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<当記事は『バットマン vs スーパーマン』の重大なネタバレを含みます>
男「……どうだった?」
女「……いや?」
男「……ん?」
女「だめでしょ……完全にだめでしょ……『バットマン・フォーエバー』よりダメだったでしょ……映画版『DOOM』よりダメでしょ……」
男「客あんま入ってなかったね」
女「むしろ観るべきでしょ。みんな観るべき。オススメしてもいいくらい。汝が敵を知る目的のために観ろと」
男「俺ならオススメされてもいやだね。単につまんないってだけじゃない。おれこれ嫌い。大嫌い」
女「上映中寝てなかった?」
男「寝れないでしょ。だってうるさすぎだし」
女「お酒でも飲んでたらアイゼンバーグの演技もすこしは真に迫って見えたかもね」
男「各所でいじられてるようだけど、バットマンを演じていたベン・アフレックは悪くなかったよね」
女「そうそう。ベンアフは悪くない。髪型もキマってたし、何より雰囲気がいかにもブルース・ウェインって感じだった。
演技よりは脚本がひどかった。
キャラクターが浅薄すぎ。登場人物全員。『マン・オブ・スティール』に出演した面々でさえそう。
初登場のバットマンについては前からファンの注目を浴びることはわかってたはずでしょ。絶対に『ダークナイト』三部作と何が同じで何が違うのか、比較されるのは避けられない。
それが何? あっちにふらふら、こっちにふらふら。『おれは孤独だー地下にひきこもるぜー」とかなんとか基地でやってた次のカットには、パーティで社交してる。スターク社長かっつーのお前は」
男「スタークのプレイボーイキャラはアル中の素でやってるけど、ウェインのは演技だよね。社交用の仮面をかぶってる。だからさ、アフレックが悪いんじゃないんだってば」
女「そう、全然悪くないんだけど」
男「そもそも俺、ザック・スナイダーの作品嫌いなんだよね。『エンジェル・ウォーズ』もクソだったし。何あのメンヘラの妄想。
今回のBvSには彼の監督としての弱点がほぼ全面に駄々漏れてしまっているように思う。
そりゃ、いいところもあるよ。ときどき素晴らしいアクションシーンを取るし、火の表現にはこだわりを感じる。観てて時々はいい映画に思えてくることもあるんだ」
男「そう撮影監督が良い。スーパー・ビーイング同士のバトル描写は新鮮だったし、ダークな雰囲気にもしっくりハマっていた。この暗いトーンというのがくせ者で、ノーランのときはちゃんと機能してたんだよね。
ところがワーナーはノーラン以外にもノーランみたいなトーンで描くことを求めてしまった。ジョークは入れるな。笑えるようにするな、ってね。『グリーン・ランタン』はその最たる犠牲者だよ。
ワーナーは、250億ドルもの予算を任せるにあたってスナイダーならノーラン路線を継承できるだろうと考えた。そして脚本家たちに今後シェア・ユニヴァースを展開できるように膨らみをもたせたホンを書かせようとした。
一方で、出資者たちが求めたのはマーベル/ディズニーみたいなヒーロー映画だったのさ。そして……」
女「ちょっと待って。『アベンジャーズ:AoU』も似たようなもんでしょ。AoUは『やらなきゃいけないこと』が多すぎた。ちょうど、マーベル・シネマティック・ユニバースが次のフェイズに移行するための大事な試金石だったから、AoUはむりくりなプロットにならざるを得なかった」
男「そうだな、たしかに同じ問題を抱えていた。
けど、AoUはなんとかそれを乗り切ってそれなりの支持を集めただろ。
理由は二つある。
一つ、AoUの監督だったジョス・ウィードンがザック・スナイダーより優れた監督だったってこと。
二つ目、各キャラクターが均等に、特に彼らの感情が均等に仕込まれていたってこと。
なんたって、どのキャラクターも『自分の映画』でキャラを掘り下げてきたんだからね。
ストーリーが多少薄かろうが、誰だってアイアンマンを知ってるし、ソーを知ってるし、ホークアイを、フューリー長官を知っている。
事前に他の積み重ねてきたキャラ造型を"収穫”すれば、『アベンジャーズ』ではキャラの説明に要する時間を節約できる。ところがBvSときたら……」
女「しょうがないところもあるよ。ここ十年のマーベルとDCのシネマティック・ユニヴァースを比べてみてよ。マーベルが順当に年輪を刻んできたのに対して、DCはリブートや路線変更や主役俳優の交代が相次いで、積み重ねなんかほとんど残らなかった。
DCはBvSただ一作品だけでマーベル映画十六年分の歴史においつこうとしているのよ」
男「そうだね、マーベルは長い時間をかけて準備してきた」
女「マーベルには一つの確かなメソッドが確立されている。新キャラが紹介されて、今後どう他のキャラと絡んでくるのか、そういうのが映画全編を通しで観なくてでさえわかっちゃう。セリフやカメオを拾ってるだけでもね。マーベルは観客を巻きこむ術を心得ている。
女「BvSの冒頭はすごくクールだった。
『マン・オブ・スティール』のバトルシーンをウェイン目線の別アングルから再解釈する。これはすごい良いアイディアだったと思う。そこまではほんと良かったんだけど、その後がもう陳腐の極み。
恍惚とした表情で天国に召されるブルース少年を観た瞬間、がっくりきたでしょ」
男「脚本がとにかく浅いし弱い。ファンは批評家の『暗すぎるトーン批判』を批判してたけど……」
女「だって楽しくないんだもん」
男「いやそれは問題じゃなくて」
女「問題でしょ」
男「いや『バットマン・ビギンズ』も楽しくはなかったよ」
女「あれは楽しいものだったたよ。『楽しい』の定義が違うな。『ビギンズ』はいっぱいアクションシーンがあったし、エキサイティングだった。次から次へといろんなことが起きて観ていて飽きないんだ。
でもBvSは『楽し』くない。キャラがお互い見つめ合ってるだけでしょ」
男「うんああまあ確かにそうだな。トロいんだよな全体的に。いらないシーンが多すぎるし、なおにプロットは穴だらけ。ワンダーウーマンが登場してからはアクション映画としてすごかったけれど」
女「それは本当に『すごい』と形容していいものかな。単にその前の部分より『マシ』だったってだけじゃない?
アフリカの村で大量虐殺事件が起きました。それでスーパーマンはみんなを救えるわけじゃないんですってんならまだわかるけど、『おい! スーパーマンが村人を撃ったらしいぞ!」ってのはどういうこと?
スーパーマンが銃で人を撃ったりするわけないだろが!
なに疑ってんのあの世界の人らは。
だいたいフィンチ議員が意味不明すぎるんだよ。なんであんなキレてるの? 彼女はレックス・ルーサーに対してどういう感情を持ってるの? 結局何がやりたくて動いてるの?
マーベル映画のキャラたちはそれぞれの拠って立つところが明確なのに」
男「ストーリーも感情も描写不足。演出もそんなによくない。まあ、結局しかし脚本なんだよな」
男「一番がっかりしたのはメインイベント――つまりタイトル曰くの『バットマン vs スーパーマン』のバトルだ。
バットマンが優勢で――スーパーマンを負かしつつあったんだけど」
男「いいんだよ。いいんだけど。
よし、このままバットマンがスーパーマンの野郎を吊るして処刑だ! ってなったところでさ、いきなりバトルを中断するわけ。
それでバットマンが『マーサって俺のママの名前じゃん! お前、ママを知ってるのか! じゃあ……友達ってことだな!』――仲直り!
