はてなキーワード: だんだんとは
基本的には毎週楽しみにしているアニメではあるが、観ていてどうしても受け入れ難い箇所がいくつかあるのでここに書き捨てていく。
これがドアサやニチアサや夕方のEテレだったら全然アリのように思えるあたりTPOやパッケージの問題な気もするが、不思議な事にドアサでもニチアサでも夕方のEテレでもないアニメであの小学生が一生懸命書きましたみたいな歌を聴かされるのは結構しんどい。
当該アーティストの他の曲も聴いてみたところ割とそういう芸風のようなので、発注側としてもこれがやりたかったということなのだろうか。
アニメ業界はどうか知らないが、自分の所ではディレクターが下っ端根性から抜け出せていなかったりすると、「ダメなら上流(この場合プロデューサーやスポンサーだろうか)が何か言ってくるだろうし…」と甘え散らかしてデザイナーが叩き台のつもりで出したものをチェックバック無しでそのまま通してしまうケースがある。で上流もこれといったビジョンを持っていなかったりすると、叩き台がそのまま納品されてしまったりする。
のっぺりした屋内外の壁やつるんとした地面なんかはちょっと汚しを入れれば自然に見えるようになるのは誰の目にも明らかであるが、ラーメン赤猫でもそういうことか起こっていたりするのだろうか。
あるいはゼロ年代以降のシャフトアニメに見られるようなアート寄りの背景美術を目指していた可能性も考えられるが、どちらにせよ表現が中途半端で上のチェックがロクに機能していない様子が伺えてしまう。
実際はどうかは知らんが。
ちなみに止め絵でも一瞬でCGと分かってしまうあの悲惨なキャラモデルに関してはディレクターがどうこう以前の問題なのでドンマイ。
これが一番ダメ。
小粋なキャッチと共にオマケパートが始まるところまではいいが、場面が飛ぶ。時間が飛ぶ。急に終わる。
オチも何もないSNSの1コママンガをこれまた何のビジョンも持たずに漫然と引き伸ばしているせいでカット割りにメリハリが無く、目的を失った絵と台詞が只々垂れ流されるだけの虚無の時間になっている。
「○○の後」と言って始まるのに時系列が全然○○の後じゃなかったりするのもダメ。もはや足場を作ることすら放棄している。何でそのワードで縛ろうと思ったんだ。
毎週楽しみにしているとは言ったが書いててだんだん腹立ってきたきた。
ねえ、もう女も男も
出産は大変大変大変大変大変大変大変大変
育児は大変大変大変大変大変大変大変大変
っていうのやめない?
いや別にあなたが大変なのを否定するつもりは全然ないし実際に大変なのも間違いないだろうから
仮に言ったとしてもあくまで個人のケースとしての話にして過度に一般化するのやめようよって方が正しいかな
子供の特性、夫婦の適性や能力、仕事の内容その他膨大な変数で状況なんていくらでも変わる中で
出産や育児は大変でやるだけ損みたいに周りに思わせたり男女分断のネタになるのってハッピーじゃなくない?
自分は子供(自分のという意味ではなく世間一般の子供)はそんなに好きじゃなかったけど
保育園のお散歩で手をつないでとことこ歩いてるところとかカートに入れられて運ばれてるとことか見るだけで
地球で一番かわいい生き物はペンギンかラッコだと思ってたけどぶち抜いてきたよ
子供が乳児の間は大変なことも多いしそれを抜けてしばらくして反抗期が来たらかわいいと思えなくなるのかもしれない
だからその狭間期間にいる自分とかが育児は楽しいよ子供はかわいいよ家族はいいよって
せめて今だけでも声に出していくべきなのかなって思ったよ
ああこっちだね
最初の大変な人にそれを言うなってのは随分横暴だね
楽しいって思ってる人はわざわざ発信することは少ないだろうけど(見ようとするとそれをネタにするインフルエンサーばっかりになるよね)
もっと声に出していっていいと思うよ
マンガとかゲームとか映画とか音楽とかのこの作品のこんなところがいいとか好きとか言うのと同じトーンでさ
なんであんなにほっぺもちもちなの?しかも寝るとおもち温めたみたいにさらに柔らかくなってぷにーって垂れるのなんで?かわいすぎる
しかも赤ちゃんの頃だけだと思ったらいまだにぷにぷにで神様ありがとう
なんであんなにかわいい声なの?うちのこ小学生になったのにまだかわいい声だよ
それは口腔内機能未発達で発声がうまくできないからだったよこれから矯正がんばってなおしていこうね
苦手な飲み込みもだんだんできるようになっていくよ
なにかをするまではやだやだ言うけどいざ始めちゃうと誰より楽しんでるのもたまらない
君はどんなことも楽しんじゃう天才だよそれはとてもすごいことなんだよ
すみっコとかちいかわでかわいいかわいいってキャッキャしてる君のほうがかわいいよ
クレーンゲームで取ったとかげをもう2年くらい毎日抱いて寝てるの最高にかわいい
小さい頃からずっとこっちが両手を広げると走ってきて抱きついてくれるよね
キュン死……からの人生1000周目は超えてると思うでもさすがにそろそろやってくれなくなるかな
最近寝る前のハグから走って逃げ回ることも出てきたもんねでもその追いかけっこもキャッキャ楽しいね
おんぶはまだ大丈夫だけど抱っこがだんだん厳しくなってきてごめんね
でも抱っこするとギューッとしてくれるのこっちは幸せになっちゃうよ
運動全般得意じゃないけどなぜか自転車だけは一発で乗ったのにはびっくりしたよすごいね
縄跳び跳べなくて泣きながらがんばって練習してたのは胸に来たよ
いつもにこにこふにゃふにゃなのに負けず嫌いで頑張り屋さんな面もあるよね
それがきっと自分のことを伸ばしてくれるよ
でも上手くできないからって自分のことダメだと思わなくていいんだよ
色々と直さなきゃいけないことできるようにならなきゃいけないことはあっても
君という存在自体が愛されてるんだよ少なくとも親は君のことが愛おしくて仕方ないよ
あーあ時間切れだ
はぁああああかわいい愛おしい
未だに子供が欲しいという母性本能が全く芽生えない、欠陥女である。
20代の頃あんなに一緒にクラブでワンナイトやらなんやかんややりまくってた友人たちは、今やしれっと立派にお母さんをやっている。みんなすごい。
そういや30くらいの時に先輩たちが「増田ちゃん!今は欲しくなくても、35過ぎると女は本能的に子供欲しくなるから!でもその歳になると妊活まじ大変だから!だから今は欲しくなくても将来のために卵子凍結しときなさい!!」ってめっちゃ言ってたけど、当時の彼女たちの年齢になっても全然本能働いてないわ。
今は楽しく生きてるけど、40代50代になると、趣味とかもだんだん飽きてくるんでしょ??自分の為だけに生きるのが辛くなってくるんでしょ??未来への希望=子を残すことが自分の生きる希望にも繋がってくるんでしょ??
