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はてなキーワード: 伝統とは

2016-01-27

http://anond.hatelabo.jp/20160126213527

増田ブログに頓珍漢なブクマしてきた奴は手当たり次第にNGしとけ。

200ブクマもされてれればIQ90あるやつがちゃんと内容読んでれば絶対しないような発言するような馬鹿が毎回1垢ぐらいいるもんだから

ただし内容読まずにタイトルだけでコメントしたんだろうなってブクマはてな伝統みたいなもんだからNGしない方がいいと思う。

するべきなのは一応読んでるらしいけど明らかに読解してる内容がおかしいってパターンの時。

そういう大脳が壊れた糖質発言は見ているとこっちまで少しずつ壊れかねないから早めに潰しておけ。

2016-01-26

名付けのリテラシー

名付けについて、もう何度目かっていう議論が巻き起こっている。

昔は通名でも諱でも、ある程度ルールがあった。

いわゆる諱だったら大抵二文字で、家ごとに通字がある。源氏のある種の家系松浦党は諱一文字で特例だ。通字は一種類のこともあれば、たまに二種類のこともある。三条家とかは二種類通字がある。諱が二文字になる以前の古代の話は省略するぞ。すまんな佐伯今毛人。

通名もある程度ルールが決まっている。江戸時代百官名東百官など。東百官って実はルールの逸脱なんだけど、それがルール化してしまっている。

要するに昔は名前の付き方にかなり厳格なルールがあったということ。

江戸時代農民はどうやって名前を付けていたんだろう。

言い方は悪いが、キラキラネームを付ける人は教養がない人が多い(書いてて思うが、こんなこと増田じゃねーと書けないな)。

江戸時代農民はまぁ教養はそんなにないだろう。キラキラネーム付けちゃうことはなかったのだろうか。

個人的には農民であってもある程度名前ルールがあったように思う。すなわちキラキラネームは付かない。なぜか。

彼らはほとんど名前について考える知識も素養も機会もなかったから、そこらにある名前をあまり考えずに適宜つけていたか教養のあるお坊さんなんかに頼んだのではなかろうか。

これならば著しいルールからの逸脱は起こらないだろう。

明治時代になっても、何らかのルールはあったはずだ。次第に通名と諱の区別が無くなる。私の曽祖父祖父明治期茂三郎と名乗っており子孫も茂三郎じいさんと呼んでいたようだが、天保期の文書には茂三郎直俊とある明治時代に諱を使用しなくなった世代なのだろう。あるいはこの世代の中には諱の方を名乗りに採用した人もあるだろう。とにかく、何となくルールは存続する。「~子」という、伝統的に見えてその歴史結構浅い女子への名付けも、元は公家社会女子名にルーツがある。要するにルールがある。

さていよいよ戦後だ。戦後民主化。これが実はキラキラネームの直接的な引き金になっている。またその基礎部分には西洋文化の流入がある。この流入は明治維新前後から連続しているが、本格的に高度経済成長を迎えるところに画期があるように思う。服装和服が消えるころ。このころに、名付けというか、名付け方への変化が起こる。

要するに民主化なのだ。個人個人が投票権を持つようになったのと同様に、個人個人が考えて名前を付けるようになったのだ。だからキラキラネームが続出する。とくにルール意識されていた世代が亡くなったのち。江戸時代農民と今のキラキラネームを付ける層(雑駁な分類だとはわかっているがあえてこうするぞ)。両者の違いは何か? それは「自分で考え行動する度合い」だ。選挙が本当にわかやすい。江戸時代人間為政者を決めることはできないし決める必要もない。個人に人権が与えられ個人の権利がなんと国の根本法典にまで認められた現代では、個々人が自由に選択し思考することを全く妨げない。ここに両者の違いがある。知識のない人が自由に考えた結果どうなるか? 光宙が生まれるのだ。

これは必ずしも悪いものではない。知識や故実に詳しい人、少しでも馴染んでいる人はキラキラネームに顔をしかめることもあるだろう。しかルールなき名付けこそが民主化成熟とも言いうるのだ。だがここに民主化問題点も浮き彫りになる。教養がなくてもやっていけるのだ。教養批判なんてそこらへんで見かける。確かに教養ってのは鼻につく存在で、自分がそれを知らないとバカにされたような気になって教養批判に走りがちだ。しかし、なんと、これが現代では許される。何故か。自由憲法保障されているから。江戸時代じゃ無理。武家社会でやってけない。今なら別に教養無くてもいい。あってもいいけど。ということで名づけのルール消失現代社会を占う一つの要素だ。私としてはこういう自分で考えなければならない時代からこそ個人で努力し、考える力をこそもっとも重視して培わなければと思う。

2016-01-25

求人票がどこも嘘だらけなんですがこの国はどうなってるんでしょうか?

国が運営してるはずのハローワーク求人票嘘ばっかりですね信用できません。

マイナビやググれば引っかかる各種転職サイト、ここも嘘ばかりですね顧客に頭上がりません。

転職エージェントが勧めてくる会社、いいことばかり言って来ますが調べると聞いてないブラック要素が見えてきますね。

何なんでしょうかこの国の就職活動はどうなっているんでしょうか嘘ばかりじゃないですか。

なんでわざわざ嘘を並べるんでしょう。

入る前から騙し合いなんてしていたらお互いに良好な契約信頼関係主従関係なんて結べないじゃないですか

何を考えているんでしょうかこの国は。

びっくりしました。

しか求人活動する側だけでなく就職活動をする側も嘘をつかないといけないらしいのです。

私は嘘なんてつきたくありません。

でも嘘をつかないとどうやらこの国の面接官は内定を出さないらしいのです。

なんでも本音と建前の使い分けができるかを見ているとか営業活動の基本として最低限の嘘がつけるかとかそういういまいち納得出来ない理由を本気で大事にしているようなのです。

そしてお互いに嘘を付いているのだから求人票の嘘ぐらい大目に見てくださいねと。

こんな歪んだシステムを続けていたら国が弱まるばかりです。

それをおかしいと声を荒げるべきであろう立場人達本屋で黙々と「できる!就活うまい嘘をついて内定100社!」みたいな本を読んでいます(本の名前意図的ちょっとありえないタイトルにしていますかぶると面倒なので)。

