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2024-06-18

anond:20240618221543

途中で切れた。長いと切れるんだな。知らなかった。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援必要特性について見過ごされたまま、強いストレスを肉体と精神の両方に受けることになったこと。

また、発達特性が仇となり、ストレスを軽減するための人間関係を作れず孤立したこと

これらの要因により精神的な限界に達した時、受けた負荷が強いパニックの形で噴出してしまい、結局はそれが水泳挫折する原因になったということ。

その後も必要ケアが十分には受けられなかったこと。

また、子ども当人(つまり、私)が、その負荷をむやみに強いられたと感じ、母親への不信を深め、その感情に向き合って修復する機会がないまま、成人後に関係破綻させてしまたこと。

そして、これらの感情的な傷付きに至る経緯とは別に特性について適切なケアトレーニングを受ける機会を得られなかったこと。

これらのことが、社会に出てから仕事への意欲が薄いこと、将来への展望を描けないこと、社交場面における不安などに影響し、また自分特性を扱う上での経験不足がストレスによる不眠、日中の眠気などに繋がり、上記不安拍車をかける結果となった可能性はあるのではないか、と私は思う。

そして、冒頭の「あなた言葉感情説明しない」という指摘もまた、やはり『嫌だ』『つらい』という訴えを繰り返し退けられ練習強要された経験から自分のつらさを他人に訴えてケアしてもらうことを諦めてしまい、直視せずに蓋をすることが常態化している精神状態にある、そのために精神的な問題を抱え込みやすくなっている、と説明できるかもしれない。

また、休職前に孤立無援と感じられる状況にふたたび置かれたことで、水泳パニックを起こしたときのように、強いパニックをおそらくまた起こし(あいまいな書き方なのはあんまり覚えていないので)会社に行くことができなくなっている。

これが当時のトラウマのいわゆる『再演』にあたる可能性はあるかな、と少し思う。

とはいえである

両親は私を愛しすぎるほど愛してくれており(少し連絡が取れないだけで着信を100件超えて入れるのが常態化していた程度には)、特に金銭の面では一般的な親の倍以上に私に支援をしてくれたことは事実である

上記事実をもって、私をまだ幸運なほうと思う人もいるだろうし、就活のくだりなんか、特に甘ったれていると思う人間も多いだろう。

ただ、3歳〜16歳ごろの人格形成期+思春期に、チームメイト精神的にまったく連帯できない状態スパルタ式の暴力的な教練を日がな毎日受けるという負荷は、おそらく定型発達の人間でも耐えられる人は限られるのではないか、という気もする。

そういう負荷に発達特性のある子どもが挑む場合には、おそらく精神的なケア定型発達の子ども以上に必要重要なことだったのだろうと思われる。

私がそういう子どもであったことが親の不運で、特性由来のストレスに対する適切なケア社会トレーニングの機会が得られなかったことが私の不運である

正直なところ。

母は小学校高学年くらいの段階で、私を発達障害者だと疑ってはいた。ネットの普及し始めた当時、私の持つASD的な特性の一部分はアスペルガーと呼ばれていたが、そのことについて母が情報収集していたことを覚えている。

しかしそれは、障害を受容した上で、適切な支援に繋げるという結果にはならなかった。

ちょうどそのくらいの時期に平成不況がやってきたのだ。私の特性を考え、進学先に私立中学を視野に入れていた母の計画は、完全にそれどころではなくなってしまった。父の会社にもリストラの波がやってきたのだ。

タイミングの悪いことに、私が水泳の過度のストレスからチックに陥った時、ちょうど母は不況への恐れからパートを始めたばかりの頃だった。私の『病気』の原因について、母は周囲からの責めを一人で負うしかなかった。父の両親との二世帯同居の家で、専業主婦の母は孤立した養育者だった。

結論から言うと父はリストラを免れ、我が家経済危機回避されたのだが、その頃には私の私立進学計画はとっくに頓挫していた。母が「結果で黙らせなさい」と言うようなことを口にし始めたのも、この頃だったかもしれない。

父親はというと、やはり私の親で発達的な特性が強く、自分の興味のあることしかやりたがらないタイプだった。養育者として、社会的な範を示すとか、発達的な特性とどう付き合っていくかとか、そうした問題についてまったく頼りになる人ではなかった。

悪い人ではない。悪気のある人でもない。一流企業にまじめに勤め、高収入であり、私に関わる多額の費用を全部賄ってくれた人である。そしてそれが、おそらく自身でも困りごとをたくさん抱えていたであろう身で父にできた、私への精一杯の愛情だったろうと思う。

