雇になったのか聞いてきた筋ジストロフィーの社員に、イーロンが🤣絵文字などであおり倒して罵倒し解雇にした結果、彼を解雇したらTwitter社が一億ドル払う契約をしていた事が明らかになり、一転イーロンが謝罪して辞めないでとなってるのを見て、超スッキリして「今更謝罪してももう遅いザマァ!一億ドルヘイ一億ドル」とか思ってしまった。
なるほど楽しい。
八宮めぐるの担当Pです。今回は自分語りを兼ねて自分とシャニマス、八宮めぐるとの関係からシャニマスの良さをお伝えできればと思います。
私は筋ジストロフィー症という難病を罹っており、周りに恵まれた為に30歳までなんとか生活をしてきました。
小中学校は学校の協力と親、友人などの協力により地域の学校で義務教育を受けることができました。身体の変化もあり高校へは養護学校へいきましたが、そちらでは普通科高校と同じカリキュラムが受けられ、身体の障がいがある方以外にも臓器の悪い方や精神的に学校へ通うのが難しい方などが在籍してました。
ただ自分では難病を持っているから周りの人とまるっきり違うとは捉えておらず、みんなより少し人の手が必要なだけだと感じております。
生まれついての楽天家なので色んなことがあっても前向きに取り組んで、ありのままやっていくしかない。といつも考えて(行動出来てるかは微妙)います。
そんな経歴と考え方で生きてきて出会ったのが八宮めぐるでした。事前登録によりひと目でこの子が気になるな~、と思い選択しました。wingコミュでめぐるが友達とアイドルの間で揺れている際にプロデューサーの選択肢「どっちも選んじゃだめなのか」と声をかけます。これは私の考え方に近く、環境ゆえにどちらかを選ばないといけない場面もあり、そのたびに両方をきちんと叶えるために最適な落とし所を探ってきました。
なんとなく触れていたシャニマスにどんどんと飲まれていき、チエルアルコは流星の、が実装されます。
周りの反応といえぼ、多くは「めぐるは過去に傷ついた事があるのか?」「みんなとの違いを気にして生きてきたのか」などが上がりました。「魚の気持ちは魚にしかわからない」とめぐるは言いました。どうしたいのかも、と続け、このときに思ったのはめぐるは魚に自分を重ねつつも、魚と自分が違うことも理解した上で、自分の心のあり方がわからなくなったのかなと思います。
TRUEでは「色って心で見るんだね」というセリフが真に迫っていました。心の有り様で世界は変わると捉えました。
みんなとは生まれつきの要素(ハーフであること)で自分の力では変えられない部分を持っためぐるにシンパシーを感じ、ますます彼女が好きになりました。
めぐるは生まれ持った性格でみんなが大好きで、そこにいる誰かにエールを送りたい、そんな子だと思ってます。
そんな中、star n dew by me実装、「選んだりしない、拒んだりしない、居場所は自分で作るもの」それは自分が目指してきた姿そのものでした。そして真乃ちゃんの「すごくないめぐるちゃんでも一緒に居たい」というセリフに心打たれ、真乃ちゃんありがとうって思いました。
違いを持った人間をここまで描けるシャニマスのシナリオに感動しました。様々なアイドルたちがシビアな現実に向き合いつつも、たしかにある優しさや思いを持って、繋がって、世界とともにあろうとするシャニマスが大好きです。
そんなシャニマスに、めぐるに出会って、多くの人と繋がり(TwitterやSNSなどゆるいつながりではありますが)今度は仲良くなったみんなと会いたいと思うようになりました。
めぐるの言葉を借りると「何度だって春を待ちたい人と出会えた」
自分語りをしましたが、私の身の上はなんでも良くて、八宮めぐるは魅力に溢れた天真爛漫な優しい子です。
どんなところにいても手を差し伸べてくれるめぐるはヒカリです。イルミネとしてみんなに輝きを届けてくれる彼女が大好きです。
優しい力強さでアイドルとして輝いてほしい。
先輩の書き残した増田のダイアリーが自分の勉強にとても役に立ったのでコロナ禍で実施された2021年度脳神経内科専門医についてのメモを残させていただきます。
https://anond.hatelabo.jp/20190730114905
ここでも述べられている通り、症例については、面接試験で主にここからの出題となるのでなるべくシンプルな症例か、突っ込まれても答えられるように地方会で発表したような症例が良いように思われる。
考察が不十分な場合はそこで不合格にならずに一度差し戻されて再度書き直して提出するという救済措置がある。ただし、そのレポートについては2次試験の面接でかなり突っ込まれるので注意が必要。
2021年度はコロナ禍により元々6月であった試験が11月に、そしてさらに延期されて2022年2月に実施された。
