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はてなキーワード: セクシャルマイノリティとは

2020-05-30

小児性愛カジュアル化」とは何か?それは問題なのか?

概要

小児性愛カジュアル化」に問題があると考えるのは、対人性愛優位を自明視した認知の歪みでしかない。問題があるとしたら、「性愛カジュアル化」にある。セクシャルマジョリティが主導して守ってきた性の規範を、マイノリティが拒絶することにより、「性愛カジュアル化」が現象として起こっているという事実はあると思う。しかしそれ自体セクシャルマイノリティの「政治活動」としての側面があり、一方的断罪することはマジョリティ傲慢である。「批判するな」とは言わないが、慎重になるべきだし、そうした政治性に注目することなく「批判」に終始するなら「ただのポジショントークだ」との誹りは免れないだろう。

小児性愛カジュアル化」は問題か?

批判者が「小児性愛カジュアル化」と呼ぶものの一つに次の事例がある。

しかし、これは所謂「キャットコール」と呼ばれるセクハラ一種であり、「対象児童から問題なわけではない。批判者も、「対象がもし成人ならば何も問題はない」とは言わないだろう。このような事例は「性愛カジュアル化」によって支えられる悪しき文化であり、批判すべきは「性愛」であり「小児性愛」ではない。これを以って小児性愛批判するのは無理があるし、「小児性愛は悪だから悪なのである」というトートロジーに陥ってるようにも見える。では、なぜ彼らは小児性愛を殊更に敵視するのか? 以下は既存議論焼き回しである

小児性愛と成人性愛本質的な違いはただ一つ、「児童との合意は(少なくとも現代倫理規定では)成立することがあり得ない」という点である児童との間に「合意のようなもの」がいくら存在したとしても、それらは全て「合意」とは見なされないし、見なすべきでない。(「合意」の定義児童保護について慎重に議論を重ねた未来では何らかの変化があるかもしれないが、それについて議論するにはあまりにも論点がずれているし、ここでは触れない。)しかし、「故に小児性愛は許されない」と主張するには論理の飛躍がある。ここまでの前提の下で自明と言えるのは、「児童との性的接触は許されない」という一点である

児童との性的接触は許されない」と「小児性愛は許されない」はもちろん同値命題ではない。彼らがこれを同値と見なすのは何故か?それは彼らが、「性的欲望とは常に性的接触によってのみ満足するものであり、それ以外の性的行為は全てその為の準備に過ぎない」という偏見を抱えているからであろう。今回、多くの人形性愛者、フィクトセクシャルさらにはアセクシャルを自認する人々から批判殺到した理由はそこにある。

「(実在児童対象としない、無機物対象とした)児童ポルノは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」と主張する人々は、「成人と性的接触を行うことは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」とは言わない。なぜなら、彼らにとって「性的接触」はそのまま「性的満足」とイコールであり、それが「ゴール」であると無根拠にも信じているかである

性愛カジュアル化」に問題はある。しかし、

前節では、問題本質は「小児性愛カジュアル化」ではなく、「性愛カジュアル化」であると言った。では「性愛カジュアル化」は本当に問題なのか? 結論としては、確かに問題であると私は思う。うぐいすリボン荻野さんも以下のように言っている。

その理由としては例えば、①性的プライバシー問題、②依存性の問題、などが挙げられる。あるいは、「そのような問題内包する言動」こそを「性愛カジュアル化」と呼ぶべきである、という定義づけも可能だろう。

①を語る言葉として「性的自己決定権」「私の身体は私のもの」などがある。余談だが、これは、ラブドールのような性的表象、および自慰を愛好する人々にとっても重要概念である。実際、他人自慰制限しようという試み自体が「性的自己決定権」の侵害であり、セクハラだという批判もあり得る。(参考↓)

話を戻そう。性とはそれ自体が深くプライベートものである。故に、他人性的領域に、物理的にも精神的にも安易踏み込むことは許されない。「性愛カジュアル化」には、その越えてはいけないハードルを下げてしま効果があるのではないか。自らのプライバシーを切り売りしている限りは「下ネタ」であっても、他人プライバシーを暴いたり、そこに土足で踏み入るような言動は「セクハラ」になる。(「下ネタ」を話題にすること自体話題への参加を強要し得る文脈において、それらの区別曖昧だが、それを語り尽くす労力は私には残っていない。)お互いのパーソナルスペース尊重する文化を守るためには、適切なゾーニングを守り、強行的な「性愛カジュアル化」を防ぐことも大切だと私は思う。

②の問題は意外にも語られることが少ない。これは、「ポルノにはなぜ年齢制限が設けられるか?」の問いに対する答えでもある。逆に言えば、「未成年ポルノを見せるべきでない」理由として、「正しい性教育」的なものを挙げるのは、性のスティグマ化に資するのみで未成年に良い影響を与えはしないだろう。

ここまで、「性愛カジュアル化」は問題であることを述べた。一方で、それらを安易断罪することもできない事情もある。それは次節で述べよう。

政治表現としての性表現

荻野さんは次のようなことも言っている。

ここで、各国のゲイ・パレードプライドパレード(LGBTパレード)の様子を見てみよう。

https://www.huffingtonpost.jp/letibee-life/taiwan-lgbt_b_8448268.html

https://lifevancouver.jp/pride_parade_vancouver

https://rocketnews24.com/2012/06/30/224561/

https://www.youtube.com/watch?v=MWiZwUFWs5E

やはり、非常に過激セクシーファッションに身を包む参加者のことが目に留まるだろう。しかしだからと言って、彼らに向かって「ゾーニングを守れ!」と叫ぶことがどれだけ暴力的か、理解していただけるだろうか?

彼らがこのような「性」を明け透けに表現しているのは、それ自体政治意味合いを持っているのである。それ自体政治表現なのである。そして我々の「性」の表現にもまた、そのような側面があることは決して無視できない。対人性愛的なものに背を向け、「オタク」的な性表現をオシャレなものとして、隠語的なコミュニケーションのために消費する文化がウケた理由は、人々がそのような政治性を間違いなく見出したかである。それは単なる「ポルノ」ではなく、「我々の性のあり方」をありのまま表現した、アイデンティティのものなのだ

とはいえ、我々の消費する全てがそのような政治性を帯びているわけでもないし、また全てがポルノ的でないわけでもない。実際のところ、単なるポルノが悪ふざけで表に出てくることもあるだろう。しかし、それらの区別は決して容易ではない。物理的には全く同じインク配列であるものが、文脈や作者の意図次第で、時にポルノであったり、時に政治的であったりする。それらは私やあなた独善的基準で決めつけていいものではない。「法的規制に反対する」という言葉は、私刑を推奨する標語であってはいけない。表現の正しい用法用量というのは、表現者と受け取り手一人一人の良心に委ねられるべきなのである

さらに言えば、政治性とポルノであることが、多くの場合両立してしまっているところにこそ問題の複雑さがある。その区別について「語るべきでない」とは言わないが、本質的に「区別不可能である」ことを前提に、慎重に語る必要がある。そのような必要な慎重さを欠いた言説こそが、「差別だ」と糾弾される所以なのである

誤謬見出し批判することは容易であるしかし、否定することが目的化した人々で集まって、こちらの政治性を矮小化するような言説ばかりぶつけられては、議論にならない。「我々が言いたいこと」は、この文章を通しても伝わるはずであると信じている。

2020-05-27

差別をなくしたい」じゃなくて「俺倫理観あるぜ」とちゃんと言え

人間の本性ってのはな、差別したいもんなんだよ。

人と違う奴を排斥して、他人を見下して、みんな楽しいだろ?

