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はてなキーワード: 対機説法とは

2023-12-25

anond:20231224205347

フィクションオカルトスピリチュアルを受け付けない人向けに、いつからかは知らないが仏教は歩み寄っていて、そういう宗派が生まれている。

というか、ブッダは神や呪術否定していたし、仏教のコアの部分はほぼ哲学なので、原点回帰しているともいえる。

日本仏教は、日本に伝わってくるまでに、古代インド流行っていたバラモン教信者にあわせたり、中国思想にあわせたり、日本神道にあわせたりした結果、原型をとどめていないフィクションスピリチュアルもりもりになってしまった。

仏教は、相手にあわせて教えを説く「対機説法」というやり方をしているので、そうなるのはしかたなかった。)

で、仏教のコアの部分というのは「悟りをひらこう」というだけであり、これはスピリチュアル意味ではない。

自分とは何か?(自分というもの構成する必須要素とは?無くなったり変わったりしたら自分ではなくなる要素は?)」という疑問を突き詰めると、肉体や脳みそ意識記憶自分ではないと考えるしかなくなり、「本当の自分」とは「〇〇ではない存在」としか説明できない何かであるという結論にたどり着く。

この「本当の自分」のことを専門用語で「真我」とか「アートマン」とかいう。

で、哲学を突き詰めると「真我」という概念を、言葉としては説明できるという状態には、多少頭が良ければ誰でもなれる。

ただし、その状態ではそれを体験知識にできていない。「真我」というものを実際に見たり感じたりはできていない。

例えば、生まれつき目が見えない人でも光や色について勉強して言葉説明できるようにはなる。しかし、体験として光や色を見るという経験を積んでいない状態では、それを真に理解しているとはいえない。

「真我」についても、言葉説明できるようになっただけでは、真に理解しているとは言えない。体験知識にする必要がある。

悟りをひらくとは、真我を体験知識として理解するという意味である

悟りをひらくと何がうれしいかというと、絶対に苦しみを経験しなくなる。「苦しみを感じている肉体や意識」は「本当の自分」ではないから。

(ここらへん、にわか知識で間違った理解をすると離人症という精神病になるという話があったりなかったりするので、手を出すならちゃんとした専門機関、つまりお寺で教えを受けましょう。)

今苦しんでいる人に仏教必要である

今苦しんでいなくても、ほとんどの人はいつかは年老い病院のベッドの上か独居している自宅で苦しんで死ぬことになるので、それまでには仏教必要である

まあ安楽死する人や一瞬で苦しむ間もなく死ぬ人には必要いかもね。

ところで、オウム真理教って原始仏教勉強をしようという口実で人を集めていたらしいね

2023-10-25

anond:20231025212020

人それぞれなんじゃない

釈迦様も人に何かを教える時は対機説法相手によって話す内容を変える。A瞑想が良いと言ったり、A瞑想は君には合わないB瞑想にしなとか)だったっていうし

つい女性神格化ちゃう非モテには、女性もっと適当相手した方がええでっていうのは合ってるんじゃない?

 
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