http://anond.hatelabo.jp/20141003100544
とブコメ「好きな物を評価されるよう啓蒙するか、そうじゃないものの評価を下げようとするか」に触発されて。
どちらかというと、自分は高次なものを読んで、低次なものに共通点を見いだして一人悦に入るタイプだとわかったので、記録してみることにする。
ここでのホンモノ=より高く評価されているジャンル、およびオリジナル、ニセモノ=より低く評価されているジャンル、およびコピーとする。
ちなみに嫌いなホンモノやニセモノも当然ながらある。映画は自分にとっては舞台のニセモノで、基本、CGが多用されたアクション映画しか受け付けない。
好きなホンモノはシェイクスピアやドスト。嫌いなホンモノは伊坂幸太郎。嫌いなニセモノは特にないが、ラノベは読んだことがない。
望月哲男曰く、“19世紀ロシア小説の百科事典ともいうべき体裁をなしている。プーシキン『オネーギン』、トゥルゲーネフ『猟人日記』、トルストイ『戦争と平和』、ドストエフスキー『罪と罰』、チェーホフ『黒衣の僧』『桜の園』からのアリュージョン。また、19世紀のロシアの小説に現れるモチーフを混ぜ合わせた一種のカタログ的な側面がある”という本作。高次なものの高次なコピーなので一般受けするかどうかというと違うと思うが、割と読みやすく大衆的ではあると思う。途中までは。途中からは文学を殺している。早稲田文学の力もあって、作者ソローキンは、最終的には篠山紀信にグラビアを撮られる程の人気を獲得した。
ヒトラーに関連する作品は、どうも反省や真面目さを持ち合わせたものが多い。ヒトラーを嗤う。ヒトラーと笑う。この恐怖体験を面白く思ってしまうのは何故だ?もちろんヒトラーのパロディならミュージカル「プロデューサーズ」の中でも見られる。しかし、あの作品ではヒトラーはゲイが演じていた。今回はヒトラーそのものが、緻密なリサーチの上に、いかにも言いそうなことをくっちゃべる。それがなんだかおかしくて笑えてしまう。彼が目指した理想の方が、現状のドイツ(極右政党や移民問題に揺れる)より良く見えてしまうことがあるのは気のせいか?
好きなホンモノは17〜19世紀はだいたい。嫌いなホンモノはフェルメール。嫌いなニセモノはあまりいないが、村上隆には興味がない。メインカルチャーすぎてニセモノがホンモノっぽい。
3. エドゥワール・マネ『フォリー=ベルジェール劇場のバー』
マネがゴヤ、ベラスケス、ティツィアーノなどのポーズをそのまま借りてきたことは有名。エル・グレコの影響も指摘される。正直言ってゴヤ『1808年5月3日、 プリンシペ・ピオの丘での銃殺』の模倣である『皇帝マクシミリアンの処刑』はとてもじゃないがホンモノに敵うとは思わない、マネがマネなりの政治的・美術的な意図を作品に込めたことを加味しても、だ。しかしながら、総合的に過去の画家たちを再構築したことに加え、何と言ってもベラスケスの『ラス・メニーナス』を解釈した絵、『フォリー=ベルジェール劇場のバー』が素晴らしい。『ラス・メニーナス』にまつわる作品は、ピカソもダリも多数残しているが、そのいずれもがマネには及ばない。他の拝借作品に比べ、鏡のある構成・見つめられる人の不在の2つ以外、共通点がないマネ独自の構成が光る。
NYホイットニー美術館で回顧展。バルーンを模したいくつかのアートがあるが、明らかにビニールにしか見えないチープな質感の『ハルク』は実はブロンズ製。ブロンズでバルーン特有の皺を模すという、高価で難しいものを使って、安価で簡単なものを再現する試みを行なっている。写真で見ただけでは決して分からないだろう、その意味のない凄さが凄い。1億6千万の値がついたというマイケル・ジャクソンの陶器も、スキャンダラスな話題性ではなく、実はアートとしては失われつつある高度な陶器制作技術をつぎ込んである、と考えることもできる。
ミュージカルそのものが、オペラやバレエの下位互換である。という風潮は、ある程度あるように思える。
