はてなキーワード: アンタッチャブルとは
http://anond.hatelabo.jp/20160107125638
http://anond.hatelabo.jp/20130102142639
丁度3年経ち、近況を書いてみる。
元の日記を書いてから程なく、ヴァイオリンのソロレッスンを再開した。
そして、今年からモーツァルトの協奏曲(某有名教本のラスト2巻に載ってるアレ)を習うことになった。
あれから更に色々調べたのだが、普通はモーツァルトの協奏曲の3・4・5番のいずれかを弾き、メンコンという流れらしい。
なので全てが順調に行けば、年内にも念願のメンコンに取り掛かれる可能性が出てきた。
「メンコンで学ぶことはメンコンでしか学べないことだけにしましょう。つまり、それ以外に必要な技術はより簡単な曲で身に付けておいて、メンコンに取り掛かったら一気にクリアする方向で」
と約束しているので、自分の実力次第ではメンコンの前に「寄り道」する可能性はゼロではない。
結局、ここまで来るだけで3年かかったわけだが、これが早いのか遅いのかは良くわからない。
正直レッスンは厳しかったけど、付き合ってくれた先生には感謝している。
当時はわからなかったが、レッスンを通じて自分の実力を正確に把握できるようになって、自分の目的がいかに身の程知らずだったか痛感させられたからだ。
狩りに例えるなら
「弓矢の基本的な使い方は分かっていて、小動物くらいは狩ったことあったかな」
くらいのレベルで
「トラを狩りたい!」
と吹いたようなものだ。
普通だったら
「あなたさー、もういい歳なんだから寝言は寝てから言いましょう?」
と門前払いされかねない話なのに
「なるほど、つまり増田さんは本当に上手くなりたいんですね?」
ちなみにこの3年間でやったことは以下の通り。
これらを体得するためのレッスンは、上述の通り厳しかった。
もう毎回
「ああ、今日も弾けなかったな」
と半泣きで帰ってくるのが当たり前だった。
え?レッスンでそんなの普通だろって?うん、そうだね、変なこと言って悪かった。
そんな厳しい修行っぽいことをここまで続けられたのは、レッスン以外でアウトプットの向上が確認できたからかも。
オケは毎週練習があるので、レッスンで教わった時はたとえ半信半疑の指導内容であってもオケでは即実践、それも非常に難しい曲を弾く中で実践し
「おお、確かにこれはいい!」
と必ず納得する結果になった。
そして最近は
「増田さん上手いから」「増田さんと同じプルトだったので本番は安心して弾けました」
と言われるようになり、更に今まで全く相手にされていなかった「主にコンマスと2ndトップ+αで構成される、よく弾ける経験者の互助会的仲良しグループ」から、トップサイド(トップの隣の席)へ頻繁にお呼ばれするようになった。
これは別に偉くなったわけではなく、狩りに例えるなら「この人なら確実にこの獲物を狩ってくれる」という信頼を得たことを意味する。ってモンハンかよ!モンハンやったことないけど。
逆に言うなら、以前の自分の腕前は「幼少からやっていてその程度」だったわけだ。それどころか、率先してノイズを出しまくっていた自分は、パート内でも腫れ物ないしアンタッチャブルな存在になってしまっていた。
その頃と比べたら、今の周囲の扱い方の変わりようは驚異である。
一方、カルテットはオケと違って本番という期日がないので、同じ曲を数カ月ぶりに弾いてみる機会が結構あるのだが、弾くたびにより弾きやすく、かつ綺麗な音が出るようになっていて、メンバーからの評価も上々だったり。また、弾ける曲も徐々に増えてきた。
こうした実践の場があったことが、レッスンを続ける原動力になったのは間違いない。
「弾けないと楽しくないんですよね」
と言われたことがあって、その時は全くピンとこなかったけど、今だいぶ弾けるようになって、確かにその通りだった。
何しろ、今が一番弾いていて楽しいのだ。もっと上手くなればもっと楽しくなるだろう。
勿論、弾けないなりに楽しみを見つけるやり方も全然アリだと思うけど、自分はそこまで器用じゃなかった。
だって物心ついた頃からやってることはもう体の一部であり、心の一部であり、人生の一部なのだ。
それが誰からも評価されず、自分でも納得できないとか、ケツの座りが悪くて仕方がない。
そんなことに今頃気付かされた。
とにかく、こうなったらもっともっと上手くなって、プロにはなれないにしても、セミプロ級くらいには高めたいと思っている。
その為に、メンコンの更に先、最終的に目標とする曲も既に決めつつある。
今はまだ夢のまた夢だけど、夢に若い若くないは関係ないし、希望はいつだって大切だと思う。
そんな決意を新たにした新年だった。
あっ
お金で買えないものもあるけど、それはお金の便利さが骨身にしみてる人間が言わないと負け惜しみだぜ?
