はてなキーワード: 収束とは
SteamでSlay the Spireを買った。
ずっと憧れていたゲームだ。
圧倒的中毒性と聞いていたが私にやる余裕はなかったのでずっと我慢してた。
コロナとの付き合い方を会社が間違えたせいでクソほど忙しかったのである。
やっとコロナ(で人が死なないように日本だけは頑張ろうとする動き)が収束してヒマになり有給溜め込んでるやつはさっさと使えモード入ったのでサマセで購入。
でも20時間ほど触って底が見えた。
あの……これ……不動心+猪突猛進+内なる平成+噴火だけのデッキを組めばゲーム壊れて終了ですよね?
ラスボス戦もアーティファクトポーション2つ用意したら完全に終わりでは?
でもショップやイベントの削除以外にもバックパック・ギャンブルチップ・ 空っぽの檻で2枚ずつ猶予は増やせますから初期10枚潰すのってそんなに大変でもないのかなって。
そもそもこれが無理ならミニマリストなんて実績成立しないですし。
なんかもうゲーム自体が「最高のツモが続いたらこのゲームは勝手に壊れて終了するよ」と語りかけている感じなんですよね。
むしろ逆に裏目しかツモれなかったらどんなに上手くても絶対に負けるようにゲームが出来てる。
「圧倒的好評」の神ゲーって聞いてたからハードル上げすぎたのかな。
目新しさは少ないが、減点がすくない良作だと思った。以下雑感。
4号がクワイエットゼロを止めるために出てくると思っていたので違和感無かったが、思ったよりもスルッと出てきたな。全体的にそういう方針なのか、劇的なシーンもけ外連味が抑えられた演出ですんなり進んだ。
ママとスレッタってエヴァのパパとシンジくんだよな。シン・エヴァは殴り愛で解決したけど、こちらは話し愛で解決した。ママは最後に感情的な爆発を見せるかと思っていたけど、意外と冷静だった。
スレッタの精神的成長は、かなり急に感じた。グエルが主人公している間に、精神的な葛藤や他人とのぶつかり合い、大切なものへの気付きみたいな劇的な展開が少ないから、あんまり主人公していない感じもあった。たぶん、制作側が思ったよりもグエルが人気者になったせいもあるのかな。
前半のママの何考えているか分からない感がホラーで良かったので、話が収束していく段階になると怖さが欠けていたかも。ママにとってスレッタがどうでも良い存在ではなかった、情があったという距離感は今風の配慮なのかな。スレッタの精神的成長の種にあまりならなかった感。
地球が宇宙に抑圧され、貧困に苦しみ、今にも戦争が起きようかという世界観は、人間関係の理由付け、舞台装置という感じで、全面には出なかったな。途中まではガンダムというだけで最後はこの辺の勢力同士の戦争にでもなるかと身構えていた。
地球と宇宙のわだかまりが、簡単に解消されるものではなく、物語の最後時点でもまったく解決されない問題として残るのは、ある種のリアリティがあって良かった。主人公たちがどんなにミラクルを起こして頑張っても、それまで積み上げられてきた歴史は変わらんよね。
主要キャラクターが時間を上手に割り振られて描かれたので、もっとこのキャラの活躍が見たい!というストレスは少なかった。強いて言えばそれによりスレッタの時間が削られたので、主人公ムーヴが突然訪れた感じはあったか。
エアリアルは最初から最後まで最高クラスの戦力で、主人公の操縦技術も最初から仕上がっている。つまりこの物語は戦闘力や戦闘行為を主眼にしておらず、人間関係の物語をメインにしている。モビルスーツなどただの飾りです。ロボットファンにはそれが分からんのです。
全体を通してヘイトコントロールが上手いので、めちゃくちゃ憎たらしい人間が少ない。憎まれ役の4人の婆さんですら、デザインやセリフに愛嬌があるから、最後まで憎みきれない。スレッタとミオリネのギスギス期間も驚くほど短い。その分グエルがいじめられて人気が出た。うーむ。
音楽はピンと来なかった。
夢なので色々と脈絡も整合性もない。「〜〜はおかしい」→夢なのでそのまま書いている。グロ有り。悪夢の類だと思う。
「敵が来ます、逃げてください」の街頭放送、目の前のものを掴んでポケットに入れて逃げる、何かを取りに帰ろうとしたら「戻らないでください」とアナウンスが入る。
