はてなキーワード: 収束とは
共有フォルダに入っているファイル名を眺めてたら「○○.xlsb.xlsx」となっていて、ただの疑問として「この.xlsbいります?」と聞いてみた。
「なんでついてるか分かんないんだよね。たぶんいらないと思うんだけど」と言われたが、それからいくらたっても.xlsbは消えていない。
こういうのめっちゃ気持ち悪いと思ってしまうんだけど自分自身なんでそう思うのか分からない。
・「.xlsb」自体久しぶりに見たし特別な理由がないなら使わない方が良い拡張子だと思う
・そもそも拡張子にさえなってない(名前のところに拡張子っぽい文字列が入っている)のは気持ち悪い
・たぶんいらないと思うなら消せ
もう10年以上前の話をするのを許してもらうとして、2012年に
「2011年3月11日、東日本大震災の後に発生した福島第一原発事故により、広範囲にわたる放射能汚染を引き起こした。その収束に向けての対応、また避難者・被害者への保障についても、2012年7月現在も不十分といわざるを得ず、日本全体の社会、経済に多大な被害を与え続けている。また農地や海、川や山という自然環境そのものの放射能汚染は、今後数100年、数万年にも及ぶため、人類・自然環境への影響は計り知れない。」
という理由で東京電力がブラック企業大賞にノミネートされてたんだけど、それって労働者関係ないよねと思ったし、労働問題の研究者である濱口佳一郎氏もブログで疑問を呈してたんだよね。
「東京電力はどういう理由でブラック企業なのか?(hamachanブログ EU労働法政策雑記帳)」
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-c8f4.html
こういうのがまさに「そういうとこやぞ」で支持を失う原因なんだろうね。
この漫画ってつまる所は「将棋と青春を通して描く人生という『一所懸命』」なんだと思うんですよね。
王と玉を取り合うシンプルで言い訳のしようがない世界である盤面の上で、夢や都合や老いといったモヤモヤしたものが絡み合って純粋さが失われていく将棋パート。
それとは反対に色々な物が混ざり合いすぎた絵の具みたいに鈍色と虹色の中間みたいな現実の中で、ハッキリと光るものによって世界がシンプルにほどけていく日常パート。
その2つの相反する世界の中で、純粋と混沌をグラデーションさせながら生きていくことを強要されていく世界を浮かび上がらせ、その複雑さと残酷さに押し潰されそうになる中をどう進むか、その答としての「一所懸命」がこの作品で描かれているものなんだろうなと。
この混沌とした世界で数少ない純粋なもの、将棋の勝ち負け、好きだと想う心、その光を一直線に目指す気持ち、それを絶対に譲れないからと必死に糸をたぐるように追い求めていけばきっと道は拓けるはずだという希望の唄なんですよね。
それを今自分が使っているような陳腐な言葉じゃなくて、比喩表現を駆使して少しでも深く掘り出そうとする思いがファイターを通して今なら分かる。
昔は分からなかった。
将棋という軸に繋ぎ止められた方向性のない群像劇だとさえ思っていた。
全然違った。
皆が光に向かって突き進んでいる。
自分の中から溢れてくる光、それが指し示す道へと向けて精一杯突き進んでいる。
なんで3月のライオンのテーマソングがこんなに力強いんだろうか不思議だった。
桐山零は物凄い強くて天才だけど、その印象は優男、いや優しい男の子っていう感じだった。
でもその歩みは物凄く力強かったんだ。
まっすぐ目の前に伸びる道をノッシノッシと何もかもを押しのけていくように踏みしめていく。
この力強さを奏でていたんだな。
そして、そうやって突き進むために桐山が傷つきながらもファイティングポーズを絶対に解かないで何ラウンドもリングの真ん中で拳を突き出し続けた姿を、そんな桐山の戦いの中に、将棋の勝ち負けだけじゃなくて温かいものが無数にあるんだって教えてくれた光に対しての祝福がこんなにも輝いてるから、こんなにもヒロイックに音が跳ねていたんだ。
俺、分からなかった。
10年もかかってしまった。
凄いな、プロは。
いや本当感心するわ。
人類学者ルネ・ジラールによると、欲望とは具体的な対象に対する欲望ではなく、他者の欲望を模倣するところから始まるという。つまりみんなが欲しいものが欲しくなる。
例えばiPadが欲しいと思うとき、その欲望は自分の中から生じたものではない。近しい人間やYouTubeのガジェット紹介を見て、他の人間が欲しがっている様を見ることで自分にその欲望が湧く。
これはモノに限らず、例えば英語を勉強したい、上手なイラストを描きたいと思ったとき、その欲望は自分が知っている誰かからもたらされたものではないだろうか?
