はてなキーワード: 口語体とは
アイドルグループ「BiSH」所属のモモコグミカンパニー著の『目を合わせるということ』を読了した。以下簡潔に感想を。
文章レベルは「素人にしてはよく書けている」程度。だからこそ逆に驚いた。この文章はゴーストライターの手によるものじゃない。文章の特徴を箇条書きにしてみると、以下のようになる。
・時折入るら抜き言葉
・文末の表現が全体的にこなれていない(「ことだ」の繰り返しは避けたほうがいい)
著者は読書家を自称しているらしいが、そうとは思えない。しかし、編集と校正の手が入ってるとはいえ、読んでいて詰まる部分はない。読み進める内に文体がこなれていくのは流石だ。作者の知性の高さを感じさせる。この本は著者がアイドルデビューしてからの3年間を綴ったエッセイだが、本人の性格が文章内に如実に現れていて、とても面白く読めた。
自分が恵まれた環境で育ったことに自覚がない。同じような境遇に育った人間の間では自己をごまかしながら生きていくことができるが、近くにいればいるほど嫌われるタイプ。特に卑しい身分に生まれ育った人には蛇蝎のごとく嫌われる。著者に対して「お前のことは嫌いだった」とハッキリ言うメンバー氏は凄い。
本人にも自分の性格の欠点について自覚がある。人を遠ざけたり、自己嫌悪に陥ったりする。著者の母君も著者の将来に危惧を持つ。このタイプは嫌われる人には徹底的に嫌われるので、本人の高い能力は社会で(特に会社員として)活かすことはできないだろう。
だからこそオーディションで見出された。メンバー唯一のずぶの素人としてひな壇に立つことができた。
著者のパーソナリティは「アイドルらしさ」とはかけ離れている。著者の存在はBiSHというグループに刺激を与え続けている。本人に自覚はないかもしれないが、BiSHの飛躍の一因は著者にあるのは間違いないだろう。
おじさんになって一番思うのは、やっぱしちゃんとしてないと言いたいことを言えないんだってこと。
例えばさ、こんな口語体のうんこみたいな知識を書くとするじゃん?
でもさ、昔のどっかのお偉いさんが四文字熟語とかでさ、古典とかひっぱってきてさ、
かっこよく賢そうに達筆で額なんかにして飾ってたとかだったらさ、
座右の銘だーとかいってたらさ、なんかすげえ良いこと言ったみたいにかっこいいじゃん?
でもさ、「やっぱしちゃんとしてないと言いたいことを言えないんだよー」って
酒金女に溺れたおっちゃんが夕刊フジを読みながらワンカップひっかけつつ増田書いてもさ、
そこまで感動しないじゃん。
あとさ、黒塗りの怖そうな車に乗ってる粗暴そうなオジサマが「この代金おかしいやんけ」っていうのと
よれよれの長袖ポロシャツインしてる松方弘樹メガネのオジサマが「この代金おかしいやんけ」っというのとさ、
求める力が違いすぎるでしょ。
説得力に差がありまくるでしょ。
あるのよねえ。
理想を持って希望に満ち溢れて社会を良くしていこうって、変えていこうってさ、”先入観をなくそう”とかね。
夢膨らんでる若者はさ、輝いてるよね。素晴らしい。
でもね、やっぱしいろんな意味でちゃんとしてないと、伝えたいことって聞いてもらえないのよ。
おじさんたちはね、そのオキテに逆らう恐怖を知ってるの。
みんな守りたいものがあるからね。ちっぽけなものかもしれないけど、それぞれが守る価値があると信じてるものね。
たから必死にオキテを守るし、守らない人から自分たちを守ろうとするんだ。
それって悪いことじゃなくない?みんなそうするのは利益があるからだしね。
自分を守ることの善悪はめんどいから置いとくか。ここで大事なことはオキテ、逆らう、良くない。
まあ、だから、オキテやぶりをするなら、それなりにちゃんとしてないといけない。
ちゃんとするには、おおざっぱに言って2種類あって、難しい方法と、簡単な方法がある。
難しい方から説明すると、みんなの「ちゃんとしたい」とか「守りたい」って気持ちを
全部まるっとうまくすくい上げること。あんたらに悪いことしませんよーって納得してもらうこと。
これめっちゃ難しいけど、うまくいくとめっちゃ気持ちいいから。いいよ。
簡単な方はね、これズルいんだけどね、脅かすの。嫌なことするぞーって。
もちろん最初から全部この方法を使うわけじゃなくて、こっちの方では嫌なこと我慢するから、
あんたらはここで我慢してくれよ、みたいなね、別にこっち嫌なこと我慢するわけじゃないのに
嘘ついたりごまかしたりしてね、いじわるするの。そうするとね、お願い聞いてもらえるのよ。
後味悪いよさすがに。そりゃ酒飲むよね。歌っちゃったりするよね。
でも、話を聞いてもらうにはちゃんとするしかないんだよね。
難しい方法ばっかりしてたら体壊したり無理しちゃったりするんだよ。早死にしたりね。
でもね、難しい方法をね、少しずつだけど簡単にしていくこともできるんだよ。
それはね、肩書とか、賞状とか、そういうやつをいっぱい持つこと。
