はてなキーワード: 劇場とは
シルク・ド・ソレイユがYouTubeで配信している180°VRの”ImmerCirque” ( https://www.youtube.com/results?search_query=%23ImmerCirque ) は、演劇業界の人々は見るべき価値のあるシリーズで、これをOculus Goで視聴した時は、正直演劇における革新だと思った。画質はまだクリアとは言えないが、それでもあれは十分に、間違いなく「演劇を観てる」体験であった。舞台中継を通じたTVによる視聴で確かに演劇を見ることはできる。しかし、それは行為そのものが「舞台を観る」から「TVを観る」に変異してしまっているため、演劇鑑賞とは極めて縁遠いものだと思う。だがVRによる観劇はそれが少しも変異しないと感じた。つまり、演劇を演劇のままとしてVRゴーグルで観ることができたのだった。演劇とは「その場でドラマを観賞する」体験そのものが売りであり、観客はそこに対価を支払うことから、その体験をそのまま提供できなければ演劇あるいは観劇とは言えない。よって2Dの映像配信は演劇そのものではない。だが、VR演劇は、間違いなく演劇体験だった。
これは演劇の革新だと思う。なぜなら、VR演劇は世界で初めて「流通可能な演劇」を誕生させる可能性があるからである。劇場に閉じ込められていた演劇をVR演劇としてネットで配信し、それによって対価を得られるようになれば、観客数は劇場の客席数×公演回数に限定されなくなり、また公演期間にも限定されることなく、作品が恒久的にお金を稼ぎ続けることができる資産価値を持つようになる。これまでの演劇の最大の弱点は、劇場でしか客に対して作品を提供できず対価を得られなかったことだけでなく、製作した作品が公演期間を終了すると同時にその資産価値が実質的に消滅するところにあった。映像などの媒体に転換することで一部の価値を保全できうるが、舞台作品の実体としては確実に消滅し、そして再現不能である。これが演劇が経済的に不利な立ち位置にある最大の理由である。「後世に残る作品を作りたい」と演出家が言ったところで、それはそもそも残らないしお金も稼いでくれないのが演劇の本質であった。しかしVR演劇なら、空間そのものを記録・再生できる特性から、それが可能になる。
流通可能なVR演劇によって、観客は過去の作品にも自由にアクセスできるにようなり、いわゆる「伝説の公演」、それを観たものだけがその価値を享受し特別な存在でいられるような、極めて優れた作品群も体験できるようになる。そしてここが重要だが、外国語の字幕を付けることで海外の観客を新たに獲得することも可能となるだろう。これまで、舞台における字幕はプロセニアム型の劇場ではプロセニアム・アーチ外縁の上部や左右、または舞台の上部に吊ったスクリーンなどに表示していたが、実に見づらい上に公演回ごとに微妙に変化する台詞回しのスピードに同期しないケースがあり、正直使える印象は皆無であったが、VR演劇なら見やすい位置に配置し、台詞回しと同期でき、そしてあらゆる言語を表示可能になる。またこれによって、耳が不自由な観客にも演劇を届けることができるようにもなるし、さらには演劇初の「吹き替え版」を作ることもできるだろう。
また演劇が持つ基本的な舞台表現の幅も無限に広がるだろう。つまり、VR演劇では舞台は必ずしも劇場である必要はなく、ビルや住宅などの一室や、ショッピングモール、海辺、森の中など、使用可能なあらゆる場所を舞台とすることもできるようになる。過去にあった、アパートの一室で押入れを客席にしたような演劇とか、KAKUTAがやった遊園地を丸ごと使った同時多発演劇、またかつての維新派のようなだだっ広いグランド演劇などが、より低コストで自由に製作でき、あらゆる人々に配信できるようになる。そしてそれらの空間を使用したドラマの演出は、舞台演出家こそができる技術である。VR演劇以降は、舞台演出家はVR演劇演出家として新しい活動の場を獲得できると思う。
最後に、もちろんこれらのことは全て演劇に新たなお金をもたらすだろう。日々の稽古と並行して別の職の仕事をし、その上チケットノルマも課されるような、今で言えば真っ黒もいいところのブラック労働であったものが、VR演劇が恒久的に稼ぐ売上によって浄化され、大きな産業として成長するだろう。演劇は補助金が不可欠とか言う必要もなくなるし、日本の演劇の諸悪の根元であるチケットノルマも葬り去ることができる。また、これまで舞台の規模として商業的には全く成り立たないが、しかしながら極めて価値の高い優れた作品についても、きちんとお金を稼ぎ、演出家や俳優達は新たな作品制作に集中できるようになるだろう。
このVRによる演劇の革新によって、演劇を楽しむ観客人口の桁が2つか3つ増えれば、社会における日本の演劇の重要性も変わるだろうし、いわゆる必要不可欠な文化としての立ち位置を獲得できるのではないかと思う。それを得られないうちは永遠に、義務教育科目に「美術」「音楽」はあっても「演劇」はないだろうし、補助金くれくれ言い続けるしかないだろう。
アメリカで「アナ雪」のミュージカを見ようと思って調べたら、中央ブロックだと500ドルを超える。家族4人で行ったら…
このくらいのお金を気軽に出せる人が、日本には少ない。だから、コロナが無くたって先の明るいものではなかった。
演劇は劇場でやる以上、スケールしない。薄利多売が成り立たない。ここを何とかするしかないけど、VR技術で自宅で楽しめるようにならないものですかね。
BSでやってた劇団☆新感線とか宝塚を録画して見てみようと思ったんだけど、芝居がかった言い方と下手なカメラワークと大げさな身振りに、なんやこの下手くそって思ってしまって全く集チュできなくて全然みれずに録画けしてもーたわ
社会から否定されてるんじゃなくて「社会から否定されている」と「思い込んで」いるだけなんじゃないかな。
否定も肯定も、演劇に興味ない人は東京芸術劇場やアゴラ劇場、シアタートラム、本多劇場の最寄り駅がどこなのかも知らないと思うしね。
私は一時期、社会人劇団の制作に携わっていたことがあるから、それなりに演劇には理解があるほうだと思ってる
平田オリザや野田秀樹と酒飲んだこともあるよ。自慢めいていてごめんね。
『演劇業界で生きる人たちは、演劇がないと生きていけない人が少なくない。
それは「演劇がないと仕事がないから食い扶持がない」というだけじゃなく、
「演劇でだけ他人に認めてもらえた」「演劇が唯一社会とつながれる手段」という意味で、だ。
演劇がなかったらとっくに人間社会の中で生きていけなくなっていた人や、
とある演劇作品に出会わなければもう死んでいたかもしれないという人だっている。
そんな生きることに不器用な人たちがたくさんいる。
そして自分と同じように演劇に出会わないと死んでしまうかもしれない人になんとか演劇を届けようと、
演劇を創り続けていた。
そんな唯一社会とつながれる手段だった演劇が、社会から否定されて社会と繋がる道が絶たれたら、
は同意出来るけれど出来ないな。
今は演劇から遠のいたし、平田も野田も俺と酒飲んでくれないけれど、今もしアイツらに話ができるなら、お前らのやることは芝居を作ることだろうと言ってやりたい。
こういう書き方をすると炎上するかもしれないけれど、今起きている事を脚本にするのが、せざるを得ないのが演劇に携わる人間のやることなんじゃないのか?