母もまた、母の出来ることを最大限にしてくれた。母は、思春期の私の苛烈で発達のアンバランス性格(受けていたストレスを考えると、おそらくそうなるしかなかった)に何度も振り回されて、傷付き、それでも最大限考慮した上で、「あなたは結果で黙らせなさい」と言うしかなかったのだと思う。

これは私がどう生き、どう傷つき、現在どう困っているかにまつわる記録ではあるが、同時に単に毒親から被虐待についての記録としてはなるべく書きたくはないと思っている。充分悪者に書いただろう、と思えるような筆致だったかもしれないので、ここに補足しておく。私は難しい子供で、両親は常に一方的加害者ではなく、私を支援してくれようとした。私たちはお互い感情的な対立を何度も経験し、お互いに何度も傷付き、それを乗り越えてきた。その過程でいくつか間違いがあり、一度関係破綻してしまったが、それでもまだ、この先に和解可能性がないわけではない。

それぞれの人間がそれぞれに苦しんだ結果、私の今日につながっているのである

・これから

これを書いているいま、これからどうなるのか私にはわからない。これらの生い立ちから私が受けた傷を癒せるかもしれないし、そうではないかもしれない。困りごとを軽減してなんとか社会で上手くやっていけるかもしれないし、どうにもならないかもしれない。

ただ、良くなってほしいという希望を持って先生たちは治療に当たってくれているし、希望は捨てるべきではない。そう思うので自分恥部を曝け出す覚悟でこれを書いた。一種の『底尽き』を気力で前に持ってきた、というやつかもしれない。

ただ、強いトラウマを抱えた発達障害当事者予後は正直あんまり良くなさそうだなぁ、とは、当事者たちの声をインターネットで拾ってみて思わなくもない。

・これからどうしたい?

社会復帰がどうなるにせよ、実家にだけは帰りたくない。

ただ、復帰できないとこれが現実に起こりうることが現状最大の懸念である

プリントアウトして病院池添謙一

当然、持っていく予定である

プラダリアの取捨だれかおせーて。

カウンセリング先生も「感情説明しない」と言っただけで、そこまでドバーッといきなり半生にまつわる自己開示が出てくると思ってないんじゃない?

それはそう。

カウンセリングにはこの記録を持っていこうとは思うが、どの程度まで自己開示すべきなのか、いまが適切なタイミングなのか、そのあたりをきちんと確認しながらやっていこうと思う。

少なくとも、これを書き下せたことで、私の中では問題解決へ向けて、整理と準備がついたと思っている。

・おまえが誰かわかった

べつにわかってもいっかと思って書いている。とくに失うものはない。

何かしらの連絡手段で私とつながっていて、内容でなんとなく察した人は、「もしかしてこれお前?読んだよ」とメッセージくれると嬉しいよ。困窮者だ!金ヅルにしよう!と思って寄ってこられるとちょっと悲しい。というか休職人間に金はない。

やあ。まだ生きていますよ、私。あなたはどう?

・本当のトラウマもっと混沌としたもので、こんなに整然と説明できるものではないのでは。ストーリーをがっつり作りこんで、無意識に本当に触れられたくないことから逃げている可能性はないか

自分言語理解比較的高い特性を持っているので、書くことによって自分をメスで捌くように腑分けして、人前に晒すという自傷行動に割と慣れているし、やはり言葉によって自分説明できるとなんとなく落ち着くタイプである。その助けもあってなんとか書き切れたが、それでも書き切るのにかなり涙を流したので、この記録には多大な精神的労力を必要とした。文字通り血を流しながら書いたと言っていい。

その上で、超フラットに、予断を挟まず言えば、その可能性はないとは言えない。私のような人間レトリックを使うのがうまい。そのレトリックの中にいつでも逃げ場を作り出せてしまうので、「可能性がない」と言い切るのはフェアではない。自分でも気づいていない可能性がある。

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

セックスクオリティアップトレーニング

わいがしていること




いかい、自分セックス第三者視点から見るということは難しい。

セックスは常に主観ビューだからな。

第三者視点から映像というのは、普通AVしかみない。

そこで自分のハメ撮りを見てみよう。

するとどうだろうか。

男優の皆様に比べて、圧倒的に下手くそ自分がそこにいるのだ。


そんな物事でも、上達するにはまずは現状認識をしっかりしなくてはならない。

セックスときに、自分発情マックス状態で、客観視するのは難しい。

そこでハメ撮りだ。

現状をはっきりと認識することで、目指すべき目標との差を把握できるようになる。

そのためにハメ撮りはとても大事なのだ

さぁ、みんなもハメ撮りしよう。


隠し撮り犯罪です。ちゃん同意を得て三脚を立てましょう。

平日の昼間っから匿名掲示板でお前は昆虫並の知能とか言ってる奴と

セックスなんかできないだろそりゃ

気持ち悪い

くそんなのと子供作ったな

anond:20240617121658

拒否側の自語り。

セックスなんて時間食うし、気持ちいいフリも面倒だし、気持ちよくなったらそれはそれで疲れるし、寝落ちでもしてしまったら後々の仕事家事に支障が出るし。愛情表現なのはわかるんだけど、タイパわるくない?

