はてなキーワード: ロシア文学とは
(1)はこちら。anond:20210212080317
好き。ただし、当時の人にしかわからないパロディやジョークが多く、というかこの本を通じてしか残っていないのもあるので、純粋に笑えるかどうかはわからない。とはいえ、わからないなりにナンセンスさは楽しく(「ぽっぺん先生」シリーズにも引き継がれている)、トーベ・ヤンソンなどいろいろな人の挿絵も楽しめるし、こじらせ文学少年・文学少女とも仲良くなれるかもしれない。大学時代の読書サークルは楽しかったなあ。
ドストエフスキーの小説は基本的に頭がおかしい。ドストエフスキー自身がギャンブル依存症でユダヤ人嫌いのヤバいやつだし。
登場人物は基本的に自己主張が激しくて感情に溺れやすく、数段落数ページにまたがって独白する。プライドが無駄に高くて空想癖がひどく、思い込みが激しくて人の話を聞いちゃおらず、愛されていないのに愛を語る。そしてそんな奴らが大好きだ。
ぜひとも増田をロシア文学沼に落としたいのだが、いかんせん「悪霊」を含む五大長編から挑戦するのはハードルがあまりにも高いので、「永遠の夫」か「賭博者」か「地下室の手記」か「白夜」からがおすすめ。ロシア文学はいいぞ。
ところで、高校時代の友人曰く「ドストエフスキーにはまるのは自己愛と自己嫌悪の衝突を必死にプライドで支える人間、言い換えるとモテない」とのこと。ひどい。
こっちはスマートなほうのロシア文学。一家が没落して家や土地を売らないといけないのに、家の経済状態をわかっておらず(認めず)すぐに物乞いに金貨を上げちゃう、現実の見えていないお母さんのキャラが強烈。ギトギト描写するドストエフスキーに対し、勘所をびしりと抑えるチェーホフ。
実家のお母さんと(特にお金関係で)うまくいっていない人におすすめ。
未読。怪作「木曜日だった男」は読んだんだが。ミステリはあまり読んでいないのでそのうち読む。
誰もが冒頭のマドレーヌの香りから想起されるママンとの思い出についてしか語らず、たぶんみんなちゃんと読んでないからなのだが、実は無職のマザコンが自分の性の目覚め(野外オナニーを含む)やソープ通いや失恋の思い出について延々と語っている話で、何度語り手に向かって「働け!」と言いたくなったことか。
しかし、実のところ登場人物の九割がLGBTという当時としては非常に先進的な小説で、さらに当時炎上していたドレフュス事件という両陣営を真っ二つに分断した冤罪事件をネタにもしているので(今でいえばMeTooやBLMに相当する)、実は差別反差別についていろいろ語っている増田たちにすごく刺さる内容だと思う。俺差別してないし~、あいつは〇〇人だけどいいやつだよ~、的な態度もぐさりとやられている。最高でしかない。
ちなみに、金に苦労しないボンボンがうだうだ恋愛で悩む小説が好きになったのはこの本のせい。「アレクサンドリア四重奏」とかね。
不条理ギャグすれすれで訳もわからずひどい目に合う小説。いきなりこの小説にチャレンジするのはしんどいので、まずは「変身」か岩波文庫の短編集を読んで、カフカのノリが気に入ったら読むといいんじゃないかな。
読んでいるとカフカがお父さんのことめちゃくちゃ苦手だったってのがびりびり伝わってきて気の毒(カフカは線の細い文学青年、父は叩き上げのビジネスマン。想像できるでしょ?)。お父さんとの関係がこじれている人におすすめ。
最高のダメ人間小説。精神勝利法なることばはどこかで聞いたことがあるんじゃないだろうか。作者は当時の中国人の意識の低さを批判したつもりらしいが、万人に刺さる内容。
ちなみに自分はダメな人間、情けないやつ、どうしようもないやつが大好きなので「指輪物語」のゴクリ(ゴラム)だとか、「沈黙」のキチジローだとかが大好きです。
さえないおっさんが妻の浮気を知りながら一日中ダブリンの町をウロウロするだけの寝取られ小説で(途中で女の子のスカートをのぞいて野外オナニーもする)、このリストの前に出てきた「オデュッセイア」のパロディでもある。
これだけだと何が面白いのかよくわからないのだが、実は当時の反英的な機運の高まっているアイルランドの空気を活写している。それだけではなく小説の様々な実験的手法の見本市みたいになっており、和訳もすごい。たとえばある章では英文学の様々な文体を歴史順に真似て英文学の発展をパロるのだけれど、和訳ではその章は祝詞に始まって漢文になり、漱石や芥川の文体を経て現代小説になるという離れ業で訳している。これがもっと無茶苦茶になると「フィネガンズウェイク」になるのだけれど、すでに言語の体をなしていないのでまだ読めてない。
上記の説明でドン引きしないでください。「ダブリン市民」をお勧めします。