そういう「ちゃんとした」ワッペンがついてるとね、いろいろ聞いてもらえるんだよ。
東大卒、とかもそうだし、征夷大将軍、とか、代表取締役共同COO、とか、フォロワー数4.8M、とか、
読モ?とかもだし、いろんな意味のワッペンがたくさんあるんだ。
分かる人にしか分からないワッペンもあるしね。バイターモリモリ不死マラソンスプーン余裕でした><とかね。
だからワッペンたくさん持ってる方がいいよ。ちゃんとしたやつ。ちゃんとしてる風でもいいよ。
ちゃんとしてる風なワッペン付けてると、ラジオ番組持ったり政権に入り込んだりできるよ。
余談だけど、自分らしく生きたいとか思ってるなら、自分と大切な人にだけ通じるワッペンを付ければいいよ。
生体エロウィキペディアでもいいし、セクシーソムリエでもいいし、
ちゃんとしたやつじゃなくていいよ。てきとーで。
そんで周りの友達がそのワッペン気に入ってくれたら、そのワッペンが好きになってくるんだよ。
結局言いたいのはね、ちゃんとしてないとダメってことよ。
ちゃんとしたワッペン付けてるとか、体力か良心を犠牲にするかしないと、
最近気づいた事だが、頭の中から文語体を生成する機能が無くなった。
硬い表現を分かりやすく伝えようとすると、必ず同じような文体(口語体)で生成してしまう。
かつては表現した内容と表現の形式が一致しているということに敏感だった。
表現の形式、つまり文体、が持つ機能は理解を立ち止まらせることで、読書という受動的行為を思索に転じさせる抵抗の役割であった。
近年出ている本やネットの文章でこの抵抗を感じるのは、主張が自分と相容れないか、エキセントリックな内容か、である。いずれにしても、分かりにくいから頭を使うのではなく、分かりたくないから、頭の中で粗を探してしまう。
そういう事を繰り返したからなのか、自分の中で、内容を構造に落とし込む、という思考形態が取れなくなった。
現在の生活の中で、湯水のように文章が溢れているが、それを読む行為は以前より知的な行為でなくなった。ある文を読む事は知識を積むことであり、内容以上にはモノの見方を変えない行為になっていないか。以前には、ある文を読むとモノの見方が変わったものであったはずなのだ。
だが、今の自分はどうだ。内容を伝えようとした途端に説得させ相手に理解させようとしてしまう。相手の思考を待てないのである。
古くから残っている本の内容をわかりやすくしてしまえば、誰でも簡単に理解できるのである。しかし、古くから残っている本の著者の思考形態は原著によってしか手に入れることが出来ない。
http://rabitsokuhou.2chblog.jp/archives/67949822.html
「夏と少女」のお題で駄文一本書いたが捨て場所がなかったのでここに置いとく。
線路の向こうの鬱蒼とした森林の中で、煩わしいほどの熱量でもってツクツクボウシが鳴いている。
夏休みの自由研究として妹が何の気なしに投稿した歌の動画がインターネットで話題になり、すったもんだの挙句、彼女はが東京の養成所に通うことになった。
俺は反対した。相当、猛烈に反対した。だが両親が乗り気じゃどうしようもない。
それで、トントン拍子に話は進んで、今彼女は東京に向かう電車待ちというところだ。俺は見送りで彼女に付き添っている。ちなみに両親はとっくの昔に東京にアパートを借りて待っている。慣れるまでは、妹と両親は一緒に過ごすらしい。
ここに残るのは俺だけだ。
妹はーー由美は今、俺と一緒に駅のベンチに座っている。携帯をいじりながら、鼻歌なんか歌って気楽なもんだ。大都会に行くってんで精一杯におしゃれして、キャスケットなんかかぶっていて、どうにもいつもの妹じゃない気がして、俺は居心地が悪い。
と、突然、妹が小さく声を上げた。
「あっ……」
由美はトンボの羽を見上げつつ、寂しげに眉をへの字に曲げた。
「すぐに、友達もたくさんやってくるだろ」
励ましたつもりだったが、声が震えたかもしれない。
トンボはしばらくのこと由美の帽子の上で羽を休めた後、満足したのか再び飛び立っていった。
俺はトンボの飛び去った空から目を離せずにいた。その先に、由美の新しい生活が待っている。
「あっ、兄ちゃん、電車来たよ」
由美が注意を引くので首をひねってそちらを見ると、一両編成のボロい電車がゆっくりホームに入って来るのが見えた。
いつも乗ってる電車が、今日ばかりはいかにも廃れて見えた。由美はこいつに隣町まで運ばれた後、乗り継ぎを何度か繰り返して、最後は新幹線に乗って目的の街まで向かう。
電車が止まったので、ドアボタンを押して扉を開けてやる。「大丈夫だよ」と遠慮する由美に構わず、でかい鞄を電車の中に運んでやる。
「元気でな。メールよこせよ」
「うん、兄ちゃんもね」
電車のドアが、無遠慮に閉まる。警笛一つ鳴らして、電車はゆっくりと線路の上を滑り始める。
次第に遠のく電車の姿を、俺はじっと見守っていた。
が、電車の姿が見えなくなるより前に、尻のポケットに入れていた携帯が鳴った。