駅。駅ビル。灰色の空。逃げる人々。やがて周囲の景色がSF的に細かいガラス、金属片のように細切れに粉々になって空中に浮かび上がり吸い込まれて?収束して?いく。ああ、巻き込まれる、と感じる。死の恐怖はなかった。巻き込まれながら音が軋みノイズのようになってブラックアウトし、すぐに次のシーンになる。地表、芝、東屋。公園のような広場。逃げてきた人々が炊き出しを貰っていたりする。靴の事は気にしなかった、履いていたのかどうか意識にない。何も履いていなかったかもしれない。保育舎のような施設、あかるい、大勢の保護者と子どもたち、自分の子供をそこで見つけて引き取る。
駅ビルに隣接する巨大なホテルが避難民に解放される。エレベーターは動かず階段、途中から階段も無くなりモルタル製の壁面の装飾、突起にしがみつきながら何故か複数名で上の階に向かっている。「オーナーが逃げたのでチーフが仕切っているらしい」何階かにトイレがあった、タイルの上、仕切りがなく等間隔に並んだ和式便器、蓋がつけられている。清掃婦がひとり佇んでいる。「使ったらダメ」と言われる。蓋のない便器の中には目玉や肉片が浮いていてそれは動いている、敵とはこれか?アメーバーのように蜘蛛の糸のように細く伸びる触手から逃げる、子供とともに逃げている。夫の姿はない。自分の住んでいたマンションに戻ってきたらしい、植物のツタにくくられた籠がするすると降りてきたのでそれに捕まって上がる。喋る蛙、もしくは爬虫類のようなものに助けてもらえたようだ。植物のツタを太いものに結びかえる、隣のベランダに置いてあるカゴについたツタに結びつけようかと思うが、そのツタが固定されていなかったら地表に打ち付けられてアウトだしな…と思っていたら今居るベランダが自分達の部屋のベランダであることに気付く。荒れた室内、テレビの音、付けっぱなしで逃げたのかな、と子供が言う、中にはいっていくと空の浴槽に前のめりになってばたついている人影がある、助けると夫である、大変な目にあった、と言っていた、口の横をぐるりと何十針も縫われていた。
アマプラで昔のアニメばかり見てるが、なぜ今配信されてるのかというと、何周年記念だったり新作アニメ・映画が出るからだったりするんだな。
音楽系アニメが多く作業BGMが増えまくったアニメ視聴だった。今回もまた知らなかった作品と縁ができた。見るものがなくなったらニカ姉とグエルのポケモンでも見る〜?
弊社、お世辞にも給与が良いとは言えないんだけど、働きがいはあると思うのよ。
採用のハードルが低くて、Webエンジニアとしてのやる気さえ何かしらの形で見せてもらえれば、経歴は問わない。会社のバリューへのマッチ度とか一切見てない。
こんな感じの会社だけど、人が見つからないんだよね。。。高望みしすぎかな?仕事探しが上手くいかないはてなー見てると、弊社に一度応募してみたら?と思うんだけど。
※あくまで妄想ですが、何とか従来の時系列との矛盾をある程度解消させるならこの方法しかないという考察
マッソが存在し、ハイラル建国が語られているのでスカウォ後→スカイロフトから地上に帰還したハイリア人がその地に興したのがハイラルであるという設定に思いっきり矛盾
封印戦争の話が出てくるので時オカ後(敗北√)→ハイラル建国が時オカの後になり意味不明
つまり、作中で語られる2つの最重要イベントを手掛かりにすると、意味が分からない状況になる
①天空時代直後までにはすでにゲルド族が存在していることになる。これ自体は特に矛盾は起こさない(多分)。
②ガノンドロフ(初代)が王国に恭順するふりをしてクーデター未遂のち封印
(それなりに時間がたつ)
③ハイラル統一戦争あたりにガノンドロフ誕生、王国に恭順するふりをしてクーデター成功(時オカ)
④勇者が勝ったり負けたりして、ついでにガノンが復活しては封印される
(すごーく時間がたつ)
※古代シーカー族が厄災ガノンに勝利したのがどこに入るのかはよくわからない。たぶん②からそんなに時間が経ってない頃と思うが…
重大な問題点
ガノンドロフが2人いる。しかも旧作で語られてたのは全部偽物なので全部茶番劇。(それでも散々な被害が出てるが)
マッソも2本ある。龍化姫が抱いてるほうのマッソが本物だと仮定すると、それ以外は全部レプリカ???