『劇的』という言葉を私は好きだ。
日常に潜む『劇』をみつけ、光を、あるいは闇を与えることで観客に提示するのが演劇ではないのか。
苦悩や葛藤、認めて欲しい、認められないという自己矛盾やルサンチマン、そうしたものどもを見つめ、あるいは突き放し、時に笑い飛ばし、時に泣き、酒を飲み、溺れ、汚物にまみれながらも本に、脚本にし、芝居を作るのが演劇人ではないのか。
今目の前で起きている、おまえが感じていることを本にして、役者をどう集めてどう稽古し、どう発表するかを考える事なんじゃないのか
でもさ「ZOOM劇団」とか「ZOOM東京物語」とか、今だから出来る、今しか出来ない、そうしたひりつくような最先端の、そして自分にしか出来ないことを発信しろよ、しつづけろよ
世間が振り向いてくれないとか泣き言いうな、安倍晋三はマスク二枚と10万しか寄越さない。緊急事態宣言はいつ解除されるかわからない。
河原で沢山の仲間とバーベキューする奴が容認され、山梨に帰省してバーベキューしたおねえちゃんがぶっ叩かれるこの「劇的」な今のこの状況を本に、脚本にしないのはなぜだ。
アーカイブで良いなら「夢の遊眠社」でも見ておくよ。そんでもって「長崎は今日も雨だった」を歌っておくさ。
音楽界
星野源「長期で外出できなくなるだろうから、家の中に居ても面白がれる仕組みってないかなって(中略)僕が歌を作って、それを動画として載せる。そこに楽器、歌、ダンス、アニメーション、どんな形でもいいから僕の動画を引用してそれを重ねる、もしくはカバーする(中略)そんなふうにできれば、どれだけ離れた場所にいても”重なり合う” ことができる、と考えたんです。」
桑田佳祐「“出来ることから”ちょっとずつ」ソロ曲&サザン曲MV、ファンクラブ会報など公開
スポーツ界
長友佑都らチャリティー出品「#マスクを医療従事者に」を合言葉に寄付を募った
「#医療従事者は私たちのヒーロー」スポーツ界が感謝のメッセージを送る
野田秀樹「一演劇人として劇場公演の継続を望む」「ひとたび劇場を閉鎖した場合、再開が困難になるおそれがあり、それは『演劇の死』を意味しかねません。劇場閉鎖の悪しき前例をつくってはなりません」
平田オリザ「「製造業の場合は、景気が良くなったらたくさんものを作って売ればある程度損失は回復できる。でも私たちはそうはいかない」
どう考えても運も才能もセンスもないからそうなってるのに、演劇わかってない世の中とか人のせいにするじゃん
チケット買わされて何回か行ったことあるけど、何一つとして面白いのはなかったじゃん
感想聞かれて、しょうがないから良かったよとかって言うじゃん。そしたらいい気になって上から目線の演劇論始まるじゃん
本当の感想をオブラート千枚ぐらいに包んで言うじゃん。そしたら、わからないかもしれないけど〜って上から目線の演劇論始まるじゃん
お前らの自己肯定感の低さから来る異常な自己顕示欲を満たしたいがためのお楽しみ会を金払って見せられるこっちはたまったもんじゃないじゃん
でも大体、劇団員とか演劇仲間でバカみたいに安酒飲んですぐやりまくっていっつも揉めてるじゃん
わたしはなぜこのブログを書いているのだろうか。もういまさらわたしが口出しすることでもない。それでも今日が記念日ということに気づいてしまった。気づいてしまったのだからしょうがない。しょうがないことにしてほしい。
今日は、すこし特別な日なのだ。ほんのすこしだけれど。2年前までだったら、かなり特別な日だった。
うれしくて、ふわふわして、気持ちが浮いて、地に足もつかなくて、そんな日だった。だって、あなたたちの誕生日だから。あなたたちが生まれた日だから。あなたたちに名前がついた日だから。
ジャニーズJr.という世界は、このブログを読んでいる人が思っている以上に厳しいし、わたしたちが思っている以上にシビアだ。ジャニーズJr.に、約束などない。
たとえば、次のコンサートが終わると同時にグループが消されることもあるし、昨日まであったグループが突然消滅していたなんてこともある。酷いときはコンサート中に解散が発表される、なんてこともあった。正確に言えば「様々なグループから色々なジャニーズJr.を選抜してのデビューを発表した」になる。解散が発表される、とは少し違うがまあ同じようなものだ。ジャニーズJr.とは、そういうものだ。
わたしはそれを去年の1月に知った。知識としてそういうことがあったことは知っていたし、実際に突然干されてそのまま全員で退所していった一部始終も見ていた。5人グループが6人グループになったところも見ていたし、名前が突然変わったところも見ていたが、まさか自分がその当事者になるなんて思っていなかった。わたしはあの日、突然渦中の人物になった。大好きだったグループの、愛していたグループの突然のメンバー加入発表。増員発表。
ジャニーズJr.に「絶対」がないことは知っているつもりだった。覚悟もしていたつもりだった。でも、だけど、それは「つもり」でしかなかった。心のどこかで(そんなことが起こるのは人気のあるメンバーだけだし、デビュー路線にのったグループだけだ)と思っていた。はっきり言ってしまうと、わたしが応援していたひとは人気というわけではなかった。アンチはいないけど、ファンも少ない。そんなひとだった。グループとしてもデビュー路線から少しずつ外れ、舞台班としての道が見えていた。わたしは当然そちらに進むものだと思っていたし、ファンとして最低なことを言うと舞台班になることを祈っていた。一年に一度大きなツアーがあるだけなんてわたしには耐えられなかった。毎月毎月会わないと、生で見ないと息ができなくなってしまうのではないかと錯覚するほど毎月現場があったからだ。
