はてなキーワード: 本屋とは
マジそれだわーって思って検索して色々な情報や本屋さんに行って色々な本を時間を掛けて探しまくりまくりすてぃーより的確にまずは的を絞って確信的な信じてやまない的を得た情報を先にChatGPTちゃんに尋ねるってのもてよねお誂え向きにChatGPTちゃんのデータも最新のやつは2023年11月の情報に更新追加されてるってみたいだしインボイス制度の優しい本は何?ってわりと書籍も具体的に教えてくれるしまずは色々とChatGPTちゃんに尋ねてみるの間違いない山脈に向かってヤッホー!って叫ぶわありがとう。
私やらなくちゃ行けないことをやらなくちゃー!ってずっとずっとずっとね思っていたの。
でも思い続けていたら一周して忘れちゃってて、
またそれが帰ってきてやらなくちゃ!って思ったの。
でもやってなかったの。
忘れてたのそれまた一周して、
もういい加減にしなさい!って言われそうだけど
挙げ句の果てにその先から電話がかかってきてあちゃー!って感じ。
税務署よ。
例の昨年から始まったインボイス制度それ何美味しいの?って誰もが知らない未知の雰囲気で乗り越えたと思ってたけど
乗り越えられてなかったのよね。
今まで確定申告は消費税のデータは送らなくて良かったんだけど、
私はそれを送ってなかったのよ。
昨日慌てて送って納税したけれど。
誰かインボイス制度学園の校歌を歌える人がいたら教えて欲しいな!
何を見て学んだらいいのか分からなさすぎるわ。
でもさ動画ってあの情報を鵜呑みにして信じるインボイス制度って間違っていたら駄目だし、
そうなるってーと
何の情報が信頼が置けるのかしら?
そう思うわ。
とりあえず、
本屋さんにある本は勝手な今までの習慣でもれなく信用があるものだと思うけれど
電子書籍だけで出ているなんかそういう本は
出版する際何もチェックもされない情報が正しいかさえも分からないまま野に放たれているので、
一応はちゃんとした出版社が出しているような本になんとなく信頼を寄せてしまうわ。
寄せては返す波のようにとは言うけれど、
じゃどの出版社がいいの?ってこれも分かんないじゃない結局。
私たちはラーメンを情報で食べているお店の大将が腕組みして怒って凄い形相でいるお店は怖くて入れない食券制のお店のように。
イキフンで何となく選んでいたのよ。
またこれインボイス制度学園の入学要項のパンフレットもたくさんあって、
結局本屋さんに言っても願書すらどれがいいのかしら?って
数ある中のインボイス制度学園をどれを選んだらいいか分からないわ。
色々な角度から全体像を私の中で立体的にそうねスリーディメンション的に頭の中で組み立てて理解しなくちゃいけないのよ。
うーん、
働いているとどうしても本が読めないのよね。
この現象、
『あなたはゲームをする時間は捻出できるくせに!』って書籍化したら爆売れするかも!
なんて。
『NIKKE』の話になるけどちょっとだけ、
指揮官が事務処理怠ってるとラピが事務処理までやってくれるの!つーかやってくれたの!
もう泣く!つーか泣ける!
しかもこのエスエフ的な世界設定なのに申請書類はラピの手書き!ってところも泣ける!
うー!
ってそう思ったの。
私クラスの売上レヴェルなら
税理士代もだせないので、
そこはもー仕方ないことなので
端から私が学習してインボイス制度学園に入学して即卒業したいのよ。
はぁ。
まあとりあえずは
いまさー
もうスマホの電話の携帯にかかってくる電話ってほとんどスパムチックなもの多いじゃない!
だから着信がなってもほぼ全部無視というこんなロクでもない世の中だけど
たまにはナナなときもあって、
画面を見たら「税務署」って出てきたので
これは真面目に対応しなくては行けない案件山脈に向かってヤッホー!って叫ぶぐらい
一所懸命一件落着緒よ!
だから
電話代が高かった頃のスカイプ電話のクレジットが未だに残っていてたまに期限が切れて再開してねってお知らせが来るけれど、
もういまや使わないスカイプ電話も誰かに何か用があるときにわざわざアプリを入れてかける手間のかかりようだし
思い出してクレジットをまた生き返らせるの。
それの繰り返し。
余計なスパム電話は嫌いになってもスカイプのことは嫌いになって欲しくないわね。
ぜんぜん使ってないけど!
うふふ。
秋の味って感じ、
秋に炊き込みご飯ってやっぱり雰囲気というかイキフン出るわよねー
こっそり私のションテンも上がるわ!
シュワシュワちょっと朝暑いなと思って冷蔵庫にあったら嬉しいやつ!