それに、そんなにも私としたいって気持ちがどうしてもわからなかった。レスになったのは出産後だけど、家事育児に疲れ果てたボサボサのよれよれの肥ったおばさんと、そんなにもしたいもんかね?こっちとしては、ムダ毛処理もしてないし(する暇ない)、産後体重が戻らないで浮き輪の付いたお腹晒すのも恥ずかしいし、まずは自分自分のことをセクシーだと思えないとそんな気分にならないんですけど?

とはいえ我が家コミュニケーションは良好なので、私はめんどくさい!ということを包み隠さず伝えた。向こうも、それでもしたいんだ!と言ってきた。

そんで、セックスするなら手短に。私はマグロなんで、こっちを気持ちよくしてくれようと頑張らなくていいから、最短で終わらせるっていう取り決めをした。

しばらくそんな感じで続けてて、軌道に乗ってくるとこっちとしても少しぐらいサービスしてあげてもいいかって気になってきて、最近射精RTAみたいなんじゃなく、わりと普通セックスしてる。

でも、お酒の力は借りてるけどね!向こうは下戸からしらふで、こんな見飽きただろう部屋着姿のおばさんとよく何年もセックスできるなっておもう

思った通りに書いてくれなくて困る増田酢丸マコテク慣れ九手イカニリオトタッ藻御(回文

おはようございます

ChatGPTちゃんプログラムを書いてもらうと思ってみてもどうやって伝えたら良いのか分からなくて、

このデータからこういう結果にしたいの!って

入り口と出口の形を教えてあげて書いてくれるかな?って思って良いところまで行くんだけど、

データ量が増えたり減ったりすると

なんか上手く動作しなくて私が思ったように指示ができなくてこういう時どう言ったらいいのか問題あるわよね。

私が伝えるそういうプログラム的な用語知識がないので、

しろマイナスからのところから始まるから

私はどうやってそれを伝えたら良いのか!って悩んでいるうちに

もうエクセルリスト作っちゃう方が簡単なんじゃね?って

思うけれど、

ここは頑張って教え込んできたい通りの出口の答えのリストが出せるようになったらこっちのもんじゃない?

どんなもんじゃい!ってな感じで。

もー上手いこと行かなくて、

でもかと言ってChatGPTちゃんも頑張ってくれてるのは十分分かるんだけど

どうしても私の伝え方の技術ポンコツさが相まってなかなか思った通りに使いこなせないのよー。

こういうときどうしていって良いのかよく分からないわ。

つーことで

今日は雨で雨降るとお腹が痛くなるのかしら?って通説ない?

いかー。

夜中に2回ぐらいトイレに起きてしまって、

チクチクする痛みに耐えながら

これってトイレ行ってウンコしても治んの?って思っちゃうけど

とりあえず動いてみてトイレにいくもの

そんなスパッと解決できないぐらいで、

いまいち眠りが浅かったわ。

これもChatGPTちゃんに訊いたら良かったのかしら?

久しぶりに使ったChatGPTちゃんは月額払っているとは言えども

久しく使っていなかったので、

もったいないなーって思い思いだして使い出したワケなのよ。

でも

唯一思うのがこうやって増田を書いている間にも

プログラムを考えさせてChatGPTちゃんに書いてもらう間にも

私は普通にエクセルリストを作った方が早くね?って思っちゃうのよね。

あーお仕事お仕事

お仕事に戻るわ。

雨降って地固まるとはよく言ったものね。

言葉意味はよく分かってない雰囲気で言ってるけど、

とにかく凄い自信なのよね。

本人は。

うふふ。


今日朝ご飯

厚焼き玉子サンド

珍しくそんなレアな厚焼き玉子サンドがあったので、

もれなくゲットよ!

普通タマサンドイッチが無かったので、

タマゴ欲しいじゃん!