あぁ、わたしはなんて馬鹿なんだろう。こんな記事を書くのだからと、久しぶりにあなたたちのプレイリストにしたのが間違いだった。想いのつまった曲が流れ始めてしまった。つらいなぁ。だいすきだったんだ。愛していたんだ。わたしがかけられるだけの時間もお金もかけてきたつもりだった。それじゃ、不満だったのか。まぁ、当然か。生活がかかっているわけだし、いつまでも「アルバイト」のようなジャニーズJr.という不安定な立ち位置で満足なんかできないだろう。「正社員」に近いデビュー組を目指すのは当然だ。
あなたたちは、この曲をどんな気持ちで歌ってくれたの?歌詞に自分たちの名前を入れて、ペンライトは誰のメンバーカラーでもない白にして、おたくが踊れるような振りにしてくれた。涙を浮かべて歌ってくれたあの景色は嘘だったの?
涙で滲む約束は、あなたたちで果たしてほしかったのに。人数が変わってしまったら意味がなかったのに。もう少しなんて言わなくたって、ずっとそばにいるつもりだった。手を離したのはどちらなんだろうか。まあ、当然わたしなのだ。だってまだそばにいる人はたくさんいるのだから、わたしがあの増員に耐えられなかったのはわたしの責任なのだ。わたしが悪い。
「気持ちが強すぎた」なんてそんなことは口が裂けても言わない。わたしが単純に聞き分けの悪いお子ちゃまだった、それが正解なのだから。
ただ、わたしの生活にはあまりにもあなたたちが入りこみすぎた。四季折々共に過ごしてしまったから、春にも夏にも秋にも冬にもどの季節にも思い出がある。いまだに聞けない音楽がある。行けない劇場がある。言えない言葉も聞きたくない言葉もたくさんある。
だけど、時間というものは残酷だ。出来事というものはその瞬間に記憶になる。記憶は思い出になり、思い出はいつか薄れてなくなっていく。そういうふうにできているのだ。なんて残酷なのだろうか。あなたたちと過ごした思い出も、苦しんだあの日々も、ぜんぶいつかは消えてしまう。たとえ今は結成日が忘れられていなかったとしても、だ。間違いなくいつかは消えてしまうだろう。
だけどなかったことにはしないでほしい。腫れ物を扱うように当時を振り返らなくなるのはやめてほしい。わたしの大切な日々であり、消したくない青春なのだ。
6という数字に縛られるのだろうか。
6人組のアイドルグループに羨望の眼差しを向けなければならないのだろうか。
どれも答えはわからない。わたしがどれだけ見ないようにしたとしても、わたしの周りにはあなたたちのファンがたくさんいるし、テレビにだってたくさん出ている。
デビューとはこういうことだ。見たくなくても目に入ってしまう。聞こえてしまう。今まで、わたしがどれだけ好きだと叫んでいても見向きもしなかった友達が「かっこいい」「好き」と言っている。掌を返したように何人も何人もだ。あの日わたしに「かっこいい人だれもいないしJr.とかガチすぎてこわいよ」って引き気味に言ってきたあの子でさえそのうちの1人なのだ。興味も持たなかったくせに。
だけど、この「今」を彼らは望んだ。彼らは願った。わたしが願っていない未来を、彼らは願っていたし、わたしが嫌な今を、彼らは喜んでいる。そういうことだ。彼らの望むこれからは、わたしの望まないこれからだ。彼らに必要ないのはわたしのような人間だ。そんなこと1番わかっている。だからファンと名乗ることをやめた。無理矢理別の人を好きになった。
もし今、似たような状況の人がいたとしたら無理矢理別の人を好きになるのはおすすめしない。好きだったのに。大好きだったのに。そんな風に思いながら生活からそのひとを切り離したおたくの成れの果てがこのわたしだ。
春になれば春の思い出で泣き、
夏になれば夏の思い出で泣き、
秋になれば秋の思い出で泣き、
冬になれば冬の思い出で泣き、
そんな風に考えてしまう自分に、簡単に泣いてしまう自分に、こんな文章を綴ってしまう自分にうんざりする。わたしは、こんなわたしが嫌いだ。すごく、すごく嫌いだ。自分で自分の首を絞め続けて、感傷に浸って、悲劇のヒロインぶっている、救いようのないほどの馬鹿で阿呆な自分が嫌で仕方ない。
だけど、たぶん簡単には変わらない。何年間も毎日あなたたちのことを考えて生きてきた。言葉では言い表せないほど、愛してきた。そんなに簡単にわたしの中から消えてもらっては困る。かけてきた時間もお金もそれなりな、わたしの大切な青春だから。
だから、何年も何年もかけて悲劇のヒロインから一般人になれればいい。いつかあの日々を笑って話せたらいい。「好き」と決してかえってこない片思いに似たような日々に浸ればいい。この傷が時間によって癒されてしまうまでの期限付きだ。
わたしのなけなしのプライドでグループ名もタレントの名前も出さなかったけど、ここまで読んでくれた誰かが理解できるように書けているのだろうか。降りてまで迷惑かけたくないから出すつもりもないが。
声が大きいものとしてなんとかしようとした結果の発言だったのだろうけど、
だけど、いち演劇人の発言の一部によって、演劇業界すべてを否定しないでほしい。
演劇業界で生きる人たちは、演劇がないと生きていけない人が少なくない。
それは「演劇がないと仕事がないから食い扶持がない」というだけじゃなく、
「演劇でだけ他人に認めてもらえた」「演劇が唯一社会とつながれる手段」という意味で、だ。
演劇がなかったらとっくに人間社会の中で生きていけなくなっていた人や、
とある演劇作品に出会わなければもう死んでいたかもしれないという人だっている。
そんな生きることに不器用な人たちがたくさんいる。
そして自分と同じように演劇に出会わないと死んでしまうかもしれない人になんとか演劇を届けようと、
演劇を創り続けていた。
