はてなキーワード: プレッシャーとは
12月も終わりを迎えようとしている。
新年を迎えようとしている、と言い換えてもいい。
この時期になると、多くの人々はその新年を歓迎する準備に入る。
日が過ぎることに無理やり特別な意味を持たせなくてもいいだろうに。
一方的にハッピー扱いされるニューイヤーくんもいい迷惑だろう。
だが社会とは大なり小なり、望むと望まざるにかかわらず、そういったものに順応したほうが楽な時もある。
別にしたくてやってるわけじゃない。
だが、そう声高に主張しても意味がないんだ。
両親の「じゃあ、いつやるの?」という質問にマトモな答えを返せないのだから。
こうして毎年、年末にやらなくてもいい大掃除を、「年末だから」という理由でやる羽目になるわけだ。
「なあ兄貴、こんなん出てきたけど」
「俺はそんなの知らないぞ。今まで知らなくても過ごせたんだから、あってもなくてもいいものだろ。捨てるの一択」
元からやる気がなかったものだから、大掃除の進みは非常に遅い。
8割ほど綺麗になったときには、新年まで数時間前という状況だった。
まあ、その残り2割は弟の箇所だけで、その弟の集中力は切れかけていたが。
「ダメだ、気が散る」
今テレビなんて流したら、掃除の進みが遅くなるどころか止まるに決まっている。
「えー、もうすぐ『魔法使いじゃありませんわよ!』の放送なのにぃ」
ここで俺が手伝ってやれば早く終わるだろうが、それでは教育上よくない。
「仕方ないな。テレビをつけてやる」
「やったぜ、兄貴!」
『さあ今年も、年末の風物詩、アカハク歌戦争の開始を告げまする~!』
「……チャンネル違うんだけど」
「“テレビをつけてやる”と言っただけだぞ、俺は」
「歌番組とか興味ね~よ~」
こうやってプレッシャーを与えれば、やる気も出てくるだろう。
「嫌ならさっさと掃除を終わらせるんだな」
「チクショー」
タイトルが全てです。
おとなしく従おうと思います。
以下はただの感情を宥めるための吐き出しです。
疲れて頭が回らないので推敲などはしていません。
再読すらしていない書きっぱなしなので読みづらいです。
キチガイの勘違いや被害妄想がたくさん含まれているので真に受けないでください。
1.経過
父は素面のときは過保護なだけの良い父親でしたが、酒を飲むと意味もなく独り言で暴言を吐き、大きな音を立てて扉を閉めるような人でした。
また、私は発達障害者なので、私のコミュニケーション能力などに原因があったのかもしれません。
しかし、小学生の頃には担任に発達障害を疑われていたので、当時から難有りの子供だったのだと思います)
変わったところはある家庭ですが、毒親とか虐待とかまではいかない微妙なラインだと自己認識しています。
(※母に、子供は日本語が通じなくて怖いから幼少期はネグレクトしていたと近年告白されましたが、単にほったらかして一人で遊ばせていた程度のことだと捉えています。
私の世話は父が主にしていたようなうっすらとした記憶はあります)
(※家族親戚一同からは地元就職を暗に望まれていましたが、運良く東京配属に滑り込めました。)
就職直後は実家から解放された喜びもあり、調子が良かったのですが(躁転なので本当は良くない)、
生来の不安性や情緒不安定さ、発達障害などのためか、次第に生活や業務に困難を抱えるようになりました。
一時期、プレッシャーの大きく、長時間労働を伴う業務に付いたこともあり、
それがとどめとなってか、
結果として最終的には重度の鬱状態に陥りました。
診断は双極性障害の2型です。
上手くコントロールできなくなりました。
復職と失敗を繰り返した結果、
現在は会社の方から1年以上の長期の休職命令がおりたところです。
2.実家の現状
私が上京する少し前に、母は精神疾患により長期の入院となりました。
なお、この時に初めて私は母が学生時代から精神を患っており、独身時代に入院歴もあったことを知りました。
それまではずっと、母に癇癪を起こさせるのは私がキチガイだからなのだと信じていました。
(※母の疾患に関する詳細は省きます)
父は、平時は非常に優秀且つ良き父親でしたが、先述した様に、些か酒癖が悪いです。
般若面のような顔をして暴言を吐く父と二人で食事をするのは、正直少ししんどかったです。
また、無自覚ながらも高圧的なところが有りました。
彼の過保護さは抑圧と表裏一体でした。
(部活で帰りが遅くなったからって、酔った父から数分間暴力を受けたこともありましたが、いつ思い出してもちょっとよく意味が分かりません)
(そもそも何故か私は部活動自体が禁じられていましたが、流れとゴリ押しで入部しました。部活動はとても楽しかったです)
我が家では、父>母>私という明確なヒエラルキーがありました。
(遅くなりましたが、私は一人っ子です)
ただし、ストレスの発散方向は、
父→母→私で固定されていたので、
直接父からストレスの発散としての不機嫌さを向けられたことは少ないです。
もっとも、父の不機嫌さを受けることにより母のヒステリーは悪化したため、
そのヒステリーを受ける私の精神的ダメージは結局増大するのですが。
また、父はもともと精神疾患者を迷惑がり、下に見ているところがありました。
(なんで母と結婚したんだ?)
