はてなキーワード: 焦燥感とは
そう、修論を一切書いていないのだ。
正確に言うと書けないのだ。書くネタもない。
決して怠惰からくるものではなくて、精神的な何かだと思っている。病院にも行った。
だがしかし、診察の結果鬱ではないと言われた。
問題は鬱ではないのに学校に行くことはおろか作業フォルダを開くことさえできないことだ。
怠惰と言われればそうなのかもしれない、自分が客観的に相談を受けたとしてもそれは怠惰だよと片付けるだろう。
おそらく誰に相談しても「頑張れ」「怠けるな」「鬱じゃないんでしょ」と言われて終わりだろう。
相談するだけ無駄、というか相談するほどに失望され評価を落とすだけだろう。
自分ではもがき苦しんだつもりだ。
砂の城を作っては波が来れば崩れ去るような作業を永遠と繰り返していた気分だ。
「どうせまた波が来て壊れていくんでしょう。」
内定は決まっているのだが、大学院中退でも受け入れてもらえるか、それが心配だ。
今はただ早く働きたいという思いしかない。
社会人として社会で自立しているという身分に憧れしか感じない。
働けるなら最大限にコミットするつもりだ。
やり場のない焦燥感や矛先の見えない努力に道標を与えてくれるのならそれは全力で受け止めたいと考えている。
今週あるいは来週あたりに人事の方に相談しようと考えている。
返事次第では晴れて高学歴ニートの出来上がりだ。
親や親戚に会わせる顔がない。
おそらく、毎年見ている夢がある。
今年は随分とスプラッター仕立てだ。
小さな箱に入ったバケモノを倒さねばならぬ。化け物は小さな箱へ入っているとはいえ、
ワイヤーのようなものを出し、人々を切り裂くのだ。
これは信頼できる元部下であった。
人々を切り裂く事件を調査する間に、こういうことができるのは元部下しかないと
そういう結論に達したのだ。
夢の中で矛盾する事柄がなんの違和感もなく続く。そういう結論に達したならば
元部下に告げなければならぬ。
やはり、追いかけっこをする羽目になった。
西洋の壮大な建築様式の建物の中を二人で逃げる。辺りは暗く石造りの廊下をひたすら駆ける。
何度も石を切り裂くワイヤーを右や左に折れては避ける。
間一髪で避けるはめになり、その都度、ワイヤーの威力を見せつけられる。
とうとう小部屋で捕まった。
ワイヤーは遠慮なく私の背中を切りさき、肉が離れ血が流れるのを感じるが
ほとんど痛くはない。
フイと上を見上げると小部屋の天井が開いていて、ひょいと持ち上げられた。
そこには相棒・・・すでに思い出せないがいて、元部下は望んで化け物になったのではなく
その元部下が使うハサミに操られているのだという。
何故かそこにハサミがあり、私が掴むと元部下は元に戻り、私自身が小さな箱に入った。
小さな箱に入っているはずが元の体に戻り、官憲に追われている焦燥感が私を突き動かす。
本日はどうやら祭りのようで、逃げるためにはこの祭りの行列を突っ切って通りを渡らなければならないようだ。
行列を横切りることを決意する。
人ならぬケモノたちが人のように2足歩行で練り歩いている。
横切る最中には平らであった道も垂直になりケモノの波に押されながら人の身で渡るのだ。
ケモノたちはベタベタと私を触りいつでも食べてやるぞという意志が伝わり
なんとも言えない不快感が身を駆け巡る。
そしていつもの飲み屋に駆け込むのだ。飲み屋の間口は半間ぐらいで、立ち呑みできるスペースと
一部屋だけ囲んで呑める三畳ほどの場所がある。
「随分と難儀をしているようじゃないか」
店主の顔や形は思い出せぬが、店主が私に声を掛けたような気がする。
店主とは何やら話した気がするが思い出せない。もしかしたら店主などいなかったかも知れない。
将棋の内容は覚えていないが何度か打ったらしい。
毎年やってきても毎年師匠は忘れている。
「師匠が思い出せない最初の弟子が私ですよ。毎年忘れてしまうから思い出せないのです。
将棋の腕も良くはないのにアパートを立てて暮らしいるでしょう?毎年、私が渡すお金で
あぁ、また忘れてしまうのであろうなと思うと
目が覚めた。
今日は運良く覚えていたので、記してみよう。
もうすぐ二十七歳になる。
紙に書いて壁に貼って、誕生日になったら剥がせばいいのかもしれない。
「今、俺は26歳! 社会人4年目! ここが頑張りどき!」
みたいなことを正月にでも筆で書いて、壁に貼っておく。
誕生日が来たら剥がす。そして次を貼る。
「今、俺は27歳! 社会人5年目! 上からの評価だけでなく、後輩の育成も、ね!」
時間は流れてゆく。
いや、流れているはずだ。
僕の中の時間は止まったまま、現実世界の時間だけが過ぎている。
27歳になるのもビックリする。
22歳になったときはまだ覚えている。
そこからの5年、何かあったのか?
