第一声がそんなことはないだった。
3月上旬、いや中旬までの誰がどこでどんなルートで執念深く終えた時期ならばともかく今このような状況でできているとも思えない。
タクシー運転手が屋形船で……そんな道筋を執念深く追っている状況ではなくなったからだ。
正直なところ劇場から感染者が出ていないと私は思えない。出ているかもしれない。出ていてもおかしくない。もはや誰にもわからないのではないかと思う。
検査キットが足りない、保健所に電話がつながらない、そんなニュースを見る中で劇場での感染者は報告されていません。これは断言していい事なのだろうか。
毎日流れてくる情報には今や人数しかない。今日は何人。50人で多いと思っていた日から、もう3桁が当たり前になってしまった。男女比も年齢層も感染ルートも明記されていない。クラスターと呼ばれる集団的な感染があると、特集の様に報道される。このクラスターが劇場で発生したというニュースは確かに見ていない。ただ、それだけだ。
正直なところ、この後に及んで感染した人の行動経路の中に劇場が含まれてた人が0なはずがないと思ってしまう。が、そこで感染したとしても劇場だと断言する術はない。
ニュースでは専門家っぽい人が結果から逆算した推論を話す。あの時こうしていれば、この対策をしたおかげで、これは結果論だ。そしてあの記事も結果論のまとめだと思う。
その上でわたしは3月は全公演中止でもよかったのではないかと結果論を綴りたい。
劇場側は対策をした、しかし1番の安全策は公演を行わない事、である。
密を避ける。ソーシャルディスタンス。そんなことを守るにはそもそも劇場を開けなければいいと思ってしまう。
舞台が好きだ。エンターテイメントが好きだ。だからこそ、保守的に走ってもよかったと思ってしまう。
楽しみにしていた舞台があった。チケット代は既に支払っており、遠征に備え宿だけは抑えていた。足は詳しい予定が決まってから、まだ用意はしていなかった。そしてその舞台は幕が開かなかった。
まず最初。初日とされていた日が延期になった。初日のチケットは抑えていて、シフトも有給を取っていた。突然何もない休みとなってしまい友達とご飯を食べに行って残念だと話し込んだ。そして次の初日になりそうな日のチケットを慌てて探し、宿も取り直した。職場で新たな初日となった日に有給を申請した。この時、職場では全員マスクをしていて、遠征中気をつけてと何度も言われた。
そして、また公演延期が伸びた。慌てて有給を次の初日になる日に伸ばした。別のもう一つ行きたかった舞台と被りそうで、どっちに行こうなんて思いながら変更を申請した。
そして、また公演延期が伸びた。友達からは初日どうするという連絡で毎日明け暮れた。宿はキャンセルが相次いでいるからギリギリでも取れると思い、取り直さなかった。
そして、また公演延期が伸びた。再開の目処が3日後とか。本当に小刻みに初日となる日がズレていった。チケットを探すのも、シフトの申請を出すのにも疲れていていた。職場には休日も遠出を避ける旨のメールがきて、有給の申請の際目を瞑るからと言われた。
そして、また公演延期が伸びた。再開する。様々な対策を取る予定だと書かれたHPを見たその半日後には延期のニュースがあがる。
やるの?と何度も聞かれた。やるなら行きたいそう思っていた執念にも近い想いだけでずっと動いた。
初日は絶対観る!初日明けの平日も観たい!新人公演もある!中日前までには何回観ておきたい!
予定していた観劇がどんどんずれて、それでも初日は観たいと自分の予定もぐちゃぐちゃだった。
この頃、世間は賛否両論で他にもその日のうちに再開と中止が二転したり、公演当日の○時間前に中止が発表されたり、様々な舞台がいろんな対応をしていた。
それを見ながら、普段から舞台を観ない人もたくさんの意見が飛び交っていて、保守的な私は間違った対応をしないで欲しいと、これ以上叩かれたくない、そればかり考えていた。
その公演は今、幕が開かないまま延期となっている。
次もしも初日の日がまた決まったとして、確実に行きたいか、あの執念はもうないかもしれない。
エンターテイメントを好きになった上で、それ以外のことでエンターテイメントを嫌いなることが1番怖かった。
他人の感想で、隣の席の人の態度で、劇場であったこんなことで、チケットのトラブルで、そういうことを極力避けてエンターテイメントをまっすぐ観れるようにしてきた。
でもこの事態ではそうも行かず、様々なことをみた。
いろんな事をした。そして、疲れてしまった。
一つの記事でこんなブログを2000字も書くほどには疲れてしまっている。
ある役者の方の記事を読んだ際、稽古に集中する事でどこか現実的に捉えていなかった、とあった。
わたしも舞台を観にいくに付随することに必死で現実的に捉えていなかった。でも、結果として舞台は行われなくてよかった、と思う。
全ては結果論であり、今は劇場で確認できるほどの集団感染が起きなくてよかったと思う。
それしかない。様々な対策を取って幕を開けようとしてくれた劇場は素晴らしいと思うが、出なかったことは不幸中の幸いであり、行わなかった英断が最も素晴らしいと思う。
あの時、正解の対応はわからない。未曾有の事態に対し、逆算の推論で褒めちぎらなくともエンターテイメントは素晴らしい。そう思っている。