携帯を取り出して見てみると、由美からのメッセージが届いていた。
そう書かれたメッセージの後には、電車の窓際に止まるトンボの写真が添えられていた。
俺は脱力しつつため息をつく。
「風情もなにもあったもんじゃねえ」
ツクツクボウシの声が、まだ俺の耳には騒々しく聞こえていた。
1 小林多喜二 87.6
2 松たか子 83.1
3 菊池寛 78.6
1 岡倉天心 44.8
2 三木清 50.8
3 団藤重光 52.4
なのでわさとトラバしてみる。うん、伸びた。
最後まで読んでもらえるわけではない。タイトルで感想を決められる。最後まで読んでもらえる方が稀。
アニメ話題は食いつきが早い。そこでオタクをつってみる。クソコメが多い。
ちょっと煽り気味な感じで書くと、もっとブクマが増える。ツイッター連携してる層に出会う。あいつらは自分の生活が無いんだろうか。
でも大体長くてもボコるのは2日で終わる。基本的に100ブクマ超えても話題性は一瞬。
クソコメの共通点として、沸点が低い。ちょっと落ち着けよと言いたくなる。
気持ちよくはてな匿名ダイアリーをするには。
なんだこいつw、という反応がもらえる。そんなに悪い反応ではない。自分を思いっきり気持ち悪く見せているので、書いてる自分が気持ち悪いという点くらい。
すなわち増田はそのままでいい。妙に格好つけようとせず、ありのままの自分でいればいい。
妙に格好つけた書き方をすると、なんでもうざい。
あとブクマのネタツッコミ、総じて寒い。それに気づいていない。偉そうに突っ込んでくるやつが普段どんな扱いを受けているのか、想像できる。
理不尽に気持ち悪いツッコミが飛んでくる。そこに冷静さなど無い。なので考察系は増田には向かない。
あと昼間にアップするのが良い。夜にアップするのでは数倍目に留まる率が高まる。
しかし昼間に飛んできてコメントする層は、ちょっとおかしい輩が多いので、記事を叩く流れを作られてしまうことを覚悟するべき。
同じ話題でトラバが飛び交っている中で、新しい話題投下は見てもらえやすい。みんな飽き飽きしてるから別の話題に食いつくだけだ。
「あえて釣られる」とか言い出すやつはただのバカなので、純粋に釣られて楽しめばいいのだと思う。
楽しめないなら、やめたほうがいい。怒りっぽくなるだけだ。
職場が多彩なアイデア創出のためと起業を推奨してくれるため、ウェブショップを立ち上げて実際に経営してみた。
ただ、職場からの援助は法人としての取引を含めて一切なく、全て自己資金による。
たった1年で何が分かるんだと言われるかもしれないが、学んだことや何だかんだ考えたことが多くあるので少し書きなぐっておきたい
ウェブショップを畳むときがきたら、自分の詰めの甘さを読み返してみたい。
カラーミーは砂漠の中にポツンと出店するようなもので、楽天などのオンラインモールはそれだけで集客力がある、と言われる。
しかし、現実のショッピングモールでも利用されない見向きもしないショップはあり、角の方にあるショップはモールに支払う家賃で潰れるショップが多い。
オンラインと現実の世界で起きていることとは合致しない、ということはないと思われる。
ショッピングモールへ買い物へ行って一番目立つのは、当然のことながら立地の良いショップである。
これを楽天などで商品を検索した場合、あるいは楽天でネットサーフィン()したと考えてみる。
キーワードでひっかかるように「わけのわからない関連性のないショップ」がトップに来る場合がある。
そして残念なことに目立つ位置を占めている。しかもそれが5ページも続いたら見る気がなくなる。
そんなショップが跋扈するオンラインモールに出店しても、家賃(月額利用料)で潰れるだけだ。
真っ向から勝負を挑んだって、既に出来上がっているシステムを変えることは難しい。
だから、そういうシステムを避けた場所で新たにシステムを構築するか、あるいは、そういうシステムの構築の薄い場所を狙うほうが楽だと思った。
ということで後者を選択して、月額使用料の代わりに広告費にお金をかけた。
オンラインで卸販売をしているお店よりAmazonの方が安いwww
流行は個性を求める力であると同時に、制服のような均一性をもたらす。
均一性が全体に行き届きはじめる頃には、流行は新たな個性を志向する。
まるで諸行無常の激流のようなものなので、在庫を抱えた場合は資金の回転が悪くなり倒産の要因となる。
ということで、消費雑貨を中心に扱うことにした。
最悪、在庫を抱えても自分が顧客になれば良い。これはあまり歓迎されない考え方かもしれないけど。
流行ではなくそれなりに顧客があるというのは、流れは緩いが需要は必ず発生するので長期戦に挑むことができる。
服でウェブショップだけど始めることだけは本当にお勧めしない。
廃れて変色したような服の在庫を抱えた時にマジでどうにもならん。
普段はLサイズの服を着ているのに、在庫のSサイズの服を着てわがままボディをアピールしたいなら別だけど。