私が帰省したとき、父は明らかに母に精神的DVを振るっていました。
正直ドン引きしましたが、当時の私にはそれを真剣に諌める元気はなく、
(そもそも、あの人たちと真面目に会話しようとすると、平静を保っていられなくて怖くて、迂闊に行動できませんでした。
この頃にはもう、彼らの顔を見たり声を聞くだけでつらく、真顔を取り繕うのも厳しかったです)
現在も母の病状は芳しくなく、父の酒癖やDVもそのままだと思います。
入社直前に起きた母の入院に伴う様々なトラブルに起因する、過去最悪の鬱転の反動です。
あの三ヶ月間の私は、道を歩いているだけで唐突に泣き出すような奇人でした。
3.懸念事項
下記は、私が戻らなければならないことを前提として記します。
もっとも、父がそういうあらすじを書いた以上、ヒエラルキー下位の私は逆らえないのですが。
まず、精神疾患者を下に見ており、なおかつ精神疾患者にうんざりしている父の元に精神疾患者の私が戻ることで、
父は私には甘いのですが、それでもいずれ我慢の限界は来るでしょう。
次に、母の入院によって、父のストレスの発散先が私になる可能性があります。
正直この数年の母の精神疾患は、母のストレスの発散先である私の不在に加え、父からのDVによって悪化しているのではないかと私は考えております。
しかし、私が実家に戻ることで、おそらく日常の細やかなストレス解消は私の役割となるでしょう。
ただでさえ日常生活も厳しいような状態の私が、父のストレス発散対象に選ばれることでどうなるのか、考えたくもありません。
療養は諦めて、修行と思って己を鍛えて克服するしかないでしょう。
再び家を出るにはなんとしてでも私の精神疾患を治さなくてはいけないため、
無理してでも治ってしまったら雨降って地固まるですね。
3つ目に、母と日常的に接触しなければならないことが挙げられます。
私は主に母のストレス解消の役割を担っていたため、父よりも母と接触するほうが情緒不安定になりやすいです。
また、私は自分を母と似たような人間であると考えているため、母を見ていると私を見ているようで非常におぞましい気持ちになり、自己嫌悪で居た堪れなくなります。
父と会う場合にはその場はとりあえず我慢して、その後自室やトイレなどに籠もってから涙を流して受け流しますが、
母と会う場合にはそこまでの我慢もできず、その場で発作を起こしてしまうこともありました。
(なんで理由もないのに涙が止まらなくなるんでしょうか。正直、止めたくても止まってくれなくて非常に不便です)
あとなんか他にも色々あった気がするけど忘れました。
雑多なところで言えば
・今の主治医とかかりつけ薬局を信頼しているため、転院に不安がある
などがあります。
全体的に、今の私には言う権利もないような我儘ばかりですね。
ここまで書き殴ったら少し気分が晴れました。
先程、父と2時間くらい会話した結果、
5時間くらい泣いたり過呼吸したりを繰り返して収集がつかなかったので、
文章に吐き出せて良かったです。
肉体は疲れ果てました。
パニック発作がここまで悪化してるとは思わなかったので、今までこの症状に関して主治医に相談したことはありません。
流石にこの状態では色々と怖いので、主治医に頓服の精神安定剤など服用できないか聞いてみたいと思います。
主治医には実家に帰ること自体、避けたほうが懸命だと言われましたが……。
お金がないのは仕方がない。
カウンセリングとかで解決しないかな、と思って提案してみましたが、
・カウンセリングできる病状ではない
・傷を掘り起こすことで悪化する
のでやんわりと断られました。詰んでる。
実は以前に2回、父との通話中に我慢できずに泣いたことがありますが、
父は、私が父を恋しくて泣いてると勘違いしてくれたので丸く納まりました。
私は父が怖いです。
しばらく前に、母の蔵書の目立つところに
『「子供を殺してください」 という親たち』
が置かれていましたが、これが母によるなにかの意思表示、嫌味でないことを願うばかりです。
余談ですが、この話の最大の被害者は父です。
娘もどうなるか分からないと言うこの状況は流石に申し訳ないです。
私の将来の夢は、
解放されたあとはできる限り人に迷惑をかけないように一人で老いて死ぬことでしたが、
それも果たせそうにありません。
(ここで書かなくても良い父の身体のことを書くのは、
最後に。
初めて生活が少し楽しくなりました。
初めて泣かない日ができました。
挨拶をしてもしなくてもランダムで罵倒されることがないのは、とても快適でした。
残業帰りに近所のコンビニで買って歩きながら齧ったカロリーメイトも、美味しかったです。
東京、趣味に関するショップやイベント、コミュニティが豊富だし、
社会に馴染めない変わり者にも寛容なコミュニティが多く、居心地が良かったです。
私の様子を見ておすすめの心療内科をこっそり教えてくれるような友人、地元で巡り合うのは難しかったでしょう。
もしも今地元で、あるいは実家で息苦しい人がいて、万が一この部分だけでも読むことがあったら、
家を出る、都会に出るという選択肢があることに気づいてほしいです。
手遅れになってからでは遅いので、一刻も早く決断してください。
都会、楽しいです。
主旨も何もないメチャクチャな駄文を吐いてしまって申し訳ありません。
以上、乱文失礼いたしました。
追記(1223-1910)
誤解を産んでしまったならごめんなさい。
証明する方法がないのですが、黙っておくのも申し訳ないので、一応宣言だけしておきます。
彼氏や旦那がどうこうと言う文章をかけるような想像力はありません。
ADHD持ちは、決められた手順をそつなくミスなくこなすということができない。
いろいろな手順全てにおいてミスが許されない年賀状作成は本当に鬼門だ。
安全作業の講習のように何度も指差し確認をしないと正しく印刷されない。