いや、お金がないなりにはいい思いさせてもらってる人だけど、それは誰かが儲けるために僕が必要だと思って、僕の分まで持ってくれてる人なわけだよ…ほとんどの場合。まれに棚ボタもあるけど
自分の生活が良くなってほしいと思ってない人の仕事は請けないほうがいい。ものにもひとにも値段がついててタダじゃないことを知ってる人間の仕事しか請けるべきじゃない。報酬の有無ではなく、案件の問題として
プロ意識なんてものはプロだと認めてる人にしか出さないし、それは誠意として見返りを用意してもらうことでしか出せないんです…逆に言うとちゃらんぽらんな奴でも敢えて報酬を発生させて「これだけの責任があるよ」と示すのも1つの作戦です
痴漢とミニスカ一緒にされてもなぁ…。これはあるスウェーデン人も指摘してるけど、日本人は上半身の下着が見えそうな格好には過敏なくせに、下半身の下着が見えそうな格好を簡単にしすぎ。自覚位あるのかと思ってたが、ないとすれば重篤
聞けば聞くほど、女性によって「これは男から誤解されるだろう」という行動を意識して自衛できる人と、半ば危うい行動をとって「男って酷い」というパターンとある。まぁ、何に対してもそうだけど、起こるべくして起こる事故もあるよね…。被害者は被害者でも危うきに近寄らないのもまた必要なわけで
女性が悪いとか悪くないとかそういう話じゃなく「確かに加害者よりは悪くないし、あなたは被害者だけど、全く落ち度がないわけでもないよね?」という案件もちらほら見かけるからこの手の話は落とし所が難しい。…何に対してもあることだが、女性に男性が言うのはアンタッチャブルな空気が強すぎてねぇ
因みにさっき話した搾取サークルの決まり文句は「お客様ツラをすんな!」。この言葉でイベントの企画から司会、会場の手配までぜーんぶ末端会員に丸投げしようとしやがった。幹部は気に入らない時に口出すだけ。アホかっ。
それって、僕が前に「オタク趣味として洗練されてないから女性を募集して潰れちゃうんだろ?」と言い放った(なぎささんの話によく出てくる)あのサークルでしょうか?よく聞いてるけど、1つも同情の余地がある話が出てこないですね…
は?
とは言いましても五日くらい前の話なのですけれども。
某人がほげっとhogehogeと言いました。ところがhogehogeは差別用語だったため、某人は四方八方から拳が飛んできてフルボッコにされました。ご愁傷さまです。
なんつーか、差別用語指定しているやつらがおかしいような気がしてる。お前らの趣味嗜好で決めてんじゃねーのかそれ?っていう。
ハゲ、デブ、チビ、アトピーetcetcといった身体的特徴はセーフで、池沼(知的障害)、身障、乞食、ジャップ、ワープアetcetcはアウト。前者はセーフどころか笑いのネタにさえなる。なんで?え?
国が定めた障害についてはアンタッチャブルとかそういう協定があんの?なんだかなー。
以前から非差別意識の持ち主は、その特権を振りかざして逆差別的になるなーとは感じていたけどこれをブーストするような気がするなー。
我が愛するニコニコ動画を壊すからだ。衰退させるからだ。ついに滅亡せしめるからだ。
一般的な説明として「真夏の夜の淫夢」とは何であるかについて、ASCII.jpによる説明を引用する。
本文での「淫夢」とはこのゲイ向けポルノビデオを元として改変した動画群を投稿し、再生し、コメントを付け楽しむユーザーの総称だ。
最近ニコニコ動画を利用したことがある人ならば、いや、近年では2ちゃんねるやそのまとめやtwitterやはてななど、
オープンなインターネットコミュニティを利用する人ならば、彼らの独特の言葉を一度は目にしたことがあるだろう。
「あのさぁ……」「関係ないだろ!いい加減にしろ!」「(迫真)」
淫夢は独特の定型文を共有し、頻繁にこれを使う。全く関係のない動画であろうと、
少しでもこの言葉を使えそうなタイミングがあれば大挙してこの書き込みを行い、
自分たちだけが分かる世界を展開し悦に入り、理解できないユーザーを混乱に陥れる。
この行動によって、初心者がニコニコ動画に参入することを大きく阻害する害悪となっている。
淫夢は非常に活発で能動的であり、例えばニコニコ動画に新しく用意された玩具をいち早く見つけ、
それがどんなものであれ最大限利用しようとする。
今やニコニコ動画で最も能動的なコミュニティは淫夢であるため、ニコニコ動画が新しく何かを始めようとすると、
必ず淫夢の玩具になり初心者には使いにくいものとなるのは皮肉なことだ。
このシリーズは、まず退屈な製品の製造工程や、文化解説のビデオに「ホモと学ぶ〜」という目印になるタイトルを着けて無断転載を行う。
次にそのタイトルを目印に淫夢が集結し、思う存分前述の独特の言葉を付けて遊ぶというものだ。
その様子を見るに、動画の内容はほとんど関係がなく自らの定型文遊びだけが彼らの目的であり、