〇メインタイムラインにTotKを載せるとガノンが2人出てくるので、スカウォ直後の並行世界と仮定する
すべての説明をあきらめた世界線。そもそも存在自体が今まで語られたことがないので、どんな無茶苦茶な設定でも成立してしまう。
TotKはBotWの直接の続編であり、同じ世界であることは明かされているので、BotW世界=TotK世界である。
BotW世界も過去作との矛盾点が多い。コログとリトがいるのにゾーラがいたりするし、初代ゼルダ姫の悲劇が伝わってたりする。
ラムダの秘宝の過去作装備は単なるファンサと割り切って考えないことにしても、どの世界線の後と考えても収まりが悪い。
どの世界線の後と仮定して話を展開してもいいのだが、とりあえずコログとリトがいるので風のタクトを考えてみる。ついでに時のオカリナ以降の3分岐で一番後の時代でもある(実はここが大事)。
さて風のタクトの最後はどうなっていただろうか。ハイラル王は完全なトライフォースに、子孫の繁栄と旧ハイラルの消滅を願った。
トライフォースは時のオカリナなどで語られている通り、世界の理である。トライフォース自体がルールであるから、それを捻じ曲げることは完全なトライフォースに別の願いを願い、ルールを書き換えることでしかできない。
風のタクトの最後で子孫の繁栄と旧ハイラルの消滅は「ルール」になった。なるほど子孫は新天地を見つけて繁栄している。では旧世界は?
トライフォースにとって、旧ハイラルを滅ぼすのに手っ取り早いのはガノンを復活させることだろう。とにかく旧世界を滅ぼすのは世界の意志であるから、どんな手段を使ってでも達成される。それはおよそ人の道に外れた残虐非道なものであればあるほど都合がよい。
さて世界の意思によって旧ハイラルは再び浮上し、ガノンも復活を遂げた。勇者もいなければ聖なる力を秘めた王族も存在しない旧世界を滅ぼすのは、ガノンにとってきわめて楽な仕事である。
ここで旧世界を滅ぼすのが世界の意思とはいえ、これはあくまで「ハイラル」に限られるということに注意しないといけない。ここで問題になるのは、「ハイラル」とはどの領域を指すのかということである。
自然に考えれば、ハイラル王家の支配の及ぶ地域と考えたのでよさそうである。ハイラルが海に沈むのはガノン復活が原因であるから、この時点でゲルドはハイラルの配下にないと考えるほうが自然だろう。
ガノンにとっても、同族を滅ぼす理由はない。まして過去の王族から迫害を受けた記憶を持っているならなおさらである。だからここでいうハイラルにゲルド地方は入らない。
ついでに、世界の理であるトライフォースは分岐した世界線を収束させることさえできるのではないだろうか?風のタクトが時代的には最も遅いので、旧世界の消滅が3つの世界線の共通のルールとなった。行きつく先は同じ、これがBotW世界だと考えよう。
何度も言うが、トライフォースはルールである。逆らうことはできない。対症療法的にイベントの発生を遅らせることはできても、根本解決策はトライフォースを探し出してルールを書き換える以外にない。だから厄災ガノンを封印してもまた復活するのである。
今の理論でTotK世界を考えると、結局メインタイムラインにTotKが載るので最初の矛盾が解決できない。そこで、少し修正を加えよう。
ダフネス王の願いにより滅ぶことが確定した旧世界。行きつく先は同じなので世界線も収束する。さあ最後の仕上げだ。トライフォースは世界の理であり、ハイラルの礎である。ハイラルの消滅のためにはトライフォース自身も消えねばならない。
したがって最終的にトライフォースまでもが自己封印し、ハイラルの大地は混沌の世界を迎える。一応トライフォースがなくても世界そのものは存続でき、人々が生活できることはロウラルが証明してくれている。単にハイラルをハイラルたらしめていた秩序が失われるだけである。
