大学に通いはじめて間もないが、既に学歴コンプレックスを抱えつつある。
「でもこの選択は間違っていない」そう思いたい葛藤。自信ばかりが影に飲まれ、じわじわと引き裂かれる。
なのでどうかこの場をお借りして、自分のあれそれについて整理をさせてほしい。
どうせ拙文には違いないし吐き出したいだけなので、てきとうに読み飛ばしてくれて構わない。
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略歴。
小学生のときは勉強はそれなりにできた。宿題をやらなくて何度も怒られた。元素の図鑑を好んで読んでいた。誕生日にはリトマス紙をねだった。
ニコニコ動画ではよくゲームを作る動画を見ていた。キャラクタが単調な動きを見せたり、パラメータが上下したりするのにわくわくした。
父のテレビ台の下にPCソフト(真面目なものとアダルトゲームが半々)を紹介する雑誌があったのでこっそり読んでいた。
中学生のときも特に勉強に不自由しなかった、歴史以外は。理科や国語が得意だった。
やはりここでも宿題をしなかった。それで肩身が狭くなったのと、進級前に同級生を亡くしたことにより、2年の春~夏から無力感でうつになりかけた。
学校には週3で遅刻して行った。残りは欠席した。家にいる間は見つからないようにPCを触っていた。絵を描いたりSNSをしたりしていた。
何度か見つかって死ぬほど怒られた。
3年に上がるとだいぶ落ち着いた。学校にも再び行きはじめた。ブランクがあったがすぐに追いつけたし、平均点は(社会科以外)余裕で取れた。
受験期は社会科以外の勉強はほぼしなかった。市内で2番目の、偏差値もまあまあの普通科高校に進学した。1番の学校は遠いので行きたくなかった。
高校でもやはり課題をやらなかった。部活にのめりこんだのも相まって、2年頃には成績は地へと落ちた。
部活はPCをよく扱ったので、中学時代のひきこもり経験が武器となった。
進級するにつれメインの仕事は他に任せ、PCのメンテやカットイラストを担当していた。埃をかぶったwin2000が動いたときは感動した。
こうしてずっとPCを触っていた私だが、高3夏になるまで「その道に行こう」とは思わず、進路希望に適当書いて勉強もせず遊んでいた。
さて。
それまでずっと、「楽しい」を重視して生きてきた。送り仮名を取れば「楽」となる。
行きたい学部にようやっと「情報系」と書けるようになってから、初めて「勉強」という行為をした気がする。
とはいえ勉強の仕方はわからず、塾にも通わなかったため、非効率の生み出す精神的ストレスに耐えきれず打ち込めなかった。
いや…耐えきれずと表すのは語弊があるか、心を病んだ経験があったため苦しむのに恐れをなしていた。
おかげさまでセンター1カ月前まで成績は落ちたままだった。最下位にほど近いときもあった。何も思わなかった。
センターを前にすると途端に伸びたが、元の成績がクソなので結局のところ偏差40程度に落ち着いた。
大学は私立Fラン1校、自分の偏差よりちょっと上の私立を1校、行く気のない国公立1校を受けた。
偏差ちょい上のチャレンジ校になぜか通ったので国公立は記念受験した。落ちた。
略歴終了。
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で、だ。
当時の偏差値ちょっと上の大学に通ったとはいえ、Fランクのラインをギリギリ超えていないレベルの学校である。肩書きは誇りづらいものであった。
周りの友人は「君が楽しそうでよかった」って言ってくれたのもあり、ブランドなどまあどうでもいいやと思っていた。
それに大学の講義は楽しい。PCを思う存分使っても何も言われない、推奨される。
勉学という面では、今が幸せの頂点だろう。
しかしながら、やはり偏差などの数値というものは偏見を呼び、そこに属していると上位から舐められる。
勉強してこなかった自分としては満足いく結果だと思っていたが、どうやら世間様から見たらそうでもないらしい。当たり前だが。
仲良くしていた友人のひとりに「君の通う学校は偏差的にちょっと…」と言われたとき、初めて自分を疑った。
どこで間違えたのか。
ほんとに肩書きはどうでもよかったのか。
まあそれも当然だが。
◆
ううん、何も結論はない。
勿体ないことしたかもなあ、というだけ。
今からでも羽ばたけることを願っている。過去を変えられるわけではないのはわかっている。