はてなキーワード: レターとは
・折り畳み傘
・500mlペットボトル
・アルコール消毒液
・透明ビニール袋
・マスクケース
・財布(現金1万円程度、クレジットカード(JCBと VISA)、免許証、保険証、テレフォンカード)
・チケットホルダー(ライブチケット、レターセット1部、ブロマイド用ビニール)
・ペンケース(油性ペン、ボールペン、フリクション、シャープペンシル、定規、カッター、消しゴム、付箋2色、マスキングテープ)
・メイクポーチ(ミラー、リップ、フィニッシュパウダー、ワックス、毛抜き、剃刀、ハサミ)
■追記
・記載忘れ
スマホ2台(1台は昔使っていたものをタブレットとして使用)、眼鏡、扇子(冬はカイロ)
・マザーズバッグ?急な泊まりがあるのか?持ち出し用品なのか?
毎日の電車通勤時に使っている鞄の中身。泊まりはない。おしりふきは外出先でウォシュレットを使いたくないので使用している。
仕事中はイヤホン、通勤時は人避けの為にヘッドホンを使用。スマホとイヤホンで充電ケーブルの規格が異なるためケーブルも2本持っている。
折り畳み傘は雨天兼用で軽いものがあれば要検討とします。鞄自体の重さはリュックに変えることも含め検討。
忘れた、と思いたくないので持ち歩いているが、都内なので買おうと思えば直ぐに何でも揃う。鞄の重さで姿勢が悪くなるので見直したいとは思っている。
・絆創膏、目薬、常備薬、着替え、携行食は?
怪我はしない。ほとんど裸眼。ライブ時のみ眼鏡を着用している。雨の日のみ靴下の替え。飲食物は賞味期限の管理ができないので入れていない。
・職場に置いておけば十分
加藤純一
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第三世代~第五世代:anond:20220812150701
第六世代~第七世代:anond:20220812184049
ピカブイ・第八世代・アルセウス:anond:20220812213515
おまけ:ここ
元々は音楽をメインにやっていた何でも屋だったが
金銀の開発中に色々あった結果ポケモンの産みの親である田尻智がゲーム開発から降りた後
金銀の開発を立て直し発売までこぎ着けたすごい人。彼がいなければポケモンというIPは終わっていた可能性すらある。
金銀のマイナーチェンジであるポケモンクリスタルで正式にディレクターに昇格し、
ルビサファでは職権濫用を行い自分の娘をゲームに出した。ルネシティにいるキリがそれ。
割と典型的な自己顕示欲の強いゲーム業界のディレクターな人ではあるが長年ポケモン本編を支えてきた功績は計り知れない。
最近ゲームフリークを離れ株式会社ポケモンに移ったため、開発からは一線を引いている。
田尻智は社長室でドンキーコングをやってるって音楽の一ノ瀬さんが言ってたよ
(ソース:https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/xevious/3 )
初代においてセレクトバグを入れてしまった人、または特殊ギルガルドが流行るのを想定していなかった人。
ポケモンシリーズのリードプログラマーもしくはバトルディレクターでポケモン本編で起こったいろんなことの元凶。
ちなみに初代のミュウやカイリューのドット絵を打ったのもこの人。
ミニリュウとハクリュー(どちらもにしだあつこデザイン)から急にムーミンっぽくなったのは彼がデザインしたためである。
ポケモンピカチュウ以来シナリオに参加しているスタッフで、少なくとも第四世代以降はメインライターであると考えられている。
ポケモン本編にシナリオライターがいるということを知らない人も多いかもしれないが、
特に第五世代以降彼のシナリオライターとしての性質が強く現れるようになった。
彼から提出されたNの設定に増田順一は「天才」と激賞したらしい。
概ねキャラを立てるのは非常に上手い(Nやリーリエなど)がシナリオの整合性の爪がかなり甘い。
最近で言えばローズ会長がなぜ一日待てなかったのかツッコミを入れられている。
ポケマスのイベントのシナリオが虚無で無くなったのは彼の仕事でないかとじもとのひとはうわさしている。
ポケモンのスマホゲーは数あれどポケモントレーナーにスポットを当ててくれるゲームは後にも先にもこれだけだと思う。
DeNAが2019年にリリースしたが、初期はあまりのひどさに半年保たずに終了すると思われていた。
