はてなキーワード: 普通科とは
もう終わりにするつもりなので、今の気持ちを書き留めたくなったからここに書く。
私の好きな人はアイドルだ。芸能系とかじゃない、普通科の高校の同級生だ。同じクラスになったのは一度だけだ。多分向こうからしたら顔すら曖昧な認識だろうと思う。それは無理もなく、彼は明るい人間で、運動部で活躍していたそうだから中等部の頃からとても目立っていた。かたや私は文化部で、部員の少ない部活だったから具体的な名前は避けるが、まあ、文芸部とか生物部とかあのへんだと思ってくれたら大体正解だ。彼がヒエラルキーの頂点なら私は最下層だ。彼の情報も大概は言伝のそのまた言伝を盗み聞きして得たようなもので、生きる世界が違いすぎる。まあそんなことこんなところでくだを巻いている時点でお察しだと思うが
好きな理由は色々ある。主にとても彼の身体が好きだった。手脚が長くて太いところと、骨盤の位置が高いところが特に。正直私は(当時は)女みたいだった彼の顔をまったく美形とは感じていなかったが、アイドルになるくらいだしきっと美形なんだろう。入学して間もない頃に校内で歩いてる彼を見かけて好きになった。それからしばらくして、彼が教室のドアを音をたてないように閉めているところを見て本当に好きになった。我ながらわけがわからないと思う。その頃から私は彼の周囲を嗅ぎまわり彼に関する情報をかき集めては妄執にとらわれるようになった。彼に絶対迷惑をかけないようにというのは念頭に置きつつ、あまりここで書きたくないようなこともした。人生で一番猿に近づいた時期だ。でもこの頃が一番幸せだった。
具体的な時期を書くのは避けるが、彼が芸能事務所に入ったことを知ったのは多分同級生のなかでも結構遅かった。同じ部活の後輩が自慢げにSNSに書いていたのを見て知った。その時は驚きこそしたが「まあまあ」と思った。どうでもいいとか思っていた。恥ずかしながら私は(今もだが)そういう芸能界みたいなのに疎くて、なんだかよく聞く読者モデルとかそういうものなんだろうと考えていたからだ。
そこから特にイベントも無く、たまに彼のクラスの前を通って窓の隙間から彼の姿を見ては満足することに終始した。それで結構幸せだった。だがいつからか彼が学校にあまり来なくなったあたりからその楽しみも失われた。ただでさえ少ない遭遇の機会が気付けばゼロに近い値になった。
私はネットが好きなくせに意識的にアイドルとしての彼を調べることを避けていたが、そこで初めて彼の名前で検索した。ショッキングだった。知らないことがたくさん書かれていた。あんなに知りたかった彼の身長や血液型や家族構成がすぐに判明した。それが誰でも読める状態であるというのが衝撃だった。ツイッターで検索すると私と同じように彼のことが好きな人が把握しきれないくらい無数にいたのも胃液が口から飛び出そうになるくらいストレスだった。学校にあまりいなくなった理由は、多分彼のアイドルの仕事が忙しくなったからだった。簡単なことだったし私はそんなことも知らなかった。でもネットで読めた彼の言葉を何日もかけて読み込んで、彼は私の認識していた通りの彼であることがわかり幻滅しなかった自分に心底ほっとした。何を言ってるかわからないと思うが涙が出る程嬉しかった。
それから私は偶然スマホを水没させて数日インターネットを絶ったのをきっかけに、私はもう彼のことを忘れるようと努力しはじめた。インターネットを介して彼を知るほどまた好きになってしまって、でももう私だけの彼じゃないと思うと酷く辛くて何も手につかなくなった。学校集会などでたまに彼を見かけることもあったが意識的に見ないようにした。この頃から受験勉強にも追われ、親しかった友人は内部進学を決めたので自然と外部受験の私とは疎遠になり、本当に孤独で、静かな場所に一人でいるとずっと彼のことを考えてしまうからなるべく雑音の多い場所で勉強をして時間を潰すようになった。成績は上がった。親がとても喜んでいるのが複雑だった。そしてテストの順位が忙しい彼とたいして変わらないことをクラスメイトの会話を介して知ったときは暗い興奮を感じた。おかしな話、彼はすごい奴なのだと誇らしかった。
そういう期間が長くあって、それはそれで精神の安定した時期でもあったのだが、決定的なことがあって全てが終わった。いつのことかはぼかす。
きょうだいがテレビを見ているそばで勉強をしていたら、よく知った声が聴こえてきて、画面を見たら偶然彼が出演していた。文字にすればそれだけのことだった。でもそれが、今までで最大の耐え難いほどのショックだった。そのショックの出処はわからない。なんでこんなに悲しいんだろうと考えることすら悲しくて悲しくてやりきれない気持ちになった。