このような他者の欲望ドリブンの欲望を欲し続けても、模倣するべき他者は無限に存在するので不毛である。
したがって特に理由もなく自分から好んでやり続けてしまうことに価値をおいて、時間と労力を注ぐのがいい。
という話を聞いて、自分の場合何が無心で好ましく続けてしまうことかな…と考えたところ、一つ思い当たりました。
リセマラです。ソシャゲのインストールとアンインストールを繰り返して、最初のガチャで当たりが出るまで繰り返すやつ。
原神とか崩壊スターレイルとか、ストーリー一切やらずにリセマラだけやった。もちろん最初こそまさにみんなが欲しいものが欲しくなる模倣の欲望だったけど、今やもうリセマラ自体が好ましい行為になってる。
なんというか、ただただ不毛な作業のように感じるかもしれないが、労力と時間を費やすことで必ず当たりが引けることが約束されているのが良い。期待値がプラスなのが確定しているので、試行回数を積むことがあまり苦にならない。
より抽象化するなら、確率的にプラスだと分かっている行為を確率が収束するまで続けることが苦にならないし、むしろ好ましい。そういうかんじ。
デウス・エクス・マキナ(deus ex machina、羅: deus ex māchinā デウス・エクス・マーキナー[注 1])とは、演出技法の一つである。古代ギリシアの演劇において、劇の内容が錯綜してもつれた糸のように解決困難な局面に陥った時、絶対的な力を持つ存在(神)が現れ、混乱した状況に一石を投じて解決に導き、物語を収束させるという手法を指した。
んーまあそうかも?
作中では(メタを除けば)
敵を滅ぼしたより強大な敵でしかなく、相変わらず絶望的な状況であって、どっちに転ぶかわからない緊迫感があったはずだが。
そこで味方になってくれたのは主人公たちの愛の力ゆえであって、
デウス・エクス・マキナと言えるのは愛だよ愛。
見え見えの罠、見切れると甘く見れば炎に焼かれる、お前はまるで幽霊物質。
数多の先駆者焼き尽くし、意気揚々と虚空さまよい、待ち構えたる侵入者。
すべてを暴く、俺は遅すぎた探索者。
「ナラティブこそがこのゲームの鍵だ」と気づいているくせに「大したことないですね」は露骨すぎる釣りだろ。
どう見ても全部わかった上で誘い込んでる。
そしてそこにホイホイ皆つられ過ぎてる。
「小説で読めば大したことないようなストーリーを、体験のさせ方で面白く見せるなんて、これこそがナラティブなんですね」に全てを収束させようとする気マンマンでうぜえ。
シュタゲもけもフレも最高の仲間達イエ~~イってだけの物語を、無数の謎によって脚色して好奇心駆動で近寄ってきた消費者にジワジワと単純接触効果の返し針を仕込んだことで大ブレイクしたわけじゃん。
一番強いパターン。
確かに見方によっちゃワンパターンだけど逆に言えば横綱相撲だから。
「コイツめっちゃ強い力士って聞いてたけど横綱相撲してるだけっすよ?」がお前の言ってた言葉だからね?