③手書きメッセージ→印刷だけでは味気ないので、一言添えなければならない気がして、
書いてみるが、これが最悪。当然に誤字脱字はあるし、何回も何回も
「去年は・旧年は」と書くべきところを、「今年は・本年は」と書いてしまう。
修正テープという訳にはいかないので、たったこれだけの間違いでも新しい年賀状を
作成しなければならない。しかも一生懸命書いても字は下手。悲しいほどに。
④複合技→「宛名を間違えていたので印刷すると、差し込む方向を間違えていて、
また新たに印刷をかけなければならない」・「折角刷り直した年賀状で誤字脱字をやらかす」
④が襲いかかってくると、本当に自分はダメ人間だという意識に苛まれ、
世間の普通の人は難なくこなしているけど、本当に僕にとっては、
年賀状は苦痛なんだ。もうSNSもあるし、ペーパーレスの時代なんだから、
習慣は本当に無くなって欲しい。少なくとも止めた時に、
出したい人は出す。出さない人は本当に何のプレッシャーもなくださなくていい。
どこでもいいから書きたかった。何か残るところにと、考えもせず書き殴っている。保険をかけておくと、文章を書くなんて何年もしていないししかも最後に書いたのは必死こいてやった卒論だ。私的で深夜テンションで酒も入っているしちょっと無気力な気分だし句読点は正直苦手だからきっと中々入ってこないけれど、それでも書きたかったのだ。そして文章の癖として自分に酔っているような文になる。よし、ここら辺でいいだろう。
今日は久しぶりに昔の曲を引っ張り出して聴いていた。ごちゃまぜのプレイリストから昔に聞いた曲が流れ、青春のようなものを思い起こしては消えてしまいたい欲に駆られていた。ああ好きだったなと曲を聴いては曲名とアーティスト名を検索してもいた。そのなかに、約3年前に亡くなった人がいた。
情報には疎いほうなので当時死んだということを知るのに時間がかかったが何ヶ月経っても新曲の情報が流れてこなかったり急激にカバーが多くなったりとうすうすは感じていたのだと思う。ああ、死んだのか。死ぬということにあまり感情が動かない、というよりその他諸々の感情も中々動かないのだが、実際その程度だった。皆が悲しんでいるのを見て、ああ人が死んだら悲しむのが正解なのかと葬式に参加しなければならないときはいつも感じていたしその時もそう感じていたのだと思う、多分。よく覚えていないや。酒を追加する。
そして今日、ツイッターで名前を検索してみたら多くの人が悲しんでいてさようならとありがとうが溢れていた。各々故人を悼んでいるのだろう、絵や歌詞が呟かれRTやいいねが沢山ついていた。一番多い言葉は「大好きでした」だ。本人最後のツイには多くのリプが来ていたが、今年のものは少なかった。死んだことを忘れたのか、それが日常になったのか。プロフィール画面から遡っていくと、確かにそこに存在し生きていた。
インターネットを検索すると、様々な情報がわかる。その信憑性はまちまちだが話半分で聞いているぶんには面白く、そして時々胸を穿つものが現れる。目を引いたのは「大人になりたくなかったのですね、だから大人になる前にと」
大人になりたくなかった、だから死んだのか。その真偽はどうでもいい。その文が目に入ったとき考えたのは「置いていかれた」だった。
実際には置いていかれるほどこんな一個人ましてやちょっとファンであったやつのことを置いていったとも思ってはいないだろう。ただ単に、大人になりたくなかった自分が絶望しただけだ。
何が言いたいのかわからない。まってろ酒を追加する。
言えるのは、それでちょっと悲しくなって自分は何をしているんだろうとこんなのうのうと死んでいないだけで食料を無駄にして電気を無駄にして物語を終わらせたくないからとゲームを積んでエンディングを見ず作り手の意思を反故にしてまた新しいゲームを買っては通帳の数値を気にして積んで自分が死んだらこの数字は銀行に吸収されるのだろうなとか中学生の時に親に自分の好きな曲を否定されたことを思い出して好きなことを話題に出しては否定されるか変にプレッシャーをかけてきては自分が間違っている気になってしまって親に好きなことについて話すこともなくなって文章を褒めてくれた教授は40も下の男にも女にもなりたくなかったあの子を性的対象と見ていたことを卒業してから言外に伝えることに成功したただの勘違い人間だったし中学生の時友人とみていいのか分からなかった人をフィクションとして書いてどうしてそんなことするのと失望されてひとりになって成人してもなお好きなことや煙草を吸っていることすら周りの人間に秘密にして死にたいという願いを込めて書いた文章は生きたがっているようにみえると言われ学年が上がることに不安になって受験も就職も推薦やらなんやらで周りの大人がなんとかしてくれて本当に自分は資源を無駄にするだけの人間なんだと、改めて思ったということだ。
希望を持ったこともある。二十歳になる前に死ぬと天啓のように思っていて近づくにつれて身辺整理というものをしてみたしどんどん清々しい気分にもなっていたが、後に残ったのは妙に片付かれた部屋と成長しきれない心だけだった。
死にたかった。誰の記憶にも残りたくなかった。でも自殺する勇気も行動力もなくて生命保険のこととか考えてしまって結局布団の中で静かに首に手を当て某児童書の「死ぬとは長い一日の終わりに眠りにつくようなものだ」という言葉に望みを抱いて朝が来ないように祈りながら眠りにつくしかなかった。そして結局ハッピーエンドの物語のように朝は来る。
夢の中では知らない誰かが何度も殺しに来てくれて血の流れる感触を覚えているのにそのまま眠りにつくことすら許されず眩しさに目を開けるしかないのだ。
最悪だ。
いっそ死ぬような病気だったのならと何度考えたことか。きっと物語のように生きたいと願いながら死ぬことができるのだろう。それが羨ましくて仕方がない。社会不適合者であるという点を除いては全くの健康体であるのがもったいない。もったいないおばけがでるぞ。
