はてなキーワード: セクシャルマイノリティとは
他のセクシャルマイノリティは、対象の同意がとれないから。迫害するのは良くないとは思うが、LGBTのように市民権を得るのは難しいと思う。
前も言ったけど、批判派は結局「性的で猥褻だから問題がある」と言いたいのか、「女性を性的に客体化する表象に問題がある」と言いたいのかはっきりして欲しいんだよな。
ゾーニングで解決するのは前者の問題であって、後者だと主張したいなら「ゾーニングしようがしまいが、そのような表象がこの世に存在すること自体が問題」だとはっきり言いなさいよ。まあそんなこと言ったら支持を失うだろうけど。(セクシャルマイノリティの議論でいくらでも反論可能だし。)
「どうにか少しでも規制する方向に持っていきたい」という願望がまず先にあって、そのために理屈をこじつけてるとしか思えないんだよな。
Twitterで、とある漫画がバズっている。伊咲ウタさんという方の、「ノンセクシャルの彼氏のお話」という漫画だ。下記にリンクを張るが、増田を書くのは初めてなので、うまくできてなかったらごめんなさい。
https://twitter.com/uta_isaki/status/1298224018911145985?s=20
この漫画自体を読んだときは、なんとも思わなかった。切ないなあ、っていうくらい。問題は、この漫画に対する評価だ。引用RTを見ると「女の子が「キスしたら別れてあげる」と彼氏に言ったのは、ノンセクシャルに対する性暴力である」という意見が多い。うんうん。そうだね。ノンセクシャルにそうでない人間が性的な接触を迫るのは性暴力だね。わかるよ。じゃあ聞くけどさ、
なんでお前ら「彼氏がノンセクシャル的な付き合いを彼女に要求したこと」は無視してんの?
劇中でも「好みの顔があんなに近くにあっていちゃつけないなんて拷問だ」と言っている。そう。性欲がある人間からすると、好きな人に性的な接触ができないというのはかなりの苦痛だ。拷問というのは的確な表現だと思う。精神的暴力だ。なのに、Twitter上で見る限り、ノンセクシャルの方々はそこを完全に無視している。彼氏の側は性欲のある人間の無理解に巻き込まれた被害者で、女の子は加害者、と主張している。でも私からしたら女の子はノンセクシャルの人間の無理解に巻き込まれた被害者だという言い方もできるんじゃないの、と思っている。そこの暴力性を無視するのはなんなんだろう。多分それが暴力だって気づいてないんからなんだろうけど、それじゃ性欲のある人間がノンセクシャルにしてることと、立場が逆転しただけじゃないか。まったく納得がいかない。
私はノンセクシャルじゃない。性欲も恋愛感情もしっかりある。別にそのことがノンセクシャルに勝っているとは思わない。が、別にノンセクシャルに対してそこが劣っているとも思ってない。利き手の違いと同じだと思っている。だから、ノンセクシャルが自分たちの気持ちは理解される受け入れるべきだが、性欲のある側の気持ちは受け入れないし理解しない、みたいなことを言っているのは意味がわからない。
ノンセクシャル側からしたら、性欲のある人間は多数派で力がある側だから理解して「あげないといけない」と主張するのかもしれないが、そんなパターナリスティックな「理解」で本当にいいの?少なくとも私は、それが健全な理解のあり方だとは到底思えない。
女なんだけど、男のお嫁さんが欲しいという感覚がある。
「主夫」とは似ているが、少し違う。確かに家事を担ってくれるとしたら嬉しいが、そこが話の主題ではない。
自分は性自認という意味では身も心も女性だと思っているのだが、ジェンダー的役割の意味合いでは女性というポジションと完全に相容れない。
プロポーズされたいと思わない。逆にしたい。
指輪を贈られたいと思わない。逆に贈りたい。
ウエディングドレスを着たいと思わない。逆に着せたい。
子供を孕みたいと思わない。逆に孕ませたい。
そう、抱いている願望が性別と完全に反転しているのだ。
……こういう性自認と役割との間でバグを起こしている人間は何と称するのだろうか。
もし何か専門用語があるなら教えてほしい。このセクシャルマイノリティでありそうでなさそうな微妙な感情を。
ペドフィリア、レイプ、痴漢、露出狂、死体、といった要は性癖の達成イコール犯罪につながる人たちにとって、その性癖自体が犯罪と言われてしまうとどこにも相談できないし、相談された方も治療できなくならない?