この場合複雑で、自分はホンモノに興味が持てない。高い金払ってオペラを見てもあんまり感動しないのである。
一方、ロイヤルバレエを出てミュージカルスターになることを選んだアダム・クーパー(今度来日)のように、この世界ではクラシックなトレーニングを積んだ人が続々出て着ている。
5.ジェロニモ・ラッチ
現在ロンドンでオペラ座の怪人のファントムを演じているが、将来ジョン・オーウェン=ジョーンズや、ラミン・カリムルーに次ぐ世界的なスターになるに違いない逸材。アルゼンチンでクラシックのトレーニングを受けてきた。なぜミュージカル界に進出したのかはよくわからない、しかも英国。ファントムの前はレ・ミズでJVJ役をやっていた。
6.シエラ・ボーゲス
今更だが、やはり彼女はソプラノのミュージカル女優としては別格。彼女もオペラのトレーニングを積んでいるが、あのサラ・ブライトマンと比較しても、こっちが怖くなるくらいの情念の込め方で、単なる美しい歌を、心を締め付ける歌に昇華させる無二の能力を持っている。サラのオペラ座の怪人と比較すると、ああ、シエラがオペラ歌手にならなくて本当よかった、と思うのである。鼻とかぐじゅぐじゅで、めちゃめちゃになっても歌い続けるような、そういう地に足がついた役者根性を感じる。
7.Avenue Q
こんなトニー賞を取ったような超メジャーな作品を挙げるのも何だが、ブロードウェイの代表作として。パロディ・ミュージカルは数多くあり、今年も50 shades! The Musicalなどが上演されていたが、その中でも珠玉の出来を誇り、オフ・ブロードウェイで今も上演されている。ジム・ヘンソンのマペットを使いセサミ・ストリートを思わせる設定と楽曲で、普段はクチにできない本音をぶちまける。その後作曲家はもう1つトニー賞を取った後「Let It Go」でアカデミー賞受賞。
バレエはオペラにとっては添え物、現代ダンスにとっては堅苦しい教科書的な物と見なされる、難しいポジションにある。
8.クランコ「オネーギン」
オネーギンはコピーなのか?オリジナルなのか?翻案なのか?単なるアダプテーションではないか、マンガをアニメ化するのと同じじゃないか、ニセモノと呼ぶとは何事だ、と、きっとあなたは言うだろうが、オネーギンには本来の作品にあるべき重要な要素が2つ欠けている。まず、オネーギンは韻文小説であって、詩のような形態で描かれている。ダンテの神曲と同じく、単なる小説ではないのだ、とはいえ我ら凡人が、ロシア語を学び本来の魅力を解することはおそらく一生ないであろう。というわけでバレエにしてくれるととっても有り難い訳だが、ここでつけられた音楽は、他の物語型バレエ作品と違って書き下ろされたものですらなく、チャイコフスキーが奥様向けに月刊誌に書いたピアノ曲をオーケストラにアレンジしたものである。このように、他のバレエ作品に比べて若干不利になる要素を持っている本作だが……結果はどうだ。シュツットガルトだけが持つこの演目を、自らのレパートリーに加えようと、世界中の著名ダンサーが客演にくるような、まさにワン&オンリーの珠玉の名作に仕上がっている。人々の所作を振り付けにしてしまうのは、この時代のバレエの特徴で、クランコはその名手。昔はストーリーとダンスが完全に分離されていて、ストーリーはマイムで進んでいた。
9.モスキーノ
ジェレミー・スコットの就任で、故・モスキーノを上回る直接的すぎるパロディ・ファッションを世に送り出したモスキーノ。就任直後の2014a/wコレクションはマクドナルドが元ネタだった。
http://youpouch.com/2014/02/25/174143/
モスキーノ自身が持ち合わせていた反骨精神、批判精神、風刺の能力を彼がどこまで発揮できるかが見物。
10.冨樫義博