そうだ、この際気に入っているものを全て言ってしまおう。今は酒の力で無敵である。
ありとあらゆるものが好きだ。人間の感情にぶれぶれな所が好きだ。腐が好きだ。百合も好きだ。じれったいのも好きだし万人と同じくエロも好きだ。あれは感情の振れ幅が大きくて理解しやすい。推理小説は昔から好きだし切なく終わるものも好きだ。つまりメリバというやつだな。バッドエンドだって好きだし魔法学校の物語も好きだしジャンプも好きだ。悪魔や妖怪が出てくるものもすきだ。転生しちゃったりトリップも好きだ。アイドルや魔法少女もしゃべるぬいぐるみだってゴミを固め続けるロボットだってすきだ。国も刀も艦隊も人造人間もヒーローも好きだしグロも好きだ。Rー20なんて足りないくらいだし食人だって好きだ。いいぞ、もっとやれ状態である。ギャグも日常系もそれに人外も好きだ。異形頭は一等気に入っているし一つ目も多目も分け隔てなくすきだ。それにケモナーでもあると言っていい。ベースがきいているものが好きだ。前にしていた部活の影響か裏打ちが好きだ。ジャズもクラシックもすきだ。エレクトロニカも好きだしポップもきく。ボカロは青春と言ってもいいし洋楽は夢の塊だった。歌舞伎も能も好きだ。落語の入り込む時が一等好きだしミュージカルも好きだ。舞台に立つ喜びも知っているからか演劇も好きだ。格闘ゲームはゲーセンでもやるくらい好きだし音ゲーもゲーセンでやるくらい好きだ。パズルゲームも好きだし脱出ゲームなんてやり続けてるしRPGも好きだ。その影響かTRPGも好きだしものを作るゲームも好きだ。ほかにももっともっと好きだと言えなかったものが沢山ある。
つまり、何でも好きなのだ。何でも好きと言うことは何も好きではないことと同義だと考えてしまう。そして、何も好きなことがないということと同じなのだ。
お酒を追加したい。
あのアーティストでさえ死んだことが死んでいると言うことが日常になる日がくる。日々は誰かが死んで出来ている。乗り越えるとかそういうことじゃない、ただそうであるということを受け入れて日々を浪費していくしかない。他人を完全に理解することは難しいしきっと一生無理なことは分かっているが、それでも親に「ちょっとぽっちゃりしたね」と言われて密かに筋トレを始めるような自分とはおさらばしたいし、何か誇れるものがあれば死にたいと思うことは少なくなるのではと少し希望を持ってはいる。大人になんてなりたくなかったけれど過去に戻りたいかと言われれば戻りたくない。温室のような過去に戻りたくはないが砂漠に雪を降らすことも出来ないので、きっと死神の目には見えている寿命を全うするしかない。
3年前に亡くなったアーティストの曲を聴いて勝手に悲しくなってその感情をどうすることもできずにただ書き殴るしかできない酔っ払いの今までを消化できるようお祈りし、悼辞の言葉と代えさせていただきます。おーい!誰もおまえのことなんて覚えていないし考えてもいないからお前が死んでもただ数値が1減るだけだぞー!じゃあな。
何年働いたら妊娠してもいいのか
でも気になるのは仕事のこと。
ここ2年ほど自分で希望を出していて、やっとかなった異動だった。
業務部門もやりがいはあったが、どうも社内調整ばかりなのに疲れて、もっと外のお客と接する営業職をやって見たいと思っていや。
異動する前は、せっかく異動するのだから仕事を2〜3年は頑張って、結果を出したら子供を作ろう、と思っていた。
しかし異動して半年、営業で外回りも増え、仕事自体は楽しいが、昭和系上司のプレッシャーにやられて少し仕事がしんどい。
お前は使えない、ときつい言葉を投げてくる。早く帰ろうとすると飲みに付き合わされるのが正直つらい。
結果を出すと言っても、ほかの先輩に顧客が優先的に割り当てられる中、新参の自分はどう結果を出していいのかわからない。
同じ営業部の先輩が、復帰後半年で第二子の妊娠を発表していた。
年明けにはまた休みに入る。彼女は今の部門が長いとはいえ、復帰後すぐにまた子供を作ることに戸惑いはなかったのだろうか。
前にいた部門でも、営業から業務に移ってきて、1年も経たず産休に入った先輩がいた。
その先輩は後輩の私から見ても仕事に手を抜いていたし、元から子供を産もうと思ってゆっくりするために移動したのだと思う。
彼女と私で状況は違うけど、異動後すぐに今私が妊娠したら、同じように思われるだろうか。
でも、自分ですら休みに入る女性に、もう休みに入ってしまうのか、と思う。
https://anond.hatelabo.jp/20160622100234
また昔書いた記事が取り沙汰されているのに気付いてしまいました。
この記事は自分の人生の写し鏡のようです。事実を曲げず素直に書いた分、読んだ感想として幸せな結婚もあるよ書き手がクズだよとマウントを取られたり叩かれることには結構ダメージを受けます。著書買ってるような名のある作家さまにまで叩かれてたときはさすがに少し泣きました。でも大ファンです。人生の内に貴殿に文章を読んで貰えて光栄でした…といきなり誰ともなく私信失礼。
ただ、部分部分では共感して頂けたり、書いてくれてありがとうと仰ってくれる方もいることを考えると、決して書いたこと自体は無駄ではなかったのだと、一旦は縮み上がった心臓の辺りを撫で下ろしています。
そんな筆者のそれから二年半後の話です。
金銭感覚に関しては自分がだいぶまともになったため、小遣い制も続行ではありますがその範囲内で収められるようになりました。
やはり私の人生から絵を描く、文章を書くということを取り上げることは難しく、どれだけそれが大切なことであったかを話し、どうしてもやめられないのだと謝罪をしました。出会ってから丸4年かけて。何かあるたび、ことあるごとに。離婚の話も時々しながら、それでも私は彼と分かり合いたかったのです。