動画は動画として必要とされず、定型文遊びの媒介としてのみ使われる存在に成り下がっている。
このシリーズは典型的な例だが、概ね淫夢は本質的に動画を必要としていない。
そのため、高品質な動画を作ろうとするクリエイターと対立する存在であり、淫夢は今以上のニコニコ動画の発展を阻害している。
BBという文化がある。BBとはブルーバックのことであり動画編集ソフトで切り抜き合成をしやすいように素材化された動画のことだ。
しかし淫夢におけるこのBBシリーズはおよそ素材としては使いにくい部分ばかりが投稿される。
彼らはニコニコ動画の特徴的な文化であるMAD文化や2次創作文化を理解した上で、
それをまともには取り合わず「素材として使いにくい素材を作る」「その使いにくい素材を使って実際に動画を作る」という一種無駄な努力を楽しみ、
この例の他にも、概ね淫夢は色々なコンテンツや文化をよく理解しており、
その上にそれ自体を揶揄しパロディ化したコンテンツを生み出す傾向にある。
新しい楽しみ方を模索しているとも言えるが、この行動によって、コンテンツ文化はさらに複雑化し、理解されにくいものとなってしまう。
独特の定型文による一体感を楽しみ、完成された動画を必要としない。
非常に活発に活動する。
あらゆるコンテンツ文化を理解し、その上に成り立つ新しい楽しみ方を模索する。
そうだ。その通りだ。 知っている。私達は彼らを知っている。
私達は彼らが何者なのかを知っている。
独特の定型文による一体感を楽しみ、完成された動画を必要としない。
非常に活発に活動する。
あらゆるコンテンツ文化を理解し、その上に成り立つ新しい楽しみ方を模索し続ける。
その通りだ。ニコニコ動画だ。
実際のところ、淫夢は淫夢さえ必要としていない。淫夢が淫夢であるためには、淫夢が必要というわけではないのだ。
その証拠に、少し前、淫夢は淫夢ではなかった。少し前には、淫夢は淫夢ではなく、ビリー・へリントンであった。
問題は、なぜ彼らはビリー・へリントンをやめ淫夢になってしまったのかだ。
それは簡単だ。
ニコニコ動画がビリー・へリントンを認めたからだ。ビリー・へリントンをビリー・へリントンとして定義し、表舞台に上げたからだ。
すでに小野ほりでいが喝破しているように、その心性とは「理解されることを嫌う」ということだ。
彼らは、理解されるぐらいならば消えたほうがましだと考えている。
それは、特別でいたいという気持ちと、馬鹿に自分を理解できるわけが無いという上から目線が同居した気持ちである。
ビリー・へリントンが表舞台に立ったとき、彼らは彼らがビリー・へリントンであるまま理解されずに済むことは難しいと考え、
その瞬間から彼らはビリー・へリントンをやめ淫夢になったのだ。
同時に重要なことはこの「理解されることを嫌う」心性が、既存の価値を否定し新しい価値を生み出しやすいニコニコ動画のアーキテクチャーと
彼らは理解されることを避けるために、新しい価値を生み出している。
そして理解されることを避けるならば、最初から理解されていないもの、理解される可能性が低いものを題材に選んだほうが効率が良い。
だからこそ彼らはセクシャルマイノリティや、政治的タブーなどアンタッチャブルな題材を選び、
理解を巧みに避けながら安全にニコニコ動画を楽しんでいる。淫夢はそのような彼らにとって、安息の地であり約束の地なのだ。
しかし、淫夢はニコニコ動画であっても、ニコニコ動画は淫夢であるわけではない。
ニコニコ動画がニコニコ動画であるかぎり、容易に淫夢的なものに支配されうることは確かだが、それは淫夢を淫夢たらしめている性質からしても、衰退の道に繋がることは明らかである。
新しい価値を生むことで理解を避けるニコニコ動画がある一方、新しい価値を生み、その上でその理解を渇望するニコニコ動画もあるはずだ。
我々はそういうニコニコ動画を知っている。
彼らはニコニコ動画でありながら、ニコニコ動画を壊し、衰退させ、ついに滅亡せしめる存在だからだ。
ASCII.jp:ある意味とてもニコ動らしい淫夢動画の世界 (1/3)|myrmecoleonの「グラフで見るニコニコ動画」
http://ascii.jp/elem/000/000/873/873619/
淫夢語録とは (インムゴロクとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%B7%AB%E5%A4%A2%E8%AA%9E%E9%8C%B2
ニコる(淫夢)とは (ニコルとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%82%8B(%E6%B7%AB%E5%A4%A2)
ホモと学ぶシリーズとは (ホモトマナブシリーズとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