結核療養サナトリウム小説。北杜夫ファンの間で有名な「ねーんげん的」の元ネタ。あらゆる知識を山のサナトリウムで吸収した主人公の運命やいかに! 「ノルウェイの森」で主人公が京都山中の精神病院にこの本を持っていくのは村上春樹なりのジョークか。
ただし、やっぱり長いので美少年萌えな「ヴェニスに死す」か陰キャの悲哀「トニオ・クレーゲル」にまずチャレンジするのがおすすめ。
はまったら「ブッデンブローク家の人々」や「ファウストゥス博士」を読もう。
洗脳エンドのディストピア小説なんだけど、増田で「一九八四年」が古いと言われてしまうんだったらこれはどうなるんだろ。読むんだったら他の「すばらしい新世界」とか「ハーモニー」とかと読み比べて、ディストピアの概念が現実の社会の変化に合わせてどんな風に発展してきたからを考えながら読むと面白いのかも。
未読。長すぎる。
未読。
文学サークルの友人に勧められて読んだんだけど、とんでもない小説だった。あらすじとしては、野望に取りつかれた南部の人種差別主義者が自分の帝国を作るために理想の女性と結婚するが、その女性に黒人の血が混じっていたために離婚して別の女性と結婚することから始まる、二つの家系の因縁話なのだが、時系列がしっちゃかめっちゃかなのでとにかくその男の妄念とその子孫の不幸ばかりがじりじりと迫ってくる。あまりにもすごかったのでフォークナーの他の作品は読めておらず、黒人差別を扱った小説も怖くて読めていない。
未読。
読んだがよくわからなかった。うつ状態のときには時間の経過さえも苦痛で、それを救ってくれるのは音楽だけだ、的な話だったか。とにかく本を読み漁っていたころ、新潮文庫のサルトル短篇集を意味も分からず読んでいたのを思い出す。わけもわからないままヌーベルヴァーグを観ていた頃だ。さっき出てきた高校時代の友人曰く「フランス映画のあらすじはセックスして車で逃げて殺されるだけだ」とのことだが、起承転結に還元できない小説を楽しむようになったのはこの頃からだった。
未読。
短いのですぐ読める。ゴドーはいまだに再臨しないキリストのアレゴリーだという説もあるが、実際のところはよくわからない。意味の分からない話だけど、僕らの人生も結構意味不明だよね、みたいな感じか。
未読。「愛人」は読んだが記憶のかなた。まだ幼くて没落する富裕層とその爛れた愛を十分に楽しめなかった。
どうでもいいが自分が年上萌えに目覚めたのは「海辺のカフカ」のおねショタシーンです。
レムの作品の中では一番好き。たとえ出てくる科学技術の描写が古くなっても(SFだとこういうことはよくある)、理解できない対象として立ちふさがるソラリスという惑星の描写は古びない。
SFは考えうるあらゆる可能性を検討し、人類の達成しうることや宇宙の中での意味について想像力の境界をどこまでも遠くまで広げていく文学だ。中には人類がろくでもない理由で滅亡してしまったり、人間など取るに足りないという悲観的なヴィジョンに至ってしまったりするものまであるが、それでさえ美しい。なぜなら、想像力がヒトという種の肉体に縛られまいと羽ばたいた結果なのだから。
最近SFをろくに読んでいないが、元気が出たらまた読みたいものだ。
初めて読んだラテンアメリカ文学。起こりえないことが起こり、名前がややこしいので誰が誰だかすぐに混同され、しかもそのすべてが意図的である。混乱してもとにかく読み進めてほしい。目の前で起きる不可解な出来事をまずは楽しもう。
慣れてきたら、これが不条理としか言いようのない南米の歴史の縮図だとかそんなことを考えてみるのもいいかもしれない。この本のおかげでボルヘスに、バルガス=リョサに、ドノソに出会うことができた。
一説によるとこの本が文庫化されるとき世界の終末が近づくという本の一つ(未確認情報)。新潮社がなぜか頑なにハードカバーしか出さない。ちなみに「薔薇の名前」にもそうした風説がある。
インド独立の瞬間に生まれた子供たちが全員テレパシーの使い手だった! こんな話があの岩波文庫に収録されるんだから世の中わからない。
主人公は裕福な家で育つが、じつはそれは出産時の取り違えによるものであり、誤って貧しいほうで育ってしまった子供が復讐にやってくる。それも、真夜中の子どもたち全員を巻き込む恐ろしい方法で。
インドとパキスタンの分裂、人口抑制政策、そういったインドの歴史をちょっと頭の隅っこに入れておくと面白いが、昼ドラ的な入れ替わりの悲劇の要素のあるSFとして娯楽的に読める。権力を持った強い女性に対する嫌悪感がほんのりあるのが難点か。
ちなみに、「悪魔の詩」も読んだが、(亡くなった訳者には本当に申し訳ないが)こっちのほうが面白かった。あれは当時のイギリスのポップカルチャーがわかっていないと理解が難しい。
独自の神話的なヴィジョンで有名らしいんだが、邦訳あったっけ?