ゲームの不出来をプロデューサーレターで謝罪、改善を約束してから本当に改善された。
売上もそこそこ改善され、DeNAのスマホゲーの中では上の方かもしれない。
未だにキャラ実装が偏っているとかまともに使える攻略wikiがケツだったりでいろいろアレだが
もうすぐ3周年でアニポケのサトシまで実装されそうなので他人事ながら遠いところまで来たな…
できるだけ続いて欲しいな…
この文書で何が批判されているか知りたいだけの人は、一番下の節「まとめ」までジャンプ。
清水先生の講演についてここ一週間くらい悪口をTwitterで書いてた江口先生に、それブログに纏めてよと言ったら気が乗らないと断られてしまったので
「うまい人びとは、前に書いた辞書的定義や約定的定義や明確化定義や理論的定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます」
と最新のブログで書かれているのを、清水先生の講演を題材に自分なりにスケッチしてみる。
続き、というか中間にあたるのだが「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセル・カルチャーってなんだろう」を書くかは未定。
つまり、この記事は書き起こしで言う「Part1 〜学問の自由とその濫用〜 」の検討が中心だが
最後の方で全体を対象にする前に他のPartの検討を書くべきところ、途中で力尽きている。
とはいえだいたいPart1の検討とほぼ同じものを繰り返すだけ
を先に見ていることが前提。
の説明はほぼ書かないので、分からなければブログを参照するように。
1998年 国際大学協会(IAU)声明「学問の自由、大学の自治と社会的責任」による定義です。
「学術コミュニティの構成員、すなわち、研究者、教員や学生が、倫理的規則と国際的水準に関して学術コミュニティが定めた枠組みの中で、そして外部からの圧力を受けることなく、学術的活動を追求する自由」
人びとがその言葉をどう使っているかを国語辞典の載っているような形で説明している。
「一般的には、〜〜、というふうに考えることができる。」
「従来はそして一般的には、〜〜、というふうに理解されています。」
世間一般の用法という文脈なわけですから、当然、スライドの引用の言い換えに相当する語釈が、聴衆には予期される、
同じく 辞書的定義 が与えられようとしているものと解釈されます。
実際に与えられた定義を見てみましょう。
ある種の公の定義であるIAU声明に対する言い換えとして、清水先生による定義を読んでみると一つ気にかかるところがあります。
と非常に具体的な形になっています。
世間一般の用法として紹介される割には、議論のあり得るところで
「こういうのは多数派も少数派もない、学問の独立って話なんですが、多数派からの圧力は特に抵抗しにくいので」
というふうに説明するほうが世間の認識とあっているように思える。
とはいえ、ここまでならば、代表的な「外部からの圧力」を並べただけ、ただの例示ゆえに言い換えの範疇であり、辞書的定義のままだと受け取ることもできる。
ただ、ここで私が書きにくくて困ってしまうのが、清水先生が「具体的に」何を批判されているのかさっぱりわからないことです。詳しくは後の節でも取り扱います。
「現代の誰かが主張している「学問の自由の侵害」とは、〜〜だ」と、清水先生が定義していると読める箇所を、少し文言を修正の上、抜き出します。
見事にすべて 説得的定義 ですね。江口先生のブログで挙がっている
「中絶とは、女性を望まない負担から解放する安全な外科的処置である」
などと同じ形式となっている。
ただ、読みながら何を論じているのかわからなくなって辛くなってしまうのは、
中絶の例ならば、中絶の 辞書的定義 は共有されているという前提のもとで、 説得的定義 を用いているのに対し、
清水先生は、この文脈での「学問の自由の侵害」とは 辞書的定義 の学問の自由の侵害とは全く異なるものだと論じていることです。
(下の2節は「どう論じているのか」という細かいレトリックの解説なので
どう辛いのかについては、「批判対象の曖昧さ、具体性の欠如」でページ内検索してジャンプ。)
これらは学問の自由の侵害の定義として読むことができるものであり、
