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2024-09-05

anond:20240905124049

ほとんど全ての点で男のほうが暴力的という生物的な違いを無視しすぎだよな

そもそも元増田発言自体

「男女という人類最大のグループ間で、『我々のほうが上位の存在だ(すなわちお前らは劣等な存在なので我々の支配を受けるべきだ)』という競争の一環」

しか見えない

 

男のほうが攻撃性が高い以上、

女に律しろいう前にお前らが「男の攻撃性の高さは人類全体にとって極めて有害である」を自覚すべきだ

女に攻撃性がないとは言ってないぞ?

たいていの男、どころか攻撃性が高い男よりも攻撃的な女というのもいる

だが平均的な性差としては女のほうが攻撃性が低く社会性が高い

さらに言えばたとえば殺人事件

性別ごとの組み合わせを見ると男が男性を殺すケースが最も多い。

では女が加害者男が被害者になるケースで今のところ報告されている動機で最も多いのは

被害男性から日常的な暴力に晒された女がとうとう反撃した結果、男を殺してしまった」という報告がある

男の攻撃性の高さが女の反撃を誘発している例はその逆よりはるかに多いはずだ

 

ヒステリーという言葉子宮語源に持ち、当時から「女の怠惰わがまま病」と認識されてきた

しかしこれの原因は、女性にのみ加えられた抑圧が心身症離人症となって現れるというものである

次代はビクトリア朝家具の足すら性的過ぎるという理由で隠された時代女性に加えられていた抑圧は現代人の想像を絶する

そして”ヒステリー”を起こす女性は幼少期から定期的な性的虐待を受けているがそれを告発することが許されなかった

彼女らはただ微笑みながら父兄従順であることが求められた(夜は父兄らの友人に性的おもちゃとして貸し出されていたとしてもだ)

さらコルセットという、骨格が歪むほどの装身具が身だしなみ、淑女はすぐ失神するものだという風潮

 

この環境女性に"ヒステリー"を引き起こしたのだ

(なお、これを突き止めた精神科医告発をためらった。

 なぜなら彼女らはウィーン上流階級の娘であり、その父兄告発すると言うことはすなわち国中の権力者を敵に回すことを意味している。

 彼は逃げた。なおフロイトのほうは直接的告発ではなく、「心を抑圧すると身体に症状が出る」と昇華して発表し、精神医学の祖となった。)

詳しくは「心的外傷と回復」あたりを読むと良い。

現代人がこれらの事例から学ぶのであれば、必要以上の攻撃不適切だということ、

誰かの攻撃の結果招いた精神不安定を本人のせいにだけする以外のアプローチ考慮すべきだろう。

2024-08-11

anond:20240811014805

興味深くて良い文章だと思う。

離人症の話のあたりが、自分の中で言語化できてない内容で、よく理解できたし共感できた。

たぶん、この文章なら適度に改行入れたりして、自分の中で書く内容を構造化できたら、さらに良くなるんじゃないかと思う。

内容を箇条書きにしたりしてみては。

文章を書くことは苦しい営為

中学生の頃からはてな、なろう、Twitter個人ブログnote、某ゲームファンサイトなどを渡り歩いて、エッセイからファンタジー小説に至るまで思いつく限りほとんどのジャンル文章を書いてきた。主戦場匿名はてなとXにして、小説を紡ぐことよりも自分の考えを言語化することのほうが増えたという違いはあるが、今でもこうして文章を書いている。

このような過去から察せられる通り、自分文章を書くことが好きだ。ただ、好きかどうかと得意かどうかは別だというのは世の常で、好きではあるのだがいつも途中で投げ出してしまう。長編小説には幾度となくトライしてきたが、結局一本も書ききることはできなかった。短編小説はてなダイアリーなどの比較的短い文章であっても、さらに言えば140文字制限があって小学生の作文用紙の半分以下しか書けないXの投稿であっても、ブラウザの戻るボタンを押して、途中まで書いた文章を、途中まで書いたという事実ごと消し飛ばしたことが多々ある。

最後まで書ききれないということに自分はある種のコンプレックスを感じる。「あいつ途中で辞めたな」とか思われたくないからやめるときサービスアカウントごと消すこともあるし、リアルでの知り合いにははじめから絶対に見せない。

このコンプレックスを解消するのはとても簡単で、ただ単にとりあえず最後まで書けばいいのである。こんな性分であっても、繰り返すようだが自分文章を書くのが好きなので小説家になるための本みたいなのを読んで自分の本が八重洲ブックセンターの目立つ棚に置いてあるイメージを膨らませたりもしていた。その本を執筆したプロ小説先生も「はじめはとにかく一作品書いてみよう」と仰っているのである。その本によれば、最後まで書くというのはストーリー矛盾やほころびには完全に目を瞑り、書きたかったラストまでを勢いで書き通して「めでたしめでたし」で締めくくるということだった。文章を書いている中で一番迷い、投げ出したくなるポイントストーリー構成がしっかりしていて、論理的妥当であるかどうかを黙考するところであるのでそれを無視していいのなら時間と道具さえあれば誰だってできる。

しかし、この誰にでもできそうなことが思ったようにできないのである。「難しいことはいったん無視していいよ」とどんなに高名な先生が仰ったところで、ほかならぬ自分自身がそれを許さないのである。とりあえず最後まで書く、ということが三日坊主自己嫌悪を解く鍵であって、その上で作品主観的客観的分析する初めの一歩であることは理解しているが、それよりも今目の前にあるプロットに悩むのである

このような事実について考えてみたが、結局文章を書くということは必然的に苦しみを伴うのだと思う。小説を書く場合でも、自分意見を表明する場合でも、脳内にある自分アイデアパソコンディスプレイ上に映っているときにはすでに元の形を残していない。言語化ができなくて自分脳内と外の世界の間にある壁を越えられないアイデアがあるし、脳内からうまく取り出した言葉の塊を読むに堪える文章にするためにつなぎが必要になる。要するに、自分脳内にあるもの自分が書いたものの間には共通項もあるが、脳内しかないもの、書いたものしかないもの無視できない量存在するのだ。しかも、文章化には自分が現時点でもっているありあわせの知識しか使えない。ところで『もしもピアノが弾けたなら』という西田敏行名曲があるが、この曲の中では「もしもピアノが弾けたなら思いのすべてを歌にしてきみに伝えることだろう」から「だけどぼくにはピアノがない きみと夢みることもない」と続く。文章を書くのも同様で伝えたい思いがあっても、それを媒介する道具がなければ伝えることができない。それは当然の事実ではあるがとても辛いことである。ありあわせの知識、というのは青を表すのに群青、藍、瑠璃色スカイブルーなどがあるみたいな表現するための単語としての知識だけでなく、物語に転機が訪れるのを天気の移り変わりに描写する、賛否両論あることについて自分意見を述べるときにはたしかに~と言われているが私は~と思うという議論の流れにする、みたいな文章の書き方の知識も含まれる。