子供のいたずらで、時計を針をぐるぐると何回も何回もまわして、気がついたら2017年になっていたような気さえする。
サラリーマンになんてなりたくなかった。
フリーターになって夢を追うとか、まあそのぐらいの選択肢はあったけれど、実質的に就職する以外の選択肢はなかった。
労働ということに、価値を見出せなかった。今もそうだが、昔からそうだった。
就職活動。
長い年月を費やしたけれど、今の僕にはほとんど記憶がないのは、忌々しい記憶だったからだろう。
長い就職活動だった。
会社に入ってくる後輩は、学歴も就職活動のハードさも、ワンランクもツーランクも落ちるような奴らだった。
結局は運なのだと思う。
僕の同期は、就職留年したり、未だに実家に寄生したりするが、それはなんだったのだろうか?
そんなものは存在しなかったかのように、日経平均は上昇し続けている。
そして僕もまた、そんなものは存在しなかったかのように、安定した暮らしをしている…
リクルート的な価値観に従うならば、仕事というのは自己実現の手段でなければならない。
仕事を通して、大きな変化を社会に与えて、それを通して自分という存在が救われるのである。
その文脈において、僕がしている仕事は、まったく価値のないものでしかない。
僕の勤めている会社の利益だけを考え、その関係者だけが幸せになるものでしかない。
やっていることが、FAXからExcelの穴埋めに変わったくらいか。
技術者気質だが、管理職としての自分の役割も理解して、高いレベルでバランスのいい部長がいて、
放任気質でどうでもいいところはノータッチにして、締めなければいけないところは締める課長がいて、やりやすい。
そういう上司のもとで、それなりの成果が出せている気がする。
そんな恵まれた環境でも、三年目くらいまで、どうしようもないくらいの焦燥感があった。
自分の技術力とか、会社の求めているマネジメント能力とか、そういうものへの反発があった。
早晩潰されてしまうのではないか、という不安は常にあったけれど、色んなものに恵まれて、そんなことはなかった。
僕が居心地がいい環境というのは、ずっとなかった。
家庭でも、学校でも、バイト先でも、そんな環境はなかった。友達や恋人の部屋でさえも、僕は居心地の悪さを感じていた。
極力シンプルに生きようと思っている。
平日はそれで過ぎていく。
休日に色んなことを考えてしまうが、それだけが僕の生きている時間なのだと思う。
平日はそれでいいと思う。
よくもわるくも、僕はサラリーマン(社畜)である自分を受け入れつつある。
今の日本には、僕と同い年で、同じくらいの給料をもらえている人間なんてほとんどいないのだ。
けれど、それは結局、失われた20年に突入した日本の大半の若者が得られなかった、ある時代は当たり前だった待遇でしかないのだと思う。
もちろんそういう詭弁をもって、仕事をやめて、自由を手にしようということではない。
何が言いたいかというと、このままだと、僕に許された幸福に続く道のりは、
いい奥さんをもらい、仕事を頑張り続けることだということしか残されていない、ということなのだ。
幸福に関しては書きたいことがたくさんあるけれど、はたしてそんなことなのだろうか?
僕にはわからない。
わかる人間なんているのだろうか?