先に導入された説得的定義「社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立て」とは対義の関係にある。よって等号で結ばれることはありえない。
ゆえに、「従来から論じられてきた一般的な節(辞書的定義)」学問の自由ではない、という論証。
しかし、これはIAU声明にはなく清水先生が付け加えた箇所のはずですね。
先程はただの例示と見ればという限定をつけて辞書的定義と認めました。
逆に言えば、「そうでなかったら学問の自由でない」というふうに使うならば、もはや例示ではなく、清水先生の独自見解です。
すなわち、この時点で辞書的定義として導入された学問の自由という概念が
「学問の自由を〜と私は定義します!」という約定的定義へとすり替えられているのです。
一旦まとめると、
「よくわからないものを」「なんか悪そうに定義して(説得的定義)」、
「その悪そうな要素にぴったり当てはまらない要素を、一般的な定義の中に紛れこませる(定義のすり替え)」
学問の自由とは
「力のある人たちとか多数派にとって都合が悪い、あるいはそこにとって利益にならないというだけの理由で、 研究教育を抑圧したり不当に妨げたりすることを困難にするはずのもの」
まさに、
「うまい人びとは、前に書いた辞書的定義や約定的定義や明確化定義や理論的定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます」
そのものですね。
この一節は憲法学の理論を援用しているため、少し強引ですが理論的定義を示したものとも言えるでしょう。
実際、この定義を根拠に「学問の自由の侵害」を「なんか悪そうに定義した」説得的定義に対し
これは日本国憲法で保障される学問の自由からはかなりかけ離れたもので、何を言ってるんだというふうに思われるかもしれません。
なぜかけ離れているのかというのは詳しく述べられていませんが、
要は憲法学の理論「憲法は原則としては国家権力を監督するものであり、私人間効力の議論も私人相互に大きな権力差がある場合の話である」という話でしょう。
権力差をどう捉えるか、例えば「学界から事実上キャンセルできたというのは、権力差があったといえるのではないか」というのが憲法上の論点になるわけですが、
そこを 説得的定義 から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図でクリアするわけです。
ここまでいろんな種類の定義を用いたレトリックが使われてきましたが、
正直なところ、説得的定義から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図を用いた時点で
直感的にはそれは学問の自由ではないでしょうという話になります。
ゆえに最も問題になるのは、そう定義されるのが具体的になんなのかです。
清水先生は「こういった言説が具体的にどう現れてきたのかご説明したい」と30分近く説明してくださっているのですが、
書き起こしを全文検索してもらえればわかるのですが「学問の自由」を直接的に濫用している例として挙げられているといえるのは、
Horowitzによる、Academic Bill of Rights (ABOR) のみです。
ほか間接的な繋がりとしては「ポリティカル・コレクトネス」「キャンセル・カルチャー」の事例が話されているのですが
これも抽象的な定義の操作に時間を割いていて、具体的な文脈はほぼない。学問の自由とどう関係するかも全くと言っていいほど書かれない。
詳しくはそれぞれをどう定義しているのか、という点を検討する必要がありますが、
これは別の記事「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセル・カルチャーってなんだろう」に譲り、
当記事「(1) 学問の自由ってなんだろう」では、直接的な例、ABORに絞ります。
清水先生はABORを曲解して参照しているのではないか、という指摘もあるのですが、
とりあえずここは論点にせず、清水先生の解説をそのまま採用します。
ABORの主張は、
「ナチスの政治哲学の擁護であるとか、あるいは進化論の否定であるとか、 そういうものを学術的に正当な主張の一つとして教えるべき」
「ナチス肯定論文を学問の自由で擁護することはできない(マルコ・ポーロ事件)」じゃないですよ?