BB先輩シリーズとは (ブルーバックセンパイシリーズとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
http://dic.nicovideo.jp/a/bb%E5%85%88%E8%BC%A9%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA
遅ればせながらゴジラを見てきた。作品の感想は事前の期待が大きかったせいもあるがイマイチ。その理由を自分なりに一晩考えて出た結論が「人間にとって都合のいい存在としてゴジラを描いてしまっているから」。1954年に公開された初代ゴジラは明確な反戦・反核のメッセージを含んだ作品であり、水爆実験でよみがえったゴジラは、人間がコントロールできない「核兵器」という科学技術を使うことへの批判として描かれている。
人類が調子こいて水爆実験連発。その衝撃によりゴジラが目覚める。
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ゴジラを殺せる可能性のある、水中の酸素を破壊するオキシジェンデストロイヤーという化学兵器を若い科学者が発明。
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しかし博士はその兵器が戦争に使われることを恐れ、使用を拒否。
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ゴジラをぶっ殺すか? 強靱な生命力を研究対象にするべく生かすのか? 議論が割れる。
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結局、オキシジェンデストロイヤーでゴジラ死亡。博士は兵器の悪用を恐れ設計図を破棄し、自らの命を絶つ。
ゴジラは60年前から反戦・反核のメッセージとともに、際限のない科学への信頼に対する警鐘も鳴らし続けている。しかし、ラストでゴジラを倒すのは核兵器よりも強力な化学兵器であり、これは結局諸刃の剣である科学の呪縛から逃れられない人類を象徴的に描いている。「人類が核実験を続ける限り、第二第三のゴジラが現れるだろう」という最後のセリフは今もって有効だ。これがハリウッド映画であれば、「核兵器でも死なない大怪獣を倒した科学技術は素晴らしい! 人類の叡智バンザイ!」的なハッピーエンドになるはず。
ネタバレになってしまうので詳細は避けるが、なにが言いたいのかというとゴジラは大自然や神様といった人間にとってアンタッチャブルな概念の具現化であり、人類のために戦うヒーローになってしまっては興ざめということ。この辺はおそらく、神様が世界と人類を想像したというキリスト教的な欧米の世界観では理解しにくい存在なのかもしれない。それらの文化圏では神様とはこの世界のスタートとゴールを設定した絶対者であり、人類を正しい方向に教え導く役割を担っているのだから、試練を与えつつも最後にはハッピーエンド(人間にとって都合のいい)が約束されていなければならない。
その点、日本では不可侵な存在としての神様を描くのが得意なようで、例えば「もののけ姫」のシシ神さま。あれなんかは完全に、人類ともののけの人智を超えた存在として描かれている。シシ神さまにとっては森を守るアシタカも森を開発しようと企むエボシ御前も関係なく、ただ目の前の者に死と生命を分け与えるだけ。間違っても「お前は森を大切にしているから褒美として寿命を10年延ばしてやろう」とも「お前は森を破壊した罰として寿命マイナス10年!」とも言わない。人間の都合ももののけの都合も一切勘案に入れず、己の職務に忠実なだけだ。それは、どんなに弱者や善人が住んでいても地震や台風が発生するときは容赦なく発生するのと同じこと。つまり、本来自然や神様は人類の都合など考えない、極めて不条理な存在であるわけだ。
もうひとつの例としては、「ドラゴンボールZ神と神」のビルスさまも同じ。「プリンが食べられないから地球を破壊」「寿司がまずかったら地球を破壊」「ジャンケンに負けたら地球を破壊」といったセリフのオンパレードは、神様の不条理な一面をこれ以上ないくらいよく表している。初代ゴジラにとっては自衛隊であろうと戦災孤児であろうと自らの進路に存在する者は容赦なく踏みつぶすだけだ。
そんな人類の都合など考えないゴジラを期待して見に行った自分からすれば、なぜ98年のエミリッヒ版ゴジラがあんなにも酷評されているのかよくわからない。今作では日本の原発事故を絡めてはいるが、それもイマイチ批評性に欠け(というか単なる方便)、中途半端な社会派作品に堕してしまっている。