旦那は守銭奴でもあるので、イベントの度に黒字を出さないと、というプレッシャーはないことはないですが、趣味なのにかけたお金にリターンがあることがプラスに働き、その点でも理解を得るのに成功しました。私は少しずつ趣味で得た収入で活動を回し、今では毎回イベントで黒字を出せる位までになりました。(家計の電気代、通信費は自分持ちで、税金もペイしてます)
「俺も同人活動やってみようかな」
どうやら、私の活動を観察し続けた結果、副収入になりえる趣味があるのを羨ましく思ったようです。原作はお前と一緒に観ていたのでわかるし、文章ならば俺も書けると。同カップリングで書けば私の取ったスペースに置いて貰えるのでわざわざ旦那が申し込む必要はない。萌えているかどうかは微妙なところであるが、金になるならやってみたいとの事でした。
私は大賛成でした。収入を得るのはとても難しいことだけど、世の中に自カプの本が増えるのは喜ばしいことだ。自分の活動を見ていて刺激になったのならばこれほど嬉しいことはない。是非私のオススメの同人誌も見てくれと、旦那相手に全力で布教しました。旦那はとりあえずそれを全部読んでくれましたが、わかりやすく絵がきれいでエロい内容の物を良いと言うタイプで、個性的な絵柄、作り込んだ話の物はぴんときていなかったようです。ロム専の心理の参考になるな…と思いながら布教を続けました。
「これ全部プロじゃない人が書いたのか?」と彼はとてもびっくりしていました。プロも含むけど、大体の方がアマチュアで、カップリングに萌えた結果本を出さずにはいられないで書いたものだよ、と教えると彼は随分悩んだような顔をしていました。
しばらくそのままほっておいて、創作をするかどうか様子を見ていましたが、その後も別に忙しいというわけではないのに書き始める様子が全くありませんでした。気になって聞いてみると、やっぱやめたとの事。
私は旦那が書く自カプの小説がどうしても読みたくてリアルに土下座してお願いしたのですが、言い分を聞いてそれ以上何も言えなくなりました。
「正直舐めてた。でもやってみようと思って触れてみて初めてわかった。これは、俺のような半端な好きじゃ出来る物じゃない」
彼は、打ちのめされていました。その気持ち、私もわかります。好きだという想いが強く、愛の伝わる同人誌との出会いで、如何に自分の表現力が拙いか、愛し抜き方が足りないか、実感するんですよね〜。
「お前よくこんな趣味で心折れずにやってるね?辛くない?」
「辛いよ。誰よりも自分が下手で情けなくて嫌になる夜もある。でも何百回そういう思いしたとこで、結局書くのが好きって気持ちが強くて次回作を書いてしまうんだ」
そんな会話を交わすと、彼はふっと笑い、急に昔話を始めてくれました。
それはまだ出会って間もない頃、私がまだ嬢で向こうが客のとき。私はてっきり容姿に惚れたのかと思ってたのですが、もっと何気ない、私が発した一言に彼は惹かれたんだそうです。
「私ねー、この仕事やってんのには目的があるんだ。やりたいことやるためにやってる。だから全然仕事が苦じゃない」
このセリフを聞いて、彼は雷が落ちたような衝撃を受けたらしいんです。なんでも、その頃の彼は何もやりたいことがなく、ただ漠然と仕事をし、婚活をし、人生の空しさを埋めるためだけに風俗に通っていた。だから、その私の発言が輝いて見えた。その輝きをずっと傍で感じていたいと思ったんだそうです。(とはいえ同人活動のことだとは露ほども思ってなかったらしいですが)(なんせ同居してからはしばらくやめてしまってたので)(よってあの輝きはなんだったのかしばらく悩んでいたらしいです)
「俺と一緒にいるということはあなたの自由度を下げてしまい人生の幸福度を下げているのかもしれない。だってあなたは形に残るほどすごいものを作れる人なのだから。それでも俺は好きな物を作って輝いてるあなたが魅力的だと思う。やってみてはじめてわかった。もっと自信を持っていいよ」
…まー、これを言われたときは号泣しました。私は旦那のセンスを信頼してるので是非自カプ小説を書いて貰えたらなと思ってたのは事実ですが、それを差し置くくらい嬉しかったです。わりとこのときはじめて「この人に私をわかってもらえた」という感覚になりました。
世の中には色んな夫婦がいると思います。お互いの人格の完成度が高く、なんでも尊重し、協力しあえる夫婦。趣味や価値観は会わなくても、子供を架け橋に努力している夫婦。互いの趣味嗜好には立ち入らない距離感を正しく保てる夫婦。最初からそうだった人たちからすれば、最初のエントリーの私たちなんて機能不全夫婦もいいとこで、嬢をやってた社会不適合者とドケチ旦那のギスギス話なんて叩いてなんぼ、まともな人間はもっとまともな夫婦関係歩めるからね〜ウチみたいに…と、酒の肴に楽しむ人の不幸扱いされても仕方ないなと本気で思います。(傷付いてないわけではないのですこーしだけ悪意込めてしまいました、すみません)
私の想いは文章として私の手を離れた瞬間から人のものになります。その文章に記したドラマがどう思われるか、どう受け止められるかは受け取り手次第になる。たぶんあのころの私はとにかく辛くて、そんなことまで考えられないくらい捨て身で文章を書いた。だからこそこう何年経っても読まれてはバズってしまうような文章になったんだろうなと思います。誰かを気遣わない文章だからこそ、あの文章のなかの二年半前の私は時を経た今でも生々しく悩み、精神的DVを受け続けています。
受け取る側の精神状態にまで気を遣えるようになった私の今の気持ちは、分かり合えるか合えないかは自分の頑張りもあるけど、旦那も歩み寄るかどうかにかかってるから正解なんてないのだよ、ということです。
あの文章を読んだ人の中ではその後の私のの人生はあそこで止まってあとはただの評価場となりますが、あの文章を書いた私の人生はその後も続きます。
そこでどんな努力をするか、どう生き方を変えるか、パートナーを諦めるという選択肢もありました。人生自体を終わらせる選択肢だって。全部選んだのは私です。