そうすると言いたいことを言語化するとその瞬間、自分がもともと言いたかたことと一般常識が混濁するのだ。言語化するまでは、よしこれを文章にしてみんなに教えてあげよう、と思っていることが明確な仕切りをもって脳内にあるが、文章にする段階でありあわせの知識という不純物が入り、ボーダーラインが薄れていく。これは辛いことであるだけでなく、不気味なことでもある。自分の言いたいことを言っていたはずが、自分普段そんなこと考えないけど、知ってはいるような言葉が混ざっている。自分の書いた文章を読むと離人症のような恐怖に襲われる。この恐怖を避ける方法は3つしかない。1つ目は自分が書いたもの100%他人のものである断じてしまうことである中学生の頃の日記が掘り起こされたときに、「あれは黒歴史だ。」と言うのは暗に今の自分はそんなこと考えないし、そんなこと言わないと表明しているのであり、過去自分現在自分の間を壁で分断することで自己防衛を試みている。2つ目は繰り返し考えていた自分文章をまるごと消すという方法である。つい最近書いたものを見て、あれを書いたころの自分と今の自分は違う、と断言するのは無理があるので怖いものを見えなくするのは当然の反応だ。文章を途中で投げ出さないためには一番手っ取り早い恐怖の取り除き方を乗り越えて恐怖と向き合う必要がある。そのうえで自分自身と目の前の文章の間に壁を作らない方法で折り合う必要がある。つまり、3つ目の方法文章100%自分のものにすることである。もちろん、自分が書いた文章にらめっこするだけでは、ただ嫌気がさしてさらなる自己嫌悪に陥るだけであるし、バックスペースを押してすべてを無に帰すまでの時間を延ばすに過ぎない。まず自分が書いた文章を読んだときに感じる恥ずかしさやもどかしさを我慢する必要がある。そのうえで文章を丁寧に精査して、自分意見と異なるものに関して、別のありあわせの知識と置き換えるか、反芻することによって自分意見の中に吸収する。それを繰り返していくことでいつか自分脳内文章が一致する。

根本的に言葉というのは他者と、お互いの内面を交換するためのメディアであるから自分意見が初めから脳内に整然とした文章存在していることはあり得ない。そう考えると文章化というのはなにか義務のような行いで、自分意見言語化せずに完全な状態のまま保っておくのが良いように感じるが、恐怖に向き合って自分の考えを文章にすることに意義はあると思う。先ほど文章100%自分のものにする方法最後で、自分意見と異なるものを反芻して吸収すると言った。これによって自分意見言語化するあいだに自分意見をより大きくすることができるのだ。だから文章を書くことは苦しいが、何度失敗してもやめられないのだろう。

2024-05-13

いつメングループから疎外感を感じている女子中高生

私はアラサーの女だが、会社辞めて暇なので記憶を頼りに書いてみようと思う。

投稿勝手がわからず、長文ですみません

該当する中高生女の子がちょうど読んでくれるだなんて思ってないけど、どこかの誰か一人の心を軽くできる可能性が、わずかでもあればね。

いつも仲良くしている3〜6人程度のグループから「なんとなく避けられている気がする」と感じた経験がある人は、全国にたくさんいるだろう。

大人になって思い返せば、「そんなこともあったな」と思い出になるだけの人がほとんどだ。

「あの経験以来、コミュ障をこじらせている」という人も少なからずいるけど。

でも中高生あなたは「大人になったらどうでもよくなるよ」と言われたところで、

「今が苦しいからなんとかしたいんじゃい(怒)」と言いたくなるよね。

止まない雨は無いとかじゃなくて、今降ってる雨がキツイだってのにな。

大人相談しても「世の中いろんな人がいるからね〜」みたいな、何の解決にもならないことしか言われないし。



私の経験は、以下の通り。

中学2年生の頃。

 修学旅行の班分けで、いつもの4人グループの班になった。

 修学旅行計画を立てている際、私の知らない話題になった。

 数日前に、私以外の3人で温泉施設に遊びに行き、アイスを買って、こぼしてしまったという爆笑エピソードがあったそうだ。

 話についていけなくなって以来、距離感を掴むことが難しくなった。

 修学旅行当日も、横一列になって並ぶ3人の後ろを、私は歩いていて、一生「友達ってなんやねん・・・」と考えていた。

高校3年生の頃。5人グループ

 文化祭が終わった後、トイレに向かう廊下にて、打ち上げ焼肉に行こうという話題に。

 ハブられたくねえ〜〜!と思った私は、必死に食らいついて「私も行きたいんだけど…」と言った。

 沈黙する4人。

 必死に「え?ダメな感じ?笑」と訴えるも、何も言わないまま、4人のうち3人がトイレに消える。

 トイレに入らなかった1人から「ごめん、〇〇(私)が入っていないLINEグループがあるんだよね…」と打ち明けられた。




グループに入れないことで、ぼっちと思われることの恐怖。

仲が良かったはずの人と、上手く付き合えないもどかしさ。

強いストレスを抱えることになった。

から知ったが、離人症という精神病を患っていた。

こじれた考えを持つようになり、自分価値がないと思い込み、常に死にたいと思っていた。

高校3年生の夏からは、大学に進学するために、予備校に通っていた。

予備校では、別の高校だけど同じ志を持つ同級生が多数いて、とても気が合った。

私は予備校の友人に、文化祭打ち上げで、ハブられたことを打ち明けた。

その友人は、「どのグループに入るとか入らないとか、気にならない」といった雰囲気でありつつも、

クラスメイトとは皆とほどよく仲良いタイプ女子だった。

グループ絡みに疲れて「私もそうなりたいから、どうすればなれるのか教えてほしい」と聞いた。

彼女の答えは「基本は独りで、たまに普通に喋るといいよ」とのことだった。

シンプルな答え。

以降、クラスのどのグループから距離を置いた。

休みは「ぼっちなんて、何も気にならない」という顔で昼食を摂り、次の授業まで自習室勉強

たまに近くの席の生徒と「課題やった?」「やってないwやばい見せてw」なんて他愛もない話をした。

それ以外は、ひたすら勉強に注力した。

なんでこんな簡単なことが、今までできなかったんだと思った。

グループ絡みでモヤモヤすることのアホらしさ。

これを意識することで、他の人とほどよい距離感の保ち方がわかるようになったから、本当に良かった。



もちろん元の関係に戻れる見込みがあるなら、その努力をした方がいい。

わざわざ友情を手放す理由なんてない。友達は大切にした方がいい。

これを読んでいるどこかのハブられ女子中高生は、

最終手段として「基本独りで、たまに普通に喋る」を試してみてほしい。

ぼっちになる。それは、今までその経験がないとかなり辛い。

寂しい。毎日が楽しくない。ハブったメンバーが憎い。みんなにどう見られるか怖い。恥ずかしい。

慣れるまでは本当に苦しい。人間関係って本当に難しい。消えたくなるくらい辛い。

でもいい距離感を掴めるようになれば苦しい気持ちから徐々に解放されていくようになる。



中学高校は脳の成長が人によって全く異なると思うんよ。(私は専門家でも何でもないですが…)

何を面白いと感じるのか?

将来どんな人になりたいのか?

何が欲しいのか?

何をされたら嬉しくて、何をされたら嫌なのか?