……おいおいおい待てよ、と」
女「(爆笑)」
男「××すぞと思ったね。さすがにね。そして始まる例の回想シーン」
女「ほんともうかんべんして欲しいよね。もういいじゃん。もう観たくないよ。だってみんな知ってるでしょ? 『バットマンのクソ両親は殺されました』って。何回それやれば気が済むのって話。バットマンには悪いけど」
男「ドゥームズデイ倒したあとさ、二つの葬式が平行して描かれるじゃん。映画の演出の方向性としては、観客にあたかもスーパーマンがマジで死にましたみたいに誘導してるんだろうけどさ。
観てるほうは『ねーよ』ってハナから白けるよな。
スーパーマンの死で終わるスーパーマン映画がどこの世界にあるっていうんだよ。
いいか、アメコミの世界には絶対生き返らないキャラが三人いる。
そのうち二人はブルース・ウェインのお父さんとお母さん。
残りの一人はスパイダーマンのベンおじさんだ」
女「その三人、ほんとうんざりするくらい死ぬよね」
男「必要な死ではあるんだよ。そのヒーローのオリジンの深い部分に関わる死なんだから。この三人以外の奴らは逆に死んでも生き返りまくる。スーパーマンも当然生き返る。
だいたい『ジャスティス・リーグ』の予告見てるんだから、スーパーマンが死なないことくらいわかるだろ!!!
それなのに十分そこいらもちんたら葬式やって悲しいですね、って何の茶番だ!1!!」
女「『ジャスティス・リーグ』の前準備としてもガタガタだよね。
何あの十五年前のドラマみたいなしょぼいインターネット描写は」
男「おじいちゃんにとっては電子メールはいつも秘密めいてみえるんじゃないんですか」
女「ダイアナ・プリンスがバットマンを出しぬいてハイテク機器を盗みとるじゃん。それでいて、『あら大変。これわたしじゃ解読できないわ』ってなんだそれ女子か。写真をバットマンから送ってもらうために盗みを働くってどんだけ遠回りなのよ。いまどきアマゾネスでも Amaazon.com で買い物できるっつーの」
男「あー」
女「で、さあ、その機密ファイルにアクアマンが出てくるじゃん。沈没船から出てきてトライデントを振りかざしてワーっなるやつ。観てて、ほんとくっだんねーと思った。
あの場面にDC映画のひどさが凝縮してたね。脚本家の怠慢の象徴だよ。マーベルだったらクビ間違いなし。
繰り返しになるけど、マーベルのキャラはどこへ向かって収斂していくのかはっきりしているし、一方でファンが喜ぶ要素をよくリサーチしてる。だから私たちはネットで話題をシェアしたりリツイートしたりいいねしたりするんだよ」
男「もちろんマーベルだって完璧じゃない。現場と上層部がクリエイションの方向性の相違から何度もトラブルをおこしている。エドガー・ライトやウィードンが去ったのもその一端だ。それでも比較的いいものを作り続けている」
女「一番不出来なマーベル映画でさえ、一般的には『良い出来』だよね」
男「公平性を期して言うなら、DCはテレビドラマだと面白いエンタメを作れるんだよね。
いっそ、ドラマをそのまま映画にもってくりゃあいいのに。俳優もさ。そっちのほうが断然いいものが撮れるはずだよ」
女「アメリカではテレビの俳優は映画に出演しちゃいけないって不文律が存在するっていうよね。真偽はわかんないし、都市伝説みたいなもんだけど。
でも、もしDCがそのルールを自社の作品に適用してるんだったら……こんなにアホなことはないよ。
DCがモタモタしてるあいだに、ここのところマーベルもNetflixとのタッグを組んで『デアデビル』を筆頭にすばらしいドラマを量産しはじめた。
マーベルならテレビと映画をクロスオーバーさせるくらいのことは軽くやってのけるだろうね」
男「マーベルドラマはマイナーキャラも上手く扱っている印象があるね。『ジェシカ・ジョーンズ』なんか知名度のわりにはよく練られた、丁寧なドラマだよ」
女「ルーサー役のジェシー・アイゼンバーグの演技はどう思う?」
男「なんであんないけ好かないガキになっちまったのかな。レックス・ルーサーじゃなくて『レックス・ルーサー・ジュニア』に変更されたのは何か説明があってしかるべきだったんだけど、そういうのもなかったし」
女「パパに虐待されて育ったから、スーパーマンにコンプ持つようになったみたいな感じだったよね」
男「アメコミの悪役っていうのは前もって完成されたキャラクターだから、実は性格俳優とあまり相性がよくない。良い役者と人気キャラの両立はむずかしいんだ。
アイゼンバーグがどんなにがんばって悪役を演じてみても、観客は『ああ、いつものジェシー・アイゼンバーグだな』って思っちゃう。
一番の問題はロン毛のまま出しちゃったことだよな。
まるで『バットマン vs スーパーマン vs マーク・ザッカーバーグ』ってかんじ」
女「わたしが懸念してるとこもそこ。BvSのアイゼンバーグは一人だけ別の映画で演じてるみたいだった。腰抜けぞろいの他のキャラクターと比べて明らかに浮きまくってたわよ」
男「シリコンバレーで調子こいてるIT起業家を悪役にしてみるか、程度の発想でしかないよね」
女「アメコミ映画のヴィランとしはキャラが貧相だった。ダークサイドに落ちるほどの動機もなければ、ヴィランとしてのヴィジョンも備わってない。
男「たしか、DCのライターで……ジェフ・ジョーンズだったかな? が言ってたんだけど、
『レックス・ルーサーがスーパーマンを憎む理由はこうだ。(ルーサーによれば)スーパーマンのせいで人類は自信をなくし、堕落してしまった。人類は自分たちが作り出した問題の後始末をスーパーマンに任せっきりにしている。
それこそが、ルーサーが『スーパーマンは危険だ』と主張する理由なんだ。ルーサーはスーパーマンを打倒することで人類に強さを取り戻させようとしているんだ。彼はヒューマニストなんだ』」
女「なるほど」
男「ところがこの映画では……」
女「あんまり頭もよく見えないよね。思わせぶりに暗躍しといて、バットマンとスーパーマンを対峙させるお膳立て以上のことはなんもやってない。どんな隠し玉が出るかと期待させといて、四十分前に観客に見せたもの以外は何も出てこない」
男「まあ、さすがにバットマンとスーパーマンがマザコントークでもりあがるなんてのはルーサーも僕達も予想できなかったけどね」
女「おもわずふたりともクリプトナイトで刺したくなったわ……」
男「ドゥームズデイとのバトルシーンはかっこよかった。ワンダーウーマンが登場した瞬間は『これこそ俺が見たかった映画だ!』と興奮したよ。二時間映画を観ていて初めてグッと来た瞬間だった」
女「ワンダーウーマンは余計な描写がないのがよかったよね。『ジャスティス・リーグ』が今から心配だな。DCのクリエーターたちって、自分たちがどこへ向かって何をしてんのか理解できてるのかな? 現場から上層部含めてさ」