でもミックスタマゴのゾーンが薄くて薄くて薄かったのよ。

私のタマゴ欲に答えてくれそうな唯一のそれがこれってわけ!

美味しくいただいたわ。

デトックスウォーター

炭酸レモンウォーラー

最近は冷やし忘れないようにたくさん冷蔵庫ストック入れているので準備万端よ!

お腹冷やしちゃったのかな?

夜中にお腹痛かったのは?

よく分からないけれど、

用心はしたいわね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

anond:20240618054714

せやで。だから綺麗事だけ言って現実直視しない嘘つき親も嫌われてるってわけや。おあとがよろしいようで

 

親が現実見てないくそだと

その皺寄せは全部子供にきて

子供が苦労するからなあ

 

子供のためといいつつ自分のため

自分けが大事

anond:20240617172251

こういうのでいいんだよ

話し合いじゃない、全くその通り

ならいける!と言う状況を察する力と、

そこからキス相手のノリを高めていく力

そのような動物的な能力を研ぎ澄ましていくことが必要なのに、

「話し合い!カウンセラー離婚セックスレス離婚事由外注!」

しか言わないブコメマジで虚無なんだよ

あんなの真に受けてたらマジで不幸になるよ

anond:20240617121658

ワシ(子無し)元旦那と何年もセックスして無かったけど

・長く一緒に住んでて家族感強くなったか

・下手くそだったら

あんまり顔がカッコ良くなかったか

って感じの理由だったよ

一回やらなくなったら、普段と変わらない生活の中に再びセックス持ち込むのは難しいと思う

なんか、ちょっといいホテルで良い雰囲気つくるとか、容姿気を使うとか、そういう気持ち盛り上げる工夫のはやったのかね

女はセックスまでの過程大切にするって言うじゃん

気持ち盛り上がってもないのに、慣れないセックスの誘いとかできんわ

anond:20240618015021

俺すげえはマジで煽りでもすっとぼけでもなくそういうつもりはなかった

普通にふざけんなっていう愚痴

仕事できるできないは定量的に測れない業界なのでなんとも

マジでシンドいっていう愚痴しかなかった

2024-06-17

anond:20240617121658

ど下手くそ臭いか汚いか清潔感がない説が濃厚

うまけりゃ多少臭くてもブスでも結構気にならなくなる女性多いので、多分相当下手なんやろな

外国お菓子パッケージって絶妙にそそられない。

日本除くアジアのやつはほぼ漏れくそうだし、欧米のもドリトスとかハリボーとか見慣れたやつ以外は食指が動かない。輸入食品置いてる店行っても、逆オリエンタリズムめいた物珍しさこそ感じても味への興味にはあんまり向かない。

なんなら国内メーカーのやつでも、名のあるメーカーデザインに金をかけているであろうパッケージだったり、そうでなきゃ慣れ親しんだものでなきゃあんまり手を伸ばす気になれない。よほど中身のモノが好きじゃない限りは。

シンプル保守的な所はあるんだろうけど、それ以上の何かもある気がする。土産モノで海外お菓子もらったりすると、その場で食わない限り永久放置しがち。土地ごとの根本的な好みの違いって、ローカライズされたエスニック料理屋なんかよりこういう身近な所にこそ出るんじゃないかって思う。日本ご当地風味も所詮は大枠を共有しながら泳ぎ回ってるだけで、やっぱり国が違えば枠ごと変わってしまうのかもしれない。

でもスーパーでたまに置いてあるレイズはなんか妙に魅力的に見える。過剰なような無骨なような、メリケンな感じとしか形容出来ないパッケージを見ると、ジップパーカー羽織った奴がカートを引いてる洋画スーパーが頭に浮かんでくる。

結構いい値段する割にはちょっと柔らかめの堅揚げくらいな感じでまあ普通に美味しいくらいなんだけど、たまにハーゲンダッツを買うような感覚で食ってみると美味い。この時ばかりは背面で浮いた様子の日本語ラベルの紙シールもなんだか魅力的に見える。

海外の反応日本ポップカルチャーにおける、ちょっとクレイジー出来事  J-Popグループコロンブスと「猿のような」原住民についてのかなり「無神経な」ビデオ投稿

anond:20240617192701

よし!便乗だ!!!

J-pop act Mrs. Green Apple removes ‘Columbus’ video after viewer backlash

www.れっぢt.com/r/japan/comments/1dfe0m7/jpop_act_mrs_green_apple_removes_columbus_video/

誰もこれが悪い考えだと思わなかったのですか? 本当に? チーム全員? J-POP スター自分の家の外に何があるのか​​知らないのは受け入れられますが、監督俳優ダンサーは? 冗談でしょう...