大丈夫なんでしょうかこの国は。

企業社員ミスマッチを今後何十年も放ったらかしにしていたら国力が落ちて後進国になってしまいかねない事に気づいているのでしょうか。

日本は決して天性の大国ではありません。

たまたま少し調子のいい時期が続いた島国の一つです。

油断すればすぐにでも世界から置き去りにされた貧しい孤島になってしまうという自覚はあるのでしょうか。

こんな人口一億ちょっとの国の「伝統」なんてものに拘って衰退していくのを見守る余裕なんてあるのでしょうか。

私は日本という国の行末が不安でなりません。

ワタシ、ボコク、ゼンゼンチガウ、ニホンオワッテル。

2016-01-23

東京人が思ってる伝統とか常識って、定着して100年も経ってないようなローカルの習慣ばかりなんだけど、

それを「日本の伝統常識」に摩り替えて、日本人なら同じように振る舞うのが当然、みたいな感じでいたりする。

それで京都みたいな本物の伝統を持ってるところに行って、

「あー、君たちは常識的でない振る舞いをしているね、ちゃんと伝統に則らないとダメだよ」なんて偉そうに言うわけ。

東京人京都人への土産とらや羊羹を渡すという笑い話があるけど、それに近しい滑稽さを感じるよね。

2016-01-21

http://anond.hatelabo.jp/20160121160933

ポインタ再帰がすんなり理解できたなら、プログラミング素養があるよ

http://local.joelonsoftware.com/wiki/Java%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%8D%B1%E9%99%BA

伝統的に大学コンピュータサイエンスカリキュラムで教えられているもので、多くの人がうまく理解できないものが2つあった: ポインタ再帰だ。



C/C++使っててポインタ使わないってどういうことだよって思うけど

ダイナミックにメモリ確保できない/する必要無い環境だと、必要領域グローバルな配列宣言しておいて、プログラム全体で使い回してたりするんだってさ。

そんな環境だと、ポインタからないCプログラマもいるんだと。

2016-01-19

剛力彩芽日常においてどの程度ランチパックを食べているのか

私は剛力彩芽の大ファンだ。彼女はいろいろ批判がある。ネット何かを見ているとごり押しだとか不細工だとか範馬バキだとか言われる。

半ば暗澹たる気分になることもあるが、そんな批判は抜きにして、彼女のことを応援している。

そんな私が、彼女を応援しているがゆえに気になっているのが、彼女日常的にどの程度ランチパックを食べているのか? という問題だ。

山崎製パン提供するランチパックは長い歴史を有するパンで、初代のピーナッツ1984年販売されている。

基本の六種類に加え、訳のわからない抽象的で特殊な味を提供することでも認知されている。

ランチパックCM剛力彩芽の魅力を56000%くらい最大限に発揮した素晴らしいCMだ。

ランチパックの手軽さ、ポップさと彼女イメージが最大限にマッチし、火星圏を含めたCM歴史の中で、個人的には最大の素晴らしいCMと言えよう。

ランチパック剛力彩芽は、譬えるならば、シュワルツネガーとコマンドーとの相性だ。

ランチパック剛力彩芽。もう密接不可分の親和性

さて私は如上のように考えるから剛力彩芽が普段どの程度ランチパックに親しんでいるか? という問題は切実だ。

別に食べていなくてもいいのだが、この剛力彩芽ランチパックとの関係性・程度を知ることで、私のランチパック剛力彩芽との関係性への認識を深めることはまったく相違ない問題である

そこで私はそれを知るために未来へのタイムワープを繰り返した。

技術的に時を先にずらす手法確立していた。

問題過去に戻る手段だ。

かつてのSFではないが、未来へ行く可能性と過去へ行く可能性がもし五分五分だったなら、私はどんなに良かっただろう。賭ければいいだけのことだったのに。

しか現実はそうはいかない。

未来へは簡単に行けるが、過去へは…。言葉の通り不可逆。

うそう。なぜ未来に行くかと言うと、剛力彩芽ランチパックをどの程度食べるか? という問いを解決するためだ。

未来においては、空間の成分や空気振動ネットテレビなど電子製品電子から検出する技術確立されていよう。

剛力彩芽の自宅や楽屋、近くのコンビニに、電子的に接続されたネット環境やあるいはカメラなどがない、全く無い、と言う可能性は低い。

未来デバイスをもってすれば、剛力彩芽挙動を様々なデバイスから検出することが出来るだろう。そこからランチパック彼女との親和性を追究する、というわけだ。

それを求めて私は未来へと旅して、半ば当然のごとく2070年代標準的ネット探知デバイス新聞カメラ情報を析出できる装置)を手に入れることが出来たわけである

さてランチパックをめぐる旅は折り返し地点だ。

私は過去に行く方法を求めて、逆説的と思うがさらに時を進めた。

西暦でいうと225845年、私はいよいよ、解りやすく言うと不老不死の境地になり、継続して思索することになった。

やがて西暦でいう145290352年に、ほとんどありとあらゆる思索を繰り返した結果、過去に戻ることは不可能という認知に達した。

これは私に対して悲観的な感情をもたらしたかと言うと、全くそうではない。絡め手を考えていた。

ちょっとした挫折のあと、過去のあらゆるシチュエーションをシミュレイトする装置23年かけて(取るに足らない年月だ)発明した。

これは円周率の応用だ。円周率無限につながるので同じ数列が必ず無限回登場する。例えば1087という数字の並び。無限回。

これと同じことを剛力彩芽ランチパックをどの程度? に置き換えるわけだ。


答えはわかった。簡単なことだった。私はついに、過去には戻らずとも過去完璧様態再現することを可能にした。

再現された剛力彩芽ランチパック、と周囲の環境完璧再現だ。

いわば過去に戻れたのだ。そこで剛力彩芽・・・ランチパック・・・

しかしこの結果ででた強力菖蒲ランチパック関係は、はたして西暦2010年代剛力彩芽ランチパックとの関係と全くイコールなのだろうか。

シミュレーション再現されたシチュエーション科学的には完璧だ。完璧剛力彩芽ランチパックをああしていた。なるほどね~、という感じ。

しかしこれは・・・西暦でいう145290300年代再現したこれは・・・同じなのか?

シチュエーション完璧に同じにして完璧再現した。実験ではこれが望ましい。何度も試した。何度も同じ結果。正しい。正しい。科学的だ。再現性の問題

しか実験1と追試は同じなのか? 円周率で初めに現れた1087と次に現れた1087は同じなのか?