病院に悩みを相談しに行ったら犯罪告白になるかもしれない。通報されるかもしれない。すごく難しい問題だからLGBTQと同一に扱えというのに無理があるのは承知してる。
そんな訳でLGBTQをセクシャルマイノリティとして扱おうというムーブメントには、別に私達は迷惑してないからセクシャルマイノリティといて扱ってやろう、というような傲慢さを感じてどうも好きになれない。
「アニメ絵の侮辱が許されないのは"表現の自由"以前の問題だ。二次元を性的に見て何が悪い。セクシャルマイノリティーに対する差別意識が、ただの侮辱を"批判"だと言って正当化しているだけだろう」
と多くの人が指摘しているのに、それを無視して何が何でも「表現の自由」の話にしないと気が済まないのは、やっぱり在特会辺りのヘイト表現を守るための尖兵として「オタク」を利用したいからなんですかね?(皮肉)
私たちが守りたいのは二次元の創作表現であって、現実の生きた人間を侮辱する表現を守るつもりはないし。ぶっちゃけ「表現の自由」一般には興味がないし、何なら「ツイフェミらが二次元表現を侮辱する"表現の自由"なんてとっととなくなってしまえばいいのに」と個人的には願っている(人権剥奪を支持しているとは言ってない)くらいなので、仮想敵と喧嘩がしたいだけなら私たちを巻き込まない形で勝手にやって欲しい。
弱者とされる人たちが「私たちは不遇です。助けてください。」って言う事は色んな例があると思うのね。
障害者とか。セクシャルマイノリティとか。貧困層とか。非モテとか。フェミの言う「女」とか。
でもそれって社会制度の整備や、世間的な偏見の撤廃に対する叫び声だと思うのね。
もっとこういう人たちでも生きやすい世の中にしてください。政府は法を整備してください。国民は偏見を少し和らげてください。という。
で、タイトルに戻るんだけど、ネット上で「字書きは不遇です」っていうのあるじゃん。
これがわっかんねえんだよ。だって社会制度を整備してほしい訳でも、偏見がある訳でもないじゃん。
むしろ世間的には漫画やアニメみたいなオタク文化()より、小説の方が高尚で偉大なものみたいな風潮すらある。
ネットでも実際面白いものは「なろう」とかで流行ってボコスカ漫画化だのアニメ化だのしてる。
相性が悪そうなSNSでも、ツイッター小説がバズっているのをしばしば見かける。
でも何故字書きは不遇なのかというと、あえて言うと単にクリエイターとしての質が低いだけ。
例えばTwitterで「私たち字書きは不遇」的なことを言ってるアカウントがあるだろう。
本当にダメなやつはまずプロフィールに投稿サイトのURLが載ってない。
どこにあるかもわからないお前の小説を見れるわけがないだろ。で、URLはない代わりにマシュマロなんか設置されてる。
載ってたとして見に行っても、だいたい、とりあえず日本語の文法上は正しいかな、みたいな文章がそこにある。
ちっとも没入感はないし、全部「~だった」で終わってるし。「違和感を感じた」とか平気で書いちゃうし。
字書きにも凄い人、"神"は時々いるが、平均クオリティは正直低い。"神"を探すのはなかなか根気のいる宝探しだ。
だから「字書きは不遇だから反応がない」とか言っちゃう奴って、字書きを盾にしすぎじゃね?と思う。
自分のクオリティが低くて反応されていないのを、字書きそのものに責任転嫁してない?
あとそんなに絵師に対してのコンプレックスが強いなら絵描けばいいのにってなる。いいじゃん、字だって大して上手くないんだし。
少なくとも「字書きは不遇です、助けてください。」なんて言われても、つまんないものしか作れない人間に差し伸べる手が一体どこにあるのだ。
"神"の字書きなら今でも適切にちやほやされてるし。
自分もセクシャルマイノリティなんだけど、セクシャルマイノリティが何で群れるのかが分からない。
例えばゲイバーないしハッテン場ないし、マイノリティであるからこそ特定の出会いの場が必要であることは分かる。
または、なにか社会的な啓蒙活動を行う場合、味方コミュニティの形成は必須だろうと思う。
でも、そうじゃない「群れ」をインターネット上でよく見る。
恋人がいる(=新たに探す必要はない)し、たまに同性婚のニュースをRTする程度の活動しか行わない人が、やたら繋がりたがる。
あれはなんなんだ?