この文章で、誰かを批判しようとか、肯定しようとかいう気持ちは一切ない。
貧乏学生や派遣労働者への負担が大きいから経済的に消費が加速しない原因をまず少しでも取り除くべきではないか
という観点で年金は終わらせるべきではないかという発想をした。
もちろん自分個人の問題として実際にどうやって年金をもらえないで老後生きていくつもりだという話になるんだけど、
今現在年金を受給して生きている人たちには年金という信仰を元に生きているといっても言い過ぎではないと思う。
団塊の世代の中には今も金さん銀さんを目指さんとしている人たちがたくさんいるはずだ。
彼ら彼女らは死ぬまで長生きすることが自分の人生の幸福、終わること、死ぬことに対する幸福だという疑いを微塵も思っていない。
それが起き上がることもままならず、糞尿の始末を人の世話でしてもらい、ようやく気付く。
ああ、これは、楽しくないんだな、と。
誰もがそう思い、そう感じても、口にはできない。
俺は2人の祖母を間近で観察して死ぬときの青ざめた体を見て、表情をみて、話を聞いてみた1つの実体験を元にした結論が、
人間は長生きよりもいかにして幸福に死を選べるのかを考えるのが、
今の年金制度廃止への反発感情は、長生きが全ての幸福であるという洗脳教育が創発させている思想だと断言する。
なぜなら今の国民感情、価値観がそういう風に教育された結果だからだ。
長生きをすることがよい。
生涯現役を目指すのがよい。
そう社会が扇動してきて、だからこそ年金制度は良いという肯定がされ続けた結果、
しかし老人の苦労と今を生きる若者が受けなければいけない苦労と苦悩は決して等価ではないと私は思う。
若者はこの先この国を支える柱となり支え続けなければいけない骨子そのものであり、
これから死にゆく老人たちには決してそれはなしえない偉業である。
支え続けてきた先人、骨子となった老人たちには申し訳ないが、私は見捨てるべきである。
使えなくなった者は捨てるべきである。
国家とは存続すべきものであり、生活を保障するものでもなければ、守るべきものでもない。
若者の幸福を老人の幸福より重要であるということも同時に正とする。
私は死ぬべきであり、
それを選択できるべきでもある。
死ぬことにただただ、不安を産み付け危機感を煽る行為を続けるだけで、
事実現実として目の前に迫る恐怖、死への理解と享受と姿勢を学ばせる機会を老人から一切奪っている。
保護する、補償するという甘い言葉で実質は利権を太らせ続けているだけである。
エアコン設定温度26度より上ではほとんど何も成し遂げることができない。7月から9月下旬は大した成果が出なかった。クールビズとか言いだしたのは誰だ? あれは生産量あたりの光熱費が悪化するだけだ。消費を抑える以上に収入が下がれば、つまり利益率とかコスパというものが下がれば結局のところ意味がない。日本語ではそれに浪費という言葉を当てるだろう。
代謝が低いとか熱容量が小さいといった理由で放熱レートを抑えたいケースはあると思う。また快適な温度とも一致しない。少し暖かい方が過ごすには楽だ。
もっとも影響するのは根菜とか豆だと思う。次が葉物か。野菜の量と進捗の量には因果関係があるんではなかろうか。国が推奨する一日の必要量とかではなく野菜で腹が膨れるくらい食うとよい。穀類はあまり効果がない。コンビニ弁当サラダなら10個分くらいから効果があると思う。もちろんここにはエンゲル係数との戦いがあり供給がコンビニだと袋サラダ1袋くらいが限度ともなろうが……栄養ドリンク類も進捗への影響を分類する上では半分ここに入れたい。
茶、コーヒー、ドリンク類、ジュース。カフェインは効果がある。午後の紅茶のミルクティーなど悪くない。ただし手が震える、腹に応える、乳成分が入っていると後味が悪い、洗い物の手間が増えるといった問題はある。夜眠れなくなるというのはあまり気づいたことがない。それ以外の問題のあるものについては知らないがおそらく効果は薄いのであろう。
人間は入力情報をなんかうまいこと煮込んで出力情報とする函数である。その入力エントロピーを出力エントロピーが越えることはない。絶対にない。熱力学という規則がこれを規定しているわけではなくこれが熱力学への挑戦によっても破れなかった法則として見出されているのである。読んだだけ吐ける。そのレートは意外と良くないものである。ある文化圏の人類の出力エントロピーの総和が入力エントロピーの総和を下回るとすれば、なぜ社会は熱的に最小状態へと向かわないのか? 分からないがこれはグーテンベルクと原油のおかげであろう。原油が情報となり高尚な知的活動を支えるのである。人は……パンというエネルギーを情報に変えるのだ。個人的には核融合でも構わないのだが。