すごく誤解をしている人が多い世界で、個人で販売する場合には関税を払わなくていいだとか、それ真っ黒ですから。
ほとんどの個人が郵便にて輸入すると思うけど、販売目的の場合は個人であろうがなかろうが通関しなければならない。
輸入品によって関税が無税のものもあるけど、それでも消費税を支払う必要はある。
消費税や関税の税率も、個人使用と販売用とでは計算の方法も異なる(商品代だけで計算するのか、あるいはCIF価格で計算するのかが異なる)。
稀に「流れ郵便物」として関税がかからないことがあるけど、それが販売用であるのならば郵便局に届け出て修正してもらって納税しなければならない。
ちなみに、通関料(荷物1つに付き100円)は郵便局の手数料であって税金ではない。
オークションでは随分とと個人輸入品を安く売ってらっしゃる方が多いけど、正直輸入品をあんな値段で仕入れられるわけがない。
オークションの利用料と関税率と消費税等を逆算したら、原価をいくらで仕入れてるんだ!って驚く値段になる。
利益を度外視した慈善奉仕なら別だけど、個人がそんな値段で仕入れられない(40ftのFCLで単一品を輸入して、それを自分で通関して自分でコンテナをドレージしてデバンするなら可能かもしれない)。
つまり、ほとんどのオークションの安い個人輸入販売者は脱税している可能性があり、その蓋然性は極めて高い。
ある日、税関職員がインターフォンを鳴らしてチェックに訪れます。もちろん税務署にも調査されます。
大丈夫だと思っているのはあなただけで、日本の物流のシステムを舐めてはならない。
何をどの時期に輸入しているかは郵便局と税関と接続されたNACCSに全てデータとして残り、税関はいつでもそれをチェックできる。
ちなみに、税関発給コードやNACCSコードを取得していなくても瞬時に輸入実績は調べられます。
それが販売用として、あるいは個人使用として輸入されたものであるかも全てね。
個人使用として輸入していたものを販売した場合、ある程度の滞納額が貯まったら税関職員がご満悦の笑顔をしてご自宅へやってきます。
会社を休むにしても、誘いを断るにしても「入院」や「親族が死んだ」だとかそういう理由を言ったことがある人は多いはず。
キャンセル理由の第一位は「入院や病気」、第二位は「転居」、第三位「誰かの死亡」である。
多くの注文を受け、その中に数件キャンセルが入る。そのキャンセル理由を読んで「あぁ、またか」と思う。
きっと、このような理由で休日申請を受けた会社も同じことを思っていると思う。
本当かもしれないが、嘘の可能性は否定しきれないし、そもそも病気になったからキャンセルという理由の根拠が分からない。
転居だって、欲しいものであれば転居先に住所変更すればいい。
要らなくなった、心変わりをしたと正直に言ってきた人はいない。
これを本音と建前という日本人の文化だというような、個人的にはそんな風に美化したくはない。
「いらなくなりました」と言えない社会制度に問題があるのかもしれない。
いずれにしても、この「心変わり」によってカート落ちが少ないのが実店舗の強みで、ウェブショップの弱みである。
そんでもって、これは余談だけど「誠実で真面目な日本人」のような言葉を耳にすることはあるけど、そんな日本人は存在しない。
それは我々の想像の中に生きる日本人で、現実から目をそむけたい、ある種の憧れを抱いた言説なのかもしれない。
1年後の自分が読み返して「こいつ臭っさいなーwww」と笑い飛ばせるように書いたつもりですが、帰宅してたくさんブクマがついてて焦りました。
学術的に書くべきか、それとも一般論的な文章で書くべきか、あるいは口語体で書けばいいのかシドロモドロしながら考えて書きなぐったため、文章に統一が取れていませんね。
自分で読み返しても、言葉足らずな表現に誠に稚拙な文章で張り倒したくなります。
貴重なお時間を頂戴して読んでいただいた皆様のお目汚しして申し訳ない。
さて、ブクマを読んで一応ちょろっと数千文字程度で返信しようかと思ったので追記させていただきます。
追記部分に関しても、1年後の自分が読んで、その時の自分がどのように考え、自分がどのように反応したのかという内省材料になればいいかな、と思っています。
副業を始めるにあたり、タイ語を学び、次にラオ語を習得して、クメール語も覚えました。
これらは似た言語なので1つを学べば他を習得するのはそんなに難しくはありません。
それと、相手の国の文化を学ぶためにサンスクリットの読み書き、それに伴うパーリ語も勉強しました。
というのも、やはり仏教国、あるいは仏教の影響が強いため、それらからの借用語が多い言葉です。
ただ、正直にサンスクリットなんて習得することをお勧めしませんし、サンスクリットでの会話なんてのは相当訓練を積んだ人でなければ精神に異常をきたすレベルです。
名詞変化も変態級で、動詞が十類まであって、それぞれの時制変化だとか内連声だとか…(>'A`)>ウワァァ!!