今日はそんな目覚めで飲む感じね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
当時、S誌(シミュレイター)と共に日本のボード版SLG界を牽引していたT誌に掲載されたリプレイ。トラベラー特集の目玉企画。著者はGURPSなど多数の作品を翻訳することになる佐脇洋平。リプレイと聞いて連想する今の型式が普及する契機となった。このときに安田均が「違う型式でいこう」と考えてたら、多分リプレイ文化は成立してないか大分変わってた。
そのS誌に掲載されたローズ・トゥ・ロードのリプレイ。Wikipedia曰く『ゲームの解説記事である以上に「読み物」として書かれた初めてのリプレイ』である。著者はわきあかつぐみ(藤浪智之)。実際の誌面を見ると一目瞭然だが、かなり独特な型式で、これに創刊号(再創刊号)でいきなり15ページも与えた鈴木銀一郎恐るべしである。記事自体の人気は爆発的に高く、反響も大きかったが、先述の通り、型式が独特だったので直接の模倣作はそんなに多くなかったはず(プレイの雰囲気というかノリは割と真似というか汚染されてたので、影響力が小さかったわけではない)。
既述の通り、日本のゲーム界では「このとき安田均が違う決断をしていたら歴史が変わっていた」タイミングがいくつかあるがその中でもかなり上位に入る。翻訳TRPGの本命というべきD&Dを紹介するにあたり、安田均がパートナーとして選んだのが、(専門性の高いボードゲーム誌でなく)大抵の本屋で普通に買えるコンピューターゲーム雑誌&角川書店だったこと、マスターに選んだのが水野良だったこと、結局そのままの単行本化ができなくてD&Dから離脱したこと、それまでの「エルフ耳」とは単に先が尖っているだけだったのに出渕裕の勘違いで笹の葉の如く細長くなったことなど、その影響は極めて大きい。
(以下追記)
元増田のブコメでb:id:f_d_trashboxさんの指摘により思い出した。名前の通りD&Dの入門書だが、リプレイパートが存在しており読み物としても楽しめた。著者は鈴銀とともに初期から日本のボード版SLG界を牽引していた黒田大佐こと黒田幸弘。それまではリプレイ=雑誌掲載記事だったが((厳密に言えばリプレイ載った同人誌も登場しつつあったが雑誌より入手難易度は上))、これは誰でも買える一般書籍として登場したという点で画期と言える((ただし、TRPGとは複数人数で遊ぶものであり、会場を借りる文化が発達してない時代だと個人宅で遊ぶ物で、必然的に自分で持ってない雑誌でもそこで読んだ、という人間は多く(筆者含む)、「雑誌掲載記事」という単語のハードルは現代人が想像するほどには高くなかった))。
リプレイ文化と言うよりも日本のTRPGシーンに与えた影響の大きさで選出。著者は山本弘。元増田は『TRPGリプレイが多数書籍刊行されることにはならなかった可能性があるくらい、歴史上はとても重要な作品』と言っているが、これは過大評価であり、当時すでに「雑誌にリプレイを連載し、そのシステムを販売し、さらにリプレイ本や小説((ロードス島戦記1巻は1988年4月発行))や解説本も売る」が安田均の戦略なのは多少目端の利く人間なら理解していた((どんなに遅くとも、独自システムになったロードス島のリプレイ第3部(コンプティーク1988年9月号~)を見てそう思わない奴はいねーよ、ぐらいの相場観))。
いわゆる「スチャラカ冒険隊」のリプレイは月刊ドラゴンマガジン1988年11月号から連載が始まるが、このパートではそれまではただ退治するものだったはずのモンスターを違う視点で描き、当時の日本中の若者(筆者含む)に多大な影響を与えた。
「初期」とタイトルに入れたので80年代の話だけにしようかと思ったが、影響の大きさ的に触れた方がいいかと思って言及。不幸な出来事。警察庁広域重要事件117号(1988年~1989年)と同様に「オタクは迫害されている」との自己認識を強める契機となった。
アメリカ探偵作家クラブ賞受賞の推理小説。著者はシャーリン・マクラム。訳者は浅羽莢子。D&Dがよく分かる本を探しに行ったら本棚から出てきたので紹介。SF大会で起きた殺人事件を題材とするミステリ。SF大会のオタク的様相が描かれる。クライマックスではTRPGを使って犯人を追い詰めるので、小説形式リプレイにしか見えない謎仕様。今気づいたけど、152ページに出ている架空の書籍タイトルが「美女と野獣――マンチキンの国がとりもった結婚」とかで訳注は原義の「オズの魔法使いの国に登場する小人の国」としか書いてないけど、年代的にはジェフ・オカモトの方にひっかけた可能性が高いと思われる(余談が過ぎる)。
帰り道本屋さんによって本を買うことがたまにあるんだけど、
お店の人と長く話し込んじゃうと時間ないので
本を買いに行くときは覚悟してもしかしたら長話になるかも!?って思いながら
まあ話して長くなっても仕方ないなって思いつつ本を買うの。
でね、
昨日も私がふとインターネッツでその記事が特集されることを知って初めてインターネッツが役に立ったと言っても過言ではないぐらいの言い過ぎなほど、
思わず手に取って買ってみることにしたの。
もちろん
その店員さんと長く話し込んじゃうと言うのも見積もりに入れてね。
そう覚悟していた昨日だけど、
ちょうどいいタイミングで
レジ会計を支払いを終わった後でお店の電話がかかってきたので、
店員さんは取らざるを得ない
まさに虎穴に入らずんば虎児を得ず的な感じで電話に出てたの。
私はしめた!今日は長話しなんくて済む!ってサムズアップをしながら電話で話している店員さんに合図して帰ると共に無事お店から出ることができたの。
もちろん
入店するときは買いたい雑誌の本があるから飛び込み前転を決め込んで入店するのはセオリー。
でね、
その特大号が巻頭カラー6ページの大特集でシフトアップの特集やってたの!
