はてなキーワード: 焦燥感とは
アスペルガーという言葉は、2015年頃から広く本のタイトルなどに取り上げられるようになったのではないだろうか。ちょうどその頃に、幼い時分から苛まれていた無力感、焦燥感、虚無感の根元にある直視し難い性質が何なのか判然としたことに感動したのを覚えている。家族を巻き込んで不幸をもたらす憑き物を現代医学が心の病だと看破したかのような爽快さがそこにはあった。私はこの障害のことをもっと知り、前向きに治療をしていこうという気持ちを持ち、それは今でも続いている。
しかし、障害を知覚したところで苦痛が晴れるでなし、それ以降もこの長きに渡る連れ合いは私を苛み続けた。正体見たりと凄んだところで、死角から刺されるのが堂々と名を名乗り正面から切り伏せられるのに変わったに過ぎなかった。
その日は取引銀行の支社長が社長宛に挨拶に来るということで連絡を受けていた日だった。いつもなら、というか"正常なら"同席の程を上司である財務担当の役員に伺うところなのだろうが、今回はそれが出来なかった。
何故なのか全く分からない。先方が名前を挙げてないのに同席させるのは失礼じゃないか。それとも担当なのだから同席しない方がおかしいのか。時間を取らせるくらいなら私が同席すれば良いのでは。頭で考えるだけの道は無数に枝分かれをし続ける。"一体何が正解なのか"。
そうこうしているうちに混乱から別の業務に手をつける、というサイクルを繰り返して日付が変わり、約束の30分前に私はその役員から呼び出された。
「なぜ俺は今日声を掛けられてないんだ」
「社長の予定を確認してからずっと黙って見てやっていたが、我慢ならん」
「そういう気の回らないところが頭に来るんだ」
こってりと絞られた後、心にいつもと違う感じが差したのをうっすらと覚えている。
私は今までこの気が回らないということを必死に隠してきた。中学生かそこいらまで、親からよく気がつかないとか人の気持ちを分かれとか言われて過ごした。その頃は親から怒られること自体が苦痛だったため、幸か不幸かそれを自分の性質と捉えることなく、説教を回避したい一心で人への接し方を注意しながら生活できるようになった。それでも学校生活で求められる他者との関わり合いなどたかが知れている。
やがて企業に勤め社会に出るようになると、その性質に大いに悩まされることとなった。上司の、同僚の、客の言うことがわからない。わからないまま、説教が始まる。しかし、正すべき箇所とその方法が見えないため、またそれに悩む。この繰り返しで自尊心をズタズタにしながら、三度目の就職で東京を転がり出て辿り着いた現在地点が今の片田舎にある中小企業だ。
私にとって、人の気持ちだの上司を立てるだのということが分かる機転は、尻尾のようなものである。生まれた時から有しておらず、今後手にすることも能わない。そういう能力が無いことを自覚して、別の器官で補いながらなんとかかんとか死なずに生きてきたのだ。
しかし今日、私は尻尾が無いことを隠すのを忘れ、尻尾が為すべき仕事を手や足で為さなかった。そして運悪くそんなタイミングで「尻尾のない奴は頭に来るんだ」という一言が飛んできたのだった。
こういうことで叱咤を受けることは歳を重ねて減ってきたとは言え、もちろん何度も経験している。普段なら自分なりに飲み込んで処理できる筈なのだが、全てはタイミングなのだと思う。
それはなぜか異常なほど深く私に突き刺さり、刺さった言葉は体内を刺激し、文字通り身を裂くような勢いで疎外感を噴出させていった。
「かわいそうだな」
自分を客観視する自分に気がつく。解離が始まった。早く戻らないと。早く自分に戻らなければならない。しかし、昼過ぎに始まった葛藤は定時の鐘が鳴るまで続き、何もせぬままそこからさらに三十分ほど放心して、私はとぼとぼと帰路に着いた。
その程度なんだよ俺は
実力や気力や体力や勤勉さがあるようなそんな素晴らしいひとびとがきっと俺のやりたかったことをぜんぶ代わりにやってくれるだろう。そのなにもないクズで無能で下から数えたほうが早いような凡庸な自分はそんな素晴らしいひとのお邪魔にならないように慎ましやかに生きていくことが必要なんだろう。
いままで、俺にも運が幾度となく回ってきた。そのどれもを俺はつかみそこねてきた。それは俺に実力も気力も体力も勤勉さもなかったからだ。単にあたまがわるいのだ。自分の頭で考えられないし、考えたとしても間違っている。そして考えたことを十分に行動も移せなかった。
かつては、こんなだめな自分だけど、いつかどうにかなる、どうにかできると信じていた。牛歩のような道のりでも進むことはできるのだと、「そうは在れなくともそう在ろうとすることはできる」のだと、前進できるのだと思ってきた。でも俺も今年で29だ。俺は老いた。まだまだいけると言う者もあるだろう。でもこの29年間できなかったことが、どうしてこの先の31年だか51年だかに実践できるだろう。ゲームのパラメータとは違う。これから俺はどんどん老いていく。体力は衰え目や歯が悪くなり記憶力も下がり柔軟性も失せやがて無知蒙昧とした視野の狭い汚らわしい田舎の老人のひとりとなるのだろう。今後の31年だか51年だかをかつてのように信じられない。自分の可能性を信じられない。そんなものはないと思う。でも生きていかなきゃならない。ひとの邪魔にならないように、せめてもの体力を奮い立たせ、体調やメンタルヘルスに気を使い、睡瞑運菜、でもなんで生きているんだろうなあ。意味もない。