作品の中でいくつか画像をトレースしたことで知られるが、28、29巻の表紙ではマネよろしく古代美術のポーズを借り、また30巻表紙では2年越しの伏線を仕込んでいるなど無駄に芸が細かい作者。マネは足がなくなり、ゴヤは耳が聞こえなくなっても描き続けていたのに……という気がしなくもないが、やはり彼の行動原理は極めて特異だと言えよう。それは、野火ノビタも指摘する、「強制された身体のマイナスへの変化と、強さに相関がある女性」への異様な執着である。玄海、躯、ビスケ、パーム、コムギ、カイト、キメラアントになったレイナも、もしかしたらアルカも。玄海以外は皆、見た目がマイナスに変化する方が強くなるという特性を備えている。そこに共通するのは、極端なまでの女性の“自立”であり、“私はわたしである”というぞんざいな主張形態である。好みの女性のタイプとして、「見た目がいかつくて、強くて、自分を持っている人」と答える人は、「見た目が華奢で、守ってあげたくて、頼ってくれる人」と答える人に比べると圧倒的に少ないと思われるが、冨樫は、冨樫だけは、なぜか前者に“変化させられる”女性が大好物なのである。
そして、怪物の戦いを描く時、冨樫は必ず怪物の味方をする。更に言えば、怪物の味方をしてくれるから、もしくは自分も怪物であることに気付いたから、という理由でしか人間を肯定できない。それは「君と僕はおなじだ」という同質性への反応であり、「私とあなたは全然違う、私はわたしだ」という状況に身体的に追い込まれた玄海、躯、パームなどと対極をなす。そして、男性は、(女性に比べればよっぽど自分の意思で、積極的に)怪物化する。幽助も、目の移植を受けた飛影も、ゴンもだ。さらに、怪物化した男性は、“自立”した女性に縛られ、ある種“依存”する。戸愚呂の玄海への、飛影の妹への感情が形を変えた躯への、メルエムからコムギへの、コルトのレイナ(とカイト)への、ゴンとコアラのカイトへの、キルアのアルカへの“依存”は、このように示される。「お前があって自分がある」。こうした究極の女←男の関係性を何度も描き続けているのが冨樫義博であり、男性作家のこういった表現への執着は世界でも類を見ない。いや、そんなことないか。なんか、ヒラリー・スワンクはいつもそんな役どころな気もする。まあどうでもいいや、出来るだけ多くの芸術を見てこようとしたけれど、その一つ一つが冨樫義博をより特別な存在にしていく。たかが漫画。たかが漫画なのだけどね。「あたちに謝りながらあたちの言うとおりに働いて あたちのために生きるんだ」と蟲になっちゃった女性が男性に言い放つ、これが冨樫イズム。
もちろんホンモノ/ニセモノなんて区切りはこのエントリでしか通じない区分けで、世間には通用しません。
ここではあえて、ラノベみたいに「くだらねー」「所詮○○」ってレッテルを貼られそうなものを、「ニセモノ」と書いてみました。
ただ、いろいろな芸術を見て思ったこと。ライトノベルが純文学より面白いとか、そんな逆転はありとあらゆる場所で起こっている。じゃないとバンクシーとかどうすんのさ。
入れようと思ったけど、仮にも「ニセモノ」と呼ぶのがおこがましいと思ったインスピレーション系作品は高橋源一郎「日本文学盛衰史」。あれは評論として受け止めるのが正しいかと思って。
正直「元ネタ」と「パクリ」の区分が自分でも難しかった。ま、とにかく自分はパロディが大好きなのである。ラップのサンプリングとかも好き。圧倒的にオリジナルが好きな物もあるけどね(高慢と偏見/ブリジット・ジョーンズとか)。あと冨樫義博が好き。
なんか前書いたやつがブクマ300超えちゃったみたい。コメント読んでないんだけど、調子に乗って、ぼくがこれはラノベよりひどいなと思った有名な人気小説を紹介したいと思う。 どれ...
http://anond.hatelabo.jp/20141003100544 とブコメ「好きな物を評価されるよう啓蒙するか、そうじゃないものの評価を下げようとするか」に触発されて。 どちらかというと、自分は高次なものを...
ソローキンのみならず、20世紀以降のロシア文学は、19世紀のパロディであるといっても過言ではないと思う。 そもそも、ロシア文学においては大元のプーシキンが西欧のパロディをや...