むしろ、何が相手だろうと自由であると肯定する、過激な自由論者ほど否定する内容です。
「大学でナチスの擁護を正当な主張の一つとして教えるべき」、自由でもなんでもないじゃないですか。
まとめると、
最終的には、そして本質的には、清水先生は「学問の自由」について議論の余地のないことしか言っていません。
じゃあなんで議論になるのか。
清水先生の立場からすれば、「学問の自由」の濫用だと当然問題視しているであろう例が
清水先生にとって非常に身近な例であるはずのそれは2例あります。
このちょうどいい2人については講演では全く触れない。
特に後者の呉座先生については質疑応答で「学問の自由」を求めている人として名前が挙がったにもかかわらず、
「ちょっとわからない」「詳しくない」「法律の専門家ではない」「裁判をはっきりきちんと見ているわけではない」「労働争議であって学問の自由ではないんじゃないかなぁ」
との返事。
「そうです。呉座さんの事例こそが私が批判した「学問の自由」の濫用です」ではなく「詳しくない」。
訴訟の原告の1人であるからには詳しくないわけはないのですが、文字通り解釈するならば
この「学問の自由」の濫用批判において、呉座先生の事例は検討すらされていない、ということになる。
またこの回答の続きとして、呉座のことを言っているわけではないという注釈付きで、「学問の自由では擁護できない」例が出されました。
せめて多少は「学問の自由」と文脈がつながるように「酷いセクハラ・パワハラを長年犯してきた超一流哲学者が大学から追放されたことを、学問の自由で擁護はできない(ジョン・サール事件)」くらいにしましょうよ。
文脈がわかるくらい解説をつける具体的な例については、当たり前を超えてもはや関係のない例しか出さない。
それでいて、批判対象に対して一般に共有されるような辞書的定義には触れないで、
何を批判しているのかも厳密には不明確なまま、説得的定義に対する抽象的な定義操作を元に議論を行う。
なんではてブなんてしないといけね〜のよ
ブクマカはわざわざ ID 表示して全世界にご意見を発信されているので
フツーに ID 付きでリプライ返してさしあげれば良いと思いますわ
e-sports はともかく、はてブは非表示でも使えるし自分のメモだけ書けば良いのに
実質的に ヤフコメ+ Twitter の超劣化版みたいな SNS になってるなって思う
たまーに相槌にちょっと嬉しくなったり有用な視点もあるけど9割ゴミ
なにが楽しいのやら
- どんな暴力も肯定はしないが殺人事件はブクマカの執拗な嫌がらがきっかけでおきた事件
- 自分のおつむのアレさは放り投げて増田まとめ
- 公開裁判前に実名を出してあーだーこーだネットリンチしてきゃっきゃ
- 限界集落はてブ村でしか話題にならないネタ(オープンレター等)で自演きゃっきゃ
- 海外ネタに一丁噛みするのに鋼の意志で英語でニュースや海外コメント見に行かない
- 一次文書をあたらない以前にそもそも長文が文字通りの意味で読めない。ブクマカいわく疲れる
- 信じられないくらいに貧乏。その上、夜職・昼勤の化石創作ネタにワイワイ大喜び。爆サイ民と比べること自体が失礼
- いわく『売春婦マインドを学びたいならタレコミ馴れ合いへ』らしいがそもそもブクマカが日常的にしてる発言
- 障害者差別が大好きだが生きづらい私ちゃんが大好き
- いつでも児童福祉に敵対的
anond:20220805225632 Part1 〜学問の自由とその濫用〜
anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略〜
anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜
anond:20220805230307 Part4 〜キャンセル・カルチャー批判〜
anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てたキャンセル・カルチャー批判のメカニズム〜
anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答〜
https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI&t=3428s
57:08~1:05:19
抑圧側と被抑圧側との逆転の構図
抑圧側と被抑圧側とのこのような逆転の構図というのは、2010年代にはオルト・ライトと呼ばれる新興右派、
あるいはそれとも重なるミソジニーに満ちたオンラインの男性主義の主張などにおいて、幅広く利用されるようになっていきます。