から差別をなくしたい」なんてのはちゃんちゃらおかしい、ただ正義ぶりたいだけの阿呆どもばっか。

差別をなくしたい」って言ってる奴は、全員差別主義者だと思って聞いてる。

もちろん、自分が具体的な実害を負う差別についてはなくしたいと思うだろう。

男性なら男性差別を、女性なら女性差別をなくしたいはずだ。

病気なら、障害者なら、セクシャルマイノリティなら、低学歴なら、ブサイクなら、オタクなら、特定地域出身なら……

挙げたらキリがないが、何かしら自分たちに関する差別をなくしたいだろう。

これはまあ、実害に対する対処行動として理解する。

問題は「差別をなくしたい」という奴だ。

世の中にあるすべてのあらゆる差別をなくしたい、みたいなことを言う人だ。

まず人間相手いじめたり見下したりすることに快楽を得る生き物だから現実的に無理。

次に、こういう奴は当事者ではない事柄簡単に首を突っ込む危うさがある。

例えば「腐女子セクマイ配慮しようとして、本人たちからかえって困惑されてしまう」などの事例がある。

間違った支援、俗に言うありがた迷惑を生みがちだということ。

それから差別というものの複雑性をよく無視する。

競合する差別同士が対立してしまうことがあるという視点をよく見落とす。

例えば「男性差別を訴えようとして、カウンター女性差別を訴えられてしまう」ということがある。

どちらか一方の差別を解消すればいいという問題ではないことに気付けない。

あるいは「女性蔑視を訴えようとして、ラブドール規制を願う」というのもある。

個人的に、ラブドール好きな人というのは一種セクシャルマイノリティだと解釈している。

(性犯罪というがそんなに生身の人間が好きならラブドールなんか気持ちが悪くて手を出さないだろう)

結果としてある派閥への差別を強め、さらに強く糾弾することになるのだから

から差別をなくしたい」なんて絶対おかしい。

差別の複雑性と根本の硬さを理解していれば、差別をなくしたいなんてそう簡単にいえないはずだ。

からちゃんと「俺倫理観あるぜwww偉いだろwwwお前はないのかwwwかわいそうな奴めwww」って言えよ。

2020-05-22

anond:20200522114228

その辺の事情は全部存じ上げた上で言ってるんだよね。

元を振り返れば、過激派腐女子過激派NL厨が好きに殴り合ってくれればいい話。

そこで「セクシャルマイノリティへの配慮が」「私は差別配慮してる」とか急にこっちを巻き込んでくるのが迷惑なんだよ。

こっちだって二次元同性愛現実セクシャルマイノリティの間に大きな関係がないの分かってるのに、倫理マウンター勝手に巻き込もうとする。

おかげで逆に「HL」とか積極的に使う層がこっちは怖いよ、こちらを傷つけてくるオナニー野郎可能性が極めて高いんだから

2020-05-14

ゲイ「我々の恋愛あなた達の妄想のためにあるんではないんです。(キリッ)」

beataraxia ゲイというだけでコンテンツとして腐女子に消費されるっていうのがゲイからするとなんかイラッとする。我々の恋愛あなた達の妄想のためにあるんではないんです。

こういう言説毎度毎度みるけどなんかおかしくない?

腐女子は確かにゲイという集団概念妄想ネタにしてるけど

別にお前を名指しにしたりお前のプライバシーを暴いてオカズにしたりしたわけではない訳じゃん。

それっぽっちで咎められるの?

それはやってはいけないことなの?

 

じゃあゲイの皆さんはその程度の身勝手妄想もせずに心の中まで清く正しく生きてるわけか?

俺の知ってるゲイはそんな修行僧みたいに生きてはいなかったが。

しょっちゅう好みの芸能人とかスポーツ選手とか妄想ネタしまくってワイワイ楽しそうに語り合ってたよ。

 

あと特定集団職業に対する萌えもあるよね。

警官とか消防官とか。医師とか地主とか。

若い運動部員とか。

お前だって妄想ぐらいめっちゃするだろうがよ。

 

それとも妄想で抜くたびに謝ってるわけ?

警察官職務は僕のオカズのためにあるんじゃないのに。えーんえーんごめんなさい」って。

謝ってねえだろ?(謝ってたら病気だが。)

 

ゲイだって普通人間なんだから絶対勝手妄想しまくってるしネットにもバンバンそういうこと書いてんだよ。

なのになんで腐女子の皆さんにちょっとオカズにされた途端

鼻息フンスフンスしながら

「我々の恋愛あなた達の妄想のためにあるんではないんです。(キリッ)」

とか言えるわけ?

 

このタイプゲイさんがいったいどういう思考してるのか気になるんだよ。

ゲイみんながこんな面白い感じじゃないことはもちろん知ってる。)

 

 

追記1 論外

houjiT あの増田は自らを当事者ではない、お前らがやってるのを見たいやれと表に出したのに苛つかれてるのよ。

はあ?別にあの腐女子はそんなこと言ってないよね。

ていうかあいつは別にゲイに話しかけてないわけ。

「お前ら」呼ばわりっていうのはどこから来たの。

例えばこっちの増田よ、お前が恋愛してる姿が見たい誰か引っ掛けてこいって他人に言われたらイラッとしねぇか? 恋愛 増田

からそういう風に個人プライベートに踏み込まれたり名指しされたりはしてないわけじゃんあのゲイは。

 

つかあのさあ、それまさに最初に潰してある反論ポイントなんだよね。

別にお前を名指しにしたりお前のプライバシーを暴いてオカズにしたりしたわけではない訳じゃん。」と先頭に書いてあるの。

あーたていどが思い付きそうな詭弁はきちんと真っ先に潰してあるわけ。

本文読まずに少しも検討せずに思い付きで反論してるよね。

 

kitassandro

コロナ患者の人が恋愛している話、身体障害者結婚する話、とかさ、そういうのだったらどう感じますか?風俗嬢が、原発作業員が、とかだったらどうですか?

どう思いますかも糞もそういうのは既に大量にあるしな。

白血病で死んじゃう美少女とか、信長のとこにタイムスリップするやつぐらいにいっぱいおったぞ。ヒロインが耳聞こえんとか車イスかいトレンディドラマもあったし。「実は同性愛者」なキャラ葛藤したり自殺したりするのを感情さぶる要素として使ってる創作なんてのすらとっくに色々あるわいな。 

 

質問意図わからんけど「どう思いますか」と言われたら「ありふれすぎてて今さら特段の感想はない」だな。

俺のすい臓でも食ってろ。

 

欧州に行くと、ジャップはうっすら差別されるね。レストランでいい席には通されないわな。自分が少数派になる環境体験してみるのも面白いよ。

はあ?

あのさあ、俺の話を理解してるのか?

俺は「社会差別なんてない!」とか「ゲイ差別被害を訴えるな!」とかそういう話してた?