歩数ごとに言葉が浮かぶ。極めて残念なことに歩いていると電子機器に触れることができない。歩きスマホはできるが見るのも入力するのも大変だ。考える余裕がなくなる。HoloLensをつけて歩きたい。それでもタイピングの問題はある。口述筆記はこれまた手間で、なんとも遅い。やっていられないだろう。
飲酒の習慣がいつまでも付かないのでなんとも言えないが、酔いが回るまでの短い瞬間は効果がある。毒が回ったあとはやはりだめだ。酢は同じ効果があり酔わないが、胃が急速に死ぬ! これもだめだった。
ないと作業ができない。あってもできるわけではない。ないときに入れてもできるわけではないが、ないと作業ができない。
DHAがどうたら、飯を大量に食うよりは効果があるのだが腹持ちが異様に悪い。魚を食って間食をせずにする方法があったら知りたい。とてもお腹がすく。あと口が魚臭くなるのがいやだ。
腹持ちが良い。筋肉の元になる。体が丈夫になる。というわけで生残性には貢献するが生産性には貢献しない。うまいので食ったらいいと思う。野菜を合わせると食後感が大変良くなる。情報としては価値がある。
効果がない。過度の塩分は焦燥感と手足の倦怠感を生む。過度の糖質は食後に激しく知能が落ちる。
迷ったもの
長期間欠けていると影響はある。一気にたっぷりとるとデフラグ的な効果がある。日々の睡眠による効果というのは今ひとつわかりにくい。寝かせたアイディアを処理することは睡眠時間に余裕がないとできない、といったような作用の仕方がなんとなく見える。
元増田です。
たくさんのアドバイスありがとうございます。
今年の4月ごろからポシャッって、研究生活からは遠のいていたのですが、就活は何とかこなし内定をもらうことができました。
これまで学校には行かずバイトなどで精神的に休養を取っていたのですが、スイッチが入るとダメになりました。
そろそろ10月だしゴミでもなにか書きあげないと卒業できないと思い取り掛かろうとするとした時です。休んでいる時は普通に戻ったと思ったのですが。
研究に取り掛かろうと意気込むほどに頭がフリーズしモヤがかかったようになり、焦燥感で心臓がバクバクし食欲も湧かず、
パソコンを開いても研究用のソフトを開けずネットを見ることしかできません。一世一代の告白メールの送信ボタンを押すくらいソフトのボタンを押せないイメージです。
いややってると思うけどね!すごく時間を無駄に使ったような気がしてならないからとりあえず今日やったこと書く
かねがねから始めようと思ってたfgoのリセマラ8回もやった(なお星5鯖はまだ出てないので続行中)
布団干してシーツ洗った
夕ご飯は手作りで作った
夜にもう一回洗濯
連絡しなきゃいけないことメールした
等………
うーんでも有意義な休日って呼んでいいのかねぇ~そもそも有意義ってなんじゃ
十分有意義できてたら誉めて!
うちの母は25のときアパレルの店長になる話を蹴って親父と駆け落ちした。
そのおかげで俺はいるんだけど、そのせいで今の人生を歩んでると思うとちょっと申し訳なくなる。
というのも今は45で鬱と狭心症と坐骨神経痛で働けない状態にいる。
鬱の末期で親父と離婚してから生活保護で国に養ってもらいながら生活しているんだけど、俺は反抗期のときに「親じゃなくて国のお金で育てられてる」なんて心無いことを言ってしまった。
なんか話が変な方向に行ったりするけど別に人に読ませるための文書いてるわけじゃないから気にしない。
今もそのこととか引っかかってて、俺が働きだしていくらお金があれば親を幸せにしてあげれるだろうかなんて考えたりする。
本人は病床に臥して大体9年になるから、そろそろ働いて自立したいと言っている。それを自分は応援するし、サポートしたい。9年前の元気な頃と比べて母は心身ともに、あと薬のせいか病気のせいか頭の方も衰えてる。その過去とのギャップや環境の変化、周囲の風当たりや焦燥感がとても心配だ。多分俺自身が思うよりもっと本人は悩んでると思うけど。
俺は大学生。一人暮らしを初めて一年とちょっと。未だに実家には顔を出すが、最近急に親が老け込んでしまった気がする。