男「最初の計画どおり、ジョージ・ミラーに監督させりゃあよかったんだよ。ジョージ・ミラーの『ジャスティス・リーグ』……想像しただけでワクワクしない?」
女「するする。私としてはベン・アフレックでもよかった。でもバットマン役として参加することになったからって、監督からは降りちゃった。もったいない」
男「周囲の非難を恐れたんだろうね。自分で監督して自分で主演するスーパーヒーロー映画って、どうしても嘲笑を免れないだろうし」
女「気にすること無いのに。ベン・アフレックはバットマンのキャラメイクを繊細に達成していた。声もちゃんとバットマンやってたし、演技もすばらしかった。そういや、ジェレミー・アイアンズのアルフレッドはどうだった?」
男「そこそこって感じ」
女「でも、そこそこ止まりでしょ。アルフレッドにしては暖かみに欠けていた。アイアンズがやるとアルフレッドってよりかはルシアス・フォックスっぽいよ」
男「あー、『GOTHAM』は観てる? ドラマの」
女「いや?」
女「『ゴッサム』はねえ……観たかったんだけどさ。CMでウェインの両親が死ぬシーンをやってるのを観てさ……ちょっと耐えられなかった」
男「三十分前からお前そればっか言ってるな」
女「別に言いたくて言ってるわけじゃないっての」
男「批評家から叩かれまくってる反動か、BvSを過剰に擁護する人たちがいるね。『人生で最高の一本』だとか」
女「何言ってんだか」
男「そういう人には『君はもっと映画を観る必要があるね』としか言えないね。人生で他に観た映画がこの前の『ファンタスティック・フォー』だけなのか? 『市民ケーン』を観てみなさいよと。どっかからダークスリラーの名作リスト探してきてさ、かたっぱしから鑑賞すればいいよ。そうすれば暗い世界観に相応しいキャラ造型やストーリーメイクが理解できるはずだよ
世の中にはもっとすばらしい映画があるんだって、増田にも知ってもらいたいな」
参考:
https://soundcloud.com/rottentomatoes/batman-v-superman-is-rotten
源氏物語のヒロインの一人で、女性の平均寿命27の時代に年齢は60才手前で仕事は有能でセンスも良いが大変色好みな老女、日本一の美形光源氏とその親友のこれまた美形なプレイボーイ頭の中将に目をつけて二人と寝るわけだが、紫式部の小姑がモデルと言われてるだけあり、若作りな男好き老女は滑稽に描写される道化役だ。
母親はこんなみっともない女は嫌だわーと言うのだが、私的には老女になって有能に仕事をこなし、超美形二人とやれた彼女はかなり羨ましい。
いやだって生きてるのが化け物みたいな年で当代一の20の美青年二人を食えるんだよありがたいやん、しかもそれ許容して彼女を愛する恋人まで居るんだよ羨ましい。
髪だけは美しくて、顔は赤鼻で奇形レベルのブス、一般常識皆無、毛皮を羽織るような気味が悪く奇特なファッションセンス、趣味の琴は下手で学もないし空気も読めないし間が抜けてるバカ、ただ性格は非常に純真で一途。
みたいなキャラなんだけど、光源氏が美人と勘違いして友達のプレイボーイと競って落として、顔を見たらモンスターでしたみたいなギャグ担当の姫で、あまりにも一途で徹底してブスでバカだった為に存在忘れてる間に飢え死にしそうになっていたからハーレムに住まわせて一生面倒を見てあげましたみたいな光源氏の優しさを表すキャラでもある。
彼女は自分と光源氏の関係をわかっておらず、浮気だけど素晴らしい旦那さんのお嫁さんだとずっと信じて幸せそうだ。
その末摘花を主人公にした歌舞伎があるんだが、顔は悪いが琴は見事で学もあり性格もよく気のつく健気な女性になっており自分の立場も解っている、源氏が恋人の花散里(この人も中の下レベルの癒し系ブス)に送った文が間違って届き喜ぶが、遅れて久しぶりに来てくれた光源氏の話を聞き、浮気な光源氏を捨てて心の美しさに惚れた一途な盲目の男を選ぶみたいなストーリーなのだが、全く取り柄がなく愛されなくても一途に信じて想うだけで一生裕福に暮らさせて貰えた末摘花と、ブスなだけで取り柄まみれだったから盲目の男に愛された末摘花、どちらがブスに優しい話なんだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20150916220858
以下は某所からのコピペ。実はそんなに洋楽に詳しいほうではないので、もっと面白いものがあったら知りたいというのが増田にした動機です。ご教示よろ。
エア・サプライ「渚の誓い」(1983)原題:Making Love Out of Nothing at All
これなんと主人公はフットボールのスタープレイヤーにしてプレイボーイなのだ! チームを勝利に導く方法も、スタジアムを喝采させる方法も、リッチになる方法もみんな知っているし、女性を口説く方法も、落とす方法も知り尽くしているが、本気で好きになった相手の心をつかむ方法だけがわからないと嘆く歌。「渚」も「誓い」も関係ねぇ!
ノーランズ「恋のハッピー・デート」(1980)原題:Gotta Pull Myself Together
失恋した女性が「立ち直らなくちゃ!」と自分を叱咤激励する歌。実は全然ハッピーじゃねぇ!「私はバカだったわ」とか「泣き顔なんて見たくないでしょ?」とか「あなたがサヨナラを言ったんだもの」とか、わりと聞き取りやすいフレーズが頻出するのに、何考えてこの邦題つけたんだか?
シャーリーン「愛はかげろうのように」(1976)原題:I've Never Been to Me
主人公のセレブでリッチな女性が、平凡な主婦を相手に、自分は世界中を旅して回ったけど自分自身に巡り合うことはできなかった(今日びで言うところの自分探しに失敗した)と愚痴る歌。「あなたが手にしているものが本当の幸せなのよ」と上から目線の説教にも聞けて、聞き方によってはけっこうムカつくこともできる。
ウイングス「心のラヴ・ソング」(1976)原題:Silly Love Songs
他のほどぶっ飛んでないけど好きなので。くだらないラブソングだらけだと嘆く向きがあるがどこがいけないんだ、俺は世界中をそのくだらないラブソングで埋め尽くしてやろうと思ってるんだ、と開き直っている歌。「金髪先生」という深夜番組でたまたまドリアン助川氏がこの曲の解説をしている回を観た記憶が残っているが、これどう考えても主催ポール・マッカートニーがかつての盟友で袂を分かったジョン・レノンを意識して書いたんだよねという説に全力同意を感じた。
カイリー・ミノーグ「愛が止まらない」(1976)原題:Turn It Into Love
嫉妬に怒り狂う友人に対して「その怒りを愛に変えるのよ」とアドバイスを送る歌。その友人を嫉妬させている張本人が主人公とも解釈できる歌詞なので、もにょる。止まらないのは愛ではなく愛とは真逆の感情なのだ!