それから色々なことをとめどなく考えた。今まで思考を避けていたぶん苦しくて数日頭痛が止まらなかった。もし私が彼と同じクラスになることがたくさんあったら同じ部活に入っていれば何か変わっていただろうかと考えることもあったが、きっとどう運命が変わったって私と彼が交わることはなかったのだと自分にわからせるのはそれなりに時間を要した。
自分は、彼がもう恐ろしいほど遠い世界の人間になってしまったことを、スマホの画面や私の視界のような小さく個人的なものではない、大きなテレビ画面に映っている彼を見て、初めてそこで自覚して動揺してしまったのだと、客観的に考えればわかる。だがあの時の私は錯乱状態でそんなことがわからずただ真っ暗な悲しみの中でどうすることもできなかった。
そしてある日学校帰りに街で彼の顔がプリントされたグッズ?をカバンに着けている同年代くらいの女を見かけて反射的にふらふら着いて行ってしまった。彼女は地下鉄に降りていった。私はもしかしてと感じて彼の名前で検索してしまって、彼の出演するライブが丁度その日あると知った。今思えばなんでそんなことをしたのかわからないが、私は気付いたら地下鉄に乗ってその会場に向かった。調べた最寄り駅で降りるとなんだかそれらしい女達がたくさんいて、私はそれだけでオドオドしてしまって早足で彼女らを追い抜くようにしてホームを出た。彼女らのざわざわした話し声の中に時々彼の名前が現れて心臓がバクバクして背汗が止まらなかった。地上に出てからはもっとたくさんの彼の、もしくは彼と同じグループの人のファンらしき人間がたくさんいて、それらは皆一様に同じ方向に歩いていて、あっちかあの方向に彼がいるのかだからみんなあっちに歩いているのだ、と私も突き動かされるようにそれに倣った。よく晴れていたからかなんなのか、汗が止まらなくてしょうがなかったことを鮮明に覚えている。
辿り着いた先は大きな建物だった。綺麗だけど変な匂いがするところだった。ぞろぞろとファンらしい女達がいて、たぶん入場待ちみたいなことなんだろうか。この全員が彼のことを好きなのだと思うと漠然とした恐怖に襲われ、あまり近づけず遠巻きにそれを見ていた。彼の顔がプリントされた様々なものが何度も視界を過った。巨大なモンスターと対峙したような無力感に襲われて、私はここへ来て何をするつもりだったんだ?と自分で自分を責めた。
すると、わりと近からず遠からずな場所に立っていた二人組の女達がちらりとこちらを見た。偶然かと思ったが次は力強く二度見されて、確実に私を見ていることがわかった。私は怖くなって俯き携帯を触っていると彼女らは何事かひそひそ話始めた。ほとんど聞き取れないような声量だったが「あの制服」と言っているのだけははっきりとわかった。
次の瞬間に私は来た道を引き返していた。話しかけてこようとしているような素振りもあったがそれでも走って逃げてしまった。奇異の目だった。あそこにいた彼女らの大半の容姿はとてもかわいい女の子といった風で、私はあの場で死ぬほど浮いていた。気付いてしまった。私が彼を好きでいるのはおかしくて迷惑なことなのだ。そうはっきりと自覚して、今まで何年間も彼のことが好きだった幸せな記憶がフラッシュバックして、その幸せと同じ分の後悔が押し寄せてきて潰れてしまいそうになった。体力が無いのに全力で走ってしまったから息切れて、もう惨めで惨めで涙と塩辛い唾液が止まらなくて、駅のトイレで吐いた。
私はこの日の夜に、初めてはっきりと「もう好きでいることをやめる」と決めた。今まで彼への感情から逃げることはあっても「やめる」とは明言していなかった。そう決めてしまうと、急速に自分の中を占めていた彼の存在が萎んで、不思議なくらい気持ちは落ち着いた。
でもまだ自分の中に彼が残っていた。完全には消えなかった。こうやって彼とのことを物語的に書くことで自分の中で完結させて切り離そうと思った。それは私の勝手であるからどう責められても仕方ないと思う。彼が特定されるような記述はなるべく避けたつもりだし多少筋が曲がらない程度に嘘も交じっているが、別にもうどうなってもかまわないと感じているのも本音のところで、最後に彼に迷惑をかけてみたいと思っている自分がいる。でも一生私のことを知らないでいてほしいのも本当だ。一貫性がない。最悪だ。だいぶ長くなった。推敲とかもしてないから色々おかしいと思う。もう好きではないけど、彼を好きでいたこの数年間はたぶん一生忘れないと思う。
最後に。何かの間違いでここに辿り着いてしまった彼へ。これからも頑張ってください。応援は出来ないけど、あなたの人生を神様が後押ししてくれるようここから祈っています。あなたの全てが上手くいきますように。
大学に通いはじめて間もないが、既に学歴コンプレックスを抱えつつある。
「でもこの選択は間違っていない」そう思いたい葛藤。自信ばかりが影に飲まれ、じわじわと引き裂かれる。
なのでどうかこの場をお借りして、自分のあれそれについて整理をさせてほしい。