一つ興味深い点を挙げれば、人類がゴジラを「撃退」もせず「征服」もせずに「共存」の道を選んだこと。(続編のためにはゴジラが人類に撃退、征服されてしまっては元も子もないのだが)。これまでどんな凶悪な宇宙人も自然災害も撃退して乗り越えてきたハリウッド映画、これまで世界の警察を自称して世界中に西欧的価値観を広げてきたアメリカ。そんな、アメリカという国家が共存の道を選んだこのラスト、実はなかなかにレアなのではないかと考えている。メインキャストで唯一の東洋人である渡辺謙が発した「愚かな人間は自然を征服できると思っているが、そんなことはできない」というセリフは、「自然や子どもは管理されるべき」といったキリスト教の教えとは180度異なる。今回のハリウッド版ゴジラは反戦・反核のメッセージを含む初代ゴジラとは異なり、アメリカの外交の変化とリンクした作品として捉えるとまた違った一面が見えてくる。
年齢:34歳
性別:男
月収:7万円
貯金:60万円
生活費:月に6万円程度
サラリーマンを辞めてあっという間に一年が立った。正直一年前にどんなことをして生活していたのか全く思い出せない。
間違いないのは今のフリーランスの仕事のためにコンサルタントを雇う準備をしていた。一年前は月収2万円程度だったと思う。
コンサルの費用をこの半年でようやく回収できたところで、予定外に収入が少ない。コンサルを雇っていても全く仕事へのモチベーションがなかったから、当然の結果ではあると思う。
正確には仕事だけでなく女性への興味もないし、趣味も興味ない、一言でまとめると「生きるモチベーションがない」。
この10年は鬱との付き合い方が上手くいかず、仕事をする辞めるの繰り返しだった。
もっと仕事に対して適当に望むべきだったのかもしれないが、調子がいい時は真剣に取り組めていた。ただ、自分の体調とメンタルの限界ラインを見極めることができないで、3回メンタルが崩壊した。
その度に休養を長くとりなんとか転職して別の仕事を始めて頑張れたんだが、今回ばかりはなかなか元に戻って来ない。
前職は5年勤めた。給料なんて気にしないでとにかく頑張った。社運をかけたプロジェクトもたくさんの不備はあったが、なんとか成功させた。
その結果が昇給して月収手取り20万円だった。ガッカリしたのは間違いないが、自分の実力能力の評価はそんなレベルなんだと自信を失った。
仕事を辞めた原因は色々ある。時代遅れの社長、がっつり宗教にハマる社長、結局は金の社長、時代遅れの営業上司、新入社員より先に帰宅する他部署の上司、他部署を全く手伝わない上司 etc 辞めたのは酔っ払った上司に殴られたからというのが直接の理由なんだがな
自分のレベルを上げるチャンスだと思い周りの環境を無視して頑張ったつもりだったのだが、現状を振り返ると自分が成長できたのかわからぬ。
まあ愚痴はこの辺りでやめよう。
最近わからないのが自分が鬱なのか、それとも怠け者の性格が本来の姿なのかがわからないことだ。
勝手に鬱の薬を飲むのを止めたが、結局ダメでまた通院を始めた。メンタルが不安定で崩壊をすることがわかっているので、人に助けを求めることもやめた。25歳ぐらいまではネットで助けてくれる人を探していたが、おっさんになった今はそれすら無理だ。
友達は自分から連絡をとらなくなったので、ほとんどいないし、調子が悪い時に連絡きても無視をしてたから疎遠になった。
高校の同級生とお盆に毎年会っていたが、話の内容が、パチンコ・風俗・仕事の愚痴ばかりで一緒にいても何も楽しくなかったから、今年は会いたいと思わんかった。
今唯一のモチベーションは犬を飼っていることだ。こいつがいなかったら間違いなくガチでヒッキーだったと思う。バカなやつだが可愛い。体調悪くても毎日2回欠かさず散歩にいっている。
みんなはどうやって生きるモチベーションを見つけているんだろか?
当然自分の年齢なら、結婚をしていて嫁がいて子供がいる。なんなら子供が2人いる人も少なくないだろ。
独身組だって仕事頑張れてるだろ。独立して企業している人もいれば、管理職組、早ければ役員の人間もいるだろ。
俺の問題は周りと比べないで自分の病気を治すことだと答えはわかっていても、この10年を振り返ってみると、鬱を治すことはできないと薄々感じている。
家族のために働いている
会社のために働いている
そんなみんなはすごいよ。
とりあえずは目の前の仕事を毎日やりたい。病院にも通う。カウンセリングも再開してもらおう。
P.S お盆期間中に親戚と会ったが唯一仕事の休みの期間を聞かれなかった。アンタッチャブルな存在だと認識されているらしい。
体質というか精神構造だと思うんだけど、俺はどうも他人の何でもない言葉を、自分の中で勝手に呪いにしてしまい易い気がする。
本当に挨拶レベルの、例えば「お仕事がんばってね」みたいな言葉でさえ
「がんばるって具体的にどうすればいいんだ? もっと真剣にやれということか? もっと仕事の質を上げるべき?