私の好きなゲームの『ステラーブレイド』のこと何か深掘りして書いてあるのかな?って
雑誌のバックナンバーを海外からやって来て旅行滞在中に取り寄せてゲットするという荒技は困難なので
私があなたの分も一応買ってキープしておくからいざとなったら必要なら送ってあげるから言ってね!ってそのときは終わったの。
もちろん私はその本屋さんに既に2冊しかないファミ通を買い占めることになるので、
一応はこのお店中のファミ通全部買い占めていいかしら?なんて言って2冊を、
店員さんはいいですよ!と言うので遠慮無くお店のファミ通を買い占めたの。
で、
私が期待していた内容とは裏腹に
そんなに『ステラーブレイド』のことは私が満足するほどの無いようでは無く真相を奥に隠しているのかは分からないけれど、
あまり、
え?こんなことになっているの!?って驚愕の事実はなかったので、
まだゲーム内のモブキャラたちの記録の情報であるメモリースティックのフレーバーテキストを読み進めている方が
物語のお話の核心をまだ私がもしかして知らないことがたくさんあるかも知れないそっちの方が私に取っては巻頭カラー6ページの特大特集号にはふさわしいわ。
次プロジェクトのウイッチ何たらって話もまだ秘密です!ってアッコちゃんばりに言うもんだから
とはいえ、
次の次の号ではまたシフトアップ特集する?みたいな記事があるかもなんて書いてあったから
それも追ってチェックは一応はしてみようかなって思ったのよね。
取り急ぎ取りたてて慌てることはなかったわ。
そんでさ、
今インターネッツのサブスクで雑誌が読めるサービスってあるけど
これ前に書いたっけ?書いたかも知れないけれど、
雑誌の全部のページが読めるとは限らないみたいで、
私が一番読みたいと思ってるなんか端っこの方に書いてある面白いコラムとかそう言うのを読みたいんだけど
そういう読み物的なページは収録されてなくて、
それに気付いてしまって私はサブスク雑誌読み放題を契約してみたけどものの3秒で辞めてしまったわ。
あれ全部読めるというわけではないのね。
世の中そんなに甘くはないのねって思ったわ。
よくできているわー。
本当の意味で読みたい本は本屋さんに行って買うって言う習慣は変えることができないのね。
特にこんな感じで読みたい巻頭カラー6ページで特集組まれちゃうとかってなると。
あとついつい余計な本も気になって買っちゃいそうになるから
そういった本屋さんの罠ってのもあるわよね。
いくらインターネッツの本屋さんでオススメがありますよ!って画面にたくさん本が紹介されるとは言え
でも本屋さんとなると見渡す限り視野一面本なので目に飛び込んでくる情報量が違いすぎるわ。
そういった意味での本の迫力ってのはあるわよね。
あとぜんぜん関係ない興味のない本のコーナーに突然踏み込んで行ったりしてみたりして気になる本が見つかる場合もあるじゃない。
あれインターネッツ本屋さんでのオススメ本でこれいいよ!って言うのではなし得ないワザよね。
だからついつい長居して長話になっちゃう本屋さんになる理由も分かるでしょ。
話し込んじゃうのよ。
お陰でマーケットで食品を買おうとしたら閉店間際になってしまっていて買い損なっちゃうこと多々ありで
まだ間に合う!って
もう閉店する際にシャッターを下ろすための
なんかシャッターを下ろす柱みたいのを閉店作業の時に店員さんするじゃない
そしたら勢いよく飛び込み前転しては入れると思ったら柱に頭をぶつけてしまって
私は閉店間際に焦って入店したいと思われたら恥ずかしいので、
おもわず柱に打ちつけて赤くなったおでこを隠して何事もなかったかのように、
あ!もう閉店なのね!って
平静を装う令和入ってからのイチのテヘペロ案件であることには変わりなかったわ。
うふふ。
ハマると続けちゃう私の習慣は慣習として食べる飽きるまでってところかしら。
秋なのでお腹が空くのよね。
もしかしたらと思って夕方用の梅おにぎりももう今買っておいたわ。
お腹が空くわー秋。
飲み頃を落ち着いて飲みながら
朝起きたばかりの身体が目覚める沁みるホッツ白湯って一句詠めたら詠みたいなって思ったわ。
この朝起きて身体を起こしてボーッとしている時間がホッツだわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ここ数年、ブックサンタはこの時期になるとそれなりに話題になるので知ってる人も多いと思うけど、色んな事情でクリスマスプレゼントを貰うのが難しい子供に本をプレゼントするっていうNPO法人の活動で、協賛書店で本を買ってレジで「ブックサンタです」って言うとその本を預かってくれるというものがある。