カーペンターズ「遥かなる影」(1970)原題:Close to You
金髪碧眼の、とってもハンサムなボーイフレンドが他の女の子達からチヤホヤされるのを見て、心を焦がす女の子の歌。でも歌詞に屈託がなく明るいことが、主人公のいい意味での若さ・幼さを感じさせる。ぜって~ぜって~邦題の与えるような大人びたイメージではないのだ。
「モテる」というのを「自らは受け身で何もしないのに異性(あるいは同性)からちやほやされ、求愛される」という意味で用いるなら
ゲイは別かもしれないが少なくともノンケの男の場合、モテる男は殆どいないんじゃないかって思う。
何故なら恋愛において「男は追いたい生き物」「女から告白すると安く見られて大事にされない」という言説が支配的だからだ。
そういう、恋愛は男から動くものという前提のある社会では、恋人や伴侶のいる男性は自ら動いてその結果成功しただけであって、受け身で何もせずにモテた訳ではない筈だ。
女の中には多数のモテる女とそうでない少数の女がいるが、男はほぼ全員が非モテだと言っていいと思う。
いや、そもそも男に「モテ」「非モテ」区分を適用する事自体が間違いか。だって肉食動物を食われる側として語っても意味がないもの。
とにかく、「男は追いたい生き物」という前提の下では、モテる男などまず存在しない。「追いたい生き物」であり「女から追われると冷める」男に、わざわざアプローチする女などいないからだ。
光源氏は美形の色男でプレイボーイだったけれど、自分からガンガン女を求めていたので「モテ」てはいなかったよな…と思う。
何もしないで受け身で女からモテる男なんて、古来から存在しなかったんじゃないか。
思えば日本神話のイザナギ・イザナミの時代から「恋のアプローチは男からするもの」「女から求愛するとよくない事が起こる」という通念があった。そういう固定観念はよくない!女から声をかけてもいいじゃないか!っていうのがフェミニズムなんだけどね。男が基本非モテなのも、そういう男女観が未だに残っていて、それに反駁しようとするフェミニスト的な女を叩いて切り捨ててきているせいなんじゃないかと思う。非モテ男性がモテる為には本来はフェミニズム的な発想こそが必要なのにそのフェミニストを叩くとはアホである。
男に対して「モテる」という概念が生まれたのはおそらく1980年代を過ぎて、恋愛における男女観の固定観念が薄れた頃からじゃないだろうか。その頃からイケメンにキャーキャー言う若い女も増えたように記憶している。
東京ラブストーリーにおいての「セックスしよ」は当時は驚かれながらも肯定的に受け止められていた筈だ。そして1990年代末頃までしばらくはそういう「女が積極的でもアリ」な世の中が続いていた筈なんだが、21世紀に入ってしばらくするとバックラッシュが起こり「女は男に求められるのが幸せ」「女の方から告白したカップルは上手く行かない」「男の狩猟本能を刺激して負わせるように仕向ける」という趣旨の本が売り出され、ネット上の女性向けの恋愛記事も受け身な駆け引きで男からの告白を待つ事を薦めるものばかりになる。こんな状況では余程自信のある女でない限り消極的になるのも当たり前ではないか。女性向けの恋愛ハウツーが「駆け引きを行使して男から告白してもらう」に終始している現状では、よほどの美人か自信過剰でもない限り自分から告白などできない。
意中の彼に告白したい!と思っても、やめておきなよ、女から告白しても振られるよ、もし付き合えても長続きしないよ…と言われ説き伏せられるのが、2015年の現状。
女が自ら「告白したら負け」と思っている訳ではなく、そう思わなければいけないよう仕向ける言説がそこら中に溢れている。
ミソジニストは草食系男子という言葉にやたら敵意を持っていて「草食系なんて、男から言い寄られないブスの言い訳だ!魅力的な女なら男は絶対に積極的に口説く!」という言説が常だが、これって自分達の立場を余計に不利にしているのでは?
「草食系はブスの言い訳」なんて言われたら女の方では「そっかーこの人が何もしてこないのは私に魅力を感じていないからなんだな…じゃあやめとこ」と判断するしかないじゃないか。そこで積極的に図々しくはなれる女は少ないよ…。
非モテの男性はモテたいなら草食系男子という言葉に噛み付くのをやめて
「そうです俺達は草食系で奥手なんです、だから女の人の方から告白してくれるのは大歓迎!」という態度を前面に出せばいいんじゃないの?
モテたい男が否定すべきは何もよりもまず「男は追いたい生き物」「男には狩猟本能がある」という固定観念。これがある限り大多数の奥ゆかしい女はそのまま受け身で消極的なままだ。
2015-02-09
先日のエントリでも書いたとおり、1月に共産党の志位和夫委員長と対談しました。
前回のエントリでは「共産党すごいね」と思えたポイントについて書きましたが、今日は自分向けの備忘録として、対談の中で印象深かったコトをまとめておきます。
対談の中で、党名変更を検討したことはあるのかと質問したところ、答えは「ないですね」でした。
これはけっこう意外でした。ベルリンの壁やソビエト連邦が崩壊して、「さすがにもう共産主義は終わりでしょ」って時期があったのに、党名変更について検討したことがないなんてびっくり。
あたしは(前回のエントリでも書いたように、主に)ブランド価値という観点から、党名維持は正しい判断だったと思ってるけど、そもそも議論もなかったという回答にはちょっと驚きました。
これって共産党の人にとっては「議論する必要さえ無いこと」だったのかな。ほんとに誰も「変えるべきでは?」と思わなかったの?
共産党の政策の多くは大企業に厳しいものなので、「もしかしてグーグルやアップルみたいな大企業がない国が理想なんですか?」と聞いてみたら、そーじゃないとのことでした。
大企業の存在自体は問題ないけど、彼らは十分に儲けてるし、もっと負担を増やしても国際競争に負けるなんてことはない、と思ってると。
後半はともかく、共産党も大企業の存在自体を悪だと考えてるわけじゃないのね、というのは確認できてよかったです。
これもびっくりしました。プレイボーイ誌にも載ってるように、志位委員長は「私たちは世代間で富が偏っているとは思っていないんです」と断言されたんだよね。
えー、そうなの!? あたしは「日本の問題の元凶は(多くの場合)世代間格差でしょ」って思ってるので、この点では全く意見が違います。
志位さんは、「どの世代にも豊かな人と貧しい人がいる」と言われていて、それはその通りだと思います。でも、だからといって世代間格差が存在しないとは言えません。
各世代の中で貧富の差もあるし、かつ、世代間にも格差はあるよね。そしてどっちが深刻かというと、(私は)後者だと思ってます。なぜなら、同世代の中での格差は経済力の格差だけだから。
経済的な格差は税制や社会福祉などの再配分政策で解決できます。でもね、世代間格差は経済格差だけじゃありません。雇用機会の格差であり、一票の価値の格差や投票率の格差でもあるんだよね。
全社員の定年を(65歳まで)延長しろとか、正社員を解雇したければ「その前に新規採用をストップし、非正規雇用の人を解雇しせよ」とかいう法律&判例は、構造的に中高年を守り、若者の雇用機会を奪ってる。
一票の格差においても、票の重さは地方と都市部で比較されることが多いけど、これを年代別に再集計すれば、高齢者の票の価値は、若い人の票の価値より、かなり重いはず。
ネットでの投票が認められないのだって、政治家になろうとする候補者が若い場合、圧倒的に不利だよね。スマホで投票ができるようになれば、若い人の投票率が大幅上昇して、この世代の政治力もグッと高くなるのに、そもそも国会議員に若い世代が少ないから誰も強力にプッシュしない。
というわけで、この点も意見は大きく違うかなと思いました。
4)低い方に合わせるのはどうかと思うけど、高い方に合わせる必要も無いでしょ
年金について志位さんは、「国民年金だと、月に 4万円しか支給を受けてない人もいる」と言われ、あたしは「教師の共働き世帯は、月に 40万円の年金をもらってる。
月 4万円しか年金がない人の支援に必要な原資は、働いてる世代から徴収するんじゃなくて、多額の年金を貰ってる同世代の高齢者から分けてもらうべきでは?」って聞いてみたところ、
志位さんの答えは「支給の水準を低い方に合わせるという考えはどうなのでしょうか」でした。
そりゃまーそーだけど、でもね、じゃあ、全員が「一人 20万円、夫婦で 40万円の年金をもらえる社会」を目指すわけ? それ、誰が原資を負担するの??