どうせ拙文には違いないし吐き出したいだけなので、てきとうに読み飛ばしてくれて構わない。
◆
略歴。
小学生のときは勉強はそれなりにできた。宿題をやらなくて何度も怒られた。元素の図鑑を好んで読んでいた。誕生日にはリトマス紙をねだった。
ニコニコ動画ではよくゲームを作る動画を見ていた。キャラクタが単調な動きを見せたり、パラメータが上下したりするのにわくわくした。
父のテレビ台の下にPCソフト(真面目なものとアダルトゲームが半々)を紹介する雑誌があったのでこっそり読んでいた。
中学生のときも特に勉強に不自由しなかった、歴史以外は。理科や国語が得意だった。
やはりここでも宿題をしなかった。それで肩身が狭くなったのと、進級前に同級生を亡くしたことにより、2年の春~夏から無力感でうつになりかけた。
学校には週3で遅刻して行った。残りは欠席した。家にいる間は見つからないようにPCを触っていた。絵を描いたりSNSをしたりしていた。
何度か見つかって死ぬほど怒られた。
3年に上がるとだいぶ落ち着いた。学校にも再び行きはじめた。ブランクがあったがすぐに追いつけたし、平均点は(社会科以外)余裕で取れた。
受験期は社会科以外の勉強はほぼしなかった。市内で2番目の、偏差値もまあまあの普通科高校に進学した。1番の学校は遠いので行きたくなかった。
高校でもやはり課題をやらなかった。部活にのめりこんだのも相まって、2年頃には成績は地へと落ちた。
部活はPCをよく扱ったので、中学時代のひきこもり経験が武器となった。
進級するにつれメインの仕事は他に任せ、PCのメンテやカットイラストを担当していた。埃をかぶったwin2000が動いたときは感動した。
こうしてずっとPCを触っていた私だが、高3夏になるまで「その道に行こう」とは思わず、進路希望に適当書いて勉強もせず遊んでいた。
さて。
それまでずっと、「楽しい」を重視して生きてきた。送り仮名を取れば「楽」となる。
行きたい学部にようやっと「情報系」と書けるようになってから、初めて「勉強」という行為をした気がする。
とはいえ勉強の仕方はわからず、塾にも通わなかったため、非効率の生み出す精神的ストレスに耐えきれず打ち込めなかった。
いや…耐えきれずと表すのは語弊があるか、心を病んだ経験があったため苦しむのに恐れをなしていた。
おかげさまでセンター1カ月前まで成績は落ちたままだった。最下位にほど近いときもあった。何も思わなかった。
センターを前にすると途端に伸びたが、元の成績がクソなので結局のところ偏差40程度に落ち着いた。
大学は私立Fラン1校、自分の偏差よりちょっと上の私立を1校、行く気のない国公立1校を受けた。
偏差ちょい上のチャレンジ校になぜか通ったので国公立は記念受験した。落ちた。
略歴終了。
◆
で、だ。
当時の偏差値ちょっと上の大学に通ったとはいえ、Fランクのラインをギリギリ超えていないレベルの学校である。肩書きは誇りづらいものであった。
周りの友人は「君が楽しそうでよかった」って言ってくれたのもあり、ブランドなどまあどうでもいいやと思っていた。
それに大学の講義は楽しい。PCを思う存分使っても何も言われない、推奨される。
勉学という面では、今が幸せの頂点だろう。
しかしながら、やはり偏差などの数値というものは偏見を呼び、そこに属していると上位から舐められる。
勉強してこなかった自分としては満足いく結果だと思っていたが、どうやら世間様から見たらそうでもないらしい。当たり前だが。
仲良くしていた友人のひとりに「君の通う学校は偏差的にちょっと…」と言われたとき、初めて自分を疑った。
どこで間違えたのか。
ほんとに肩書きはどうでもよかったのか。
まあそれも当然だが。
◆
ううん、何も結論はない。
勿体ないことしたかもなあ、というだけ。
今からでも羽ばたけることを願っている。過去を変えられるわけではないのはわかっている。
日本の教育のいいところって、増田のように勉強が嫌いな人でもほぼ100%、字が書けて掛け算割り算くらいはできるようにしてくれるということ。
コンビニでの支払いの時に、お釣りの小銭がなるべく少なくなるように計算するなんて、海外ではムリ。
日本人のざっくり半分は大学(専門含む)行って、残り半分は高卒で働く。親や友達も同じような学歴が多くなる。
勉強が好きになるか嫌いになるかは、親の影響が一番大きい。親が勉強をバカにしていたり、逆に強制しすぎて反抗したり。
欧米だと階級が分かれていってしまうんだけど、日本は分断させずに一億総中流でやってきた。大学行く気なくても普通科高校に進学する奴が多い。
徐々に近づいていってる気がする。
年金もらえないってニュース聞いてから、不安がどんどん膨らんで消えてくれない。近いうちに他人を巻き込んだ自爆をしそうで怖い。
今はただの事務員やってる。昭和の風潮がたっぷり残った零細で、数年連続赤字で業種自体の先行きも危うい。手取りは20切るくらい。事務員の代わりはいくらでもいると管理職がよく言っている。