からない・・・からない・・・

私は今でも、この時代にあっても、超企業山崎製パンランチパックコンビニで食べる。伝統の味だ。

そして終わらぬ思索を続ける。

http://anond.hatelabo.jp/20160119132519

一応その都市の中では都心部(と言っても今やシャッター商店街だが)のすぐ傍で

待機申し込んでたのも大分伝統ある保育園のようだけど

大都市でも人(特に若者)があまり住んでないような所なら入れるかもね

古い郊外住宅地で今や空家ぽつぽつ居てもジジババばかり、とかね

でも若者が住まないには住まないだけの理由があるわけで

2016-01-18

35年勉めて幹部もやった会社を辞めることになったので、愚痴る。

結局何が悪かったのかわかるようでわからんようで、まだ正直気持ちの整理もできていないが、落ち着かせる意味増田に書かせてもらう。

今度、35年つとめた会社退職することになった。いや、正確には一応は役員になっているから、解任か。

解任理由は簡単、

会社人生はいろいろやった。自分なりに会社に貢献してきたつもりだったし、事実、苦しいときには俺がやった事業会社の新しい展開をやれたとは思う。

ただ、その事実のものを、専務の奴は気にくわなかったんだと思う。

もういい加減、愛想が尽きた。今は、あん会社は徐々に腐っていけばいいと思う。

入社したころ

入社したときは、企画職でも営業でもなく事務職だった。ただ、ちょうどその頃会社はその頃の看板商品が大ヒットしていて、人手が足りなくなってた。

そこで、他の部署に応援に回される事になって、いろいろな部署の応援をやった。

人海戦術DM発送、苦情受け付けに倉庫整理、制服の繕い物、展示会の売り子から営業の補助まで、何でもやったよ。その中で、最終的にある製品企画プロジェクトに回された事が転機になった。

そのプロジェクト全然注目されて無くて、一応商品化は済ませていたものの、社長専務の覚えも悪く全然売れてなかった。

ただ会社の景気だけは良かったからお取りつぶしにされる事無く済んでいた。

こんな、他にもいくつかあったプロジェクトの一つだった。一応は責任者という立場だったが部下はいなかった。

プロジェクトに関わってから

会社はどこまで行っても同族企業で、その上社長や専務が強力なコネクションを持って仕事を取ってくるような所があった。

から社長専務の覚えがめでたけりゃ予算をもらえてそれだけである程度売れる。

ただ、そういう所はひたすら専務の言うことを聞いてなきゃだめ、言いなりになってないと駄目と言う感じだった。

一方で、そうではないところは完全に日陰。だから俺がやる事になった所は、商売としてはさっぱりだったが、その代わり注目もされないので専務に横やりを入れられることもなく、自由にやる事ができた。とにかく当時は看板商品が売れに売れてお取りつぶしにするような手間すら惜しかったのだろ。

どうせつぶれるのだろうし、いろいろな場所でいろいろな手伝いをして歩いてずっと考えてたビジネスプランを実行してみることにした。

それが、当たった。ビジネスプランには自信が無いわけじゃないが、時代に当たった運もある。

もちろん、始めはいろいろと難しかったけど、取り組み初めて数年で軌道に乗り始めた。

プロジェクト成功と、時代の流れと、看板商品廃止

ちょうど時代は、昭和という時代が終わり数年たったころ。

バブルの残り香が消え始め、酔いが覚めるように人々はだんだんともうバブルは終わったんだと言う空気感になり始めた頃。そんな時代が切り替わるタイミングというのはいろいろと古い商売と新しい商売が入れ替わっていく。

そんなタイミングにあっても、出た芽は小さくて、昔から商売をしている人にすれば、たまに生まれてすぐに消えるようなものに見えていたと思う。だからそう言う新しいことをやろうとしている人は、今の商売でうまくいっている人々に相手にされていなかった。

そこに俺は、今の商売でうまくっている所の看板を使って乗り込むことで、一気に市場存在感を出すことができた。今流で言うと社内ベンチャーということになるのだろうか。最初は小さかった商売だんだんとうまく行き始めた。

ただ、うまくいきすぎた。いや、違うか、本当に時代が変わっていた。これは悪い事に、これは看板商品の方がだんだん時代に通用しなくなってきたことも意味してた。前の看板商品だんだんと売れ行きが鈍っていく。一方で俺の商品は売れていく。

そうして、あるとき有力な取引先が3つも相次いで路線変更をし、うちの商品のそれまでの看板製品の扱いを大幅に絞った。その代わり採用されたのが俺がやってた路線商品

うれしいと思うよりも、もう必死だったよ。気楽にやってたのにいつの間にか主流の落ちた売上を俺が支えなきゃならない立場になってしまった。必死必死会社を守るために働いた。幸いにして努力は報われてどんどん売上は伸びたが、主流派商品はどんどん駄目になっていった。

そして…主流派商品がついに販売できなくなった。

よく覚えている、阪神淡路大震災があり、オウム真理教事件があった頃だ。

専務が関わっていた主流派の方は、既存設備が無理がたたって主力品が販売できなくなった。

一方で、同系統代替品を用意はしていたが、売れない。それはそうだ。時代の変化について行けなくなったから。前と全く同じ商品だったから売れていただけで、時代に合わない違う新製品を出しても売れなくなっていた。

会社は支える事ができた、ただ、それが…

一方で俺の方の商品は順調に売れていた。そこで、俺はよかれと思って、俺の方の商品に、主流派商品をセット販売を少しずつ始めていた。どうも専務たちはそれを本当はやりたくないような雰囲気が合ったが、当時は完全に俺の商品以外は赤字になっていたからだ。

また、この新しい商品ノウハウは社内にも公開した。当然だ、秘密にする理由がない。

これで、だんだんと社内の方にも広まり始めた。

これによって主流の方のラインだんだんと復帰し始めた。

ただ、ここまで来ても俺がやっていた方のラインは、メインのラインと完全に交わることはなかった。ただ、スタッフ交流は行われていたし、現場レベルでは別に完全に分離されているわけじゃなかった。

社長専務が主流の方に力を入れていて、こちらに何も言ってこないのは以前からだったし、何よりもそう言う体制があったからこそ、時代の流れの変化に会社として対応ができたから、それはそれで好ましいと思って、特に気にしなかったんだ。

ただ、今思うと、だんだんとひずみが蓄積していったのだと思う。

新しい時代の変化と、決定的な出来事

いくつか時代象徴する出来事というのがあるが、オウム真理教事件が以前の時代の節目を象徴したものなら、俺にとってのその次は、リーマンショックだったと思う。

この頃から市場環境が再び大きく変化し始めた。商売環境が再び変化し、90年代確立しつつあったやり方が再び通用しなくなった。顧客予算配分が大幅に変わり、そもそも市場が縮小し始めた。これにより売上が頭打ちになり始めた。当然手は打っている。手を打ったから大幅な売上減少にまでは至らなかったが、このままではじり貧なのは間違いが無い。

そして時代が回るうちに、うちの会社で主流派社長専務がやってきていた古いスタイルが再び受けるようになってきた。主流派は、こちらが作り上げ、提供したやり方と、80年代からやっている古いやり方両方を知っているため、堅調に伸び続けた。

当然、我々も後を追おうと考えた。

しかし、ここで、2つの決定的な出来事が起きた。

  1. こちらから流派側に協力を求めたが、拒否された。
  2. 再び来た時代の節目に、打とうと考えた新たな手を禁止してきた。

この二つのうち、どちらかを認めてくれるのならば、まだ耐えられた。ただ、両方とも封じられてしまったら、もう手も足も出ずに、座して沈んでいくのを待つしか無い。

しかし、もう問題は俺だけの問題でも、俺の部下だけの問題でもなく、供給責任として商品を届ける取引先や、それに連なる経済生態系に対して責任が及ぶようになってしまった。

