家族も友人も恋人も気まぐれで、自分を全肯定してもらえるわけでもなければこちらが全肯定できるわけでもないと、そんな風に思っている
なのでそういう存在がほしいという願望そのものはわかるけど、それがこの世のどこかに実在するはずだというのは正直あまり想像していなかった
アイドルにしても同人作家にしても何かのコンテンツにしても、いずれ必ず自分の思い通りにならなくなる時が来る
それを裏切りか何かのように言うことの方が違うんじゃないだろうか
増田で散々あの手の長文を読まされてもなお、心のどこかで実在を信じられない自分がいる
「そんなこと言っちゃってさぁ、どうせ嫌いなものに火をつけて誰かに叩いてほしいから、そんな大げさに書いてるだけじゃない? すげー冷静じゃない?」みたいに思ってしまう
これが長文だったらもっとウケたよ、惜しいね
一文がなげえよ もっとくぎれ ロシア文学かよ