残業数十時間とかめちゃくちゃ仕事が忙しいとかじゃないのに、毎日仕事に行くのがつらすぎていつも会社の最寄り駅でこのまま乗り過ごしたらどうなるんだろうって考えてる。たぶんもうすぐ実行してしまうと思う。
たぶん自分は決まった時間に起きて出社してっていうことに向いていない。何なら働くこと自体に向いていない。
いっそ在宅ワークにしてみようと思って色々調べてみたけど、大した技能もない人間には無理そうだった。増田で人気のプログラミングは昔齧ったときに致命的に向いてないと思ったし、車の免許は一応持ってるけど教習所時代に絶対自分は誰か轢くことになる確信を得たから、取ってから一度も運転してない。
資格は中学生でも取れるような国家資格ひとつと、MOSとか簿記三級とかありふれたものしかない。今の高校生は普通科でも授業でマクロやプログラミング習うって聞いた。ゆとりドンピシャ世代としては勝てる気がしない。
普通に転職しようにも手取り20以上もらえる事務正社員はほぼないし、給与の高い紹介予定派遣は愛嬌がないから採用される気がしない。そもそも派遣に対して不信感がありすぎて選びたくない。
今はまだ二十代折り返しで若さもあるから何とか人並みの生活を保ててるけど、あと五年、少なくとも十年経ったら転げ落ちていく未来しか見えない。
実家は両親離婚してて、父親は生活保護一歩手前状態だし母親は自分より低い手取りの事務員で何とか暮らしてる。母親は恋人いるからともかく、父親が要介護になったら簡単に詰むと思う。もちろん貯金なんてほとんどない。
結婚も考えたけど、自分は致命的に人と暮らすのに向いてない。実家にいたときは母親がほとんど家にいない人だったから何とかなったけど、他人の男と家事しながら一緒に生活するとか絶対無理だ。
そもそも男が苦手だし、向こうから選ばれるような顔も愛嬌もないしもう若さもなくなってきている。
子供も苦手だから産んだ直後に産後鬱で絞め殺してしまう気しかしない。
定期的に蕁麻疹が出るから肌はボロボロで風俗も無理だし、専門職につきたくても何をすればいいかわからない上に気力もない。
今までダラダラ生きてきたツケだし甘え200%の泣き言だと理解している。
こうやってデモデモダッテばかり言って動かないクズだから何も変わらないのだと思う。
でも職場で、実家が太くて当たり前に大学も行かせてもらってて、将来何の心配もなくて貯金もたんまり持ってる同僚たちの会話を聞いていると、こいつら巻き込んで死んだら楽になるのかなとか考えてしまう。
今ここまでの文章を読み返してみたけど、どうやらまとまりのある文章を書く能力も欠如しているらしい。
こういう底の底じゃないけど中底辺みたいな人っていないんだろうか。それとも自分で気が付いていないだけでもう底辺なのかな。
なんか増田でよく地方と首都圏の溝とか、低学歴高学歴の溝とか見るけど、
自分からすると、あーホントそうだなって話ばっかりなんだけど、
中学まで地元、高校は本州の山奥の全寮制(ただ別に頭良い学校ではない)。
専門には入ったけど、ちょっと家庭がのっぴきならない状況で中退している。
ロスジェネより少し下の代だが、専門中退なのでほぼほぼ変わらん時期に社会に出た。
仕事が選べなかったので札幌のコルセンに入った。仕事はできたが病んだ。
その後、繋ぎの仕事をしつつ就活するが、地元では高校が本州なのがよくわからんと滅茶苦茶聞かれる。
自分もそもそも母親の勧めで入っただけで、別に普通科の文系の高校で、特に何かある訳でもない。
結果的に、100社以上落ちる。
友達だと思ってた人には裏で働く気が無いんじゃないかとまで言われた。
その高校どんなとこ?みたいなのは全然聞かれなかった。割とカルチャーショック。
だが、関東の気候と通勤ラッシュがコルセンで病んでた身体を引き戻して悪化させた。合わなかった。
あと、会社の人たちみんな大卒で、パートの奥さんたちも子供のお受験お受験で、話が合わない。劣等感が生まれた。
動けなくなって実家に戻る。
うん、そうなるよね。
ただでさえ少ない求人、受けるところも無くなってくる。
正直に病んだと言えば当然とってはもらえない。
今は諸々障害として申請する予定にまでなったが、通るか微妙なラインなのでそれすら怖い。
もう金は底をついた。資格取る余裕もない。
印象的な出来事だったので、ネットの海のどこかに残してみたいと思った。この場のことは代名詞が増田さんなことくらいしか知らないが、唐突な自分語りをしても許されそうなのでここに書くことにする。
妹と私は年が離れており、私は妹の生まれた時から姉と母親の中間みたいな立場で妹の成長を見守ってきた。