去年やってみたんだけど、あまりにも選書に悩み、自分以外の人が何を選ぶのかも知りたすぎたので、次は友人を集めていっせーのでやってみたいと思っていて、それを今年やった。
友人と自分の計5人で本屋に集まり、ヨーイドンで本を選びに散って、決められた時間に集合して手札を晒し合うという感じにして、友人の選書を見せてもらった。
私は今回、『谷川俊太郎質問箱』にしようと思っていたけれど、書店に行って見たら取り扱いがなかった。
ので、悩んだ結果『小学館こども大百科キッズぺディア』にした。
これは、私が小さい頃父親に誕生日プレゼントとして欲しいものを聞かれて「面白い本が欲しい」と答えたところ『21世紀こども百科』を貰ったという経験があって、そしてそれを暗記するまで貪り読んだ記憶があるので、やっぱりこういうものを読むのって物凄く世界が広がるよね、という思いがあるので。
ただ、最近の百科事典や図鑑は分類分けされての発行が殆どで、「いきもの」「歴史」「音楽」とか、特定分野の百科事典はあれど、全てを網羅するタイプの百科事典は実は全然並んでおらず、『小学館こども大百科キッズぺディア』は2011年発行で結構古くて、でもこれ以外にそういう百科事典がなかった。もうそういう百科事典は出版されないのかな。『21世紀こども百科』で世界の広さを知った身としては、多少項目が少なくても全分野を網羅した百科事典こそが子供の可能性を広げてくれるんじゃないかと思ったりするけど。
友人1
2歳向けの絵本。
送り先の子供に2歳児を想定していなかったので、これは私にはない選択肢だった。
友人2
友人曰く、これを読んだ誰かから第二の柳田國男が生まれるかもしれないしとのこと。確かに本を贈るのは投資でもある。
友人3
この本って中学年向けなんだ、というのがちょっと意外だったけど、確かに内容としてはそうかもしれない。
友人4
400色近い色の名前となりたちを綺麗なデザインでまとめた小さい本。
多分読む子供を選ぶけど、好きな子には凄く刺さりそう…というか、私がちょっと欲しかった。これがプレゼントで自分だけのものになったらきっとすごく嬉しかったと思う。
これらの本はレジで書店に回収されるので手元には勿論残らないけど、友人の選書の過程を眺められたのは結構面白かったし、やっぱり皆だいぶ悩んでいた。対象年齢も性別もよくわからないというのもあるし、最近のトレンドもわからないし。
青い鳥文庫の棚を見ても、私達が子供の頃とは雰囲気が少し違って、『パスワードシリーズ』とか並んでなかった。自分の思い出の本を贈るのも楽しいけど、でも今時の子には面白くないかも、というのもある。
私が最後まで百科事典と悩んでいたのは、女児向けに「おしゃれ」「友達付き合い」「マナー」等をかわいいイラストで手引きするタイプの本で、これが結構棚の面積をしめていた。この手の本、実際すごく役に立つのでバカにもできないのだ…結構分厚いけど、パラパラ読むと私もこども時代にこの本読みたかったなと思う。
「しごと図鑑」みたいなのも迷ったんだけど、これは、世の中にはこんなに沢山の仕事があって、皆には職業選択の自由がある、何にでもなれるっていうのを子供に伝えたいという気持ちがあるためで、なんかそういう気持ちだけ贈り物の本を選ぶことに若干の躊躇いを覚えたのでやめちゃった。
役に立つとかそういうのじゃなくて、面白いかどうかで本を選びたいんだよな。
ブックサンタをやったことがある人、やる予定の人、どんな本を選んだのかな。他の人のも聞いてみたい。
ていうかこういう本の選び方で合ってるのかな。
本当にこれで子供達に喜んでもらえるんだろうか。
しかし最近バイトが減ったこともあって本に使えるお金はあまり多くないので、買うときはなるべく吟味して本当に必要なものを買うようにしている。
先日も、以前から気になっていた小さな独立系書店に立ち寄る機会があり、いつものように陳列された本を吟味していた。
すると、
……え!私に言っているのか。
確かに、私は15分くらい店内をうろうろしていた。ちょっと長かったかもしれない。
だけど一冊一冊はちょっとずつしか目を通していないし、決して「ここで読破してやろう!」ってわけじゃないんだが。