群れるマイノリティというと真っ先に思い浮かぶのが、何かしらのオタクだ。アニメでも鉄道でもいいが。
日本中あるいは世界中から同じ趣味の仲間を探したい、探そうとするのは何か必然のようにも思える。
そしてそれは自分が自分らしく生きるための指標にはなっても、他人と共有する必要はない気がする。
アイカツの実写融合化に関する一連の賛否、現実的な希望と虚しさを感じる。
「居場所を奪われた」感について共感は覚えるものの、「そこは我々のために用意された場所ではない」ことは認めなきゃならないんだよな。「逃げてきた」はずの我々が、「奪う」側になったらつまらない。そういう連鎖は断たなきゃいけない。
その現実と向き合える強い人と、向き合えない弱い人と、分断が起こっているのは辛い。しかし、「我々の気持ち」が「存在しないもの」として扱われることもなく、それでいて、決して少なくない「強い人」たちが積極的に明るく振る舞う様子も見せている。
「まあ、そうなるよな」という暗い気持ちもある。でも、何ならそれ以上に安心感もある。きっと、「居場所はそこだけじゃない」人が増えたんだろう。ああ、それだけこの世は住みやすくなったんだろうな、という希望がある。
フィクトジェンダー・フィクトセクシャルを自認する一人として、「同じ気持ち」でその場にいた人々の声には、心強さも感じる。しかしまあ、本件は、「大人にならなきゃならんよ」という話ではあるのだけど。
セクシャルマイノリティーを認めることが、広い目でフェミニズムに資すると信じられているように。このようなコンテンツのあり方を認めることは、広い目で見ればフィクト系のジェンダー・セクシャリティのあり方を広めることに繋がると私は信じている。
フィクションについて、背後に現実を見出さなければ気が済まないマジョリティに対して、この「気持ち」が目に見えるか?と、チクリと言ってやりたい気持ちもある。
たまに人と話しててびっくりするんだけど、自他境界が曖昧な人って結構いるのね。
いや、俺はお前じゃねーしあなたは私じゃねーし、ってその度に結構思う。
ただコレ、断絶の絶望は味わってこなかったんだな〜とも思う。
みんなと同じようにやればやり過ごせた(あるいはその違いに気づけない程度に鈍かったか)んだろう、と嫉妬すら抱く。
自分語りゴメンだけど、自分はいわゆるセクシャルマイノリティってやつで、もうねえ、そこまでの年じゃないけどひたすらに打ちのめされてきた。
何かが好きならきっと証明できたんだろうけど、本当に他人を恋愛感情で見られない。
ある意味女子も男子も、あるいはどちらでもない人ともどちらでもある人とも、見た目とか年齢関係なくフラットに接するから、無駄にジェラシーを燃やす人やら、低く見てくる人やら逆に高く見てくる人やらに多く接した覚えがあるよ。
でもさ、わかんないわけよ。
愛してしまって苦しい気持ちとか、狂おしいほどの性愛とか、それ故に遠ざけたり近づいたり喜んだり悲しんだり怒ったりする人の理由がちっとも理解できないわけ。
これは、圧倒的に私と他人が違う生き物なんだなって言う理解に進んだ。
他人から見て私はとても奇異に映ったかもしれないけど、正直私の方がよっぽどその感情を抱いてると思うよ。
他人に感情を振り回されることってほとんどない私にしたら、だれかの言動に怒ったり泣いたり喜んだりしてる人の方が本当に理解できない。
自他境界の話だと、「別に敵じゃないけど、味方でもない」っていう認識も、自他境界曖昧な人と話してると捗らねえなと思う。
敵じゃないっていうといきなり自陣扱いされるとさ、正直困るやん。逆も結構いるけど。
世の中には敵でも味方でもない人ばっかりで、一握りの敵と味方がいるだけなのにね。
この「理解できない」という絶望感を感じることが多ければ多いほど、自分と他人の溝は深まって、世界はソーシャルディスタンスで平和になりそうなもんだけどな。
たまに人と話しててびっくりするんだけど、自他境界が曖昧な人って結構いるのね。