驚くべき点は、これはコカコーラとのコラボレーションだったということだ。コカコーラが何か言うだろうと予想していたのに...

つい最近まで日本歌手ブラックフェイス使用していたことを考えると、おそらくそうではないでしょう。基本的に、どちらの人種/民族日本人でもアジア人でもない人種間の人種差別については、ほとんどの日本人があまりニュアンス理解を持ち合わせていないものです。これは言い訳ではなく、むしろそれがなぜ今でも起こるのかを説明するものです。

このようなことは、ほとんどの日本人が国際的ではないか自国植民地時代歴史世界規範について教育を受けていないために、頻繁に起こります。人々は、YouTubeグローバルなプラットフォームであることを忘れています。まったく驚くことではありません。

正直驚きませんでした。

また、比較的有名なバンド MY FIRST STORYリードシンガー Hiro (別名 ONE OK ROCK Taka の弟) が、X に「最近は何でも怒りを呼ぶ」と中指絵文字を添えて投稿したのも印象が悪い。おそらくこの一連の出来事を指しているのだろう。幸いにも、この発言に対して大多数の人が否定的な反応を示しているが... うん、もう彼らの音楽聴くことはないだろう...

ラッドウィンプス国家主義者だと知ってから聴くのをやめた

日本ユーザーから、この曲の名前を「ペリー」に変更すべきだというジョークを聞いた(笑)

正直に言うと、このビデオのコンセプトは理解できません。バンドメンバーは(服装から判断すると)数百年前から20 世紀半ばの島の家に運ばれ、猿たちがテレビを見てだらしない生活を送っているというのです。このビデオ意図する意味は何でしょうか?そして、反対した人々はその意味をどう捉えたのでしょうか?

情報が容易に入手できる現代において、無知は一部の日本人がこのような行為をすることの言い訳にはならない。

しかしたら今や人々は、日本日本人以外のすべての人に対して人種差別的な国であり、彼らの行為非難されるべきだと気づくかもしれない。

日本は島の外の社会進歩にまだ気づいていない。バンド国際的キャリアは、人間の愚かさのせいで突然、そして時期尚早に終わった。

「ミセス・グリーンアップル海外音楽披露することに興味を示している」この人たちはバカだ。日本バービー映画宣伝をしようとして、バーベンハイマーのミームを先頭にしているようなものだ。彼らは自分たちが参入しようとしている世界文化歴史をまったく理解しておらず、基本的自分たちの無知世界さらけ出した。

まあ、人種差別は健在だ。ビデオ日本人のコメントを読むだけでも、

日本人と黒人ハーフである私にとって、このような状況は、日本では肌の色が濃い人に対して多くの人が未だにどんな見方をしているのかを思い知らされる。私はそこまで肌が黒いわけではないが、日本にいる間は目立っており、路上バスで年配の人たちから意地悪な視線を浴びたことは言うまでもない。

こうしたケースは私にとって本当に奇妙です。過去に何も悪いことをしたことのない人やグループが、突然、世間一般常識からすると二度考えさせられるような大きな失態を犯すことがあるようです。これについて怒ったり気分を害したりするというよりは、無知レベルがあまりにも高いことに驚かされます

日本社会人種に対する無知があるのは事実だが、平均的な日本人の観点から見ても、その無知は異常である。反発があったのはむしろ嬉しい。過激ファン以外には誰も擁護していない

ぺちちゃんというもの発見した経緯

  (1)平成28年4月の春に、晴生が、ポケットワイファイを中止し、BBIQに切り替えたため、それまで閲覧できなかったTwitterやYotubeの大量通信動画を閲覧できるようになった。

  (2)当時、Twitterを閲覧していたところ、クソガキばかりで見るに堪えない、見るようなもんじゃねえな、ということで一時期放置していた。

  (3) そのような中、 ぷちくら、というアカウントがあり、なんか臭いけど、お前でいいけん脱げブタ、という感じで、何回もリプライ送信したところ、相当数の者からクソリプと言われた。

  (4) 平成29年6月に、スカイプを通じた家庭教師の際には、ものとしては、社会保険審査官の中嶋康弘みたいな感じで、危険人物には見えなかった。

  (5)その当時の私の頭の中にある教科書世界では、全く矛盾がないし、整合するため、すち、というリプライをしたところ、とほほ・・・という返事になった。

    以下、ぺちちゃんがうざくなってきた経緯

  (1) ぷちくらは、平成28年10月30日に数検1級を受けて合格し、翌年、東大理1に合格して、杉並区に住んでいたが、平成31年2月25日に退去して、八王子に移動していた。