他の個人書店ではそんなことを言われたことがなかったので心底驚いた。
しかし本屋も厳しい商売だし、と申し訳なく思ってしまい、そのとき手にしていた学食3回分の値段がする本を咄嗟にレジに持って行ってしまった。
本に罪はない。でもモヤモヤした。
「売り物を汚い手で触るな」「買う気が無いなら帰れ」という言い分も分かる。あくまで商売だから。
でも私は、本屋はいろんな人に開かれた場であってほしいと思っている。
しかも多くの独立系書店は、そのリベラル性によって客を集めている。
お前らは、在日朝鮮人やトランスジェンダーに関する本を陳列してマイノリティに連帯する素振りを見せつつ、貧乏人は排除するのか。
でもやっぱり、お金がない人は小さな新刊書店に行くんじゃなくて、蔦屋書店とかブックオフとかに行った方がいいのかもしれない。
今度からそうしよう。
彼氏さんは、日常的に風俗店を利用しています。「会社の人に連れられて」という部分は、より正確に表現するなら「どう?今日、行っとく(あの手)」「よござんすなあ!」と、このような塩梅です。また、「一度だけ」という部分は、「この日は一度だけ生で」といったところでしょうか。
たくさん調べられたとのことですから、釈迦に説法ではありますが、梅毒が蔓延していると言っても、一回でバッチリもらう確率はそう高くありません。よくゴルフのホールインワンに例えられます。あり得なくはありませんが、統計的に考えて、彼氏さんは3回から9回行った勘定になります。
それから、「なぜ男性は」という語り口でおいでですが、重要なことですが、人生で一度も風俗店を利用しない男性の方が多いのです。よく本屋さんに例えられますが、書籍を1ヶ月間で1冊以上購入する人は、日本では人口の1割と言われます。この1割の人が出版業界を支えているのです。
同様の構造が風俗業界にも当てはまります。1年間で1回以上風俗店を利用した男性は、1割程度と言われます。ネットで検索すると大きな数字が出てきて驚きますが、何が真実なのか、ご自身で考えてみてください。
重要なことは、あなたが風俗利用者層の男性とお付き合いしているということなのです。風俗利用者と交際している限り、いつか必ず経験することなのです。今の層から脱出したいと思うならば、世間を知り、賢く考え、主体的に選択しなければなりません。恋人をつくるとき、アプローチしてきた男性から相手を選んでいませんか?ご自身で判断して、アプローチしていますか?流れに身を任せれば、「1割」が圧倒的に有利な世界です。なにせ経験知が桁違いですからね。素敵に振る舞う術も熟知しているのです。あれよ、あれよという間に…なのです。その先幸福になるか、不幸になるかは相手の男性次第です。あなたの幸福を、あなたがコントロールする余地はありません。裏を返せば、あなたがご自身を責めても無意味ということにもなります。
幸い、まだ傷は浅いです。今回のことは残念でした。今はショックでしょうけれど、やがて立ち直れる時が来ると思います。その後には、ご自身の信頼できる男性を観察してみてはいかがでしょうか。例えばお父様。ご一緒に繁華街を歩いてみて、知っていること、知らないこと、聞いてみてはいかがでしょうか。
繰り返しになりますが、大切なのは主体性です。真面目で風俗通いしない男性は大勢います。女性がウェイwの世界から脱出するためには、賢く考え、主体的に選択することなのです。
日記。出版区というYouTubeチャンネルにはまっている。読書家の人が読んだ本の感想をバンバン言いながらバンバン本を買っていく動画だった。自分もこんなに楽しくなってみたいと思い、本屋に久しぶりに行ってみた。普段はお金出して買ったのに面白くなかったらどうしようみたいな思考に負けてなかなか本を買えない。でも今日は動画を見た後で「おっおもろそう」ぐらいの熱量でカゴに入れることも不思議と抵抗感がなかった。5冊選んだところで気持ち悪くなってきて昼食がまだだったことを思い出した。低血糖だ。さっきまで豊かな気持ちで本を選んでいたのに一気にだるくなってきた。多いんじゃないか、高いんじゃないか、本当に面白いのか、ブックオフじゃダメなのか。人間の気持ち、体調に左右されすぎる。
急いで飯を食わねばという気持ちと戦いながら、2冊まで減らした。ずっと何気に気になってた本と、店員さんのポップと実際に冒頭を読んでこれは!と入店時の自分が思った本。