 

ゲイにも腐女子にも恨みも恩も言いたいこともないし、まさにこういうバカについて言っているわけ。

こいつのブコメはなんか「社会の中の差別を指摘している」と言う点でポリコレポイントは高い。

でも相手の話と全く噛み合わない、問題文一文字も読まないで書いた答案のような頓珍漢コメントなので国語力とか論理性とかでは深刻なレベルの0点じゃん。

 

こいつやこいつに星つけたような奴らはもの考える能力が全くないわけよ。

一見お利口そうな真摯そうな姿勢を作ることだけは押さえてて、少しも真面目に考えてないよね。

ゲイに対して失礼なのはおめえらの方だよ。というかゲイに限らず誰に対しても失礼。

 

こういう頓珍漢なことしか言ってないけどポリコレ点だけ高いアホをきちんと見抜いて軽蔑できるようになりましょうということを、俺は言いたい。

こいつらはポリコレのためにすらならない害虫

 

 

追記2 まとも風なバカ

ロリコン女性子ども権利を守るのではなくむしろ都合良く利用する側であるように、腐女子ゲイ権利を守るものではなく一方的に利用する側。それを肝に銘じて初めて「同性愛(者)」に向き合えるのだと思うよ。

じゃあゲイノンケを「一方的に利用する」側なので、更衣室やトイレを使うときなどは身の程をわきまえることが肝要だな。ノンケに対する一方的性愛に引け目を感じ続けることを肝に銘じて初めてノンケに向き合えるのだと思うよ。

誰でも他人や他集団にどんな妄想を抱いても自由だし、同時に誰でも自分所属集団について妄想を露わにされたらイラッと来てよい。考えるべきはその妄想表象流通の仕方には非対称性権力性が伴うってことです

非対称性とか権力性って言葉正味もっと詳しく言ってみて?

腐女子ゲイに対して権力性を持つの?なんで?

ゲイ腐女子オカズにしないけど腐女子ゲイオカズにするから

ならゲイノンケに対して権力性を持つんだなあ。申し訳ない顔で生きるべきなんだ。ほえー。

   

セクマイ且つ腐女子のこういう話題での居心地の悪さ

そこに座っててくれ。

陣営論理が壊れてても「権力構造ガー」「非対称性ガー」などと喚けばダブスタセーフだと思ってる考えるの苦手な身分制思考バカ達にはいい鬼瓦として機能するだろう。

 

要するにあいつらは自分達のスペックの悪い頭を甘やかすためにそういう言葉を便利使いしてるんだよな。

困ってる弱者の誰かに優しいんじゃなくて自分の頭悪さに優しいの。

 

 

追記3  まともな扱いをすべきレスポンス

社会的に否定されがちだったりマイノリティであることの悲哀を、大衆の娯楽のために利用されるのは腹立たしい、という気持ちはあるのかもな。そういう気持ち自体は誰が何を言おうと否定することはできないと思う。

バカ達よりはまともな回答なので罵る気はないけどさ。

その「気持ち」はきちんと観察すれば成分を分解できるよね。

問題なのは社会否定されがち」ということでしょう?そこはゲイとしていくらでも言い続けていいこと。

けど妄想することはお互い様であって、それ自体問題ないんだから、結びつけて抗議するのおかしくない?

 

その「社会的に否定されがち」と好きなときだけ自在にくっつけて抗議する論法を認めると、どんな恣意的な抗議も八つ当たりもやりたい放題になるんだよね。

それは違わない?ゲイがかわいそうな目に遭うシーンというのは社会なかにまだまだあるし、そこで辛い気持ちしたこと否定できない。

けどその気持ちを別の場面にくっつけることで非論理的な怒りを表明できるし周りはこうべを垂れるべき、というのは違うよね。

 

だってそれでなんかゲイ問題解決されるの?されねーよ。そういう非論理フィールドを発生させると、考えるの苦手なバカが寄ってきてさも倫理的風に頓珍漢な非論理論陣でいいこちゃん顔したり誰かをつるし上げたりして楽しむだけ。

バカどもが卑しい愉悦を楽しむための養分が生まれるだけなんだよ。

そこを考えてほしいね

差別解消とは全く関係ない害虫繁殖問題なんだよ。

 

 

追記4 その他

俺はプリキュアエッチな目で見ていいと思ってるけど、エッチな目で見てほしくない人がいることは知っておくべきだと思う

そんなのはなんのジャンルにも必ずいる。

当たり前のことをどや顔で言うべきではないし

あの腐女子がそれを知らないとどこから判断したのか。

 

そうね。ストレート人間だってヘテロ恋愛漫画やらドラマやらAVやら楽しんでるわけだし一緒だよ。とはいえセクシャルマイノリティはまだまだ酷い扱いをされていると思うので増田みたいに雑に扱う気も起きないが。

あのさあ、よく読んでくれよ。

俺がいつセクシャルマイノリティを雑にあつかったの?具体的なこの部分だ、といえるなら言ってみ?

なのはポリコレバカ達の方だろ。

 

fukazawakyoko 腐女子フェミニスト女性性への搾取だァァァァ!」腐女子フェミニストゲイ搾取?おまえのことじゃないしキリッ」

そういう種類のフェミニストおかしいと思うなら同じ論理腐女子が叩かれてるとき擁護すべきだと思う。

 

これは女性普段性的消費だの何だの言ってることの意趣返しなんだと思ったけどな。なんで自分達が消費するのは良くてされるのはダメなんて言えるんだ?

別にそういうこと言ってるラディカルフミニストと腐女子女性は同一存在ではないので意趣返しされても困らないか

まあTwitterにはたまにラディフェミかつBL萌えしまくる人がいるけどあの人達は地平の向こうにいるから・・・

2020-05-04

そうかそうか、きみはそういうやつだったんだ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.ismedia.jp/articles/-/72302

何?これ。

"未来のない""回復見込みのない"人間を"トリアージ"のために"見捨てる"のが"自然の摂理"だってさ。

ふーん、はてな民ってやっぱりそういう考え方だったんだね。優しいリベラル〜みたいな顔して命の選別はえげつないのってリベラル優生主義って言うんだっけ?

長谷川豊人工透析患者を殺せ!と言った。かわいそうな長谷川豊くん。まるで岡村隆史みたいだ。考え方がまったくおんなじのお友達はてな民は、自分正義の側に立ちたいから、同志を内ゲバ炎上させたんだ。

植松聖はやまゆり園の障害者を19人殺した。でもはてな民の皆さんならそれを拍手喝采するよね???地面を踏み鳴らして踊ればいいじゃないか。最高じゃないか。ほら、"未来のない""回復見込みのない"人間を"トリアージ"のために"見捨てる"のが"自然の摂理"なんだろ?

オマエラよお??最低だな。人のツラした鬼だよ。悪魔なんだよ。それがリベラルなんけ?

じゃあさ、id:KoshianX ですらもう忘れたかもしれない「キモくて金のないおっさん」論だったらどうなんだよ?今ここに、かわいくて金のある少女と、キモくて金のないおっさんがいて、トリアージするんだったらかわいくて金のある少女なんだよね???まあそうだろな。はてな民オタク童貞を守る正義の味方なんだから、汚いおっさんより萌え萌え美少女を選ぶよな。まるで広河隆一みたいだな。「かわいそうランキング」が、キモくて金のないおっさんよりもかわいくて金のある少女の方が高いんだもんな?オマエラにとっての万物尺度はかわいそうランキングだもんな。

自然の摂理に従えば子孫を残さな杉田水脈だってイイコト言ってることになるのかな?LGBTなんて自然の摂理に反する存在なんだろ?オマエラの中じゃ。

本題に入ればさ〜〜〜、差別は許さないよ?ぴえん🥺みたいなkと言ってる重あえあらはさ、ジジババだけは死んでもいいって思ってるんだろ?ユダヤ人見たく、ガス室に入れられればイイと思ってるんだろ?別にいんだよ。それでいい。ありのままのお前らでええんやで☺️。これはお前らに変わって欲しいために書いたわけじゃない。ただ、そうかそうか。お前らはそうなんだな〜と自分が納得するために、自分の怒りを治めるために書いた。

あいつ、誰だったっけ、hagexが殺されたとき、さんざん「無敵の人ガ`ー」みたいなコト言ってたな。なつかしいな。もう何年たったnだっけ?未来のない、回復見込みのない人間トリアージして見殺せって考え方が社会を覆えば、そりゃ弱者は無敵になるわな。だからハゲっクスは死んだんだろうな。オマエラが HAGEXを殺したんだ!