そういった考えが、13歳くらいまでは大体なんとなくみんな一緒なんだよね。ぼんやりしているから。

でも思春期は、感性が人によって全く違う方向へ成長していく時期だと思います

みんなが面白いと笑っているのに、あなた面白くないと感じるかも。

あなた楽しいと感じているのに、みんなは楽しくないと思っているかも。

そのギャップがなんなのかわからなくて、息苦しいと感じるかも。

それはあなたが、周りのみんなより少し大人視点を持つようになっただけだ。

あなたは着実に、自立した大人に近づいている。




ぼっち耐性がある人間になってくれよ。

大人になったらぼっち耐性あるってかなりすごい長所になるから

いきなり知らない人たちの中に放り込まれても「たまに普通に喋ること」ができる人って、会社とかだと重宝されるんだよね。

大人には教室部活も無いから、グループもない。

いずれはいつメングループ毎日会って遊ぶなんてことなくなるんだから、それを早く経験するか遅く経験するかの違いでしかないのよ。

あ、でも大学ちゃん友達作った方がいいぞ。

友達や先輩いないと重要情報を知らないまま単位取れなかったりするからな。

進学先決まったら#春から〇〇大のハッシュタグ入学前に関係作っとくのは大事です。

その辺は自分で調べてください。




あとぼっち耐性がある女、男にモテます

寂しがりな女もそれはそれで可愛らしいけど、22〜3歳くらいになってもそうだと、少し重い&イタいと感じる男性は少なからずいるぞ。

思春期に傷ついた経験があって、人付き合いに悩んだから、同じ悩みを持つ人の気持ちがわかる、孤独が怖くなくて、自立した人間

そんな、優しくて、少し変わっているあなたを、本気で幸せにしたいと愛してくれる人が、きっと現れるはずです。

恋をしろ。恋は全てを解決する場合がある。

どこかで悩んでいるあなたがいつか幸せだって言える日が来ますように。




ちなみに、卒業式の時に、「LINEグループがある」と打ち明けたその1人は謝ってきた。

打ち明けられた日以来、勉強を頑張って私はそいつよりもいい大学に進学するので「いいよ、お陰で〇〇大学に入れたし」と謎マウントを取ったのが最後の会話だ。

覚えてるかな。今でもお前のことは嫌い。

2024-04-28

anond:20240428132603

離人症」とだけ書かれると、それって病名じゃなく様々な精神疾患統合失調症など)でみられる非特異的な症状のことだよねってなる。

「解離症群の離人感・現実感消失症」って言われたほうがピンとくる。

心理学精神医学を学んだ方、色々調べて知っているような方でないと、あまりピンとこないであろう病名だと思うからだ。

2024-04-16

本当は親に直接言った方が良いのかもしれないけれど

いい大人になってから反抗期が来て、今年の年初から家族(・親戚全員)と一言も話したくないという状態が続いている。

両親は私を育ててくれた。教育お金をかけてくれた。でも、恨んでいることがいくつかある。まとまりがないが、自分が嫌だったことを書いていく。

両親・親戚全員が学歴

親戚

小学生の頃、勉強を習っていた親戚に言われた。

「○○ちゃん勉強の仕方が適当から東大は無理ね」

東大に入れなくてごめんなさい。実際私は勉強の仕方が適当かもしれない。でも私、東大を目指すなんて1度も言ってない。それに10歳そこそこの子供にそんな呪いをかけないでほしかった。

そして大学受験が終わったとき両親に言われた。

「親戚の言う通り、東大にはやっぱり入れなかったね。」

お父さん、お母さん、東大に入れなくてごめんなさい。でも、そもそも私は東大受験すらしていない。それに親戚も両親も誰も東大なんて出ていない。自分東大に入れていないのに、なぜ子供東大に入れると思うんだろう。

祖父母

祖父母には慶應こそが素晴らしい大学だと子供の頃から言われていた。祖父母慶應卒の芸能人のことはすごく応援している。特に幼稚舎から慶應の人のことは無条件に評価している。

「○○ちゃんは将来慶應医学部ね」

おばあちゃん慶應に入れなくてごめんなさい。でも、うちには慶應医学部に行くお金はないよね?

両親

私の両親はいつも学歴の話ばかりする。年がら年中夕飯のとき東大合格者数の話が話題に出る。名門中学の情報にも詳しい。

あなた高校、3年前と比べて偏差値が2上がって、○○高校より高くなったわよ。」

「○○高校最近進学実績が伸び悩んでいるのね。」

テレビを見ていても出演者出身大学の話ばかりしている。

私の友達の進学先や就職先も根ほり葉ほり聞かれる。

「○○ちゃんはどこの大学に行ったの?」

両親が顔も見たことのない友達の進学先を何度も何度も聞かれる。「分からない」と言うと「仲いいんだから、分からないなんてことないでしょう。」と言われる。本当に分からないのに。

「○○くんは△△銀行内定したらしいわ。」「○○ちゃんは××製薬に内定したの?すごいじゃない。」

お父さん、お母さん、ごめんなさい。私はお父さんとお母さんが望むような大学には入れなかった。キラキラした就職をすることもできない。

母に言われた。

「○○ちゃん地元公立高校から塾なしで慶応大学らしいわよ。コスパがいい人っているのね・・・。それに引き換え、うちは。これだけお金をかけてMARCHだったら目も当てられない。」

お母さん、コスパの悪い子供でごめんなさい。でも、私は子どもの時気づいたら学習塾に入っていた。中学校ときも、私は数学の塾には行かなくていいと主張していた。私がコストをかけるよう頼んだわけではない。思わず腹が立って言ってしまった。

「お母さん、コスパがいい子供っていうのは遺伝子がいいんだよ。結局遺伝子の差じゃないの?」

私は両親より学歴は劣っていない。コスパは悪いかもしれないけれど、ジェネパはそんなに悪くない。

教育虐待ぎみ

学歴厨の両親だったので、もちろん教育には本気である

ようやく歩けるようになった頃から公文式を始めて、毎日プリントを5枚解いた。それでも両親に言われた。

「○○ちゃんは1日10プリントを解くらしい。もうXXレベルなんだって。」

私は怠惰子供でごめんなさい。

公文式に加えて、小学校低学年のときから両親が買ってきた「トップクラス問題集」など高難易度問題集を解き始めた。週末に時々テストも受けた。

週末は泣きながら問題集を解いていた記憶がある。映画に連れて行ってもらったある日、両親の想像していたよりも学習の進捗が悪かったようで、めちゃくちゃ怒られて泣いた。

小学生の頃は両親によく叩かれたり蹴られたりしていた。

鍵をなくした等仕方がない理由ときもある。でも、お母さんも鍵をなくして、家の鍵をすべて交換していた記憶があるけれども。

私は挨拶をしたのに、親がそれを見ていなくて挨拶をしていないと思い込んで「挨拶しろ」とめちゃくちゃ叩かれたとか

工作教室で「AかBを作る」という指示で、私以外みんなBを作っていた中で私だけAを作っていたら「人の話を聞け」とめちゃくちゃ怒鳴られて叩かれたとか

いまだに納得のいかない理由で叩かれたことも多い。

中学受験ときのことは思い出したくない。小6の夏休みは1日中毎日家でも塾でも怒鳴られ続けて本当に辛かった。親が机を叩きながら怒鳴っているのに対して「ここのところ毎日こんな感じね」と離人症のような状態で思っていた。怒った親が机にバンバン叩きつけたせいでベコベコになった過去問勉強するのは辛かった。