未読。
卒業旅行でパリに持って行った。たぶん時期的には最高だったと思う。とにかく血だとか死だとか堕落だとか退廃だとかそういうのに惹かれる人生の時期というのがあり、まさにそのときに読めたのは幸せだった。もっとも、所詮自分はそれらを安全圏から眺めていただけだったが。
同じく卒業旅行でパリに持って行った。残念ながらフランス語はわからないのだが、フランスのサンドイッチは最高だった。当時はまだピュアだったのでキャバレーやフレンチカンカンは見に行っていない。
未読。
未読。
ドストエフスキーの作品がカーニバル的、つまり一斉にいろんな出来事が起きてしっちゃかめっちゃかになって、日常の価値観が転倒する、みたいな内容。確かにドストエフスキーの作品は爆弾抱えた人間が一か所に集まってその爆弾が一斉に大爆発、的な内容が多い。
ただ、これ以上のことは覚えていない。実はあまり文芸批評は読まない。
未読。
疲れたので続編をやるかは不明。日本文学や哲学・思想は海外文学ほど読んでないし。まとめてみて、遠ざかっていた文学に久しぶりに手を伸ばしたくなった。
「イリアス」は捕虜の奴隷女の配分をめぐった交渉がこじれた結果、勇者が拗ねて戦場に出ず、味方がどんどん死ぬところからスタートするので、昨今の倫理観からは問題があり、神話初心者にはこっちをお勧めしたい。「オデュッセイア」も家で待っている妻を忘れてよその女のところで数年過ごすが、まあ魔法をかけられていたということでこっちのほうがマシだ。舞台もあちこち移動するから飽きないし。
ユニークなのは、劇中劇的にオデュッセウスが時間をさかのぼって事件の進展を語る箇所があることで、ホメロスの時代にはすでに出来事が起きた通りに語る手法が飽きられ始めていたのかな、と想像できる。
実は「ラーマーヤナ」とある共通点があるが読んでみてのお楽しみ。
聖書はなんせ二千年前以上の宗教書だから、原典に当たる前に基本的な出来事の流れと時代背景や当時の常識を理解していないと読解が難しい。当時のユダヤ民族の偏見も混じっているし。加えて、ところどころ立法全書的に当時の習慣や禁忌を延々述べる箇所があり、通読はさすがにできてない。新約聖書だけは何とか意地で読破した。
ところで、どうして「創世記」だけを取り上げたのだろう。たとえば物語として盛り上がるのは「十戒」の「出エジプト記」だ。「ハムナプトラ」とかでエジプトが悪役になるのは大体これのせい。いきなりこれにチャレンジするのなら、手塚治虫の聖書物語のほうがいいかもしれない。
犯人探しが不幸を呼ぶことから嫌ミス的な要素もあるし、ギリシア神話の「不幸な運命を避けるために必死になって行動した結果、結局その運命を呼び寄せてしまう」というアイロニーが大好きな自分としては、その典型例なので好物だ(予言を鵜呑みにした結果ドツボにはまる「マクベス」も好き)。
これが面白かったら、アイスキュロスの「オレステイア三部作」もおすすめしたい。何世代にもわたる恨みの念が恵みの女神として祀られることで鎮められるというモチーフは、異国のものとは思えない。
一般教養で唐詩の授業を取ったので岩波文庫でぱらぱらとめくった覚えがある。なにぶん昔のことなので記憶は曖昧なのだが、はっきり覚えているのが王梵志の「我昔未生時」で、天帝に生まれる前の時代の安らぎを返してくれるように願う詩だ。当時は反出生主義が哲学・思想界隈でここまでホットなトピックになるとは予想してはいなかった。
酔っ払いの詩。酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞーという内容。著者は文学者であっただけでなく天文学者・数学者としても知られるが(三次方程式を解いた実績がある)、ここで展開されている詩はひたすら現世の美しさとはかなさをうたったもので、酔っ払いは世の東西を問わず、というところか。イスラム世界の厳格なイメージをひっくり返してくれるので面白い。ガラン版のアラビアンナイトや高野秀行の「イスラム飲酒紀行」とあわせてどうぞ。
フィレンツェを追放されたダンテが苦しみの中生み出したキリスト教最高峰の文学のはずだけれど、とにかく気に食わない政敵を地獄でめちゃくちゃな責め苦に合わせているところを面白がる下世話な楽しみ方ができる。地獄にいる人物は聖書やギリシア神話、歴史上の人物も多く、ヨーロッパの歴史や文学をざっくり知っているとダンテがどれだけやりたい放題やったかがわかるので愉快。
ただし、地獄編の続きの煉獄編・天国編はキリスト教哲学をかじっていないと結構しんどく、しかも風景が山あり谷ありの地獄と比べてひたすら恵みの光が明るくなっていくだけなので、絵的に面白いのは地獄のほうだ。