会計を済ませて何を食べるか迷った。カフェで買った本を読んだりなんかしちゃおうか。やったこともないのに。でも本屋で買ったレシートで割引が効くらしい。割引に弱い自分は同じビルのインド料理屋に行った。店員は全員異国顔。まあまあ広い店内で客は一人客2組。入口は狭い。フードコートにあるのに食品サンプルのウィンドウがでかすぎるし、ついたてで完全に外からの視線をブロックしている。通路から中が全然見えない。自分のようなタイプの人間はガラガラすぎる店に入るのも勇気がいる。入ってからやべえと思ったが、なんとも思ってないよう顔をして入口から店内を見たときにギリギリ見えるような席に案内された。集客に利用されてる?低血糖は人を自意識過剰にさせるらしい。
異国顔の店員さんが注文を取りに来た。声が全然聞き取れない。インド人顔の店員さんてもっと声大きいんじゃないのか。「カラサ…」というワードだけを信じて甘口を選んだ。ここでミスをした。ナンがメインで食べたい口できたのに、メニューの「選べるカレー」という文字に気を取られて「カレーライス」ということ完全に忘れていた。
ナンが食べたいと思ってたのに、こういうカレー屋はだいたいナンだろと思ってたのに、カレーが選べる割に安かったのもライスの伏線か?注文して一息ついて、スマホをいじって、活字を探してメニューをなんとなくもう一回読んで、そこでやっと自分が頼んだのがライスだと気づいた。やってしまったと思ったがすでにセットのサラダが来た。カレー屋のオレンジ色のドレッシング、ではなく普通のゴマダレがかかっているサラダを食べた。ここでもう一個謎が発生した。ランチメニューはドリンク一杯無料と書いていたが全然聞かれる気配がない。こっちから「サービスのドリンクって・・・」と言い出すのもなんか違う気がする。モヤモヤしているとメインのカレーが来た。これまでのミスなど何とも思ってないような顔をして食べるとっちょっと辛かったがめちゃめちゃうまかった。ターメリックライスもうまい。入口を遮ってる場合じゃない。異国の店員さんはショッピングモールのキャンペーンとか、店のキャンペーンとか、覚えることが多すぎてサービスも忘れることもあるだろう。そもそもサービスだしな。
2割ぐらい食べたところで無言で小声店員さんがサービスドリンクのメニュー表を持ってきた。間髪入れずにラッシーを頼んだ。これもうまかった。ビールグラスに入ってたけど。
普段はこういうのは日記帳に書くんだけど出先で持ってないのでここに書く。
昨日移動に4時間かけて内定式に出席した私は、まだ土地勘のない場所で今晩の食事の予定までの時間を潰さねばならなかった。
お金もないし充電もないしで図書館に入った。土曜日の図書館は勉強している人でいっぱいだった。勉強していない人もいっぱいいた。みんな本を読んでいた。
そんなごく普通のことすら自然にできなくなっている自分が恥ずかしく、悲しかった。
この数年、心から何かに没頭できない。心から求めるものがない。
以前は知識欲が旺盛な方だった。知識を得ることに純粋な喜びを感じていた。
何かを極めて一番になるタイプでもなかったけれど、本屋に入ると興味のある本を探して手に取り、気づいたら1時間経っていたり家族とはぐれたりしていた。
今もその時の興味の残り火で研究らしきものをしている。来春には研究とは直接関係のない職種に就く。
頭が働かなくなった。数学的思考、論理的思考ができなくなった。脳のメモリが0になった感覚。認知機能全般、短期記憶力も長期記憶力も落ちたように思う。
「休みの日は何をしているの?」という質問に「美術館行ったりするのが好き。趣味は〜〜で〜〜」と答えるけれど、そう答えるためにそれらの行動をとっているような気がする。
文章を読んでも目が滑って飛ばし飛ばし読むようになってしまった。思考に関する忍耐力が本当になくなってしまった。解けない問題を考えるのが好きだったのに、今はその逆。
ツイッターを見て、リプにぶら下がっているwiki記事を読む。その中のリンクから別の記事に飛ぶ。これにすらどこか「情報を得なければ」という義務感と焦りがつきまとう。美術館で展示を見る。展示につけられた説明を飛ばし飛ばし読む。何か感じなければならない。何か得なければならない。自分の思考力低下から来る考えだと思われる。
いろんな原因を考えた。
うつ病。うつ病ではないにしても何らかの発達障害(元々その気はある)もしくは精神疾患。
何かで見かけた「脳は使わないと錆びる」という言葉が浮かぶ。大学に入って二年ほど、みるみる落ちる思考力と怠惰で単位を回収するのに必死で自分で考えるということをしなかった。うん、やっぱり主な原因は怠惰ではないかな。