そんな唯一社会とつながれる手段だった演劇が、社会から否定されて社会と繋がる道が絶たれたら、
他のエンタメにも製造業にも飲食業にもパチンコ業界にも、きっとそういう人はいる。
絶対そのことは忘れちゃならない。
野田秀樹や平田オリザは「演劇を特別扱いしろ」どころか、演劇が認めてもらえてないとわかってる卑屈な気持ちが、
今、いろんな舞台人たちが、劇場に集まれない中でもなんとか社会と繋がれないか、たくさんの人の今のつらさに力になれないかと
いろんな手段を試している。
新型コロナウイルスの影響によりあらゆる興行が中止となっている中、舞台業界に希望を与えるためのクラウドファンディングが5月1日より開始される。
■舞台専門プラットフォーム「シアターコンプレックス」プロジェクト
https://fanbeats.jp/collaboration/theater-complex
「舞台を救え」をキーワードに、舞台作品専門の映像配信プラットフォームを架空の劇場と位置づけ、リアルな劇場での上演ができない状況でも舞台を楽しめるものにすることが本プロジェクトの主軸らしい。
・公演のライブ配信
これらのコンテンツを通じてお客さんへの新たな楽しみの提供、制作側(出演者/クリエイター/スタッフなど)に対する新たな仕事の提供を目指すとのこと。
業界全体が落ち込んでる時にこうやって手を挙げプロジェクトを発足するのは立派だと思う。
立派だと思う反面、ただの新しい商売コンテンツじゃんとも思った。
というのも協賛企業に偏りがある。眺めてると2.5次元舞台の匂いがプンプンする。
舞台業界の希望というより2.5次元舞台業界の希望なんじゃない。
2.5次元舞台が嫌いなわけじゃないけど業界全体のことを考えるとなんかモヤモヤする。
そんなこともあって支援するならこっちかなと思ってる。
(ネルケのほうは多分放っておいてもSUCCESSする)
■新型コロナウイルス感染症被害対策:舞台芸術を未来に繋ぐ基金=Mirai Performing Arts Fund
https://motion-gallery.net/projects/butainomirai
名前が長い。
こっちは基金なので普通のクラウドファンディングとは違い集めた資金は寄付金になる模様。
受給側の申請要件は諸々あるようだが制作側へダイレクトに金が流れる仕組みっぽい。
今日から支援受付開始してるみたいだけど、HPの内容が把握しにくいから支援者向けと受給者向けにカテゴライズしてほしい。
詳細は出ていないが前者は支援に対するリターンがある。おそらく作品視聴権とかその辺り。
※ミュージカル(広義)巻き込んでごめんなさい
※双方において「一般的」「平均的」「代表的」ファンではない自覚はあります
「君変わってるね〜〜〜」と言われて嬉しかったり煩わしかったりした。
舞台を趣味に挙げると「ミュージカルってなんかいきなり歌うよね笑」
「なんか女の人の趣味って感じ」「なんか無理なんだわ」と
聞いてもいないのに全拒絶されることがあるのですが
深夜ラジオも同じくらい全拒絶されやすいジャンルだと思っています。
俳優でアーティストでさえ下ネタを言うのが粋という世界が深夜ラジオなので。
モテとか考えるなら正直どちらも挙げないのが正解。
ラジオは主に中高生の受験勉強のお供でお世話になり、今はミュージカルに全振りしています。
今日、日本ミュージカル界の豪華メンバーによる動画が投稿されて
その界隈は大いに湧いていたのですが、
私は「自分の応援してる人いねえ・・」「人気者の集まり・・そうですか・・」と
ひねくれたおしていたので同志がいないかと探しに行ったのですが
ミュージカルでは立場の弱いひとや権利や平等を取り上げることが
非常に多いので、今回の発言に関して怒る人が多いのは当たり前です。
それがたとえ「コロナで風俗に行けないのでダッチワイフを買うか真剣に悩んでいる」
というリスナーへの回答だったとしてもアウトだったと思います。
そっかー、そうだよなーと思いながら
そういえばミュージカル(広義)でも
露骨な「オカマ」描写、頻発する「頭がいかれてる」「精神病なんだ」
とかポツポツ思い出す。
でもそこを批判されたら「わかるけど、いやそれはね・・」って
言いたくなると思うんですよ。
で、本当に一緒にするの申し訳ないんだけど
あの薄汚い番組とあの薄汚いおっさんに救われる瞬間も確かにあるんですよ。
テーマが重くて引きずったりして、でも見れてよかったなと帰路についたことも
なんか辛くて寝れなくて25時にひっそりラジオ立ち上げてしょうもない話を聞いて
低俗なネタでゲラゲラ笑って、いつもと変わらない放送に安心して眠りについた夜もある。
そして冒頭に戻りますが
「なんか歌い出すのがさ〜」という外野は
「とりあえず全部聞いて!それから言え!」と思うし
それでもやっぱり無理という人は必ず出てくる分野であり
その人を克服させることはほぼ不可能なので
まあ無理して見なくていいので放っといてください・・と思うのです。
漫画やアニメで定期的に上る乳がうんたら女キャラうんたらの議論のときにも
思うんですけど、何も知らない外野からジャンルごと石を投げられるのって
今回の発言、是非は確実に非です。
俺は全部中途半端だ。
N予備校のプログラミング授業は最初のステップをパラパラと読んだだけで放置。
サンデーの漫画アプリで期間限定で全巻無料となっていた、らんまとうしおととらは両方とも途中までしか読めなかった。
ライブや劇場のYouTube中継も途中で飽きてチャンネル消した。
某がクラウドファンディングを始めたね。
いつかはそうなる気がしてたよ。
でもさ、「舞台を救え」って、具体的にどうするか分かってるのかな?