ついでに、ヒロインがかつて片思いをしていたベアトリーチェという女性なので、ベアトリーチェの美しさを歌う箇所も下世話な目線で楽しめる。妻帯者の癖に未練たらたら。
未読。後述のラテンアメリカ文学とかジョイスとかは読んだんだが、そこに出てくる過剰なものや糞尿譚も結構楽しんだので、いつかは読みたいと思っている。
四大悲劇と「ロミオとジュリエット」はざっくりと読んでおくと、いまにも受け継がれているネタが結構あることがわかって楽しいし、意外と下ネタのオンパレードなので当時のイギリス人に親しみを持つことができる。ついでに上記のうち二作は黒澤明の映画の元ネタでもある。
興味深いのは、劇中劇というかメタフィクションが必然性を持って登場することだ(父を殺した叔父の目の前で、その殺人の場面そっくりの劇を演じて動揺させるシーン)。すごく先進的だ。かっこいいぞシェイクスピア。
基本的には正気を失ったおじさんが繰り広げるドタバタ劇で、下巻では著名になったドン・キホーテをからかう公爵夫妻までも出てくる。これだけだと精神を病んだ人をおちょくる悪趣味な書物だとしか思えないのだが(というか最初は時代遅れの騎士道精神を批判するために書かれた)、昨今はドン・キホーテに同情的な解釈が主流。最近テリー・ギリアムが映画化した。
自分が道を踏み外した元凶。誰だこんな子供を人間嫌いにする本を児童書の棚に並べたのは。クレヨンしんちゃんを夕方アニメにするレベルの蛮勇だ。四部作だが、最後の馬の国では人間という存在の醜悪さをこれでもかと暴き立てており、おかげさまですっかり自分は人間嫌いで偏屈な人になってしまった。作者の女嫌いの影響を受けなくて本当に良かった。
とはいえ、当時のアイルランド支配はこれほどまでの告発の書を書かせるほどひどかった、ということは知っておきたい。
夏目漱石「吾輩は猫である」に出てくる。基本的にはふざけた話であり、著者が自分の誕生から一生を語り起こそうとするがなかなか著者自身が誕生せず、しかも物語の進捗が遅いせいで半年ごとに本を出す約束なのにこのままでは永遠に現在の自分に追いつかない、みたいな語りで笑わせてくる。挙句の果てに著者が途中でフランス旅行に出かけてしまう。英文学というジャンルがまだ黎明期なのに、こんな愉快なのが出てくる懐の深さよ。
だが、これだけふざけているのに、登場人物の一人がうっとうしい蝿を「この世の中にはおれとおまえと両方を入れる余地はあるはずだ」といって逃がしてやるシーンはいい。
未読。「毛皮を着たヴィーナス」と「眼球譚」は読んだんだが。バタイユどんだけおしっこフェチなんだよ。自分もお尻とかブルマーとか競泳水着が好きだから笑わないけどさ。
個人的にはとても好き。人生できっと何かを成し遂げられるはずという万能感ある思春期に読みたい。主人公の行為は決して褒められたものではない。様々な悪事を働き、幼い少女を妊娠させたうえ捨ててしまう。このシーンのせいで、もしかしたら二十一世紀には読み継がれない古典になってしまうかもしれない。しかし、主人公が最後にたどり着いた境地の尊さの価値は失われることはないと信じている。現世で最も美しい瞬間とは何か、あらゆる物質的な快楽を手に入れた主人公が見つけた答えを読んでほしい。後半はギリシア神話を知らないとつらいかもしれないが、そのためにギリシア神話入門を読む値打ちはある。
未読。同著者の「赤と黒」は貧乏な青年がひたすらのしあがろうとする話で、あまりピンとこなかったのだが、文学サークルの友人から最近来たメールに「訳者を変えて再読したら面白かった」と書いてあった。
さえないかわいそうなおじさんが好きなので好き。ロシア文学というものは、名前がややこしいうえに同じ人物が様々に呼ばれるので敬遠されがちなのだが(イワンが何の説明もなくワーニャと呼ばれるなど)、登場人物をメモしたり、ロシア人名の愛称の一覧を頼りにしたりして飛び込んでほしい。このハードルさえ超えれば最高の読書体験が待っていることは保証する。ロシア文学はいいぞ。
ポーは大好きなんだけどどうしてこれを代表作に選んだのかはよくわからない。個人的には王道の「黒猫」とか「アッシャー家の崩壊」とかを最初に読むのがいいと思う。中学生の頃、狂気や暗鬱さにどっぷり浸っていた頃に読んだのだが楽しかったし、作中の詩が今でも世界で一番好きな詩のひとつだ。ちなみに、東京創元社のポー全集には、ポーのユーモア作品もいくつか収録されており、意外な顔を知ることができる。もっとも、今読んで面白いジョークかどうかまでは保証しないが、こじらせ文学少年・文学少女としては必読か。