幼い頃の妹は、子供らしくて可愛い子だったけれど、あまり要領の良い方ではなく、優等生タイプだった私としてはヒヤヒヤすることが多かった。たとえば、自分から率先してクラスの中心にいる意地悪な女の子の取り巻きになって、何でも借りパクされてしまうような子だった。
この頃から成績は良くなく、田舎の公立小学校のテストでも平気でひどい点をとっていた。妹曰く「提出さえすれば自由時間になるから半分は解かずに出してた」とのことだったが、それを差し引いても何をどこまで理解していたのかはわからない。たぶん人間関係的に、良い点を取らない方が便利だったのだろうと思う。
そんな妹は、地元の中学校に入ってから、当然のように性格の悪い女の子の取り巻きになって媚びへつらうようになってしまった。成績は5教科で280点くらい。そして、案の定といっては可哀想だが、ひどいいじめに巻き込まれて不登校になってしまった。
このとき私はちょうど東京の国立大学に合格し一人暮らしを始めたところだったのだが、電話で親と話しながら妹の気持ちと将来を思うと、心がヒリヒリした。妹の体験と比べたら大したものではないが、自分にも荒んだ公立中学校独特の空気の中で、自己肯定感を失っていく気持ちには身に覚えがあった。
妹が幸運だったのは、両親が進歩的な考えの持ち主だったことだろう。
保健室登校で今の学校に通ったらどうかと言う私や学校教師の意見を無視し、両親は妹を不登校児の集まる遠方の私立中学にさっさと転校させてしまった。とにかく制服が可愛く、規則が緩い学校だった。集合写真を見ると、男子生徒の地味さと女子生徒の派手さがアンバランスな程際立っていて、私は「こんなのいかにもじゃないか」と心配した。
しかし、妹は、この特殊な学校への転校という大きな賭けに勝ったようだった。半ばカウンセラーのような先生方と一緒に時間をかけて精神を回復させ、1年ほどすると転校前の同級生がいない遠方の遊び場になら外出出来るようにもなった。
また、この頃から、いつかは昔の同級生を見返してやりたいと思うようになったようで、美容と勉強を頑張るようになった。特に勉強に関しては、多くの同級生が通信制や定時制の高校に進学する中、普通科高校に行きたいと強く希望した。当初の妹は不登校時代のブランクのため中3頭になってもbe動詞の活用だとかx^2-4=0の因数分解だとかが分かっていなかったのだが、元が低いだけにやる気になってからはぐんぐん伸びた。そして、進学校ではないものの、偏差値60弱くらいの私立高校の進学系のコースに最低点で滑り込んだ。なぜ最下位なのを知っているかと言うと、入学後に先生から異例の二者面談を組まれ、激励されたからだ。
そこからの妹は一層、人が変わったようだった。「JKっぽい遊びは中学でもうこりごり」とばかりに、不登校時代にやっていた痛いSNSもネット上の囲いも捨て、半ば遊びだった彼氏もいなくなり、字が綺麗になり、プリクラが減り、電車内で英単語帳を読むような高校生になった。高校のレベル別クラスも、半年で1番下から1番上まで上がり、これには両親と私も驚いた。
特に、ビリギャルに倣ったのだろうが高1高2では英語ばかりを熱心に勉強していた。英語系の塾にも通い出し、1年ほどで当時TOEIC800点の大学院生だった私をゆうに追い越してしまった。中学まで不勉強だった名残で、英単語帳に出てくる日本語の単語の方を知らない、漢字が読めないということが多発し、英語の語彙が増えるに連れて日常会話がルー大柴化した。その後、次第に英語以外も徐々に勉強するようになり、成績はうなぎのぼりだった。もちろん本人の中では、伸び悩んだり、不安になったりすることもたくさんあったそうだが、側から見ていると面白いほどに成長していた。志望大学もどんどん上がっていった。
そしてこの春、妹は通常より1年余分にかかったものの、早慶MARCHの滑り止め受験校3校をすべて合格したのち、晴れて第一志望の大学に進学する。妹は「これでようやくお姉ちゃんと肩を並べられるわ~。姉が○大生とか、これまでは人に言えなかったんだからね」と言った。
姉からすると、どん底から這い上がってきた妹の方が、とっくに自分よりすごいと思っていたので、妹がまだそんなことを思っていたことに驚いた。でも、自分がプレッシャーになっていたと同時に、ひとつの道しるべにもなっていたようでそれは嬉しい。
もともと地頭が良かったんだろうとか、親に金があったからできたことだとか思う人もいるかもしれない。また、大学合格なんてまだ単にスタートラインに立っただけじゃないか、まだ何も終わってないぞという指摘があるかもしれない。ごもっともだ。それでも、私はここまで来た妹の努力がすごく誇らしいのだ。
この先の人生、私たちの出身地の田舎じゃできないことをたくさんしていってね。姉はあなたのことを応援しています。
姉増田より
高専卒の方のエントリーが上がっていたので,レアな存在である高専について私も語ってみる.何度目の焼き直しになるかわからないが.