今は寝不足でくたくたで酒を飲んでいるからこんなことを書いている。でも信じられないことに、この鬱屈も焦燥感も、少しべそべそしてからぐっすり寝てアルコールが抜けて体調が戻れば喉元過ぎて忘れてしまう。そしてバカバカしいこの日常がまるで幸せかのように勘違いして日々ニコニコ太陽に感謝して生きてしまう。こういうんだから俺はだめなんだ。今が人生のピークであとは下り坂なのに、なぜそのことを普段は忘れてしまえるんだろう。
今は頭がとても冴えているんだ。その頭が告げている。自分の頭で考えて出した結論はひとつ。死んだほうがいい。お前は人生のルートを間違えた。これからは思い出したように過去の後悔ばかりして、生きていくんだ。それはつらいことだから、だから死んでしまったほうがいい。死ね。
アイドルマスターシンデレラガールズ、6周年おめでとうございます。
私はこのゲームを1回目の総選挙直前くらいから始めたのですが、それからそんな時間が経っていたのかと驚きました。
シンデレラガールズ一年目あたりはボイス付きもほとんどおらず、大体10人くらいでしょうか。そのくらいしかいなかった気がします。シンデレラマスター第一弾、第二弾でソロ曲が出た子ぐらいですかね。
その当時はどういう基準でボイスが付いているのかとか、そういうことは特に気にしていませんでした。「うわー!凛ちゃんかわいい!エロ絵漁ったろ!」「楓さん歌上手いなー、えっろ」くらいの気持ちでやってた覚えがあります。
声付いてるキャラなんて少数で、活動もCD出すくらいしかしてなかったので、そんなに目立たずあんまり気にならなかったのかもしれません。
そのような声付きアイドルが少数派だった当時と比べて、今のシンデレラガールズはどうなったのか。軽く調べたところ、90人には声が付いているみたいですね。シンデレラガールズは183人のキャラがいますから、半分には声が付いているという状態ですね。
6年でこの人数なので同じペースで付いていくと仮定すると、あと6年で全員に声が付くという計算になりますね。
まあ、当然同じようなペースで付くわけはないです。それに、ここまで声付きが増加したのは、あるイベントがあったことが大きいです。それは、アニメにおけるボイス追加、通称「サプボ」ですね。
サプボによって、15人ほどのアイドルに声が付きました。実に、シンデレラマスター3回分です。シンデレラガールズを昔からやってる人ならわかると思うんですが、このシンデレラマスター、出すペースが非常にゆっくりなんですよね。さらに、弾数を追うごとに段々と間隔が空いていくという状態です。その上、最近では3人ごとの発売となっています。
これでは同じペースで声が付いていくというのは、またアニメのサプボラッシュでもやらないとムリでしょ、となります。
私の好きなアイドルにはまだ声が付いていません。あとどのくらい待てばいいんでしょうね。もう5年くらいは待ってるんですよね。
皆さんはシンデレラガールズにおいて、どのようにしたら確定でボイスを付与されるかご存知でしょうか。
現状の方法としては、一年に一回開催される「シンデレラガールズ総選挙」で、総合順位5位以内に入る、または各属性の3位以内に入ることです。
これしかありません。
当然、今ボイスを持っているキャラがすべてこの条件を満たして声を手に入れたわけではありません。初期に声の付いてたキャラなんかは総選挙関係ありませんし、前述のようにサプボキャラもいます。
まあ、全体的な傾向としては総選挙で発表されている50位以内に入っている子には声が付いていく傾向にはありますね。アニメが始まるまでは、基本的に圏外からはあんまり声は付いてませんでした。
小早川紗枝ちゃんとか圏外から声が付いていくケースもありましたが、51位以下は発表されていなかったので、もしかしたら50位のすぐ下にいたかもしれないって考えられたんですよね。だから、「この子は人気ないんだから、圏内に入ってる子のが先だろ!」みたいな考えはそこまで強く起こりませんでした。あのイベントまでは。
そのイベントというのが、「声なきアイドル」に声を付けていこうという名目で開催された「アニバーサリーボイスアイドルオーディション」です。別名、ボイス争奪選挙とか言われてもいますね。
このボイス争奪選挙、シンデレラガールズ3周年記念のイベントとして、2014年11月に開催されたんですよね。こちらの選挙、モバゲーのシンデレラガールズのイベント等で入手できる投票券と、Twitterで毎日一票ずつ無料投票できるという形式でした。つまり、課金によって投票券を手に入れて投票していくという総選挙とは違い、ほぼ純粋な人気だけで戦っていくという選挙だったんですね。
「この子は一番好きというわけじゃないけど、この子の方が自分の担当より上位にいるから、こっちに入れよう」っていう人もいたかもしれませんが、まあそれも人気のうちでしょう。
で、このボイス争奪選挙はTwitter投票分だけですが、それを集計して全ボイス無しアイドルをグループ分けした順位付けをしてたんですね。「日本のアイドル」とか「街のアイドル」だとかそういう感じです。どのアイドルがどの位置にいるのかというのは検索にすればわかるため、ここでは割愛します。気になる方は検索してみてください。