気づいたらアホかってなるよ。
でもそれに皆釣られたんだよね。
好奇心を弄んで深入りさせたお前の勝ちだよ。
釣った魚にやる餌をもうちょっと出せばこんなに叩かれなかったのにね。
人が多いゆえに色々な人生のあり方が許容されてる感じ。その土壌があって、たまに変な人生を過ごしつつ面白いことをやる人間が発生する。そういう人間がそれなりの数いることで、散逸構造的にコミュニティが維持されていたりする。高円寺とか。そういうの嫌いな人も多いだろうけど。
例えば変な奴がよく分からんコンセプトのコーヒー屋とか開いても、光る物があれば割とやっていけちゃうのが人の多さによるところなんだよね。人が少ないとそういう尖ったことはできなくて、やっぱりハンバーグ定食とかナポリタンとか出さないとダメかなってなっちゃって似たような形に収束してしまう。
一方で東京の大多数の市民は変わった人生を過ごしたりはしておらず、地方や田舎とやってること変わらないよ。子供持って郊外に引っ越して電車通勤してるのが多数派で、彼らのライフスタイルは地方そのもの。
うちの親はテレビ中心だからビックモーターは社長がやめるってことで決着がついたと感じてるね
ネットだと深掘りされるからこんなのなんの解決にもなってないとみんな知ってるけど
Yahoo!ニュースとかニュースサイトの見出しだけで追っかけてる人からするともうこの件は収束したんだなと感じてると思う
政府1「中止の考えはない。強い警戒感を持って関西万博に臨む」
政府2「プレハブ方式で関西万博する。建設の遅れはないと認識している」
政府3「関西万博を中止することは一番簡単なこと、楽なことだ。関西万博に挑戦するのが政府の役割だ」
政府7「『関西万博するな』ではなく、『どうやったら関西万博できるか』を皆さんで考えて、どうにかできるようにしてほしいと思います」
政府8「もしこの状況で関西万博がなくなってしまったら、大げさに言ったら死ぬかもしれない。それくらい喪失感が大きい。それだけ命かけて関西万博する為に僕だけじゃなく関西万博を目指す大阪維新の会はやってきている」
政府9「家族に感動を与えたい。関西万博はミャクミャク様収束の希望の光」
政府10「我々は関西万博の力を信じて今までやってきた。別の地平から見てきた言葉をそのまま言ってもなかなか通じづらいのではないか」
政府11「(関西万博中止要請は)自主的な研究の成果の発表ということだと思う。そういう形で受け止めさせていただく」
政府13「関西万博が借金拡大につながったエビデンスはない。中止の選択肢はない」
政府14「(関西万博について)国民は反発するだろうが、時間が経てば忘れるだろう」
政府15「関西万博することで、財政難でも関西万博できるということを世界に示したい」
政府17「関西で万博するという認識。関西万博するという認識ではない」
政府19「関西万博しないのはより悲しいこと。ミャクミャク様に負けたということは世界に知らしめたくない」
政府21「実際関西万博したら、関西万博に反対していた国民もやっぱり関西万博して良かったと言い出すに違いない。」
政府22「予見できないアルマゲドンでもない限り関西万博できる」
政府23「岸田文雄首相や大阪府の吉村洋文知事を含め、オールジャパンで対応すれば何とか関西万博できると思う」
例えば佐藤かよが同じ職場で働いてたとして、佐藤かよが女性用トイレ使っても何も思わんわ
多分他の今回の判決に懸念や批判を表明している人も、今回の裁判の事例は問題ありとしながらも、各々問題ないと思う「個別事例」はあるんじゃないかな
でも「個別事例」を引き合いに出して法律や司法判断を語っちゃうと、
・「刀を骨董品の様に愛でている人もいるから、刀の携帯を取り締まる銃刀法に反対! 銃刀法に賛成してる人は刀愛好家差別主義者!」
・「大麻中毒にならない人もいるから、大麻解禁に賛成! 大麻合法化に反対する人は実際の大麻愛好家に会ったことがないから怖いイメージを持ってるだけ!」
・「四つん這いで女子高生のスカートを除いた人が、責任能力なしとして無罪になった。私は仕事上重度の精神障害者と関わるが、実際に彼らがセクハラをしてしまうケースを見たことがある! だからこの判決を批判する人は精神障害への理解を深めるべき!」
今回の判決の批判派はお気持ちディベートをしたいんじゃなくて、判決が今後の刑事事件判決や法改正、犯罪に与える影響について議論したいんだよ
今までは戸籍が男性の場合、建物の管理者の意に反して正当な理由なく故意に女性用トイレに入ると建造物侵入罪に問われる可能性があった