クソみたいな男に引っかかって、そんな親父に見た目の似た子供を育てて、自分の夢を捨てたまま死なれちゃったら母の人生は何だったんだ。
母は悪いことをしてないし、唯一間違えたことがあったとしても、無理して働きすぎたことだ。それも他人のためだし。
離婚に関しても、離婚寸前まで俺は離婚する前の生活が良かったって思うぐらい、あんまり嫌なところを見せないようにしてくれてたしそのせいで離婚当時は酷いことを言ったかもしれない。
自分も服が好きだし、服が好きな親には服に囲まれて自分の店で服を売って暮らしてほしいなって思う。
大学の生活は可もなく不可もなく。成績は結構優がある。バイトと給付型奨学金で高卒会社員並みの給料はあったからそれを半年ずっと貯めて、貯金が50万。今も奨学金をもらってて月4万の収入がある。
大学の学費を利子なし奨学金で賄ってるから、数年後の自分の生活に怯えるぐらい。
生憎、兄弟や親と助け合って生きているもんだから姉も俺も水商売だとか、土建屋で働くとか、無理に自分を削って金に替えることはしていない。
仕送りとかそういうのは全然ないけど、たまに実家に集まってみんなでご飯食べたりしている。
奨学金を返すために借りている奨学金とか自分でも変なもの借りてるなと思う。
大学入って色んな人見るし、俺より恵まれてる人でも結構壮絶な過去があって今を生きてるんだけどもやっぱり俺より恵まれてて良いなって思う。
でも大体みんな辛いのは自分が辛いんだからってわけで、別に他人より辛くないから辛くないなんてものじゃないよね。さっきの良いなとか言ったのやっぱなし。みんな頑張れ
自分よりすごい人には負けたくないなって気持ちはあるんだけど、無理をしないってことが一番大事に思ってるから頑張るってことをあんまりしてない。
それがクズならクズで仕方がない。甘えでも仕方がない。実際自分の近くに無理をしてどうなったか教えてくれる人がいたし、俺はクズで甘えの人間のままだと思う。
苦を苦に思わないものこそが自分のするものであって、それを見つけるのが人生だと考えている。
同い年や先輩で大学行きながらエンジニアしたり物作って売ったり色んなことしてる沢山の人見て本当尊敬するし仲良くしたいし負けたくないなって思うしめっちゃ嫉妬する。
俺もIT系の未経験OKのバイト行って、会社のためにプログラミングの知識高めて色んなことしたいのに、探して応募したら一切メール帰ってこねえの。なんでだろ
だいたい聞くと親のツテでプログラミングとかそういう類の物に触れるきっかけがあったりするっぽくて、まあなんかもうしゃあないなって感じ
今思うとバイトもバイトでどこ面接してもシフトぎゅうぎゅう詰めにしなきゃ雇ってくれない(そもそも条件飲んでも雇わない、連絡くれない)なんてことあるし学生の本分が何なのか理解できてないんだろうか。そもそも俺自身そんな魅力のある人間じゃないし、軽く見られてるっていうのが99割ありそうだな
いつかお金も必要になるし、両親もいつまでも健康というわけにはいかなくなるだろう。
そういう必ずいつか訪れるようなことに対して考えず逃げて来てしまった。そのせいかその手の話を聞く度に胸が痛くなる。
自分は一応枠組みとしては新卒であるが未だにどの企業にも内定が出ず、ふてくされ就活もほとんど辞めてしまっているクズである。
このままではおそらくフリーターになるのだろうとぼんやりと考え焦っている、しかし身体が全く動かずに困っている。
こんな自分が今後介護やらお金に関わって生きていけると思えない。それゆえ焦燥感もあるのだろう。
できればこんなボンクラな自分も親に元気なうちにお金を使って何かしてやりたいと思っている。こんなボンクラでも育ててくれた感謝しているからだ。
しかし、今後満足にお金を稼ぐことができない自分がなにかしてやることなんてできない。
どこかで聞いたことがある。
ここ数日、ふと気づくとそれとなく手のひらをみつめている自分がいる。その度にネガティブなイメージを振り払い、何か楽しいことを考えようとするがうまくいかない。抱える問題は様々ではあるが、冷静に考えれば些末なものだという客観的かつ観察者的視点も持ち合わせている。持ち合わせてはいるが、うまく心をコントロールすることができない。コントロールする方法も、この三十年ほどの人生の中である程度は身に着けて来たつもりだったが、そもそもコントロールする気にもなれない。自分がこんなにも精神的弱者だと思わなかった。死ぬつもりはないが、生きることにそれほど執着できない。