これがどうしたのかというと、この順位付けによって、今までアンタッチャブルだった50位以下のアイドルの順位がある程度可視化されてしまったんですね。総選挙とは違って、声付きアイドルは入っていないので純粋な順位ではないのですが。その当時のボイス付きはほぼ圏内あたりにいたので、まあそんな大きな影響はないでしょう。せいぜい下の順位の子がさらに下がるくらいです。
それで、です。100人以上の声なきアイドルの大まかな順位が可視化されたということで、その中で人気のあるキャラ、あまり人気のないキャラというのがわかるようになってしまったわけです。
これによって自分の好きな子が大体どの位置にいるのかということがわかり、そんな下の方でもなかったので嬉しかったんですよね。この時は。
ここでボイス争奪選挙のお話は一旦置いといて、次のお話に移らせてもらいます。このボイス争奪選挙の2ヶ月後、またまたシンデレラガールズにおいて大きなイベントが起こったんですよ。それがアニメ化です。劇場のアニメではなく、武内Pが出る方です。
なぜアニメのお話をするかというと、前述したサプボがあったからです。どのキャラがアニメでサプボが付いたのかというのは、こちらのwikiで確認できます。
https://www49.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/33722.html このページの中段あたりにあります。読まなくてもいいです。
で、サプボですね。これがタイトルにあるシンデレラガールズの総選挙を頑張りたくないという気持ちの決定打になったんです。
なぜかというと、このサプボで声が付いたアイドル、大体は総選挙50位以内に入ってないんですよ。まあでもここまでなら納得できたんです。もしかしたらこの子たちが同率51位かもしれないですものね。
そう、まだこの子たちが51位あたりにひしめき合ってる可能性はあったんですよ。
まあ、つまりは自分の好きなアイドルより順位が下のグループにいた子に声が付いていくのを見て、段々と濁っていったわけですよ。
中にはソロ曲をもらっている子もいましたしね。
「え? このくらいの順位にいても声が付くの? アニメで出番もらえるの? デレステのストーリー等で活躍の機会がもらえるの? さらにソロ曲ももらえちゃうの?」
というような気持ちが段々と強くなってきました。
プレイヤー側が頑張らなくても声付くんじゃん、って思うようになってきました。
それなら、わざわざ時間と金を割いて総選挙を頑張る必要なんてないよねって気持ちになってきました。
そしてそのサプボラッシュの後、デレステでサプボキャラがユニット曲を出すなど活躍していく姿を見ていました。自分の好きな子よりも順位が下で、アニメで声付いたキャラたちが歌って踊ってました。これも結構効きました。
総選挙で常に圏外だった、ボイス争奪選挙で下から数えた方が早かったような子たちが、自分の好きな子より先に歌って踊ってました。
サプボアイドルのこういう活躍を1年以上見てて、 「よし、総選挙頑張って声付けよう!」って気分にはならないんですよ。なる人もいるんでしょうが、自分はムリです。
そもそも自分の好きな子は常に圏外でしたし、総合5位以内または属性3位以内に入るのはほぼムリだろって考えに段々となってきたのもありますが。
3、4回目くらいまでの総選挙は頑張ってましたよ。頑張るといっても、課金してガチャ券手に入れるとか、Twitterで投票を呼びかけるとかそんなもんですが。もっと積極的にプロデュース活動をしている方はいっぱいいるくらいで、その方と比べれば自分のやっていたことなんて大したことはないでしょうけど。
無料投票のボイス争奪選挙と、課金投票の総選挙では違うってのはわかってはいます。わかってはいますが、サプボキャラがユニット曲などを出したりしているのを見ていき、もう総選挙は頑張らなくてもいいだろって気持ちになってきたんですね。
もう5年以上声がない状態で頑張り続けるのはつらいです。その間、ボイス付きアイドルが活躍していき、取り残されているような焦燥感を覚えるのはつらいです。
最近の総選挙は課金票数が制限されて、投票するプロデューサー数が重要となってきたみたいで、プロデュース活動をあきらめずに続けることが大切になってきたようですが、もう頑張る気は起きないです。
まだ総選挙を頑張って、自分の好きな子をシンデレラガールにしたいと思っている方は頑張ってください。
総合5位や属性3位を狙って、ボイスを付けようと思っているプロデューサーさんも頑張ってください。
また、私の好きな子に声を付けようと総選挙を頑張るつもりの方も応援しています。自分はもう頑張りませんが、頑張ってください。
サプボをもらって出番もある程度保証され、「このまま声が付かないのではないか」「いつになったら声が付くんだ」というような悩みを持たないということが羨ましくて仕方がないです。
その代わり、ボイスがあるが故の悩みが出てくるかもしれませんが、それはそれ。
早く解放されたいです。
他のコンテンツに移れって言われるかもしれませんが、その子を好きになっちゃったんだからしかたないです。
早くサプボで声付けてくれ。運営さん。