結局キモくて金のないおっさん問題はどうなったんだ?クソフェミに対抗するためのただの道具だったのか?いつになったらお前らは弱者男性を救ってくれるわけ?ついフェミと論争を繰り広げて、そんでお前らはお前らが生んだ概念であるキモくて金のないおっさんをもう忘れてるじゃないか!!

読んでわかる通り、おれは障害者だ。手帳申請中。あと一応セクシャルマイノリティ。ほら、お前らの大嫌いな"未来のない""回復見込みのない"人間だゾ〜〜〜。コロナビーーーーーっむ!!!コロナ付けちゃうぞ〜〜。ほら殺せよ!オレを殺してみろよ!お前らのにっくいにっくい弱者男性だぞ!オラ

2020-05-01

anond:20200501130447

本当そう思うわ。おときた駿政策も指示しないし、維新も支持しないけど、

セクシャルマイノリティ支援することは良いことだと思う。別に矛盾しないよ。

anond:20200501130256

ときたが人間の屑であることとセクシャルマイノリティ問題にいろいろ取り組んでることは相反しないか

anond:20200501125947

そんな奴はいっぱいおるやろうけど、おときた君なんかはセクシャルマイノリティ適当発言かましボッコボコにされてからはそっちの問題積極的に取り組んでるな。

匿名のアホどもはその場限りやけど、現場にいてる人間はそういう情報を共有してるので動いたら動いた分だけいざってとき数字になる。

2020-02-21

千田論考は本当にいい加減にして欲しい

っていうかもう何が言いたいって単純にキレ散らかしてるだけなんだけどさ。

そもそもフェミニズムって歴史からして「女性人権獲得」がスタート地点で色々活動していく中で、そもそも女性」って何? って言う壁は何度もぶつかってるわけじゃん。

古くは「白人女性以外は女性じゃないよね」みたいなレベル白人女性しか想定していないような運動だったし、1970年代にはすでにトランス女性排斥みたいな運動までしてた。

その問題反省して、どんどん克服していった中で、一気に視界が開けたのがここ10年だと思うわけよ。

2010年代は本当に一気に変化していて、例えばHeForShe運動だって2014年設立当初は「女性の権利向上活動男性理解してください」みたいな運動だったのに、その2年後の2016年には「そもそも男性とか女性とか古かったね、ジェンダー平等になるべきだよね」って運動に変化したじゃん。

一部のアンチフェミニスト2016年エマワトソンのあの演説意味わかんない文脈批判してたけどさ。

1990年代後半に登場したLGBTだって同様に2016年に「LGBTTQQIAAP」って11種類にまで増えたじゃん。多すぎて意味わかんないけど。

こうやって2010年代は「男性VS女性」の対立軸を壊していって、「性差を超えるための運動」に変化していったと思っていたし、一人のセクシャルマイノリティとしてその流れを歓迎していただけに、一気に議論20世紀に戻した千田論考は本当にショックだったし、それに対して「勉強になった」とか言ってる一部の人に対する絶望感が凄い。

2020-01-07

misia紅白

レインボーフラグ賞賛されてることへの違和感

ざっくり言うと、今更?っていう感覚

もう既に2019年末だよ。セクシャルマイノリティ云々、もう何年も社会に浸透してきた話題だよね。

今更、わざわざ紅白のトリで、表現しなきゃいけないような内容だっただろうか。

音楽が何かを主張する時って、社会の変化に合わせるんじゃなくて、社会に新しい変化をもたらすもんなんじゃないの?

新しい価値観ガツンと殴られる感じとか、ワクワク感があるものがトリの方が良かったんじゃないの。

紅白でトリでレインボー新しい時代象徴だ!とか言ってんの、なんかお利口さん違和感がある。

もう、そんな力んでやることでもなかったんじゃないかな。

2019-12-23

anond:20191222125427

それがマイノリティだということだと思う。自分自分アイデンティティ差別されたことがある。だけど自分で知らずのうちに自分も、片手が無い人のこと、目が見えない耳が聞こえない人、セクシャルマイノリティ在日韓国人その他いろんな人のこと差別してしまっているはず。

2019-12-19

anond:20191219093534

そもそもセックス飲酒も悪なのに、その合わせ技が悪じゃないわけないんだよな。

フェミもはっきりとそう言ってくれれば支持するんだけど、グダグダ言い訳して叩きやすセクシャルマイノリティしか叩かないから嫌われるんだろう。

2019-12-12

多分私は女のまま男になりたかった

私は女なんだけど、性への考え方が男性に近いと思う。

例えば好きな男の人が出来たとして、付き合うとしたらその先殆ど確率で性行為が待っている。

この人の事は好きなのだが、この人に押し倒されて股を開いて突っ込まれて……という事を想像すると酷い拒否反応が出てしまう。

別に性嫌悪という事ではない。

そうではなくて「この人を押し倒して尻に突っ込んで犯してやりたい」と考えてしまうのだ。

前述の拒否反応は、例えるならば異性愛者の男性ゲイに抱く漠然とした恐怖心に近いのかもしれない。

自分が男側だと思っていたのに、突然女側の役割を持たされるかもしれないという地位を覆される恐怖。

ここでおかしいのは自分はもともと女性であるという事で、むしろ女側の立ち位置こそがデフォルトスタンダードだという事だ。相手も全くそのつもりだろう。

しか自分はそれに大きな拒絶を抱いてしまう。これに物凄く悩んでいる。

自分は夜な夜なAVを見てそういう雰囲気に浸る事もある。

でもこういう時も感情移入するのも女側ではなく男側だ。こんな風に犯されたい、ではなくこんな風に犯したいという感情を抱いてそれを見る。

から現実離れしたいかにも男を喜ばせる為のファンタジー演出も大好きだし、現実好きな人とは別にそれはそれとして見る。

逆に女性向けのAVというのもあるがああいうのは全く「抜けない」。女側の視点に寄り添って作られたものなのだから、逆を見てる自分に合わないのは当然でもある。

ただ男性向けでもフェラのシーンだけはやっぱり実物がないのでイマイチ響いてこなかったりする。

別にトランスジェンダーという訳ではないと思う。

自分は女だという確固たる性自認がある。性的話題さえ離れれば一般的女性が好きだと言われるようなものが好きだ。

可愛い洋服アクセサリースイーツも好きだ。少女漫画もカッコいい男性アイドルも好きで、よくいる女性のものになれる。

ただ昨今フェミ話題も多いがあの手の話題にも乗り切れない所がある。何故ならあの話題は「男が女を性的消費する」事が話の大前提からだ。

自分は男も女も性的消費したいし、しているのだから、まず議論に立つ前に話の前提に乗り切れていない。

セクシャルマイノリティで無いのだとしたら、こういう考え方で生きている私は一体何なのだろう。

もし何か既存名前があるなら教えて欲しい。

誰にも相談できなくて増田に書き出しているけれど、今はただ「そんな女はいない」「どうせ男でしょ」と存在のもの否定されるのが一番怖い。

考え方が普通じゃない事は自分が一番良く分かっている。でも居るのだ。居てしまったのだ。

考え方が違うせいで、なかなかに普通に生きるのがしんどいのだ。

2019-12-04

オタクヴィーガン叩くの悲しいしバカすぎる。

俺はヴィーガンじゃないし、普通に肉を食うがヴィーガン批判できないし叩く気もない。

動物には感覚があって、動物を無闇に殺したらだめっていうのは周知の事実なのにそれでも俺たちは肉を食ってる。うまいから。つまりヴィーガン倫理的矛盾を抱えながら生きてるわけで、ヴィーガンを叩けるわけがないってことになる。