…相手の文化を学ぶには、やはりその言葉のルーツというか、そういうのも知っておくと会話に幅をもたせることができて有利…なような気がしています。
率直に言えば、ピジンでも通じるかもしれませんが、やはり頭ではなく心で理解して欲しいため現地語を習得しました。
実に恵まれていると思っています。副業禁止がある会社では不可能な経験をさせていただいています。
というのも、副業が禁止されていないばかりではなく、副業のために休日をもらうことができます。ただし、その為には証拠だけは求められます。
「到着したコンテナの通関を自分で行いたいため」という理由で休日がもらえます。その証拠として通関書類を見せることが求められます。
しかし、その経験が職場に於いて新たな事業へのきっかけを切り開く端緒となり、ある商品の輸入事業が始まり、そこそこの売り上げ貢献になっています。
通関業者は税関にて通関手数料が決められているため、その手数料で儲けることはできません。
ですが、通関業者も収益を上げなければならないので、どこかで収益を図らなくてはなりません。
(税関検査費だなんていやらしい名前ですが、税関が行う検査なので「税関」は費用を請求しません。というかできません。これは通関業者の費用で、検査場までのドレージや検査のためのデバン作業などの費用のこと)
相見積もりを取れば費用についてはある程度の予算が立てられますが、上述の「税関検査費」は検査の有無で実費となります。
そこを通関業者がふっかけてくる場合があるので、一度通関を自分で行っておけば、それが妥当な費用か否かが判断の一助となります。
というような経験が、社にとってもメリットになる(?)ので、なんでもいいから起業して経験しろと上司から言われます。(もちろん任意)
というのも、紛いなりにも世間様の目に晒される可能性はあるわけなので(実際ブクマがたくさん付いてびっくりしてます)、自分の方法が全てとは考えていません。
ですので、さまざまな観点からその時の最良と思われる方法を選択します。
ところで、現代は誰もが認めるであろう情報化社会なので優良(?)な情報は共有した方がもっと良い社会になるかもしれないと思っています。
ということで少しネタばらしをしてしまえば、古物商に於いては1万円以下の買取には記帳義務が不要というところに着目しています。
現在、ある意味である部門の輸入商品は飽和状態にありますが、市場には一定数の需要があります。
しかし、その商品を輸入しても、輸入にかかる送料などを計算した場合、利益が十分にあがる値段で売れる蓋然性は極めて低い状態です。
続きを読みたい方は「わっふる、わっふる」と書き込んでください。(正直、書くの疲れましたw)
それと誤解を少しでも解消できればと思いますが、「それ以外は脱税して儲けているはず」ではなく「ほとんどの(中略)その可能性があり、蓋然性が高い」という書き方に着目してください。
「それ以外」は「私以外」と読み替えられると思いますが、私以外が脱税して儲けているはずだ!などと言っているのではなく、オークションで見るのは、そんなような気がするし、結構当たっちゃってるかもねという感覚です。
これは私の言葉不足が否めませんでしたが、誤解を解消できればと思い弁明させていただきました。
これはお客様の方から述べられる理由であって、こちらからその理由を尋ねているわけではありません。
しかし、これは議論を呼ぶかもしれませんが、キャンセルするには理由が必要なのは当然のように思います。
密林売買でも、キャンセルや返品をするには理由を求められていたような気がします(後ほど見てみます)。
オンラインと雖も、実際にカートに入れ、そして購入ボタンを押した時点で購入する意思表示であって、売買契約が成立しています。
実際にコンビニエンスストアのレジで会計が済んだあとに「やっぱいらね」ってのは、少し失礼な気がします。
もちろん、オンラインはそういう面倒向かうやりとりのない気軽さがあるかもしれません。
しかし、購入者の一方的な都合で売買契約を破棄できるのは、些か法治国家というか、そういうものを有耶無耶にしてしまう感があって、個人的な感情ですが解せません。
例えば、オンラインショップだと「売切れ」の表示の間は、購入されるかもしれないという機会損失を被っているわけですから。
ただ、むしろ、こういう民法的なものがあるからこそ、「本音と建前」みたいな文化が形成されるのかもしれませんね。
本当はいらなくなっただけだけど、それだと購入者の自分勝手な都合みたいな解釈をされそうだから、入院しちゃえ的な、そんな何かかもしれません。
いや、これでも美化しすぎで、もっと人間のドロドロとした「潔白でありたい自分」という理想の維持のため、または自分の持っている倫理観を説得させるための自分に対する言い訳なのかもしれません。
これは例外なく私にもあてはまり、私自身も「誠実で真面目な日本人」ではありません。
深夜のノリで購入したものを、翌日になって「いやいらんだろ」と賢者モード的な状況に陥ることが稀にあります。
そしてお恥ずかしいことに、そのことで尊い友人を「一旦」墓地に入れてしまったことがあります。
そして、自分がその立場になってみて「はいはいまたか」と思いながら、受注キャンセルボタンをポチりしているわけです。
相手の心身を心配する文面を書きながら、単調に感情もなく、ポチりと。
この自分の感情と文面に対して、ふと自分を振り返ったとき、そこには何か儀式めいたものを感じます。
舞台の演者になったというか、そういうように振舞うことで、その舞台を上手く終焉に持っていくような、そんな不思議な感覚です。
忘れて欲しくないのは、代引きの受け取り拒否キャンセルな!!!