配信サイト立ち上げるって云っても、劇場使えない限りは新規の舞台出来ないじゃん。
配信番組やるっていったらそれもう「舞台」じゃないじゃん。「映像」じゃん。
志は素晴らしいと思うよ。
でも「舞台界の代表としてお金募ります!」って謳っておいて、実際蓋を開けたら「人気者の力で新しいビジネス始めます!」ってならないよね?
何も実態がないのに盲目的に応援しようとしてる人見て不安になる。
演劇って観客の想像力で完成する娯楽だと思ってたから、提供した金がどこに行くのかちゃんと判断できる客層だと思ってたよ。
客が体の良いパトロンと化してるところ見ると、提供されてる娯楽の程度も知れてるなと思う。
友人に誘われた某大人気舞台、私の思ってた演劇じゃなくて乙女向けイケメンショーで観てるの辛くて絶望した時のことを思い出したよ。この演劇に推し作品の冠が付いてるのがマジで嫌すぎて全力で目を逸らしたね。(話が逸れた)
テニ●ュとか、2.5でも好きな舞台はあったけど、最近の何でもかんでも舞台ビジネスにして、人気キャラを演じれば自然と俳優が持ち上げられる感じが、原作原理主義オタク的にはとても気持ち悪いし、オタクが嫌ってる実写映像化と大差無くなってきてるなと思う。
原作リスペクトって云えば何でも許されると思うなよ、私物化してんじゃねーよと思う。
私はオタクだから原作好きの視点からしか語れないけど、演劇の人はどう思ってんだろうな。
少なくとも私は前述の舞台を観て「今の演劇ってつまんねーな」という感想になりました。
結局、今回のクラウドファンディングも、今2.5で幅聞かせてるドンがお気に入りの俳優と一部のクリエイター囲って守って、今後は限られた人しか2.5舞台作れない仕組みになってくんだろうね。
今回の協力会社見てたら一目瞭然でしょ。一番立場弱い小規模の制作会社ひとっつもないし。
ついに2.5もTHE芸能のヤクザ文化になってしまった感があるわ。
元から歪んできてるなと思ってたけど、この件で更に人を選ぶ感じの文化になってきてるなと思った。
何か、やるならちゃんとやってほしいし、ちゃんとやらないなら金輪際わたしの好きな原作が舞台化しないことを願います。
はてなー、平和ボケすぎる、、、人や社会が生きるか死ぬかという瀬戸際なのに
- estragon 全体主義に対して劇場を閉鎖させてはならぬというのはよくわかる話。感染症は政治的ではないが、それを取り巻く昨今の環境は非常に政治的だし。「万全」の対策をして開催すれば良い。劇場は小屋のことではないし
- kabutch 日頃から反権力を訴えているのだから、要請くらい撥ね付けてもいい。ただ、その権力を支えるのは一般市民
- wuzuki 野田秀樹作品はあまり好みではないけど、この意見には同意。もともと小劇場は反体制の文化があるものだし。/ 路上演劇を試みている団体はたくさんあるけど、いわゆる舞台でのお芝居とはまた別物という印象。 演劇芸術衛生文化アート
- shoot_c_na そこまでの気骨ならばやればいいじゃん。でもいまやると不謹慎厨の餌食だよ。あれは政治的になに言おうが絶対納得しない奴らが母集団だ 医療社会
- virgospica コレは「芸術vs政治」の話であって、金の問題ではない。政府が要請したら従うことに慣れちゃダメ
- kukky 開催すればいいし、それでも観に行きたい客は行けばいいし、心配なら行かなければいい。
- mobile_neko あくまで自粛要請なんだし公演は普通にやればいいと思うぞ。換気しにくい構造が多そうだし途中でうがい休憩をとったり入場時の除菌とか、座席の調整とかはしたほうが良いだろうけど。
[B! COVID-19] 野田秀樹さん「公演の継続望む」 感染防止で閉鎖は「演劇の死」 | 共同通信 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/this.kiji.is/606824784180167777
4月中頃からリモートワークに切り替わり、今は自宅で日々を過ごしている。
先行きが見えないので当然で、出来る仕事は限られている。
一体どこから自分の給料が捻出されているのか不思議で仕方ない。
こんな状況で生活が長く保つ訳がない。
SNSで、
「文化を維持するために救済を!」
という有難い声を見掛ける。
「オリンピック開催の為の生贄じゃねーか!」
「政治家が会食してんじゃねーよ!」
などと憤っていた。
会社の問い合わせ電話口で「何故この状況でイベントを中止しないんだ」と一銭も落としていない奴から言われたときは、「じゃあお前がその分支払ってしてくれるのか?」と言いたかった。
散々叩かれていたK-1のイベントもとても他人事には思えず、悪者のように取り上げていた報道には本気で殺意が湧いた。
「こんな時だからこそ無料配信します!」という大手エンタメ企業の波に焦りを感じていた。そんな体力はうちにはなかった。
そうこうしているうち、ウイルス封じ込めは失敗し、ライブエンタメ以外の自粛も始まり、今に至る。
憤っていた頃には分からなかった深刻な状況を理解しはじめ、「自粛したことに意味があった」と分かったことでやや気持ちが救われた。
ご存知の通り、エンタメ特にライブエンターテインメント業界は、いま瀬戸際の状態だ。
弊社の名前でエゴサしたところ「●●は大丈夫だと思うけど…」と言われていたが、そんなことは全然ない。貴方の推しが散々世話になっているあの会社この会社も、明日潰れてもおかしくはない。大手の状況は知らんけど。その大手も雇っている、個人で仕事を受けている大勢の裏方スタッフは、更にままならない状況下だと思う。
どうしたらクリエイターやスタッフやキャスト、関係会社の社員や派遣、アルバイトが生活していけるのか?