結局、1番難しい学校には入れなかった。お母さん、立体図形が分からなくてごめんなさい。

中学2年生の8月下旬夏休み宿題をやっていないことがバレてめちゃくちゃ殴られて蹴られたのが最後の「教育虐待ぎみ」エピソードである

夏休みも残り2週間以上あったし、なぜそんなに怒られないといけないのか私には分からなかった。深夜にお父さんに部屋の隅まで追いかけられて顔を何発も叩かれたり殴られたりして、お腹も何度も蹴られた。

正直なところ、初潮が来るか来ないかという頃の子供のお腹を「宿題をしていない」という理由で何発も何発も蹴るのは、人間としておかしいのではないかと私は感じた。

お母さんも止めなかった。

あなたが悪い。普段優しい人は怒ると怖いから。」

お母さんはお父さんのことを「優しい」と言ったが、私には理解不能だった。気分にムラがあり「機嫌が良いときがある」というのが適切な表現である

「お前はダメ人間だ」「中学校をやめさせるぞ」「お父さんはあなたスポンサーなんだから言うことを聞きなさい」

いろいろ言われた気がする。せっかく中学受験をがんばって入った学校をやめさせられたくなかったから、そこからすぐに表面上は宿題を終わらせた気がする。

観察の課題があって、都会育ちの私は苔なんてどこに生えているのか分からなかったから、適当な苔の絵を描いて提出した。あとからネット検索したら苔のすがたは私が描いたものとは全然違っていた。

その後、殴られたり蹴られたりすることはほとんどなかったけれども、最後まで両親は私が勉強以外のことをするのを嫌がった。私の勉強以外の側面には興味がないようだった。もし勉強が得意でなかったら両親の私への愛情ゼロだっただろう。私は両親にとって勉強以外価値のない人間なのに、中途半端学歴でごめんなさい。

大人になってから教育虐待をされた子供が親を殺した滋賀佐賀事件の話を両親にした。

「うちはそんなことがなくて、優しい両親で良かったね。」と言われた。自覚がないのかと愕然とした。

「私は自分の子供に中学受験をさせたくない。」と言った。「私たちあなた勉強を強いたっていうの!」と怒って、私のいないところで泣いていたらしい。

干渉

私の両親はおまけに過干渉だった。スキンケアをしたり髪を整えたりすると「色気づきやがって」と言われた。だから、今でもおしゃれができない。

親の目の前では自分の好きな娯楽いっさいを楽しむことができなかった。親の好きなワイドショーやらクイズ番組やらを見るだけの休日

高校の初めまでは定期的に必ずケータイチェックがあり、親にLINEの友人1人1人を指さして「これは誰だ」と聞かれた。様々な閲覧履歴ファイルもすべて見られた。年賀状もすべて検閲されていた。

高校生まで私はほとんど自分の使えるお金がなく、バイト禁止されていたので、スタバにいる高校生が理解できなかった。電車に乗る距離を徒歩で移動することでなんとかお金を浮かせてブックオフ100円の本を買ったりコンビニコーヒーを買ったりするのが楽しみだった。

未だに実家に帰ると誰とどこに行って何時に帰るかを報告しなければならない。

でも、お父さん、お母さん、そこまで干渉したのに、私は小5からFC2を見て、中2から金融商品を買っていた。意味なかったですね。

最後に両親へのメッセージ

両親は私のことを育ててくれて、話していて楽しかたこともあった。教育にもたくさんお金をかけてくれた。

両親にはこれまでの人生で様々な苦労があったことも分かっている。苦労が多かったか子供への愛情の注ぎ方が分からなかったのかもしれない。それでも頑張って育ててくれたことは伝わっている。

でも、今は距離をおきたい。

今年の年初、親が能登半島地震被災者差別的発言をしたときに、もう私の心は限界を迎えてしまった。これ以上、親の言うことは一切聞くことができない。理想の子供を演じることはできないし、親孝行もできない。今の私には親の価値観が歪んでいるように感じられる。歪んだ価値観が自分に伝播するのが怖いので、親とはもう一言も話したくない。お父さん、お母さん、親不孝な子供でごめんなさい。

2024-04-12

頭が部分的麻痺してる感じで記憶飛んだって離人症認知症かな

普段食べないもの食ったせいもあるか

2023-12-25

anond:20231224205347

フィクションオカルトスピリチュアルを受け付けない人向けに、いつからかは知らないが仏教は歩み寄っていて、そういう宗派が生まれている。

というか、ブッダは神や呪術否定していたし、仏教のコアの部分はほぼ哲学なので、原点回帰しているともいえる。

日本仏教は、日本に伝わってくるまでに、古代インド流行っていたバラモン教信者にあわせたり、中国思想にあわせたり、日本神道にあわせたりした結果、原型をとどめていないフィクションスピリチュアルもりもりになってしまった。

仏教は、相手にあわせて教えを説く「対機説法」というやり方をしているので、そうなるのはしかたなかった。)

で、仏教のコアの部分というのは「悟りをひらこう」というだけであり、これはスピリチュアル意味ではない。

自分とは何か?(自分というもの構成する必須要素とは?無くなったり変わったりしたら自分ではなくなる要素は?)」という疑問を突き詰めると、肉体や脳みそ意識記憶自分ではないと考えるしかなくなり、「本当の自分」とは「〇〇ではない存在」としか説明できない何かであるという結論にたどり着く。

この「本当の自分」のことを専門用語で「真我」とか「アートマン」とかいう。

で、哲学を突き詰めると「真我」という概念を、言葉としては説明できるという状態には、多少頭が良ければ誰でもなれる。

ただし、その状態ではそれを体験知識にできていない。「真我」というものを実際に見たり感じたりはできていない。

例えば、生まれつき目が見えない人でも光や色について勉強して言葉説明できるようにはなる。しかし、体験として光や色を見るという経験を積んでいない状態では、それを真に理解しているとはいえない。

「真我」についても、言葉説明できるようになっただけでは、真に理解しているとは言えない。体験知識にする必要がある。

悟りをひらくとは、真我を体験知識として理解するという意味である

悟りをひらくと何がうれしいかというと、絶対に苦しみを経験しなくなる。「苦しみを感じている肉体や意識」は「本当の自分」ではないから。

(ここらへん、にわか知識で間違った理解をすると離人症という精神病になるという話があったりなかったりするので、手を出すならちゃんとした専門機関、つまりお寺で教えを受けましょう。)

今苦しんでいる人に仏教必要である

今苦しんでいなくても、ほとんどの人はいつかは年老い病院のベッドの上か独居している自宅で苦しんで死ぬことになるので、それまでには仏教必要である

まあ安楽死する人や一瞬で苦しむ間もなく死ぬ人には必要いかもね。

ところで、オウム真理教って原始仏教勉強をしようという口実で人を集めていたらしいね

2023-12-07

自己肯定感根拠無意味で害がある

1.「ヒューム法則」に反する

自己肯定感とは、自己倫理的肯定するという意味だ。(自己物理的な存在感問題である場合病院に行った方がいい。それは離人症だ。)