そのためには休憩時間や家に帰ってからも勉強を続けるべき? ああでもそんなの嫌だ。でも嫌だなんて思うのはがんばってないのでは?
内心嫌だと思ってしまうのをどうすればいい? もっと仕事を好きにならなきゃいけない? でも考えているうちにどんどん嫌になってきた。これじゃ駄目だ駄目だ駄目だ」
みたいになる。うん、こうして書き出してみると自分でもキモい。
仕事関係は特にこうなりがちな気がしてるけど、それ以外の言葉でも呪い化して、上記みたいなループにハマってしまうことはある。
こんなレベルの言葉、どう考えても言った方に罪はない。俺が勝手に呪われているのであって、言った方としちゃ迷惑だろう。知られないようにしてるけど。
さすがに俺も呪われ体質歴が長くなってきたので、対処方法を持ってはいるんだけど、要は「考えるのをやめる」一択なんだよね。
精神構造自体の改善とかは全然できてないので、新しい呪いも普通に発生する。そうすると、「このことについては考えては駄目だ」という心の領域が1個増える。
そんな事を繰り返すうちにアンタッチャブルゾーンがたくさん出来て、穴ぼこだらけの道を落ちないように歩くみたいな感じになっている。
ときどき穴を避けるのに失敗して、落ちて這い上がるのに苦労したりする。
こういう奴が世界に俺一人ってことはないと思うんだけど、他の呪われ体質な人はどうしてるのかなあ。
へたすりゃ周りに逆呪いをかけかねないから、本当、よくないとは思うんだ。呪われ体質が変わらないなら、せめて解呪方法が知りたいよ。
一見なんの問題もなく社会的生活を営んでいそうで、初対面であれ?この人何かおかしい・・・と感じさせるタイプの人がいる。例えば東京都北区赤羽という漫画はそういう日常に潜む変人に対しての嗅覚が異様に鋭い作者が今まで出会った変人を特集した漫画である。とくにこれ。
そういう女は初対面の段階でいくつかのシグナルをもとにそういう男を見抜いてハマってしまうのだ。まずはそういうタイプは大抵喫煙者。やめようとしてもやめられないタバコ依存です。中学生くらいにかっこいいと思って吸い始めてるけど今は依存。全然辞めれない。
そしていわゆるサブカルチャーが好きである。ジョジョ、椎名林檎、ブランキー・ジェット・シティ、といったメインカルチャーちょい外れくらいのところを通って今はがっつりサブカルです。最近の映画だと、アクトオブキリングとか見てる。基本的にエログロを含むキツい風刺のきいた作品を好みます。園子温はだいたいカバー。
本人もキツイいジョークを好むので、見知らぬ人をクソババァとかクソジジィとか呼んでみたり、職場にいる完全イジられ属性を持ってるけどアンタッチャブルな人に対するみんな思ってるけど言わないようなことをだんだん言い出します。毎日顔を合わせるレベルの人をメンヘラ・下品・素人童貞・ちょっと臭いとか言っちゃう。でもあくまでその人をけなしているわけではなくてその人の特徴について話しているつもりなので、翌日も普通に一緒に仕事します。本人は悪口のつもりではないし逆に同じようなことを言われていてもなんとも思いません。
そういう毒の効いた発言を何度か繰り出してこの人は大丈夫だな、と思い始めたら年上だろうが上司だろうがタメ口です。でもそういう相手を嗅ぎ分けるのは下手じゃないのでタメ口聞かれる相手はなんとも思いません。ただし、それを周りで見ている事なかれ主義人間や体育会系古人間が影で注意したりします。それに対してイラッとします。
まあまあここまでのタイプは 20 人に一人くらいいるかもしれません。もうちょっと希少価値高めになると高校中退してます。そういうタイプはだいたい早熟かつ要領は良くて中学までは勉強できるので比較的進学校な学校に通い、その環境に三年間も耐えられず中退します。家に金があるとそのまま社会からドロップアウト。一般家庭の場合は大検とっていい大学いってます。
自分で料理とかしないのでカップラーメン率高し。そして何もなければ一日中寝ているのに何故かガリガリです。身長はそんなに高くないことが多いですが、とにかくガリガリ。外でないし運動嫌いだし運動神経も良くないので色白です。喉仏と鎖骨がでているのでそういうところもそういう男が好きな女子の心を刺激しているんですね。でも 30 代近くなってくると代謝が落ちて太ってくるので気をつけて欲しいところです。
酒は好きですがたくさん飲めるかどうかは体質なのでひとそれぞれ。ただし共通点としては酒を飲むと高すぎる自意識の壁が突然とっぱらわれてキャラが変わるタイミングが訪れます。酔った時だけ素直になりますが、日頃気を遣って抑えている言いたいことが爆発して一度心を許した相手に対していわゆるドSになります。同様の理由でセックスの時もどSです。