ちなみにこれは、終焉の者以来続く、力をめぐる三つ巴の戦いに完全なる終止符が打たれることをも意味する。この意味において、トライフォースの自己終了によるハイラル消滅にガノンの復活は仮定する必要はない。
その後長い年月が流れ、新たな王国が興る。2代目ハイラル王国である。これがBotW世界でありTotK世界である。
〇ゾナウの由来と2代目ハイラルの由来を考える
トワプリに天空人という種族がいる。天空に住む、魔力を中心とした超高度文明を築き上げた古代人という設定は、ゾナウ族と完全に一致する。
また、天空人はハイラル王家との交流があり、シーカー族もまた天空都市との交流があったことが語られている。つまり、お互いにお互いに関する情報が文献として残っていると考えるのが妥当である。
さて、天空都市はハイラルではないので例のルールには縛られない。ハイラルがどうなろうと引き続き存続することができる(実際にしていたと仮定してみよう)。
この世界はたかが1000年程度でゾーラがリトに、コキリがコログに進化するようなやべーところである。天空人がゾナウに進化していたとしても別に不思議ではない。
天空都市とゾナウのつながりを示すものは特にないが、とりあえず何らかのつながりがあると仮定しよう。地上には天変地異を生き延びたわずかなハイリア人などが細々と暮らしている。
ゾナウが元天空人だったとすれば、残されている文献から互いに交流することが可能だったかもしれない。そうした交流の中で信頼を築いたハイリア人とゾナウ族が地上に新たな国を興した、それが2代目ハイラル王国と(無理矢理)考えてみよう。
2代目ハイラルに旧世界の様々な事績などが断片的に存在しているのは、かつての記録が中途半端に残っているのが原因と考えられる。
正直、福島原発の事故って、丸く治まったんかなーくらいに思っていた。
しかし、現実としては、「水を入れまくったら、何かしらないが、原発からの放射性物質が大量放出をしなかった」という感じの収束だったらしい。
映画だから、大袈裟に「日本崩壊シナリオ!西日本と北海道以外日本は住めなくなる!」とか煽ってるんかと思ったら。
本当に、原発から放射性物質が大量放出しなかったのが理由もよくわかっておらず、たまたまそのシナリオにならなかっただけらしい。
え?ってなった。
マジで日本が終わってた可能性もあるし、それが防がれた理由も現状でもよくわかってないってまじ?と。
そんな激ヤバな感じだったんだなあ、福島原発事故って。
全幅20m全高60mの壮麗たるキャンプファイヤーを円形に囲んだ中高一貫私立セルフクンニ軟体開発女学院の生徒1919人はこの日修学旅行最後の夜を迎え全員が現代の戦化粧とも言われる病み系地雷メイクを自らに施し全校一斉セルフクンニの儀に勤しんでおり初日に奈良での鹿クンニ体験を修了し体内の水分を最大で10%圧縮し一気に射出することで鹿の頭蓋骨をも貫く殺人潮吹きを体得した全生徒が一斉にキャンプファイヤー目がけ潮吹きを行うことでその豪炎を見事鎮火させるという非常に困難な課題を与えられていて何としてでも成功に導こうと緊迫した空気が場を支配していたが突如虚空から現れた超大型ウーマナイザー型飛行物体によって儀式は中止に追い込まれキャンプファイヤーの神聖な炎は飛行物体にみるみるうちに吸い込まれていき辺り一面が暗闇に包まれると現場は一気に騒然となって混乱の最中円列最外周の生徒が絹を裂くような悲鳴を上げ引率の教員がすぐさま駆けつけるも既に彼女たちの陰核は付け根から切断されており如何にトー横界隈ホス狂糞メンヘラと