あと誰かが子を産まないと国が詰むしね。私の老後を支えてくれる人財は必要だよね知ってる。
夫と猫と暮らしてる今の暮らしで充分しあわせ。むしろ母となった友人たちの出産や子育ての恐怖談を聞くたびに、ますます子供が欲しいという気持ちは薄れていく。
ちなみにあまりにもヤツらが恐怖談しか語らないから、子供がいるメリットや自慢話をしてくれや!と懇願したところ、彼女らは熟考の末に「メリットは正直ない。でもそういうもんじゃない。理屈を上回る存在」という回答を総じていただいた。
理屈じゃ語れないのなら、感情的に子が欲しいと思えてない私は完敗である。だめだこりゃ。
でも引け目はある。
彼女らがキャリアと家庭の両立やら、子の教育やら、お金のことやら悩んでる姿を見ると、なーーーんの悩みもなく自己中に生きてる自分の幼稚さに不安にはなる。
自分以外の誰かを抱えて生きてる彼女らの方が、人として圧倒的に成熟してるよなーと思う。
世の中のお父さんお母さんみんなすごいよ。
有名人に罵詈雑言を投げつけまくりその有名人からの反応を引き出すゴロツキ。
あるいはその有名人の周囲にいる人の反応を引き出し盛り上がる。「◯◯の信奉者はあほばかり」のような。
これを多数の有名人に対してやる。そうすると普段からイライラしている人たちをおびき寄せることができる。
発言者はその有名人に対しては敵意がない。だが相手の悪いところを徹底的に見つけて批判する。批判するための批判。
デタラメでもなんでも構わない。相手の方を見ているのではなく自分のファンへのパフォーマンス。
選ばれる有名人はなんとなくいけ好かない有名人であることが多い。人気も大きいが反感も買っていそうな人。
有名人が有名人ゴロにまともに相手をし始めると周囲からは「有名人と対等の人」のように接され始める。
有名人ゴロもだんだん有名人になっていく。だが本質は有名人ゴロ。
これまでSNSやネトゲで遊べば普通に同世代と仲良くなれてたけど、だんだん年齢層が自分と合わなくなってきた
でも日本人の平均年齢は50とか言うじゃん
50のみんなはどこで友達つくってるの?
Twitter(X)でもいいけど、TLの雰囲気を悪くしたくないからとりあえずここに吐き出しておく。お披露目から二晩三晩経っても、脳内から感情が消えなくて生活に支障が出だしたので供養の意味も込めてる。割と感情のままに書き殴ったから乱筆乱文。
先に本旨を要約すると、私はポジティブな感情からネガティブな感情に変化し、今は少しずつ前向きになってきている。
雑な言い方をすると、呪術オタが雑考察してフジを腫れ物扱いして燃やしてんのがキツすぎ。作者よりも呪術オタの挙動がフジファンの傷を抉ってる。でもだんだん立ち直ってはきてるしついでにお願いがあるよ。ということ。
【↓↓↓↓↓以下約5,500字↓↓↓↓↓】
8/25の夜、配信でじゅじゅフェスを観ていて、最後に巻頭カラー絵のお披露目があった。人生の半分をフジファブリックにどっぷり浸かって生きた私は、ひと目でアルバム『CHRONICLE』を模していると気付いた。
結論から言うと、好きなバンドと好きな作品が思わぬ形でコラボしたことに驚きと歓喜が止まらなかった。
そのときの感情をTwitterの本垢(フジファブリックはじめ音楽と日常メインにつぶやく)に突発的に書きなぐって投稿した。ひと目見て気付いたこと、そして作者も私の好きなバンドのファンであることが伝わってきたことなど。
そして、呪術廻戦にハマってから作った、漫画アニメだけをつぶやいたり、ファンアートにいいねしたりするアカウントで、ファンたちの感想(じゅじゅフェス)を拾っていった。
そこで私はショックを受けた。呪術廻戦ファンの間でイラストに対して「正気を疑う」「倫理観ない」「不謹慎」「バンドのファンや遺族に失礼」などの言葉が並んでいたからだった。
さらにはひと目見て「犬がいる!かわいい!」と好意的に受け取っていたアカウント主すらも「オマージュ元を知って地獄に落とされた」という主旨の投稿をしていた。
このショックを言語化するのに時間がかかって、友達の力も借りながら受け止めて今に至る。
正直に言うと、これらの呪術廻戦ファンの声を受けて、私は ①悲しみ ②怒り を感じている。
そして今は、これらを踏まえて ③祈り に近い感情も浮かんでいる。
①悲しみ に関して
私の人生をかけて愛したバンドとアルバムの名を用いて作者にヘイトを向けている投稿が散見されること。
フジファブリックという文字、志村正彦の人生の結集といえるアルバム『CHRONICLE』の文字と、「吐きそう」「気持ち悪い」「正気を疑う」「地獄に落とされた」「倫理観おかしい」という強い批判、もとい軽蔑の言葉が並んでいること自体が悲しくて悲しくてたまらない。
彼らにはもっと前向きで明るい言葉が似合うのに。「変態的かつ普遍的な美しさ」「クセになるサウンド」「新境地」「世代を越えて愛される」など、フジファブリックを応援してきたファンやメディアは素敵な言葉を紡いできた。