そこで俺は、ここへ来て明確な指示への違反をした。いろいろと問題にならないように配慮をしつつ、せめて影響が小さくなるように、できる限りの手配をし、できる限りの手を打った。

専務からは何度も話は合った。そのたびにできる限り社の方針に従いながらも、しか責任は果たすように新しい方向に舵を切っていった。

とどめとなった「うわさ」

専務からの締付は強くなってきてはいたが、専務はそもそも会社愛が非常に強い人間でもある。ある程度の自制は効いていたのか、俺や幹部には強く当たるが、実際に決まった業務に影響が出るようなことはなかった。関係性は冷え込んで、それは取引先にまでしれるような状況になっていたが。

均衡状態が一気に動いたのは、ある噂だった。

それは俺が、独立するというものだった。

タイミングとしては最悪だった。社長専務はもう高齢で、後継者の話がでて、専務の娘が会社に入り、次期社長に決まっていた。そこでいろいろな整理が始まっていた頃だった。

もちろん、俺にはそんな気は全くなかった。弁解もした。ただ、これが「とどめ」になった。

専務からの指示はどんどん強くなっていった。それは俺に言うだけではなく、従来は現場レベルではある程度協業できていた末端の業務にも影響が出始めた。

そして去年の1月専務に呼び出された。慌てて向かうとそこには専務の他に取引先の人間と、会社顧問弁護士がいた。専務取引先の人間に、独立する気も社長の座をねらってもいないと直接説明するように求めた。

俺は求められたように、何度も繰り返していた同じ話をした。そんなつもりは全くない、これからもやっていくつもりだと。事実として、社長専務戦後直後から作り上げた偉大なブランド力と、会社の巨大なシステムがなければ商売は続けられないし、それを辞めるメリットはどこにもなかった。冷静になれば誰にでもわかることだ。

ただ、専務はその取引先がいる席上で、そういった説明だけではなく、俺がやっている商品がいかに駄目か、いくらやっても会社の主流は専務商品であり、劣った亜流であるかを演説し始めた。顧客まで馬鹿にするような発言。はっきり言って事実じゃない。そうして言ったのだ。主流になっているラインと、俺がやっているラインが分かれて摩擦がある事そのもの存在せず、もし存在しているとしたら刃を向けているのと同じだから、辞めてもらうと。

話はあっという間に広まった。

言い分。

わかっている。いくらやっても主流になれないことは。

だが、会社問題になったときに、古いやり方に固執して市場変化に対応できず、それでも売ろうとして製品を壊してしまったの誰なのか、収益を上げて会社を支えたのは誰なのか、それぐらいは人気視していると思っていた。

専務後生大事に掲げる理想ははっきり言って利益になってない。それは我々が作り上げた売れ筋の土壌の上にしか存在できないものだ。それを認めろとは言わないが、否定するということはどういうことなのか。

主流になりたいと思ったことがないと言ったら事実ではないが、主流にしてくれと言ったことはないではないか。それでも何故、敵視してくるのか。

専務の言い分、それがすべてでたらめとは言わない。もっともな指摘はあるだろう。古い伝統理想を掲げることは大事だ。

しかし、古い理想を古いやり方が再び流行が回るように時代の流れになったからと言って、それは合っていたとは言わない。

止まっている時計は必ず一日に一度は正確な時間を示す、しかしそれは時を動かしているものいるからだ。止まっていることと動いている事は全く違う。

正直愛想が尽きた。

今、会社は手足、足かせをして新しい手法を認めていない。

この方針は続けることになるだろう。少なくとも社長専務がいる限りは。その娘がいる限りは。ただ、誰の目にもその方針でいつかは行き詰まることはわかりきっている。消えてしまうことはないだろうが、市場は大幅に縮小することになるだろう。

専務取引先がいる席上でこう言った。「辞めろ」と。本流と一緒にやろうとしたとき、それを拒否し壁を決定的にした本人が、摩擦が存在するならば、辞めろと。ならば辞めてやろうと思う。

今後について

ただ、そう決めたからと言って、いきなり出社しないとかではなく、いなくなっても問題が無くなるまで引き継ぎをするあたり、結局俺は小物なのだと思う。

あいつが勝手に辞めたか会社が駄目になったとか言われるのも癪に触る。部下が困るのも本意では無い。結局一年かかってしまった。

希望を言うならば、ただ、進行の遅い癌のようにじわじわ会社をむしばんでいって、最後どうにもならなくなった時に、あのときあいつが残っていれば違ったのだろうなと言わせたいと言う程度の希望はある。(これは呪いでもある)

金なら十分すぎるほどあるし、仕事しかしてこなかったから養わなきゃならん家族もいない。これからは気楽にやろうと思っている。

悩み事としては、俺が辞めるではなく独立して新しい会社を興そうと考えてると勘違いして、ついて行きますと言ってる部下をなだめるのに苦労している。

俺も、それなりに人望はあると思ったが、そこまでとは、正直感動した。

感動したが、部下たちもあん会社でそんなことを言ったら会社での立場が完全に駄目になることはわかりきっているのに言ってしまった。だからといって本当に会社を興してうまくいくとは思っていないので彼らを拾うこともできない。

もう噂になっていると言う所で頭が痛いが、最後奉公だと思って(会社はどうでもいいが、部下や取引先は大切だ)各方面にこの下げなれた軽い頭を下げに行ってくるつもりだ。

(この話はフィクションです。現実団体、そのほかとは関係がありません。よく似ているものがあっても、無関係です。)

2016-01-17

ニンニンジャーの親殺し

ニチアサで親殺しといえばこないだ仮面ライダードライブで剛が父親である蛮野を殺したわけだが、

しかしこれは悪人は殺さねばならぬのが大前提として、その悪人たまたま父親だっただけで、基本的勧善懲悪お話である

対してニンニンジャーがここで提示してきた親殺しは、主人公の家に受け継がれてきた伝統としての親殺しである

親のコピーである子どもが、最終的に「コピー元を殺す」ことで本物の継承者として認められるという、過酷システムである

戦隊シリーズは明るく楽しい雰囲気でやりながら、時にライダーよりも残酷世界観を示すのだから面白いものである

2016-01-16

伝統あるSIの憂鬱

なんか社員が犬みたいなやつばっかでびっくりした

上司の言うことには「その通りです!わんわん!」みたいなさ

フロア空気は暗くてひどく陰湿

マネージャーから笑いと社員追従笑いと死んだ顔でだんまりの末端協力会社

すげえな、ここまで典型的現場も新鮮だわと生ぬるく眺めてる

2016-01-15

http://anond.hatelabo.jp/20160115213353

日本国固有性独立性、自主性、安定性、伝統制度連続性、精神性、国体、などなどが「日本」。

それに反しようという人間や、自分では明確にその気がなくとも主義主張が日本を傷つけることに繋がるであろう人間反日

さらに、政権としてそういう「日本」を守れるのは自民党とそれに近い主義の政党しかないから、他を支持する人間反日と呼べる。

2016-01-14

http://anond.hatelabo.jp/20160114143846

もう言ってることめちゃくちゃだなwww

いやまあなんだ、お前の会社がアレな業界だってのは想像してはいたけどやっぱりそうなんだなあという確信を強くしたよ。

個人的には、脳内企業じゃなく現実会社にちゃんと入社するなり、あるいは今お前が就いている仕事自由と野放図と混沌に満ち溢れたものであるという妄想に逃げるのはやめて、もっと色んな現実直視することをお勧めする。