カウンセリングと投薬を受けていた
薬は主にレクサプロを処方されていた
そこそこ効いていたように思う
しかし精神科に世話になってまで今の仕事にしがみつくのが嫌になった
だいたい病院が遠い
車で一時間半かかる
休日を睡眠に費やすことで何とか心体をもたせていたが、そんな状態で長距離の通院を続けることに限界を感じた
今は体がぐったりしていてまともに動けない
風呂はおろか歯を磨くことすら難しい
本も読めないし文章も書けない
元上司への恐怖とよくしてくれた同僚への罪悪感で苦しくなる
苦しいし嫌だし悲しいしうんざりしている
会社でのことや今の自分の状態をちゃんと説明することができない
どう言葉にしてもまったく違うように感じ、ほとんど何も話せず、医者に愛想を尽かされてしまう
昔もそうだったしこれからもそうなるだろう
ありのままに話すことができたらどんなにいいだろうかと思う
かといって不感症というほどでもない。
そろそろ働いて社会とのつながりを感じたいと思うけど、
いま生かされている以上、人並みとまではいかないが、
多少は感じることはできている。ただロマンスは足りない。
こうした状況に甘んじているのは、
きっと自分がそういう文学でありたいと願っているからだと気付いた。
ダサさの極みを承知の上で、好きな小説は「ライ麦」と宣言するし、
きっと真面目すぎてストレス過剰だった自分を変えた一冊だと思ってる。
鬱屈した思いがわかりやすくレジスタンスな行動にあらわれてる、
そのホールデンが痛快無比だった。
真面目はやめようそして座右の銘は「適当」(となりの山田くん)
それが広く大衆に認められうるのは、
学友に「お前終わってんなぁ」と言ってくれた男がいた。
氏は貧困家庭で苦労していたため、稼ぐというモチベが高かった。
軽音サークルでパンクは形じゃなくてハートなんだよ的なオリジナル書いたり、
そういうのではなく。
右よりも左に惹かれるのは臆面もなく理想論を語り続けるからじゃなくて、
アート界隈にもいっぱいおるやろけど、
ささやかな反抗心は持っておきたい。
反ポピュリズム。
焦燥感を抑えるために自己正当化の物語をどう構築するかが大事で、
私は自他ともに認める超面倒くさがり屋なのだが、
最近変な癖がついて、深夜になら面倒くさい作業ができるようになった。
知見をもとに以下に手順を書いてみるが、真似できるのか、真似していいのかはわからない。
要は、面倒くさがりに対してまともに対処するのは諦めて、
普段なら他の娯楽に逃げるところでも、
深夜ならそれ以前に寝たほうがいい気がするので脇道にそれづらいし、
また寝ようにも中途半端に覚醒していて寝付ける気がしないので、
結果仕方なく作業を続ける、といったベストな状態を保つことができる。
それは半年ぐらいしたら慣れてきた
でも仕事ができない辛さには慣れない
物覚えが悪過ぎるし
言われたことは速攻忘れるし
社会を甘くみてるとか言われて怒られるし
そうなると焦燥感に駆られて変な汗出る
流石に自分でも異常だと思って調べたら
病院とか行こうと思っても休みの日になるとダルくなって全てどうでもよくなってやるべきことを全部後回しにしちゃう
辞めたいってずっと思ってて言ってるのに
人手不足だかなんだか言われてうやむやにされて辞めさせてもらえない
俺が入って一週間で1人倒れてそのまま辞めてったけどそれ以降新しい人増えてないじゃん
ずっと頭の中がゴチャゴチャしてて考えなきゃって思っても上手く考えられない
生きていける自信がない
そのジャンルは、同人界隈なら一度は必ず目にするし、きっと過去にハマった人も多いであろうジャンルだ。
お目当ての御本を買い、帰宅しようと思っていた時、そのサークルと出会った。
控え目に言って、絵がどちゃクソ好みだった。
サークルカットを見て、これは買わなきゃという焦燥感に駆られた。
知らないジャンルだったけど、何も考えていなかった。
めちゃくちゃ緊張した。
本を買う瞬間、この時以上に緊張することはもう無いとすら思えた。
初めて本を買うのに緊張した。
どれだけ表紙がアレな商業本でも、レジに持っていくことに躊躇いを感じなかったのに(と言うより心を無にしていた)
頭が真っ白でよく覚えていないけれど、こんな感じの返しだったと思う。
震える手で財布を開いて、お金を払った。
本を読んだ。
最高だった。
よく知らないわたしが口に出すのも躊躇われたが、ほんとうに、最高だった。
キュンキュンした。
絵はやっぱり最高だった。
なんとなく泣きそうになった。
極めて落ち着いたように振舞っていたけれど、もう握手したかった。
あなたの御本のおかげで素晴らしいジャンルに知り合えたと、そう泣きながら伝えたかった。
変人だと思われそうなので控えたが。
いまこれを書いてる私は、そのジャンルの漫画を買い、少しずつ読み進めている。
同人即売会って、いいな。
語彙力の低下が激しいが、見逃してほしい。
勇気を持って、知らないジャンルの御本を購入してみてもいいと思う。
きっとそこには、新しい沼がある。
昔は何者かになれると思ってた。
そのまま社会人になって、結局何者にもなれていない自分に気が付いた。
今思うともっと勇気をもってやりたいことをわき目もふらずに、目いっぱいやっておけばよかった。
我慢しててできなかったのではなくて、
きっと自分に勇気がなかったからできなかったかったんだろうなあ。