低い方に合わせなくてもいいけど、高い方に合わせるのも無理でしょ。お互いに歩み寄ればいーじゃん?? =つまり、月 40万円の世帯からちょっと出してもらえばいーじゃんと思いました。
対談内で志位さんは「内部留保の全額を取り崩せとは言っていない。1%から 2%の取り崩しでもかなりの賃上げができるはず」と言われてます。
そんなちょっとでいいなら、内部留保の取り崩しとか言わずに「法人税を上げろ」と言えばいいじゃん。経済的な効果は同じでしょ? と(私は)思ったのですが、これにたいする回答は、
「大企業にはそれができるだけの体力がある、ということを言いたいんです」
つまりね、別に内部留保でも法人税でも(実質的にはどっちでも)いいんですけど、「内部留保」っていう単語が、ものすごく「貯め込んでる」感じがする単語なわけです。
この単語を使った方が、「不当なお金を貯め込んでる大企業」というイメージが国民に伝わりやすいから、そう言うのだと。
なるほどなーーーーー!
これに関しては、私はずっと「なんでこんなワケのわかんないこと言うのかな」と思ってたのですが、そういう理由があったんですね。
それにしてもこういう言葉の選択が、前回も書いた「共産党、ホント上手だよね」な点なんです。
★★★
記事になってない部分でも
「志位委員長の後輩の東大生でも、最近は企業に就職せず起業する人も増えていますが、学生が最初から(労働者ではなく)経営者を目指す傾向をどう思われますか?」とか、
「学生時代の学びではなく、大学に授業料を払った対価として大学から得たもので、社会人になってから、一番役にたってる学びはなんですか?」など、いろいろ質問し、興味深い回答を頂きました。
そして、おそらく志位委員長を最もがっかりさせた私の質問は、「志位委員長はクラッシック音楽が一番の趣味とお聞きしてますが、それってちょっとブルジョア的じゃないですか?」という質問だったんじゃないかな。
委員長は「そんな心外な!」って感じの反応でしたが、「でもたしかにコンサートのチケットは高いですよね。もっと安ければ多くの人が行けるのに」ともおっしゃっていました。
で、ふと思いついたんですけど、共産党って貧しい家庭の子供たちを、毎年クラッシックの音楽会やミュージカルに招待するとか、そういう活動をやればいいのに。
反核とか反原発とか反基地だけだと、「やたらデモが好きだよね、左翼って」って感じになりがちだけど、貧困家庭の子供達を音楽会に連れて行けば、「文化や芸術にも造詣の深い共産党」ってイメージが打ち出せる。
せっかく無類のクラッシック好きの志位さんがトップに立ってるんだから、そういうこともやってみたら今後の党勢拡大に役立つのでは?
よく「経済格差が教育格差につながる」と言われるけど、日本は国公立の教育機関の質が非常に高いので、本気で勉強が好きな子が、経済的な理由だけで進学できないって例は少ないと思うんだよね。
ところが文化や芸術においては、勉強以上に家庭環境の格差が子供に影響を与えてしまう。だから共産党がそういう部分でなんらか「格差解消」に尽力したら、かなりかっこいい。
ということで、対談メモとしては以上。
最後に志位委員長は、(お会いする前からそうじゃないかと思っていたけど、実際にお会いしてみると想像以上に)誠実で寛容で合理的で魅力的な方でした。こんな方と対談の機会を頂けるなんて、ほんとにブログ書いてて良かった! って感じです。
「パパvs思春期の娘! 父娘がうまくコミュニケーションを取るコツ7つ」
ツイッターでの評判はどうかと言うと……
「クソキモい^▽^」
「これが普通に記事として公開されてるのにびっくりです…この方、アウトですよね…」
「そこまでしてコミュニケーションとりたいのかな。年頃ならむしろ距離感とったほうがいいんじゃないの?」
「ウェイ学生が子供作るとヤリサー感覚で娘に手を出すのか……勉強になるなぁ……」
「舌打ちしたり罵倒されたりするような父娘関係がこんな気味悪い行為で真逆になるかい。このライター、娘なんていないんじゃないの?」
「これ釣りじゃなくてガチ記事だと思うんだけど、ホントどうかしてるぜ。救えない気持ち悪さ」
「ふと思ったんだけど、日本には「恋人」じゃない異性との良好な付き合い方のメソッドがないんじゃないだろうか」
……とまあ大好評です。
書いたのは潮凪洋介という人。エッセイスト・講演家で現在、株式会社ハートランド代表取締役。早稲田大(社)卒、だそうです。
では具体的に内容を見てみましょう。
かつては「パパ~」と走り寄ってきたり、「一緒にお風呂はいろう~」と可愛らしかった娘。しかし、思春期になると別人のようになってしまうものです。
私もその経験者です。すれ違っただけで「チッ!」と舌打ちされたり、「臭い」「キモい」「うざい」と罵声をあびせかけられたこともありました。成長を喜ぶ気持ちを帳消しにしてしまうほどの哀愁を、つい最近まで背負っていました。
しかし、いくつかの方法を駆使することで、それは少しづつ改善されていきました。意気消沈することも少なくなっていったのです。
今回は、実際に効果のあった7つの方法をご紹介したいと思います。題して、「思春期の娘と良好なコミュニケーションをとる8つの方法」。それではさっそくいってみましょう。ご参考にして頂ければ幸いです。
「7つの方法をご紹介」なのに直後に「8つの方法」になっていますが原文のままです。
さて、潮凪洋介氏の実体験に基づいているその方法とはどんなものでしょうか?