しかし今回の判決では、戸籍が男性でも性同一性障害の診断を受け女性ホルモンの投与を受けている場合は、女性用トイレへの立ち入りを制限するのは違法という判断となった
ここから「建物の管理者はどこまで自由にルールを作っていいのか」と「どこからを正当な理由とするか」という論点が導き出せる
今回の判決の「建物の管理者はどこまで自由にルールを作っていいのか」に対する答えは、「戸籍の性別に基づきルールを作る自由は認めない」というものだ
「どこからを正当な理由とするか」に対する答えは、「戸籍の性別が男性のままでも、診断を受けホルモン治療しているならその事実が正当な理由となる」というもの
批判派はこの「正当な理由」が恣意的に解釈されることを懸念している
「戸籍が男性なら正当な理由になりません」ならハッキリした基準で運用できるけど、
「戸籍が男性?う〜ん、でもこの感じなら別に問題なくない?笑」なら、
ならホルモン治療なしで診断受けてたらどうなるの?ホルモン治療なしで診断受けてなくても数年トランスジェンダーとして職場にいたら?手術もホルモン治療も診断も数年間の活動実績もなかったら?と、
「どこまでを正当な理由(正当なトランスジェンダー)とするのか」の疑問が湧くし、
今までは男が女性用トイレに隠しカメラ付けようとした場合未遂でも建造物侵入罪で逮捕できたが、今回の判決によりその男が女装していたら建造物侵入罪でもしょっぴけなくなる可能性がある
そうなると犯罪者側の犯罪のハードルは格段に下がるので性犯罪は増えるわな
また、卵が先か鶏が先かという話になるが、この判決が性別変更要件の法改正の後押しになる可能性もある
このような判決に対するシステム面からの批判に個別事例で反論するのは、
全ての業務を紙とペンでこなし長時間残業が蔓延る会社でシステムがおかしいんじゃ?と意義を唱える社員に「でも紙とペンだけでも効率的に働いて残業してない人もいるから!」と一部の都合の良いサンプルだけを取り出し反論するぐらいおかしい
特に法律は社会の仕組みに関わる部分なので、こういうn=1で反論してくる奴は、そもそも議論をさせたくないんだなというのが透けて見えるので全く信用できない
まだ生き残ってんだよな、マジでさ。
アラフィフがそういう価値観に染まったまま抜け出せないのは幼少期の洗脳もあるからしゃーないと思う。
0~20まで常識としてゴミをコレクションしてしまったらゴミ濃度100%の純粋ゴミ常識が誕生するのはしゃーない。
「俺、結婚したいんだよね―。やっぱ『普通』であることって大事じゃん?」みいなの
それを計算でやってるなら、まあ税制とか社会システムにおいて有利なのはマジョリティになるよね票田的な理由から、ってことで納得できる。
でも『普通』に対しての信仰心の証明として結婚という儀式を行う人間が20代の中にもまだいるんだよ。
これは驚くべきことだよ。
『普通』を証明することによって目に見えない何かが得られると本気で信じているんだ。
高齢者が支配する日本社会における『免許証』みたいなものとして結婚を捉えているんだろうか。
国が出産や結婚を奨励するのは分かるが、それに対して乗っかるかどうかは単に自由意志に過ぎないのにそこに過剰な意味を見出してるっぽいんだよな。
そしてその理由が『普通は結婚するから』に収束してるっぽいのが恐ろしい。
おいおい一億火の玉が『普通はお国のために死ぬから』で玉砕した頃と変わってね―じゃね―かよって話だ。
SteamでSlay the Spireを買った。
ずっと憧れていたゲームだ。
圧倒的中毒性と聞いていたが私にやる余裕はなかったのでずっと我慢してた。
コロナとの付き合い方を会社が間違えたせいでクソほど忙しかったのである。
やっとコロナ(で人が死なないように日本だけは頑張ろうとする動き)が収束してヒマになり有給溜め込んでるやつはさっさと使えモード入ったのでサマセで購入。
でも20時間ほど触って底が見えた。
あの……これ……不動心+猪突猛進+内なる平成+噴火だけのデッキを組めばゲーム壊れて終了ですよね?
ラスボス戦もアーティファクトポーション2つ用意したら完全に終わりでは?
でもショップやイベントの削除以外にもバックパック・ギャンブルチップ・ 空っぽの檻で2枚ずつ猶予は増やせますから初期10枚潰すのってそんなに大変でもないのかなって。
そもそもこれが無理ならミニマリストなんて実績成立しないですし。
なんかもうゲーム自体が「最高のツモが続いたらこのゲームは勝手に壊れて終了するよ」と語りかけている感じなんですよね。
むしろ逆に裏目しかツモれなかったらどんなに上手くても絶対に負けるようにゲームが出来てる。
「圧倒的好評」の神ゲーって聞いてたからハードル上げすぎたのかな。