あれだけは本当にやっちゃならん。
なんだか後半に至るにつれて、酔っ払いのくだ巻きになって申し訳ないですね、もう少々お付き合いください(ブコメフラグ回収)。
これは自分のフィールドというか、文化人類学に毒されているというか、言葉遊びにも似た点なので納得されない考えかもしれません。
これはそもそもですが、理解を求めるよりも共感を求めるべき問題かもしれません。
また、言葉足らずな部分が多くあり「一般的に」という言葉を伏すべきでした。
しかし、きっとどのような人であっても「誠実で真面目な日本人」に遭遇したことがあるはずはない、とは思います。
というのも、この言葉が引っかかる人は、そういう日本人に対する評価が下された世界観を自分の中に持っているからであると思うのです。
私は私自身、どこからこの「日本人は誠実で真面目だ」という世界観が自分の中に形成されたのか分かりません。
そして、その世界観でもって副業をやってみると、悉く打ちのめされます。
反論として提出されるであろう統計的にデータを取ってデータに語らせる、という統計学的なやり方は抽象性が高くて個人的には好みではありません。
私は個人として個人と接しているのであって、7割くらい真面目な日本人というようなデータとコミュニケーションをしていないのです。
そして、副業を続けることで「誠実で真面目な日本人」は消え失せ、評価から自由な「人間だもの」的なスタンスに立つようになりました。
なので、それを端的に「誠実で真面目な日本人は存在しない」的な書き方にしてしまいました。
しかし、言葉足らずな一文に対する解釈がそれぞれなんだなーと改めて、興味深い経験をさせてもらいました。
Twitterとか少ない文字で表現することが流行っていますが、そこから誤解されない文章を書くって相当な表現能力が必要ですよね。
http://anond.hatelabo.jp/20140817161450
真似して書いてみた。
オンオフ問わず、おいしい場所にめざとく顔を出して存在感を示す一方、
目の付け所を少し捻っただけで内容ゼロなこけおどしコメントしか出さない。
斜に構えたコメントを出して、その文化人にマウントしようとする。
実際に何者なのかを説明できる人が誰もいないという謎めいた人物。
テキブルー 転調(id:mk2mk2mk2mk2mk2mk2mk2mk2mk2mk2)
ありきたりな自意識や価値観、精度の低い論考しか書けない上に、
些細な誤解すら恐れて思考の過程を細大漏らさず説明してしまうので、
長く締まりのない文章を、それでも我慢して最後まで読んだ結果、
要点がどこにも無いことに気付かされる悪質な文芸。
テキフレンチ コオロギ(id:Lee1Q84)
テキブラウン 夕タヌキ(id:forafareta13)
つい先ほど、増田で晒されているのを見て知ったデブ差別ブロガー。
オフ喜利、ひだけーだい、大人たばこ養成講座あたりに似た匂いがする。
急ながら、要監視対象として追加しておく。
ゲンレッド 齊藤貴義(id:netcraft)
はてな民らしからぬ主体性と行動力がもたらした多様な人生経験談は、
ゲンイエロー ガラニート(id:galaneet)
ワンテーマでブログをやると面白くなる事実の手本を示している。
ゲンピンク ℃-uteが見せてくれた奇蹟(id:idealogos)
仕事や広告の内容から、アイドルの売り出し戦略について考察したり。
どれも独自の視点で語られていて、読みごたえがある。
変に見栄を張らず、正直に語る点では女性に軍配が上がるのではないか。
ゲングリーン こぺんた
はてなの良い生物ブロガーを知らないので、外部の人を紹介する。
同じ趣味を持つ人なら、この人のすごさがわかるだろう。
フィールドワークをしている生物ブロガーのテキストは、短く素っ気ないもののほうが面白い。
画像に収められた野生の美こそが価値の中心だから、下手な文芸はいらないし、
ある場所である生物を撮影したという事実が、すでに何十何百の言葉を語っている。
語らないことで語る。間接的、暗示的に語る。
http://luvlife.hatenablog.com/
何の変哲もない身辺雑記ブログは、書き手も読み手も隠れ家の気分に
浸れることが唯一の魅力であり、人気が出ることはブログの死に等しい。
この人はそれがわかっている。
相性が良い一方で、専門的知見を述べた堅い文章との相性が悪い。
結果、はてなブログでは、平易な雑感しか書けない無教養なユーザーが
大多数を占めるようになり、数の力でホットエントリを荒らしている。
以前netcraft氏が、はてな女子のつまらなさを指摘していたが、
やってることは、精度の低い論考と平凡な自意識の垂れ流し。
そんな最下流の文芸を、頭の悪いファンが文才だと言って持ち上げている。
職業の裏話は面白いが、仕事の話が一番面白い人はやっぱり物足りない。
凡人の陳腐な雑感を、多くの人に読ませようとしているのだ。
だが、これを機に、はてなブログを削除しようと思う。
学識が無い人の論考はいらない。
マイノリティごっこや痛い人ごっこもいらない。
PS.