それなのにTwitter見たらオタクめっちゃヴィーガン叩いてる。正気か?もう少し頭いいと思ってたわオタクオタクいっつもブラック企業かいじめとかアニメ叩きとかに意見してんじゃん。それなのになんでヴィーガンは叩いたりバカにするの?わからんオタクにはもう少し頭よくなってほしいな、頑張ってね。

てかオタクからセクシャルマイノリティ(淫夢)とか精神疾患患者(syamu)とかバカにして遊んでたわ。ゴミじゃんオタク

(追記)

ごめん、はてな匿名ダイアリー初めて投稿したんだけど、ちょっと強い言葉使ったり針小棒大に書くだけでこんなみんな喧嘩すると思わなかった。バカしかおらんのやなw とか言ったらまた怒るんだろうな。ほんとは全然そんな事思ってないよ。

2019-12-02

anond:20191202104634

エビアンは一方で多様性を認めるべき!と言いながらその一方で、セクシャルマイノリティ拒絶反応めしたらアカウント消せよと言ってんでしょ?

どこが多様性なんだ?

と言う話なんだけど、なんでわざわざエビアンの言い分リピートしてんの?

2019-11-28

LGBTへの配慮の押しつけ

から書くことは全部主観。私はいわゆるセクシャルマイノリティじゃないし

正直あんまり詳しいわけじゃないから間違えたことも言うかも。

とにかく最近すっごいめんどくさい世の中だなって思う

LGBTに対する配慮しましょう~みたいな押しつけにうんざり

該当の方には生きやすい世の中になったのかもしれないし

それに関しては素直によかったですねって思う

パートナー認定みたいなのが出来てマジョリティと同じように恋人と過ごせるようになったし

そういう面ではいい世の中だなって思うよ

けどなんかLGBTに対して寛容であることが素晴らしいみたいな風潮はなんなの

特別扱いみたいなの、それLGBTの人も望んでるの?

男の人に連れの話をされて、「彼女さんもそこ気にいっただろうね!」みたいな返しをしたら

女とは限らないのに非常識恋人とかパートナーっていえばいいじゃんっていう意見殺到したりとか

わざと中性的名前を付けるのが配慮出来てて素晴らしいみたいなのとか

男の子に男らしい名前つけたっていいじゃん?)

出産祝いのために子の性別聞いたら「この子が決めることだからまだ決まってない!」

って言ったの素晴らしいよね!みたいなのとか

いやもうめんどくさい!

例えば最後の例みたいに返されたら「は、めんどくさ。生物学上の性別いえばええやんけ」

って思っちゃうことに対して人権侵害だ~みたいな。生物学上の性別に苦しんでる人も居るのに!みたいな。

そんな すべての人に配慮してくださいね~~!っていう世の中がすごい息苦しい

別にマジョリティの人がそういう発言をうっかりしちゃっても仕方ないんじゃないって思っちゃう

それを寄ってたかって人権侵害とかLGBTのこと考えてください!とかうるせえ~~~って感じ

排除してないなら別に侵害でもなんでもないでしょ

こっちだって別に、「彼女じゃなくて彼氏なんですよ!」とか言われたら

うわ、きもって思うわけじゃないし、そこは自由世界だと思うから、好きに生きたらいいと思う

一回その人がLGBTの人なんだって分かったら無粋な言い方はその人にはしないよ、

それでいいんじゃないの?

常にマイノリティのことまで考えて生きてけないって。

ついでにいうと絶対LGBTのこと受け入れろみたいなのもどうかと思うけどね

受け入れられない人も存在することも許してやれよって思います

2019-11-24

ぶっちゃけセクシャルマジョリティジェンダーロールを捨て切るのは難しかろうし、ならば完全に捨て切る必要もなかろう。彼らがセクシャルマイノリティに「理想ユートピア」を見出す眼差しは、そろそろ「清廉潔白無垢無謬進歩的である」という顔をしてはいられないんじゃないのかなぁ。

マイノリティだってマイノリティなりにジェンダーロールにがんじがらめで、それに苦しんでいたり、克服しようと頑張ってたりするでしょうよ。勝手理想像を押し付けたり、それで勝手失望したり、そういうの含めて全部マジョリティの都合じゃないの。

2019-11-21

フェミセクシャルマイノリティーに対してクッソ差別的なのは事実だよ。

だってあいつら「男性を押しのけて女性が一番最強の性別になること」しか考えてないから。

から、他のLGBTなんか人間とも思ってないよ。

セクシャルマイノリティ否定しないけど、まだ今日では周りに必要以上に気を遣わせていることは理解してほしい。

2019-10-28

最近見かけた属性に基づくジェンダー議論について

男子理系大学院生です。

@misssfc2019_no7さん(ραοさん)と@54nano_fairyさん(なのさん)のTwitter上での会話を見て、漠然ジェンダー論に興味があったものの何も勉強してこなかったので少し勉強し、考えたことをまとめようと試みています。ややραοさんの発言を多く引用します。これは僕の感覚がなのさんに近く、ραοさんの発言の主張に納得しづらい部分があったため、それを解釈したいと考えたからです。

納得行くところまで整理出来ていないので、「その主張は◯◯の部分が誤りである」「せめて◯◯は読んでから出直せ」などの指摘をいただけると僕が嬉しいです。

あとアホほど長いので暇な人だけ読むと良いと思います

=====

1.最初議論

僕が認識している最初議論の始まりは、ραοさんの

男性フェミニストに対して「真のフェミニストかエセフェミか」と自分ジャッジできると思い上がってる時点で君はフェミニズムのことを何もわかってないのだねという感想しかないわ

というツイートに対して、なのさんが

これこそセクシズムなんじゃないですか?

と問うたところです。

このツイートから任意男性は、フェミニズムを理解しているならば(フェミニズム性を有しているならば)、あるフェミニストに対して「真のフェミニストかエセフェミか」ジャッジ出来ると考えない、とραοさんが考えていると僕は読み取りました。

これに対し、この主張には「男性が」ジャッジすることに非フェミニズム性がある、というような非対称性があるように見える、となのさんが疑義を唱えたように僕は読み取りました。

その後の議論でραοさんは

マイノリティの中でも"真のマイノリティかそうでないか"とジャッジ一方的にするというのももちろんおかしなことです。

と述べられています。これはフェミニズムの話に限った際、女性ジャッジすることにも非フェミニズム性があるという主張と同値かは僕の目には明らかではないです(おかしなこと、というのがどのようなおかしくなさに違反しているのか自明でなくないですか?)。僕は議論の流れから、ραοさんは男性ジャッジする際の非フェミニズム性とはやや異なる「おかしなこと」と考えているのではないかとお見受けしました。

これは、なのさんの

マイノリティの中でも一方的ジャッジをはおかしなことである」というのならば、なぜ最初発言でわざわざ「男性が」「性的マジョリティが」と強調したのでしょうか?