試験時間を短くするため、以前は必修100問、一般100問、臨床100問であったものが必修100問、一般+臨床100問と出題数が減らされての出題であった。
内容、難易度については過去問とほぼ同等といった印象を受けた。
2019年度版の増田でも言及されている通り、「医学生・研修医のための神経内科学」の範囲からは大きく逸脱はしない。
自分はあまり熱心に勉強する方ではなかったので、上記書籍は通読せず参照するにとどめ、日本神経学会から出版されている「神経内科専門医試験問題 解答と解説」と復元された過去問2020年-2018年を2週行った。受験者ごとの点数の公表はないが、これくらいやれば平均点程度は取れるものと思われる。
また、一部繰り返し出題されている範囲があり、そちらについては真剣に覚える必要がある。
以下自分が気になった頻出される項目について箇条書きで述べる。
・頚椎症の局在を答える問題。後骨間神経麻痺やC8麻痺の鑑別など少し変えて出題されるパターンもあるが、頻出。
・筋病理。perifascicular atrophyなど一般的な知識は抑える必要がある。
・SCAに代表されるリピート病。SCAの番号についても覚えていないと解けない。
・排尿に関係する神経機構。各受容体、神経支配は詳細に覚える必要あり。
・側頭極病変を呈する疾患。CADASIL, CARASILの他に筋強直性筋ジストロフィーが何故かよく出る。
・ギランモラレの三角と下オリーブ核の腫大。下オリーブ核の位置をマクロ解剖で答えさせる問題なども出る。
・NIHSS, ABCD2スコア, CHADS2スコア, HAS-BLEDスコアは計算できるように。
・Balint症候群。臨床所見や画像で聞かれる(なぜこんなに頻出?)
・伝導失語
・家族性ALSの原因遺伝子(たくさんあるが、SOD1, C9ORF72, TDP-43, Optineurin, ubiquilin2, SQSTM1, ERBB4くらい覚えていればなんとかなる。また、面接でもよく聞かれるらしい)。
また、直前に出版された新しいガイドライン(本年は脳卒中治療ガイドライン2021, 頭痛の診療ガイドライン2021など)は読んでおく必要があると感じた。
みなさん苦手な病理であるが(失礼)、筋病理に関しては日本神経学会e-learningで勉強すれば十分である。
複数の講座があり、内容が重複しているため2、3講座見れば十分である。
筋病理以外の神経病理は「神経病理インデックス 新井信隆著」、東京都医学研・脳神経病理データベース(EBAN https://pathologycenter.jp)、「カラーアトラス神経病理 平野朝雄編著」などを通読するなどした。
今年の出題はなかったが、特徴的な脳腫瘍(髄膜腫、頭蓋咽頭腫など)については抑えておく必要があると感じた。
電子顕微鏡画像については再現も乏しいことや、出題数が少ないこともあり自分は捨てた。
実施会場は東大ではなかったが、概ね例年と同じような雰囲気と思われる。
問題復元を管理している某医局から各医局に復元の割当があり(1セクション2-3問)、それを暗記し試験時間が終わった瞬間にメモをとることが必要となる。
今年は問題数が少なくなった影響もあってか時間には余裕を感じた。
今年はZOOMによる遠隔面接となった。試験案内には「神経診察やレポートの内容、臨床神経学についての口頭試問」との記載があった。例年行われていた神経診察の実施試験はなくなり、ハンマーなどは必要なかった。
試験時間は30分で内容は主にレポートの内容から出題された。その中でレポートで提出した疾患に絡めて「●●の身体所見は?」や「●●が疑われる患者が初療室に運ばれてきたらどのように診察をしますか」など実臨床に沿った神経診察に関する質問がされることがあった。前述した通りレポートで不備があった箇所やこれまでの研修で経験が薄いと予想される分野(人によっては脳卒中など)が集中的に質問される傾向にあるようだ。
自分は試験前に「ベッドサイドの神経の診かた」などを通読して胸郭出口症候群の診察法などマニアックな箇所を覚えたが、特に役にはたたなかった。二次試験は面接官によって内容に開きがあるのでとにかくレポートの内容(レポートで言及した診断基準、遺伝子異常、必要な神経診察)を徹底的に深めておくことが重要と感じた。
https://anond.hatelabo.jp/20170621133541
https://anond.hatelabo.jp/20170614002626
https://anond.hatelabo.jp/20170611224643
詳細は割愛するけど、上記シリーズがきっかけで、増田漁協組合は除籍となりました。
漁協組合の現役時代は以下のような正統派増田文学の投稿をしていました。