最高の昼ドラにして非モテ文学。俺は愛されずに育った、俺は永遠に誰からも愛されない、だから他人の幸福を破壊してもいい、的な気分に一度もでもなった人は何としても読んでほしい。
映画「マチルダ」の中で児童書に飽きた天才少女がこれを読もうとする場面があるんだけど、これ小学生が読む本じゃないだろ。単純に難しいのではなく、とにかく話が脱線しまくる。まともにストーリーが進まずに、著者自身のクジラに関するうんちくが延々と続く箇所もある。雑学隙の自分は楽しく読んだが。
敵のクジラを殺してやろうとするエイハブ船長の狂気についていけるかどうか。
自分が人妻萌えを発症した元凶の一つであり、世界文学初のカーセックスシーンがあることでも知られている(自動車ではなく馬車でだが)。ストーリーは夢見がちな女性が夫に幻滅して若い男やチャラ男と浮気し、サラ金から借金を重ねて自殺するという「闇金ウシジマくん」的なノリ。妻の浮気を知ったさえないボヴァリー氏の哀れな反応は必見。自分が寝とられ文学が好きになってしまった元凶の一つ。
いっぱいブクマコメありがとう! 気になったコメントに返信するね!
щは日本語の慣用表記とロシア語の発音がすごくかけ離れてる例だよね! 日本語だと「シチ」って書くことになってるからね! だからЩербаковも「シチェルバコフ」なんだね! 議会図書館式だとshchになるけど、これもだいぶ実際の発音と離れてる感がすごいよね!
ヴ音の表記揺れが「ヴ」と「ブ」の違いの事なら日本語の問題で納得できるけど「ヴァ」と「ワ」じゃ音が全く違うやんけ。片方は英語読みベースでもう片方はロシア語発音ベースとかなんじゃないの?
ロシア語的には「ヴァ」と「ワ」はすごく近い音だよ! 口の形が似てるんだよね! むしろ「ヴァ」と「バ」は全然違うよ! Иванを「イワン」と読んだらワンチャン通じる可能性があるけど、「イバン」って読んでもぜんぜん通じないと思うよ! 試したことないからわかんないけど! 日本人の名前の「わ」もロシア語だとваで表記されるよ!
日本語のロシア語表記って、「ロシア語から直接に翻訳されて、一般化した語」よりも、「英語やドイツ語経由で翻訳された語」の方が遥かに多いので、英語とかの時点で表記ゆれが多いのではないか。
これは日本語史的に間違いかな! 幕末からロシア人とは接触があったし、明治時代になるとロシア語を勉強する知識人が増えたから、ロシア語から直接輸入される機会はいっぱいあったんだよね! 二葉亭四迷がロシアに留学してたのは有名だよね! 現在のロシア文学の慣用表記はそういう先人たちが作ってくれたものだよ!
"Бладимирは「ウラジーミル」なんだけど、「ウラジミール」って書く人"< 間違い続けたまま辞任した安倍晋三の立場が(笑) // 「綴りと発音が離れすぎ」って、ロシア語の正書法はきちんと整理されてる方だぞ?
調べてみたけど「ウラジーミル」って書いてある記事もあったよ! 安倍さん本人じゃなくて書いた記者が間違えてる可能性もあるし、ちゃんと本人の前で「ウラジーミル」って言ってたならいいんじゃないかな?
問題はファーストネーム呼び捨てにしてることだよ! ロシア人的にはめちゃくちゃ無作法なんだよね! ロシアでは、目上の人やそこまで親しくない人は「ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ」と名+父称で呼ぶのが普通で、親しくなったなら「ヴァロージャ」みたいに愛称で呼ぶのが普通だよ! ファーストネームを呼び捨てにすることなんてめったにないよ! 英語で話してる中で「ミスター・プーチン」と呼ぶのならまだしも、通訳越しに「ウラジーミル」って呼んでたとしたらスゴイ・シツレイだと思うよ! ロン・ヤス関係みたいに別荘に誘う仲なら「ヴァロージャ」でも許されると思うけど、そうじゃないなら素直に「ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ」って呼んでおくべきだったと思うよ!
ロシア人って基本的に礼儀正しいから公的な場で何度か会っただけの相手をそんな簡単に愛称で呼んだりしないと思うんだよね! フレンドリーなことに定評のあるアメリカ人ならまだしも、礼節を重んじることで知られる日本人がいきなりファーストネームで呼んできたら「なんだこいつ」って思われても仕方ないと思うよ!
後半部分、まあ英語よりはマシなんだけどね! 他のもっと言文一致してる言語と比べちゃうと、やっぱり綴りと発音違いすぎって思っちゃうよね!