相変わらず何者かになれてないような焦燥感が付きまとっている。
でもそんなときに言われたのは、
何者にもなれてないわけじゃない。君にしかなれない。
そういった言葉だった
何者にもなれないではなくまだ不明瞭だけど何者かにはなれつつあるのかなと思っている。
幸い身近にそういう人が出来たおかげで、形づくられてきているけど
どうやってその人たちは何者かを知るんだろう。
あるいはどうやって何者か知れたなら教えて欲しい。
元はと言えば小学校高学年で「ハブる」という文化のもと、クラスメイトからの徹底的に無視をされたことが発端である。担任との相性の悪さなども相まって、学校生活への自信や信頼をなくしていった。核家族の共働き家庭の一人っ子の私は、学校では人と話せず、放課後の時間も一人で過ごした。特に習い事などもしておらず、学校と家庭の二つしか生活の場がなかった私は人間関係における信頼や安心などを失い、自分の考えを人に話すことや言葉をスムーズに出すことができなくなっていった。
そして中学入学。環境が変わることを期待したが、結果的には悪化した。たいていの公立中学では部活動には強制参加させられる。しかし私が入学した中学校は全校生徒が少なく、文化部は一つだけ。他運動部も一般的にはあるような部活がなかった。当時文化部に入るとスクールカースト底辺になる空気があり、私は運動部に所属した。しかし、運動神経が良くない方だったため部活でもうまくいかず。小学校高学年で人間関係に対する安心や信頼を失った私は、中学で出会ったクラスメイトともうまく接することができなかった。
そして決定打となったのは合唱コンクール。「絆」「仲間」「大きな声を出す」「グループ練習」などといったものは当時の私には地獄だった。音楽の時間が恐怖の時間になり、合唱コンクールが近づくにつれ朝練や帰りの学活でも練習を行うようになり、一日の始まりから終わりまで恐怖の時間となった。そこから学校に行けなくなるまでは簡単だった。学校に向かう足が遠のき、制服に袖を通すのが怖くなり、家から出られなくなった。共働きの私の家で朝一番最後に家を出るのは私で、一番最初に帰るのも私だった。そんな中で、朝起きて制服を着て仕事に行く親を見送り、自分は学校へ行かず無断欠席をするようになった。当然学校から固定電話に電話が掛かってくるが、家には私しかいないため無視。親に連絡が行く。意外にも親は私が不登校になったことを受け入れてくれた。
会話から始まり、日常生活の行動全てに自信をなくした私は学校での学習や電車に乗るといった行為もおぼつかなくなっていた。授業で先生から発問されれば、注目される恐怖や答えを急かされるような焦燥感で「わかりません」というのが精いっぱいだった。「私は何をしてもうまくできない」という強迫観念に襲われ、不登校の間に学習障害の検査などを受けたこともあった。一人で家で勉強する分には問題なく、また中間テストや期末テストを受ける分には人と関わらず済むため、それなりの点を取れていた。
不登校だろうが、家から出られなくなろうが、無情にも時は過ぎていく。中二では、通知表は「1」「2」「-」がほとんどになっていた。中三が見えてくると頭をよぎる高校受験。入試資料集などを見ると、入学選抜に当たっての内申点の基準の数字が踊っていた。家から出られなくても、学力低下だけは避けたかった私は家で学習を続けていた。当時、私の学力から出される偏差値は60〜63あたりであった。それくらいの学力層の高校では、おおよそ大半が9教科36以上の内申点を基準としていた。一方、私の内申点は9教科で23。地元工業高校ですらあやしい点になっていた。また、中二の時の担任は繰り返し私に面談の場を設けてくれた。私の話を無視したり、相槌を打たないなどということはなく、久々に会話ができることに感動した。担任ともっと話したいと思うようになり、徐々に学校に行けるようになっていった。
この状況の中で、私には一つだけ自信が持てるものがあった。それは絵を描くことである。まだ学校に行けていた中一の初めに美術の先生から風景画を褒められ、不登校になってからは家でよく写真模写などをしていた。授業にも出られるようになった中三の一学期、今まで体験したことのなかった画材と出会った。油絵具である。失敗しても被覆度が高く上から重ねることができ、乾くのも遅くゆっくり描くことができるこの画材は私の中で革命的であった。人間関係で失敗を重ね、急かされることに恐怖を覚えていた私は、個人で取り組むことができ、ゆっくりと描ける油絵具に希望を見出した。もっと油絵が描きたいと思い、誕生日には親から油絵セットを買ってもらった。もっと油絵を描きたいと思い、美術コースのある普通科高校への進学の意思を固めた。
その高校を受けるにあたり、偏差値は足りていた。美術コースを受けるにあたり、実技の力も合格するであろうという程度には達していた。しかし問題となったのは、やはり内申点であった。担任からは渋い顔をされた。それでもやっぱり受けたい、あの高校に行きたいと思い受験制度などを調べ尽くした。すると、不登校などを経験した生徒のための特別選抜制度を発見した。内申点を度外視し、受験時の学力テストと実技、面接で入学選抜を行うという制度だ。その制度を担任に報告すると、なんと担任は知らなかった。50も過ぎたベテラン教員がその制度を知らないということにはがっかりした。その教員が受け持ったクラスの過去の不登校の生徒はどんな進路をたどったのか心配になる。