という質問に対するραοさんの

マイノリティの中での話とはまた違う構造があるからですよ。これを同じと言ってはいけないと思いますマイノリティ同士のコミュニケーションにおいて生じる問題と、マジョリティマイノリティに対し行う言動に生じる問題は異なります

という発言を受けて思ったことです。

ραοさんの発言は、マジョリティである男性ジャッジすることはマイノリティである女性に対する圧力となるため非フェミニズム性があり、マイノリティである女性ジャッジすることは(圧力があるにせよ)非フェミニズム性とは異なるおかしさ(例えば他人内面を決めつけることの失礼さ?)があるという意味ではないですか?男性女性が非対称な権利を有している現在規範を改めようとするフェミニズムに対し、マジョリティである男性一定フェミニストの主張は非フェミニズムであり新たな規範として認めるべきではないと主張するのは、女性に対する圧力として働くものであり、非フェミニズム性があると。

なので、女性に対する圧力存在暴露とその解消を目指す文脈で、(その活動における)障害存在批判する際に男性によるジャッジが強調されるのは非対称だが筋は通る(一貫した主張である)かなと思いました。(なのさんがのちに運動のための理論であるように感じて好きではないと言われていたのもこの辺りのことが引っかかってかなと思いました。)

この後ραοさんとなのさんの主張は最初議論とはやや異なる内容の議論(女性マイノリティであるということの意味議論の進め方等)と共に一定解決を見ずに終わったようで燻ったような状態に落ち着いたように見えます。他の内容についてはここでは触れません。

2.途中の感想

フェミニズムの議論はたびたび大きな話題になりますが、話題になるフェミニズムは(筋の通る通らないの程度によらず)やや論理的に整理されてない主張が目立つように僕は感じていました。今回の件でもいくつか整理が不十分だと感じる点はあり、例えばραοさんの最初ツイートの下で述べられる

これって普通に男女以外でも考えてみてほしい。マジョリティであるシスジェンダー異性愛者がセクシャルマイノリティに「この人は真のセクシャルマイノリティか、エセか」とか言うのめちゃくちゃおこがましくないですか?障害者に対して「真の障害者か、エセか」とか。何様なんだろうって私なら思うよ。

圧力という考え方があまり見受けられないので良い例示ではないように見えます。これは他者内面(あるいは属性アイデンティティ)を決めつけることはおこがましい、自然感情として(普遍的に)おかしなことであると主張する話になっており、「男性が」ジャッジすることの非フェミニズム性の話にはそぐわないように思います。何様なんだろうと思う、という自然感情に端を発する主張のように記さず、セクシャルマイノリティ障害者の方に対する強い圧力として働く考え方である、というように記す方が合致するように思われます

整理が不十分であること自体はよくて議論とともに整理していけば良いと思うのですが、その後ραοさんはやや早計になのさん(及びなのさんに同調する人々)のことをミソジニストと決めつけてしまったように見えます。早計というのは、議論一定解決を見ないまま、ραοさんに「つっかかってくる」人をミソジニスト認定しているように見えるからです。実際には一定論理によりミソジニスト認定しておられるでしょうが、ここまで他者ジャッジすることのおかしさについて議論していたので、ダブルスタンダードに見えてしまますダブルスタンダード自体は主張の正しさを変えるものではありませんが、信頼できる議論相手かどうかという他者から評価には影響するので。実際これのせいで感情に寄りすぎている(論理的に整理されていない点を整理しないまま自分意見正当性を主張しようとしている)とみなされてしまっているということがあるのではないでしょうか?

3.自分が調べたり思ったりしたこと

僕は最初追っている時はなのさんの議論の方が身に馴染み、かつ筋が通っており、ραοさんの議論はやや筋が通らないように感じていました。しかしそれはフェミニズムを全く知らないためである可能性も十分高く、少し調べてから判断しようと思いました。現状では、今ある規範問題点を指摘し新たな規範を構築する際、新たな規範正当性をどのように確立すればよいのか分からなくなり、整理がついていません。

舟場 保之(2007)「ジェンダー哲学問題とはなりえないのか」『哲学』58 号 pp. 61-78(https://doi.org/10.11439/philosophy1952.2007.61)に、次のような話が載っていました(p. 65)。

アイデンティティポリティクスの主張は、その真理性なり正当性なりの論拠を最終的には当該のアイデンティティにおく。アーレントは、アイデンティティポリティクスに反対していたにもかかわらず、レッシング受賞講演において「ひとは攻撃されている事柄によってのみ、抵抗することができる」と論じている。このとき、「抵抗」のひとつの形として「現行の法」に対する異議申し立てが行われるとすれば、その異議申し立ての論拠は「攻撃されている事柄」におかれることになるだろう。ある「抵抗」の異議申し立てに対して、、「あなたはなぜそのように主張するのですか」と問えば、最終的には「わたしは○○に関して攻撃されているから」と答えられることになる。しかし論拠がこのようなものであるとしたら、この言い分に納得できるのは同じように〇〇に関して攻撃されている者だけであり、異議申し立ては〇〇に関して攻撃されている者にしか説得力をもたないことになる。だからこそ、このような異議申し立て無理解な者に対しては、「あなたは○○に関して攻撃されていないからわからないのだ」という言い方が(きわめてよく)なされるのだろう。アイデンティティポリティクスの主張は、アイデンティティに論拠がおかれるかぎり、アイデンティティが同一の者には説得力もつがそうでない者には説得力をもたないのであるしかも、論拠とされるアイデンティティが「反論余地のない事実であるなら、論拠を問題化することがまったく不可能になってしまうので、アイデンティティポリティクスの主張は反駁される可能性を原理的にもたない絶対的ものとなってしまう。

例えば宇崎ちゃんポスター話題などでも「普通に訴えてもお気持ち扱いされる」みたいな話を見かけました。これはまさに上記引用で触れられている、アイデンティティポリティクスの主張がアイデンティティを論拠とするために反論を許さず、そのためにアイデンティティが同一でないものに対しては説得力を持たないものとなる(反論不可能ものについては議論が出来ないので?)、という構造と同じものだと思います

宇崎ちゃんポスターの例では「性別Aの者を性別Bに属するものがあげつらったり、その性を利用したりすることは正しくない」というような公理のもと、それがA=女性、B=男性として宇崎ちゃんポスターにおいて行われていると判断され、問題のあるポスターとして指摘されたと僕は認識しています。これに対し「この程度は性についてあげつらうほどのものではない」「これをあげつらいと考えるのはお気持ちである」という形で「お気持ち扱い」をされているのかなという印象です。

このとき、仮にアイデンティティポリティクスに反対する姿勢を取っていたとして、宇崎ちゃんポスター問題においてどのように主張の正当性確立するべきなのでしょうか?究極的にはお気持ちにならざるを得ないのでしょうか……?僕には分かりません。何かうまく論理を構築する方法論が知られているのでしょうか。

またραοさんとなのさんの議論の中で、上記引用典型的発言として挙げられる「あなたは○○に関して攻撃されていないからわからないのだ」と似た発言がなされていました。

男性フェミニストに対して「真のフェミニストかエセフェミか」と自分ジャッジできると思い上がってる時点で君はフェミニズムのことを何もわかってないのだねという感想しかないわ

という発言もややアイデンティティ(あるいはポジショナリティ)を論拠にしているように見えます。これによりραοさんは、なのさんや一部の方から自分正当性を疑わない人とみなされてしまったように見受けられます

しかし、特に規範のようなものを考えるにあたり、アイデンティティポジショナリティから自由になることは可能なんでしょうか?ραοさんはそれが不可能だと考えているか、相当に困難だと考えておられるのではないでしょうか?