  (2) 教養学部1年次は、自分仕事渋谷でちりしを配っているとかい発言があるとともに、たまにくそうぜークソガキみたいなツイートがあったこから、そういう時は、クソガキが、と言っていた。

  (3) その後、元々は、ぷちくら、だったにもかかわらず、いつの間にか、アカウントが、ぺち、に切り替わっており、アカウントがぺち、に切り替えられて以降、 およそ、ぷちくらとは思えないようなツイート

     や行動が増加するようになり、次第に、以前の、自分世界では矛盾せず整合するという状態ではなくなった。理由の1つとして、誰が本人であるかが匿名性により全く分からないことである

     結局本人が出てきたことは一回もない。

   そこで、当裁判所は、次のような結論に到達しました。  最近のぺちは、意味が分からない。もはや、自分教科書の中における専門知識を総動員して、技術を用いても理解できない存在

 ある。過去の経緯として、まず私は、 平成19年11月17日にインターネットPearlに登場したMONO君に対し、その当時、一生幸せにするから結婚しろと、懇請したこと事実である。その

   理由は、平成19年11月17日だったかである。 折から私は、 平成19年10月13日に、東大法学部破綻して精神的に多少発狂していた時代でもある。

   なお、東大法学部は、 次のような経過を経て破綻した。

     平成19年6月✘日      佐藤増田自殺

     平成19年9月28日

     平成19年10月13日    事務の女が書類を燃やした。

国土地理院地図とかっていわゆる創作かに生かされてないのはやっぱ許可取るの難しいからなんだろうか

自分編集するんだったらともかくそのままのものを持ってくるのはちょっとめんどいみたいな

信者が多いと楽そうでいいな

ジャニーズやミセス擁護論は、どれも己が好きなものが叩かれてるのが気に食わない、私の崇める神格が過ちを犯すはずがないから周りが悪いってやつばっかりだ。

1番びっくりしたのは、ミセスMステ涙目がどうこうって言ってたこと。泣けば同情されて罪を洗い落とせるんすかね、女社会って。いいなー楽で。褒めるなら、直前のごたごたをさておいて、番組として求められることをやったってところでしょ。社会人としてミセスのことを見てないよなこいつら。勝手に同情して勝手母親面して。気持ち悪いことこの上ない。

信者、どいつもこいつも盲目的で崇め奉られる側としては便利そうである盲目的に神格の主張を信じるので、陰謀論でもポリコレでもなんでも神格の主張の正当化のためなら厭わない。よくそこまで出来るものだと頭が下がる思いだ。

ああなんでメソポタミアなんだろう

味噌ポタミアだったら味噌ポタージュが食べれたのに

くそ

なんの陰謀

黒幕は誰なんだよ

意味わからん

「絵なんて誰でも描けるし~」とか言いながら私に1万字以上のクソ長文お気持ちマロ送りつけてくるな

こっちには誰だか透けてるんだよ裏垢のほうにまですり寄ってくんな

くそだるい 高校に上がってから変なのばっかにまれてる

2024-06-16

追記です

今日1日だけで意外と多くの反応があってびびってる。

1人2人くらいに馬鹿だな可哀想だなと言われるのがオチだと思ってたんですが。

・なんで結婚前に話し合わなかったか

少なから子ども欲しいという話してたけど、いつも将来的にはねみたいな答えだった。どうもそのときはそこまで深く考えてなくて、私が真剣に欲しいというので真剣に考えたら生活が変わるし子供との接し方もわからないし怖いということらしい。

子ども欲しいなら遅い、若いうちに結婚しないと

・これから高齢出産障害リスク高い)だね

そりゃそうだねと言うしかない。

・別れた方がいい

分別れないし、やはり別れたくない。真剣子ども拒否されたけど、不倫DVのような不信感を抱くはなかった。怖いっていうのがとても伝わってきたし、怖いと言われた側って別れようってならないんだなと思った。

ちなみに旦那さんはバツイチでも既に子持ちでもなく初婚。なんかむしろ私が暴走して別れられる側になりそう。

はっきりとは聞いてないけど、旦那さん的には幸せで穏やかな生活なら、結婚しようがしまいが子どもがいようがいまいが関係ないのかもしれない。結婚とき同棲のままは嫌だとこっちから切り出し結婚した。職場独身の人が多いらしいし、親戚付き合いも少ないし結婚してない人はおかしいみたいな偏見にも触れたことなさそう。私は肉親やら昔からの友人がそういう偏見普通に口出す人たちなので、私はそんな偏見持たないと内心思ってたけど、結婚しないと普通じゃないって思った時点で同類だったな。