何はともあれ、私はその制度を活用し無事志望校に合格することができた。入学後は絵と勉強に励み、学力では上位10%あたりを維持し絵では県の高校美術展で賞を取った。
そしてやってくる大学受験。もっと油絵を描きたかったので美大を望むも、家計が厳しく断念せざるを得なかった。幸い、学力はそれなりにあったため国立大教育学部の美術専攻に進学することでどうにか油絵を続ける手段を得た。
時は流れ大学四年。義務教育時代に失った人間として生きる自信や信頼関係を高校や大学の友人と接するうちに取り戻し、バイトをしたり彼氏ができたりと一般的な大学生として大学生活を送ることができるようになった。教育学部で学ぶ中で、義務教育時代の自分をメタ認知することができた。当時の自分と同じように人間関係に悩む子供に接し前向きな未来を示せたらと思い、教員の道を選び教員採用試験に合格した。
卒業制作とバイトに追われる今日、私が四月より働く予定の自治体では不登校の生徒が高校に進学する際の特別選抜制度が数年前に廃止されたと知った。
再定義されても、その度に企業はわずかな隙間を抜けて新たなタバコを作り出したのだ(厳密にはタバコという名称ではなく色んな名前がつけられていたが、みんな普通にタバコと呼んでいた)。
そうすると自治体は新たにタバコの定義を加えたり変えたりする。
企業は企業でその度に新たにタバコを作り直すというイタチごっこがしばらく続いた。
最終的に自治体が企業そのものに圧力をかけることで、この流れは沈静化する。
だが、この頃になると世論の流れが大きく変わりつつあった。
こういったタバコの中には、他人に害を与えないものも多くあった。
それらまで禁止にすることに疑問を抱く人たちが、非喫煙者からも多く出てきたのだ。
そもそもタバコを吸わない人たちが禁煙法に賛成していたのは、副流煙による健康被害や紙巻きタバコ特有のキツい匂いを理由としていたのが大半である。
槍玉に挙げられやすい喫煙者のマナー問題も個別の事例でしかなく、市民のほとんどは必要以上のマイナスイメージを持っていなかったのだ。
吸わない大衆にとっての分かりやすい理由がない以上、全面禁止を訴える声も必然小さくなっていく。
「いや、タバコじゃない」
「けど、その筒はパイプのように見えるけど」
「これはパイプじゃなくてポエプ。煙はフィルターによって有害でもないし、無臭だから匂いもつかない」
「え?……だったらいいのかな……あ! そっちのあなたは違うでしょ」
度々起きたタバコの再定義に組員が対応しきれず、ロクに取り締まれなかったのだ。
そして、この頃になると喫煙行為は、歩行者の信号無視くらいに有名無実化していた。
自作で“タバコっぽいもの”を密かに楽しむ人が増え、時にはそれを売り叩こうとする者までいたのだ。
当然、そんなことが裏で起きているのを苦々しく思っている人も多い。
その中でも特に眉をひそめていた層は自治体……ではなく元タバコ組合だ。
そもそもタバコの販売は、地域で競合が起きないよう組合で決まりが存在していた。
それが禁煙法で丸ごとなくなったのをいいことに私腹を肥やす人間が跋扈し、元組合の者たちは不満を募らせていた。
市場に出回る粗悪品は排除し、よく出来たタバコを作っていた者は組織に引き込んだ。
当然、サクリムケ組合の統制を快く思わないタバコ販売人も多かった。
このためサクリムケ組合とはしばしば小競り合いが発生し、そこに自警団が介入した日には収拾がつかないことも珍しくなかった。
結果として、禁煙法をきっかけに治安まで悪くなってしまったのだ。
そしてその二つの組織の争いは、いよいよ大規模なものへと発展しつつあった。
「社会を回すためにルールがあるのに、そのルールのせいで乱れるなんて皮肉なこともあるよな。有害なものを禁止にするという点では、決して悪法というわけでもないのに」
マスターたちは談笑していたものの、俺は心のうちに焦燥感を抱えていた。
ハトとタカの争いも、鳥に関心のない人間からすれば同じ動物同士の戦いでしかない。
あの二つの組織の争いが激化し、表面化すれば事態は更に悪化することだろう。
マフィアの抗争じみたことが起きて、一般社会にまで波紋が広がる可能性がある。
「何とかして止められないものでしょうか」
「それは構わないが、あの二つの組織をどうこうしても根本的な解決にはならないだろう。その場しのぎにしかならない」
「それって、つまり……」
確かに禁煙法がなくなれば、以前のようにタバコ組合が公に活動できるから統制しやすくなる。
禁煙法に相応の理由がある以上、撤廃することにも相応の理由がなければ政府は動かないと思うのだが。
「ま、ちょうどいいタイミングだろうな」
タケモトさんたちはゆっくりと立ち上がった。
その動きには焦りも迷いもない。
何らかの打算があるのだろうか。
両方含む事柄もあるがそれは関わらなければいいだけの事だ。
人生における歩みを進める物事であり、生活の維持に必要な事であり、できればやりたくないがやらざる得ない事柄である。
最低限さえやれば良い事ではあるが自分の場合は発生ペースが常に処理ペースを超えており青息吐息、自転車操業の毎日だ。