いや、俺はお前じゃねーしあなたは私じゃねーし、ってその度に結構思う。
ただコレ、断絶の絶望は味わってこなかったんだな〜とも思う。
みんなと同じようにやればやり過ごせた(あるいはその違いに気づけない程度に鈍かったか)んだろう、と嫉妬すら抱く。
自分語りゴメンだけど、自分はいわゆるセクシャルマイノリティってやつで、もうねえ、そこまでの年じゃないけどひたすらに打ちのめされてきた。
何かが好きならきっと証明できたんだろうけど、本当に他人を恋愛感情で見られない。
ある意味女子も男子も、あるいはどちらでもない人ともどちらでもある人とも、見た目とか年齢関係なくフラットに接するから、無駄にジェラシーを燃やす人やら、低く見てくる人やら逆に高く見てくる人やらに多く接した覚えがあるよ。
でもさ、わかんないわけよ。
愛してしまって苦しい気持ちとか、狂おしいほどの性愛とか、それ故に遠ざけたり近づいたり喜んだり悲しんだり怒ったりする人の理由がちっとも理解できないわけ。
これは、圧倒的に私と他人が違う生き物なんだなって言う理解に進んだ。
他人から見て私はとても奇異に映ったかもしれないけど、正直私の方がよっぽどその感情を抱いてると思うよ。
他人に感情を振り回されることってほとんどない私にしたら、だれかの言動に怒ったり泣いたり喜んだりしてる人の方が本当に理解できない。
自他境界の話だと、「別に敵じゃないけど、味方でもない」っていう認識も、自他境界曖昧な人と話してると捗らねえなと思う。
敵じゃないっていうといきなり自陣扱いされるとさ、正直困るやん。逆も結構いるけど。
世の中には敵でも味方でもない人ばっかりで、一握りの敵と味方がいるだけなのにね。
この「理解できない」という絶望感を感じることが多ければ多いほど、自分と他人の溝は深まって、世界はソーシャルディスタンスで平和になりそうなもんだけどな。
特に不満とか要望があるわけではないのだけど、以前から何でだろう?と思っていて、吐き出すところがないので増田に来ました
本題。
今はまっているジャンル・カップリングには、ジェンダー・セクシャリティが不定と思われる人が多くいるようだ。
私はオン専腐女子である。同人イベントに出展したりオフ会に参加したことは無い……ので、これらは全てTwitter観測により得た情報である。
フォロイー達の日常ツイート見ていると、どうも、Xジェンダーかつアロマンティック(またはアセクシャル)のようなことをツイートで匂わせている人が複数いる。2、3人ではなくて、百前後のフォロイーの中に片手で足りないくらいはいる。
たしかに、セクシャルマイノリティは人口の5%程度はいると言うが……。公言してる人だけでこの人数は多くないか??
今まで大規模旬ジャンル、小規模ジャンルなどいろいろなジャンルにはまってきたが、こんなに多く観測したのは初めてで、正直驚いている。
かくいう私もXジェンダーのアロマンティックだが、ツイートでそのようなことを言ったことはない……上手く言う自信が無いので……。
このTLでそれらを公言してるのは、今のところ同じカップリングの愛好家のみに固まっている。
このカップリングに、そのような人を惹きつける何かがあるのかと思ったが、全く思いつく要素がない。
受は明らかにノンケの"男性的な男性"だし、攻のセクシャリティは明言されてはいないが、まあ一般的な男性である。(フィクションのキャラなのでだいぶキャラは濃いし奇妙な人物ではあるが…)
https://i-d.vice.com/jp/article/8xeg4b/does-it-matter-who-writes-queer-stories
欧米におけるヤングアダルト小説(こちらでいうライトノベルのような枠組みだろうか?)で、LGBTQを取り扱った作品が隆盛していることについての話だ。
そういうポップカルチャーで多様性が描かれるのって、良いことじゃない?