三密を避けながら、これまで通りエンタメを本業として続けていけるのか?
恐らく、今後ライブエンタメから配信に乗り出す会社は増えていくだろう。
この状況でも(この状況だからこそ、の方が適切だろうか)Netflixは売上が上がっていて、そのほか配信界隈は好調のようだ。これからは音楽ライブは勿論、お笑い・声優・ミュージカル・ダンス・コスプレといった専門的なライブエンタメジャンルに特化したサービスが本格的に参入してくると予想している。家に居ながら提供できるものを模索していく流れにならざるを得ないのは事実だ。
しかしライブから配信に切り替えるといっても、ドラマの収録も出来ず、ワイドショーもリモート出演のこの状況では、以前と同じクオリティを保ったコンテンツを配給していくのは困難だ。ヘアメイク、スタイリスト、カメラマン、照明、音響、編集、作家、ディレクター…そういった本来多くのプロの手で作られていたものが、現状の急場しのぎでやっているものと同等のクオリティであるはずがない。
そして「餅は餅屋」というように、既に何年も配信の実績があり生業としているプロが既に居る。これだけ溢れている配信コンテンツの中で人気者になるには、そのための研究や才能といった何かしらのチカラが必要なはずだ。
「配信は気軽」かもしれないが、「気軽に配信のプロにはなれない」のではないかと思う。配信主はこれまでの生業での人気という貯金を切り崩していくことになるだろう。
また、キャストやクリエイターは独自に発信することは可能だが、裏方スタッフには仕事が回らない。稼働出来て、ヘアメイクスタッフとスタイリストくらいだろうか、それにしても三密の環境は避けられないだろう。劇場やライブハウスで働く技術スタッフに関連させることは更に難しい。無観客イベントをするにしても、スタッフキャストは三密不可避だし、何より採算が合わないだろう。
最近話題に上がる再放送については、作品の権利を持ってる会社には利益が入る可能性があるが、裏方スタッフにまでロイヤリティが入るという契約は聞いたことがない。
クラウドファンディングで有志から資金を募るにしても、不可抗力によるクオリティの限界が知れてしまっている状況では、これはもはや善意の募金のようなもので、健全な商売とは言い難く、このコロナショックの不景気の最中では長続きしないと思っている。打撃を受けているのは何もエンタメ業界だけでなく、これまで応援してくれていたファンの生活自体が危ぶまれている状況なのだから。
公的な補填なしに、これまで通りのエンタメの存続は難しいだろう。
※現在エンタメ補償は現実的ではないことを理解した上での、自分の結論だ。
何が基準となるのか?
文化的価値。優先順位。妥当な補償金額。これらを定義するのはとても難しいと思う。
エンタメ業界に限った話ではないが、天才、凡人、善人、クソ野郎、いろんな人がいて、才能がある者が必ずしも人格者ではなく、どうしようもない人間ほど人気があったりと、労力を掛けた分の報酬があるわけではない。
「この人は素晴らしい作品を創る」と思うこともいれば、「しょーもない作品創りやがって」と思うこともあった。
これはあくまで自分の感想であって、正反対の感想を持つ人もいる。
…という、自由度が高く将来性が未知数というエンタメの特性は、公的な保障ととても相性が悪いと感じる。
でも、正直、逼迫しているこの状況で、これまで存在していたエンタメ全部が必要か?と言われると、そうじゃないんじゃないか?
「この状況を乗り越えられない小規模エンタメは淘汰されるほかない」というのは、信条には反するが、そうかもなという気持ちもある。
アイドルはジャ●ーズ、お笑いは吉●、音楽は●●レコード、アニメはスタジオ●●、演劇は劇団●●…というように、好き嫌いはあれど大多数の人が知っている国民的存在。社会でエンタメを担うのはそれなりの体力のある会社に託されることなのかもしれない。
そして。そして何より。
安全なところで文化的な活動をする人と、危険地帯で生活を支えている人と、どちらがお金をもらうべきなのかは明白だ。
いま、限られたお金で社会を成り立たせるために今最前線で戦っている人は、十分な恩恵を受けられているのだろうか?
社会インフラを保つために働いてる人
この人たちとエンタメ作ってる自分たちが、並び立って「お金をください」と言えるのか。そして、今後国から支えてもらうだけの社会的役割を果たすことができるのか。
https://twitter.com/Pkn2zVN6iC1DHmX/status/1250599556472958976?s=20
知恵や技術や物資での支援が難しい状況下、いま苦しい人の為になるものは何だろう。
絵? 歌? アイドル? Nintendo Switch? 総理大臣が自宅で寛ぐ映像?