寝て、起きて、食べたいものを食べ、会いたい人に会い、行きたいところに行く。経済的制限はあれど、ある程度自由に選ぶことのできる選択肢が目の前にあるのに、そのどれもが億劫に感じられて予定がなければ日がなスマホを触っている。頭ではこんなことをしている場合ではないとわかっていても身体がついてこない。言わずもがな心はどこかに置き忘れてきた。社会における自分を鑑みたときのとりとめのない不安感、言いようのない焦燥感と孤独感、それから諦めの思考に脳みその大半が支配されているらしい。とにかく金を稼がなければならないと思っても具体的な行動に出ることができない。どうにかスマホで副業のためのアルバイトの検索なんかをしてもそこで集中が切れてしまう。
何をしていてもこの不安な気持ちが付きまとい、目の前のことに集中できない、或いは熱中したフリをしている自分がいる。掃除・洗濯・家事・炊事にすら手をつけられず、シャワーを浴びることや、食事をするといった生活の根源を成すことですらハードルが高く感じられる。ましてや書類に目を通したり、友人に連絡を返すといった高度なことにはその一切に手をつけられないと来ている。最近は玄関の鍵を閉めることや靴をそろえることにもその都度気合いを入れる必要があり、電気を消す気力もなく明るいままの部屋で眠っていることが多い。エアコンのリモコンの操作すら気力を消耗する。
どうにか出勤はしているが、サボり癖がついているため、いかに仕事をしているフリをするかに長けて来た。この文章も勤務中に書いている。二週間に一度くらいのペースで体調不良による遅刻を重ね、職場での信用もガタ落ちだ。悪循環にハマっていることは頭ではわかっている。頭では重々承知の上だが、心がついて来ない。個人的には、頭と心を繋いでいるのが身体だと思っているから身体を動かすようにしているのだが、以前ほど効果を発揮しなくなった。
水は低いところに流れるというが、たどり着いた先はに沈殿したものたちの中から夢や希望を救いだすのは至難の技だ。そんなことをしている間に世の中は自分を置いて先に先に進んでいく。何のために生まれ何をして喜ぶのか。立て直す方法はわかっているようでわかっていないのかもしれない。単純だった個々の問題が複雑に絡まり合って、思考を支配されているようだ。
最近、幽霊や妖怪の類が在るとすれば、それに憑りつかれているというのはこういう感覚なのかもなとも思う。気力を取戻し、“憑き物の取れたような”状態に戻りたいものだ。
平日の帰宅後は早くて22時遅くて25時なのでご飯食べて寝ればいいのかもしれないが不眠症と焦燥感で27時くらいまではぽっかりと無為の時を過ごしている
本当は勉強しなくちゃいけないのだけど思考が散漫で読書すら捗らない状態では勉強する気力もわかず
一応ゲームなどして時間を埋めてはいるが眠れない悪循環なうえ楽しさも薄れてきた
一番手軽なはずのソシャゲも疲れていまいちやる気になれなくて最近は日付変わる前に家に居ても連続ログインできない
やりたい(はずの)こと:現状
・読書(小説):たまに入り込めることがあるが集中力が一旦途切れると数日できなくなる また熱中できている日はそれ以外が上の空になるので仕事がやばい
・絵を描く:本来はこれが生きがいのはずだった 今は真っ白の紙を前に何もできない たまに手癖で雑に微妙なポーズの女の子を描いたり模写してみたりはするがそこから何も展開できずむなしさが募る
・勉強(仕事に関係ありそうなやつ):これはしないとやばい 試験もある それなりに興味はあるはずなのに全く内容が頭に入らずただ重い本が床に開いて置かれたまま埃をかぶっている
・勉強(仕事に関係ないやつ):漠然となんかやろうと思ってそれなりの興味と期待感を持って本を買ってはみるがただただ積まれている
・ギターの練習:これは本当にどうしていいかわからない 弾きたい曲も発表のあてもなく漠然と弾けたら楽しかろうかっこいいだろう程度 山奥の一軒家に住んでいるわけではないため深夜には当然できない
・ネトゲ:好きなゲームがあって 実装されてるけど行ったことない場所に行ったり手を出してない要素に手を出したりしたいけどそもそもPC立ち上げるのがしんどい いざログインしても放置してしまう
とにかく気力がなくあらゆることに理由を付けて何もしたくないけど何もしないことで焦燥を感じて休まらない なんか常に疲れている