娘が何か話しはじめたら、テレビから目をそらし、しっかりその話を聞くことです。せっかくのチャンスをみすみす逃してはいけません。肯定的に頷き、ときに笑い、しっかりとしたリアクションをとりましょう。「話を聞いてくれる父」という印象を与えることで、娘さんが少しづつ心を開いてくれる可能性が高まります。私たちは意外に娘の話に上の空なのです。
ー(2)学校の噂話には「同級生目線」で乗っかる――正論は言わない
学校で起こったことを娘が話しはじめたら、同じ生徒目線で聞いてあげてください。できるなら一緒になって少しだけ“悪ふざけ”してあげましょう。親という立場上、すぐに「ちゃんとしなさい」などと正論を言ってしまいがちです。しかし、それではたちまち心を閉ざされてしまいます。ここは学生時代に戻って、“あいのり”してあげましょう。これにより、「共感力」のある父であることを印象づけられます。
「うざい、きもい」と罵る娘が学校の噂話なんてするか?という疑問がわきます。
ー(3)部活による筋肉疲労を和らげるマッサージをしてあげる――快感を覚えさせる
これは、運動部に所属している娘さんとの関係を良好にする最強スキンシップテクです。筋肉疲労のふくらはぎや、足の裏などをマッサージしてあげればよいのです。そのうち、「今日、パパの部屋で寝る! マッサージして!」などと言い寄ってくるようになります。運動部の娘なら、ほぼ100%喜びます。もちろん、会話を楽しみながらマッサージをしてあげてください。
小見出しからして破壊力抜群なの来ました。近づくのも嫌がられるのにマッサージなんてセクハラでしかありません。「快感を覚えさせる」「パパの部屋で寝る!と言い寄ってくる」という、娘を性的な目で見ているとしか思えない表現がおぞましさを倍増させています。
ー(4)10代のファッション誌を一緒に見る――ぺらぺらめくれば寄ってくる
娘が購読しているファッション誌をペラペラめくり、「へ~」と言っているだけで、数分後、娘の方から話しかけてきます。さらに、「このモデルかわいいね」などコメントすれば、「え〜私はこの子のほうが好き」などと会話が生まれます。自然なコミュニケーションが生むテクニックです。
父親が自分の読んでいる10代の女性向けファッション誌を見ていたら「何勝手に見てんの!」と言って取り上げると思います。
ー(5)「パパは体が固いんだよね」といって弱音を吐いてみる――優越感を与える
あえて、娘の目の前で柔軟体操をやってみてください。「いてて、体が固いなあ~」とつぶやくうち、娘が近寄ってきます。そして、「ほら、私なんか!! 柔らかいでしょ」と父親の前で優越感に浸ろうとします。これをコミュニケーションの糸口にします。反応がないときは、「○○ちゃんも体固いのか?」などと軽いジャブを。負けず嫌いな子なら近寄ってきて、「ほら! パパより柔らかいよ」と前屈を見せてくれるはずです。
さきのファッション誌の話もそうですが、この娘は父親の狙い通りよく近寄ってきますね。
ー(6)一緒にボートに乗る――父に「頼らざるを得ないシチュエーション」をつくる
父親に頼らざるを得ないレジャーに誘い出すという作戦です。おすすめなのが、「手漕ぎボート」。船上では娘は父に命を託すことになります。有無を言わさず信頼関係が復活するのです。我が家も「カヌー」で試しましたが、この日ばかりは妻よりも私のほうが需要が高い1日となりました。
そのシチュエーションに娘がのってこない場合はどうすればいいんでしょうか。
ー(7)夜に一緒にコンビニまでジュースやお菓子を買いに行く―――付き添いで一体感
冷蔵庫のジュースがなくなった夜がチャンスです。コンビニに一緒にジュースを買いに行ってあげましょう。夜道に少女が一人歩きするのは危険だから。そんな名目で付き添います。コンビニでは100円くらいのお菓子も買ってあげましょう。月明かりの下、和やかに会話が弾みます。
最近はジュースがなくなったくらいで少女が夜中に買い物に行くんですね。コンビニもほとんど普及していかなった時代に田舎で育った私には考えられない環境です。しかも父親がジュースばかりかお菓子まで買い与えるとは、潮凪家の娘さんの健康が心配です。それはさておき、実際に付き添おうとしたら「ついてくんな」と言われるのが関の山だと思います。
さて、いかがでしたか?
「そんなにがんばらなくちゃいけないの?」そのように思った方もいるでしょう。でも、これは「やったが勝ち」です。人生が何倍も楽しくなるのですから、それはもう勝者といっても過言ではありませんね。
さて、それはそうとこの間合い、なんだか懐かしくありませんか? そうです。これは独身時代、女性の気持ちをふり向かせるときの、“あの間合い”ととても似ていますよね。なんらかの「きっかけ」さえ掴めば、そこから突破口が広がる。それは娘でも同じことです。
タッチポイントは違いますが、女性の心に魔法をかけて自分の土俵にいざなう――その点では恋愛となんら変わりありません。プレイボーイに戻って、娘の気持ちを鷲掴みにしてしまいましょう。
七つの項目でかなりお腹一杯になったのに、デザートに巨大パフェか出てきました。堂々と「娘と恋愛感覚で接しろ」と公言しちゃってます。完全にアウトです。この記事を読んだお父さんたちが嫌がる娘に無理矢理マッサージしようとしたりしないことを祈ります。
今のスペックのまま、“ちんちんがそこそこ大きい”人生を歩みたい。
俺はルックス的にはおそらく中の上、ブサイクだと言われたことはないが
皆の心の中で「なんか惜しい」と思われている空気を感じる、そんなクラスだ。
そして俺はちんちんが小さい。いわば“粗チン”であり、言うなれば SO・CHI・N である。
ちんちんが小さいがためにできなかった事やなりたかった自分の幻影が俺の心の片隅を占拠しており、
このままでは死んでも死にきれないのだが残念ながら人はいつか死ぬので、
仕方ないから生まれ変わった時にちんちんが大きい男として生まれいろんな夢を叶えたい。
こういう事を言うと必ず「ちんちんの大きさなど関係ない」とか抜かすアホが出てくる。
関係ないわけあるかぼけクソゴミ虫。ろくに考えもせず適当なこと言いやがって。考えれば簡単に分かるはずだ。
ルックスがいかに良くてもちんちんの大きさによって不可能な人生がある。
考えてもみろよ。
毎晩美女をとっかえひっかえするプレイボーイになると思うか?
街中で超絶美女を悪漢から救いその晩、彼女を抱く事になると思うか?
答えは否だ。彼は絶対にどこかでちんちんが必要にならない選択をしてしまうからだ。
やりたくないのではない。ちんちんが小さいから逃げざるをえないのだ。
どうしても最初のご開珍の場面を先に想像してしまい無意識のうちにそうならないルートを選んでしまう。
風俗でさえパンツを脱ぐのと同時にどうしても「すみません」という言葉が出てしまう。
この「すみません」は、「小さくてすみません」「小さすぎて笑いたいのを我慢させてしまってすみません」
という意味だ。
書きながら画面が滲んでよく見えない。
想像してみろ。
JAY-Zのちんちんが小さいわけがないし、SnoopDogのちんちんが小さいわけがない。
この世の中で活躍してるのは概ねちんちんがそこそこ大きいやつらだ。
反して、秋葉原などでブヒブヒ言ってるやつらはきっとちんちんが小さい。
今度アキバでチン長を調べてみて欲しい。平均チン長が明らかに小さいはずだ。
むしろちんちんが小さくないヤツがアキバにいるべきではない。ちんちんが小さくないのならもっとやりようがある。
そもそもちんちんが小さいから、世捨て人の如く内に篭って外見にも気を使わずどんどん腐っていくというパターンは
確実に多いと思う。
だってどんなに洒落て充実したところで、ちんちんが小さかったら最後でギャグになってしまうのを我々は知っているからだ。
そう、ご開チンが“最後のセレモニー”だからタチが悪いのだ。(いやタチは良いのだが)
この手の話になると今度は女子が「女にだっておっぱい格差が」とか下らないこと抜かしやがる。
くそが。
おっぱいなんか大きかろうが小さかろうが大した問題ではない、おっぱいは常に素晴らしいものであるし、
そもそもそんなものは外見からも見て取れるものだからイメージと実物の齟齬は乳輪くらいのもので限りなく小さい。
パッド偽装が非難されるのは当然であり、それはおっぱいの小ささへの非難ではない。
「小さくても問題ない」と言う俺を信じなかった事への非難だ。
あと女性のおメンクは大きい小さいという評価基準が無いのが羨ましい。
たまに広さを問題にする愚かな男がいるが、はっきり言ってそんな事はどうでもいい。
多少のガバメントは問題にすらならないし、もし産後であるならそんな素晴らしい事を責める男はクズ以下の塵に同じ。
まじであんなとこから頭が出てきた時の衝撃と神々しさは忘れがたい。
少々話が反れたが、言うなればおっぱいは“中ボス”、ストーリー上の通過点、装飾として添える華であり、
おメンクは“エンディング”なのであり、めでたしめでたしなのである。ぶっちゃけエンディングってどんなんでもいいだろ?
