その程度なんだよ俺は
実力や気力や体力や勤勉さがあるようなそんな素晴らしいひとびとがきっと俺のやりたかったことをぜんぶ代わりにやってくれるだろう。そのなにもないクズで無能で下から数えたほうが早いような凡庸な自分はそんな素晴らしいひとのお邪魔にならないように慎ましやかに生きていくことが必要なんだろう。
いままで、俺にも運が幾度となく回ってきた。そのどれもを俺はつかみそこねてきた。それは俺に実力も気力も体力も勤勉さもなかったからだ。単にあたまがわるいのだ。自分の頭で考えられないし、考えたとしても間違っている。そして考えたことを十分に行動も移せなかった。
かつては、こんなだめな自分だけど、いつかどうにかなる、どうにかできると信じていた。牛歩のような道のりでも進むことはできるのだと、「そうは在れなくともそう在ろうとすることはできる」のだと、前進できるのだと思ってきた。でも俺も今年で29だ。俺は老いた。まだまだいけると言う者もあるだろう。でもこの29年間できなかったことが、どうしてこの先の31年だか51年だかに実践できるだろう。ゲームのパラメータとは違う。これから俺はどんどん老いていく。体力は衰え目や歯が悪くなり記憶力も下がり柔軟性も失せやがて無知蒙昧とした視野の狭い汚らわしい田舎の老人のひとりとなるのだろう。今後の31年だか51年だかをかつてのように信じられない。自分の可能性を信じられない。そんなものはないと思う。でも生きていかなきゃならない。ひとの邪魔にならないように、せめてもの体力を奮い立たせ、体調やメンタルヘルスに気を使い、睡瞑運菜、でもなんで生きているんだろうなあ。意味もない。
今は寝不足でくたくたで酒を飲んでいるからこんなことを書いている。でも信じられないことに、この鬱屈も焦燥感も、少しべそべそしてからぐっすり寝てアルコールが抜けて体調が戻れば喉元過ぎて忘れてしまう。そしてバカバカしいこの日常がまるで幸せかのように勘違いして日々ニコニコ太陽に感謝して生きてしまう。こういうんだから俺はだめなんだ。今が人生のピークであとは下り坂なのに、なぜそのことを普段は忘れてしまえるんだろう。
今は頭がとても冴えているんだ。その頭が告げている。自分の頭で考えて出した結論はひとつ。死んだほうがいい。お前は人生のルートを間違えた。これからは思い出したように過去の後悔ばかりして、生きていくんだ。それはつらいことだから、だから死んでしまったほうがいい。死ね。