日本産コンテンツのロシア人名がガバガバなのはもう仕方ないと思って諦めてるよ! ただいくつか良くできているのもあるからそういうのは褒めていきたいよね! 具体的に言うと「イリーナ・ウラジーミロヴナ・プチナ」は完璧だね! ちゃんとウラジーミロヴィチ・プーチンを女性形にしてあって芸が細かいよね! 「リーリア・イリーニチナ・メジューエワ」は「リーリヤ」だったらパーフェクトだったかな! 「アレクサンドラ・ウラジミーロヴナ・リトヴャク」は父称の強勢の位置が間違っているのが残念だね!
それなりに凝った名前にしてるのに「あと一歩」っていう残念事例が結構あるよね! 「ヴィクトーリヤ・イヴァーノヴナ・セレブリャコーフ」とか「アレクサンドラ・イワーノヴナ・ポクルイーシキン」とかね! お前父称まで設定したんなら苗字もちゃんとしろよォ! って思うよね! 逆に「ジーナ・ボイド」とかいうロシア感が欠片もない名前持ってこられるといっそ清々しいよね! よくそれをロシアキャラの名前にしようと思ったよね!
ポリワーノフ式だと正確にはХатэнаだよ! ポリワーノフ式っていうのは、日本語をロシア語のキリル文字で表記するための方式で、100年以上の歴史があるよ! ローマ字に直すときのヘボン式みたいな感じだね!
キリル文字で書いとくれ。
Букума ситэкурэтэ аригато!!!
それってЮрияна。
Дадияназанは×ダヂアナザン○ダディヤーナザン
ナズェゴマツノミャフキー・ズナークヲハブイタノディス!!!
言及どうもです。
彼らは、単純にphilosopher(=知恵を愛する者)ということでいいんじゃなかろうか?
『「知」に対して極めて能動的な人間』、というより、『新しいことを知ることが好き』、ただ単に好きって感じで。
だから、はたから見ると、増田も『知らない話題に対しては、無知な者として、目を輝かせて知識を吸収する』スタンスで行けるといいのではないか?と思う。
そう、そこなんだよね。
俺が「怪獣映画を見ること」を苦に感じたことないように、彼らにとって
『新しいことを知ること』はまったく苦じゃなくて、むしろ何よりも楽しいことなんだろうな。
だから知識を毎日のように流し込んでも頭でっかちにならずに教養として心身に身に付くのだろうな。
彼らにとってはソルジェニーツィンを読むのもゴジラを観るのも同じ『新しいことを知ること』なのかもしれない。
自然体で「philosopher(=知恵を愛する者)」として振る舞えてる人達への劣等感や羨望みたいなのは正直あるよね(笑)
ああ、彼らには「おし、勉強するぞ!」って喝を入れる感覚すらなくてこれが自然体なんだ!って気付いた時には震えたね。
実はこの土日で奮起して古本屋で有名な哲学書やらロシア文学をしこたま買い占めてきたよ(笑)
「地下室の手記」はなかったけど、カラマーゾフの兄弟や罪と罰は買ってきた。
ソルジェニーツィンも何冊か買ったし、デカルトやらカントやらあるだけ買ってみた。
古本屋の店主はすげえ偏屈そうなオッサンだったが、購入ラインナップを見たら笑顔になってた。
何度もお礼を言って店を送り出してくれた。彼も「philosopher(=知恵を愛する者)」なのかもしれない。
手始めに薄いゴーゴリ「外套」を読んだけど、思ったより易しくてすぐ読了した。
すっげーヘンテコな話だったけど、不思議な後味が残って楽しめたよ。どんどん読むぞ。
ソローキンのみならず、20世紀以降のロシア文学は、19世紀のパロディであるといっても過言ではないと思う。
そもそも、ロシア文学においては大元のプーシキンが西欧のパロディをやっている。というよりも、プーシキンを読んでその背後にある西欧を読み取るのが正しい読み方。
プーシキンのすごいところは、パロディや翻案でありながらオリジナルを凌駕しているところ。
オネーギンなんかもジュコフスキーからの引用が多く見られる。また、本来韻文においてはヒロイックなテーマが選択されるという常識を破り、世俗的な恋愛を描くというメチャクチャ実験的な小説だったということも補足します。
つまり、ソローキンはなんら実験的なことをしているわけではなくロシア文学の定石をやってるだけで、なんら評価されるべき手法を用いているとは思えません。
彼の新しい点としては、単なる下ネタを文学に偽装して増田みたいな人にありがたがらせたということかな。
ロシア語読めればわかるけど、彼のスタイルは19世紀的で一見すると伝統的な文学に読めてしまうんですよ。
確かにその点は新しいと思うけれど、それが優れているのかはビミョーです。
ロシアの諺に、背広を裏返して着ることは新しいけれど、それはすでに衣装の体をなしていないというのがあるけど、まさにそれだと思いますね。
id:wildhog 言語と研究の価値は直接関係ない。とはいえ世界大学ランキングに役立たないし、留学生や海外の研究者に対して敷居が高くなるから英語で書いた方が得じゃない?