https://anond.hatelabo.jp/20160515145437
https://anond.hatelabo.jp/20150901013450
それで、今回久しぶりに投稿しようと思うのだけど、議題に悩んで筆が進まない。
久方ぶりの投稿で空振りしたら恥ずかしいというプレッシャーもある。
今のところ、候補は以下の5つ。
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う〜む、悩む。
食肉とは違うけど「人間の権利と動物の権利」についてはこのドキュメンタリー映画を見て欲しい
https://www.fujitv.co.jp/nonfix/library/1999/371.html
特に、重い筋ジストロフィー患者の方に「あなたの治療の為にたくさんの罪もない動物の命が犠牲になっているがどう考えるか?」とインタビューするくだりなどは人間の生き方そのものについてよく考えさせられる
その後でもののけ姫のたたら場にいた寝たきりお爺さんの命乞いを見ると、自分の死に方をどうするのかと考えがまた深まった
人間が人間の社会の維持の為に必要な犠牲を動物に強いている例は食肉に限らず数多あり、おそらく食肉を是とする人たちも命そのものを軽視してない「ありがとう」とたまに感謝しながら食事をとって生きてる
そういう社会状況の中で菜食主義の人達がいわゆる「普通の人達」の価値観をあえて攻撃するので、防御反応が強くでてしまう。彼らから人に対する思いやりを感じないからこそ反撃してしまうんじゃないかな
2011年にこの増田を書いた。姉が出産したが、娘は生後1ヶ月で亡くなり、翌年生まれた長男も生まれて一週間で亡くなったって話。
http://anond.hatelabo.jp/20111005234524
この話はいまも続きがあって今は私の話にもなってる。
姉はその後、大きな病院で先天性ミオパチーという病気を疑われ遺伝子検査をした。このとき、いつか子供を生むかもしれない私には、遺伝の病気じゃないから大丈夫だよと説明をしてくれた。
それから4年が経っても姉は病気について調べたり、東京の大きな病院で検査をしたりしていたが詳しいことは聞いてなかった。問題ない遺伝子だったらお腹に戻して妊娠出産するための審査に通ったとか順番待ちだとかを軽く耳にしていた。
私は私で結婚が決まり、30歳までに子供も産みたいなぁとキャリアの計画を立てはじめていた。そんなとき姉からきたラインは、お祝いの言葉と念のため遺伝子検査を受けてほしいというものだった。あれ?たしか遺伝は関係ないっていってたのに、、?と思ってすぐさま詳しく聞くと、何年も前に疑いがあった先天性ミオパチーではなかったとのこと。遺伝子検査は血液検査とは違い一つの病気に絞って検査して、違ったらまた何かの病気に絞って検査しかできないらしい。当時はまた一から調べ直しになり、原因不明のまま数年が過ぎていた。
その後母がたまたま大腸ガンになって入院していた病院で遺伝子外来をみつけ、再度カウンセリングを受けた。そこの先生が筋緊張性ジストロフィーという病気を疑い、再度遺伝子検査をしたところ確定したそうだ。姉から子供に遺伝していたのか、姉の旦那から遺伝しているのかは医師のアドバイスもあって今は明らかにしなかったらしい。(あとあとお前のせいだ!とかでもめがちらしい)
でも姉は私だと思うと話していた。母の白内障と、女から遺伝した方が子に遺伝するにつれ重症化するという話からでた姉の予想。ちなみに私や姉には一切症状はない。
まず最初にもった感想は、でき婚とか狙ってなくて本当によかった。
こどもができてから、子供に筋ジストロフィーが遺伝してるかもなんてなったら耐えられない。
いまは姉と姉の息子の遺伝子検査結果を持って都内の病院に通い出した。
遺伝子検査をするにはいろいろな条件が必要で、道のりは長い。実費で一回1時間2万円のカウンセリングを最低二回以上受けた上で初めて検査できるかどうか決めてもらえるらしい。
検査の前に保険に入らないといけないだとか、もし遺伝していた場合の未来予想図を提出するだとか、いろんなことがたくさんある。
カウンセラーは、知らなかっただけで遺伝してることは他にもあるかもしれないし、全てを知ることはないんだから調べないという手もあるのよ。と話してくれたが、そんなの考えられない。
遺伝してたらどうしよう、という考えても結果が変わらないことを考えるのは一番嫌いだ。
はっきりさせたい。姉の辛い姿を見たうえで、遺伝してるかわかんないけどこどもつくろっかな!なんてのも絶対無理。生まれてすぐこどもが死ぬなんてあんな悲しいことはない。生きていたとしても障害を持っていたら養う甲斐性も覚悟もない。遺伝していたら子供はつくらないと、夫になる人とは決めている。
50%って高いよね?