15年前に卒業.化学系学科.情報としては古い点も多々あるかと思う.ただ学生会長で全国高専につながりを持っていたので、情報ソースは1校のみではない.
①進学が容易
後述する.
高校1年次から専門教育を受けられる.全課程が専門教育というではなく,高校や大学で履修する一般教養とのミックスになっている.年次が低い段階では一般教養の比率が高く,年次が上がるにつれ逆転するという塩梅だ.まともに単位を取っていれれば5年次は週の半分は研究だった.
①進路が固定されやすい
大多数が工業系の道に進む.進まざるを得ないといっても過言ではないだろう.感覚的に同級生の8割はメーカにいる.世界が技術系一辺倒なので,その他が見えにくい.入学時点で15歳なので、染まりやすく視野を広く持つことも難しいという点もあったかも知れないが,情報網が発達した現代はまた異なるかもや知れない.教員も普通の研究員なので,理系のアカデミアで純粋培養されたような癖が強い人がごろごろ.コースを変更しようとしても,マイノリティになるため後押しもロールモデルが少なくハードルが高い.
専門性が高い故、入学後に技術に興味がないことに気づいてしまった場合,モチベーションが下がりついていくのが困難になる.高専は受験日が普通高校に比べて早いので,度胸試しで受けてみたら受かってしまった,偏差値が高いのでなんとなく来た,という層の一部がこの状態に陥る.一念発起して3年次にセンター試験を受け大学に進学、文転したものもいた.これはレアなケース.
③恋愛チャンスは共学に比べ少ない.15-20歳という多感な時期に恋愛経験はまあ一般的に重要だろう.学科構成に依るとは思うが伝統的な学科であれば女性が少ないので競争は激しい.然しながら化学専攻などは女性比率が高い,それでも半分程度だろうか.
授業時間は90分.1年次から週1-2回のペースで半日かかる実習or実験があり,1年次から毎週毎週濃密なレポート提出を課せられる.締め切りや採点も厳しく,図書館での追加調査を含め毎週5-6時間をレポートだけで費やしていた.科学的文章の書き方の下地はここで醸成されたと感じる.専門科目が入っている分,一般教養が割かれている.歴史はなく,地理も確か1年前期しかなかった.その他普通科高校と比べて色々なものが削られていたに違いないが、よく分からない.
また,数学が難しかったことを殊更に覚えている.入学後すぐに三角関数,確率,2年次に上がる前に微積,線形代数.2-3年次で重積分,偏微分,常微分・・・.4年次以降で複素関数,曲面,群論,ラプラス変換,ベクトル場等の応用数学に入っていく.他にも電磁気,化学,熱力,固体物理・・・うっ.
①就職
就職率100%.求人倍率~20倍.県内の有力企業,大手の現業職(現場職長候補)に比較的楽に就職できる.ただ高専生は世の中のことをよくわかってないので,企業や業態研究をせずに適当に就職してしまい数年後に後悔する同級生はそこそこいた.先生も技術バカが多く,経済的なリテラシー教育はほぼなかった.私のころはインターネットの情報量も多くなく,現在はまた違っていると思われる.
②進学
大きく2つに分かれる.専攻科か大学か.
専攻科:
自校に残り,2年間の延長教育を行う.大卒の資格を得られる.ほぼ研究メインの生活を行う.研究8割,授業2割くらいか.卒業後は旧帝や技術系大学院(奈良先端科技大/豊橋技科大/長岡技科大)などに院進する人が多かった.就職する場合世間的にはレアな存在であり,専攻科?そんなのがあるんだ?という反応をされ,研究漬けで辛い生活を送ってきたのにも関わらず就職アピールとしては弱いと友人はボヤいていた.
進学(3年次編入):
ここが最大のうまみであろう.
①いくつも受験が可能.大学毎に試験日程が統一されていないので,費用と日程確保さえできればいくらでも.自分の場合は4大学に出願し,3大学目で決めた.偏差値が低いほど早めに行う傾向があった.
②受験科目が少ない.例えば東大は数学と英語だけだった.(東大のみ2年次編入だったが)問題も奇天烈なものでなく,真面目に授業を受けてしっかり対策していれば十分に解ける範囲である.