作者に批判の言葉を向けさえすれ、誰かを不快にさせる行為や言動は行為者の一面に過ぎず、行為者そのものの価値観や人間性を否定するものではないと私は思う。
そして私は同時に五条悟オタでもあり、作中で亡くなったことに悲しんだ経験もある。
ちょうどその話が掲載されてから1年弱経とうとしていることも思い出し、その当時は私の落ち込んでいる様子を見かねた友達や同僚が励ましてくれた。一方で、デリカシーなく「死んじゃったねw」と心のヒビを直接割る言葉をかけてきた人にも遭遇した。
このようなことを、五条悟を愛する人なら、少なからず経験したのではないだろうか。
同じように、五条悟を愛するがあまり、フジファブリックファンの心に残る微かな傷を、その強い言葉でほじくり返しているかもしれないことは考えられないだろうか。
作者はこういうことも勘定に入れて、「諸々の意味を込めて」とあえて濁したコメントしたのではなかろうかと私は思う。
6年半も続く大作を描き上げるにあたって、これだけ出版業界の不況の中、掲載誌の売上を落とさぬよう、耐え難いプレッシャーや責任を感じながら物語を続けていく自身を、軸となるフロントマンを喪って再始動した経歴をもち、過酷なプレッシャーの中それでいて15年も走り続けたバンドと重ねたのかもしれない。
②怒り に関して
こっちのほうがショックの中に占める割合が大きい。
前述した強い軽蔑の言葉にフジファブリックを並べてほしくないという怒りは先立つ。
次に、メンバーのパーソナルな情報が、漫画のファンによる考察(という体裁の下衆の勘繰りと言いたいくらい)の道具として利用されたことに怒りを感じている。
ご存知の通り、志村正彦は2009年12月24日に29歳という若さで突然この世を去った。これは揺るぎない事実である。
しかし本来、生年月日と同じように命日も非常にデリケートな個人情報である。彼がミュージシャンとして世に出ることがなければ、近親者は知れども、世界中の誰もが知り得なかっただろう。
対して創作物の登場人物はどうだろうか。物語において読者は、登場人物の動きを第三者的に、いわば神視点で見守ることができる。キャラクター同士の内緒話だって筒抜けだ。そうした舞台上の人物たちと観客とはいわゆる“恋愛テクニック”のように「秘密の共有」ができる。この恋愛にも似た興奮を私たち読者は楽しんでいる節があると思っている。
フジファブリックはバンドという周縁はコンテンツだとしても、メンバーは実在の人物であるがために、当然プライバシーを尊重されるべきである。実際、ファンやインタビュアーはメンバーの私生活に関して踏み入ったり聞き出そうとしたりしない。
命日や享年というデリケートな情報を持ち出して、その事実を安易に繋げたうえに、尾鰭をつけてありもしないストーリーを勝手に繋げていく行為が、私には他人の家に土足で上がりこむ行為に見えてならない。
曲がりなりにもオタクなら、プライバシー情報とコンテンツたらしめるものを分けて考えてほしい。
例えば、2つの事実にA、B、C、Dの4つの共通点があるとして、AとBとを繋げば万人が心地よく終われるものを、いくら線で結べるからといって、CとDを繋いで、恣意的なストーリーを生み出されては、どちらの側も良い気持ちはしないだろう。
だから、「この位置に五条悟が配置されているから…」「バンドは存続しているから五条悟は死から復活する」など、死去の事実からの逃避や不確かな根拠を並べ立てられるのは、両者のファンとして理解に苦しむ。
Twitter(X)では常日頃からしょーもない話題が炎上しているが、よくある例として「これでは〇〇が可哀想」という構造をしているものがある。
こんな親に育てられて可哀想、こんな飼い主に育てられて可哀想、こんな環境に放り込まれるなんて可哀想…など枚挙に暇がない。
それと同列で、当人の感情を勝手に想像してバンドのファンや家族に対して「嫌がっている」「失礼だ」とレッテルを貼る行為はそれ自体が失礼に値するように思える。
私自身、人生の半分といえど他と比べるとまだまだファン歴は浅いものだと自覚しているが、
曲がりなりにも十数年応援してきた身としては、苦しみや悲しみを押してまで志村正彦の全てを提供してくださっている志村家と地元有志の皆様には感謝してもしきれない。どんなに苦しもうとも、それ以上に彼の生きた証を残したいという使命のもとご尽力くださっている姿を見れば、どんな形であれ、一人でも多くの人に彼の存在が知られることは彼らへの報いではなかろうかと私は考えている。
だからこそ、彼を取り巻く話題は明るいものであってほしいし、そうなるよう関係者もファンも努力している。
それを、「ファンではないけど」「バンドは存じ上げなかったけど」と枕詞を載せて外野から関係者ヅラして物申していることが腹立たしくて仕方ない。許可取り云々の話ではない。無知蒙昧を晒し、それがフジファブリック関係者に届くことこそ最大の無礼ではないのか。
あとイチャモンついでに、現体制の3人のメンバーを「残りのメンバー」って言ってるのは何なんだ。3人は残りものなんかじゃない。言葉尻を捉えるようだが、夫を亡くした妻を未亡人と呼ぶような気味悪さが残る。甚だ不快だ。