じゃあランキング気にするのやめるか英語以外の研究も拾えるランキングにしろよボケ,が前段への返答で,そんならアメリカ人は日本人にとって敷居の高い英語やめてくれない? 日本語で論文書けよ! が後段への返答っすね.マジあいつら日本史や日本社会についての論文や著書すら英語で書きますからね.それを日本人の研究者がわざわざ日本語に翻訳してますからね(悔しいことに面白いんだこれが).別にそれが悪いことだとはまったく思わない,というかむしろアメリカ人の日本研究者が英語で書くのはそりゃ当たり前でしょって感じだけど,広い読者にわかるように日本の研究者は英語で書けとか言われたらまずあいつらに日本語で書かせてから言えよくらいは言っていいですよね.日本史の読者のボリュームゾーンはまずもって日本人なわけで.アメリカ人が英語で日本についての論文を書いても,えー英語論文しかないのー,日本語論文書いてないとかレベル低すぎー,とアメリカのアカデミアで冷遇される世界になったら日本語で論文書いてる欧米研究者を冷遇してくれて一向に構わないので,そのへんどうかよろしくお願いします.
というか日本語を習得して日本語で論文や博論書いて本も出してる留学生の方だって大勢いらっしゃるわけですよ.私はこれまで,中国人・韓国人・台湾人・モンゴル人・ポーランド人が書いた日本語の単著を読んだことがあるし,ウイグル人やカザフ人やエジプト人やアメリカ人で日本語論文書いてるひともおられる.琉球の方言学とか見ると定期的に日本語論文を投稿してらっしゃるニュージーランド人研究者もいらっしゃいますね.日本語は外国人研究者によっても使われる立派な学術言語です.
モンゴル人研究者が日本語で書いた単著の一例(査読つき)> https://www.yamakawa.co.jp/product/67381
id:parosky 論文は人類の知の体系に貢献するものだからみんながアクセスできる言語じゃないとダメじゃない? という意味で英語なことが重要だと思ってたけど、たしかに界隈の人がみんな日本語を読めるなら日本語でもいいね
「みんなが日本語を読める」んじゃなくて,「重要な日本語の先行研究がたくさんあるから頑張って日本語を勉強する」んですよ……
この辺の感覚が理解されてないんですかね? 文系にとって標準言語は英語だけではなく,分野によってはいくつかあったりするのが普通なので,頑張っていくつかの言語を勉強するんです.西洋古代史なら英語や古典語の他にフランス語とドイツ語の先行研究を読む必要があるし,インドネシアの近代史や人類学を勉強したければ英語とインドネシア語の他にオランダ語を学ぶし,中国の前近代史なら英語と中国語の他に日本語が読めないとね,という要求水準があって,それらの言語を知らない人は勉強する必要があるわけですよ.英語さえ読めれば研究ができるひとたちにはわからない感覚かもしれませんけど.
正直,中国を研究してる欧米人が英語論文の中で日本語を引用してるのを見て,「あっ,つづり間違ってるな,こいつあんまり日本語得意じゃないな」って思うことはあります.たぶんもともと中国語が専門で,日本語は研究に必要だからいやいや読んでるんだと思いますけど,西洋を研究してる日本人は同じことをドイツ語とかフランス語とかに対して思ってたりするわけで,まあお互い様っすね.
id:nakex1 自国語しかやってないと自国語で形成される村の思考の枠組み(そこから発生する評価の枠組み,師弟関係や派閥)から出られないんじゃないかという懸念はある。
師弟関係やら派閥やらはともかく、思考の枠組みとか言われても、社会学は英語圏からの輸入学問なんだから、英語圏の発想や思考をバッチリ取り入れた論文書いてますよ! 英語圏の理論の本とか翻訳されまくってるし,未翻訳の本でも原語で引用してるひとは大勢いますねえ.当たり前だけど,執筆言語が自国語であっても,自国語で論文書くために読まなきゃいけない言語はいくつもあるわけで……
id:kanekoshinichiro 日本語で学術を述べてもいいけどガラパゴスにならない?どこかで日本人以外に読んで欲しくないのかなと思ってしまうな。もっとオープンになればいいのに。英語できるでしょ。
ドイツ語より母語話者人口が多い言語を捕まえてガラパゴスとか言われても困りますわー.日本語は話者数世界トップ10に入る大言語なのですが.ちなみに欧州なんかだと日本の10分の1くらいの人口しかいない小国にもちゃんと日本語学科が設置されて現地語で日本研究の論文が書かれてたりします.日本語学習者って世界中にいるので日本語で論文書いてもガラパゴスでも何でもないんですよね.日本人は勉強して英語論文を読んでいるんだから日本人以外も勉強して日本語論文を読んでください.