読書、鑑賞、ゲーム、喫煙飲酒、生命維持に必要の無い飲食や睡眠など。
元来人間を喜ばせる為のものなので義務に比べれば遥かに少ない気力で手をつけられるものの、人生の歩みを止めている状態である。
自分はつまらない人間なのでやってみたもののどれも違いが分からず、精々待ち時間の居眠りを防止する作業にしかならない。
日々「嫌な事」をこなすに当たる疲労感に項垂れ焦燥感に焼かれ、ただでさえやらなければいけない事すらこなせないのに他人が楽しそうに騒いでいる「無駄な事」に同じ様に騒ぐ気力も無く、適当な理由をつけて生活保護を受けるにも親元への連絡という更なる「嫌な事」を避けてただ生きている。
前述した通り、能力が低い人間なので叱責・罵倒が周囲に絶える事は無く、ただ耐えて、プライベートな時間はひたすら重力に逆らう気力すら無く横になり眠るでもなく天井のシミを数えるでもなくぼんやりし続ける毎日。
国立大学を卒業し、あり着いた職場もホワイトと言われる残業もそう多くない叱責も業務上におけるもののみ、生みの親だって自分が成人するまでキチンと養育した常識的な親だ。
それにも関わらず辛い。頑張りたくない。これ以上「嫌な事」に立ち向かいたくない。
甘ったれている事ぐらい分かっている。自分は人並みの事をこなすだけの能力が無いのだろうな。
気力を振り絞り続けたくない。生きていたくない。
まあ、自殺する為の痛みや苦しみも嫌なんだけどね。失敗する度に散々な目にあってる。
今日12月25日はTYPE-MOONにとって特別な日であろう。
原初の聖杯を生み出すセイヴァーの生誕の日、かの魔術の王が英霊の座から永久に消え去った日、愛を知らぬ獣が『人の王』となった日。そして、
オルガマリー・アニムスフィアの命日であり、私がFGOというゲームから限りをつけるターニングポイントとなった日である。
私と型月との出会いはZeroアニメだった。そこから転がるように世界観に傾倒していき、レアルタ・ホロウ・らっきょ・月姫(漫画版チェンゲだが。リメイクはよ)等々沈みこんでいった。
私はキャラクターよりもそれを取り巻く「世界」に好意を抱く人間だ。そこで積み上げられた世界観を不特定多数で共有したい、そんな思いからネット上の聖杯戦争を下敷きにしたTRPGセッションによく参加していた。
所謂月厨がよい印象を持たれないことはよく分かっていたので、そのセッションと型月板以外では大人しくしていたと思う。それが周りから見て「いいファン」たりえてたかは、今となっては分からないが。
そしてFate/Grand Orderがサービスを開始した。あのメンテ地獄をどう乗り切ったか、既に忘却してしまったのだが、きっと同じ境遇の掲示板上の同好の士が支えてくれたのだろう。
長いメンテが終わった先にあったのは、初めて抱いたキャラクターへの好意だった。
いつか「所長目当てにFGOを始めたら誰も彼女が死ぬことを教えてくれなかった。愉悦部だ」といったツイートが流れてきた記憶があるが、それはどうだろうか。所長の魅力は彼女の死に対して最も輝いていたと思うのだが。
閑話休題。
ともかく序章が終わった時点で私のFGOへの一番のモチベーションは所長になった。
その後も所長のみを求めて本編・イベントを進めていった。自身の形質もあってか、幸い「推しを引かねばならない」という焦燥感に駆られることなく、『「好きなキャラを引く」ではなく「引いたキャラを好きになる」(当然そこにあるのは「愛情」ではなく「愛着」だが)』というスタンスで進めるという割と健全なプレイをしていたのではないかと思う。(結局課金は16年の福袋のみに徹した。余談になるが、私は意識高い系として散々弄られた庄司Pの「ゲームの価値は顧客一人一人が決めるもの」という発言だけはマーケティングのいち真理だと考えている。今となっては喧嘩別れのようなかたちで引退した身であるが、払った金額ぶんだけの価値はあったと思うし、そこに後悔はない)
恋の続く期間のひとつの区切りは3ヶ月だ、などという話をよく聞く。私の所長への一方的な恋は、その区切りを何とか乗り越えることができた。
しかしその恋心に対してFGOは残酷であった。マスターの皆様方ならお分かりであろうが、月見イベント以降シナリオ上で所長に関する言及がぱったりと途絶えるのである。
型月の世界観は愛していた。しかしその時の私はそれ以上に所長に対しての思いが勝っていた。
そんな私に与えられたのが所長の情報の断然だった。そんな状態で、所長への思いは潰えない代わりに型月世界観へのそれが立ち消えていくのは時間の問題だった。
きっかけが何だったのかはもう不明瞭であるが(戦闘が面倒だとか案外そんな今更な理由だったのかもしれない)、メインシナリオへのモチベーションが第六章の途中ですっかり折れてしまい、数ヶ月間に渡ってログインと必要最低限のイベント周回を行うのみになってしまった。パーソナル・レッスンは当然限凸したが。
時は流れ、2016年冬。そんなモチベーションの転機となったのが終章前のキャンペーンであった。適当な自己分析ではあるが、その時の思いは「所長・石30個への乞食感情・『リアルタイムならでは』という言葉に対しての勝手な勘違い(恥ずかしながら、『終章そのものが期間限定である』と思いこんでしまっていた。この齟齬がどう影響するかは後に話す)」であったと思う。その時の私は、単純計算でも半分以上義務感でシナリオを進めていたに過ぎなかった。(6,7章のシナリオこそ読み飛ばしはしなかったが。それでもなお最近のエレシュキガルフィーバーに「遠坂凛である、以上の湧き上がる理由がわからない」と言ったらモグリ扱いされるのだろうか、といった程度の読み方しかしていないが)七章まで終わらせたのは終章開始ほんの数日前、だったように思う。