自分中立だと思いこむのとか、立場偏見を取り除いて客観的ジャッジ目線議論ができると思いこんでるのはなるべく高等教育過程に入った方には既に卒業しててほしいな…。こんなの哲学の初歩の初歩でしょ…。

というツイートから、そのように思われます

自然科学の研究をしている身としては、実験だったり理論だったりの正当性検証は容易ではないが常には原理的に不可能ではないので、メタ立場から正当性議論が出来る(なのさんの言葉を借りれば「パワーバランスに基づく議論あくま論理/倫理的な「正しさ」とは独立であるべき」)と考える方が身になじむものがあります。なのでアイデンティティポリティクスに反対する姿勢もしっくりくるところがあるのですが、実際問題としてそれを回避することは可能でしょうか?自分がある程度アイデンティティ(あるいはポジショナリティ)を論拠としている部分がある、と自覚した上で正当性議論を行うという所が限界なのでしょうか?今の僕には分かりません。

上に書いた話も、自分感覚整合性が取れるように論展開を進めようと思ったのですが、僕の「お気持ち」が何となく納得していない感じがあり、十分整理できてないなと感じています

自分研究が落ち着いた時に、時間をとってもう少し勉強して整理したいと思っているので、重ねてですが「◯◯の主張は筋が通っていない」「◯◯ぐらいは読め」みたいな指摘がいただけると幸いです。

2019-10-13

懺悔差別に荷担してしまたことについて。

から4年前くらいのあるとき、私が「人を馬鹿にするような、差別的表現は控えた方がいい」と言ったことに対して「そうやって規制ばかりしていたら面白いものは作れない」と反論された。

その反論に対して、私は戦えなかった。そんなの絶対に間違ってると思ったのに、何も言えなかった。それがずっと心にしこりとして残っている。

から懺悔したい。懺悔して、もうそろそろ許されたい。

私は演劇が好きで、高校大学3年生までの6年間、演劇部に所属していた。

私が大学所属していた演劇部は所属人数が多く、私の在籍中は40人くらいはメンバーがいたと思う。

その演劇部は毎年の秋、学園祭にて、1チーム2人〜の小さいチームに分かれて短編劇を作り、学園祭の間じゅう、交代制で絶やさず何かしらの劇を上演し続けるという企画をしていた。

ももちろん友人たちとチームを作って参加した。

そしていくつか結成されたチームの中に「ホモクラブ」(※仮名)というチームがあった。

ホモクラブメンバーは私の一つ下の学年の男子を中心に5,6人が集まっていた。

その名前の通り、彼らは「主人公主人公恋人役もゲイ」という設定の劇をやっていた。

設定がそうというだけで、テーマは「純愛」だと彼らは謳っていた。確かにかい設定を無視してストーリーラインだけ見ればそれは「数々の困難を乗り越え主人公恋人が結ばれる」というもので、少女漫画のような「典型的ラブコメ」を過激ギャグ調に演じることで揶揄するような内容だった。

ストーリーラインだけ見れば「純愛」だったと言えなくもない。

ただ、彼らは劇中のキャラクターに「ゲイ」という属性付与していた。

登場人物は全員、男性同性愛者。

主人公は雄々しく熱血な性格男性で、恋人役は「一昔前の少女漫画典型的なか弱くて健気なヒロイン」像をかぶせられた男性だった。

「やめて!僕のために争わないで!めそめそ」といった感じの恋人を、主人公が「俺が守る!」といった感じで熱血に困難を乗り越え、ふたりは結ばれる。

彼らの演劇は「チープで典型的ラブコメが男どうしで、下ネタをまじえつつ繰り広げられる」ことにおかしみを見出すものだった。

私は彼らの演技が不快だった。

彼らの演技に、自分同性愛であることで苦しむ人々への配慮というものはなかった。

自分たちとは違う性自認性的指向の人へのリスペクトは欠片も感じられなかった。

彼らが自分たちとは違う価値観の人を、キモイだとか直接的な表現差別していたわけではない。

だけど彼らは普段生活からホモ」という単語を仲間内相手をふざけて馬鹿にする言葉として使っていて、そのノリがまんま舞台に乗っていた。

彼らに話を聞いてみたことはないけれども、きっと実際に自分たちが演じたいキャラクターと近い性的指向の人に取材をしたり、セクシャルマイノリティに関して勉強したりはしてないのではないだろうか。少しでも勉強していたら絶対にしないだろうという表現を、彼らはしていた。

現実に「やめて!僕のために争わないで!めそめそ」といった感じの男性絶対にいないとは限らないし、そういう人はそれがその人の個性なので、否定するつもりは全くない。

現実同性愛者が下ネタを全く言わないとも限らない。そういうのが好きな人もいる。

自分とは違う性的指向キャラクターを描くときには必ずモデルとなる性的志向の人に取材をして、勉強しなければならないのかと言われれば、絶対にした方が良いと私は思うが義務とも言えない。でないと「どこまで勉強すればOKなのか」なんて話になりかねない。

そして私は「ホモ」という言葉を狩りたいわけでもない。文脈によって、それが実在他人貶めるために使われるのではないと明らかにした上でその言葉を使うのは、なんら問題ないと思う。

私は表現規制したいわけではない、表現自由だ。

ただ彼らは仲間内下ネタを楽しむノリをそのまんま、舞台に上げてしまっていたのである

舞台ということは、少数だったとしても観客がいる。演劇は観客がいてはじめて完成する。

演劇独りよがり自己表現ではない。

観客席を作って発表する以上、その劇は仲間内下ネタ披露大会ではない、自分とは違う価値観もつ観客に見せるものであるはずだ。

彼らは演劇のものが好きなようで、部内でも特に精力的に活動していた。

あるとき地域お祭り特設ステージで彼ら「ホモクラブ」が劇を上演することになった。彼らのいつもの芸風で。

私はこれはまずいと思って、彼らに「あなたたちの演劇は見てひどく傷つけられる人がいるから、やめた方がいい」と告げた。

チケット販売してやる公演ならばある程度客層を絞れる。面白そうだと思った人しか見に来ない。

だけどお祭り特設ステージとなると訳が違う。通りすがりに、何も知らずに観る人が大勢いる。

大通りが一本、歩行者天国になって展開されるような大規模なお祭りだ。年に一度の、市内の人間なら知らない人なんていないようなお祭りだ。

その歩行者天国と繋がっているアーケードに設置された特設ステージが、彼らの舞台になる。

いったいどれだけの人が彼らの演劇を目にするだろう。その中にいったいどれだけ、自分性的指向に悩む人がいることだろう。

だけど彼らが慕うある先輩は「この世の人間みんなに配慮することなんて不可能だ。そうやって規制ばかりしてたら面白い舞台は作れない」と反論した。

私は何も言えなかった。その意見絶対に間違ってると思ったのに。

「この世の人間みんなに配慮することなんて不可能」それは正しいと思う。きりがない。

「そんなことない、ハリウッド作品とか、ポリコレに気を付けた上で面白い作品はたくさんある」と言っても良かったけど、彼らはハリウッド巨匠じゃない。プロじゃない。そんなものを求められるレベルにない。

