はてなキーワード: 等閑とは
自己肯定感とは、自己を倫理的に肯定するという意味だ。(自己の物理的な存在感が問題である場合、病院に行った方がいい。それは離人症だ。)
しかし、ヒュームの法則を見ればわかる通り、「である」から「べきである」を導くことはできない。
つまり、何らかの客観的根拠から自己を倫理的に肯定する推論はあり得ない。
仮にあなたが「年収が一億円だったり、容姿が水準以上であれば自己肯定感を持てる」くらいに単純な精神を持っていたとしよう。
そのうえで、何ら自分を肯定できそうな事実が見つからないから悩んでいると。
そんなもので満足するなら「私は日本人だから価値がある」とでも思っておけばよろしい。
(すぐにこの解決法の問題点を指摘するので「私は日本人であることに肯定的感情を持ってないが」みたいな感想は仮に思っても、言わなくて結構です)
しかし、もしも「私は日本人だから」「私は年収一億だから」「私は美人だから」「私は○○コンテストで大賞をとった」「私は毎年○万円寄付している」
といった方法で自己肯定感を基礎づけた場合、むしろそのメリットよりデメリットの方が大きいだろうことは容易に想像がつく。
えてして ← よくあることだけど
いみじくも ← すばらしくも
ほふる ← コロス
すがめる ← (目を)眇目(細くしたまぶしそうな状態)にする
あやかる ← 萌えパワーをいただく(命名や宗教行動をする) ある世代の声優には当時活躍していた松阪選手にあやかって大輔という名前が多い
そびやかす ← (肩を)あげて威嚇する。もともとはそびえさせる。そびえ立つ肩ってすごい偉そうだろ。
しじま ← 昔は静寂をしじまとも読んだ
はつり ← 斫ると書く、石を斧で叩いてぶっ壊す、クラッシュする
かこつ ← 託つと書く、例えていうみたいな意味が転じて愚痴を言う
いぶかる ← 訝る 怪訝(けげん)に思う、怪しむまでいかないけど疑問点が出てる
おざなり ← お座なり 場の雰囲気にあわせて適当なことをいう
なおざり ← 等閑 部下とか親から注意しとけっていわれてもほっとく
「さもありなん」は、「そうであるに違いない」をそのまま古語で言ってるのだが
わざわざ現代に古語でいうのだから「事前推測との一致」でめっちゃ頷いてる場合に使用されるようわりと用途限定されてきた
「あたらし人をうしにけり」で「惜しい人を亡くしました」に意味変化してるし
「かなし」は悲しくなくて愛しいって言ってるし
「あわれ」は無惨じゃなくて風情があるって言ってる。
尻を蹴るときはボンとかじゃなくてフタって音がすることになってる。
そんで生き残った「そびやかす」とかはもう肩専門だったりするわけよ
性慾とは男女兩性が有する本能である。然るに從來は性慾に關する事は『憚るべき事である』として、是等の事を口にし或は筆にするは、士君子の爲すべき事にあらずとなした。勿論差したる必要もなしに是等の事を漫(みだ)りに喋々(てふ〱)するは恥づべき事であるが、是れを絶對に秘密にするは、從來の解釋に誤った所があるからである。
從來世人は性慾に就いて頗る誤解せる所が多い、而(しか)して此の誤解よりして、『憚るべき事』として、秘密主義に附したのである。しかれども斯(かゝ)る秘密主義は、決して萬全のものではない。若し飽く迄も秘密にして性慾を隠蔽する時は、却(かへ)つて性慾道德並びに生殖器の衛生を等閑(なほざり)にし、不自然に性慾を充たして、濫行となり、荒淫となり、個人的にしては遂に其身(そのみ)を亡ぼすに至り、社會的にしては、其害(そのがい)延(ひい)て風俗を紊(みだ)し、安寧を妨げ且つは國民の體質を劣等ならしむるに至る等、其弊(そのへい)昭々(せう〱)として明(あきら)かである。
故に是等の害を除かん爲には、必ず性慾の研究に俟(ま)たねばならぬ。茲(こゝ)に於て學者は眞摯に性慾を研究し、着實に思索を練りつゝあるのである。
分かる。分かっちゃう。
その結節点として、ソースとわさびを合わせることになるのであろう。
タルタルソースといえば、先日かなしい目に遭った。
ランチの時間に、出先で初めて入る店で、メニューにフライの盛り合わせタルタルソース付きと書いてあった。
しかし出てきたものは、どうみてもただのマヨネーズを皿にひり出したものだった。
急いていたので等閑に付したが、何かの手違いでタルタルを切らしたのか、最初からマヨネーズをタルタルと強弁していたのか。
前者であれば一言あって然るべきだし、後者であれば羊頭狗肉の不逞極まる行いだ。
未だに心の隅に澱のように蟠る出来事だった。
…分かる。分かっちゃう?
http://anond.hatelabo.jp/20150622224232
そんなことないだろ。日本で底辺の生活をしてる人の生活レベルって地球レベルで見たら上位20%に入ってると思うぞ。格差格差って連日騒いでるからみんな頭に血がのぼっていると思うが、日本は経済的格差がマシな国だ。格差がないという意味じゃなく、底辺でも生きていけるという意味で。
日本の格差の問題は自意識の、いわば劣等感の問題であって、それはそれでやる気を社会単位で腐らせるから等閑に伏せる問題ではないとはいえ、平均寿命が40年くらいとか、餓死者が毎日すごい数出るとか、金がないので子どもは半分くらい売るとか、識字率が半分より上がらないとか、そういう問題ではない。生活保護者が輸入牛肉買える程度の貧困だ。
つまり改造AKもって内戦起こすほどのものではないと思うし、この日本に住んでいて「希望は戦争しかない」っていうのは、非常に近視眼的な精神バランスだと思うぞ。