はやく、結果を知りたい。
そして、できれば私もお母さんになってみたい。
筋ジストロフィーの話とフィリピンの話とのつながりが、分からない。
なぜ公的扶助を期待したらいけないのかも、分からない。
障害者も人間である以上、他の人間(もちろん、その大部分は障害者でない人々)と同じように自己実現できる社会を作る、というのが、基本的人権の尊重という考え方でしょう。
この増田は、障害者に対する公的扶助に充てる財源を削って、何に使うべきと考えているのか、分からない。
この部分は現状を追認してばかりだと思う。
子どもを生み育てるのが普通でない社会は変えるべきだし、今ある制度の中で障害者が十分に自己実現できないなら、制度を変えるべき。
こんな不幸とストレスと悪意に満ちた地獄に子どもを呼び寄せるなんて、まさに外道。
幸せが100あるからって、不幸100が打ち消されるわけじゃないし。
もう20年以上も前の話だ。
タッくんは足が悪かった。
5, 6年生のときのクラスも同じだったから、そのときのタッくんのことはよく覚えている。
タッくんは生まれつき足が悪かった。
幼稚園の時は少し片足をひきずるような形で歩いていたが、お庭ではみんなと遊んだし、
運動会にも参加していた。もちろん速くはなかったが。
小学校に上がると、随分と悪化したように見えた。
運動会の50メートル走でも、ハンデで25メートルラインからスタートするという方法で
参加するようになっていた。小学校高学年の時は、もう運動会には参加していなかった。
小学校ではいろいろな係活動があると思う。
黒板消し係とか、掲示係とか、いきものがかりとか。
それと同じ並びで、タッくん係というものがあった。
タッくんの車イスを押してあげたり、階段ではおんぶしてあげたりしてあげる係だ。
タッくんは忘れ物や落とし物が多かったし、それにちょっと怒りっぽいところもあった。
それに対して周りのみんなは、さすが小学生というべきか、とても優しく対応していた。
タッくんをいたわるという労は惜しまなかったと思う。
あるときの学級会で、そのことを議題に上げる子がいた。ミホちゃんだ。
「みんな、タッくんを甘やかし過ぎじゃないの?」
「タッくんは足が悪いだけなんだから、それ以外のことは、みんなと同じでしょ?」
ミホちゃんは、タッくんのご近所さんで、タッくんの良き理解者でもあったように見えたし、
なによりも頭の良い子だったから、みんな少し驚いた。
「ミホちゃんって冷たい」みたいな空気が流れた。
でも逆に僕は、衝撃を受けた。
ミホちゃんはすごいと思った。
こういうのが差別なんじゃないかと、おぼろげに理解できた。
そして、僕はミホちゃんをフォローした。
結果的に、タッくんに対しては、もう少し厳しく応対する、つまり、いろいろな意味で
他のみんなと同じように接するということで落ち着いた。
タッくんはその後も悪化の一途をたどり、中学からはみんなと同じ公立の中学に
行くのではなく、少し離れた養護学校に通うことになった。
それ以来僕はタッくんに会っていない。
中学に上がると、タッくんのことは急速に忘れて行ったが、たまに親から状況を聞いたりしていた。
本当の病名が、筋ジストロフィーというもので、現代医学では治らないこと。
そして、少なからず衝撃を受けたのが、命にも関わる病気で、もって20才くらいまでだということ。
その間タッくんのことを思い出すことはほとんどなかったように思う。
ああ、来るべきものが来てしまったなと思っただけで、特別な感情はわいてこなかった。
遅く行き過ぎたせいで、弔問客はすでになく、タッくんのお母さんと直接話ができた。
もとから絵がうまかったタッくんは、養護学校に行ってから絵を勉強して、最近まで、
ずっと描いていたのだそうだ。
ただ、最近では、手も思うように動かなかったから、絵筆を口でくわえて描いていたという。
最後に描いた絵を絵はがきにして、弔問客に配っていたので、僕もいただいた。
これから逝ってしまうときに描いたとは思えない、さわやかな夜空とお月様が描かれていた。
足だけでなく、手も不自由になっていたということは少し驚いたが、筋ジストロフィーというのは
そういうものなんだろうと、妙に納得した記憶がある。
先日、引っ越しをするとき、荷物の中からその絵はがきが出てきた。
なんとなくタッくんのことを思い出し、それから筋ジストロフィーのことを調べてみた。
wikipedia のページを見て、筋ジストロフィーの症状として、精神薄弱などもあることに気がついた。
まさか。
タッくんの落とし物が多かったことや、怒りっぽかったことは、病気のせいだったのかもしれない。
涙がこぼれてきた。
僕と、ミホちゃんがタッくんにした仕打ち。
なんて酷い。