そもそも単語や熟語に区切って考えるから腑に落ちないのでは?と思ってしまう。
単語の意味なんて古文と現代文とで同じものはごまんとあるわけだけれど、同じ意味の文章が話し言葉と書き言葉で違う書き方になるのであればそれは乖離してると言えるんじゃないかなと。
例に出してる安愚楽鍋がまさに新しいものだったというか、そういうものがあったからこそ文学も誰もが読める平易な話し言葉に近いもので書かないとダメだね、というようになったってのが流れでは。
こうでなくてはならない、けしからん、という姿勢の人が多くいたんだと思うよ、当時は。変えたい人たちと伝統通りにしたい人達のせめぎ合いの結果、口語体が残っていったって話であって。