個人的に言い得て妙だと思ったのが、志村時代をリアルタイムで知っている先輩ファンの「ファンでもない奴らが騒いでいる」「不謹慎厨じゃねーか!」という発言だった。正直この発言のお陰で少し溜飲が下がった。
フジファブリックはメンバーも関係者もファンも優しい人ばかりだから、強い言葉に対して萎縮する(私もその内の一人)のではと思っていたが、ファンコミュニティで軽蔑ではない言葉で真っ当に怒りを表出できる人の存在に救われた。持つべきものは信頼の置ける先輩ファン。
もちろん、一連の話題にモヤモヤが抑えきれず、私が呆れた呪術廻戦オタクのように作者や作品への痛烈な批判を長文で述べた先輩ファンもいた。
奇しくもこれの執筆最中に更新され、何周も読んだが、確かに納得できる内容で、その視点も勿論いちファンとして持ち合わせている自分を認識できた。
あらゆる表現物すべてにおいて、意味や意図が付随する。それら全てを拾ったとして、特に何を取捨選択するか、とりわけ「何を言わないでおくか」も巷で話題の“教養”とやらに含まれるのではないだろうか(一つ留意しておきたいのが、表現の意図として無意識に語られるもの、特に特定の属性への偏見や差別に関しては無視してはならない)。
少し脱線するが、ネットで語られるような“教養”と“雑学”はしばしば混同されているように感じる。いたずらに知識量を増やし自己のための娯楽として完結するものではなく、悲劇の再来の抑止や自分自身や後進の未来と社会を豊かにするために、蓄えた知識の中から取捨選択し、それらを原動力として行動することを教養と私は呼びたい。
③祈り に関して
簡潔に言えば、こんな言いがかりやイチャモンをつけている暇があったら、問答無用にフジファブリックを聴いてください!ということ。
件の『CHRONICLE』でいえば、志村くんの犬(モジャっていいます)だけが正面を向いていて、それ以外の総くんダイちゃんかとをさんの犬は横を向いています。
対して、巻頭カラー絵は、五条悟と虎杖悠仁の犬が正面を向いています。
この背景には、『CHRONICLE』まで(厳密には志村Vo.時代最後のアルバム『MUSIC』まで)のフジファブリックは、明確に「リーダー志村正彦」という線引きがあって、いわばフジファブリックという物語の主人公をずっと務めてきた事実があります。
そしてリーダー亡き後、3人がパワーバランスを強化しながら調和させ、いわば三位一体の形でそれぞれが主人公になって物語を作っていきました。
これを踏まえて考えてみるとどうでしょう?
映画化も決定した懐玉・玉折編で主人公だった五条悟、そして本編で主人公の虎杖悠仁、両者は同格に物語の主人公であることが示唆されるでしょう。
さらに、アルバムがスウェーデンでメンバーが寝食を共にして制作されたこともあり、寮生活を送る4人とレコーディングに勤しむ4人の仲睦まじさを重ねることができます(詳しくはアルバム同梱のDVDにドキュメンタリー映像が収録されています)。
また、10thシングル及び3rdアルバム収録の「若者のすべて」が現在進行形で大ヒットしたこともあり、そこだけを世間一般に切り取られがちという煮え切らなさをファンは常々抱えています。「五条悟?イケメンだから人気なんでしょ?」にも通ずる消化不良です。
フジファンなら同意してくれるかもしれませんが、志村正彦は変態で捻くれていて一途でお茶目で繊細で孤独な男なんです。
暇つぶしに花屋の女性店員とデートする妄想をしたり(花屋の娘)、酒の力を借りないと甘えられなかったり(ロマネ)、海辺で泣いている女性をお嬢さんと呼ぶ気障ったらしさがあったり(NAGISAにて)、自分を獣に喩えて思いっきり飛び出す大胆さがあったり(モノノケハカランダ)、
それなのに、否定される事が怖かったり(バウムクーヘン)、大切な人を亡くして何年経っても忘れないと覚悟を決められるのに(黒服の人)、相手は自分のことをすぐに忘れてしまうと悩んだり(クロニクル)、そんな卑屈な考えをを誰かに否定してもらいたがったかと思えば(エイプリル)、君がいなくても元気でいられると強がるふりして泣いちゃったり(Bye Bye)、非常に魅力的な人物です。
そんな男の姿も、たった一人の大切な人に素直になれなくて、だけども本当はすごく寂しかった不器用な男の姿も、どこか似ている気がするんです。
ちなみに私の見解としては、志村正彦は相当なハジケリストです。
北欧の熊と太極拳使いの髭面の男性を戦わせたり(熊の惑星)、踊ろうぜと誘っておきながら黙れと言ったり(TAIFU)、走る足音がドラえもんやタラちゃんの比ではない異音だったり(銀河)、かなり尖ってます。
このハジケリズムは3人にも受け継がれ、サルバドール・ダリが発起人となってタコスパーティーをうやむやに開催したり(アンダルシア)、言い間違いから曲を生み出したり(東京)しています。
最後に、現体制の3人のメンバーは言わずもがな、たくさんの名曲を生み出し、私たちを慈しみ寄り添ってくれています。