しかし、ヒューム法則を見ればわかる通り、「であるから「べきである」を導くことはできない。

まり、何らかの客観的根拠から自己倫理的肯定する推論はあり得ない。

したがって、何らかの根拠本質的無意味だ。


2.根拠に基づく自己肯定感弊害の方が大きい

仮にあなたが「年収が一億円だったり、容姿が水準以上であれば自己肯定感を持てる」くらいに単純な精神を持っていたとしよう。

そのうえで、何ら自分肯定できそうな事実が見つからいから悩んでいると。

そんなもので満足するなら「私は日本人から価値がある」とでも思っておけばよろしい。

(すぐにこの解決法の問題点を指摘するので「私は日本人であることに肯定感情を持ってないが」みたいな感想は仮に思っても、言わなくて結構です)

しかし、もしも「私は日本人から」「私は年収一億だから」「私は美人から」「私は○○コンテストで大賞をとった」「私は毎年○万円寄付している」

といった方法自己肯定感を基礎づけた場合、むしろそのメリットよりデメリットの方が大きいだろうことは容易に想像がつく。

なぜなら、そのような自己肯定は、そうでない人々への等閑、軽視を含むからだ。それは他人にも本人にも良い影響を与えない。

したがって、何らかの客観的事実自己肯定感の基礎に据えることは、むしろ弊害の方が大きい。

2023-11-19

尾籠な話で申し訳ない。オナニーして射精したら血が混じっていたんだ。

かなり衝撃の画。ティッシュ二度見したわ。痛みもあった。

翌日急いで泌尿器科行ったところ、「慢性前立腺炎」とのこと。もっとやばい病気可能性もあったので、ちょっと安心した。

かに毎日出勤時自転車サドル前立腺を痛めつけていたので、まあむべなるかな。

薬飲んで1週間くらいしたら緩解した模様。

しかし、「射精」だの「精液」だの、このクールな俺が、この口で、他人に声出して言うとか、かなり現実離れした感覚

離人症のごとき傍観者的な記憶が残っている。

あと、ちんこ触診されて大きくなったりとか、お尻になにか突っ込まれるとか、その場で精液の採取を命じられたりとか、

あんなこんな羞恥プレイ覚悟していたのにちんこ露出することすらなくて拍子抜けした。(超音波エコー内臓露出させられた)

そんなかんじだから、血が出たらすぐ医者行ったほうがいいよ。

2023-09-01

anond:20230829161200

ひどくなると離人症かいわれるやつかもしらんが医者じゃないのでようしらん

2023-02-03

anond:20230202232852

メンタル関連であればこの漫画自分にはぶっ刺さった。結構長いが。

https://twicomi.com/manga/e3_noguchi/913693963118190594

あとたまに軽度の離人症っぽい状態になるけど、そういうとき瞑想個人的によく効く

2023-02-02

白昼夢」のニュアンス

起きているのに夢を見ているような感覚になる事がある。理性では現実だと分かってるけれど、感覚リアリティ当事者性が薄くなる気持ち悪い感覚だ。デジャヴ(実際に見ていてただ思い出せないだけのやつじゃなくて、マジの方)を感じた時の気持ち悪さに近い。マトリックスでもこんなような事言ってたな。

ネットで調べるとおそらくは離人症という名のついた現象らしく、人によって感覚表現の仕方は異なるだろうけれど、割と普遍的現象らしい。

これは言葉説明するのには限界があって、実際に経験があって肌感覚で分かる人にしかからないと思う。

白昼夢」という言葉があるが、自分はこの離人現象を表す言葉だと思っていた。が、調べてみるとどうにも単なる「妄想」のニュアンスが強いらしい。自分の様な捉え方でこの言葉を使っている人は少ないのだろうか。

2022-03-22

現実感消失について

ここのところずっと、どんなことが起きても現実感がないというか、生きているという実感がわかない。知恵袋とかで同じような症状の人がいないか調べてみると、どうやら現実感消失症、離人症という精神的な病気があるらしい。現実感消失は意外と経験している人は多いらしいが、内的な体験であること、また自覚しにくいことなから、表にはあまり出てこない話題みたい。現実感が感じられないというのはメリットもあるが、あまりいいことではない。自分体験することに対して何も感じない。というのは想像以上につらいことである。唯一楽しいことといえば、週一でラーメンを食べることぐらい。でも生きているだけましなのかも。。

2022-01-23

関数型言語という宗教世界は不変と直観する信者たち。

プログラミング世界に、関数型言語というのがあります

(私は入門書(象の絵のやつ)を読んだことがあるだけで、使ったことはまだありません。)

で、関数型言語の良さをアピールするひとからは、いい意味でのの宗教性というか敬虔さを

私は感じるんですよね。

現実世界は不変だから 関数型プログラミング銀の弾丸であるという主張

本題。「関数型プログラミングが『銀の弾丸である という非常識常識 2022」 と題された長い文章をみつけました。

ここ。https://kentutorialbook.github.io/functionalprogramming2022

まるで熱心な信者による経典なので、ほとんどちゃんと読んでないし読む気も起きませんが、

流し読みをしていて、目に入った 次の一節 がとても私の心に刺さりました。

ーー我々が暮らしている「現実世界」はミュータブル(mutable)なのです。

撤回させていただいて、

現実世界数学物理学的な俯瞰では、immutableです。

( https://kentutorialbook.github.io/functionalprogramming2022/#n0.19337518569281165 )

ちなみに、ミュータブルは「可変」、 イミュータブルは「不変」の意味

私の俗な反応 - 数学物理学がどうあれ、世界は可変

まあ私も世俗的なSEをやってるので、まっさきに、↓くらいのことは、思うわけです。

多分、プログラミング世界での、世間一般の反応も似たようなものかと。

ところがですね。

レトリックによって伝えられようとしている信念

ところがですね。これ、意見戦わせても、たぶん議論でどうにもならず、宗教間の対立みたいなものになる気がするんですね。

というのも。上の文章でとりあげられている数学やら物理やらというのは、おそらくレトリックしかなくて。

そのレトリックで、伝えられようとしているものは何かというと、

そもそも世界決定論的にしか記述できないのだから

 ビジネス世界だろうが何だろうが、本来世界は不変なものとして記述されるべき」

というような 信念(信仰であるような気がするのです。

なぜなら、私が隠し持っている信念が、まさにそれに近しいものからです。

私の本音 - 数学とか物理学か抜きにしても、本当は、世界は不変であるという直観離人症世界観。

私は数学物理学全然からない、文系人間ですが。

物理学法則が成り立たとうが、物理学の通じないアナーキー世界であろうが

世界は不変であり、私自身による世界への介入なぞありえない、と直観的に思っています

から 「やればできる」 「世界は変えられる」 「努力は裏切らない」 みたいな言葉は大嫌いなわけです。

この直観を私は自分勝手に、「離人症世界観」と名付けています

この世界観の持ち主は多分少数派で、社会から見れば異端どころか、害悪とみなされるかも。だから、隠し持っている。

関数型言語好きな人も、おそらく私が似た直観と似たものを隠し持っているのでは、と、

私は思うのですね。

関数型言語が受け入れられる社会

もし、離人症世界観に基づくコミュニケーション社会に浸透し、

自分意志感情」すら、あたかファーストクラスオブジェクトとしての関数のように、

客観的に表明されるようなコミュニケーションが、もしこの世の中に広まれ

関数型言語も当たり前のように、普及するのだろうと思います

そうでもならないと、関数型言語流行らないだろうな。というのが私の予想。

ま、宗教ものは、広まるときは、あっと言う間らしいですから

ひょっとしたら20年後くらいには、手続き型言語が滅びているかも。こればっかりは分かりませんけどね。

以上!