③高専によっては提携大学がある.私が卒業した高専では所在県の大学,提携の私立大学(関関同立など)は指定校推薦でほぼ全入していた.高専から私立大学に行く人は少ないので,競争率も低かった.就職したくはないが勉強も好きではないモラトリアム層は延命策としてこの選択肢をとっていた.大学編入後は一般教養はほぼ単位認定(=免除),専門教科も高専で齧っていることが多く,比較的楽.実験,研究発表においては経験の差が歴然.学部レベルでは専門を変えない限り大きな問題はないだろう.私も彼女が欲しくてテニスサークルに入ってみたが,雰囲気についていけずすぐ辞めたというオチ.
ピンキリ.トップレベルの明石高専や豊田高専などは偏差値60後半でそこらへんの進学校を超える難易度だが,商船高専などは50前後.学科としては電気がいつも大変そうだった.数式だらけで理解するのが大変.材料や土木,環境,その他新興分野はおぼえればいい科目も多く,比較的楽.
全寮制の高専は確かなかったと思うが,大概他県や遠隔地からの学生用に寮が用意されている.寮ではゲーム相手に事欠かない,発売日に漫画がすべてそろう,ありとあらゆるジャンルのエ〇本を閲覧できるなどのメリット(?)もあるが,大きなデメリットとして私が通学していた20年前では上級生による「しつけ」という名の体罰が行われていた.木曜日の夜に1年生を呼び出し,暗闇の中で数時間正座をさせて悪事を白状させるというもの.(風呂掃除に数分遅れたとか,寮の敷地内で先輩を発見した際百m離れていても90度おじぎをして挨拶を”叫ぶ”必要があるが,そのお辞儀角度が足らなかったなど)一定数白状しないといつまで経っても終わらないため,どうでもいい些細なことを報告するのが常であった.正座のみならず1時間両手を上げっぱなしにさせるなど.終わった後は体が痛んだ.脚が痺れを通り越して暫く立てないレベル.なぜ木曜の夜かというと,金曜になるとみんな帰省してしまうため.
さすがに今はもうないだろう.しかし,中学校を出たばかりの小僧に大学1-2年生相当の先輩たちはとても怖い存在で,且つ退寮して親に金銭的負担をかけられないため多数は我慢を選択する,という構図だったし,私の親も鍛えられてこい,という感覚だった.家が比較的近いやつは馬鹿馬鹿しくて通学に切り替えていた.私のころはなかったが,以前は先輩から達しが出るや否や吉野家の牛丼を30分以内で代理購入してくるという「吉野家ダッシュ当番」なるものもあったそう.尚,年次により寮内でのルールは緩くなっていく.年次による権力を揶揄した称号があり,1年次から「奴隷」,「見習」,「平民」,「貴族」,「神」.1年次においては共有スペースの炊事禁止,テレビ閲覧禁止,風呂掃除や朝食準備などの各種当番,祭りでの汚れ系出し物など.2年次になると共同場のテレビ閲覧可,3年次から個室があてがわれ、テレビも自室に設置が可能となる.今思い返せば,陰湿な日本文化を如実に体現しており,乾いた笑いが出る.
私は上級生になった際このシステムを廃止しようと試みたが、全体的にそれを維持したいという空気が流れており結局叶わなかった.ただ親元を離れて集団生活を送ったことで自身も随分たくましくなったと思う.
メーカを何社か転職し,現在はITでデータ解析職.製造業に興味がないことに気づくのに大分時間がかかり,また気づいてからも収入を維持しながらも他業種へ脱するまでが大変だった.現在は34歳で年収950万円.奨学金は500万ほどあったが30歳前に完済することができた.
【2022年追記】現在37で1700万.幸運が重なり待遇の良いコンサルへ転職することができたが,周りの優秀さに埋もれつつありキャリアピークも近いかと感じている.がんばりたい.