そして終章。そこで待っていたのは「素材激ウマクエストを周回する権利」という自業自得な裏切りであった。これに関しては100%私が悪いのでFGOに対してどうこう言うつもりはない。モチベーションの柱がひとつ折れた。
マーリンは引けず、柱がもう一つ折れたなか、魔神柱は必要最低限の各一回のみ倒し、追悼動画なんてものをどこか冷めた目で見ていた。
もはや私に残されていたのは「最後に所長に関する言及があるかもしれない」という曖昧な希望だけであった。
そして来たる2016年12月25日。最後の魔神柱陥落の知らせを受けた私を待ちうけていたのは、純粋なストレスであった。
勝てない。
勝てない。
勝てない。
休止期間中に溜まりに溜まった林檎を齧り、手を替え品を替え鯖を替え礼装を替えても勝てない。羅刹王の効果がなかったのは未だに許していない。
その時の私は確実にスレていた。「聖晶石は『未来を確約するモノ』なのだからコンティニューは恥ずかしくない」なんて文章を見てしまったため、意地でも石を割るものか、と思ったほどだ。結局その意思すら割れてしまったが。
人理は修復された。そこまでのストレスと差し引いたらどうかとは思うが、悪い終わり方ではなかった。所長に対する言及さえなければ。
人理修復を達成したマスターならばここで疑問に思うだろう、終章にはオルガマリーのオの字も出てこなかっただろう、と。しかし言及はあった。あってしまったのだ。
そう、「語られない者」、二百名の「その他大勢」として語られてしまったのだ。
ただただ放心した。奈須きのこの中には、既にオルガマリー・アニムスフィアという存在はいないものなのだと、そう感じた。
言及されない、ということも覚悟はしていた。しかし現実に突き付けられたのは、「きのこは所長を覚えていない」という実質的な死刑宣告であった。私の中で、もしかしたら復活するかもしれない、という希望が立ち消え、最後の柱が折れた。
一回忌。
SNS上で多くの人間がFGOに対して感謝を述べるなか、漫然たる義務感と所長への思いだけで一年半継続してきた私は取り残されてしまった。
そこで私と他マスターとの間に大きな亀裂が生じてしまった。妬ましいのだ。
何で俺が救われていないのにお前らは救われたんだ、感謝の言葉を言えるんだ。そんな身勝手な、醜い嫉妬。
そんな思いから一気にFGOへの思いが覚めてしまい、止まってしまった私は先達を気持ち悪い内輪ネタとしか思えなくなってきた。
その後も惰性でログインとイベントだけ続けていたが、その惰性すらチョコ礼装のテキスト「いつかこれに乗って、""四人で""颯爽と聖地の荒野を渡る事を天才は夢見たのかもしれない。」に心折られ、近しいうちに引退した。
引退後は徹底的に自衛を行った。私の心理状態はアンチのそれに近しいものだっただろう。ただ、それを行動に出すのはみっともない、そうも考えていた。
「嫌なら見るな」とはよく言うが、本当にその通りだと思う。見えなければ怒りは湧いてこないのだ。そして、作品に対するアンチ行動は作品そのものではなく「その作品を楽しんでいる人間」そのものに向けられていることも理解した(私が特殊なだけかもしれないが)。
一年が経ち、作品そのものに対する不満は引いてきた。それを取り巻く人間に対しての嫉妬への対処は、まだもう少しだけ時間がかかりそうだが。
そして、この文章は一年という澱みに対する気持ちの整理である。一年前では良くも悪くもここまで冷静に物事を見れなかったであろう。
ただ、身勝手な望みでしかないのだが、願わくば所長には復活してもらいたくない。創造主から一度忘れさられたものをサルベージされたならば、それはもう菌糸類からのキャラクターへの愛情ではなく只のビジネスだ。
好きでもないキャラクターをビジネスとしてピックアップさせ、好きでもなかった人々から「ずっと待ってた」などと空虚な言葉をかけられ性的非性的に搾取される。
そんな未来は、きっと耐えられないだろう。
反応ありがとうございます。
ソラウリベンジ
悲惨な末路をたどるのは十分予想できたことであり(ぐだおでもネタにされてましたし)その「悲惨な末路」があったからこそオルガマリーというキャラクターに惹かれたのは先に記した通りなのでそこに文句はありません。
ただ、その「悲惨な末路」が作中だけでなくメタ的な扱いにおいてもそうであったというのが只々残念であるのです。
2部
今になって言及されても「2年近く言及をしてこなかった」という疑念は拭えませんし、プレイヤーに対する心証の悪さ(悪目立ちしてるのはほんの一握りだというのは理解しているのですが)はまだ癒えていないので再開してもストレスにしかならないでしょう。加えて引退において後腐れないように引き続きコードを電子の海に放出したため所長がどうこう関係なく面倒なので復帰の予定はありません。(スマホのスペック的にも去年はプレイに支障がなかった程度だったがそこから一年経って諸々追加されたらもうダメそう)