インターネットリテラシーは高いです。Yahoo ジオシティーズ。南条あや。そしてはてな民。
というわけで上記に該当するはてな民の皆様は、そういう男がしか愛せない、高学歴だけど顔は日本人の平均くらい、自己意識が強すぎていわゆるイケメンには絶対にいけない、休日は一人で映画ばっか見てるような女を探して幸せにしてあげてください。
人種に関しては、黒人はスーパウルトラグレートデリシャスなアンタッチャブルな扱いなので、別として。
昔は、ロシア系東欧系=悪って感じで、10年前はイスラム系=悪って感じだけど、今はロシア系東欧系イスラム系も人によってはって感じ。
中南米系は基本的に怪しげな人って扱い。名前とかからすると、イタリア・スペイン的な南欧系なのかもしれないけど、主人公格は無理。
仮にAさんとします。
私はプログラムは趣味でも実務でも未経験で,入社半年目の20代半ばです。
最初は理路整然と書いていこうと思ったけれど,面倒くさくなったから愚痴だけ書く。
Aさんは私が1日で終わらせたことを2ヶ月経っても完了させていません。
言われたことだけをやります。しかも額面どおりに言葉を受け取ります。
部長に「Aさんにはどういうスタンスで接すればいいですか」と質問したら
「仲間と思わなくてもいい。放っておいて」と言われたので,こちらからアクションしておりません。
部長としては,Aさんから周りにアクションしてほしいから私からのアクションを禁止しているのですが,Aさんは何も言ってきません。
私しか仕様を知らないプログラムを使っている時でさえ,Aさんは何も言ってきません。
当然の結果として,Aさんはアッチョンブリケなプログラムを作ります。
プログラムのリーダーは可聴なので課長が叱るのですがAさんは「直します」の一言で終わります。
課長はただでさえ別事業で忙しいのに,Aさんの教育と指導をしなければならないため,泣いています。
私はがんばって課長の負担を減らすよういろいろしているのですが,課長の負担=Aさん=アンタッチャブルですので,私には何もできません。ごめんね課長。
言われたことだけをやります。しかも額面どおりに言葉を受け取ります。
見かねた先輩(30代前半)が「課長は○○と言っていると思うのですが,認識はあっていますか?」とフォローしました。
課長が静かに「私の指示では理解できませんでしたか? 私はAさんに1から100まで指示したほうがいいですか?」と聞きました。
Aさんは「そうですね。指示が明確な方がいいと思いますので,1から100まで説明したほうがいいと思います」と……。
どうすればいいんでしょうか。
変わろうとしない,考えようとしないAさんを,どう変えればいいのか
はぁ……
でもAさんがいるから,ダメな自分が相対的に良い評価を受けているので,必要っちゃ必要なんですけどね。
8:2の法則ですね。
はぁ……
美味しんぼが売れすぎるものだから、雁屋哲は小学館の編集部の誰も何も言えないアンタッチャブルな存在になっているというのは、十年以上前に聞いた話。
一度連載を辞めたあと、部数が落ちたのと、単行本があまりにもドル箱過ぎたから経営判断もあって三顧の礼で復活。
俺はこんなの業界人ならだれでも知ってる常識みたいな話だと思ってきたので、どこからもこの話が出てこないのが不思議でしょうがない。
たしかに小学館の上のほうにも、熱心に反原発デモなどに顔を出したりしている左の人はいる。でもそれたぶん関係ない。
はっきり言うけど、スピリッツ編集部も「被害者」と言っていいと思う。
いまどうやって雁屋の首に鈴をつけるか協議してるんだろうけど、雁屋はもう一生遊んで暮らせる金を持ってるから怖いものなし。
どうすんだこれ。
10年くらい前と比べて、若手のお笑いがなんかイマイチ面白くないと思わないか?東西関係無く。
この時期20代後半あたりの、ぼちぼちテレビに出だした若手コンビのネタをよく目にするけどさ、イマイチ笑えないというか、笑顔にはなるけど腹の底からこみ上げる笑いは無いというか。
10年位前はバナナマン、おぎやはぎ、チュートリアル、麒麟、東京ダイナマイト、アンタッチャブル、笑い飯とか、特に誰かのファンとかじゃなくまんべんなく笑えたのよ。少なくとも1コンビ1回は爆笑してたんだけど、最近は若手のネタ見て爆笑することがあんまり無くなったなあ。
別に懐古的になってるわけじゃない。俺も20代後半で同じ世代を応援したいし、その中からスターが出てきたらめっちゃ嬉しいと思うんだけど、笑えないものは笑えないし。
思うに、なんか10年位前の世代は毒があったのよ。世の中を斜に構えて見てるというか、体制側を平気で笑いものにする反骨精神というか、客に媚びない感じ。