まあ可哀想だと思ってあえて言わなかったんだけど、お前が実際会社勤めしてようがどうせ創業数年〜十数年の会社だろうし、数百年〜千数百年も現存している組織とは格も歴史も違うわけだから

路傍の石やどこぞの馬の骨に等しいような出自もよくわからない新興企業で、近視眼的に金稼ぐだけの勤めしかできない奴の浅はかな考えが、千年レベル歴史ある伝統を保つ為に存在する組織において通用すると思うのは、ただの誇大妄想狂。身の程を知って口を閉じていないと恥をかくよ?



お前のリベラル甘ったれな考えを上司や同僚に話してみたら?(ニヤニヤ)

って言ってもお前は「自分リベラルで甘い会社所属してるし!」って脳内設定や嘘八百で逃げを打つだけなんだから、じゃあこう言っておくわ。



お前が自信満々で言い放ったそのいくつもの改善案を、神社本庁意見窓口に氏名住所を添えてメールしたら?(ニヤニヤ)



この時期なら全国の神社でどこでもやっている、非合理的で非効率的なやり方はすべて改善した方がいいんだろぉ?(ニヤニヤ)自分意見絶対正しくて自信があるんだろぉ?(ニヤニヤ)従わない連中は全員バカなんだろぉ?(ニヤニヤ)

メール意見するくらい簡単にできるよなぁ?正しいと思ってんだから

もしメールできないとしたら、それはお前が自信満々で言い放った自分のやり方が神社界では全く通用しないものでしたって認める事になっちゃうもんなぁ?(ニヤニヤ)



じゃ、楽しみに待ってるから

神社本庁マジキチメールが送られてきたっていう噂が届くのをさ! あっはははは!

http://anond.hatelabo.jp/20150913113601

子供人生で一番高い買い物だと思う」というタイトル面白いエントリを見つけた。

議論たたき台にするのはちょうどよい感じである

少し煽り気味に書いてあるけれども、現代子供をあえて作らない人たちの本音の一部をよく表しているのではないか。

私は、いま独身でとうぶん結婚の予定もないが、仮にいま結婚していて子供物理的に持ちうる境遇にいたとしても、子供を持とうとするかどうか。

コスパ」という言葉が、まるで、これから買う自動車燃費比較しているかのようで軽薄だから、という理由でこういう言説は叩かれがちなのだろう。

ただ、昔から結婚や子作りが経済的問題と無縁だったことはないわけで。

というより昔は今以上に経済的理由結婚したのではないか?

実証研究学者に任せるとして、直感的にいえば、昔、人々が結婚したり子供を作ったりしたのは、愛とかなんとか以前に、「世間ではそういうしきたりになっているから」という理由が一番だったのではないか。そして、なぜそういうことになっていたかといえば、結婚子育てが、社会保障重要な要素であったからだろう。

「親は子供育てる。子供は老いた親の面倒を見る」という暗黙の契約である

ところが、政府社会保障制度が充実したおかげで、この暗黙の契約はすっかり風化した。そしてその結果、結婚子育ては「世間のしきたり」ではなくなった。

ある意味、昔の人たちも結婚子育てを「コスパ」で決めていたのではないか?ただ、昔はその計算が「伝統」に組み込まれていて、ことさらに人々の意識に上らなかっただけのことである

から伝統が崩れ去ってなんでもありの現代で、人々が「コスパ」で結婚子育てを決めたとしても、昔の人を棚にあげて今の人たちだけを非難するのは、気の毒といえば気の毒である

はいえ、子供をあえて作らない人たちは、たいてい、あえて「コスパ」なんて口にはしない。たとえ本音はそこにあるとしても、である

私も、増田からこういうことを言っているのであって、リアルの場では口にはしない。やはり、ある種の罪悪感を感じるからである

結局、次世代物理的に形成できるのは、理由はなんであれ、子供を作ろうと決意した人たちのおかげだからだ。私は、その過程に直接参加はしていないが、「世の中に若い世代が途絶えない」という便益は享受している。

自分は、ある種のフリーライダーではないのか。そう思ってやや心苦しいときもある。ただ、それだけでは自分の子供を作ろうという気持ちまでには至らない。やはり、子供を育てるのは膨大な時間費用を要する、とてもリスクの高い行為からだ。いまの私には正直そのリスクは引き受けられない。

から、私は、子供を作ろうという人たちにとても感謝している。少しばかりの引け目を感じながら。

2016-01-11

腹いっぱい食って痩せる方法

http://anond.hatelabo.jp/20160111054109

デブがよく勘違いするんだがメシだけでは基本的に太らん。

ヤバいのは

精製された砂糖果糖ぶどう糖液糖など)が入っているお菓子ジュース

スナック菓子スーパー惣菜冷凍食品など極端に油の多い食品

この2種類だ。

体脂肪30%超えるような極端なデブは、必ず2種類の内どちらか、或いは両方を好んで食ってる。


とりあえず、油をカットして菓子類を食わずジュースを飲むな。これだけ守れば必ず痩せる

流行りの糖質制限は、知識と自制心の無いデブがやった所で継続しない。

特に女の糖質制限はカタボリックを起こしやすリバウンドが激しい。

トレーニングしながら糖質制限出来るならやればいいが、怠惰デブに出来るとも思えない。

PCFバランスと言われても、何の事かわからんだろう?