2022-01-17

ずっとなんだろうなこれって思ってた感覚離人症だと知ったっていうかこの感覚みんな感じてるもんじゃないの?そんな大層なものなの??

難しいな

anond:20220115154806

なんか離人症とかメンタル病気になってそう

なにも原因がなくても病気はなることがあるのでお早めに

今かかってる医者にこれプリントアウトしてもってくのもいいとおもう

2021-08-29

まずは自分と「彼」のスペックを記しておこう。

自分。筆者。主人格(?)。

/高校2年生

/性別にこだわりなし(身体女性)

/一人称は「自分」、伊丹と話す時だけは「あたし」、「僕」。意図的に変えているわけではなく、染み付いたクセ。

普段方言で話すが、伊丹と話すときだけ標準語になる。

/絵が人並みに描ける

/子供の頃の記憶はあるが、中学2年までははっきりと思い出せない

・偽名として、「彼」。別人格(?)。

/自分より7個上と話す(23?)

/性別男性

/一人称は一貫して「俺」

/歌を歌う。シャウトと巻き舌が異常に上手い

/子供の頃の記憶もあるが、思い出さないほうがいいと話す

厨二病全開のスペックだが、本当にこれがあるんだから恐ろしい。ちなみに彼とは11年の付き合いだ。

もう1人いるはずだが、最近は目撃情報がないので多分死んだか寝てる。

次に、そもそも多重人格とは」という事前知識の話をしよう。

多重人格とは、いわゆる「解離性同一性障害」の俗称である

そもそも解離性同一性障害は「解離性障害」のひとつに分類されており、

・解離性健忘、遁走

離人症

解離性同一性障害

と分類されるらしい。wikiそのままだ。診断書が書かれた訳ではないので、詳しい話は知らない。

この中で、自分は「健忘」「離人症」「同一性」に当てはまっている役満だ。嬉しくない。

詳しい話は省く。今回は解離性同一性障害についてだけ話す。

解離性同一性障害は、ゲーム漫画で書かれるようなものとはまず違う。そんな美談で終わらせられるほど簡単ものではない。

「何かしらのトリガーで引き起こされる」。これは、人による。彼もロックを聴いていたら稀に現れるが、ほとんどは静かだ。自分は好きな絵を見ると帰ってくる習性がある。

だが、確定ではない。あとパッキリ切り替わる事もない。「いつの間に変わってた」と言う方が正しい。

自分意思で変えられない」。これは自分の中ではノーだ。目を閉じて30秒〜2、3分経つと、身体から血の気が引いてくるような感覚を覚える。それにに合わせて、頭が飛んでいくような感覚になる。スッと意識が遠くなったら、もう変わっている。

記憶がまるきりない」。これはイエス。だが、自分達の場合はそれほど空っぽという訳でもない。目に焼き付いた景色は残っている。ただ、何をしたのかは朧げだし、思い出したとしても自分経験として至らない。勝手に誰かが作った記憶のようだ。

「顔つきや目つきが変わる」。イエスだ。家族からは目でわかると言われる。彼はいつ変わったかわかるよと言われたらしい。

声の出し方も変わる。彼は男性ででいたいので低い声を出したがる。声帯の使い方が違うのかも知れない。よくわからない。

多重人格キャラは見ていられないので特徴がよくわからないが、とりあえずはこんな感じだ。

少なくとも「バイクに乗ったら気性が変わる」と言ったような単純な変化はない。それは多重人格でもないと思う。

なぜこんな話をするのかというと、多重人格キャラはあまりにも綺麗事ばかり書かれているからだ。

最近SNSで「バニシンツイン」について書かれた漫画広告を見た。片割れ双子が死んだ場合、もう一人に憑依する事がある、という話だ。

実質多重人格はバニシンツイン同義としてもいいだろう。意識が同じ身体の中にあるんだから、ほぼ一緒だ。

というより、彼も自分の生まれる7年前に流産した男の子説がある。どうせ偶然だろうが。とりあえず多重人格も憑依型のバニシンツインも変わらないものは変わらない。

その漫画主人公としては

母親が死んだ方の双子意見ばかり聞き、自身意見蔑ろにされてとても悲しい。自分が乗っ取られているようだ」

と話している。

この時点で気持ち悪い。

少なくとも、自分身体を持たず、自分のやりたかった事もできず、ただ空虚人生を送っている彼と主人公を比べれば明らかにどちらが素晴らしい人生かわかるだろう。

人格は悪じゃない。誰も悪くないのだ。

問題はその後だ。広告では、

「その子除霊してあげようか」

と、イケメン除霊師らしき男が話しかけてくるのである

なんだそれ。

除霊

人格を殺すって言うのか?

せっかく、身体なしでも生きながらえているのに?

作者は、何も知らないのだと思った。

ニシンツインについてもそうだが、それ以上に「人格」を軽く見過ぎなのだと。

当事者からすれば、人格というものは四六時中離れられない関係にある。情が湧かない、という方が無理がある。

それを、損得だけで、切り捨てようとしている。

レビューでは「親が理解できない」という声が多いが、自分はそれ以上に子供理解できない。

どうして、同じ時を過ごした人間を殺そうとできるのか?

気持ち悪くてたまらなかった。

今、自分が「彼を消せる」と言われたら、泣き叫んで相手を殺してしまうだろう。

心の支えである人格を、どうして殺せようか?

レビューを今読んでいるが、頭の中で声が聞こえる事が「ホラー」と称されてる事にも少し腹が立った。

レビュー作者も漫画作者も、それを「エンターテイメント」として見ているからその様に話せるのかもしれないが、当事者からすればこの上ない侮辱である

自分が抱えているものホラーでもエンターテイメントでもない、

どうしようもない「リアルなのだ

それを、ただの自己満足で消費される程気持ち悪い事はない。不思議でもない、スピリチュアルでもない。そいつらの目の前に立って「私が多重人格てす」と話してみようか。

そいつらは漫画の様に崇めたてるのだろうか。

厨二病だと投げ捨てるのだろうか。

気持ち悪いと目を背けるのだろうか。

やってみたい気持ちと、自分リアルを見たくないという矛盾で吐きそうだ。

多重人格の話を書くのなら、当事者に話を聞いてほしい。

幸せでもない。不幸でもない。それは彼らにとっての「普通なのだ。健常者の物差しで測る方が間違っていると思わないか

それと、人格の年齢や性別身体と違っても、受け入れてあげてほしい。そういうものだ。そうとしか言いようがないのだ。

気にしない人格もいるのかもしれないが、彼の様にスカートを履こうとするだけで泣きそうになる、それくらい性別にこだわりがある人格もいるだろう。

そういうものだ。それさえも知らないで多重人格の話を書くのはやめてほしい。SNS蔓延る三流作家達のことだ。

最後に、漫画の話は広告を見たうろ覚えで話しているので細部が違っても許して頂きたい。即ブロしたし見返したくもない。

彼は今日はぐっすり寝ている。空も白んできた事だし自分も寝ることにする。

2021-04-09

解離性障害とかの話

普段文章を書きも読みもしない人間が、備忘録がてら書こうと思ったこと。その昔、10年ほど前のことを思い出したという話。

 