多くの腐女子はそう思うのではないだろうか。
売れたLGBTQ小説は、ストレートの女性によって書かれたものが多いそうだ。
そのことについて「また女性作家がゲイの少年モノという流行に乗っかって利益を得ようとしている。本物のゲイ作家もいるのに、その人たちは取り沙汰されない」という批判が起こっているという。
いつも描かれるのは「シスジェンダーの性的マジョリティが同じマジョリティの読者に向けて描いたセクシャルマイノリティ」。
これが問題だという。
ようは同性愛描写が単なるコンテンツとしてマジョリティに消費されているということを言いたたいのだろう。
これを読んで思ったのは、これって日本でも議論できることだなぁということ。
日本の腐女子って自分のことを「マイノリティ」かのように認識してる人が多い気がする。
自分がBL好きという"特殊性癖"を持っていると自己認識して、たまにBLを嫌う人をミソジニストと呼んで戦ってたりする。
腐女子の描くBLは「性的マジョリティがマジョリティに向けて描いたセクシャルマイノリティ」というものが大半だと思う。
私は二次創作BL作品は極力隠れたほうがいいと思っていて、その理由は上記の一点に尽きる。
「BL作品好きを腐女子と呼ぶのはゲイの人に対する差別だからshipperを自称する」という運動が一時期起こっていたが、私にはそれもできない。
私自身はたぶんストレートだし、専門的にその方面の勉強もしてないし、マイノリティの人たちに関する活動をなにかしてるわけでもない。
おそらくヘテロであろう作者がヘテロとして描いたのであろうキャラクターを、その解釈の範疇から大きく逸脱しない範囲内でセクシャルマイノリティに改変して創作してる(例えば普段はヘテロだけど相手にだけはゲイということにしたり)。
この創作がゲイの人への理解を促進するとか心を救うとも思わない。
ゲイに向けたものではない作品群を肯定することが、ゲイを肯定することとはイコールで結ばれない。
話はそれるが、でもBLが好きという自分の趣味を肯定したい、だから腐女子という貶めた呼び方ではなくshipperと呼びたいという気持ちなのであればそれは共感できる…
自分たちのために自分たちを肯定するのはとても良い事だし、そこにゲイの人達への配慮みたいなものを挟むのは筋が違うと思う。
増田書くのはすごく久しぶりだ。多少フェイク混ぜつつだけど吐き出してみる。
昔から性欲は強かった。オナニー1日5回とか普通だったし、セックスへの願望がものすごく強かった。
だが、モテなかった。絶望的にキモいオタクが同世代の女性とセックスを成就できるわけもなく、学生時代も20代も恋愛に縁がないまま魔法使いになってしまった。
30代になってほんの少しだけ女性に優しくされた。免疫のないキモオタは舞い上がり性欲はより一層増幅され、こじれにこじれたセックス願望が暴走しかけた。いや、暴走したな。
無論、その女性とはできるわけもなく、無理やりとか妄想の中だけ。そんなヘタレの悶々とした思考だけはいっちょ前に出したいと、どこぞに本当に気持ち悪い文章を書いては嘲笑の的になったりした。
その文章を見た誰かに本気で気持ち悪いと言われ、インターネットでの死を迎えた。
相変わらず性欲は強いし、セックスへの願望…いや最早神聖化された儀式への熱望は消えなかった。
ある日、みくしーでとある人物と仲良くなった。マイミクくらいで舞い上がることはなく、単に同好の士が増えただけだと思っていた。ただ、普通と違ったのは2つ。やけに好感度が高いことと、女性であることだった。
その人物とチャットでやり取りすることも増えた。悩みも打ち明けたし打ち明けられた。なんだかよくわからない感情が芽生えたのもこのころだった。
それまたある日、二人でオフ会をしないかと言われた。住んでいるのも同じ県だったし、一度会ってみたいと思ったので二つ返事で了承した。
待ち合わせ場所にいた女性は想像以上に美人だった。こんな人が自分への好感度高いなんて逆に恐怖を覚えた。それでも逃げることはなく、普通にオフ会をした。焼き鳥屋でいろいろ喋っているうちにいい雰囲気になり外に出た。
公園のベンチで話をした。なぜか好きですと言われた。唐突だったのでかなり焦ったがこっちも好きですと言った。結果付き合うことになった。
齢30で初めて恋人ができた。程なくして魔法使いじゃなくなった。初めての感想はよくわからないうちに終わったというのと、人の肌は暖かく心地いいだった。