その結果、私の「好き」は正しく相手に伝わりました。四年くらいかけてようやく届いた。それでよかったなぁと心から思います。
ちなみに、私が彼を好きだった理由は、名前で呼んでくれることと同人活動を気持ち悪がらなかったことでした。でも今ではそこに、私を正しく理解してくれることが加わりました。
彼は私の全てを知ってもなお好きでいてくれます。なんだかんだで、私の神様なのです。愛を持って私をある程度正しい人間へと導いてくれました。彼が完璧な人間かと言えばそうじゃないですが、私にとってはこの上なく必要な人だったのだと自信を持って思います。
また、最初のエントリーも私にとって大きな転機になりました。自分の人生が一般的でなかったことに気付くきっかけになり、びっくりする位批判とマウントをとられ、本当にショックでした。でもその悔しさは逆に、二度とあの世界に戻らないという誓いにもなりました。堕落した生活を送った過去は変えられないからこそ、正しく幸せを手に入れた人に叩かれたからこそ、何がなんでも幸せになってやると思いました。
今、自分がまともな人生を歩んでいるとも、素敵な旦那に恵まれて楽しく同人活動を継続できてますよとも言うつもりはありません。ここに至るまではご覧の通りです。沢山の苦しみや痛み、驕りや嫉妬、あと絶望があります。もっと器用に生きれるなら生きたかった。でもその度に私は自分でなんとかして生きてきました。だからこそこれだけは自信を持って言います。
自分が好きな物を諦めなければ、いくらでも人生は変わります。絶対。
好きを貫いたら、好きなことができるようになるのが人生。
結婚生活が破綻するかどうかはそれに付随する事象でしかなかったんです。
だから…結婚生活を無理に続ける必要もないし、同人の優先度が下がればやめてもいい。人生ってもっと気楽に、好きな物に忠実に生きて良いんだと思います。どうせ死ぬまで続くんだし。
努力したら分かり合える人もいるけど、努力してもわかり合えない人もいて、袖すり合いつつ生きていく。
結婚も同人も全部自分の人生の一部。どれが欠けても終わっても続いても、自分の人生自体は続いていくんだから大丈夫。
そう思うことで、とても楽になりました。
こういうこと書くと、また同人に対する重さとかのほうが取り沙汰されそうで心境的にはちょっと嫌だな。
あんまり深く考えないで、いかれた生き方している一個人の日記程度に留めてほしい。間違っても同人女の一般化なんかしようとは思ってないから。結婚こわくないよ。でも結果として別れるかどうかは運次第みたいなとこあるよ。
自分にとって何が一番人生を豊かにしてくれるのか、ぶれずに行動すれば必ず思ったように人生は回っていくと、それだけは言わせてください!
事業者の"わがまま"と被雇用者の"わがまま"。お互いの"わがまま"を許容できるマッチングシステムをつくるほうが先で、移民(に準じるシステム。外国人を受け入れること)はそれからじゃないかとぼくは思っていました。
でもこのタイミングで外国人を受け入れることが、ぼくたちの苦しめてきた精神を壊す起爆剤になるかもしれません。
ー
残念なことに、日本ではいまだに「働かざる者食うべからず」の精神が根付いていて、それはずっと日本人に刷り込まれ続けています。
無職であることを無意識に非難し、生きていることさえ否定してしまう自虐思想は、いま働いている被雇用者たちや、働かせている事業者たちにすら、「四六時中働かないといけない」というふうに、大きなプレッシャーをかけていないでしょうか。
このプレッシャーは、いずれ受け入れる移民にも悪影響を与えると思います。もっというと、先の外国人実習生の失踪の気持ちの裏側だと思います。もしぼくが外国からやってきたとして、日本人が「食うべからず」の精神で迫ってきたなら、拒絶するし、必死に逃げます。そしてやりたいことをして暮らすと思います。
ー
ぼくはいじめや成績不良から学校を二度も(高校と大学で)ドロップアウトして、引きこもりになってからずっと、「どうして自分はダメなのか」ということばかり考えてきました。
・・・もっと真面目に人と接したら良かったのかとか、成績が落ちてももっと頑張れば良かったのかとか。皆よりも劣っているからダメだったんだろう。そんなぼくに生きている価値なんてあるのか。・・・
あるとき、こんな思考の大本が「働かざる者食うべからず」にあると気づくのです。働けない者を、社会は許さない。
・・・この『社会』とはなんなのか、よくわかりません。そしてこの価値観がどこからやってきたのかもわかりません。でもなぜか、『働いてないのだからダメだ』というふうに仕向けるのです。自分のまま、"わがまま"に生きることを許さない。ただ「働け」と。金を稼げなくても働け。身体がダメになっても、死ぬまで働け。・・・
そうして好きでもないことに自分を働かせ、気づいたら身体はボロボロになっていて、一度は選んだはずのパートナーからは冷たい目で見られ、離れ、しあわせからはほど遠い場所にぽつんといる自分がいるのです。
本当のぼくは、いったいどこにいるんでしょうか。
・・・どうやら、"わがまま"に生きたいようだ。休みたいときに休みたい。昼寝したい。好きな人といちゃいちゃいたい。遊びたい。自由で、ありたい。子どもの頃のように。思うままに。"わがまま"に。・・・
ー
いまの日本はそんな"わがまま"を実現できるシステムをこしらえているでしょうか。もしそんな精神的な余裕のあるシステムを実現するなら、きっともう少し笑顔の数が増えるはずです。『お金がない』ひとたちですらしあわせを感じられるはずです。
お金がないひとたちは、お金がほしいのではなく、"わがまま"がほしいんです。お金は"わがまま"を叶えやすくするツールですけど、となりのひとに"わがまま"を聞いてもらえたら、お金なんていらない。でも『きっと』"わがまま"が認められないと思うから、違う何かにすがろうとする。その一つがお金です。