三角関数ネタがまた流行っている。このネタについて前に書いた文章なのだが,Haikuが消えるそうなので増田に転記しておく。
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100文字だと言いたいことが伝わらないような気がするのでHaikuで。
今回の県知事の発言に対して「いやいや三角関数も役に立つよ」とか「確かに役に立たないけど進学には必要だよね」とか「〇〇も役に立つから教えるべきだよね」という意見は,全て正鵠を射ていない。
そもそも,「学校では役に立つことを教えよう」という考え自体が教育をゆがめることになる誤った考えなのだ。
一つ目の理由は,ジョブズの有名なスタンフォード大卒業式のスピーチ「点と点をつなげる」を読むとわかる。リード大学で学んだ「カリグラフの講義」という,おおよそ役に立つとは思えない授業で学んだことが,人生で大きな判断をするきっかけとなり,やがてそれが世界を変えることにもなった,という話だ。
人生において,学ぶことが役に立つか立たないかを,事前に判断することはできない。予想はえてして大きく外れるものだ。またある人の人生の役に立った知識が,ほかの人の人生に役に立つとは限りらない。あらかじめ役に立つと予想したものだけを学ぶことは,人生の可能性を大きく狭めることになる。
二つ目の理由は,基礎的な教科を学ぶ目的が頭をよくすることだからだ。
人は腕立て伏せが人生で必要だからやるのではない。腕立て伏せをすると,腕の筋肉が強くなる。強い体が欲しいからやるのだ。
数学のような「普通科のカリキュラム」は,受験のため進学のために学ぶものではない。それは論理的思考を身につける訓練をするために学ぶものだ。思考対象をモデル化し,抽象的な論理にそって展開し,結果を得るという作業は,極めて高い思考能力が要求される。それを繰り返すことにより人間の頭脳は鍛えられる。
複雑な運動をすると体と運動神経が鍛えられるように,複雑な思考をすると頭脳が鍛えられるのだ。
三つ目の理由は,効用を目的とすると教育の崩壊をうむからだ。これは私の考えではなく,内田樹が著書で述べていることだ。
たとえば,簿記の知識は人生に必要だ。だが,それを得る手段の選択肢としては「自分で簿記を学ぶ」と「簿記の専門家の知識を金を払って利用する」の二つがありうる。効率を考えると,後者を選択するほうが合理的だ。さらに効率を追求すると「簿記の専門家の知識をただで利用する」方法を模索するようにさえなる。
学問の効用を教育の目的としてしまうと,いかに少ない労力でその効用を得るか,という方向に人間の思考はむくものだ。たとえば大学の卒業の目的が「就職でのアドバンテージ」になると,いかに手を抜いて最小限の労力で卒業の資格を得るか,に学生は腐心することになってしまう。そして,これは実際に多くの大学で起こってしまっている。
教育の場では,能力の向上そのものを目的とするべきだ。そうでないと教育機関はその役割を果たすことができなくなる。学校では,むしろ「そんなこと学んで何になる」というような浮き世離れした学問をやった方がいいくらいだ。役に立つ実学は,社会に出てからも学べるのだから。
21の大学生です。
前置きとして、ただ自分の気持ちを吐露したいのと、増田で誰かに共感してほしく、乱文を綴っています。
よくある話かもしれませんが、私は地方の田舎の生まれで、都会のような中学受験や、どの中学校に入学しようか、私立や公立に通うなどの選択肢はありせんでした。故に近隣の1番近い学校に入学するしかなく、また当時はそれが当然だとおもっていました。また選択肢として先生や親が、ここの学校がいいなどの提案はありませんでした。その延長で高校は選択肢として、商業高校(Fラン)か普通科の偏差値が数字上は50ぐらい(おそらく50もない)の2択しかなく、私は何となく将来の事を考えると後者の方が良いのではないかのかと、当時も今もそうですが、田舎特有のマイルドヤンキーが嫌いで、入学しました。
高校では高3になり1日、10時間以上勉強しましたが、私は国語の成績が上がらず、東京の文系の中堅大学に入学しました。私は自分の高校の中での、進学者の中では偏差値の高い大学に入学できました。ですが、当時は第一志望には入学できなかったものの、使用がないと思っていました。(父には浪人はなしと言われていました)
私は大学に入学し、勉強や東京での生活や田舎にはない新しい情報を得る機会が多くありました。一言で言うなら文化資本でしょうか。今更言っても、どうしようもない悩みかもしれませんが、その新しい文化資本を取り入れる中で、大学は文系ではなく理系に選択しておけばと思うことが多くなりました。いま大学で勉強していることは楽しいですが、理系的な研究や開発をすることに対して魅力を強く感じています。私の浅はかな考えですが、実際に理系の方は多忙で大変だと思いますが、探究心によるトライアンドエラーは茨の道かもしれませんか、それほどに興味があります。
私は今現在、大学3年生であり、来年には本格的な就職活動が控えていますが、以下のような事を思います。
私の家は田舎では比較的に収入は多いほうですが、けして裕福ではありません。(調べたら平均所得は250万でした)父親と母親は高卒です。私の高校では進学に伴い、利子付きの奨学金を学年の半分が借りる学校です。これが相対的に普通なのか分かりません。何が言いたいかと言うと、学歴と収入は相関係数にあり、親は収入が多いと子供に投資でき、良い教育を受けることができるため、収入も多くなるのは、知識として知っていました。ですが、1年前か、半年前にみた文献で、母親の最終学歴が子供の最終学歴に大きく影響することを知りました。また経済資本が親から子へ受け継がれることは当たり前ですが、文化資本も同様に受け継がれることを知りました。また文化資本を子供に与える場合にも経済的な状況が関係してきます。例えば家に児童向けの本の数が多いほど、学力は高いという統計があります。しかし、家庭の経済状況が裕福な程本の数が多いという統計もあります。
つまり大卒で収入が多い親は文化資本も有しており、それが子供にも受け継がれると言うことです。私が幼少期に文化資本を享受し、親が大卒だったら、もっと違う選択肢を選んでいたのではないかとおもってしまいます。