揶揄される存在であろうと将来はこの地球の未来を背負う立派な防人に育ったであろうことは疑う余地もなく再起不能になったその哀れな姿に教員たちは涙するが今度は最前列から怒声が響き渡り首席卒業候補と目される彼女らは既に襲撃者の正体を突き止めており敵はかつてセルフクンニ軟体開発女学院に在籍していたが成績が振るわず落第し同学院を除籍後裏社会に潜伏し熊田曜子泥沼離婚裁判の裏で違法な改造ウーマナイザーの製造販売を行い公安監視対象になっていた勢力がセルフクンニ軟体開発女学院への復讐のために作り上げた陰核切除特化型ウーマナイザー型ドローンであることが判明しすぐさま上空を高速で旋回飛行するドローンを警戒するがこの闇夜の中目視で捉えるのは極めて難しく次の攻撃の瞬間を狙って仕留める他無く生徒達はすぐさま地対空フォーメーションを組み敵を迎え打つがその攻撃手段は誰も予想出来なかったもので親機となる大型ドローンが吸引したキャンプファイヤーの炎を収束して逆噴射し辺り一面を薙ぎ払うという悪魔のような所業であり迫りくる業火に向けて一斉に放たれた生徒たちの殺人潮吹きも虚しく蒸発し異臭を放つばかりで次々とかけがえのない若い命が真っ赤に燃えて灰燼に帰していくが獄炎に照らされた仇敵の姿がこの惨劇の夜空にようやく浮かび上がり伏兵として潜伏していたセルフクンニ軟体開発女学院首席卒業者のOBが自らの命と引き換えに体水分の全てを収束して噴射する最大出力の殺人潮吹きで正確に親機ドローンを貫き制御を失った陰核切除専用子ドローンも次々と墜落していき流石は手首太腿に余白が無いくらいの自傷跡を持ち多重整形で顔面も崩壊し過食嘔吐と喫煙酒焼けで20代でババアみたいなガラガラ声になってるトー横の伝説と言われたOBであるが既にその身は完全に水分を失いミイラ化しており何とか生き残った1492人の生徒たちも引率の教員たちもこの夜の惨事に三日三晩咽び泣き癒えぬ心の傷を負って暗澹たる思いの中その手首に無数の刃傷を復讐の誓いと共に刻み付け新たに427人の新入生を迎えたセルフクンニ軟体開発女学院は今日もセルフクンニを極めるべく過酷なセルフクンニ訓練に臨むのであった
つながっているとしたら特異点に落ちていった物質はこの宇宙から消える。
消えた質量は重力を発生しないから特異点には重力がないことになる。
特異点ほどの強大な重力がはたらけばそこへ落ちる物質も半端な量ではない。
大量の物質が消えればブラックホールは蒸発を待たず比較的短時間で小さくなって特異点を維持できない一定の大きさに収束すると思われる。
仮に
特異点が生まれる→特異点にあるものがこの宇宙から消える→特異点が消失→また物質が極限まで圧縮されて特異点が生まれる
というサイクルだったとしても同じ。
オレは論理的で合理的だから「お気持ち」なんかに振り回されないぜ。
じゃあ当然ニヒリストなんですよね?って思う。
不快を避け快楽を得るための経済的に充実した生活を求めて金稼ぎのスキルを磨くだなんて、そんな「お気持ち」ベースの無駄な事はしませんよね?って。
死ぬ理由もないけど、生きる理由もないですよね?そこからどうやって「お気持ち」抜きで合理的な生き方をするんですか?
意味を問うのを止め、欲の炎を吹き消して悟りでも開いたら確かに合理的と言えなくもないかもしれない。
でもそんなんしてないっしょ。
社会に資本主義経済という舞台があるのは事実だけど、そこにコミットすべきだというのは規範の話。
「である」からといって一義的に「そうあるべき」という話にはならない。
社会を維持するのは大人の義務?なんで維持しなきゃならんの?「論理」だけで正当化するのは難しい。
個々の生存と幸福追求の場を守るため?なんで幸福なんか追求すんの?