ツアーラストや周年のホールでも、招待されたフェスのアリーナでも、地方の観客がすし詰めになるような小さいライブハウスでも、必ず「僕たちは誰かの居場所になりたい」「今フジファブリックでい続けられるのは皆さんのお陰」と伝えてくださってます。
Twitterにも書いたのですが、私の本心は、「どんな形であれメンバーが生み出した楽曲を愛してもらいたいし、バンドと共に豊かな人生を送ってほしい。生きていようが亡くなっていようが、その人が存在した事実、バンドの曲が生まれた事実、楽曲が様々な人の人生に関わった事実は消えないので、悲しみも抱えつつ前を向いて生きていく糧になってほしい」ということです。
フジファブリックのお陰で人生が豊かになって、呪術廻戦に生き様を教わったオタクの感想でした。
P.S.それっぽいキーワードを検索したら筆者を特定しやすいように書いたつもりです。もしそれっぽいな〜というアカウントを見つけたら、私事ですが現在就活中ですので、オススメのホワイト企業を教えてください✌️
娘は小学生
ある日、娘の物が借りパクされそうになった。
返してほしいけど、中々返してくれない。
大人だったら酷い奴って評価されるだろうけど、小学生なら自分の好きなことと友人の嫌いなことの判断がつかず借りパクの短慮に出てしまうのはしょうがない。理解はできる。
娘が返してほしい伝えても、相手は不利になるとよく泣くし、小学生だと自分の主張をすることが難しいので、ママ経由で相手のママに交渉することにした。
ママ同士、子どもを通じて友人関係ではあったが、(むしろそうであるからこそ)相手を責めるような控えて、「間違っちゃったと思うけど、返してほしいなぁ」くらいの温度感で伝えた。
だが、相手は、子どもの主張を鵜呑み、子どもの主張と相違があるため嘘をついている可能性がある(子どもは嘘をつくからねという論拠)、一方で自身の子には嘘を疑わないというスタンスで話は「借りた借りてない。言った言ってない」で平行線になってしまった。
(譲れないところは譲らないが、言い方としては「「誤解を与えちゃっているかもしれないけど、上げたつもりはないの」という感じにはしていた )
最終的には、相手が折れて回収はできたのだけれども、
こちらは態度は軟化を心がけていて、たまに妻が近所で会えばいつも通り挨拶をするんだけれども、相手から避けられるようになった。
まあ、それは大人同士の縁の終わりで良いんだけれども、不安なのは娘だ。
娘は、返してもらったらもう相手のことを許していて、また「友達とあそびにいきたいなぁ」とか通常モードにもどった。
学校でも遊んでいて、休み時間にその子と遊んだ話とかもしてくれてた。
でも、夏に入る前位にだんだんと変わってきたみたいで、スイッチのフレンドからその子が消えていた。
そんな時間差で子どもが絶交するってことないよなぁ。絶対親の介入があると思う。スイッチの操作子どもできないし
それでも、「友達とゲームやりたいなぁ」ってよく話しているのが辛い
相手も、ほかのママにあることないこと言ってるんじゃないか?逆に学校で娘がハブられるんじゃないかと不安になっていたが、
同じく4歳ごろから仲良い子のママもうちと同じパターンで縁が切れてしまったみたいで、少なくとも理解者が一人安心した。
方々でそんな縁切りを行っていて、親主導で「遊んじゃいけません」みたいに言われていたら独りぼっちになってしまわないだろうか
親の顔色を窺っている所が結構あるみたいで、やりたいこともかなり制限されているらしい。これっていわゆる毒ってやつかな
娘も学校でその子のことを気遣っていてほしいが、ただたまにやらかす問題行動があった場合もう親同士で話し合うチャンネルもなくなっちゃったし、娘が辛くなるかもしれないと思えばあまり「気を使ってね」とも言えないし
小学生にこのような機微が理解できないだろうから、親が変に友人関係に口を出すと逆に意識してしまってよくないかもしれない。
めずらしく我らが箕面市(”みのお”って読むよ)がはてブに挙がってきていたので書いてみよう。完全にn=1の視点なので、他に箕面市在住増田がいたら補足よろしくね。
なお、先に増田の投票行動を明らかにすると、国政では国民民主、府政では大阪維新、市政ではその時々という感じです。前回の市長選では維新候補(=現職)、今回の市長選は非現職に投票しました。
以下、これぐらいの適当感覚で投票している奴もいるよということで政治家の皆様はご参考ください。
各社報道ではそのように書かれていることが多い印象ですが、明確に維新候補を嫌がった結果かと言うと分かりません。
というのは、市議選挙では維新候補が全員当選していて、トップ当選の候補も含めて、比較的皆さん上位でもあるからです。
なので、シンプルに維新以外の候補を欲した結果である、とは言いすぎなんじゃなかろうかとの感覚があります。
もとい、そもそも現職の上島さんが当選した前回選挙を振り返ると、当時から維新を信任した結果だとも言い難いのではと個人的には思います。