なので、日常生活から菓子ジュース、油を抜け。

揚げ物、ドレッシングマヨネーズ禁止

ジューススナック菓子チョコレート、飴、洋菓子和菓子など全部禁止

牛乳は無脂肪乳、チーズカッテージチーズ

米は良いが、麺類小麦粉系の食い物は控えろ。

腹が空いたら焼き芋でも食ってろ。バター無し、砂糖無しでな。無脂肪ヨーグルトでもいいぞ。当たり前だが砂糖シロップジャム等甘いものを加えるのは却下だ。


お菓子ジュース、油を抜いて天然に近い物だけ食っていれば、太るほど喰う事は困難を極める。

デブ加工食品ばかり食ってるからデブになる。自炊しろ外食惣菜に頼るな。

どうしてもジュース菓子類が食いたくなったら食った後に1時間散歩しろ

最低5キロ移動な。途中休憩は時間に含めない。1時間以上かかっても、絶対に5キロ以上歩け。

一般人なら1時間で5キロ普通に歩ける。デブでも全く問題なく出来る。今できなくても2週間も継続すれば出来るようになる。

菓子食って5キロ歩くか、全く食わず普通に生活するか、好きな方を選べ。


158cm90キロなら上記を3ヶ月実践すれば必ず痩せる。痩せなきゃサボリだ。

ダイエット努力に対して嘘をつかない。食べてないのに太るというデブ、お前がウソついてるだけだからな。


基本的ダイエットは食事9割運動1割だ。ご飯1膳のカロリー運動で消費するのに30分はかかる。メシを食うのは早けりゃ2~3分だろ。

要するに、メシを管理出来れば運動よりも10倍以上効率よく痩せられる。

逆に言えば、デブ運動不足ではなく過食でデブになっているんだよ。


3ヶ月実践後はトレーニング必要から、近所のジムにでも連絡しろ

筋肉つければ、男も女も理想の体型になれるぞ。顔が不細工なのは仕方ないが、体型が不細工なのは管理不足だからな。

自力で何とか出来る所を放置するなら、今後一切生まれ環境文句言うなよ。お前がサボリなだけだからな。


以上だ。実践するもしないもお前の自由だよ。


ジュースも当然禁止なんだが、書いてない所がありました。追加しときます





極端な制限しろなんて言ってないんだがな。ストレスが貯まったら好きなだけ食っていいぞ(禁止物除く)

油をカットしろと言っても、増田位の知識で完全なカットなんて不可能だしな。基本的にどんな食品にでも油は入っている。

デブ運動NGとのブコメ、歩けないほどのマジキチデブなら病院行って胃を削れって話にしかならんぞ。90キロでもウォーキングは出来る。

まぁ食っていいもの悪いもののテキトーな一覧作っとく。

食っていい物

基本的に肉+野菜、あるいは魚+野菜オカズに、味噌汁スープ汁物主食

フライムニエルなどの油調理禁止、焼いたり蒸したり茹でたりは好きなだけ食って良し。

フライパンで焼く場合の油は小さじ1まで。新しいテフロン加工のフライパン使え。

全般(牛豚はバラ肉よりはヒレやモモがいい、鳥は胸かササミオススメ、まぁ神経質にならなくてもいい)

魚介全般魚卵エビ・カニ、貝類は食い過ぎると痛風になるので気をつけろ)

野菜全般(油、チーズバター砂糖など不使用ならいくらでも食え)

ごはん(白米か玄米限定オカズ+汁と食うなら好きなだけ食え。チャーハンリゾットなど加工系NG

果物全般おやつとして好きなだけ食え。食事と一緒にとってもいい)

さつまいもじゃがいも(そのままか塩ふるくらい。バターチーズをのせたり、ポテトサラダにしたりの加工はNG

少量の無添加ナッツ類(無添加限定で1日20~30グラムまで)

伝統食材豆腐こんにゃくなど100年以上前から有る加工食品ソーセージハム伝統製法の物ならOK)


食ってはダメな物


基本的に油と砂糖を食わない。大半はお菓子ジュースから来るので食わない飲まない。

スポーツドリンクエナジードリンク野菜ジュースフルーツジュース禁止自分で絞ったジュースはOK)

加工食品全般に気をつける。原材料名を見て「何なのか?」がわからない物を食わない。

避けられない外食は油と糖質が少ない物をチョイス。

カレーシチューなどは油の塊のため、スパイスソースから自作する以外はNG

スーパー惣菜

冷凍食品(油、砂糖添加物の宝庫)

肉団子、ソーセージなどの加工食品(油、砂糖添加物の宝庫)

コンビニ弁当おにぎり(メシに油が散布されている。添加物の宝庫)

小麦粉全般うどんパスタお好み焼きパンなど。パンコンビニやスーパの物は絶対ダメパン屋なら多少はOK)

揚げ物全般(1料理に小さじ1以上の油を使う物は全て揚げ物扱い)




基本的加工食品を避ければ太らない、というか太れるくらい食う前に多分吐くw

精製された油、砂糖小麦粉だけ避ければ、極端なデブにはなりようがない。


ある程度まともな食事を続ければ、満腹中枢が正常に戻って多量食いが出来なくなる。

目安としては、スーパー惣菜コーナーから漂う揚げ物の臭い悪臭に感じるようになる頃。

惣菜コーナー前で何も感じないヤツは鼻か満腹中枢がイカれてる。

満腹中枢をマヒさせるのは酸化した油と精製された砂糖

普通満腹中枢に戻れば、極端なデブから脱出できる。それ以上痩せたければジム行くか自分で調べろ。

http://anond.hatelabo.jp/20160111115103

そんな想像力はないだろう。

単純に、自分DQN史の起源である中学の仲間が集まり

他の一般参加者に存在を誇示する騒ぎを起こしたいだけ。

あとは先輩から伝統

単なる祭り一種

2016-01-08

臆病なリーダー人間じゃないリーダー

実質的に力を持っている人はその組織を変えることができる。

地方消防団飲酒運転慣行なんてリーダーがいえばすぐにやめられる。

だけど、彼はなぜそれをしないのか?