もちろんマイノリティを、かぎかっこ付きの「私たち」の外部にある敵というふうに認定する、
その敵の攻撃から身を守らなくてはいけないという形で、当該のマイノリティへの抑圧や暴力を正当化していくっていう、
その形というのはもちろんその以前から、
例えば排外主義において、あるいはモラル・パニックにおいて広く見られてきたものではあります。
9.11の同時多発テロの後、対テロ戦争期の欧米各国におけるイスラムフォビアの暴力っていうのはこういうものだったわけですし、
あるいは70年代80年代に、同性愛者とりわけゲイ・バイセクシャル男性というのを、
当時は性的捕食者、セクシャル・プレデターっていうんですけれども、性的捕食者あるいはHIVウイルスの拡散元として、
非常に激しくバッシングしたのが英米のモラル・パニックっていうのになるんですが、これなんかがすぐ念頭に浮かぶと。
じゃあそのオルト・ライト勢力やオンライン・ミソジニー・アカウント群を巻き込んだ、2010年代の特徴っていうのは何かっていうと、
これ単にマイノリティ側を、自分たちを脅かす敵なんだというふうに認定するだけではなくって、
マジョリティ側が力のある側が、自分たちを「差別されている」「抑圧されている」、あるいは「自由を侵害されている」という形で、
はっきりと、私たちこそが「被害者である」「被抑圧者である」という形で、語り始める点にあると言えるかもしれません。
そういう語りのこの後もいろいろ出てくると思うんですが、
今のところ最新の形がいわゆる「キャンセル・カルチャー批判」というものになります。
- CAMBRIDGE DICTIONARY
- MERRIAM-WEBSTER
キャンセル・カルチャーという語が急激に知られるようになってきたのは、
2010年代後半のことで、したがってだから、数年なんですよね、
キャンセル・カルチャーの意味とか語法も、現時点で完全に固まってるとは言い難いところがあります。
実際、例えば辞書の定義を見ても、Cambridge Dictionaryだと、
「社会あるいは集団、とりわけソーシャルメディアにおいて、自分を傷つけ侮辱すること」、offendという言葉ですが、
「自分を傷つけたり侮辱したりするようなことを言った人を完全に拒絶したりとか、
あるいはその人への支持をやめたりする振る舞い方」、いうふうに定義している。
それに対して、もう一つ別の有名な辞書でMerriam-Websterなんかを見ると、
「不同意を表明したり社会的に圧力をかけたりする手段として、集団でキャンセル行為」、
このキャンセル行為というのは「公に、とりわけソーシャルメディアにおいて、特定の人や組織への支持を撤回すること」なんですが、
「集団でキャンセル行為を行う実践」っていうふうにしていて、だから重点がちょっと異なってるんですね。
またピュー・リサーチ・センターによる2020年時点の調査では、
リベラル寄りの人々は、
キャンセル・カルチャーというのは、ある人に自分の言動に対する責任を取らせるためのアクションと捉える傾向が強い。
それに対して保守派に寄っていく人ほど、
同じキャンセル・カルチャーを検閲であるというふうに捉える傾向があるということが明らかになってます。
つまりある人々が、差別的だったり暴力的だったりするなど社会的・文化的に問題があると思われる言動を、
放置しないために取るアクションだ、ってふうに考えているものが、
より保守的な別の人々にとっては、これがつまり「キャンセル・カルチャー批判」の文脈になるわけですけど、
そちらの人々にとっては、それが集団での圧力とか検閲とかっていう形で理解されている。
言い換えれば、「キャンセル・カルチャー批判」という形でのキャンセル・カルチャーってのは、そもそもの最初から、
しばしば多数派である鉤括弧付きの「私たち」の言動を、差別的とか抑圧的などと非難することで、
「私たち」の言動を検閲する抑圧する、あるいは「私たち」を差別する圧力というふうに定義することができる。
だから先ほどからお話ししている逆転の構図を含み込んだ用語っていうのが、キャンセル・カルチャーだと言えると思います。
「正義と開かれた議論についての書簡」(通称「ハーパーズ・レター」2020)
153の署名: ノーム・チョムスキー、サルマン・ラシュディ、マーガレット・アトウッドなど
「人種的、社会的正義を求める強力な抗議運動」や「とりわけ高等教育、報道、慈善事業、そして芸術活動など、社会におけるより一層の平等と包摂を求める声」というような「必要な過去の清算(reckoning)が、同時に、開かれた討議と差異に対する寛容さという規範を弱体化させ、それよりもイデオロギーの一致を求めるような、一連の新しい道徳的態度と政治的コミットメントを強化してしまっている」