誰にとっても有難いのはやっぱりお金だ。あなたはこれだけ価値のある仕事をしてくれたと一番わかりやすく可視化されるものだ。経済的だけじゃなく、精神的にも救われる。
昨日スーパーでスタッフ急募の張り紙の時給を見て、混雑したレジをさばく店員さんの姿に「割に合わない」と感じてしまった。
この労働を「感謝の気持ち」で済ませてはいけないのではないか。
見合った対価を払わず人の良心に付け込んでいるだけではないのか。
もし自分が最前線で働いてる立場だったら、安全なところで自分のやりたいことやってる文化人が国から補償が貰えるってなったら、「その金俺に回せよ!」ってブチ切れると思う。
これまでお世話になってきたエンタメ業界が辛い中踏ん張っている中、水を差すようなことを言って本当に申し訳ない。
自分自身、エンタメ業界しか経験せず年を取りつぶしが効かず、生涯独身のつもりだったので結婚の予定もなく、正直これからの生活には不安しかない。
たくさんの人に感動を届けたい。そう考えて就職して、作品を作った。
でも、本当にこれからも、必要なのだろうか。求められている活動なのだろうか。
自分たちの経済的事情ばかりを気にして、エンタメという文化を笠に着て、安全地帯に留まっているだけではないだろうか。
第一声がそんなことはないだった。
3月上旬、いや中旬までの誰がどこでどんなルートで執念深く終えた時期ならばともかく今このような状況でできているとも思えない。
タクシー運転手が屋形船で……そんな道筋を執念深く追っている状況ではなくなったからだ。
正直なところ劇場から感染者が出ていないと私は思えない。出ているかもしれない。出ていてもおかしくない。もはや誰にもわからないのではないかと思う。
検査キットが足りない、保健所に電話がつながらない、そんなニュースを見る中で劇場での感染者は報告されていません。これは断言していい事なのだろうか。
毎日流れてくる情報には今や人数しかない。今日は何人。50人で多いと思っていた日から、もう3桁が当たり前になってしまった。男女比も年齢層も感染ルートも明記されていない。クラスターと呼ばれる集団的な感染があると、特集の様に報道される。このクラスターが劇場で発生したというニュースは確かに見ていない。ただ、それだけだ。
正直なところ、この後に及んで感染した人の行動経路の中に劇場が含まれてた人が0なはずがないと思ってしまう。が、そこで感染したとしても劇場だと断言する術はない。
ニュースでは専門家っぽい人が結果から逆算した推論を話す。あの時こうしていれば、この対策をしたおかげで、これは結果論だ。そしてあの記事も結果論のまとめだと思う。
その上でわたしは3月は全公演中止でもよかったのではないかと結果論を綴りたい。
劇場側は対策をした、しかし1番の安全策は公演を行わない事、である。
密を避ける。ソーシャルディスタンス。そんなことを守るにはそもそも劇場を開けなければいいと思ってしまう。
舞台が好きだ。エンターテイメントが好きだ。だからこそ、保守的に走ってもよかったと思ってしまう。
楽しみにしていた舞台があった。チケット代は既に支払っており、遠征に備え宿だけは抑えていた。足は詳しい予定が決まってから、まだ用意はしていなかった。そしてその舞台は幕が開かなかった。
まず最初。初日とされていた日が延期になった。初日のチケットは抑えていて、シフトも有給を取っていた。突然何もない休みとなってしまい友達とご飯を食べに行って残念だと話し込んだ。そして次の初日になりそうな日のチケットを慌てて探し、宿も取り直した。職場で新たな初日となった日に有給を申請した。この時、職場では全員マスクをしていて、遠征中気をつけてと何度も言われた。
そして、また公演延期が伸びた。慌てて有給を次の初日になる日に伸ばした。別のもう一つ行きたかった舞台と被りそうで、どっちに行こうなんて思いながら変更を申請した。
そして、また公演延期が伸びた。友達からは初日どうするという連絡で毎日明け暮れた。宿はキャンセルが相次いでいるからギリギリでも取れると思い、取り直さなかった。
そして、また公演延期が伸びた。再開の目処が3日後とか。本当に小刻みに初日となる日がズレていった。チケットを探すのも、シフトの申請を出すのにも疲れていていた。職場には休日も遠出を避ける旨のメールがきて、有給の申請の際目を瞑るからと言われた。
そして、また公演延期が伸びた。再開する。様々な対策を取る予定だと書かれたHPを見たその半日後には延期のニュースがあがる。
やるの?と何度も聞かれた。やるなら行きたいそう思っていた執念にも近い想いだけでずっと動いた。
初日は絶対観る!初日明けの平日も観たい!新人公演もある!中日前までには何回観ておきたい!