生物は生存して種の保存をしていくものだから?優秀な子孫を残すべき?
確かに今までそうしてきたけど、これからもそうしていく「べき」という意見の正当性はどこから湧いた?
規範が無からポップする事はないし、理詰めで言えば存在しないものをあると言い張るなら、それは「論理的」な人が大嫌いな宗教ですよねって。
全ての規範の土台は快不快であって、土台が無ければ論理を積み上げていく事は出来ない。
論理的「だけ」で言ったら人間なんかいてもいなくてもどっちだっていいんで。
殴ったって盗んだって殺したって、不快が蔓延するという点を除けば何の問題もない。
ニヒリズムというと脊髄反射で厨二かよと思う人もいるけれど、自然科学が台頭して宗教が相対化されて以来、誰だって最低限心にニヒリズムの影くらいはあると思う。
自覚的であれ無自覚であれニヒリズムを土台(?)にして、そこから刹那主義や実存主義や消極的ニヒリズム、あるいは宗教(人権思想や生命の尊厳だって立派で有益な宗教ですよね)への回帰なんかを選び取ってる。
「お気持ち」に従ってね。
私は大い感情論者だし、生きるとは自分の納得を追い求める事だと信じて疑わない。
そのための近道をする道具として論理を使う事はあっても、どこまでいってもそれは道具で感情に先んじるものではないと思う。
人は理屈でカレーを好きになるのではなくまず先に好き嫌いがあって、そこから遡及的に論理的な分析が始まる。
カレーとはかくある理由で美味しく、あなたが嫌いなのはそれを理解していないからだ。
「本物」を食べれば分かる、とか山岡士郎みてーな事言う奴がホラ食え、ウマいだろ?と強要したらどれほどグロテスクか。
結局は感情論だよね、という話に対する極端な反論として「感情論がイイなら人殺しをしたいって感情もオマエは受け入れるんだよな?」
みたいな話はありがちだけど、それもまた論理や規範、道徳と言うよりは快不快の均衡の話だよねって思う。
殺したいと殺されたくないは等しく無意味で対等なので、まあ多数決的に殺されたくないが優先される。
大抵の人は殺したいより殺されたくないに天秤が傾くんで。
まあ私は別に殺したくても、実行したっていいと思うけどね。突っぱねられて終わりなんで。
その考えは尊重するけど、そこから出力された刃が自分に向けられたら当然抵抗する。
他者の考えを尊重する事と、それが自分の領域に入ってきた時に突っぱねる事は全く矛盾しないんで。対等であるが故の衝突。
アフリカで何万人が死んでますって情報を聞いてもほーんとしか思わんけど、目の前で人が死ぬ所みたら素朴にイヤな気持ちにはなるだろうと思う。
そこには単純な損得勘定で片付けられない道徳や規範について何かのヒントがあるかもしれないけど、何であれ突き詰めれば快不快の問題に収束する。
自然科学的な事実でなく規範を論じるなら、快不快からは逃れられない。
イヤ利他的な行いをする人間だっているだろ、人間快不快だけで動いてない、という反論もあるかもしれない。
主体的に他者へ奉仕するにしたって、その行いが自身の中で快楽を生む、あるいは少しのコストを払ってより大きな快楽を得られるからそうしてるんじゃないって思う。
それは別に偽善でもなんでもないけど、自身の快楽を求めるために働きかける先が自分が他人かの違いでしかないんじゃない。
規範について、例えば今は結果の平等より機会の平等の方が強めに支持されてる。
じゃあその機会の平等の実践として、等しく分け与えるべきか?持たざるものにより多くを再分配すべきか?