拗れたセックス願望は無事昇華され、そのまま消えてほしかった。実際ある程度消えていた。なにせ求めれば応えてくれるのだからもうそういうものは必要ではなくなった。ハズだった。
その女性とは程なく入籍し、結婚式も挙げた。自己肯定感も上がり、社交的にもなれた。キモイから若干挙動不審なフツメンくらいには変身できた。
夜の生活も上々で子供もできた、ならこんなクソみたいな文章書くこともなかっただろう。
ある日、セックスが苦痛だと妻に言われた。ずっとずっと苦痛だったと言われた。
自分に非があるのかと思い土下座した。しかしよく聞くとかなり根深いものだった。
生育環境から初体験、果てはセクシャルマイノリティの概念まで混じった相当やばいものが根にあり、ずっと言えなかったらしい。さすがにこれはどうしようもなかった。
週1回が月1回になり、最終的には妻から誘われるまでナシになった。
気が付いたらアラフォーになっていた。相変わらず性欲は強いままだった。2次3次なんでも大丈夫だし、なんなら画像すら必要ないくらい想像力豊かだ。
フリンもフーゾクもできず、テンガ様にお世話になってばかりだ。最後にセックスしたのはいつだっただろうか。もう遠い昔のように感じる。
嘘だよ。本当はセックスができなくてすごく苦しい。できなくて死にそうなんだよ。マジつらい。
20代くらいのセックスへの願望みたいなのが出てきている。サルかお前は。
家庭内の不和はない。むしろ滅茶苦茶夫婦仲は良い。信頼や相談もできているし、してくれる。
…セックスのこと以外はな。
フリンは社会的に死ぬし、フーゾクは金がないから無理。パパ活?顔を見てから言え。
さすがに精神科医師に相談したらオナニーで解消しろと言われた。それで解消してねーから来たんだろ。アホか。
完全にデッドロック状態になった。だけど性欲はあふれんばかり。セックスへの渇望は日に日に増大している。それで死にそうな顔しているんだぜ。バカみたいだろ?
今は去勢を考えている。金玉取れば少しはましになるかなと思っている。でも、この国では性不一致じゃないとそういう手術はしてくれないらしい。
そもそもそれを治療にしている場所はないみたいだ。精々男性ホルモンを減らすくらいしか手立てはなかった。
ちなみに妻との離婚は考えていない。人間として尊敬できるし、好きだもん。死ぬまでそばを歩きたいと思っている。
その前にセックスできなくて憤死しそうだけどな。
人間3大欲求の1柱を完全に押し殺し、生きていこうと思っている。
フリンもフーゾクもせず、にこやかに生き、夫婦仲は良く、仕事もそつなくこなして生きよう。
アラフィフくらいになったら自然と枯れるだろう。そう思おう。それでいい。それでいいんだ。
無理だ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
セックスしてぇぇぇぇぇぇっぇぇぇぇぇぇぇぇっぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇl
お前の言っていることは一方的な決めつけばかりで、何ひとつ客観的な根拠がない
「なぜそれが差別だと言えるのか」については一切説明せず、「とにかく差別だから疑問を抱くな」というクソみたいな主張
まあ俺は民主国家の人間だから、法がトランス女性を女性と規定するなら認めるけど
そうでない限りは「テメーらが勝手に言ってるだけ」でしかないし、お前らのやってることはローリングが自分の意見と違うから攻撃するという、およそ不寛容で独善的な行いでしかない
あなたは、トランスジェンダーの差別問題について考えたことがありますか? 私は、常にじゃないですけど、結構長い間考えてきた問題です。
いわゆるセクシャルマイノリティと呼ばれる人達が、差別を訴えてきたことは周知の事実です。
わかりやすい例で言えば、保毛尾田保毛男事件がありました。最早あんな表現は許されない世の中になっているのですよ。だから猛批判を浴びました。
差別問題というのは一般的には、過去から未来へと差別が解消されていくという流れです。
黒人問題など言わなくても分かる話ですし、女性問題だってそうです。或いは、ハンセン病で差別されたり、障碍者も差別されてきました。
日本国憲法にも、趣旨として差別してはいけないと書いてあります。
差別は人権問題なのです。そして人権というのは近代に確立された概念です。現代社会は民主主義社会であることが当然なので、人権は何より大事な概念なのですよ。
バカにするような言い方で申し訳ないですけど、あなたはそんな事もわからないのでしょうか?