だから、いっそのこと、"わがまま"を許容する。たとえ無職のままであろうと、明日したいことに転職しようと、国家資格を無視しようと、公務員をしながら副職しようと、今日だけパートナーと仕事を交代しようと、一ヶ月推しのライブツアーのためにずる休みしようと、"わがまま"であることを一切許容して、ひとの"わがまま"を実現する方向にフォローする気持ちをつくるところから、はじめませんか。
やることはとても簡単なことです。あれはダメ、これはダメ、と思っていたことをひとつずつオッケーするだけ。なかには許せないと思っていることだってあるでしょうが、許せない自分だって"わがまま"のひとつなんですから、そこからオッケーする。
上に書いてあることは「ダメ」だとされていることばかりだけど、だからこそオッケーする。オッケーしたからといってするわけではないので一切犯罪ではありませんよ。ただ自分のなかにおいて"わがまま"を裁こうとしないだけです。まずは、そこからはじめる。
いずれは人を殺したいと思う自分も、万引きしたい自分も、放火したい自分も、おかす/おかされる自分も、すべての分野において範囲を広げていくわけです。ちなみに、許せる範囲=自分の受け取れるものの大きさに反映されるので面白いです。普通の人が気づかない『愛』を感じる感性も強くなります。
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さて、話を戻します。人手不足っていうんですけど、それは事業者の"わがまま"と被雇用者の"わがまま"がマッチングしていないからだと思うんですよ。
「いま働きたい」でも「明日は働きたくない」「休みたい」、「あの人の下につきたくない」「我慢したくない」「発表するのが嫌だからスピーチ役を回して欲しくない」とかの被雇用者の"わがまま"を、事業者はきっと受け入れないと思っている。
反対に事業者も「給料払いたくない」などの"わがまま"を聞いてもらえないと思っていて、もう仕方がないから外国人に頼ろうとするけれど、きっと外国人も同じ"わがまま"な反応を示す(日本人よりももっと"わがまま"に生きる)と思います。
つまり、外国人を入れたところで結局同じ問題にぶつかるはずです。これはぼくたちの"わがまま"を受け入れるまで続く問題です。
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お互いの"わがまま"を許容できるマッチングシステムをつくるほうが先で、移民(に準じる、外国人を受け入れるシステム)はそれからと書きましたけど、システムをつくるとは、そもそもぼくたちの意識が"わがまま"を許せるようになることです。
ぼくたちが変わらないと、システムは維持できないし、そもそも生まれない。"わがまま"をダメだと思っているうちは、うまくいかないでしょう。
だからこのタイミングで外国人が入ってくることで"わがまま"に生きる外国人を見て、日本人の意識が変わるのを期待するというトップの考えなら。どうして「このタイミングで改正するのか」の真意が、分かってくるかもしれません。
半期に1度、1人3000円の寸志がもらえる
数十人がもらえなくなると考えると数万円になって大きい
会社の言い分としては
「みんなで気をつけようよってなるでしょ」
ということらしい
いくら給料と関係ないからって、ずっと『ミスしませんよーに』とすごいプレッシャーだった
これまた先輩がミスしないから、後輩は余計プレッシャーがのしかかるだけ
もうね、足がずっと震えてるの、小鹿のようにw
とりあえず、私のこのミスで3000円がもらえなくなるみなさんには謝った
だれも怒ることはなく優しく接してくれたよ
でも、こんな風にお金がからんだ連帯責任ってどこの会社でもあるもの?
「それぐらい責任を負え!」っていうなら、
まだ罰金してもらう方が気分的には楽だわー
さて、失礼ながら迂遠なご挨拶は控えさせていただき今年もまた「ユーキャン新語・流行語大賞」と「Webトレンドワード」を比較する季節となりました
過去の時代は流行語大賞と言えばユーキャンでしたが、Webが普及するとともに「あれ?ユーキャンの流行語そんなに流行ってたか?」と思わされることが増え、流行語大賞選考委員も大きなプレッシャーの中で選ばなきゃいけない状況です
決定的だったのは去年の流行語大賞とWebトレンドワードの乖離だったと思われます
流行語大賞2017 | Googleトレンド2017(急上昇) |
インスタ映え(大賞) | 小林麻央(1位) |
忖度(大賞) | 北朝鮮(2位) |
Jアラート | ドラクエ11(3位) |
フェイクニュース | 台風(4位) |
プレミアムフライデー | WBC(5位) |
○○ファースト | 松居一代(6位) |
睡眠負債 | 安室奈美恵(7位) |
魔の2回生 | 清水富美加(8位) |
ひふみん | iPhone 8(9位) |
35億 | ブルゾンちえみ(10位) |
ただ一応は流行語大賞の肩を持つと「ユーキャン新語・流行語大賞」なので、人名や台風などの慣用的な単語、過去話題になったWBCなどは含むことができないものと考えます
これを元に流行語大賞では基準外になってしまうであろうWebトレンドワードを除外して並び替え、不足部分をGoogleトレンド2017の情報から補完します
可能な限り流行語大賞の区分に親しい言葉をGoogleトレンド2017からあてていますが、低頻度の言葉をあてすきても比較として意味ないのであまりにも頻度が乖離している言葉はワードは採用してません
流行語大賞2017 | Googleトレンド2017 |
インスタ映え(大賞) | ドラクエ11(急上昇3位) |
忖度(大賞) | 忖度とは(○○とは1位) |
Jアラート | 北朝鮮(急上昇2位) |