ところがちんちんはそう甘くは無い。(いや実際の味は知らない)
ちんちんは“ラスボス”であり最後に登場するからタチが悪い。(いやタチは良い)
最後に登場したくせに小さいと、それはもはや“オチ”以外の何物でもない。ギャグなのである。
その瞬間に流れる微妙な空気は、実際にちんちんが小さいヤツにしか分からない温度と匂いがある。
また画面が滲んできた。
たまに「セクロスの良さはポコニャンの大きさじゃないよ!」とか言ってくれる素敵な女性がいる。
氏ね。そんな優しさいらないしそれはあくまで常識的なちんちんの大きさがあってはじめて成立する話だ。
じゃあナニか?おまえのおマンションに小指を出し入れして本当に気持ちいいか?あ?
というかただでさえろくに満足させてやれなかった嫁も2人射出してからさすがにガバメント2.0になり、
なおさら俺のSOCHINでは満足させられなかったせいか見事にセックスレスになってて泣いた
もしも俺のちんちんが大きかったなら、想いのすべてを歌にしてから即セクロスに持ち込んだかもしれない。
あの時すれ違ったストライクすぎる美女に気兼ねなく声をかけてその晩ゴルゴばりに抱いたかもしれない。
近所の不良どもを片っ端からやっつけ今頃関東○合のトップで仕切ってたかもしれない。
同じチームの女性陣を片っ端からひいひい言わせて味方につけ、会社のトップに君臨してたかもしれない。
“ちんちんが大きいと得をする”と言いたいのではない。
大は小を兼ねる、ちんちんが小さいとする躊躇もちんちんが大きければ何も躊躇しない。
ちんちんが小さいことを無駄に気にして避けてしまったルートを、なんの気兼ねなく検討できる。
この感覚はちんちんが普通、もしくは大きいヤツには絶対に分からない事だ。
そんなわけで、ちんちんが小さい今世を頑張っていくしかないのでxvideos見ながら小さいちんちんマッサージしつつ(タチは良い)、
自分の衣類は自分で管理している夫なのだが、ここしばらくは手が回らないらしく、タンスと衣装ケースの中身が両方ともぐちゃぐちゃだった。
タンスの前で夫がため息をつき、「あーこのぐちゃぐちゃ状態で過ごすのやだなー」と言っていたのを聞いた一週間前の私は、夫の留守中にタンスの整理を済ませておいた。
と感謝されたのが嬉しかったので、今日も衣装ケースの整理をしておくことにした。ていうかさっきまでしてた。
そしたらなんか古いプレイボーイとDVDがばらばらと服の間から出てきて、プレイボーイは綾瀬はるかが表紙で、DVDは巨乳とか中出しとかモロ見えとか、その手の単語がでかでかと印刷されていた。
あとエロゲもあった。知っているタイトルはTo Heart2くらいしかなかった。1はないんだろうか。
あーなるほどだから今まで服の管理は自分でしてたんだ、ここに隠してたんだね、と納得したんだけれども、どうしようこれから。
エロコレクションからうかがえる夫の嗜好はわりと一般的なものだから、全然不問でいい。隠し持っていたことも問題ない。私はBカップなので夫の巨乳好みに添うてやれないのが残念だが、夫婦は乳のみにて成り立ってるものでないだろうか、まあいいんじゃないでしょうか。そのあたりのことはすべて問題ではない。
問題なのは、私が夫のプライバシー侵害をしてしまったことである。やっぱりこういうの、見られちゃった側はいやでしょう。悪いことをした。
見なかったことにしようと最初に思ったんだけど、既に衣装ケースの整理はほとんど終わっていて、この状態で何も見てないってのは無理がある。
衣装ケースを元の状態に戻す? それでは忙しい夫が服の整理できなくて苦しんでる問題が解決しない。大体元の状態がどうぐちゃぐちゃだったか思い出せないから、ちゃんと戻せない。
整理した衣類の間に、整理したアダルト物品を戻す。どうだろう、これがベストなんだろうか。なんかそれはそれで冷ややかなかんじがしないか大丈夫か。
アダルト物品を全部引っ張りだして、テーブルの上に積み「見つけちゃったごめんね」と謝る、これがベストか? でもそれって「夫婦はオープン、エロもオープン」的な価値観の押し付けぽいような気もしてきた。オープンにしたくないから夫は隠していたんだと思うし。
謝るにしても謝り方が難しい。
真剣に謝ると、それはそれで向こうは居心地が悪そうだし、かといって茶化しつつ謝るのはなんか失礼であろう。謝らないで無言でスルーが大人のような気もする。あーわからん。
わからなすぎてつい衣類整理を中断して増田に書いちゃった。何やってんだ自分。夫が帰ってくるまでに方針を固めねば。
アンサイクロペディアの「エクストリーム・エロ本隠し」の項目を再読すれば何かつかめるだろうか。
いつも、毎年のように発表し発売される芸能人のヌードには一体どれだけの価値があるのだろう。
正直な所、旬を過ぎて当たって砕けろというには、いささか遅すぎるのではないかと感じる。
まして、若く綺麗で瑞々しい裸体なんてのは、プレイボーイなどのアダルト誌でも充分に味わえるんじゃないか。
それに印刷物の価格が年々減少しているし、また発行部数も前年比から見ても全体的に衰退気味だ。
にも拘らず、毎年のように元清純派とかアイドルだった人がヌードに挑戦し、高額のギャラを貰えている状況も異常であるし、
ただでさえ衰退気味の書籍で、それも強気で発売する意義にも疑問を感じる。
一体、30歳超えてヌードに挑戦する女性タレントの皆さんは、自分にまだ需要があるのだと何故自信を持ってしまうのだろうか。
分からない。
そもそもそのような需要は若かりし頃に存分に発揮されるものなんじゃないか。
そして若かりし頃に我が物顔で猛威を振るってきた彼女らが、旬を過ぎて肉体的にも劣化してきた段階ですらも拒否していたのに
30歳を過ぎると我を忘れたかのように、突然ヌードを発表するのである。
30歳がどのような意図を示しているのか分からないが、少なくとも自分で理解出来る程の劣化具合を顧みて、実は綺麗なままの自分を今の内に「カタチ」にしておきたいといった
心境変化が透けて見えるようである。
しかしながら、あくまで30歳を過ぎての唐突な焦りからヌード発表に至った事は明白であり、だからどうなのだ?と疑問に思う人も多いはずだろう。
それでもなお、ヌードを発表し発売する事に意義なんてあるのだろうか。
最近は若手の美麗なAV女優が増加したために、一般的にテレビドラマなどに出演する若手の美人女優が色褪せてしまっているといった逆転現象も度々見受けられるものの、
あまちゃんで一世を風靡した能年玲奈のような若手の清純派女優がぽつぽつ出てきていることも確かだ。