ネットでは、トランスジェンダーの人はトランス様、セクマイ様と呼ばれて今もなお差別が当たり前です。
増田でも、トランスジェンダーの友人が差別に耐えかねて自殺したという話も過去に上がっていました。ホントかどうか知りませんけど。
では何故、ローリングの言っていることが差別になるのか。どうして、猛批判を浴びているのか。元増田中に上げたリンク記事の中にはローリングの発言への反応のほとんどが批判だったと書かれていますよね。
エマ・ワトソン、エディ・レッドメインもJ.K.ローリングの反トランスジェンダー発言を批判 | cinemacafe.net
トランスジェンダーの人、あるいはセクシャルマイノリティな人は、自分たちがそうなりたくてなったわけじゃないからなのです。
黒人等の人種や民族、あるいは上で上げたような病気もそうです、そうなりたくてなったわけじゃない、自分自身のアイデンティなのです。
トランスジェンダーの人は、成長するに連れ、生まれた時に言われた自分の性別に対して、どうしても拭えない性別違和に気づきます。
例えばトランスジェンダー女性は、男として育てられ、男の服を着せられ、学校などでは男の中で過ごすうちに、どうしても自分が他の男とは一緒だとは思えなくなってくるのです。
自分がおかしいと思っても、全くこの違和感が拭えることはありません。
そんな話今時なら、全く珍しい話でもなく、聞いたことあるはずです。
どんなに頑張っても、自分が男だとはどうしても思えないのです。
ですから過去、病気とされていた時代でも、治療は男性に認識させ直すことではなく、ホルモン療法や或いは性転換手術などによって認識に一致させる方向で行われてきたくらいなのです。
しかし2000年代以降、そうした人達をトランスと呼ぶようになり、出来る限りそのままで認めようという流れになってきたのです。
別にそのままでいいじゃないか、治す必要などない、と。そこで性自認という考え方を重視するようになってきました。その自認こそが性別であるというわけです。
ところが、一部の人は頑強にこれを認めないのです。
例えば、カナダではとある女性保護施設が、いわゆる生物学的女性しか認めないと主張したために、トランス側からそれは差別だとして襲撃されたりしています。その後、カナダ政府はトランス女性を排除しないように命じています。
今すぐ思い出せる象徴的な事例はそれくらいですけど、差別的に思われてきたことは保毛尾田保毛男が昔は容認されていたことから分かるでしょう。
まだまだ、差別解消の途上ですし、そんなに理解されているとは思いません。戸籍上の性別変更だって手術要件は消えていませんし。
だから、あなたのような人がいても不思議ではありませんが、頭の片隅にでも、そういう差別を言っている人がいるのだなぁくらいには理解してもらえたら幸いです。
って、まだまだあるんだなーという話。
ハリポタ作者、トランスジェンダーめぐる発言で物議 映画出演者も批判 - BBCニュース
って記事がちょっとだけバズった。ブクマも少しついてる。ただ、このBBC記事は少し分かりづらい。
今回のことの発端は、ローリング氏による7日のツイートだった。「月経のある人のためCOVID-19後にこれまでより平等な世界を作る」という、「月経のある人? そういう意味の言葉が、かつてあったんじゃない? 思い出すの、誰か助けて。ウンベンだっけ? ウインプン? ウーマド?」」とツイートした。
このツイートに対して、<女性(ウーマン)という言葉にはトランスジェンダーの女性が含まれる。ローリング氏の発言はそれを否定する、トランス差別だ>という批判が湧き起こった。
もう少し詳細に言うとこうである。
6月6日、人道支援メディア「Devex」が「オピニオン記事:コロナ後の社会を生理がある人々にとってより平等なものにするために」という記事を掲載しました。この記事の「生理がある人々」という言い方は、性別適合手術を受けていないトランス男性も生理に関する保健衛生の問題に関係があることを示すために使われたものです。この記事を引用しながらJ.K.ローリングは「“生理がある人々”とあるけど、そういう人たちを指す言葉があったはず。誰か思い出すのを手伝って。ウンベン? ウィンパンド? ウーマッドだっけ?」とツイート。「ウィメン(女性)」という言葉を忘れたふりをしながら「生理がある人」ではなく「女性」という言葉を使うべきだと揶揄したのです。
ローリングが何を言ったか、わかりましたか? 彼女は以前からそうでしたが、トランス女性はトランス女性としてしか認めない人なのです。トランス女性は女性ではないと言うのです。先進国だと思っていたイギリスですらこうなのです。一般的にはその記事にもありますが、トランス差別をするフェミニスト=ターフと呼ばれます。でも、ローリングのような人は絶対にこれを認めません。自分たちはトランス女性に共感しているとさえ言うのです。差別が何なのか全く分かっていない人なのです。女性はトランス女性を「含む」のですから。この記事は丁寧で、こう書いてあります。