伝統?違う。それは後付けだ。

答えは怖いから

いい子ぶってるとか、真面目だとか、つまらないとか、

そういう評判が怖いだけなんだ。

でも、そういう悪習を変えることができるのはその人しかいないんだよ。

悪いものが変わらないのはリーダーが臆病だからなのさ。

これからはそうやってリーダーを責める習慣を作るといい。

もちろん、名ばかりリーダーで実質支配している奴は別ってパターンもある。

その時はそいつを責めろ。

じゃないと何も変わらない。

理不尽は力があるやつしか変えられない。

自分理不尽な目にあったからと言って、後輩や他の人間にその目に合わせるのは日本人として恥ずかしいことだ。

それは動物のやることだ。

さな、目立たない理不尽を減らしていくのが人間だろ。

あとな、心がない奴。自分快楽やこだわりしか追求しないタイプは魅力的だがトップにはするな。

悪い言い方だがあいつらは残念だが人間じゃない。

他人気持ちなんてどうでもいい。そういう奴らは一定存在する。

その現実から目を背けるな。

奴らはできるだけ想定される悪影響を与えにくいポジションに置くんだ。

もっともらしい理由をつけてな。

トップになったらイナゴのように養分を吸い尽くし、荒らし自分だけ肥え太るのがオチだ。

その先に自分が滅びようとも笑顔で死んでいくさ。迷惑だけかけてな。

こういう現実から目を背けるな。それを前提に動くんだ。」

疎覚えだけど、昔じいちゃんが言ってたことをまとめた。

じいちゃんが何者かは言えないけど、大人になっていってることがすごくわかる。

俺は性善説を支持してきたけど、そうじゃないんだよな。

増田投稿すれば7500ブクマは軽く超え、ブコメでは議論百出し星が飛び交い、さらに有名ブロガー議論の種になりパイラルメディアに取り上げられ小野ほりでいネタにされるくらいの面白さで、老若男女誰にでも親しめるうんこ学歴フェミニズム英語上達法・手早い調理SF増田小説パワハラ上司を十把一絡げに含め、激烈に面白く、かつ長からず短からず改行や見出しが適切に施されもちろん誤字脱字は一切なく特定の個人を批判せずなるべく客観的に書かれていてポリティカルコレクトネスに充分留意増田ブクマ家のご機嫌もうかがいつつ、時事ネタベッキー)をからめつつそれでいて伝統に即した内容で、右派にも左派にも配慮が行き届き、それでいて自分政治的位置には敏感で、遊び心があり、とにかく面白く、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓える巧みな表現をする一方で、「悪性さらにやめがたし、こころ蛇蝎のごとくなり、修善も雑毒なるゆゑに、虚仮の行とぞなづけたる」とかつて親鸞が説いたごとく上記に述べた文章の美しさゆえの醜さ(煩悩)も認めつつ、そしてそうした圧倒的ともいえる文章にも拘わらず、SF作家アジモフの「知性とは進化における偶然である。必ずしもそれが優位というわけではない」という文言のごとく先学者としての驕りを見せない、この時代に現れた真の奇跡のような文章を、・・・私は先ほど書いた。


が、それを増田に書かずにネットのどこかに隠した。

諸君らにはそれを見つけてほしい。一見すれば、上記の優れたる特徴を有する私の小文はすぐに「それ」と瞭然となるだろう。そこにブックマークしてほしい。任せたぞ。

2016-01-06

美しい敬語を聞くと心が洗われるが、必ずしもその敬語仕事の実行力とは比例しない

敬語トレーニングをあまり受けてないので、たまに取引先などで綺麗な敬語を使える人(古い業界秘書の方であったり、伝統的な仕組みに関わる人、ラグジュアリを扱う人ナドナド)と話すととても感激するのだけど、だからといってその敬語を言える人が、極論金生むわけじゃねーっていうね。なんともよんなかはさ。

2016-01-05

初詣に行きたいのだが近くに神社適当な寺も無い


一昨日ぐらいからちょっと時間が取れたので、たまには、正月気分で味わうかと思って調べているのだが、神社は全く無く(日本神社庁は何をやっとるのだ)、寺院も禅院か、新仏教系の寺しか無く困っている。

伝統的な寺社に展開力がなく、新宗教系が力を持つのも、今回調べていてなんとなーく理由がわかってきて、自分のような人間は生きづらいのだなと。

別にそれぞれの宗教信者文句は無いのだが、その文化のものに展開力がなく、現代必要とされていないのが悲しいのだ。

2016-01-01

あけまして増田2016おめでとうとで明尾6102出す待て縞ケア回文

ドンドンヒューヒューパフパフ!

あけましておめでとうわ!!!

年明けの早速水曜日!!!

今年もこのオープンフィールド増田の幕開け、

いかがお過ごしかしら?

やっと今年の干支

サルって決まってから急いで書いた大晦日から年賀状

もっと早く干支は決めてもらいたいものだわね。

と、いうことで年賀状も書けたし、

まあ、年賀状と言っても私の場合

古き良き伝統を重んじて、

年賀状本来の、

スルメノシ巻いてそのまま切手貼ってポストに出すタイプから

何も書かないっちゃ、書かないんだけど、

住所書くだけだしね!

どうせ、プリンタスルメ通らないしさ。

と、言うことでスルメの出荷が最盛期を迎えました!

大晦日から風物詩!!!

さて、今年の目標は、

私の知らないところで

私みたいな人が増田投稿してくれてたらいいなと思いました。

それが、今年の目標よ!

初夢は、一藤あや子二鷹三増田相場が決まってるので、

そんな夢が見られたらなと思うわ!

まあ、お正月はこんな感じね。

あ、そうそ増田プロも!

今年はなれるかな。

相も変わらず、

ひっそりと頑張るわよ!!!


朝ご飯朝カレーです。

煮込んだ甲斐がありました。

ちょっと、いい牛のブロック肉を使ったのよ。

なんか、お正月になると

パスタとかハンバーグとか食べたくなるのよね!

デトックスウォーター

正月なので、

金粉グレープフルーツカットスイカも売ってたのでカットスイカ

なんか紅白な感じがしていいじゃない!

金粉キンキラさりげなく

デトックスウォーターに彩りを加えるわ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2015-12-31

http://anond.hatelabo.jp/20151231184809

やらない理由がほしいだけで伝統守りたいとか思ってないだろ

そもそもどんな伝統でも始まりがある以上伝統じゃなかった時期もある

年始回りだってもっとかのぼればやってない

年賀状伝統行事じゃないキリッ!ってのがいるけど

年賀状が無い時代年始回りしていた訳だが。

その時代に戻りたいんだろうか。めんどくせえ。

2015-12-30

五角関係に巻き込まれ

ある女の子をめぐる五角関係に巻き込まれたことがある。

彼女が入っていたのはオーケストラインカレサークルで、楽器バイオリン

始めたのは大学に入ってからだったけれど、もともとピアノをやっていたのもあってカンをつかむのがうまく、また周りのようすを見てコミュニケーションをとるのがとてもうまい子だったので、すぐにその学年の主要メンバーになった。

キャリアの短さにもかかわらず、大学2年で自分たち運営を行うころには、副代表を任せられることになった。

伝統があり、みな熱心に練習に励んでいるそのサークルには、すでに引退した3、4年の有志も積極的に参加し、前代や前前代の運営の先輩も、気軽に相談にのってくれる。

副代表になった彼女は、その当時は4年生だった前代表のAーー同じバイオリンだーーに運営相談に乗ってもらううちに、その頼りがいと人望にひかれていった。しかし、彼女小学校から高校まで女子校で育った箱入り娘で、自分のその気持ちが「恋心」とまでは自覚していなかった。

ただ、先輩がいかに素晴らしい人間かを同じ高校から同じ大学、そして同じサークルはいった一番の女友達へと語り続けた。

「ほかの先輩や同期をみてると、まるで女をモノか何かだと思っているようなことを言う時があって、冗談だとしても嫌になるんだけど、A先輩は絶対そんなことしないんだよね。大人なんだ」

ここで彼女人生にとって初めての事件が起きた。

サークル同期のBに告白されたのだ。

彼女はまたも女友達相談した。

「Bくんが私のことを好きだなんて考えてもみなかった」

彼女モテなかったわけではない。とても美しい子だったが、いかにも箱入り娘然としていたため、ちょっかいをかけられるだけの男がいなかったのだ。

「私、男の人に告白されたの初めてなんだよね……もうこの年齢だし、Bくんは悪い人じゃないし、私のことを好きだって言ってくれてるし、付き合ってみるだけ付き合ってみようかな。Xはどう思う?」