タイトル解離性障害については興味があれば調べてほしい。

解離性健忘、解離性遁走、離人症、…多分一番取り上げられるのは、解離性同一性障害(DID)についてだろう。

今回は、そのどれでもなく、あまり語られないその他の解離性障害について、当時の経験を書こうと思う。

かなりの主観で書いているので、親サイドで見るととんでもない傲慢独りよがり子供の話であることだけは、免罪符として先に言っておこう。

 

 

少し自身のことを掻い摘んで記しておく。一つずつ語るとまぁ長いので、ざっくりと箇条書きで。

・少し裕福な家庭で育った

きょうだいの一番上

なんやかんやあって中学不登校高校不登校再発→退学

・その後、高卒認定を取り、浪人生活を経て大学進学

大学在学中に体調を崩して就活を諦める

・数年フリーター生活ののち、現在会社員

 

冒頭の10年前の時期は、この中の浪人生活辺りの話である

なお、家族名誉の為に表記しておくが、「家族から愛情を持って育てられていた」のは間違いなかろう。

家庭環境については、外から見れば良くも悪くも普通の家庭だった。自分にとっては、休まることのない家だったというだけである

ここについては語るとキリがないので割愛

 

中学高校と相次いで不登校になり、高校で出席が足りずに退学した。

学校に馴染めなかったのが理由だと思っていた当時だったが、家庭環境が合わなかった、性自認やそれ関連のトラウマという理由も含んだものであることを、年が経つと共に察することになる。

朝起きられない、一日中寝ていて起きたら次の日の朝だったという日もあれば、朝まで眠れない日もあり、食事を受け付けないかと思えば、いくら食べてもお腹が満たされないこともしばしば、身体がひたすらだるい…と不健康まりない毎日を過ごしていた。

出席が足りずに退学したとはいったものの、部活だけは好きだったので、時折顔を出していた。全然学校にも来てない、部活にも不定期にしか来ないのに受け入れてくれた。

あの時、不満を言わないでいてくれたばかりか、こちらの安否を心配してくれていた顧問先生と友人には本当に感謝している。

同級生引退する時期に、一緒に"引退"し、その年の冬に高校を辞めた。

この時期、何度か心療内科カウンセリングに通っていた。親がドクターカウンセラーと話をし、その後自分ひとりで話をする……はずだったのだが、毎回何を言って、何を伝えたらいいのか分からず、そのまま診察の時間は終わった。

心療内科ドクターからは「なんでもいいんですけど、自律神経失調症診断書出しときますね」とダルそうに告げられ、カウンセラーからは「あなたが悪いわね」と言われたのは、よく覚えている。

 

当時、既に無気力ではあったといえ、大学進学という目標があった。高校部活顧問先生がとても良い先生だったので、教師になりたいと思った。

教育学部に進学したいという、高校を辞めた身としてはなんともな目標ではあった。

高卒資格がないと大学には進学できない。在学中に通信制や夜間への転入も考えたが、同級生と一緒に大学進学を果たしたかったので、高卒認定を受けることに決めたのが、18歳の夏。

その年の秋に高卒認定を取得し、センター試験を受け、二次試験合格する……といった算段だったのだが、志望校センター試験できわどいライン

二次試験はかなり難しい学科なのでほぼ無理ゲー。諦めて浪人することになった。

予備校に通うことになった。有名予備校でなく、個人事業主がやっているところ。何でそこを選んだかは覚えていないが、教える内容は"勉強"というより"思考"そのものだった。事務所には漫画が置いてあって、マスターキートンをハマって読んでいた。何故か13巻だけ無かった。

予備校には色々な人がいた。いわゆる陽キャな子、5浪ほどしている人、社会人から出戻りして大学進学を志望する人、モデルをやるといって辞めていった子、いつの間にか来なくなって近場のパチ屋で見かけたと噂が立っていた子。

人付き合いが苦手な自分は、ここでも浮いた。孤立も慣れたもんだと思いながら入校してひと月ほど経った頃に、それは起きた。

 

 

最初の症状は、予備校休みで、家に居た時のことである

中学生の頃から身体の不調も相まって、朝起きられないというのが常態化していた。

朝起きても、身体がだるくて昼過ぎまで布団に入って寝ている。夜は眠れないし、一度寝たら起きられないというのが中学高校の頃の不登校事情だった。だが、その日は違った。

意識ははっきりしている。右手携帯を探す。ここまでは良い。左足が動かない。痛い。神経が締め付けられているような痛み。じわじわと熱くなるような感覚が、上半身に上がってくる。

痛みと眠気でぼーっとする中、徐々に左腕が痺れる感覚に陥る。左半身が動かない。

起きないと、いつものように親に怒られる。そう思いながらも身体が動かない。案の定、怒られた。辛うじて、身体が動かないことを伝える。

呆れた顔をされたが、微妙理解を得られたのは覚えている。この症状は、土日の間続いて、徐々に消えていった。

 

それから一週間ほど後、今度は予備校自習をしていたところに同様の症状が出た。流石にヤバいと察されたのか、親が迎えに来て、大きい病院の緊急外来直行した。

身体症状が出ていたので、最初外科検査、その後脳の検査(案の定だがここが一番検査時間がかかった)、最終的に精神科となった。

どこの診療科に行ってもハンマーみたいなものでコンッとされて、「痺れてるのに動くやん…」となったのは覚えている。あのハンマー、なんかの授業の時に見たなぁとぼんやり

入院して数日くらいで左半身の痛みや痺れは緩和され、日常生活に支障がないくらいに落ち着いた。

退院して帰ってもいいと言われたが、家に帰りたくないとわがままを言って、後一泊だけさせてもらった。後日、親にお金のことを口酸っぱく言われた。

入院中に、精神科先生からさいころの話を尋ねられた。心療内科カウンセリングで言われた時と違って、妙に詳しく話せたことは覚えている。

それをふまえて、「一度別の病院心理テストを受けてみませんか」と打診された。この時点で詳しい人は分かるだろうが、これは解離性障害テストじゃない。

精神科先生曰く、「まだ脳の病気可能性があるので、身体症状については断言できない」ということで、とりあえず心理テストを受けに行くことになる。

ここで診察をしてもらった精神科先生が、その後7,8年の間お世話になる人である

 

 

心理テストを受けに行くまでに数ヶ月も間が空いた。単に初診の予約の問題だ。それほど、受診する人が多いということである。大変な職業だ。

この数ヶ月の間にも、再度MRIを受けに行ったり、なんかよく分からん検査を別の病院に受けに行ったり(これは本当に何だったのか思い出せない)したものの、結局何も異常がなかった。

結局何も異常なかったじゃんと言わんばかりに、この頃からからの風当たりが更に強くなった気がする。

 