予定していた観劇がどんどんずれて、それでも初日は観たいと自分の予定もぐちゃぐちゃだった。
この頃、世間は賛否両論で他にもその日のうちに再開と中止が二転したり、公演当日の○時間前に中止が発表されたり、様々な舞台がいろんな対応をしていた。
それを見ながら、普段から舞台を観ない人もたくさんの意見が飛び交っていて、保守的な私は間違った対応をしないで欲しいと、これ以上叩かれたくない、そればかり考えていた。
その公演は今、幕が開かないまま延期となっている。
次もしも初日の日がまた決まったとして、確実に行きたいか、あの執念はもうないかもしれない。
エンターテイメントを好きになった上で、それ以外のことでエンターテイメントを嫌いなることが1番怖かった。
他人の感想で、隣の席の人の態度で、劇場であったこんなことで、チケットのトラブルで、そういうことを極力避けてエンターテイメントをまっすぐ観れるようにしてきた。
でもこの事態ではそうも行かず、様々なことをみた。
いろんな事をした。そして、疲れてしまった。
一つの記事でこんなブログを2000字も書くほどには疲れてしまっている。
ある役者の方の記事を読んだ際、稽古に集中する事でどこか現実的に捉えていなかった、とあった。
わたしも舞台を観にいくに付随することに必死で現実的に捉えていなかった。でも、結果として舞台は行われなくてよかった、と思う。
全ては結果論であり、今は劇場で確認できるほどの集団感染が起きなくてよかったと思う。
それしかない。様々な対策を取って幕を開けようとしてくれた劇場は素晴らしいと思うが、出なかったことは不幸中の幸いであり、行わなかった英断が最も素晴らしいと思う。
あの時、正解の対応はわからない。未曾有の事態に対し、逆算の推論で褒めちぎらなくともエンターテイメントは素晴らしい。そう思っている。
緊急事態宣言の拡大を受け、とうとう弊店も昨日から短縮営業となった。それはいい。
短縮営業となった初日、閉店時間を一時間ほど過ぎた頃にそのお客様はやって来た。閉店作業を一通り終え、従業員みんなでいざ退勤しようと戸締まりの確認をしているところだった。自動ドアをダンダンと叩く音がした。中年の女性が、「無視すんな」と怒号を上げていた。自動ドアに貼られた短縮営業を詫びる旨のPOPはおそらく目に入っていないようだった。仕方なく自動ドアを開け、どうしたんですかと聞いた。女性は私の至近距離に寄り、スマホを開いた。某学校掲示板の登録メールが届かない、設定がおかしい、とまくしたてた。女性はマスクをしていなかった。は?と思った。
私はできる限りの申し訳なさそうな表情を作り、すみません、と言った。今日から短縮営業で、16時で受付終了なんです。申し訳ありませんが、明日また時間内にご来店頂けませんか。おそらくメールの受信設定を変更すればご登録は可能かと思います。これで引き下がってくれないかと内心期待したが、女性は納得しなかった。苛ついた表情で、短縮営業はそっちの都合だろ、と言った。そうですね、すみません、と答えた。このお客様には不要不急の外出を控えるという概念が存在しないようだった。その掲示板に登録するのは火急の用件なんですか、と口から飛び出しそうになるのを堪えた。仕方ないのでそのまま操作補助を行おうとすると、立ったまま案内するのかとお客様が言うので(閉店時間を大幅に過ぎ、自動ドアを叩いてこじ開けてさえいなければ、至極ごもっともなご指摘である)、除菌作業を終えたばかりの店内へ誘導した。鞄を持ったまま立ち尽くす同僚に詫び、そのまま20分ほどカウンターにて顔を突き合わせ、操作補助を行った。戸締まりの確認をして帰るだけだったので、既に全員退勤は切っていた。マジで単なるボランティアである。文句を垂れる同僚と再度除菌作業を行い、結局店を出たのは18時頃となった。
弊店の隣にあるコンビニですらビニール越しでのレジ対応を行っているが、弊店を含め、多くの携帯ショップは未だにお客様とゼロ距離の接客を強いられている。
次亜塩素酸の除菌スプレーとマスクでどうにかしろ、というのが弊キャリアの方針である。おかげでマスクには不便していないが、お客様と距離を取れないというのはあまりにも心許ない。ソファー席で受付表の回収を行う際、マスクをしていないご高齢のお客様の咳を頭から浴びたときには背筋が凍った。
ライブハウスや劇場が閉鎖され、連日公演の中止や延期のニュースには枚挙の暇がない。
劇場よりも明らかに密度が高く、充分な換気機能もなく、長時間対面接客を強いられる携帯ショップはなぜ閉鎖されないのだろう。
機種変更や操作案内は火急の用件なんだろうかとここ数日ずっと考えている。コロナの影響で休みが確保出来たのか、毎日それなりに機種変更の案件を受けるし、高齢者の操作案内のみに絞れば先月よりも明らかに件数が増えている。みんな暇かよ。高齢者がコロナになるとヤバイって、あんなに連日報道されてたのに志村けんさんが亡くなったのに何も学んでないのかよ。
弊キャリアの店舗スタッフから感染者が出たと報道されたのは既に半月以上も前のことで、その後も地味に全国の店舗からじわじわと感染者が増加している。
この時期にわざわざ携帯ショップに修理か支払以外でやって来るお客様は、全員コロナに罹りたい願望でもあるのかもしれないと思う。
支払もキャリアが5/31までの延長を認めている。支払期間延長申請の電話番号が知りたいとなぜかわざわざショップにご来店されるお客様が増えている。手に持っているスマホは一体何の為に契約しているのか聞きたい。「弊キャリア名 支払 延長」と思いつく単語を検索エンジンに入力するだけで検索結果の一番上に出てくるし、そもそも店にわざわざ来るならついでに払っていけばいいのに、みんな支払はせずに帰っていく。
ショップは短縮営業となるが、代理店評価の下方修正はなされる気配がないし、既にイオン系列に入店している店舗は営業停止を命じられ、今月末までのノルマに対し、挽回が見込めない。キャリアは代理店に共倒れしようと言っている。短縮営業のために純利益が見込めないキャリアと、キャリアからの代理店評価のノルマが高すぎて報償が見込めない代理店と、一緒にコロナで死のうと、そう言っている。
既に弊キャリアの営業はテレワークとなっていて、毎日画面越しに進捗確認を行ってくる。私たちは鉄砲玉なのだ。彼らが安全な自宅からのんきに進捗確認をしてくる間も、ゼロ距離でお客様と対面し感染リスクを負い、意味のあるかどうかもわからない次亜塩素酸のスプレーに安寧を求め、提示された高すぎるノルマに首を締められている。このままだと生物的にも破綻するし、経営的にも破綻する。もうすぐ死ぬ同業の皆さん。どうかお元気で。ばいばい。