保守派による「キャンセル・カルチャー批判」の事例というのは、とりわけ2020年代になってからはほとんど枚挙にいとまがない。
毎月のように何か出てくるんですが、ただ時間がないので、
ここでは学問の自由に関わる、そして最も知られた例の一つを挙げておきたいと思います。
何かというと、2020年に公開された「正義と開かれた議論についての書簡」というものです。
一般的にはハーパーズ・レターと呼ばれるんですが、その公開書簡なんですけども、
この公開書簡は、当時のトランプ大統領に代表される右派の動きというのは民主主義の脅威であるというふうに位置付ける一方で、
同時に右派はまずいと、だけど同時に左派の間にも異なる見解に対する不寛容がまん延しつつあるというふうにして、
ここの何か不寛容とかそういう表現が、先ほどちょっとお示ししたブッシュ・シニアのポリコレ評価と、
用語としてこう微妙に近似しているのは非常に興味深いところなんですが、
とにかくただこれだけ見ると何でもない主張に見えるんですけれども、
この公開書簡、例えばノーム・チョムスキーとか、サルマン・ラシュディ、マーガレット・アトウッドなど、
非常に有名な人たちを含む153名の研究者・作家・ジャーナリストが署名しているんですけども、
この公開書簡、何でもない、割とこう、どうでもいいというか普通のこと言ってるように見えるにもかかわらず、
公開されるとすぐに「キャンセル・カルチャー自体をキャンセルしようとする公開書簡である」っていう形で、
人種的・性的マイノリティを中心とする若い左派層から大きな批判を受けることになります。
キャンセル・カルチャーという用語は、それどころかキャンセルっていう用語も1回も使われてないんですね。
じゃ何で批判が来るのかっていうと、ここ(=スライド)にあるんですけども、
「とりわけ高等教育、報道、慈善事業、そして芸術活動など、社会におけるより一層の平等と包摂を求める声」というような
「必要な過去の清算」、この清算というのはReckoningという言葉を使うんですが、これが同時にそれは必要だと、
だけど同時にそれが「開かれた討議と差異に対する寛容さという規範を弱体化させ、それよりもイデオロギーの一致を求めるような、
一連の新しい道徳的態度と政治的コミットメントを強化してしまっている」というふうに言うと、
この表現が、とりわけBlack Lives Matterを通じて、
Racial Reckoningって人種的な過去の清算の盛り上がりを迎えていた英米両国においては、
人種主義への批判そのものを不寛容だと見なす「キャンセル・カルチャー批判」の文脈につながる書簡だというふうに受け止められた。
同時に、キャンパスにおけるポリティカル・コレクトネスの批判者として知られていた、
ハーヴェイ・ワインスタインの弁護を引き受けたことで、学生から抗議を受けてハーバード・ロースクールの学部長職を退くことになった、
この公開書簡の公開時にはトランス排除言説の支持者として知られていて、その言動に批判が集まっていた、
この公開書簡が「キャンセル・カルチャー批判」の一翼をなすものと受け取られた一因ではあったと思います。
この書簡は、先ほどもちょっと申し上げたように、例えば左派の代表的知識人と見られてきたチョムスキーが署名をしている。
同時に、ネオコンサバティブの論者である、例えばフランシス・フクヤマみたいな人も署名してるんですね。
つまり従来の分け方で言えば、まさに右も左もなく同意できる原則を語っているように見える。
にもかかわらず先ほどから申し上げているように、
実際には、より若手のマイノリティのライターとか研究者から強い批判が出る結果になった。何でか。
恐らくこれは、後者に当たるより若いマイノリティの人たちというのは、
近年では力のある地位にある人々が、自分たちの差別的・抑圧的な言説の責任を問われたときに、
その批判や糾弾を振り払うために使う枠組みになってしまっている、ということを感じ取っているのに対して、
フクヤマにしてもチョムスキーにしても、ある程度は地位が固まった偉い人たちっていうのは、
その事実をあまりきちんと把握できてなかった、いうことではないかと思います。
https://anond.hatelabo.jp/20220729194901
さえぼう先生はかなりまともなフェミニストだということは確認しておきたい。
確かに呉座さんの一件では明らかにおかしかった。個と公の区別がつかなくなって愚にもつかないオープンレターを出した上、批判にもまともに向き合わなかったのでMUGEN フェミトーナメントにおける狂キャラみたいな扱いになっちゃったけど、あの一件を持って全否定するのは反対だ。