前回選挙では、候補者が維新・共産・諸派(この方は兵庫県知事にも立候補されていますね)の三つ巴でした。
お察しのとおり、無党派層からすると、ほぼ選択肢が無い選挙です。箕面は従来転勤族が多く、子育て層の人口も多いと言われているところ(恥ずかしながら詳しく調べたことはないですが)、特段共産党優位の地盤というわけでもありません。
かといって自民支持の保守層中心というわけでもなく、国政の話になりますが民主党の政権交代時には民主党候補が当選していたので、それぐらいに無党派層が中心の郊外都市なんじゃないかと思います。
そして上島さんは箕面市議の出身で、市民に名前と顔も知られているので、この中から1人を選ぶんだったらまあということでみんな投票したんじゃないかなあ(よく行事で来賓として方方に顔を出されていたのでその意味で上島さんを知っている人も多かったと思う)。
結果として8割近くの得票で当選されました。
言い換えると、仮に上島さんが維新候補でなかったとしても(無所属その他で出ていたとしても)、多分同じぐらいの得票率で当選していたと思います。
現職の対抗馬となる候補が出馬しました。多分この一言で終わりそうな気がします。
今回市長選を制した原田さんもまた箕面市議出身で、途中で府議に行かれて……と、経歴としては上島さんと同じです。要は、一定の知名度があるんですね。また、現職より若くて、かつ若すぎない。
そして元自民なので、(議論はあると思いますが)名も知らぬ諸派候補よりは投票もしやすい。このような形で、現職候補以外の受け皿が登場しました。
近時の箕面市をとりまく一大トピックとして、「北大阪急行(北急)の延伸」がありました。大阪の大動脈である地下鉄御堂筋線、と直結している北急が、箕面まで延びてきたんですね。
延びる延びると言われ続けて何十年も延びぬまま、昨年ようやく開通したという運びでした。延伸によって箕面市内に2つの新駅が生まれ、関西ローカルの報道では結構取り上げられたりしました。
この延伸によって箕面はさらに便利になる……という触れ込みだったのですが、いざ開通してみると、逆に不便になっていないか? と感じる状況が生まれました。
その主因がバス路線の再編(ダイヤ変更を含む)です。北急延伸前は、当時に終点兼始発駅であった千里中央と箕面市の各地をつなぐような格好で阪急バスが運行されていたのですが、延伸によってこのあたりの路線再編が行われました。
これによって実質的にバスが減便になった地域があります。北急延伸自体に否定的な方はあまり見ない印象ですが、逆にバスについては不満を漏らす方は多く見られるかなあというところです。(実際、市議会でも取り上げられる程度感です。)
にもかかわらず「このバス路線は利用者が少ないのでこのままだと廃止されます!」みたいなことが書かれたチラシが投函されたり、市の広報誌でも特集されたりで、日常的にバスを利用している身からすると「そんなこと急に言われてもどうしたらええかわからんのやけど」という感覚にはなります。
そもそもバスを運行しているのは民間企業なので、どこまで行政からの投げかけができるのかという話もあります(これは他の地域と同じ問題ですね)。ただ、上島さんも選挙期間中に「阪急へ申し入れをした」「今後改善を図るな」ど訴えておられていたところ、それやったら最初からやっといてほしかったなあとの感想は否めないのではないかというふうに思います。
箕面は面積の半分ぐらいが山で占められていて(畑や田んぼもあるよ)、市としても自然の豊かさをアピールしているのですが、開発等でだんだん減っています。
身近なところでは、一部道路において、車道を狭めて歩道を拡張する工事が行われているのですが、それによってもともと歩道にあった街路樹と植え込みが基本的には撤去されて、アスファルトが広がるみたいな状況になっています。
たしか工事の目的は、自転車通行レーンを確保して、歩行者・自転車利用者の安全を確保するみたいな話だったはずで、実際に歩道が広がった事自体は悪くないと思うのですが、この季節の日中歩くと日陰もないので暑くて仕方なく、殺風景な様子に感傷的にもなります。
端的には、ここまでする必要があったのかなあという感情でしょうか。という感じで、緑をアピールポイントにしているのに、自己矛盾な行動してない? との感覚があります。
といった、実生活上の不満とか不安が積み重なった結果として、それが市長の権限でどうにかなるものなのかそうでないのかはさておき、別の選択肢が求められたんじゃないかなあと思いました(ちなみに上記の点は、原田さんが主張していた箕面の課題に含まれるので、感覚的に同意した市民が多かったのではないか)。ほんならちょうどよく対抗馬候補がいたので投票したと。子育て層や高齢者層ではまた違った感想を抱いているかもしれませんね。
だんだんかわいそうになってきたんですけど、「けしからんって言われた!」って必死に噛みついてきたのはそちらですよね…。
「気がする」はずっと「気がする」ですよ。当たり前じゃないですか。ネットの一書き込みで「気がする」以上のこと言うことないですもん。ただの感想ですから。