後者は甘え、世の中弱肉強食「であるべき」なんだから努力で補え、なんてのはネトウヨにありがちな言い草だと思う。
さりとて前者が「正答」だと決めたらその時点で宗教になってしまう。
元より答えなんてないんだから「合理的に考えて」、なんてカッコつけない方が良いと思う。
私はこっちだと思います、こうこうこういう論理的な理由もありますが、根っこの部分の判断としては私の心がそう囁くからです。
って言った方が誠実だと思う。
論理的に正答が導かれるのなら、道程は違えどちゃんと学べば全員が同じ結論に辿り着くはず。
でもそうはならないはず。
こういう話をすると文章読めない人が素朴な相対主義だ!拗らせ冷笑野郎だ!死ね!ってお門違いな説教をされるんですけど。
私自身はこの話を通じて所詮は「お気持ち」だよねとは言うが、それがダメだなんて一言も言ってない。
むしろそれに自覚的である事が誠実なんじゃない?的な放言をしてるんで。悪しからず。
増田「『なるかも』と思ったことは全部飲み込んだほうが良いですよ」
これでいいと思うじゃん?
そしたらどうなったと思う?
相手「じゃあXXXとか◯◯◯みたいのも辞めたほうが良いですかねニチャァ」
これだよ。
増田「どれが駄目かってよりも『駄目かも』と自分が思った時点で、誰かにとってはアウトライン越えてる可能性があるってことですよ」
そういう所がこういう甘ったれた奴らにサンドバッグワンチャンを感じさせるんだぞってことよね。
知らねーよ女子高生のくせに電車に乗るから痴漢されるんだみてーなロジックとか知ったこっちゃねーよ。
んでまあ相手の回答が。
相手「増田さんってもしかして僕のこと馬鹿だと思ってます?同じこと2回言いましたよね。傷ついちゃったな―ハラスメントだーニッチャニッチャ」
もうね。
無理。
アンガーマネジメントで6秒✕Nして耐えるしかないって奴ですね。
増田「それは直球のハラハラですね。ハラスメント・ハラスメント」
相手「そんな言葉も知らないと思ってるんだ。やっぱり馬鹿にしてる。不愉快ですね」←ここで突然目がマジギレになって本当に怖かった
結局、モンスターとの遭遇率って幼稚園だろうが会社だろうがそこまで変わらんのでしょうね。
躾けられる痛みを覚えたモンスターがたまにいても、痛みを忘れたらモンスターに戻っちゃうからある程度減らしても最終的にはそこそこの値に収束しちゃうんだろうな。
そういうのはカッコいい男を前提しているのであってチンコと目玉と口があるからといってブサイクはイケメンと同じ生物にはなりえないぞ
仮にブサイクがイケメンの真似事をしても男版ビューティー田村にしかならない
ただしイケメンがイケメンの真似をすればただのイケメンに収束する
萌え絵の消費者層がキモオタだから萌え絵が嫌われるは事実すぎるから笑ったけど(確認したけどこの人もオタクではある、その上でこういうツイートをしているのでリベラル系オタクって奴だ)
ただ、こういう論法の裏で、オタクだけが差別的で、普通の日本人はそうではありませんよっていうムーブしてる奴がいるのもキモくはある
前に「オタクが何故ネトウヨになってしまうのか?」って言ってた増田の時も思ったんだけど
現実的には非オタクというか、絵画好きにも、クラシック好きにもキモい奴というか、ノンポリという名の保守、差別的な野郎共ってわんさかいるはずというか、いるんだよな
絵画にトマトスープぶっかけて壁に手を貼り付けた活動家を罵った絵画好きっていっぱいいたし
消費者層が上品なインテリ集団だったら萌え絵はキモがられないってのも、その上品なインテリ集団って何を想定してるのかがちょっとわからなくはある
昨今では差別する奴は頭の良し悪しの問題にすることは反差別内で咎められる行為だし
上品だろうがインテリだろうが、差別してたら台無しだし(差別するのが下品、インテリではないとして結局頭の良し悪しの問題にする事の問題に収束する)
あとは自分は他のオタクとは違うんですよ~って感じでこの論法を利用しているであろうリベラル系オタクが、ばりばりトランス差別してるとかもあるある(引用ツイートの人は違うだろうけど)