旧型のはてなダイアリーが、ある種のブランド性を帯び始めている。
はてなダイアリーのほうが、中身のあるエントリに出会えそうなイメージが広まっている。
実態は平易な雑記ブログなのに、精神科医という肩書きでブログに箔をつけている
やばいね。
ラノベと文学のことを書いたまとめがあったけれど、その言わんすることは、
2.純文学は淘汰されつつある。
ということらしい。
それの根拠としてラノベを含んだ小説の文化史が並べられている。反応は、その文化史が正しいかのか正しくないのかに始終している。根拠なんだからそれが正しいのか、正しくないのかは大事なことだろう。ただ感情的な人間としては、結論が間違っているようにも思えない。
漢文や擬古文といったものが消え、口語体が主流になった。国語の教科書にでてくる森鴎外の舞姫を何の脚注もなしに読むのが難しいのだから、そこは間違っていないと思っている。
ただ、小説にでてくる口語体というのもまた時代の流れとともに陳腐化した。つまり、口語ではなくなった。昔の口語が、古いレコードのように書き言葉として残っているに過ぎない。いまぼくらが日常会話で使う話し言葉は、正式な文章ではお目にかかれないし、まともな小説と呼ばれるものには出てこない。
言葉を整理すると、ライトノベルが「純文学」の系譜にあるという文脈での「純文学」とは小説という文化での権威のことだ。純文学は淘汰されつつあるという文脈での純文学は、いまのジャンルとしての純文学のことを言っている。
また、補足すると小説という文化には権威とそれに従うもの、それから外れたものという階層構造が存在している。
そういうことを踏まえると、いまのジャンル純文学は権威を失いつつあり、次の権威はライトノベルが担う可能性があるということだ。
小説の文化が変化をしつづける限り、永遠に権威で在り続けることはできないということだ。いまの権威は純文学であるが、やがてそれは何かに取って代わられる。その可能性として高いのはライトノベルだということだ。それは単純にライトノベルがいま一番活況だからである。
人の少ない文化は衰退する。人の少ない純文学やそれに従うものは魅力を失っていく一方だ。
さて。
ライトノベルは次の小説という文化の権威となる可能性を秘めている。
ここからは感情論が強くなるのだけれど、昔からある何かが否定されるとき、否定する人間はその昔からある何かをよく知らないのではないとかと思っている。むしろ、知らないからこそ否定できるのだと思う。ライトノベルが純文学を否定する未来があるならば、そのときのライトノベルを書いている人間はおそらく純文学をよく知らない。
そして、先例というのはいつもあるのだ。
ライトノベルのタイポグラフィ的なところも西尾維新的な言葉遊びも調べれば調べるほどに先例がある。タイポグラフィ自体がかなり古いものだし、言葉遊びという意味では無駄に爛熟していた江戸文化で見られると思う。イタズラを悪戯と書くのだ。
知れば知るほどに否定できなくなる。だから、知らないほうがいい。「純文学なんて高尚すぎて退屈だ。俺がもっと面白ものを書いてやる」という気概こそ必要だと思う。
そして、この気概を持つためには、ライトノベルが否定されているという認識が必要だと思う。ライトノベルはクズだ、と言われているからこそ、見返してやろうという気が起こるものだ。もし、ライトノベルも立派な芸術であるだとか、そういうふうに賞賛されてしまうのであれば、挑戦する必要がない。それでは、権威となった純文学と同じだ。
言葉が先行してて、明確な定義はないのだが、ハテナによるとこんな定義がされている。
1.過剰な自意識を持った主人公が(それ故)自意識の範疇だけが世界(セカイ)であると認識・行動する(主にアニメやコミックの)一連の作品群のカテゴリ総称。
2.[きみとぼく←→社会←→世界]という3段階のうち、「社会」をすっ飛ばして「きみとぼく」と「世界」のあり方が直結してしまうような作品を指す。
アニメでいうと「新世紀エヴァンゲリオン」が代表格になるだろう。
で、小説の世界だと「0世代」にくくられる西尾維新や佐藤友哉らがこの文脈で語られることが多い。
で、「ライ麦畑で捕まえて」を一読して、この世界的な青春小説は「セカイ系」の元祖だったんじゃなかろうかなんてことを考えた。
成績不良で高校を退学させられたホールデンが、実家に戻るまでの「三日間の彷徨」を口語体の一人称によって語るというものだ。
道中ホールデンは様々な人に会うのだが、いちいちこいつ病気じゃないのかという態度とり、悪態をついては、相手を怒らせる。回想シーンに登場する旧友や恩師にたいしても、冷笑的な批判をくりかえす。
ホールデンにとって「よきもの」として騙られるのは、死んだ兄、妹、道中に出会った尼くらいのものである。
じゃ、ホールデンの思考回路が支離滅裂かというと、価値判断の基準だけはぶれがない。
ホールデンは、大人社会の「欺瞞」や「スノッブ」に対する徹底的な反抗者としてかかれており、彼の「ピュア」や「イノセンス」は一貫してくどいほど強調されている。