それを「けしからんと言ってる」や「まともじゃない」とか言われても…。
議論の作法とか過去の議論からの流れとかは例のにわか氏のほうがあかんのだろうけど、ダーティハリーみたけどつまらんかったわ!って文章よりもアメリカンニューシネマおもしろいねん!って話の方が好みだったので、そこらへんに乗っかって紹介されてた中で特にオチが知りたくなった「泳ぐひと」を見た。
単になにも解説みないで見てもまあなんか主人公がいろいろとイキリ散らかしてて最終的にその報いを受けることになる・・・っていうなんか仏教説話というかクリスマスキャロルとかああいう系の話なんだろうなってみてたのだけど、あとで解説みたらおおよそそんな感じなんだけど当時のアメリカの世間の状況(広告業界が猛烈に景気よくてやりたい放題やってたとか。)に対する批判とかになっているとかあってその辺は全然わからなくてなるほどなあ・・・と思った。アメリカンサイコとかに繋がる流れの映画ってことなのかな。
当初は陽気なムキムキのイケメンだったのがプールを渡り歩きいろいろなことが明らかになっていくにつれてだんだんみじめな実情があからさまになっていく、というストーリーを主に演出や撮影の技術で見せていくというのが面白くてよくわからないなりに退屈せずに見ることが出来た。
でも最近の夏は少しやり過ぎてる。
なんだか夏が自身の夏らしさを自己模倣してるうちにその過剰さに歯止めが効かなくなってきてるみたいだ。
料理の味を整えてるうちにだんだんわからなくなってきてどんどんと味が濃くなってってるみたいだ。
つまりやりすぎなんだ、夏を。
はやく終わって欲しいと思うことも多々ある。
好きな季節なのに。
去り行く夏を惜しみたいのに。
本当は、ああ今年も夏が終わってしまう、って若者のすべてみたいな気持ちになりたいのに。
ただ、エアコンの温度を下げるみたいな感じで秋の到来を待ちかねるこの気持ちがなんだか居心地が悪い。
夏、お前はどこまでも夏を極めたいのかね。
それはもう、少し私にはついていけそうにもない。
なーつのおわりー
ぬすんだばいくではしりだすー
理論値
利益率
機械割
44ALLALLALL324ALL212
ご自身が言ってることに近い
絶対言えないと思う
面と向かって言えない
認めてほしいっていう気持ちがあった
おれは偉いんだよ おまえごときとは違う
怒りっていうのは僅差じゃないと発生しない
怖くて脅かされる 図星をつかれたようになると怒る
リアルでレベルの高いことがずっとあるっていう場合はだんだん相手にしなくていいかってなる
レベル教か
いらん
親父に小学校とかの算数もっていったらなんの答えもあってなくて
いやこれはこれはとか言ってたりするから
おれのイメージではそうかなって
活動電位と伝達物質 我々の意思になっているのが全然わからない
また決めつけでた
そうなってくるとこんなに努力してるのにとなってくる
社会のためになることができてる層がいる
同じ条件でやってみてください
女だから
言語は女のほうが上達早い
ムードメッセージ あまりうまくいかない人は人の努力を想像できない
なんとかだから無理でしょう とか言ってくる人
基本はないです やる前に言うなよ
やらない理由付けじゃないですか
これもこうだからやらない
尽力してから言ってくれよ
見ることがあるのかなと思ったらないんですよ 悲しくないですか
確かにやっぱ日本人は漢字とか日本語でやりとりする方が齟齬が少なくなることは多そう。
カタカナで覚えてるものは人によって意味を微妙に取り違えてたり、先の話じゃないけど時代によってだんだん変質したりしてるものもあるので…
この子がもう、まるで我が子みたいな存在になっちゃってるんだけど、実はすごく憶病なのよ。
私が子どものころ実家で飼ってた猫は全然違うの。その猫はすごく快活で、人見知りもせず堂々としてた。
今うちにいる子は、もう真逆。人見知りが激しくて、しかも超甘えん坊。私たち以外にはなかなか懐かないんだから。
そんなうち子はいつも窓辺で外をじーっと見てるんだけど、外に出る気は全然ないのね。
たまに近所の猫ちゃんが遊びに来ても、窓越しにじっと見てるだけで、まるでテレビでも見てるみたい。
で、ある日、意を決してこの子を外に連れ出して散歩してみたの。
そしたら案の定おどおどしてて、私から一歩も離れようとしない。まるで私がいなくなったら世界が終わるんじゃないかってくらいオドオドしてて、やっぱり外に出すのは良くないかも。
そう思ったんだけど、でも毎日散歩に行くと少しずつ外にも慣れてきたみたいで、だんだんと自分からも外に出たいって主張するようになってきたのね。
そこで、ちょっと勇気を出して、この子を猫の集会に連れて行ってみることにしたの。
最初はびくびくして遠くからその輪を眺めてるだけだったけど、日が経つにつれて、少しずつ輪の中に近づいて行ったのを見てホッとしたのを覚えてる。
それでね、この前なんて、洗濯物を干してるときにふと気づいたら、うちの子がいて、なんと他の猫ちゃんと一緒に歩いてたの!