https://anond.hatelabo.jp/20230519002016
動物福祉関係者の意見を見ていると、競馬は他の動物産業に比べると動物に対する扱いが手厚いので意外と比較的好意的だったりする。
ただ、あくまで「比較的」に過ぎないので、動物実験や畜産が「地獄に堕ちろ」レベルだとしたら競馬は「死ね」レベルという程度で、もちろん基本的なスタンスとしては「競馬は動物虐待。さっさとやめろ」である。
かれらにとって動物虐待とは程度問題ではない。動物から搾取し、動物を害するすべての行為が絶対的な悪だ。
ヴィーガニズム、というとベジタリアンと同一視する人も多いが、こうしたいかなる形においても動物の利用を許されないとする立場を指す。
そういうわけなので、当然動物園にも反対するし、ペットを飼うことにも反対する。
いやいや、人間の管理下へ入ることが直ちに動物の不幸にはなんないでしょ? という人もいるかもしれない。
たしかに、人間の飼育下にいる動物はまともに飼われればだいたい野生より寿命は伸びる。餌も野生環境では考えられないほど質的にも量的にも安定して供給されるし、病気や怪我のときも治療してもらえる。天敵もいない。
しかし、室内で飼われるペットは多大なストレスに苛まされている。アメリカの一軒家レベルでも犬が本来ストレスフリーに動き回れる環境としては全然足りない。いわんや日本では(サラブレッドだけは飼育下でも広い原っぱで走り回れる例外的な存在だったりする)。
そもそも犬はちょっとヤバいレベルで遺伝子的にいじられている。耳や骨格が奇形レベルに変形した結果、その特有の病気を抱えている犬種も多い。
特にパグやフレンチブルドッグといった短頭種はすごい。頭がでかすぎるせいで出産時に母犬の産道を通れない。なので、出産時にはほぼ帝王切開になる。
人の手を借りないと出産すらできないわけ。そのへんはインブリードを繰り返した結果、ガラスの脚と喩えられるほど折れやすくなったサラブレッドとかもいっしょなんだけど。
ちなみに仮に人類が今すぐいなくなったら、パグみたいな犬種は滅んで、犬たちの多様性はどんどん先細っていき、交雑のすえに野犬やディンゴみたいな見た目に収束していくだろうと考えられているらしい。
つまり、なんだね、動物虐待といいだせば動物にまつわること全部虐待なわけ。
だから、矛盾を抱えているのは競馬関係者や競馬ファンだけじゃない。おれたちみんなそう。
ペット買ってなくても肉は食うだろう。
肉は食わない人でも化粧品は使うだろうし、病気にかかれば薬の世話になるだろう。
ガチャが渋いってのはわかってないな、原神とか触れてないクチだろ? 世界的に受け入れられてるあのゲームとガチャアルゴリズムは同じだよ。
日本ソシャゲの「引けるかも」で射幸心煽ってギャンブル中毒に誘導するガチャゲーとは根本的に設計思想が違うんだよ。
最近の中華ゲーはな、基礎率をめちゃくちゃ低くして最低保証付近でしか排出しない(天井付近で確率上昇していく)仕組みにすることで、ランダム性が低い、運に左右されないガチャになってるわけ。
ガチャのふりをした定量配布システムとも言えるな。星4はたいてい9連目か10連目にしか出ないし、星5は75~85連あたりで出る。それ以外はほんと稀だからそもそも期待しなくなるわけ。
だから掛けたお金のぶんだけ確実に充実するし、多少運でバラついてもかなり収束しやすい。
天井カウントも引き継がれるから爆死した(=石が無駄に消えた)という感覚も生まない、ヤケクソ追い課金みたいなのも仕組みを理解してれば起こらない(予算が推定できる)。
無課金微課金でも計画的に天井タイミングを調節すれば狙ったのを取りにいける。
月1体くらい確保狙う程度なら子どものお小遣いレベルでいける。めちゃくちゃ良心的で健全なんだよ。
その代わり配布しない。国産の射幸性高いガチャだと石バラマキしてヤクの売人ムーブして中毒になるカモを増やすキャンペーンを(ハニバとか妙な時期を作り出してまで)頻繁に展開する必要があるが、
設計思想が健全だからこそ無駄にバラマキもせず、一見渋く見えるが課金した人が後悔しないいつでも気持ちよく課金できる仕組みになってるわけ。