心理テスト小学校の時にやったものの延長といった感じで、楽しかった。

空間認識か図形かなんかのテストで高い数値を出したらしく、先生に「学会で発表していいですか!」と興奮気味に言われた。

結論を言うと、アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)だったのだが、なんか褒められたのが嬉しくて、グラフギザギザな診断結果の紙はお守り代わりに取っている。(追記:嘘。今確認したら所在が分からなくなっていた)

 

色々と話が逸れた。

アスペルガー症候群

うつ病

解離性障害

脳の検査心理テストカウンセリングやら色々やって、こういう診断となった。身体が動かなくなってからこの間、半年ほど。

発達障害については「ほーん」という感じで深く考えていなかった。人間関係だけでなく勉強の面でも思い当たる節があったので、どこか腑に落ちたのだろう。

解離性障害についても、この頃には既に左半身の症状も落ち着いていた。うつについては、中学生の頃からだろうという見解だった。

とりあえず受験第一だったので、何か困ったことがあればまた来てくださいね~という感じで通院終了。

 

 

それから数年、志望校とは違うが大学生活を送っている頃。

無理が祟ってうつ悪化し、更にストレスで声が出なくなり(これも解離だったそうで)、それによって教員への道も就活も諦めたり、再度病院のお世話になったりしたのはまた別の話。

教育実習を控えた直前のことだったので、担当教授にめちゃくちゃ頭を下げに行ったらすごく慰められたのはある意味救いだった。

余談だが、身体が動かなくなったということで運転免許を取る時に適性検査がすごく面倒だった。大事ことなんだけどね。

いかんせんマイナーな例なので、免許センター警察の人にも「?」という顔をされたし説明も難しい。これについては、今も忘れた頃に診断書提出に関しての連絡が来る。

 

解離性障害には、解離性健忘、解離性遁走、離人症解離性同一性障害などあるが、一度解離の症状が出ると他の解離の症状も出やすくなるそうだ。

高校生の頃に友人に「たまに別人みたいになるよね」と言われたのも、予兆というか症状だったのかもしれない。

よく多重人格だとか言われる解離性同一性障害についても、自覚しているくらいにはある。ここでは「自覚症状がある」という程度でしか判断が出来ないので割愛する。

結局、診察中に先生の前で出たことはなかったのだ。

診察の直前まで「今日こそ言う」「今日こそ文章で書いて渡す」という意識はあるのだが、いざ診察室に入ると封印されるかの如く、忘れてしまう。そんな感じだった。

遁走・健忘については、覚えているだけで一度だけ「来るまでの記憶がない」といったことがあった。

過去の期間において記憶がすっぽり抜けているというのはちょいちょいとあるようだ。(10年前の脳の検査の話も最近思い出したところ)

過去についてはトラウマは鮮明かつ歪んで覚えているのに、全体としてみると「あの時しんどかったなぁ」とぼんやりしてしまものだろうか。そこら辺は、ごくごくありふれたこなのだろうなぁ。

 

 

うつ寛解して数年。解離については麻痺したり、声が出なくなったりなどといったものはあれから出ていない。あれからどうやってこう生き延びているのか、不思議ではある。

ここまで書くのに余計な事をいちいち思い出さないで済むようになったという点では、丸くなったものだ。

また覚えていたら、今度は死生観について書こうと思う所存。

では、これにて。

2021-03-09

今思えば強迫性障害だったのだろうか。そして今も?

ユーミンではないが、小さい頃は神様がいて「ばか」と心の中で唱えたら、バチが当たると思ってすぐさま謝罪言葉を唱えていた。

しかし、神様への侮辱をしないようにすればするほど、やってしまうのが人間心理というものである

侮辱謝罪ループで寝られない夜は一度や二度ではなかった。

他にもリモコン位置がズレていることに異常にこだわっていたし

ガスの元栓が閉まっているか玄関の鍵がかかっているかに異常にこだわっていた。

そんな心配性では生きていけないよと両親はため息をついた。

年月は人を変える。心配をよそにいつの間にか「悪癖」は自然消滅した。

鍵なんてかけ忘れるしリモコンもひっくり返っている。

ある時洗面所で手を何べんも洗っている人がいた。

また、一緒に箸をついて料理を食べたり回し飲みができなかったりする人がいた。

そういう人たちの中に昔の自分を見たような気がした。しかし、心情として共感するということはなかった。

どこか、アルバムを見て「あーあったな」程度のおざなりな反応であった。

自分強迫的な属性無関係になったから、そんな冷淡な反応だったのだろうか?

喉元過ぎれば熱さ忘れるという諺にあるように?

しろ事実は逆である。私は恐れている。

いつ首をもたげて復活するか分からないその属性に。

黙殺するため離人症めいた反応をせざるを得なかったのだ。

予感はするのだが、それに対処する根本的な術を私は知らない。

2021-02-25

実際いじめっ子達+教室のその他大勢いじめられっ子の明確な力関係があれば

離人症状の出やす未成年ぐらい物理的な抵抗させずに強○できそうだけど、その場合性的合意の有無によって犯罪として立件できないのは法律の不整備じゃないか

2020-11-20

転院の心理的ハードル高い

先に言うと先生が合わないとか、症状の改善が見られないとか、そんな理由じゃない。もっと自分本位のもの……といえるかは分からないけど、まあそれに近い。

 

元々はよく言えば活発、悪く言うなら見境なしに動き回る人間だった。今思えば典型的ADHDだと思う。

それで別に困ることもなかったし、「発達障害」という言葉を知ったのも成人してから病院へ行こうとは思ってなかった。

ただ、意欲の差が激しかった。興味の有無で熱意の量や集中力が激変わりしてた。普通の人なら興味なくてもやらなきゃいけないことならイヤイヤでもやれることが興味がないという一点でだけでやらないしやれなかった。精々五分やれたらいい方だった。

その積み重ねの学生時代、流石にこのまま社会に出るのはまずいと思ってようやく重い腰をあげた。元々、カウンセリング対象者にはなっててクリニックでも良いから行ってね、とは言われてたから近場のとこにした。

後で分かったことだけど、ネットの評判があまりよろしくないとこだった。

プラス自覚症状で致命的な欠陥があった。結果的にこっちが大きかったと思う。

離人症状がかなり酷いのに自覚がなかったか医者に言ってないまま、処方注意の薬が出された。

 

社会に出て一年くらい経った頃、自殺未遂しかけて入院施設のある病院入院と同時に転院した。

それが今通ってる病院

 

なんだけど、ここ、自分的にはかなり遠い。電車バスを使って一時間半以上かかる。

これが今、自分を苦しめてる。

今、長時間電車が乗れない。

から病院へ行くのが難しくて、当日行けない……ってことがこの半年多々あった。

でも薬がないと、病院へ行かないと「普通」に生きられない。

家族からも言われてるし、自分でも転院しないといけないのは重々承知してる。

でも今の先生病院)が合ってるのも事実

 

自己都合で転院したいというハードルが、高い。

でも、言わなきゃ生活できない。

来週言わなきゃいけない事実が、自分にはとても重い。

2020-09-28

三人称を使ったセルフトーク自分制御するには有効だとか何とか

しか有効なのかもしれないが、これって精神病を誘発するのではなかろうかとちょっと思った。

離人症とか立派な病気扱いでしょ?

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