J.K.ローリングは10日、自身のブログであらためてトランスジェンダーについての意見を表明し、「生物学的性が存在しないのなら、同性に魅かれることはない。生物学的性が存在しないのなら、世界中で女性が経験している現実が消し去られてしまう」と述べました。
彼女は、自分はターフではないとしていますが、主張していることの内容はターフと同じです。「生物学的な性別は存在しない」とは誰も言っていません。生物学的な性別も存在するし、性自認や性表現という(社会的な側面を持つ)ジェンダーのありようも独立して存在していること、そして、出生時に割り当てられた性別とは異なる性別で生きたい(本来の自分の性別を取り戻したい)と望む人たちの権利が尊重されるべきである(人権である)ということを理解できていないのです。
多分、まだ多くの人がローリングと同じ理解しかしていないのではないでしょうか? トランス女性とシス女性は違う、と。あるいはトランス女性は男性であると。私も色々とツイッターを使って議論や意見を見ましたが、ほんとに全然理解されていません。
トランスでない、いわゆる半陰陽、今で言う性分化疾患と呼ばれる概念に属する人々に、セメンヤという陸上選手がいます。彼女はテストステロン値で言わば男性認定されてしまった女性です。そのために、彼女はほとんど虐待と言っていいほどの検査を余儀なくされました。仕方ないと思いますか? 普通にしていても女性のカテゴリーに入れてもらえないのです。足が長かったり、筋肉的に強かったりする人もいるのに、その人達と同じだとは見てもらえないわけです。
トランス女性なんか、最近まで女子大に入れなかったんです。で、入ったら入ったできっついフェミニストから「トイレ入ってくんな!」と言われる始末です。ツイッター上で有名なトランス女性の少年ブレンダさんが大型銭湯で女湯に入ったことを自分でツイートし「女体グヘヘ」とまでやって、炎上しましたが、おそらく大半の人は肉体が男性なら女湯に入ってはいけない、と思われるでしょうし、グヘヘなんてとんでもない恐怖を女性に与えるじゃないかと言いたくもなるでしょう。でもそれって何なんでしょうか? シス女性が他人の女性の体を愛でることだってあるだろうし、レズ傾向の人だっているかも知れないのに。彼女も女性なのですよ。ところがいまだに世間はトランス女性を女性と認めない。というか、シス女性以外、あるいはテストステロン値まで用いて境界線を引こうとする。
もちろん、社会常識というものがあります。それはセクシャルマイノリティーの人だって分かってます。だから、大学でも工夫してシス女性に迷惑かけないようにしてたりするんです。公共の場所ならば、トイレは必ず多目的トイレを利用するようにしてるとか、着替える時は自分だけ別の時間だとか、そんな風に。それが社会一般なのだから、そうするしかないのです。でも、もう少し社会というか、そうでない私達の側がマイノリティーを理解するようにしないと駄目なんじゃないかと思います。
少なくとも、ローリングのような発言は認めるべきではありません。
最近、NL表記は差別だ!って意見をちょくちょく見かけるようになったので、LGBT当事者の目線で話してみたいなーって思いました。
ただ、これはあくまでもわたしという一個人の考えでしかないので、これが基準だとは思わないでほしいです。ちょ〜無責任に書き連ねるだけです。
さて、本題。
まず、わたしはLGBT……というか、セクシャルマイノリティの中では「パンセクシュアル」というものに該当する、と思ってます。Bに近いけどちょっと違って、「性別に拘らない」ってやつです。好きになった相手が好き。男女問わず、好きだと思ったら好きです。いや実際に好きになったのは異性ばっかなんですけど、付き合ったことあるのは同性のみです(ちゃんと相手の女の子のことも好きだったよ。むしろわたしが入れ込んでた方だったよ)(この女がクソ女だったのはまた別のお話)
つらつら書いたけど、ふわっとしか知らないのでなんか間違ってたらごめんなさい。この記事を読んだ人はコメントまで読もうな、親切な誰かが正しい知識を書いてくれてるよきっと。知らんけど。
だって……男女が大多数じゃん、自然の摂理じゃん、"普通"じゃん。そりゃノーマルでしょ。
問題なのは「普通じゃないもの」を叩いて隠していけないものだと思わせてることじゃねえの?
「普通」ってそんなに大事?わたしが女の子と付き合ったからって誰かに迷惑かけてる?かけてないでしょ、ならそれでいいじゃんね。ダメなの?