元々引きこもりとか友達がいなかったとか物凄いヤンキーだったりとかして、社会不適合者が芸人を目指してた時代だから、ネタもとんがってたんだよね。不快になる人もいるけど笑える人はメチャクチャ笑える感じ。
今の若手の笑いはなんか平和なんだよな。普通の平和な家庭で育ってクラスでも人気者だったリア充がネタやってる感じ。劇団大人計画な感じ。
実際プロダクションのお笑い養成所に入学してくる人間も最近そういうリア充が増えてるそうだし。
元ひきこもりの根暗な奴がコンプレックスを抱えて、内側に怒りを抱えた社会不適合者が作った、老人子供を完全無視したトゲトゲしいネタが見たい。そういう人間が芸人になってくれよ。
大森靖子はポスト椎名林檎なんかではなくてポストthe Only Love Hurts( formerly known as 思い出ラッキーホール) だと思うのです。
韻踏みで興味を持続。
私のブログは悪意で燃やして
火サス見終わって二階に上がって
ご飯できたよって息子に触って
わたしの / ぶろぐは / あくいで / もやして
4/4/4/4
かさす / みおわって / にかい / にあがって
3/5/3/5 リズムで言うとタタタ/タタタンタ/タタタ/タタタンタ5と5は韻。
ごはnできたょって / むすこ / にさわって
3.5/5.5/3/5 5.5と5は韻、前行とも。セリフ部で一番崩す。
しゅうまつ / かぞくで / でぃずにい / ばくわら
4/4/4/4 でビート感戻す。
Over Thirtyからのサビは言うまでもなくフレッシュ。
桜が終わって40デニール
もポエジー。
真夜中のスクランブルエッグ
も素晴らしくいい感じのエロさ。
こういう話をいつも聞いて思うんだけど、
「女性はいつ退職するかわからない」は、わりと経営者の本音なんだよな。
実際問題、よく辞めるし。
この方を責める気は全くないけど、男性と女性じゃ離職リスクあるいは
俺自身はやってないけど「男性と女性の雇用上のリスクを計量化して、女性の給与からリスクプレミアを差し引く」
ってのは必ずしも間違いなんだろうか、と思う。金融的には正しい判断だと思うんだけど。(もちろん、リスクに有意差があると仮定すれば、ね)
この経営的には正しい判断を行っている経営者は実際のところ多い。
もちろん、国家が「女性の雇用リスクは経営者が負担すべきものであり、一社につき~の負担を要請する」
と明文化してくれりゃ、まだわかりやすい。具体的に言えば女性の雇用を義務付け、違反企業に罰則金を負担させるなど。
しかし、現状だとその辺は(少なくとも中小企業に関しては)経営者の良心に全て一任されていて、
更に「男女の雇用上のリスク差」は半ばアンタッチャブルな話題となっていて、参考にすべきデータすらない。
だから、経営者たちは「女は雇用上のリスクが高い」と考えて、体感に基づいた現実的な判断をする。
だからもうホント、いっそのこと雇用リスクを明示した上で強制にしちまえと思う。
そうすれば、多くの経営者がそれを受け容れるだろうし、俺も受け入れるから。
また、「雇用リスクに差はない」ってデータがあるならそれはそれで素晴らしい。
これは自分の不勉強もあるので、是非データをお持ちの方がいたら拝見させていただきたい。
俺は実際、女性の結婚・育児による退職でそれなりにコスト負担が発生した経験があるから
「女性を雇用することは男性に比較してコスト(リスク)が高い」と考えているけれど、それは統計的に間違ってるのかもしれないし。
これが統計的に事実ではないとはっきりすれば、色々良い結果になると思う。
また、それが統計的事実であるなら、「女性を雇用すること」は資本主義社会では非合理的な行動となる。
格言や流行語といった短い言葉を唱えてなんでも物事を強制的に納得させて完結させるのは思考停止だし、ようは宗教と同じ構図だよね。宗教を否定しているわけではないけど。そういう使い方をするものではないと思う。
みんな何かしら苦労してる部分があるんだろうから、お互い傷つかないような距離を保てばいいんじゃねーの。話が分かる人であれば、やんわりと伝えれば効果あるかもしれないし。まあ一般的には「角が立つ」行為になるんだろうけど。
フェミやら人権屋やらといった一部のものだけの特権を作っても良いことないんだし。みんなが「まあなんか不幸な状況に置かれちゃう人もいるよね。知らんけど。俺は幸せだけど」くらいの認識になればマシになると思うけど。不幸がなんかタブー視されてるような、アンタッチャブルな状況(文化?)が悪いわけで、不幸なんてふつうにカジュアルに存在してるんだから、もっと気楽に不幸を認知すればいいのに。