いや、ただ単に早熟な子供だっただけかもしれない。天才も、二十歳過ぎれば...というように、大人になるというのはそういうことなのかもしれない。実際、医者を含め誰に話しても「別に普通に見えるけど...」と言われて相談にすらならない。
どんな話も本筋がどうせ理解できないので些細なことにばかり目がいく。少しでも何か情報を得なければ、置いていかれる。
漫画でさえも何も考えずに読むことができなくなった。心から楽しめなくなった。
同期は博士課程に進むらしい。後輩の一人も。
入った図書館で知っている人の博士論文をいくつか開いてみる。自分のいる分野だが中身を読みたいという気持ちが一切湧かない。楽しくない。
以前の自分のまま、勉学を楽しみながら進められていたら、今頃博士課程を考えていただろうか。無邪気に進学する同期や先輩にネガティブな感情が浮かぶ。私には何年かかっても終えることができないだろう。もう知識を得ることにも何かに興味を持つことにも楽しさが見出せないのだから。
でも他人にそんな深刻な話題を出しても本気にされないから、これからも何かに興味を持つフリをしながら生きていく。
Twitterで自分の日記をみかけるとは思わなかった。びっくり。
似たような状況の人が多く、また反応がいくつかに収斂しているので返信してみる。
休めってコメントが多いので先に書いておくと数週間後に5日間何もしない日を設けることにした。ネットを見ない、連絡返さない、自炊して掃除して散歩してぼーっとする。
・休め、情報を入れるな、寝ろ、ぼーっとしろ、運動しろ、好きなことだけやれ
みんな優しい、ありがとう。
スマホ依存の自覚はある。言い訳すると最近全てがスマホに結びついているように思う。
日常の決済だけでなく、大学の学食すらQRコード決済になった。家に置いていくことができない。
とはいえやっぱりTwitterインスタTikTokと情報中毒になっているので、スマホを置いて散歩する頻度を高めようと思う。
寝てはいます。6時間は死守しないと次の日を虚無にしてしまう体質なので...
あと手を動かす趣味もある。狭い下宿で思うようにできず...というのは言い訳なのでちょっとずつ復活させていきたい。
コロナ禍以前からこのような症状があったのでこれが根本的な原因ではなさげ。ただ、コロナ禍に入り塞ぎ込んだことで抑鬱状態になった(次の項目にも関連)。
その後コロナに二度感染し、各回で体力の上限が削られたような気がする。
・病院行け
コロナ禍で抑鬱になったときに診療所に行った。これが続くと鬱病だと言われたが大学の夏休み期間に入ったこともあり、寝付きの悪さやメンタルの状態は多少持ち直した。今は楽しくはないけど鬱ってほどではないなという感じ。ただこれが一生続くと思うと絶望しちゃう。
その後も不眠で精神科に行ったりもしたが、不眠以外はあまりにも健康ですね、と言われ終了。「脳にモヤがかかってるようで...」とは伝えたが日常生活が送れているので特に何も対処されなかった。
上の過程で発達障害に関しても「グレーかもしれないが診断はつかない程度」と言われている。課題の期限は守れないけど業務連絡や病院の予約、友達との待ち合わせではむしろ早めに動きすぎて気を遣わせてしまうこともある。接客バイトでも優秀な方だった。プログラミングとか、数学とかができなくなった分のリソースがそっちに行ってるだけっぽいけど。頭の中が常にどうでもいいことで満たされていて、情報の整理ができなくなって久しい。コンサータ飲んでみたかったな。
これも診断ついてないけど幼いときは強迫観念がすごかった(儀式行為、確認行為、数字へのこだわり)のでメンタルが元々そんなに強くはないんだろうなーって感じ。
・俺かと思った
普段いる環境には何歳になっても情熱を失わずやる気で満ち溢れた人が多いので、同じような人がいっぱいいるのがわかって安心した。よくある悩みなんだな。意外とみんなこんなもんなんだな。いや、みんなこんなんで大丈夫なのか。
過去に同じ状態になったけどこうやって回復した/受容した/改善したというコメントはどれも参考になる。歳とってこうなる人も結構いるみたい。
「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」をという本を挙げている人も多かった。気にはなってたので買ってみる。