その「ピュア」や「イノセンス」に触れるものに対して、彼は悉く過剰反応を起こす。
ただ、ホールデンのいう「インチキ」というのは、大人が嬉しくもないのに「nice to meet you」ていうのは許せないとか、その程度のもので、潔癖症に近いものがある。
おまけに最期にホールデンが語る夢は、「聾唖になって森のそばに住みたい」だとか、「ライ麦畑で遊ぶ子供たちの監視員になりたい」とかもう「引きこもりの妄想」の領域に入ってる。
「ピュア」でも「イノセンス」でもいいけど、いいかげんにしろって感じだ。
どっちかというと「イノセンス」というよりただのヘタレなんじゃないだろうかという話はさておき、ホールデンの不幸は、自分がその「汚らしい大人」の領域に踏み込みつつあることを自覚していてそれゆえに「壊れて」いくことにある。彼は病気になることで、自らの「イノセンス」に殉死したとも言える。
私が「ライ麦」をセカイ系だというのは、このホールデンの過剰な自意識と、自分の価値観に基づく自己愛。そして学校を辞めたことに端的に表出されている「社会」をすっとばしたセカイへの直結(あるいはセカイからの逃走)がセカイ系の特徴とリンクしてるなと思ったからだ。
さらに「壊れていく自分」というのはセカイ系でも定番のモチーフなんだが、「ライ麦」では、壊れていく自分の攻撃性は外部に向かうのに対して、エヴァや0世代の文学では、その攻撃性は、自分へと向かい、「自虐的な自分語り」に落ち込んでいく。
この差が、時代的なものなのか、お国柄なのかはわからんけど、セカイを憎んだ「ライ麦」は、ジョン・レノンを射殺したマーク・チャップマンや、レーガン元大統領を狙撃したジョン・ヒンクリーに愛され、21世紀最大の知能犯「笑い男」(攻殻機動隊SAC)を生んだ。
ちくしょー、いくらうちの会社の求人票に「急募!」って書いてあるからってよー。なめやがって。
封筒開けたら履歴書にプリクラ写真貼ってあってどっちの人だかわからないとかふざけんなってーの。普段着でピースサインだし。スーツ着てスピード写真でも何でもまあ証明写真のたぐいを貼り付けて来いや。
あと事務職の応募でもPC使うからWordとExcel使える方って書いてあるだろ?なんだよ面接来てからケイタイしか触ったことありませんって。もしくはPOSなら触ったことありますとか。アビバでも何でも行ってこい。
あと機械系エンジニアの募集枠とかCADオペレータの枠になんでアビバでWord勉強しましたっていう感じの文系の人がきてんの?と思ったら、これはこっちの募集の文言が悪かったっちゃあ悪かった。まあたしかに専門卒または4大卒以上の方ってかいてあっけどさ、設計業務とか設計支援って書いてあるべ?力学をかけらもわかんないで技術者面接通ると思ったんすか君。
あとな、メールでも履歴書受け付けるとは言ったよ確かに。でもな、love2sachiko@...とかいうアドレスで送ってきて内容が、pdfでもdocでもdocxでもない添付ファイルついてっと思ったらケータイでとった顔写真がjpgで付いてて履歴書の本文は口語体で高校を卒業して2年遊んでてーハケンでどこどこの県行っててーみたいな、お前ケータイ小説のコンテストに応募する作品かと思ったぞ。んでもってお前住所書いてねえよメールに。というかフルネームがわかんねえよ!sachikoって絶対お前の名前じゃないだろ!誰なんだよお前!会社に履歴書送りつけといて匿名希望かコラ!ざけんなオラ!お前増田だろ!
(この文章は人事部の先輩を酔わせたら出てきたという設定に基づくフィクションであり、細部の事実は原形をとどめていたりいなかったりするわけですがフィクションであり、この怒りの勢いだけは真実ですと言うことを書いているこの私も創作された人物なのですよという予防線をはるチキンという設定なので該当の会社をWEBで探したりしないでほしいですし思い当たるところがあるからといって慌てて応募中の会社に問い合わせたりしても手遅れなのでというかまあフィクションですから気にしないで欲しいのですさらっと流して欲しいのですとお願いしておきます。でも一般論として就職したいならちゃんとしようね)
http://anond.hatelabo.jp/20070211143521
大好きな 私のカレが 好きなのは
てらてら輝く 私のバター
誠に僭越なれど講評つかまつり候。
下の句の重さが少々残念であり、「輝く」を「光る」とするだけでも若干は軽い印象になるかと思われる。ここで字余りをもたらすのは「輝く」の語感を大事とするにしてもなお重い。「てらてら」を「てらと」とする翻案も無いわけではないが、口語体の良さやオノマトペ特有の軽みを殺ぐという副作用も大きい。
欲を言えば、第四句と第五句がともに頭4音となっていることがリズムを止めているように見受けられるので、どちらかが頭3音となるとより好ましい。
異論・反論、歓迎いたす。