フェイクニュース | リベラルとは(○○とは3位) |
プレミアムフライデー | プレミアムフライデーとは(○○とは2位) |
○○ファースト | 共謀罪とは(○○とは4位) |
睡眠負債 | 溶連菌とは(○○とは8位) |
魔の2回生 | VALUとは(○○とは5位) |
ひふみん | ハンドスピナーとは(○○とは7位) |
35億 | ブルゾンちえみ(急上昇10位) |
Jアラートと北朝鮮、35億とブルゾンちえみの関係性は明らかなので北朝鮮とブルゾンちえみは残しました
共謀罪を新語として扱うのは悩みましたが、ここで言う共謀罪は新法案に対する言葉だと想定できますので共謀罪を新語として扱いました
リベラルを新語として扱うのは悩みましたが、過去の年間Googleトレンドを見てもリベラルがノミネートしていないので、市井に対する統計上の新語であろうと判断し採用しました(例えば突如として船舶用語としては常識的なバルバスバウという用語が世間に登場すると市井にとっては新語として扱われるという判断)
流行語大賞とGoogleトレンド2017を比較すると明らかに政治系新語のワードがGoogleトレンドでは少ないので採用を控えましたので、魔の2回生やひふみんへ対してVALUやハンドスピナーをあててます
AIスピーカー(スマートスピーカー)やイデコ、VRゴーグルなどもGoogleトレンドにはノミネートされていて採用するかどうか迷いましたが、ここで言及したのでこういうのもあるんだよってことを覚えておいてくれたらなと言う形にしました。流行語大賞はガジェットやITサービスに弱いですよね。
こうして比較すると「インスタ映え」「フェイクニュース」「魔の2回生」「睡眠負債」「ひふみん」の5つがユーザによって能動的に検索されるWebトレンドワードと乖離していることが何となく見て取れます
当方の記憶によれば「インスタ映え」はメディア発の若者文化の紹介、北米が中心となって「フェイクニュース」は騒がれており、そして「魔の2回生」「睡眠負債」は完全にメディアが報道していた内容であり、ニコニコ動画とTwitterで爆発的に人気となった「ひふみん」はオタク分野であろうと思います
こう言っては難ですが、ユーキャン新語・流行語大賞は打率5割の話半分で判断するのが良いのかなって思います
それでは最後に今年のユーキャン新語・流行語大賞を見てみましょう
去年は政治色が強すぎると非難された流行語大賞は今年もなかなかぶち込んで来ています
もしWebトレンドワードにかすりもしなかったら#MeTooあたりはその理念として問題あるんじゃないかなぁなんて思うんですがどうでしょうか?だって日本のWebは#MeTooに興味を示さなかったってことですし
eスポーツもネットでだけ話題になっている気がしなくもないのですが、たまーにTVで報道されているのを見ますし、日経新聞にも取り上げられたので・・・オタク分野の一部だけ盛り上がってると思うんですがどうなんでしょ?
今年はどれだけの打率を見せるか興味が付きませんね
おれは生まれながらに増田のいう「環境」が完備された子供だった。
まず親が開業医と看護師で二人とも大卒だった。なんなら医学博士だもん。親戚は叔父も叔母も従姉妹もみんな大卒。祖父は東大出だった。したがっておれが医者になるのをみんな期待していたし、大学に行くのなんか当然だった。ローティーンの頃は「ダサい」がり勉タイプだったと思う。学習塾に通い詰めて有名な私立中に入った。中学生の頃にはハリー・ポッターは原書で読めたし生意気に自宅のグランドピアノでショパンなぞ弾いていた。
しかしこれは自慢話ではない。
何もかも与えられたおれは医者になれてようやく及第点、それ未満ならおれの努力が足りないか、母親が馬鹿女だったか、あるいはその両方であると見なされる。褒めて貰おうと思ったらノーベル賞でも取らないと叶わない。そのプレッシャーを増田にも想像してもらいたい。
「環境」を与えられたら無条件でエリートになれるわけではない。そりゃ強力な追い風にはなるだろう。でも事実としてエリートになるには相応の努力が要る。だからね、獲得したものもエリート君の努力の賜物なんだわ。それを「両親のおかげ~」とかよくわからない理屈で取り上げないでやってくれ。
果たしておれは医者にはなれませんでした。それはおれが単に勉強しなかったからだ。でもそのために母親が馬鹿女でなかったと証明することは、多分もうできない。
40代男。
精神科に通っている。
なんとか開発の仕事はしていて、給料も非常に良いがプレッシャーが強い職場でもう絶えられそうにない。
毎日死ぬことを考えていて、オフィスの窓から飛び降りたいといつも思っている。5階だから死ぬには高さが足りないけど。
夜に一人で残業していたときには窓を開けて窓の縁に立って30分ほど飛び降りることを考えていたこともある。
その頃医者に「絶対死なないでね」とストレートに励まされて、なんだかそれが有効だったようで、それ以来そういうことはしていないが。
最近は頭も弱くなってきたみたいで、死にたいと考えている最中はなんだか脳が締め付けられるような感じもしている。
そういう時は画面に映るプログラムがプログラムに見えなくて、「お前にはもう無理だから、もう死んだ方がいいよ」と書いてあるように見えることもある。
コメントの行なんかも「こんなコメント書いてやっても、お前には理解できないだろ?死んじゃえよ」と書いてあるように見える。
昔試みて失敗したから。
首つりって予想外に痛いんだ。タオルでやればよかったのかもしれないけど。
踏切で電車を待っていた時も運悪く気づかれたか通報されたか遠くで電車が止まってしまい、自分をひき殺すことはなかった。
友人は非常に多いが、正直誰とも話が合わない。話を無理して合わせている感じ。
あまりにも世の中と合わないのでインスタとかも辞めてしまった。
何も無い所へ行きたい。