あなたがしたいようにするのが一番いいよ」

そうして彼女はBに「よろしくお願いします」という返事をした。

しかし、ここで第二の事件が起きた。

その3日後、Aが彼女のことを好きだと発覚したのである

「それ、本人から聞いたの?」

「ううん、Cくんが教えてくれた」

Cは、彼女たちの代のコンサートマスター子供のころからバイオリンに親しみ、音大に通いながら、何が気に入ったのか、彼女たちのサークルに顔を出している。運営にも深くかかわり、彼女サークルの中でもっともよく話す男子でもある。

「Bくんとはまだメールのやりとりしかしてないの。でも、やっぱり馬が合わない気がしてきて……。A先輩から告白されたのではないから別にA先輩とつきあうわけではないけれど……やっぱり交際はやめたいと思ってる。だって、私もA先輩のことが好きだって気づいてしまった。こんな気持ちのままじゃ付き合えない」

「そうね、あなたがしたいようにするのが一番いいわ」

彼女はBに正直な気持ちを話した。これが問題だった。Bはかなりプライドが高いタイプで、彼女判断を認められず、連日の電話メール攻撃を始めてしまったのだ。サークルの練習中にも彼女に厳しく当たるようになり、見かねた先輩たちが注意すると、さらにそこに食ってかかった。運営メンバーの審議により、Bはサークル追放されることになった。

彼女は大きなショックを受けたが、さらにショックを受けたのがAだった。Bは、Aがサークル勧誘した後輩だったからだ。Aもサークルを去り、彼女との連絡を一切断った。

「Cくんがね、泣きながら謝ってきたんだ」

彼女はぽつりと言った。

「Cくんが? どうして?」

「俺がわざわざA先輩の気持ちを言わなければって」

「そういえば、Cくんはどうしてそんなおせっかいをしたわけ」

「それがね、Cくんも私のことが好きだから、Bみたいなやつじゃなくて、人間的に尊敬できるA先輩と付き合ってほしかったって言うのよ」

「はあ……」

まり、AもBもCも、彼女のことが好きだったというわけだ。

「男の人も、恋愛にかんしてそういうめんどくさいことをするんだね」

「ね、なんか女々しいよね。私、本当に疲れちゃった。というか、正直男の人が怖くなってきた」

「30までに彼氏ができなかったらふたりで暮らすのはどう?」

「えー、Xと? そんなの楽しいに決まってるから、このままずっと恋人できなそう」

「うん、私は絶対あなたを傷つけないわ」

こうして私たちはこの一件を境にさらさらに親密になり、友達の壁を越え、社会人になる歳には一緒に暮らし始めた。彼女にはこの後も何人もの男性が寄ってきたが、彼女はそのたびに「今好きな人がいるので」と私を選んでくれた。

彼女と一緒に過ごす5回めのクリスマスを終えて、5回めの年越しがやってこようとしている。

彼女家族は、年末年始本家に里帰りすることになっているので、年越しの私はいつも一人だ。

彼女との暮らしは、多少の波風はあれど満ち足りていて、何の不満もない。

でも一つだけ、気になっていることがある。

それは、あの事件ときにCをけしかけてA先輩の気持ちを伝えさせたのが私だということを、彼女が知ったときに、どういう反応をとるかということだ。

知ってもなお、私に「好き」と言ってくれるだろうか?

まあ、ぺらぺらと内幕をしゃべった腰抜けのCには彼女と二度と連絡をとらないと約束させたし、私さえ言わなければいいことなのだが。

早く里帰りから帰ってきた彼女バイオリンを弾いてもらいたい。

来年クリスマスもいっしょに過ごせますように。

2015-12-29

文化教養がないということ」を読んで

じっくり批判することもできるが端的にいくぜ。ブコメでも言い尽くされている感もあるが。

まず文化単線的にとらえ過ぎ。もちろん東京中心ってのは否めない部分もあろう。だが世の中大阪もあれば北海道とかもある。カップ麺の味付けすら、現代私たち統一できていない。

文化ってのは多様性だ。そして本来平等な・フラットものだ。ただコンサートホール美術館に行くことが「文化的」と捉えるのでは極めて了見が狭い。そういうもの文化だし、批判の的になっている「東京底辺」にも文化がある。美術館とかコンサートとかキラキラしたものの、こんな一つの物差しで測るから、狭い「文化教養」があるかないかの議論しかできない。そして物差しの数値が30センチだろうが2センチだろうが、本来は良くも悪くもない(しかし現状では「東京は素晴らしい、なんでもある」というある種のアトモスフィア形成されてしまっているのだが)。

では何を見るべきだったのか。地域にある美術歴史だ。「何もない田舎」ってよく俎上にのぼるけど、本当に伝統も何もない超歴史的・脱歴史的土地などあり得ない。SFじゃねーんだから。例えば埼玉なんかバカにされるけどさきたま古墳群ってすげーだろ。はにわ! 稲荷山古墳もすごい。鉄拳! あと群馬館林藩とかやべーじゃん。他も譜代大名が入りまくってる。こういう場所江戸幕府を支えていたんだぜ。こういうのって多分かなり「何もない」の裏返しで「こんなものしかない」「恥ずかしい」と思われがちだが、本当は、胸を張るべきところ。未来に向けては、こういう気恥ずかしさを払拭することが文化を考える上で極めて大切だ。

話戻すけど、話者は東京中心文化に毒されすぎ。折角文化というものに興味があるのに、一つの物差ししか持っていない。若い人だと思うのに、そして田舎出身なのにこれはもったいない。都会と田舎だけで物差しは二つになる。物差し二つあった方が色々便利だろ。脳の中もおんなじだ。コンパスや分度器だって持っていたっていい。もちろん、文化の網目の中に東京大阪といったコアがあるのは否めない。だがそこから広がる多様性。これを幅広く測るスキルがこれからの「文化」を担い、あるいは語るものに求められるのではないか。話者の狭い了見では狭隘文化観が再生産されかねない。わりと真面目に極めて危険な態度だと思う。

2015-12-25

右翼的作品批判するとき設定面を批判するというのは伝統なんだろうか?

いや、特にそういうのをやめろとか言う話ではない。

どうにもマブラブGateSAO魔法科などそうだが全体的な傾向として設定面の批判に行き着くことがそこかしこで見られる。

しかもそれを批判してる層がこぞって左側の人だ。


これはなにかそういう伝統的側面があるんだろうか?

ひょっとしてガメラ自衛隊批判の時もそういった軍事的な設定批判が多かったのだろうか?

だとしたらちょっと面白い傾向だ。

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