こういった表で活躍する女優は20代後半まで旬が続くため、基本的に旬の間にヌードに挑戦する事は滅多にない。
こうしてみると、30歳を超えてのヌード挑戦は、挑戦者にとっては最後のチャンスなのかもしれない。
なるほど、彼女らは本当はヌードになりたくないけれど、また表で活躍するために与えられたのかもしれないが、買う側はやはり劣化したそれを見る事になるだろうから、
オッス、元増田です。ご検証ありがとうと礼儀としちゃ言うべきなんだろうけど、そんな話じゃないんだけどなーという印象。
「僕らの世代は実際には手塚漫画を読んでないのね」は主語が大きすぎてなんともですが、個人的には少年チャンピオンで「ブラック・ジャック」終了後も「七色いんこ」や「ミッドナイト」はよく読んでました。「ゴブリン公爵」は忘れてください。
また手塚クラスになると過去の名作に触れる機会も多く、「火の鳥」(「太陽編」の前まで)は朝日ソノラマ版で読んだし「ブッダ」も床屋で読みました。
ここで全称命題の話にしますか(笑)。前世代、前々世代に比較すればあながち的外れな考察でもないと思いますけどね。もちろん統計データなんてありませんけど、クラスのほとんどが読んでいた、半分くらいは読んでいた、5人くらいは読んでいた、と比較すればほとんど読んでいないという大きな主語は、この場合、個人的にあれも読んでいた、これも読んでいたというのよりはよほど実態に即していると考えます。それともそれこそ何か統計的なデータでもお持ちでしょうか。
1971年生まれで、チャンピオンを追いかけている人は相当稀少だったのではないでしょうか。何といっても同時代的には「ドラゴンボール」「北斗の拳」「聖闘士星矢」「キン肉マン」などのジャンプ黄金時代だったわけですし、6割ジャンプ、2割マガジン、1割サンデー、残りの1割でその他というのが実感です。70年代黄金期を過ぎてのチャンピオンの凋落ぶりは言うまでもなくて、看板作品でも老若男女誰でも知っている作品というのがもうここ30年ないですよね。
たとえば週刊ポストには「弐拾手物語」が長期連載されていましたし、週刊プレイボーイが本宮ひろ志の「俺の空」を載せたり平凡パンチは岡崎京子の「ジオラマボーイ パノラマガール」を連載してました。
「漫画が一般雑誌に掲載されたのは大昔にはあるかも知れないけど80年代の文脈で言えば手塚だけだったね」は勇み足というか、元増田の興味に引っかかるのが「アドルフに告ぐ」だけだったものと想像します。
ま、これは確かにそうですね。一般週刊誌は文春、新潮、朝日のみというのが感覚的には正しいと思います。この三誌とそれ以外では、オーソリティがまるで違うからです。この三誌がクオリティマガジンとは言いませんが、WILLに連載するのと、中央公論に連載するのとでは全然意味が違うのと同じです。ロッキード事件やリクルート事件など社会的な問題でたびたび尖兵となってきた雑誌と、スポーツ新聞に毛が生えたような雑誌とでは社会的な意味が違います。それは現在に至るまで、掲載されている作品の内容でも歴然と異なります。
特に80年代は、週刊文春は花田体制の下、絶頂期にあって、100万部を毎週越えるような規模としても内容としても一軍でしたから、基本的には政治経済、時事的なトピックでそれだけ中心的に扱われているメディアに漫画が乗った(プレイボーイならいざ知らず)ということ自体がトピックであったという意味で、アドルフの例は出しましたけどね。ただしアドルフ以後、この三誌での漫画連載は定着しませんでしたが。
ブコメで「サンコミックスが昭和40年代に出るまで単行本はハードカバーが普通、ただし人気作しか単行本化されなかった」とあります。
純粋にハードカヴァーの作品自体であれば貸本屋の漫画は基本的にハードカヴァーでしたし、店頭でよく見かけるものとしては、学研の「ひみつシリーズ」もハードカヴァーでした。ただしサンコミックスなんてほとんど誰も知らないように、社会的な景色の話ですからマニアックな話をしてもしょうがないわけです。平積みにされて、多数の人が「おお、漫画もハードカヴァーになる時代なんだな」と認識することが重要であって、消費物としてではなく作品としての漫画、芸術としての漫画という意味合いを一般化したのは手塚がやはり尖兵であったという、そういう話です。「火の鳥」と「のらくろ」のどちらが先なのかは分かりませんが。
赤塚さんはあと、コロコロでは「花の菊千代」を連載しています。その後、ボンボンでも何作か連載していますが、知る人ぞ知るという程度の作品で、連載作家として仕事はしていたわけですが、雑誌の主力になるようなパワーはなく、その仕事自体が大御所としての余暇的なものであったと思います。
新刊と連載が再開されたため、ハンター×ハンターを読み返した。
そして思ったのだ。
念能力が欲しい、と。
念能力を手に入れるために以下の3つを行った。
自分の念能力が、どの系統に属しているかを知るためには一般的には水見式が有効だ。
だが、一向に何の変化も起きなかったため別の方法を探した。
http://www.geocities.jp/little_gate/06.htm
これは結構当たっている気がするし、水見式よりも有効そうだ。
自分の系統を知ったので、自分の念能力をどういうものにするか考えないといけない。
強くなるにはここが重要である。旅団に能力を使う間もなくやられたヴェーゼみたいにはなりたくはない。
主人公、主人公に近い存在の属性である「火」「水」「土」「木」「金」「風」といった五行思想に近いものがおすすめである。
私は泳ぐのが好きだし、変化系なので「水」にした。
凍らせたり、溺らせたり、沸騰させたり、霧を作ったり、といろいろ出来そうだ。
「制約と誓約」を考えて、自分の念能力について色々考えるのもいいかもしれない。
まず処女重視派って言うのは
遊び相手や軽い相手にはそもそも処女なんか求めて無いんだよ。
強いて言うと全部処女じゃない(処女を守るような価値観のクラスタ外の女だ)と思ってる。
だから気にしない。相手は処女じゃないんだし、処女を守る気も無いんだし。
結婚を視野に入れるような真剣な付き合いをしたい相手に出会ったときに
そこで処女がどうとかを気にし始めるわけだ。
相手は自分にとって大事な存在であり、しかもそう感じるからには処女を守ろうとする価値観の持ち主だと見込んでる。
その時は「凄く悪いことをした」と罪悪感にさいなまれる。
こんなんでわかったかなあ。