やはりラノベばっか読んでると本の感想もろくに書けない 表現力も文章力も壊滅的な馬鹿になっちゃうんだね。
それぞれの本の感想は面倒臭いから書いてないだけで、 おそらく増田の本旨は下の文章の方だろうか。 これらはどれも超人気小説なのであり、世間で評価されてるわけで、グダグダ言...
何が嫌いかより何が好きかで本を語らないのはどうして?あなたがラノベ好きなら、好きなラノベ10冊挙げればいいじゃん。わざわざ”嫌い”を発信したい意味が分からん。
割と「嫌いとは口で言ってるが、下の口は自分の欲望に素直なようだな」的な記事のように見えるんだが。それなりに愛は見え隠れしとるだろ。
こんな極端で独善的な思考をするやつが、他人の書いた文章を読解できるとは思えないんだが。 ネットで良く馬鹿にされるけど、「作者(登場人物)はどう思ったか?」って、他者の思...
ネットで良く馬鹿にされるけど、「作者(登場人物)はどう思ったか?」って そもそも「作者はどう思ったか?」って設問は無いよね。「登場人物はどう思ったか?」ならあるけど。 ...
「作者はどう思ったか?」って設問は無いよね。「登場人物はどう思ったか?」ならあるけど。 いや、あるでしょ。 主人公=作者であることを念頭に小説を扱う場合もあるでしょ。 野...
あれはただの小噺だから・・・
ラノベvs小説論争はもうどうでもいいんだが 結局は、「萌え」とかいう要素をただただキモいと思う俺のようなやつが たくさんいるってだけの話だと思う。
冷静になって考えてみろよ。「殺人鬼のトリックと犯行理由を推理してみる」やつとか、本来かなり性悪というかキモい部類だろ。 だけど、福山雅治が主人公として据えられればそこは...
「ラノベが嫌い!」とか 「ラノベ以下!」とか ちょっとくくりが大きすぎやしないですかね。 最近の一般書籍で売れてるのは一様にラノベ化してる気がするし、そのくくりじゃなんと...
ラノベ好きって、叩かれると小説の地位を下げようとするけどそういう行動は典型的なキモオタだよね
モリスンとイシグロと志賀直哉は大衆文学じゃなくね というかキングとか東野圭吾とかあとなんだ、セルバンテスとか? ああいう大御所スルーする意味がわかんね 10コ揃えたかったか...
横だけど「見るべきもの」ってのを具体的に知りたい。
元増田に聞いてくれw いや、ほんとにラノベとその辺の大衆文学に差はないよ。基本的にどっちもくだらないのが多い。そしてラノベにも見るべきものはあるってこと。そんなシンプ...
俺妹
『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』が『ビラヴド』や『わたしを離さないで』『暗夜行路』の何をどう超えてきたの? 「ツンデレ妹萌えのハーレムもの、オタク趣味への偏見和え」...
いいから読めよ。 だっせーなー。
いや既読だから言ってるんだけど。 流石に有名どころも読まないでラノベ批判はフェアじゃないでしょ。
俺妹のヒロイン候補では誰好きだった? 俺は桐乃。
桐野はないわー、俺が実妹持ちだからかしらんけどヒロイン視自体がないわーとしか思えん 結婚発言とか流石に気持ち悪い、違和感すごい かといって黒猫とかオタク勢もちょっときつい...
俺妹の良さが全然わからんのだけど 誰にも萌えられないって読んでて辛くない?
超えてるものはないんだね
俺が見るべきかどうかおまえがしるはずがない!
大衆文学よりひどいのがラノベだろ お前曰く志賀直哉を批判するならそれを批判して作品を作ってた太宰治が挙げられるように幅広い 更に過去の小説家を踏まえた上で作品を作るのが前...
古株(自称)としてはなにより記法ミスがきもちわるいようぅううう
誰も山田悠介に触れないのは、彼を「作家」としても認めてないから?w
そう思うならそうなんだろう お前の中ではな、としか。 そもそも傑作の名前を挙げるだけでその中身の検証をしていない段階で全く説得力がない。
http://anond.hatelabo.jp/20141003100544 文学部がカントやヴェーバーやアドルノを絶対読んでるって、んなこたない。 社会学とかちょっとチャラい感じの分野やってる連中は確かに読んでそうだけ...