・恵まれてるね
相対的には少なかったけどいくつか見かけた。本当にその通りすぎる。能力と環境のおかげで今まで好きなことだけやってどうにかなってきた。
好きなことじゃなくても淡々とやるってのも必要だなと改めて思いました。
占いに興味はあるけど、自分を占ってもらうというのは絶対にやらない
占って、当たらなくても占い師はなんの罪にもならないし
スピリチュアル的な力があり、占いの的中率が高い占い師は企業の社長や政治家に囲われて、金のない一般人は一生お目にかかることはない
でも、姓名判断だけはやる
姓名判断というのは流派によって考え方違うし真剣に考えたらむちゃくちゃ難しいが
名付けはとにかく親のセンスを求められるし
子供が名乗れば親の性格はわかる。古風な名前なら真面目な親だなと思うし
古風通り越してシワシワネームだと、名前のセンスもないし価値観が古い親なのかなと思う
姓名判断的に悪い名前の子供が不幸になっているニュースを見ると
親の姓名判断の知識が浅くて、親が一生懸命調べてつけた名前でも、姓名判断師が見たら「んん?」と首を傾げるような名前の子供はやっぱり不幸になっていたりする
「うちの子の名前は完璧につけたのに亡くなってしまった」という親の子供の名前を見たら、画数はよくても姓名判断のルールを無視してることがある
姓名判断はネットのサイトだけチェックして、理解できるようなもんじゃないんだ
書籍を何冊か読むのがいいと思うのだが、本屋に売ってるほんわかしたパステルカラーのかわいい本ではなく、おじさんが読むような地味な、仰々しいような、古そうな本がいい
自分が50歳の時、自分の親は80歳になるわけだが、家族一壮健だった祖父でも80過ぎる頃には生活に人の手がいるようになってたのを考えると持病のある親はもっと早くに手助けがいるようになるかもしれない
田舎すぎて、医療や美容の資格職につくか、公務員か銀行員か郵便局か農協か…くらいしか正社員の職がない
歳をとってから親の介護に戻っても、よくてパートか、仕事にありつけない可能性も高い
早期リタイヤして悠々暮らせるほどの金銭的な余裕はないが、地元に親のことを頼める親族もいないし、頻繁に帰れる距離でもない
もうあと15年しか余裕がない
しかも親の面倒を見に全て捨てて戻っても、10年もしたら親も死ぬ訳で、自分も60過ぎて仕事も金もなく、本屋も映画館もない田舎で無為に生きるのかと思うとしんどすぎる
nekokan @nekokan
なんかここ数年急にナラティブみたいなことが言い出されてこの絵はAさんが描いているからいいんだ見たいな話あるけど、どれぐらいの人がそれを重視しているのか?例えばそれこそエロなら十分にエッチな記号が溢れてさえいればいいという人間が多数であって、背後の作家に注目する人間が多数とかある?
https://x.com/nekokan/status/1840223359319298526?t=92xSB1IHRB9KLvrFO94I3w&s=19
nekokan @nekokan
エロが面白いところは、即物性が重視されるので、文化のために本屋を残そうとか言うセンチメンタリズムがあまり無く、便利な方に流れるので容赦なくメディアが新陳代謝されるところ。
https://x.com/nekokan/status/1840223359319298526?t=MtxtsR-qWB9e1S61xjBfvw&s=19
このツイート群、本来は「AI絵は人が描いたものじゃないから残念」という話に対する反論みたいなものなんだけど、これってエロ描くと上達する理由そのものじゃねと思った
エロの世界だと、「俺の絵柄を変えるわけには……」っていうセンチメンタリズムが発生せず、容赦なく新しいやり方を模索していけるのではないだろうか
顔が清純派でもさ、その格好やポージングからはヤリマンビッチ臭を感じる訳じゃん
ビキニアーマーに処女感はどう頑張っても無理なんだよな、口先で誰がどう言おうと無駄(※脱線するけど筋肉女は無理)
本屋で子供に見せたくない表紙とか言うけどさぁ、そんなの言い訳でさぁ、エロけりゃ何でも無差別に金払う脳みそチンコな安い野郎だと思われんのが嫌なワケよ
違うんだよ、欲しいのは「主人公にだけ油断して無防備な姿を晒す美少女」や「主人公にだけ見る許可を出してくれる美少女」の特別感ナイショ感であって、最初からどの男にも区別なく乳出ししてる処女風ビッチは違うんだよ