その姿を見たとき、もう感動しちゃって。
ああよかった…って、本当にそう思ったのよ。
最近は朝から夕方までずっと出掛けていることも多くなって、お母さんはちょっと寂しいけど、でもあの子が幸せならそれでいいかなって思ってる。
50代の主婦がアイドルに殺害予告をして書類送検されたってニュース見て、自分の母親のことかも思ってビビった。
結果的には違うんだが、うちの母親も今回捕まった人と同じアイドルのファンをやってて、どう考えても中傷だろみたいな投稿をネットで繰り返してる。親がやばい方向にアイドルにハマった場合、家族はどうしたらいいんだろうか。
母親は元々はこのアイドルのファンではなくて、脱退→新グループ結成でネットで叩かれてるのを見るうちに「かわいそうだから加勢しなきゃ!」とか思ってのめり込んでいったらしい。
一時期BTSとかにもハマってたタイプだから最近熱心にYouTube見てるな、とかは別に良かったけど、同情というか、たぶん“理不尽な目に遭ってるアイドル”に自己投影してるところからスタートだから、ライブに行って楽しい推し活!みたいな状態でもなかった。
だからアイドルそのものではなくて、メディアとか元々いた事務所とか別のアイドルを仮想敵にして、それをネットの仲間と叩くのにハマってたというか、とりあえず普通のファンの楽しみ方とは思えなかったし、アカウントを覗いてみたらネットで絶対関わりたくない失礼おばさんに仕上がってて落ちこんだ。
あと普段の会話にも「全部⚪︎⚪︎が仕組んだ!」って個人名挙げたりとか、「⚪︎⚪︎ファンに嫌がらせを受けてる!」とか、アイドルよりも陰謀論にハマる中高年って感じになっていった。
コロナワクチンの陰謀論で親族が狂った人の手記とかを読んで、映画サブスクに登録させてSNSから離してみるとか、家族の交流増やすとかの対処法はしてみたけど、たぶんうちの母親は孤独由来じゃなくて、謎の正義感と自己陶酔で攻撃性が開花しちゃってるパターンだったからほぼ無意味だった。
直接注意してももちろん聞きはしないし、ネットで実在のアイドルとそのファンボコボコにしてる以外は普段と変わらず、良い意味でも悪い意味でも普通の50代の親って感じだったので、なすすべもなかった。あと親にネットの使い方を注意するの純粋にしんどい。
無理やり取り上げたり強く叱ったりしなかったのは、この段階では誹謗中傷というより愚痴っぽい内容が多くて、好きなアイドルを持ち上げるために他を落としたり、仲間と絵文字たっぷりで嫌いなものに過度に嫌味を言う、みたいなレベルだったからだ。
ただ最近はファン仲間と一緒に先鋭化していってるのか、だんだんエスカレートしてて、目に見えて狂ってるわけでもないのに、監視してる親のアカウントには罵詈雑言とか5ちゃんみたいなレスバが並んでて怖い。ちなみにこんなにのめり込んでるのに、おそらく一度もライブに行ってないし、CDとかも買ってる気配がないところと理解できなくて怖い。
まだ脅迫とか殺害予告まではいってないはずだけど、いつやらかすかわからなくて胃が痛い。20代のアイドルターゲットにして親が逮捕とかシャレにならん。
親戚のおっさんも野球選手への中傷で開示されたって話しててドン引いたし、50オーバーの人にネットマナーとかモラルってどうやったら叩き込めるんだろう。
何もしてこなかった
努力をしてこなかった
わかっているけど
もし、母が心身ともに健康な人だったら?とか
どうしても考えてしまって
全部同じ条件で生きてみてくれよって
一つだけ誇れるのは
母も、まっすぐ育ってくれたねって言ってくれた
独りぼっちになった直後は生きることに精いっぱいで
だんだん、寂しさも和らいできたと思ったけど
年齢のこともあり
将来の不安もあり
独りぼっちがすごく怖くて辛くて
そしたら日々夢を見るようになって
いつも誰かと一緒に過ごしてる
あぁよっぽど誰かを求めてるんだなって
不安すぎて怖すぎて
一緒にご飯食べてたわいもない話して
一緒に部屋でくつろいで
たまには旅行にも行ったりして
緩やかに過ごしていける人が欲しい
でも私にはそんな人現れないんだなぁって
いつも、誰かに惹かれてもその人からは気持ちを向けてもらえない
ごめん、失礼なのはわかっているけどいらないんだ…
なんかすごくむなしい
もう誰ともかかわらないで一人籠って生きていたい
そしたら寂しいとかつらいとか思わなくていいでしょ?
もう生きていたくもないのに
正直、俺は今までずっと人の意見を心の中では否定することが多かった。
上司の意見でも表面上はそうですねって納得したように見せながらも心の底では、「いや、それは違うだろ」って思うことが多かった。
ネットでも同じで、増田に書くときなんかもやっぱり否定的なことばかり書いてた。
でもさ、先々月、社内の飲み会でちょっとした出来事があったんだ。
その飲み会には俺が片思いしてる女性も来ててさ、みんなでワイワイやってるとき、その女性が急に俺に向かって「増田くんって、いつも心の中では『違う』って思ってるでしょ?」って言ってきた。
思わずドキッとした。まさか心の中をこうも見透かされてるとは思わなかったんだ。
その子は俺の反応を見てクスッと笑い、「否定的なのは良くないよ」って優しく言ってくれたんだ。
馬鹿みたいに思われるかもしれないけど、その瞬間ハッとさせられた。
それがきっかけで、今まで自分がどれだけ否定的だったのか考えるようになった。
変わろうと思ったんだ。
自分と反対の意見が出ても、まずは「どうしてそう思うんだろう?」って考えるように。
実際やってみると今まで気づかなかった視点やアイディアが見えてきてさ、少しずつだけど世界が広がる感覚があった。
悪癖は習慣のようなもので、なかなか抜けない。
最初は相手の意見に何言ってんだ?とか違うだろって思うことが何度もあった。
結構苦労したんだけど、でもその度に彼女の言葉を思い出してさ、相手の立場に立とうって頑張った。
そうして続けてるうちにだんだんと慣れてきて、今では心の中でも否定することが少なくなってきた。
ネットでも同じ。前は否定的なことを書きがちだったけど、それもやめるようにしたんだ。
余裕ができたのか、変に構えることが少なくなったからかもしれない。
それで今、その子と付き合ってる。
なんだか表面上だけじゃなくて心の中でも否定しないようになってから、いろいろと良いことが続いてる気がする。
少なくとも以前の自分は性格が悪かったし、もちろん、それを口に出すことはなかったけど。
それでも分かる人にはきっとわかるのだと思う。ちょっとした表情や態度に出ていたのかもしれないし。