書いてて思ったけど偏見も持たない素直に今の幸せを維持したい旦那さんが正解な気がしてきた。

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私(31)はこれから先既婚子ありの人生だと思っていたのだけど、どうも旦那さん(40代)が子供を欲しがらないのと自分の子宮頸がんの検査結果(軽度異形成)のおかげで子供を諦める、諦めざるをえない気がしてきた。

まさかそんな旦那さんがそんなに欲しがってなかったとは思わなかったとか、子宮頚がんワクチン打ってなかったからとか、色々後悔してる。

けど今から別れてさっさと子作りしてくれるような相手を探して結婚するとかは考えてはみたが、ますます後悔しそうだったのでやめた。

旦那さんは家事もしてくれるし優しいし趣味も合う。子供欲しがらない時点で優しくねえだろという感じだが、どうも子供ができるのが単純に怖いということらしい。たしかに私と喧嘩もしなければ、お互い働いてるので生活も余裕があるしある程度自由で居心地がいい。その生活自体が一変することが怖いということなんだろう。

それでも、私は旦那さんの優しさにつけ込んで泣き落としで子宮頚がんになる可能性もあるし年齢的にと迫ってみたけど、お互いに精神的に不安定になってしまって関係に溝ができそうになったので私が一旦諦めるという宣言をして話は終わった。

一旦諦めるとは言ったものの、旦那さんと離婚する将来と同じように子供がいない人生もなんとなく考えつかなかった。

今までの人生、進学も就職居住地もそんなに深く考えずになんとかなるだろうと選択してきて、まあ大体なんとかなった経験から、私は人生において何かあっても割と臨機応変にできるタイプなんだろうなと自惚れていたけど、全くそうじゃなかった

そもそもどこにも進学できないとか就職できないとか住めないとか、そんな無い状態にはならないだろうみたいなのが無意識にあったから軽く考えていられただけだった

子どもがどういう子であれきっとどうにかなるだろうみたいな気持ちにはなっていたのだけど、そもそもその気持ち自体子どもを産める前提でいたのが否定されて、どうしたらいいのかわからなくなった。

とにかく整理つかないし初めて現実を受け入れるってこういうことなのかなと感じてる。

お前らなんでそんな広告嫌いなの?

インターネット無料コンテンツの99%は広告で回っているのに。

そうじゃないのは個人が有料ソフトサーバーを建てて有料ソフトで組み上げた個人HPぐらいだけど、これも結局は他の広告掲載型サイトリンク集から人を呼び込んでいるから、全く広告のない世界運営できてるって感じでもないよね。

広告目的フリーソフト広告目的企業HP広告ベタベタフリーHP、有料機能誘導するための広告塔としての無料配布モード、このインターネット広告だらけで出来ているよ。

広告だらけの世界から無料で始められる。

無料で始められるから色んな界隈から人が集まってきて交流が盛んになる。

交流が盛んになったから発達した。

インターネットパンとサーカス政策とした商業都市のようなもんだよ。

その結果として、時間けがありあまったニートがそこら中で暴れまわったりする治安の悪さも生まれたけど、大規模発展のメリットはそれを完全に覆せるほどに大きかった。

俺はこのインターネットが好きだぜ。

広告まみれでプロバイダー代払えばあとは基本無料だらけのインターネットが。

学生時代ツナギホーダイに親が契約して以来はずっとネット世界に入り浸って暮らしてきたことを後悔してないわけじゃにない。

でも後悔するほど楽しんでしまったんだから、好きなのは間違いないと思うんだよな。

金がなくて時間が余ってるなら勉強するのかって言われれば、あの頃の俺はどうせレトロゲーを格安で買って遊びつくそうとしてただけだよどうせ。

俺は広告まみれでマネタイズする基本無料アフィリエイト空間インターネットが好きだ。

システムとしてスッキリしてる。

俺がどっかのサービスアクセスすることで発生する通信コスト広告代理店が賄ってくれて、そして広告を打ったことで得た何らかの利益が伸びることで、向こうの社内でなんか金が下りてきてコンテンツが充実する。

