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2019-10-04

anond:20191004172544

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%A0_(%E8%81%96%E9%9F%B3)

オーム(ओम् om、または ॐ oṃ〈オーン〉)は、バラモン教をはじめとするインドの諸宗教において神聖視される呪文

2018-07-17

[] スヴァーハー

四女も一応ホーリーネームはあって、アジタナーター・スヴァーハーという。

 

スヴァーハー (स्वाहा [svāhā])は、密教於いて真言の末尾に多く使われる言葉一般には漢訳の薩婆訶(ソワカ)として知られる。

この言葉本来バラモン教儀式において、天上の全ての神々に捧げられた供物の事を指していた。またそれ自体神格化され、祭火の神アグニの妻の女神とも考えられている。

儀式の際には、供物を祭火に投じる時の掛け声としてこの言葉が唱えられた。この為、後には「スヴァーハー」は、願いが神々に届く事を祈る聖句とされた。

 

インドで崇められる幾多の女神の中に、スヴァーハーという女神がいます

スヴァーハーはヤジュニャなどの火の儀式において、火へ供物を捧げる際に繰り返し唱えられる言葉でもあります

供物と共に捧げられるスヴァーハーという言葉は、「奉納」を意味し、私たちの祈りや捧げ物を神々のもとへ届ける重要存在であると言われ、女神として崇められています

 

スヴァーハー女神は、火神アグニの妻として伝えられますが、女神崇拝の中で中心的に礼拝される存在ではありません。

しかし、スヴァーハーの言葉がなければ、神々は私たちの祈りを受け取らないとも言われるほど、儀式においてはとても重要存在です。

 

スヴァーハーは精霊でありながらも、恋に落ちたアグニ神の愛を勝ち取るために、自分自身を捧げるほどの大変な努力をし、女神になったと伝えられます

アグニ神とのさまざまな神話も伝えられ、カールティケーヤ神(シヴァ神の息子であり、ムルガン神とも)の母であると伝えられることもあります

 

祈りと共に、火に捧げられ灰になるスヴァーハー。

私たちが祈りにおいて捧げるものも、自分自身に他ありません。

そうして自身の内が浄化される時、私たちは大きな至福と平安を手にすることができます

 

スヴァーハー女神は、夫である火神アグニが火として燃えるための力でもあります

スヴァーハー女神がいなければ、アグニ神も炎を上げることはできません。

私たちがこうして生きる日々の中にも、そこには常に力が存在し、さまざまな形で私たちを育むその力は、ここで女神として崇められています

 

スヴァーハー

サンスクリット語の「svāhā」(スヴァーハー)という単語には、神々への供物、奉納、火神アグニの妻、などという意味があるらしい。

火葬された遺骨を天上へ奉納する女神が、四女さん(アジタナーター・スヴァーハー?)という意味だったのだろうか?(謎)

2016-11-27

http://anond.hatelabo.jp/20161127002956

仏教ってあれなのか。万人救済はする気はないんか。分かる奴だけ来い、みたいな

「救済」ってどういうことなんですかね?

黄泉の国にでも連れてけっつってんのですか?

んなこと考えてるからオウム真理教とかにコロッと騙されちゃうんじゃないっすか?

 

ヒントはね・・・

むかーしのインドでは・・今もそうらしいですけど・・「輪廻転生」を繰り返す、とかって思われてたらしいんですけど、仏教創始者と思しき人々は輪廻転生なんかないって言っちゃったらしいです。

たったそれだけで、輪廻の苦しみから逃れられますよね。

なんで「輪廻転生なんかない」ってはっきり言えてしまったんでしょうね?

 

ちなみに、インド気候って激しい雨季があって乾季があって、のように繰り返すので洪水や飢えに苦しむのも繰り返し。

その上、バラモン教古代ヒンズー教)、カーストは生まれ変わろうと変わんないとか言われてたので、ぐるぐる繰り返す苦しみだけがあるのが人間、という思い込みが強烈だったそうです。

そういうのが輪廻転生思想の源流です。なのでみんなそこから解脱たかったんですよね。

そういう古代インド思想をそのまま仏教でも引き継いでます用語とかがそのまま使われていると言うような意味でね。

その辺をちょっと理解すると理解の助けになるかもしれません。

 

でも、日本サラリーマンだって似たようなもんですね。毎日毎日仕事の繰り返し・・・宝くじでも一発当てて楽になりたいって気持ち古代インド人のそんなのと一緒ですよねーw

2015-01-17

http://anond.hatelabo.jp/20150117173541

そこら辺は多分、仏教の主流概念である因果と無我を説く際に邪魔になるんで語らなかったんだと思う

仏教バラモン教対峙するために自我否定して純粋因果関係だけで世界を説明しようとしたんだけど、

そこを突き詰めると世界は初期パラメータで決められたとおりにしか未来に遷移しないということになり、「じゃあ初期パラメータは誰がどうやって決めたんだよ」って話になる

この問題についてブッダはまともに回答するのを避け、

「その問題を考えても苦しみから逃れられないよ?それはお前の目的なの?」みたいなことを言った。

というのが俺の理解

 

この傾向は中国哲学でも同様で、諸子百家でも無神論儒家は「怪力乱神を語らず」みたいに言って避けようとしてる

有神論で一神教墨家はそうでもなかったんだけど、こいつらが生き残っていたらきっと今の西洋哲学みたいに発展していったんだろうなー。

 
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