あれは沖さやかさんなど他の人も絡んできたせいで自分一人でうまくコントロールできなかっただけで、個人の活動としては結構真っ当なことを言ってる。
男全殺し委員会の件なんかても叩かれてるけど、あれかルワンダ虐殺の扇動と同じくらいの大罪として語られてるのは納得いかん。他人の学術論文を翻訳しただけでそんなこと言われたらヒトラーの研究やってる人全員縛り首やん。私はこの点でさえぼう先生批判してる人には反対やで。
はてブでコメントを残して、星が一番集まっていて、ネガティブワードなしでも、人気コメントに表示されないくなっていた。
北村紗衣先生のオープンレターの件で正論コメント書いて星がめっちゃついていたんだけど、同時期にIDコールで「オタクがw」「さすが差別オスは」ってのが飛んできていた。
ただの感情論だった。
被疑者は「ネット上の不確実な情報を元に」、安倍晋三の祖父・岸信介が、自身の母親が入会している「ある宗教団体」を日本に持ち込んだと「思い込んだ」
しかし実際には、「その宗教団体」の会員が草の根的布教をして広まったのであって、岸の関与の証拠はどこにもなかった
安倍晋三が狙われたのは主に「その岸の孫だから」という「不条理な」理由であった
「ある宗教団体」は過去に過剰な献金で問題とされた時期があったが、現在はそのようなことはないということであった
被疑者は「団体とは無関係な別の団体」に向けられたビデオレターをネットで見て「団体の広告塔になっている」と「誤認し」「一方的な逆恨み」で犯行に及んだ
https://anond.hatelabo.jp/20220712001212
安倍さんと統一教会の件を陰謀論の域を出ないのではないかと戸惑ってらっしゃるのでちょっと書いてみる。
・若い世代は昔ワイドショーなどで統一教会が騒がれてたことを見てない
これらの条件下では、もしかしたらそのような戸惑いも当然なのかもしれない。
ということで、統一教会を実例に「陰謀論」と「テレビでは報道されないけど実は事実」であることの見分け方を考えてみる。
・古い世代の話の中からキーワードを拾って、それを駆使してとにかく検索し、ちゃんとしたソースっぽいものをなんとかかき集める
・ウィキ
方法としてはこれくらいだろうか。
というか、はてなに上がってくる記事つなげるだけでだいぶわかるはず。
https://nordot.app/919222383674064896
“欧米では「カルト宗教」と認識されていると指摘。自民党との関係は第2次大戦後にさかのぼり、反共産党の立場を共有して選挙支援を受けてきたと説明した。”
とりあえず「統一教会 合同結婚式」とかで検索すると確度の高い画像もたくさん出てくる。
私世代なら桜田淳子さんが合同結婚式に参加して当時のワイドショーがばんばん叩いてたのを知ってる。今とは真逆の反応だった。今でもこのへんのキーワードで検索すると画像や記事出てくると思う。飯星景子さんが、お父さんががんばったおかげで脱会できた件とか。
安倍さんのおじいさんの岸信介元総理と文鮮明の関係もウィキに書いてある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E4%BF%A1%E4%BB%8B#%E5%AF%BE%E4%BA%BA%E9%96%A2%E4%BF%82
安倍さんから統一教会のビデオレターもはてなに上がってたし、この抗議文とか信憑性高い情報じゃないだろうか。
https://www.stopreikan.com/kogi_moshiire/shiryo_20210917.htm
これだけ状況証拠的なものをかき集めたら客観的事実と認定できないだろうか。
みんなうっすらマスコミの報道に疑いを持ちつつも、その一方でマスコミが報道しないこと=陰謀論やデマと思いがちだということに気づいた。
自分も、昔自民党支持者(支持者でも疑問に思ってる人多いみたい)が安倍さんと統一教会のことを言ってたときは陰謀論チックだなぁと適当に聞いてたんだけど、ここ1、2日の間に史実に格上げされるさまを目の当たりにしてそのようなことを思ったのでちょっとがんばってみた。
っていうか、ネットにはありとあらゆる情報があって真逆の情報もあるので、“それ”を証明するためのソースをこうやってピックアップして並べること自体、恣意的で怪文書っぽく見えたりするのかな?
あるいは、どれが信憑性の高いソースで、どれがそうじゃないのかの見分け自体が難しいとか?
と思いつつも、これで納得してくれる人増えたらいいなと思ってやってみた。