個人場合アフィリエイトが伸びたら調子に乗ってコンテンツ充実に向こうさんの人生をジャブジャブ注ぎ込むようになってくれる。

シンプルに完結した世界だ。

俺は広告産業好きだぜ。

インターネットを伸ばしてくれた原動力で、今も変わらぬスポンサー様だと思ってる。

でも広告経由でウィルス入れたり怪しいサービス契約させてくる連中が未だにいるかAdblockは解除できねえ。

Adblockを使ったままネットを見るのは炊き出しキセルして配給券を誤魔化してるみたいで気が引けるが、ウィルス感染したら怖いんだから仕方ない。

悪いのはそういった悪党業界内で退治しきれなかった広告業界だと思ってるからよ。

結局さ、ウィルス違法サイト踏ませるタイプ広告とそれ以外の広告を切り分ける技術を開発できてないことが問題なわけよ。

俺は悪くねえ。

anond:20240616094441

本当に失言してるなら大喜びでコピペしてるはず

実際の発言を貼らないで悪口だけ書いてるのは

”「こんなこと言ってる~」とか捏造しながらくそみそにこき下ろして去ってくだけのモンスター”は増田の方ってこと

anond:20240616155833

下手くそなやつの漫画絵って低俗卑近な感じが出るよね

うまい人が描くアジア人顔と下手くそが描くアジア人顔って明らかに違いが出る

昨晩、通りすがりの男に声かけられたことが未だにモヤモヤする

昨晩、自宅前の駐車スペースでレンタカーを返そうと荷物おろし忘れがないか見ていたら、通りがかりの歩きの男(40前後、長髪であまり清潔感のない服装リュック)に声かけられた。私鉄沿線住宅街で駅からも離れているので地元民以外が出歩く場所ではない。

ちょっと道を聞きたいんですけど」

やけにニヤニヤして馴れ馴れしい感じで声かけてきたので第一から身構えてたら、

「〇〇(都県境を越えた都市20〜30km先)ってどうやっていけばいいんですかね」

最寄り駅から複数回乗り換え必要都市で、そもそも歩いてて駅からも遠い場所で、その地名が出てきたことに不審になった。

「車で、?それとも電車で?」

そこで男は笑顔(返答してくれたことで馴れ馴れしい感じが出てきた感じがした)になって、よくぞ聞いてくれたという空気で、

「歩いて行くしかないんですよ」

リュックサックのチャックを指差しながら

「あっちの方で鞄をおいて作業してたら財布取られちゃって一文無しで」

「さっきそこで聞いたら〇〇は北だからあってじゃね?って言われて、冷たくないですかね」

じゃあ警察行ったら?と交番がある方角を指差したら、

「今どきの警察身分証明ないとお金貸してくんないんですよ。歩いて〇〇まで行くのか、今日中に帰れるかなあ」

「あ、そうだ、自分電話番号教えるんで、〇〇までの電車賃貸してくれないですかね、後で返しに来るんで」

「いや悪いけど、一緒に警察には行ってあげるけど」

その時は嘘を言ってるかとはなぜか思わなかったのだが、生理的その男に金を渡すのが躊躇われたので冷たくそう答えた。

男は今どきの警察身分証明が、ないと貸してくれないんだよね、と繰り返し愚痴りながら、私が北と言った方角に歩いていった。

それを見送ってから検索したところ〇〇までの電車賃は1000円かからない、歩いて行くと日付が変わるくらいにはつける距離(迷わなければ)だった。

家族にそのやりとりを、話すと「絶対詐欺だよ〜」自分達だったら「歩いて行けば?」て突き放すと言われた。

考えれば考えれるほど、嘘っぽいし、その男の財布取られた話を信用する材料も金を貸す担保もないと思うのだが、なんとなくもやっとしてる。

瀬川深とかいう、本文に全然書いてないことを「こんなこと言ってる~」とか捏造しながらくそみそにこき下ろして去ってくだけのモンスター、何あれ?

あんなのがリベラルな識者みたいな扱いになってるツイッター意味わからんのだが。

どうせ下手な英語アメリカでやってけてないか憂さ晴らししてるだけだろ?

衰退したネトウヨ勢力に替わってクズ人間の掃き溜めみたいになってきたよなツイサヨ。元からなのか知らんが。

 

追記ブコメで「ツイッターで指摘しないのか」とか言ってるのがいるけど、あいツイッターでは何か指摘されたらしれっと消すとか無視するだけだぞ。ある意味で、そういう処世術偏差値のものはある。だからこそ一番厄介なんだけど。リベラル媚びに商売替えしたビジウヨみたいな奴だよ。

anond:20240616053604

MBTI診断を馬鹿にする人は、今後一切カテゴライズで人の内面すべてを言葉表現下に置けていると思わず、それで軽蔑できたとも思わないらしい。そのものではなくそれを取り囲む人を馬鹿にしてるのか

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