そして、どんなに観客のひとりである私が不快に感じても、本人たちが「馬鹿にするつもりはない」「真剣だ」と主張する以上、この人たちには何を言っても無駄だと思った。

から何も言えなかった。ただ傷つく人がたくさんいると伝えることしか出来なかった。

それ以来ずっと、私は差別に荷担したという罪悪感を抱いている。

人類配慮することは不可能だけど、意図的とある属性面白可笑しく馬鹿にはしないようにするということは出来るはずだ。

特に、今までいないことにされていたセクシャルマイノリティの人々がネットを通じて手を取り合い発信し、ひどい差別を受けてきたことが顕在化してきたこ時代に、どうしてあえてゲイという属性ネタとして消費できるのか。

彼らはその「ネタ」で傷つく人がたくさんいる、今まで傷つけられてきた、やめてほしいという声を全く無視している。

そしてそういう声を知っていながら彼らを止められなかった私も、加害者だ。

私自身、自分性的指向がよく分かっていない、揺らいでいるというセクシャルマイノリティのひとりだ。

それにもともとぱっとしない性格で、お世辞にも自分磨きに熱心とは言えないせいで、つまり暗くて不細工陰キャなせいで、中学生の頃は息苦しい思いをすることもあった。高校に入ってからは、怖くて男子とは業務連絡以外で口をきけなかった。

から他人の無邪気な言動で傷つけられる苦しさは人並みには分かるはずだった。それなのに、何も言えなかった。

先日、ネットフリックスにて山田孝之氏が主演のドラマが公開された。全裸監督だ。

私は山田孝之氏が好きなので迷ったが、結局not for meな作品だなと思って見ていないが。

全裸監督宣伝で「規制ばかりで息苦しい世の中に風穴を開ける」的なことを謳っていた。正直、推しが主演の作品なのに素直に推せない、残念な作品だなと思った。

差別による抑圧と、差別を避けるための規制による抑圧。どちらも抑圧には変わりないけれども、どちらがより優先的に解決されるべきかというと、前者なのではないだろうか。

私は今も苦しい。罪悪感がずっと消えない。セクシャルマイノリティに関する記事テレビ番組を見る度にそのことが思い出される。

どうしたら消えてくれるんだろうか。

ただこれから一生「規制ばかりで面白い作品がつくれない」という論調に反発し続けるしかないのかと思うと、気が滅入る。

良い「自分の許し方」があればぜひ、教えてほしい。

2019-09-20

anond:20190920105823

私もフェミ臭さがある方だし増田と同世代だけど、この内容は増田の「性」に対する志向が出すぎていると感じる。大原則については私個人同意できるし、その後もある程度は同意できる面もあるが、全然同意できないところもある。

そもそも性(ジェンダー)に対する認識は、それこそ性自認LGBT etc.というタームも含め、個別性がきわめて強い。

「性をこういう風に捉え、このような原則に基づいて取り扱うのがよろしいのです」などと受け取られかねない「方法」に向かいやすいのはダメだと思う。性(ジェンダー)の取扱いについての原則を立てるということは、やってはダメなことだと思うのだ。「アタクシが考える良きセックスを、ワークショップでさぁ教えてあげるわよ」という上から目線雰囲気を感じてしまう。発信側がそういうつもりはなくとも、そう受け取られる可能性がある。発信者と受信者で性志向が異なっている場合、かつ発信者マジョリティ寄りの場合、その発信はより強く悪意をもって糾弾されると思う。それはとっても危険なことだと感じる。

更に、肉体の成長スピード個体差がある。もっと見えにくいジェンダーへの意識性癖も性欲の成長スピードも、その人が持つ性欲の絶対量も人によって違うのに。

セックスファンタジーのくだりあたりは特に気持ちは分からないでもないが、正直、全然ダメだろう。

行為理解していない可能性が高い子供に「セックスファンタジー」と現実の線引きを理解させるのは簡単ではない。それ以前に、子供だろうが大人だろうが、性(というか他者)に関するファンタジー現実との線引きの位置はその人によって、そして他者(相手)によって、更には二者間(または一人(オナニーのケース)あるいはそれ以上(スワッピングのケース)もありうる)の相性や関係性によって、すべて異なる。

極端な例だが、痛めつけられることを求める人と痛めつけずにはいられない人が双方合意していたら、一般的レンジからは外れてはいるかもしれないが、双方合意のもとに行われる素晴らしいセックスだとも言える。一方が抱いているセックスファンタジーにあまり気が進まないけまぁ良いかと他方が乗ってみたらハマったというケースだってある。増田から見たら精神的な疾患や犯罪的な問題をうかがわせるような愚かな行動に見えたとしても、それがその時点でのその人の最善の選択であるケースもある、それが人間欲望セックスの恐ろしく、難しく、そしてとても面白いところだ。

私が、元記事ブコメを見てて確かにそうだなと思ったのは、「男はそもそも自分の性について教えてもらえず放置される」という視点だった。男性性器が外形的に明示されやすいことと、乱暴に大っぴらにしても元気がよくて宜しいと言われやすジェンダーを背負っていることなどもあって、結果的男子は「自分の中に眠っているかもしれない性への感情(繊細だったり乱暴だったり内向的だったり)」を発見できていない可能性があるのでは、ということだ。そしてこれはもちろん女子にとっても同じだ。

そもそも自分と向き合うことができてない人が、どうも多いみたいなのだ

自分が持っている肉体と向き合うこと、自分性自認と向き合うこと。自分の体や自分の性への感情をどうやって尊重するか、同じように他人をどのように尊重するか、そういうプロセスを踏んでいく必要があるんだろうと思う。

「こういうセックス危険セックス」「こういうセックス犯罪」ということを理解するためには、社会的合意形成を理解できなくてはいけないが、この社会的合意に従えない人はいるだろう。少数派の性志向を持っているほどしんどいと思う。もちろん法律では決まってて法律違反はしちゃいかん訳だが、法律を守れない人は必ず存在するしそういう人も、法律違反した後でも生きていかなきゃいけないわけですよ、性欲の飼い慣らしかたも教えてもらえないままに。本当に簡単ではないし、簡単ではない性向の人ほど、問題性犯罪に近くなる。それをハナから排除する可能性がある性教育意味ゼロだろう。

教条的なのはダメだと思う。すべからく具体的で、参加する人が主体的であれるように。カリキュラム以前ではあるが…

ゼミ・・・主に生物的性(sex)について

生理出産にまつわること、性病や望まない妊娠についての知識など、生物的な肉体としての性(sex)への理解

ワークショップ・・・主に社会的性(gender)について、および「sex×gender」について。「人によって違う」ことを理解尊重しあえるか

WSシナリオは年齢とか開催主体によって考えなきゃいけない、全く持って適当だが。

LGBTニッチ性癖や、性関係くそもそも自尊心の欠如した子や、もちろん一般レンジに収まってるマジョリティも含めて、それぞれ全員が自分自尊心パーセンテージを高められるようにカリキュラム設計できたら100点なんだけどね…。まぁ大変簡単なことじゃない。相手傷つける性行為犯罪は、根本的なところでは多分、加害者自身自尊心が満たされていないから犯すんだろうと思うのだ。

2019-09-07

anond:20190907115134

ポルノどころか、現実ゲイも嫌って攻撃しまくってる男沢山いるよね

セクシャルマイノリティに対しては、女の方が許容する人が多いのは統計上もはっきりしてる

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