2021-03-08

明治作家言文一致運動なんてなんでしたの?

書き言葉話し言葉に近づけるためにそういう運動をしたみたいなことが日本語学の本に書かれてたるするが腑に落ちない。

ある言葉(単語)に対して書き言葉とか話し言葉かい区別存在しないと思うから

まり、その単語をしゃべるときに使ったら話し言葉、書くとき使用したら書き言葉というだけの話だと思う。

たとえば漢熟語書き言葉であるとか言われるが、「自分」なんて言葉はしゃべるときも書くとき普通に使う。

単語依存して規定されるものでないのならば、「話し言葉」や「書き言葉」が何か形の定まった文体になることもありえない。

それなら話し言葉書き言葉との間に表現の傾向の差みたいなものは生じえないわけで、一方を他方に接近させる「一致運動」なるものもやりようがない。

そもそも言文一致運動が始まる前の明治初期の安愚楽鍋なんか、いわゆる書き言葉的な臭いが全くしない。

たとえばこんな文で書かれているわけだ。

おたげへに、漢語通に因循家だとか、旧弊家だとか、いばれるのだから

大きにりうこうにおくれてきやしたが、にはかにざんぎりにもなられず、

洋ふくのさんだんもできねへから、半髪あたまをたたかてゐるのだが、

じつにわうらいをあるくにも、かた身がせめへやうだヨ。

「かた身がせめへやうだヨ。」など、軽やかな口調そのものじゃないか

なぜこんな文の本が既にあって言文一致運動など起こす必要があったのか。

ようするに昔の小説家旧帝大出の人間が多くて、事象を難しく捉えすぎてしまったんじゃないか

賢いことの弊害だろう。

かに文を書くことが知的エリート層にしかできなかったときは、独特の書き言葉臭のする文章を書いてしまう人が多くいたのかもしれない。

しかし一旦そういう能力馬鹿を含めて万人に与えられるようになると、「話すように書く」人が自然に出現してくるわけだ。

爆サイにあるような、話すときの口調そのままの文章は、言文一致運動がなかろうが存在するはずだ。

ギャル文字という発明もあったように、意思伝達や自己表現は、むしろ馬鹿の方が特に深く考えずとも難なくこなせてしまうということだ。

当時の知識人には、そんな運動をしなくても馬鹿勝手言文一致した表現をしてしまうという事実に思い至らなかった。

まあ、ここまで読み書きのリテラシーを万人が持つ時代がやってくるとは思っていなかったということなのかもしれない。

まり、賢い人しか文を書くとは思っていなかったから、賢い人が陥りがちなことだけを正せばいいと思ってたのかもしれない。

  • そもそも単語や熟語に区切って考えるから腑に落ちないのでは?と思ってしまう。 単語の意味なんて古文と現代文とで同じものはごまんとあるわけだけれど、同じ意味の文章が話し言葉...

  • 明治時代の新聞記事を検索して読んでみればいいと思うよ。言文一致必要ダナーと思うから

    • ようするに大日本帝国憲法みたいな書きぶりを改めましょうってことだろうけど。 しかし新聞記者も憲法書く人間もインテリ側の人達だったのであって。 本文の通り、バカにも文字が教...

      • 横増田です。 増田の主張は結構一理あるんだが因果が多分逆で、増田の言うバカ(教育を受ける機会に十分に恵まれない人)でも文章が読み書きできるようするために言文一致が求めら...

        • 別に文語体が役に立たないものだとは言っていない。 文語体を使えば公用文などが簡潔に書ける効用がある。 そして既に文語体に価値があると分かってるなら、なおさら文語体以外の「...

      • 教育すれば言文一致運動などせずともそうなった、というのは事実かもしれないけど、教育と運動を両方やっちゃいけない理由にはならないし、教育をしなかったという根拠にもならな...

  • せ↑んそーをーしらずにー、ぼくらーわーうまれたー♪

    • まさしくあなたがそういう風に書けることは、言文一致運動があったこととは関係無いことだ。 イントネーションを矢印で書くのも文学とは無関係なネット文化の発祥だし、 ポケモンみ...

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