id:nt46 ペレルマンの論文はポアンカレ予想という関心分野で他の数学者がその正しさを検証したから業績になってるのであって、事実上査読は行われている。
それが査読になるなら日本語の著書や無査読紀要論文も出版後に多くの同業者が読んでチェックしてるから事実上査読つきですね.ありがとうございました.
id:steel_eel 本質は学問が正当性を確保するためのクロスチェックがどう機能してるかであり、その点で現状ベターなのが英語の使用&査読でチェックを受けるシステムなわけで、それが無いなら代替の何があるのかを示さんとな。
分野によるという話をしています.たとえば日本に関する研究なら別に日本語でもいいですよね.日本史や日本社会を研究しているのに日本語の論文を読めない研究者は三流以下なので,そんなひとに査読を頼んでも別に正確性や信頼性が向上するわけではない……というのは理解していただけますか? 日本以外の地域の研究にしたって,前近代の中国史を扱うならば,中国人研究者が日本語の著作を引用したりする世界なので,日本語で書いて査読してもらえばよくないです?
id:operator 日本語か英語かではなく、国際学会のトップカンファレンスを目指して研究したこともないのに教授になれるの?というのが理系からみた驚きなんでしょ。日本古典文学の研究も、英語で文学分野の国際学会に出せるよね。
だからなんでその「トップカンファレンス」の言語が英語である必然性があるんだと小一時間.確か日本文学については日本語が公用語の国際会議みたいなやつはあったはずですし,ロシア文学の国際会議はロシア語でやるはず.英語以外の言語を発表言語に指定されたカンファレンスは出たことあるけどまああれはトップカンファレンスではないか.ともかく,その「トップカンファレンスの公用語は英語」という思い込みをまず捨てやがれください.そんなん理系や一部文系分野のローカルルールでしょ.
id:tarume バベルの塔を折りたい人。なにが"なんとも愉快な未来予想図"だか、英語コンプレックス隠せよ / 知を共有するために論文書いてんだから、まずは一人でも多くの人間が読める言語で書くのは当然でしょ。自国語訳はその後
文系がバベルの塔を折りたがってるんじゃなくて,そもそも文系には共通言語がはじめからなかったという話です.なかったものを探究しろと言われても……
http://anond.hatelabo.jp/20160903194513
選定基準は
・他文庫で手に入りにくい
・ジャンル小説寄りだったり、わりとライトに愉しめる感じのやつ
順不同
脚本家・ミステリ作家として有名なデュレンマットの粋が収められた傑作選。
デュレンマット独特のケレン味の効いたツイストは、高度な本格ミステリに馴れた現代の読者にも新鮮な驚きをもたらす。
ちなみに「巫女の死」は『オイディプス王』をベースにしているが、本文庫で『オイディプス王』は出されていない。すなおに岩波で読んでおこう。
・ウォー『ご遺体』
第二次大戦前後の暮れゆくイギリス貴族やイギリス男性の生態を皮肉たっぷりに描くユーモア作家イーヴリン・ウォー、その傑作の一。
セレブが利用する葬儀社兼霊園で働くことになった青年をとりまく変なキャラたちが見どころ。
夏目漱石がイギリス留学時代に部屋に引きこもって読みふけったという文豪スティーブンソン。
日本で知名度の高い『ジキル博士とハイド氏』や『宝島』もこの文庫に入っているが、実は最高傑作と言われているのはこの『新アラビア夜話』。
ボヘミアの王子フロリゼルを主人公に、ミステリーのようなファンタジーのような摩訶不思議な短編が並ぶ。
・ブッツアーティ『神を見た犬』、ピランデッロ『月を見つけたチャウラ』、ロダーリ『猫とともに去りぬ』
ここらでイタリアを代表する三人の作家の幻想短編集をつまんで、ラクしてライバルに差をつけよう。
ロダーリはあたたかみのある笑いを、ピランデッロはどこかとぼけたシニカルな味わいを、ブッツアーティは得体のしれない不安をあなたに提供してくれるはずだ。
ならば,フレンチ・ノワールの法王(本当にそう呼ばれている)パトリック・マンシェットだ。
ノンストップという形容すらなまぬるいほどの疾走感で綴られる犯罪劇は、頭で理解するではなく、心で感じるんだ。
エリート寄宿舎学校! 生徒内権力争い! 美少年! 同性愛! いじめ! 実存主義!
全部もってけ、あなたがたが欲しているものはすべてここにある。
・ロブ=グリエ『消しゴム』
とはいえ、基本的にどうでもいい情景描写が七割くらいを占めているのでそこを飛ばせば一気に読めるぞ!!
リオオリンピックは終わったが、文学の聖火はいつでもブラジルで燃え盛っておるぞ!!!!!